夜食が趣味の男が金縛りにあう話。

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企画用の2500文字で読める短編です。テーマは「酒のつまみになる話」


食欲vs金縛り

 ――――腹が、減った。

 

 

 

 

 

 深夜二時……その男は飢えていた。

 というのも、男の趣味が"夜食"だからである。

 

 

 空腹は何かを食べる時分において最高の調味料。それは世界共通の真理である。

 男はそこへ更に「深夜に食する背徳感」が加わる事こそ至高と考えているのだ。これもまた、世界共通の真理である。

 

 しかしこの男、そこへかける情熱がやや大きい。

 わざわざ一番空腹になる時間を計算してタイマーをセットし、夜な夜な美食に浸る始末であるからだ。

 

 健康? 知った事か。最高に美味い物を食うためなら、甘美の濁流に高血糖高血圧の海へ押し流されても構わない。

 ……という持論を展開し、幾度周囲に怒られたかは知れない。

 

 

 

 そんな男は今日も今日とて趣味のために目を覚ました。

 

 睡眠時間はきっかり六時間。男の睡眠欲は綺麗に解消されている。

 趣味のため最速で仕事を終わらせ最速で帰宅し、最速で寝てしっかり体力の確保を行っているので健康なのか不健康なのかよくわからない男だ。

 

 しかし睡眠欲は解消されても、食欲は今がピークとばかりに爆走の体勢を整えていた。

 最後の食事は午後十八時。……空腹の頃合いである。

 ちなみにその食事は就寝時間を計算して、帰宅途中に片手間で食すなどしている。

 夜食にかける執念であった。

 

 

 

 だが男のうきうき夜食ライフは、この日初めて危機を迎えた。

 

 

 ――――金縛りである。

 

 

 

(体が動かん……)

 

 定時ぴったりに目を覚ました男であったが、目も頭も冴えているというのに体がピクリとも動かない。

 そこから十分経過するも、依然として体は硬直していた。

 

 からっぽの胃だけが爆食スタートを心待ちにエンジンをふかしているが、いつまでもアクセルを踏み込めないもどかしさに凶悪な音を奏で始めた。男のイライラも頂点に達している。

 同時に、男は驚いていた。自分にもこんな繊細な部分があったのかと。

 

 最近、男は引っ越しを行ったばかりだった。

 金縛りとは睡眠麻痺の一種であると知識で知っているため、男は引っ越しのストレスが原因だろうと結びつけた。

 

 

 が、そんな繊細さなど要らない。

 

 

 体よ今すぐ動けと命令する。

 

 ――――身体(お前)意識()、求める物は同じだろう?

 

 さあ、欲望のままに今日も夜食を食べよう。ぐずぐずしていると夜食を通り越して朝食になってしまう。それは由々しき事態だ。

 それは美学に反するのみでなく、空腹が行き過ぎると胃は喜びに震える前に苦痛に苛まれるからだ。

 

 しかし男の呼びかけに身体は応えない。

 否、胃だけは「そうだそうだ!」とばかりに元気な返事をしてくれたが、それだけである。

 欲望を実行するための稼働が伴わない。

 

 

 

 その状態が三十分を超えたあたりで、男の焦りは加速した。

 なぜなら今夜お目当てだった深夜営業のラーメン屋の閉店が間近だからだ。

 

 場所は近い。徒歩五分もかからないだろう。

 常連だ。閉店間際に入っても、注文を聞いてくれるだろう。

 だが三時の閉店時間を過ぎた後に入るのは駄目だ。

 この夜食趣味は他人に迷惑をかけない事が前提で成り立っている。それが男のモラルだった。

 

 

 

 タイムリミットは残り三十分……を過ぎて二十五分。

 焦りは男を追いつめ、手の届かぬ幻惑へと引きずりこんでいく。

 

 

 

 濃密な黄金色のスープに雲のごとく揺蕩う豚骨の油脂。

 夕日に輝く穂色の美しく繊細な麺。

 継ぎ足されていくタレに付け込まれたチャーシューは、伝統の具現。

 

 ごくりっ! まずはスープから。うま味と脂の甘みが混然一体となり口内を悦ばせた後、至高の濁流となって喉を通過し胃に到達する。

 ずぞぞっ! 縮れたその身にスープを華麗に纏いつつ、噛みしめれば小麦の味がぶわっと広がる麺の地力に酔いしれる。

 ばくりっ! 食べ応え十分! と肉感を主張しながらも舌の上でほろりと柔らかくほどける魅惑のチャーシュー。味は驚くほど深い。

 

 

 

 ああ! 想像するだけで胃が幸せで爆発しそうだ!

 だというのになぜ自分は未だに布団の中にいるのか!!

 

 男は涙した。悔し涙である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……それを、青白い影が見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは時間をかけて男の脚元から胸のあたりまで、ゆっくり這い上がっていた。

 

 ずるり、ずるり。

 

 重く、水分を含んだ布が這う音。それは男の耳にも届いており、だんだんと体にかかる圧が強くなっている事にも気が付いていた。

 みしり、と骨が軋む。

 

 そして圧が胸元にまで到達した頃……目が合う。

 

 否。正確には視線はぶつかったが目は合っていない。"それ"には目が無かったからだ。

 どこか艶めかしい顔立ちの中、異質な落ちくぼんだ空洞。

 以前は眼球が納まっていたのか、もとからそうなのか。定かではないが、紛れもなく"それ"は男を見ている。

 

 次いで、ぴとぴとと、濡れそぼった髪の毛のようなものが幾重にも首に巻き付いてきた。

 それは次第に体にまで広がり、綿のパジャマを湿らせていく。

 

 柔く、柔く、愛し気に。

 強く締め付けるわけでもなく、まるで恋人を抱擁するように包み込んでくるもの。

 

 

 

 

 脳が見せる幻覚にしては生々しすぎるその存在を前に、男は……。

 

 

 

 

 

 

「ぅげふぉげふッッ!!」

 

 

 美食の妄想から発生した口の中いっぱいの唾が喉へ押し寄せ、盛大にむせた。

 

 

 

 

 

 

 途端に弛緩する体。次いで体の制御権が自身へと返ってくる。それが分かった途端、男の体は布団を跳ねのけ飛び起きた。

 更にパジャマから着替えもせずに家から飛び出す。そこまで、およそ五秒。

 

 

 しかし男は"なにか"から逃げたのではない。求めて走ったのだ。

 欲求に支配された男の手には、しっかりと財布だけが握られている。

 吐く息は荒く、目は大きく見開かれ充血していた。

 

 男を突き動かしていたのは、ガス欠であればガス欠であるほど激しく滾るエンジン。

 その名も……食欲。

 

(早く食べたい早く食べたい早く食べたい今すぐ食べたい!!)

 

 

 

 

 

 その後無事、お目当てのラーメンにありつけたその男。

 店主に「女に馬乗りにされて酷い目にあった」と微妙に主語のぬけた愚痴をこぼしたところ、見事に笑われ「痴話喧嘩でなく心霊被害」だと訂正したのだが……。

 もう閉店だからと酒瓶を取り出した店主は、更に笑ってこう言った。

 

 

「あっはっは! あのなぁ、お客さん。他人の、とつけばどんな話も大概が酒のつまみよ!」

 

 

 違いない、と納得しつつも、どこか釈然としない男であった。

 

 

 

 

 


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