1対8、どう見ても不利な戦い。人数の差から見ても、武器の差から見ても、風待は明らかに窮地に立たされている。
しかし、風待は勝利を確信していた。8人の護衛役、彼らが担いでいた小銃の不自然なほどの奇麗さ、そして銃器の扱いに慣れているはずの彼らが、手にしている小銃を構えようとした時のわずかなぎこちなさを、彼女は見逃してはいなかった。チームリーダーの男と会話する前から、風待は護衛役の一挙一動をも観察していたのだ。
風待は見抜いていた。彼らが手にしている自動小銃は、今夜初めて与えられたものだと。
今自分の横で、倒立した死体になっているチームリーダーの男。おそらく彼は、今夜取引をするヤクザ相手に、麻薬以外に旧式銃器を売り込もうとしていたのだろう。
8人の護衛役が背負っている小銃は、護身用ではなく試供品。彼ら8人の大男たちの役割は、麻薬取引の警護ではなく、新商品の陳列役。今夜の彼らは、ただの商品棚、チームリーダーが新たに売り出す商品を吊るす、生きたマネキンなのだろう。
であるならば、勝利は確実だ。たとえこの8人が軍務経験や射撃経験があるプロであろうと、初めて触る武器は流暢に扱えない。たとえ事前に操作方法を教えてもらっていたとしても、射撃するまでの動作には、いくばくかのもたつきがでるだろうと、風待は予測する。
これが本部卒のリコリスならば、どのような銃であろうと、戸惑うことも手間取ることもない。彼女たちはどのような状況下でも、ありとあらゆる武器を即座に使えるように、世界中の銃火器の操作法を学び、実際に射撃訓練までしているのだ。
これは、世界各国の秩序維持組織から見ても例のない、DAだけが実地している特殊な教育の一つである。
去年、DA本部附の精鋭リコリスたちが都内の銃火器密輸組織を壊滅させた作戦の最中、あるセカンドリコリスが敵側から奪った機関銃を乱射し、膠着状態を打破する一手とした事例があったが、実はこれは世界的に見て例のないケースなのである。他国の非公式組織の隊員は、私物の銃以外は、自組織で採用された武器しか使えないし、使おうともしない。機関銃が必要な状況が発生するような作戦ならば、自分たちの組織で使用している機関銃を持ち出すか、自国の軍隊や武装警察などから、専門の機関銃分隊の応援を秘密裏に要請すればよいと考えている。
しかし、DAは徹底した秘密主義、孤立主義の組織である。他の組織の火力に頼ることなど考えもしない。
そして、DAは安全で平和な国の中の組織である。リコリスの使用火器は、市民の目に触れにくい拳銃が中心であり、クリスベクターの使用は、大規模な正面作戦でない限り認められてはいない。
制約の多い、この国の秘密組織。制約が多くても、武装した敵と正面から戦うことが任務の本部卒リコリス。この制約を打破する手段として、DAが彼女たちに与えた答えは、知恵と経験だった。
知恵、敵の武器の詳細を知っていれば、敵と同等に戦える。敵の武器を知り、己の武器を知れば、百戦殆うからずだ。
経験、敵の武器を使ったことがあれば、敵の武器を奪って戦うことも可能だ。智将は糧三載せず務めて敵に食むのだ。
リコリスの精鋭、本部卒。
本部教育を受けた彼女たちは知っている。世界中の銃火器の使用方法を、構造を、特徴を知っている。
そして風待も知っている。男たちが持つ自動小銃の構造、そして射撃までに必要な手順を知っている。
チェコスロバキアの自動小銃、Vz58P。この銃には、普段AK系列の自動小銃に慣れた連中ならば、一瞬躊躇してしまう部品があることを、風待は知っている。
セレクターレバー。セイフティロックをかけるこの部品が、AKに比べ小さいのだ。
AK小銃のセレクターレバーは、スリットカバーも兼ねているため大きな板状である。それに対しVz58Pのセレクターは、小さなツマミ状の部品である。この銃の初心者、さらに夜間という状況下では、一度視線をセレクターレバーに落としながら、トリガーから指を離して操作しなければならない。
即応性に難のあるセイフティー。この銃を実際に何度も射撃したことのある風待やスギナならば、銃を構えたまま、引き金に掛けた右手人差し指の関節部分を使い、跳ね上げるようにしてセイフティーロックを解除する射撃法を知っている。しかし彼らは、その方法を知らない、そこまで習熟してない。
