※pixivからの転載です
こんっこんっこんっ、扉を叩く3回のノック音が聞こえた。仕事が立て込んでいて二徹していたため、そんなことを気にする余裕も無かった私は、特に誰と疑うこともなく部屋に入るよう催促をした。
「先生、入るよー。」
入って来たのは意外な人物、ヒカリだった。
「あれ? いつもの秒間16連打のチャイム音しなかったけど…ついにチャイム壊れたか?」
私は思わずドアの方に行き、チャイムを押してみる。もちろん故障している様子は全くなく、なんてことのない鈴の音が部屋に響く。
「疲れている先生の事をもっと疲れさせるようなことはしないー。」
そう言いながら、ヒカリはソファーにちょこんと座る。私はせめて菓子でも、と引き出しにあったミルクチョコレートを差し出す。
「ヒカリとの仲だし気にしなくて良いよ。ノゾミなんかここ最近何も言わずに入って来てはお菓子を勝手に食べるし。この間なんか、私は仕事をしているのにソファーで寝出してさ、そのまま…」
「うん、ノゾミに言っておくー。」
ヒカリは割るように言う。
「ノゾミはまだ子供のところあるしー?」
「いーや、ヒカリもまだ子供だぞ?」
私がそう言うと、ヒカリはふふーんと不敵な笑みを浮かべる。
「私にそんなこと言って良いのかなー?今日は愛しの先生を助けてあげようと思って来たんだけどー?」
「え、ほんとに?」
私はヒカリの方に身を乗り出す。
「うん、本当ー。仕事、少しやってあげるよー。これでも私はCCCの幹部候補だし、簡単な仕事ならそれなりにできるー」
「えっ…いや、でも…」
私はヒカリがそんな提案をしてくるとは思わなかった。嬉しい反面、仕事を押し付けてしまう罪悪感もあり口篭っていると、そんな私の様子を見たヒカリが付け足す。
「でも、条件付きー。」
「条件?なんだ、おもちゃが欲しいのか?お小遣いが欲しいのか?私との1日デート券が欲しいのか?」
「うーん…それは欲しいけどー…」
ノゾミは一旦言葉を切り、私の顔を見ると…
「そうだね〜……」
小さく呟いた後、思わぬ言葉を口にした。
「寝てー」
「え、寝る? ど、どういうこと?」
「…そのまんまだけどー?
先生のそのしんどそうな顔を見せられたら学園のみんなのテンションが下がっちゃうー。だから寝てー? はい今すぐー」
そう言ってヒカリは立ち上がると、やや強引に私の体を横に倒し、どこからか取り出したブランケットを私に叩きつけた。
「はい、おやすみ〜。早く寝ないと私帰るよー?」
このまま帰らせるのも手だが、ヒカリの顔は本気だ。ここで断るというのは、不躾であると言わざるを得ないと思った。
「わ、分かったから!すぐ寝るよ!」
そう言い、私は目を閉じた。
最初は適当に寝たふりをして、暫くしてから起きて帰そうと思った。
最初はうっすらと目を開けていたりなどしていたが、こちらは二徹の身。自然に意識が遠のき、深い眠りに落ちていくのに時間はそうかからなかった。私は気づいた時には眠りについていた。
……どのくらい時間が経ったのだろう。太陽はすっかり沈み、暗闇が部屋を支配している。
ふと、寝ている私の頭に何かの雰囲気を感じ、意識が夢から現実へと戻される。だが、急に目を開けるのも怖い。そのまま寝たふりを続けようと考えていたところ、誰かが私の耳元に囁く声が聞こえて来た。
「先生…寝てるー?」
いつも聴き慣れているヒカリの声が耳元で聞こえた。まだ居たのか…と呆れると共に、「そろそろ帰るように」と起きて言おうとした私だったが、行動に移す寸前で、ふと一つの考えがよぎった。
ヒカリは今、わざわざ寝ている私に話しかけているのだ。もしかすると、私を目の前にしては言えないような不満や要望と言った本心が聞けるのではないだろうか。
このような機会はそうそうないと思った私は起き上がることなく、寝たふりを続けることにした。
「……うん、起きてなさそうだねー。」
つんつん、とヒカリの指が私の頬を押す。どうやら、私が既に起きている事に気づいてはいないようだ。
——いいぞ、まだバレてない…あわよくばこのまま…
なんて考えていると、その次のヒカリの言葉で私の中にあった微妙な達成感は吹き飛ばされた。
「あのね、いつも言えないんだけど……大好き…だよ。」
──え?
