11月半ばの京都レース場は空を薄い雲が包み、西からの風が肌に優しく触れていた。ファンファーレの音が風に消える瞬間を味わった6万人に迫る数の観客は一つのうねりとなってまもなく始まるレースを待ち望んでおり、その視線はゲート近くのウマ娘たちに注がれている。
そんな熱を帯びた視線に当てられ緊張を隠せない出走前のウマ娘達がゲート裏でソワソワする中、落ち着いた様子で屈伸を行い前を見つめていたのはカワカミプリンセスであった。2年ぶりのG1の雰囲気に浮き足立つクィーンスプマンテを横目に自分もゲートへ入ると、大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。
かつての自分だったらここで気合を入れるために声の一つでも出していただろうか。そんなことを考えながら視線を前の方にどんどんと絞り、ゲートが開くのを待つ。そして視線の端で赤い旗がひらめき、ガコンという音と共にゲートが開いた。
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むかしむかしあるところにたいそうおてんばなおひめさまがいました。
そのおひめさまはとてもあしがはやく、レースではれんせんれんしょう。むはいでおーくすとしゅうかしょうをとりました
しかしあるとき、レースでよこのウマむすめにぶつかってしまいたいへんなことに!
いちばんまえでゴールばんをつうかしたのに12ちゃくにこうちゃく。
『全部、私が私がのコメント』『自分勝手、最低のお姫様』
レースのあとにこんなこころないてがみがとどいてしまいおひめさまはないてしまいました。
なんとかたちなおり、レースにむけてれんしゅうをがんばりましたが、ひめさまはまよっていました。
「わたしはこれでいいのかしら?まちがっていたのでしょうか?」
そんなまよいをもったままでてかてるほどあまくないのがじーわんれーす。ひめさまはにれんぱいでくちびるをかみながらせんとうをながめていました。
それでもがんばろうとれんしゅうをしていたおひめさま。
わるいことはかさなるもので、なんとケガをしてしまいいちねんちかくれーすをはしれなくなってしまいました。
もうやめてしまおうか、そんなことをかんがえたおひめさまをとめたのはおうじさま。
「プリンセス、もういちどここからやりなおそう。」
そしておうじさまのさしのべたてをとり、もういちどおひめさまはたちあがったのです。
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ゲートを出た18人が、己の求める位置取りを奪わんと芝の上を突き進む。身体の芯に突き刺さるような左側からの歓声を受け止め芝を踏み締め駆け抜けるウマ娘たち、ある者は前を、ある者は中段の内を狙うなか、カワカミプリンセスが選んだのは後方5~6番手だった。
今年一番成績を残せた追込で、かつて得意としG1を勝った戦法で勝負を賭ける。事前に画策していた位置を取れたことにひとまず安心し、再び気合いを入れ直した後に、ちらりと後ろを見る。
その視線の端のブエナビスタ、圧倒的一番人気にしてカワカミプリンセスが今日この位置取りを取った理由の一つでもある彼女がひとまずは動かないだろうことを確認し、再び前に向き直った。
髪と尾が風にたなびき、縦長のバ群はコーナーに差しかかっていく。どんどん遠くなっていく歓声の代わりに足音と呼吸、身体に当たり唸る空気の音が支配し、6万人の世界は18人の世界に変わっていく。
バ群で各々自分なりの位置を取り、ここからは我慢の時間の始まりだ。
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おひめさまはがんばりました。
はしれないあいだはれーすのえいぞうをたくさんみて、いろいろなべんきょうをしました。
「さて、ここからこのこがどっちにすすんだかわかる?」
「みぎですわ!!」
「ひだりだね。」
「まちがえましたわ!!」