数に勝るという優位から来る油断もあったのだろう。彼らはプロであるにもかかわらず、上陸時にセイフティーロックを解除していなかった。護衛火器ではなく、ヤクザに見せる商品という先入観があったため、事前の操作確認を怠っていた。作動確認を繰り返すことにより、丁寧に磨かれた銃が汚れるのを恐れていたのだ。
風待は、全て見抜いていた。彼らの油断を、全て見抜いていた。
ほんのわずかな時間とはいえ、棒立ちになり銃のセイフティーを捻る男たち。風待は、彼らの必死で滑稽な姿を一瞥する。
ただ少しだけ、男たちの立つ位置を見ただけで、風待は彼らの座標をミリ単位で把握する。慣れない銃の操作に意識を集中するあまり、移動も隠蔽も忘れる様な相手は、これ以上視線を向ける必要もない。風待は彼ら8人の姿を特に注視することもなく、片手で銃を構えると、無造作に引き金を引いた。
スギナの目に見えたのは、風待が手にしていた拳銃の銃口焔だった。
片手を伸ばし、敵のいる方向に向けて拳銃を連射する風待。グロックに比べ重い拳銃を、玩具の水鉄砲のように楽々と振り回し、安全のためトリガープルを重くしている引き金を、テンションスプリングの壊れたエアガンのように軽々と引く。
「先輩!」
走りながらスギナは叫ぶ。戦闘中に不必要な呼びかけは厳禁だが、思わず叫んでしまう。
走りながら、スギナは背中に手を回す。背負ったサッシェルバッグの底面四隅に打たれている金色の底鋲のうち、右内側の鋲を右手人差し指の爪先で真横に弾くと、鞄の右側面が開き、中に収められていたグロックが武骨な姿を見せる。
まだ距離は遠い、しかし時間がない。スギナは立ち止まり、鞄から引き抜いたグロック36を構える。
敵は8人。しかし風待先輩が撃っているトカレフの残弾数は7発のはず。
先輩が撃ち漏らした敵を、私が撃つ。残った敵が反撃する前に、私が射殺する。
スギナの目が鋭く光る。風待先輩が撃ち残した敵を見逃すことの無いように、前を見据える。
弾丸より鋭く、敵に向けて突き刺すかのように放たれるスギナの目線。突如始まった銃撃に焦りつつも、彼女の視覚は、冷静に敵の数を確認していた、彼女の聴覚は、冷静に風待の発砲音を数えていた。
スギナの視界に、8人の敵が見えた。プロの護衛の風格を出していながら、なぜか素人のような動作でセイフティー解除をしていた男たちが、右から順に風待の銃弾を浴びていく。
一人、二人、三人、右から左へ、彼らは流れ作業のように撃たれていく。流れ作業のように死んでいく。
風待が弾丸を打ち込む場所は、眉間。狙っているような目線ではないのに、狙っているような体勢でもないのに、わずかな狂いもない驚異的な命中精度で、風待は男たちの眉間に穴を開けていく。
火薬量の多いトカレフ弾は、貫通力も高い。左右の眉の間に正確に撃ち込まれた
四人、五人、六人、早撃ちの如く速射された銃弾が、男たちに死を与える。
眉間を撃たれた人間は、瞬時のうちに表情が消える。眉間から顔全体に広がる衝撃が、感情によって千変万化する表情筋の精密な動きを消去してしまうのかもしれない。
撃たれた男たちも、全員が揃って無表情になる。それは、魂が消えた人間に相応しい死に顔である。生者の魂の発露というべき喜怒哀楽の感情が、生とともに奪われ消えてしまった事を示す、まこと死人に相応しい形相である。
ただ撃たれ、ただ殺される護衛役たち。しかし彼らは、生を奪われ表情を奪われようと、その視線だけは前を見ていた。目の前に立つ風待を凝視していた。
セイフティー解除のわずかな隙を突かれ、何もできずに死んでいく彼らは、眼前の敵をせめて視線で射殺そうとするかのように、全員が風待から目を離さず死んでいった。
戦いに生きた男の最期の矜持として、まだセイフティロックのかかっている銃を風待に突きつけながら撃たれる男。せめて相打ちに持ち込もうと、銃を捨て拳銃のホルスターに手をかけながら撃たれる男。最後のあがき方はそれぞれ違っていたが、逃げ腰になるような男は一人としていなかった。彼らは、全員が本物のプロだったのだろう。それだけに、無念の死だったであろう。
しかし風待は、彼らの意地を意に介していないかのように銃を撃つ。
「
スギナは、左端の男に向けてグロック36のサイトを合わせる。距離は遠いが、電波塔の幻光によって周囲が昼間のように明るく見えている今なら、外すことはないはずだ。