まさかの発言。一瞬、私はヒカリに言われた事が理解できなかった。
──え?
ヒカリの言葉を理解した刹那、冷や水を掛けられたかの様に、私の脳は通常状態に戻された。
──いや、これは先生として尊敬の眼差しを向けているという意味合いでの「好き」だ。間違いない。
予想だにしなかった言葉を受けた事で狼狽した私だったが、咄嗟に理性を働かせ、ヒカリの言葉に対する解釈を導き出した。それを自分に言い聞かせる事で心を落ち着かせたことで、私の胸中に余裕が戻ってくる。
よし、もう少し聞くとしよう。
「先生が、世界で1番大好きー。いつも照れちゃってなかなか言えないんだよねー…」
いつもとは全く違った声の出し方や口調をするヒカリに、私は戸惑いを隠す事が出来ない。
──これは大丈夫な奴なのか? 色々な意味で。
そんな疑問が脳裏に浮かぶも、一旦それらを頭の隅へと追いやり、私は耳を傾け続ける。
「今日来た時、先生がしたノゾミの話。……嫌だったなー、絶対ノゾミも先生のこと好きだもん…まぁ、先生のことが嫌いな人なんていないけどー。」
はぁ、とため息を吐くヒカリ。なおも、彼女の独白は続く。
「あーあ。私も先生と一緒に仕事したいー。ずっと一緒にいたいー。私のこと、他の人達になんて言ってるのか気になるー…うーん…スオウから貰った盗聴器……いや、だめだよねー………わかってるけど、やっぱり寂しいー。ヒカリと一緒に仕事するのも楽しいけど、先生から離れたくないー…」
ヒカリが私に対して抱えている感情の重さを知った私は、雷に撃たれたかの様な衝撃を受けた。
──盗聴器をまだ仕掛けられてなくて良かった……
否。あまりの衝撃を受け止めきる事が出来ず、この出来事から目を背けるように盗聴器が仕掛けられていなかった事に安堵していた……いや、もしかすると二徹しているが故に正常な判断が出来ていないだけなのかもしれない。
なんて考えていると、また耳に息が吹きかかる。
「なんて思っているのバレたら、嫌われちゃうかなー?…こんな私でごめんね。先生の理想の彼女になれなくてごめんね。」
と言いながらヒカリは自身の手を私の手に重ねてきた。
ヒカリは自分を見せない子だ。それは私も理解している。だから、それなりに気を遣っていた。
だが、その努力は空振りしており、私は彼女の事を知ったつもりになっていたのだと理解した。自責の念が私の胸中に広がっていく。
「でも、私…先生のためならたくさん頑張るよー。先生がして欲しいことなんでもするし、先生が望む彼女にもなる。こんな私、絶対見せないようにする。」
ヒカリの重なっている手が、私の手を包む。それは、優しくもガッチリと捕まえる様な包み方だった。
彼女の手からは、小さいながらも確実に私を逃さまいとする思いが伝わって来る。
「大好き…先生が本当に大好き。世界で誰よりも、好き…」
私たちの空間に静寂が広がる。耳に入って来るのは、ヒカリの心音と呼吸の音だけ。これが4分33秒も続けば音楽になったであろうが、そうはならなかった。
「…先生、もしかして起きてるー?」
一瞬、呼吸が止まった。
──まずい、バレた。
この期に及んで私は、このような形でヒカリの本音を聞いてしまったという事実を受け入れたくなかった。
「先生として、生徒からどんな時も本音で相談されるくらい信頼されている」
と言うような自負を、それもヒカリという一人の女性と共に否定するのが嫌だったからである。
勿論これは、ヒカリの心から目を背ける事に他ならない。自分の中で葛藤が始まる。
「起きてるなら、ちゃんと起きてるって言って。寝たふりなんてやめてー。」
──もう、誤魔化せない。
そう悟った私は目を開いて体を起こした。
「…どこから聞いてたー?」
「……」
往生際の悪い事に、どう答えればヒカリが一番傷付かずに済むか、私は考えを巡らせていた。
しかし、どこをどう切り取っても彼女を傷つけることになるだろう。
私が答えに窮していると、ヒカリの眼が真っ直ぐに私の眼を捉える。
「ねぇ、誤魔化さないでー。私だけ本当のことバレちゃうのは嫌ー。」
──逃げないでほしい…