こんなかんじでおうじさまといっしょにべんきょうをし、よりじょうずにはしれるようになりました。
あしがなおってからはたくさんとれーにんぐもかかせません。
れんしゅうこーす、かいだん、かわのそば。いろんなばしょでひたすらはしり、いままでよりつよく、はやくなるためにひたすらがんばったのです。
そしてみんながおひめさまのかえりをまちきれなくなったころ、れーすじょうにおひめさまがもどってきました。
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各々脳と脚を必死に回し、少しでも周囲が動けばこちらも動こうと牽制するための緊張と最終直線までにリソースを使い切らないための緩和をどう配分するか考える。練習の通りにコーナーの遠心力を上手くあしらいながらカワカミプリンセスは、今の状況があまり良くないことを徐々に把握していった。
(全体的にペースはかなり遅いでしょうか。直線に入る前に少し位置取りをあげた方がよろしいですわね...」
最後の方が若干声に出ており、後ろのブエナビスタの耳がプリンセスの方に向く。そんなことなど気づかない彼女は現状を把握するために先団のウマ娘を見遣り、徐々に位置を押し上げていく。それを見て自分について行くブエナビスタの気配をかすかに感じながら一人、二人と位置を押し上げていく中で、違和感に気づいた。
「前に行ったお二人は...?」
嫌な予感を振り払おうと位置取りを押し上げていく。やや息を荒らげながら3番手に出た彼女の前に見えたのは、20バ身ほど離れた位置にいる逃げの手を打った二人、クィーンスプマンテとテイエムプリキュア。
逃げに有利なペースを存分に活用しまだ余裕を残していそうな2人だった。
なぜ誰も追わない?
なぜこれほど離れている??
この距離で届くのか???
負ける????また負ける?????
脳内に疑問が溢れ出したが直ぐさま状況が非常に悪いことを理解する。
ブエナビスタの末脚を警戒し皆ペースを落としたこと。
前の2人に絡みに行けば最後の末脚が足りなくなると警戒し誰も行かなかった事。
そして今まんまと逃げ切られようとしていること。
最高の姫になるため積み上げてきた今までの経験と練習が実を結び冷静に状況を把握したが、それが今回は敗北の2文字を強く想起させてしまう。
そのノイズを振り払うため、彼女は姿勢を低くし一気にスパートを掛け、周りの皆も同じく前を走る2人を捉えんと焦りを見せる。きっとこの瞬間、バ群の温度が2℃は上がっていただろう。
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かえってきたおひめさまはいっしょうけんめいれーすをはしりました。
さんちゃく、にちゃく、にちゃく。
あたらしいおひめさまはおしいれーすがつづき、やきもきしていましたが、がんばってはしるおひめさまをみてたくさんのファンがついてきました。
むかしからのふぁんは、すこしだけかわったおひめさまにふくざつなきもちをだき、それでもおうえんをつづけました。
もうすこしでかてる。あとちょっとだ。
おひめさまも、おうじさまも、みんなも。そうおもいがんばってはしったおひめさま。
しかしからだのおとろえはどうしようもなくせまってきて、ついにそれがはっきりとわかってしまいました。
れんしゅうのタイムがおち、すぐいきがあがってしまう。
そんななかでなんとかかとうとあがくひめさまが、きょうはしっているのです。
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18人の世界は最終直線へと向かい、再び6万人の世界へ戻ろうとしている。
先頭で今まさに逃げ切ろうとしている2人を必死に追いかける16人は姿勢を一気に低くし、焦りと恐れを多く含んだ表情でスパートを掛けるが、しかし差はまだ絶望的だ。
徐々に歓声が大きくなる中でバ群では何人もの必死な声が広がる。日本語とフランス語の混じった声にはカワカミプリンセスのものも混じっている。