遠くで銃を構えるスギナの言葉が聞こえていないかのように、風待は引き金を引き続ける。
七人、八人。左端の男まで、全員に風待は銃弾を放った。護衛役を全員射殺するまでにかかった時間は、わずか3秒。八人目を撃ったとき、まだ最初に撃たれた男は倒れていない、それほどの早業だった。
「あれ?」
グロックを構えたまま、スギナは呆然とする。
風待先輩の持つ拳銃、残弾7発のはずのトカレフが、なぜか8発目の弾丸を吐きだしたのだ。
護岸壁にこだまのように反響する、機関銃の如き早撃ちの残響が浜辺の波の音に溶け消えるまで、スギナは固まっていた。電波塔の光によってできた自分の影、自分の輪郭線を切り取って地面に置いたかのような黒い影の頭の上から、大きなクエスチョンマークの影が浮いているのがスギナの目に入る。
「あら? スギナも来ちゃったの?」
夜中に自動販売機で飲み物を買いに一人で出かけた時、手持無沙汰で結局ついてきた同居人に投げかけるかのような緩い言葉で問いかける風待。
「暗かったでしょう。スギナ、石とかにつまずかなかった?」
「それより!」
そんなことより、なんで8発なんですか! と風待の下に走りながら問いかけるスギナ。
8発? と小首を傾げる風待。いきなりの質問に、きょとんとした顔が可愛らしい。
トカレフ! 残弾数! 7発! と単語を羅列しながら問い詰めるスギナ。話下手である。
ああ、わかったわスギナ。と質問の意味を理解する風待。聞き上手である。
「遠くにいるスギナには見え辛かったようね。これ、トカレフだけどトカレフじゃないのよ」
よく見てね、と風待は手に持ったままの銃の側面をスギナの前にかざす。
引かれたスライドの前から覗く、銀色の銃身。その下に伸びる、長細いリコイルスプリングガイド。
「あ…ツァスタバですか」
スギナの肩から力が抜ける。緊張が一気に解けたのだろう。全身を覆っていたこわばりが、軽いため息となって排出される。
M57ツァスタバ。ユーゴスラビア製のトカレフコピーである。
コピーとはいえ、細部に独自の改良が加えられているこの銃の一番の特徴は、トカレフより装弾数が一発多いことである。
「先輩、もしかしてこの銃の弾数、最初からわかっていました?」
「当たり前でしょ。ホルスターからのぞいていたグリップフレームの長さ、スライドを引いた時に見えたリコイルスプリングガイド。どう見てもトカレフじゃないし」
だから安心して奪ったし、安心して撃ったのよ。と自慢げに語る風待。
「まあスギナは遠くから見ていたから、違いが見えなくても無理ないわね。むしろシルエットでトカレフっぽいと推測しただけでも立派なものよ」
「そうですか…」
風待の軽い慰めの言葉に、重いため息で答えるスギナ。こんなつまらないオチのために、慌てて浜辺を走ったのかと思うと、疲れた体により一層の疲労感が溜まる。
「そんなにため息ばかりつかないの。これで任務も終わったんだし、あとは片付けをして帰るだけだから、ね」
弾を撃ち尽くした拳銃を背中越しに捨てながら、優しく話しかける風待。礫浜の石の上に落ちた拳銃が壊れる音が、発射音より甲高い音を立て闇夜に響く。落下時の状況が悪かったのか、骨董品ゆえの寿命か、それとも銃としての命運が尽きたのか、1961年にクラグイェヴァツで制作されたツァスタバは、落下の衝突で内部機構が破壊され、スライドが分離する。固い石の上に叩きつけられた拳銃は、何度も跳ね回るうちに、バレルやスライド、撃鉄機関部といった部品に自然と解体され、周辺にまき散らされ浜辺のゴミと化す。
「さ、片付けをして帰りましょうスギナ」
「そうですね、片付けましょうか、先輩」
風待とスギナ。二人の目線が、横を向く。二人の鋭い目、二人の冷たい目が、同じ方向を見る。
目線の先には、一人の小男が立っていた。
麻薬取引の際の会計として、チームリーダーの通訳として、護衛役たちと一緒に連れられてきた、組織の事務役。
彼は、銃を身に着けていなかった。これまで銃をほとんど手にしたことがない彼は、当然のように丸腰のままゴムボートに乗り、この浜辺まで来ていたのだ。チームリーダーも護衛役も、それが当然だと思っていた。ただの会計役など、はなから戦力外だと考えていた。