彼女の鋭くもでも悲しそうなその目は、言葉よりも遥かに彼女の思いを主張していた。
「…最初、から。」
私は観念した。最早、正直に言うこと以外の選択肢は私に残されていなかった。
「…そっかー。」
私の答えを聞き、ヒカリは明らかに落胆した声を漏らす。そこに開き直りや怒りといった感情が存在していないのは、ヒカリが根から優しいことを示していた。
「隠していたんだけど、全部聞かれちゃったねー。」
ヒカリは愛想笑いを浮かべた。
それはいつも私に見せている表の顔ではない。
寂しさと温もりを併せ持つ様な、なんとも言えない笑顔だった。
「気持ち悪かったよね…ごめんなさい。」
いつもは帽子で見えない彼女の頭頂部が目に入る。思えば、そこを見るのは初めてである。ヒカリの体の一部分を切り取っても知らないことがある事実が私の胸を刺す。
「ち、違うよ?先生が悪いとかじゃなくて…その…私が…変なだけ…だから………でも、先生がどこかにいかないか不安ー…」
ヒカリの目を月明かりが照らす。彼女の目に溜まった涙が、月の光を反射して輝いていた。
「私のこと、嫌いになったよね」
「いや、そんなことは…」
ヒカリは目に浮かべた涙をポロポロと流し始めた。
それは、私との別れを覚悟した悲哀の涙なのだろうか、私に本心を知られたことに対する後悔の涙なのだろうか。
ヒカリは更に言葉を続ける。
「もう言ってー…『嫌いになった』『もう会いたくない』ってー。」
「ヒカリのことは好きだよ、これからも会いたいよ。ヒカリのことを嫌いになるわけないよ!!」
敢えて強い口調で、私はそれを否定した。
「…こんな私でもまだ捨てないでいてくれる?」
「絶対捨てない。捨てたくない。こんな生徒一人の本心も気づけなかった私に、捨てないだなんて言う権利ないかもしれないけど…」
私は思わず顔を一瞬俯けてしまった。が、私はまたすぐにヒカリと目を合わせる。
「何で先生が辛そうな顔してるのー?そんな顔しないでよー…」
ヒカリは握っていた手を離そうと力を弱めたが、今度はこちらが強く手を握ることで阻止する。
「だから…だから、ヒカリがこんな私でも良いと言ってくれるのなら…これからも一緒にいてほしい。」
私の言葉を聞いたヒカリは、何も言わなかった。私も言葉を発することなく、彼女の言葉を待った。
それは、互いの本心を確かめ合うような時間だったと思う。
「…先生は…本当に……やさしいー……」
ヒカリは顔を袖で拭うと、いつもより穏やかな表情を私に向けてくる。
「うん、先生とは一緒にいるし、これからはちゃんと想いを伝える…隠さないようにするー。」
「私もなるべくヒカリの気持ちに気づけるように…いや、私は私の本心をヒカリに伝えた方が良いよね…?」
ヒカリは首を縦に一回振る。
「重い、めんどくさいって思った時もちゃんと言ってねー?改善するようにするー。」
「勿論、そのつもりだよ。二人の約束ね。」
と、私は左手の小指を前に出した。ヒカリもそれに合わせて私の前に小指を出してくる。
「…じゃあ、約束ー。」
と言うと同時に二人で小指を結ぶ。途中腕をブンブンしたりなどして、約束をもっと強固なものにした。
「…先生は今、どうしたいー?」
「気持ち的にはヒカリとまだ一緒にいたいけど……でも、若干まだ体が怠いから寝るべきなのかな。」
「うん、それが妙案妙案〜」
私は再び仰向けになり、深く一つ息をする。
「おやすみ…先生、大好きだよー。」
…暫く時間が経った。そうするとヒカリの声がまた耳元で聞こえる。
「今度こそちゃんと寝たー?先生は本当にやさしいー。だから私につかまるんだよー? 今日が私から逃げられる最後のチャンスだったけど、もう逃がさないー。後悔しても遅いよー?」
ふと、ヒカリが私の首筋に口を近づける。そうして、ヒカリの口の温度を感じたと思った次の瞬間、そのまま口を閉ざし噛んできた。
「あと、私が先生の寝たふりに気づかないわけないよー?優しい先生ならきっと『別れない』って言ってくれると思えたー。」
そう言うと今度は噛み跡を舌で舐められた。思わず体をビクッと震わせる。
「…ずっと一緒にいようね……先生。」
今度は口付けの音が静かに鳴った。