それは道があるはずなのに抜け出せない自分への焦りか、全力で走っても前どころか競り合う横のウマ娘にも置いていかれる悲しみによるものか。
シャラナヤが、メイショウベルーガが、そしてブエナビスタが自分を置き去り前を猛追する中で、荒ぶる息を必死に押さえつけながら少しでも前へ進もうとする。
京都の芝はこんなに重かっただろうか。ゴール板はこんな遠くにあっただろうか。いよいよ歓声が最高潮になり身体を直接揺さぶってくる中で、もはや勝てないと理解してしまったプリンセスは、それでもレースを全うするため脚を動かす。
100m、50mと近づき、先頭でまんまと逃げ切りが成功した様子を理解はせずとも目に入れながら、カワカミプリンセスは9着でゴール板を通過した。
クィーンスプマンテが歓声に応えガッツポーズをしている。テイエムプリキュアは2着に残った事実と勝てなかった事実の狭間で微妙な表情。ブエナビスタは凄まじい末脚で猛追しながら負けた事実を受け入れきれていないようだ。
そんな上位陣の少し向こうで、レース後のクールダウンを行っているのがカワカミプリンセス。
息の仕方を徐々に変え、負担が残らないよう慎重に走りを緩めた彼女は、ようやく足を止めると倒れ込むように芝へ寝転がる。
「私は何をやっているんでしょう...」
全くもってらしくないことを自覚しながらも暫く転がり、心配そうにテイエムプリキュアが駆け寄ってきたところでゆっくり身体を起こした。
「プリンセスちゃん!!大丈夫!?」
「ええ、問題ないですわ。」
「よかった〜!せっかくだし一緒に戻ろう!」
「もちろんですわ!」
元気を絞り出し、声に応え一緒に帰る。お互いの健闘を称え、悔しさも滲ませながらコースを去り、観客から少し離れたところにいたトレーナーのところへ行った。
「お疲れ様、プリンセス。」
「ありがとうございます。」
「今日は疲れちゃったかな?途中捲って行ったところはいい判断だったよ!」
「はい...」
「...プリンセス?」
一瞬二人が無言になり、再びプリンセスが口を開く。
「私は何故負けたのでしょう。」
「それは...」
「ええ、わかっていますわ。すぐ横で走っていたブエナさんも3着でした。あんなに差がついていては展開が向かなかったのは分かります。」
「でも、私は9着でした。」
「...」
「私は、これからまた走って、どこかで勝てると思いますか?」
「それはもちろん!また一緒に頑張っていけば勝ちは見えてくる。今日の判断だって君しか出来なかったしまだ強くなれると信じてる。」
「ありがとうございます。トレーナーさんは優しいですわね。」
「でも」
「私は今日、気付いてしまったんですの。ブエナビスタさんが私を抜かしてどんどん前に行った時、思ったんですわ。私は昔あんな風にがむしゃらで、力いっぱいでした。一度そんな私はダメだと思い、おしとやかに行こうとしました。」
「でもスイープさんやキングさんが私らしさ、私の良さを教えてくれて、もう一度最高のお姫様を目指そうって言ってくださって。そうして一緒にいてくれたトレーナーさんは王子様みたいでした。」
「そうかな...ありがとう。」
「でも、心の底でほんの少しだけ信じきれてなかった。それを今日理解しました。確かにこれからまた頑張ればまたどこかで勝てるかもしれませんわ。この前勝ったカンパニーさんも、今日一緒に走ったプリキュアさんも、諦めずに走って勝利を掴みました。でも...でもっ...」
思いを口に出し、伝えようとしたプリンセスの言葉がついに詰まる。その思いを言葉だけでなく、心で理解出来たトレーナーは優しく彼女を抱きしめ、落ち着かせるように背中を優しくさすった。
落ち着いたプリンセスにハンカチを差し出すと、姫をエスコートする王子様のように手を引いて楽屋へ行く。
2日後、カワカミプリンセスは会見で引退を発表する。泣き腫らした気配が若干目元に見える中で質問に答える彼女は記者の質問に力強く答え、あっという間に終わりの時間が来る。最後に席を立ち、深く一礼をする姿を、カメラのフラッシュがスポットライトのように照らしていた。