抵抗する武器もなく、二人のリコリスの冷たい視線をただ棒立ちのまま浴びる男。もっとも彼の腕前では、たとえ拳銃を手にしていたとしても、自殺の役にしかたたなかっただろう。自殺するだけの勇気があれば、の話ではあるが。
日本人の二人の少女の視線に刺され、立ちすくむ男。見つめる少女は、二人とも美少女である。大人びた美しさの、長い黒髪の少女。まだ子供らしさの残る、軽く染めた髪の少女、美の系統こそ異なるが、どちらもめったに見られない美少女である。
微笑めば、かわいいのだろう。笑えば、愛らしいのだろう。しかし今、目の前の美少女二人は、ただ冷たい視線を、自分に投げかけている。無表情に細めた目が、暑い浜辺の中、凍てついた氷のように輝いている。凍りついた視線、自分の故郷の冬の夜より冷たい、暗く光る眼。
男の背後で、汽笛が五度鳴った。自分たちを乗せてきた船、密輸の片棒を担いできた運搬船が発した合図である。
短音五回の汽笛は、危機を知らせる合図。危機というだけで、特定の事態を想定していない合図であるが、事務役として優れた頭脳を有する彼は、この汽笛を背中で感じただけで、すべてを理解した。
これは、別れの合図だ。もうお前たちにはついて行けないという、別離の合図だ。
おそらく船側は、今の状況をすべて理解しているのだろう。ブリッジに設置してある双眼鏡で浜辺を見張っていた船員が、浜辺で光るマズルフラッシュを見て、非常事態だと判断したのだろう。もしかしたら、それ以外の要因、例えば違法に停止している運搬船を、
我々の組織との契約外の事例が起きた場合、船側はゴムボートを回収せずに逃走しても構わない。確かに契約にはそう明記されていた。しかし、本当に逃げるとは思わなかった。本当に取り残されるとは思ってもみなかった。
男は少しだけ頭を回し、背後を見る。
自分たちを運んできた運搬船、自分と祖国を結ぶ唯一の架け橋だった船は、すべての航海灯を消して逃走に移っている。重々しい面舵回頭、信じられない話だが、あの船は運搬先の港には寄港せず、このまま伊良子水道を抜け、外界へ逃げる気のようだ。
取り残されてしまった。一人、置き去りにされてしまった。男の顔に、絶望が浮かぶ。
逃げることも出来ず、戦うことも出来ず、ただ死を待つ男。目の前の二人に助命の取引を持ち掛けることも出来ず、両手を上げて無抵抗の意思を示すことも出来ず、男はただ立ちすくんでいた。取引も降伏も無意味であることを、賢い彼は理解していた。
「私がやります」
名乗りを上げたのは、スギナだった。
風待が見守るなか、スギナは男の前に立ち、顔面に銃を突きつける。
男は、逃げなかった。逃げても無駄だと、わかっていたのだ。
密輸組織の仲間たち、取引相手のヤクザたちを、たった二人で殲滅した日本国の掃除屋。完全秘密の治安機関の所属であろう彼女たちの存在を知ってしまった以上、もはや命乞いなど通用しない。
もし彼女たちの銃口から逃げのびることができたとしても、もはや帰る当てはない。今からゴムボートに乗って密輸船を追いかけたとしても、到底追いつかないだろう。第一、自分はゴムボートのエンジンの始動方法すら知らないのだ。
青白く輝く月の下、月よりなお青ざめた顔でスギナの銃口を見つめる男。震える口元から、知らず知らずのうちに家族の名前が小さな声となって零れ落ちる。
繰り返し繰り返し、末期の経文のように唱え続けられる女性の名。波の音より小さな声で、男の口から洩れる名前が、スギナの耳を打つ。
だれの名前なのだろうか。スギナは少しだけ考える。
死を前にしているにもかかわらず、柔らかく語りかけるかのようにつぶやく名前。おそらく、自分の娘の名前なのだろうな、とスギナは少しだけ考える。
男の年齢からすると、まだ幼い娘なのだろう。かわいい盛りなのだろう。
この男は、娘に絵本を買ってあげたことはあるのだろうか。どのような絵本を読んであげたのだろうか。そのような事をほんの少しだけ考えながら、スギナは銃の引き金を引いた。
新たな死、新たな殺人に、スギナの肺腑が重くなる。体内に、心中に、黒い汚濁のような感情が広がっていくのがわかる。
しかしスギナは、もはや嘔吐するようなことはなかった。吐き気はしたが、実際に吐くことはなかった。
慣れてきたのだろうか。人を殺すことに、私は慣れてしまったのだろうか。スギナはそう思った。