今年も蛍火がちらちらと泳ぎ出す時期になった。一年の中でも雨の多い時期であるこの頃は、宵宮にとっては一番忙しい時期──長野原夏祭りの仕込み時期である。
「っっっは────~~~……」
乙女にあるまじきドデカため息と共に、宵宮は床に崩れ落ちる。手のひらの中にはガラス玉を抱え、仰向けに寝っ転がって、凝り固まった筋肉を脱力させた。
疲れた。実に疲れた。ザァザァと鳴り響く雨音は鬱屈感で気が滅入るし、二徹明けで行う火薬作業は気力も神経も消費する。睡眠不足はいい仕事とべっぴんさんの敵や、と言ったのは誰だったか──脳裏に浮かぶ狐目を振り払い、宵宮はポニーテールを揺らす。
あんなやつ。あんなやつなんか。
約束を守りもしないあんなやつなんか、思い出したくないのだ。
宵宮が思い出すべきは残りの
手に抱えたガラス玉。じっくり溶かした珪砂に、石灰とソーダ灰を入れて、更に顔料たる砕いた鉱石を混ぜて出来上がる。そうして完成した赤いガラス玉は、透き通るような火の色をしていた。あとは炎元素の模様を入れれば──偽の〝神の目〟の完成だ。
(……稲妻もややこしいことになってきたなあ…)
一年半ほどに始まった鎖国令に続き、数か月前には〝目狩り令〟が始まった。神の目を押収し、神像にはめ込むのだという。稲妻中の神の目が集められる像の名は確か、……千手百目神像だったか。
翼の生えた女性像。宵宮が生まれる前から存在するあの像は、将軍様のかつてのご友人の姿だとかなんとか。
マ、今や稲妻の──一部の人間から──恨みを買っている像だ。なにせ〝目狩り令〟は、特別な事情が無い限り全員に適用されるので。稲妻幕府の重鎮や医者といったインフラに必要な者以外は全員だ。
当然、下町である花見坂に暮らす宵宮も例外ではなく、〝目狩り令〟の対象である。
宵宮の〝炎の神の目〟は、稲妻を誇る長野原花火大会の設営道具だ。色鮮やかで大輪の花火を作るには神の目は必須といえる。
故に、長野原花火大会が
とはいえ。元は納戸に投げ入れていただけの、火打石替わりに使っていた神の目だ。本当のことを言えば、〝必須〟なはずがない。
半ば言い訳に近い〝必須〟の弁明は、洛風の──ひいては宵宮の友である、トーマからのものだった。
(〝宵宮が困ると、洛風が悲しむから〟って……。…別にあんなやつ…)
唇を尖らせガラス玉を突く宵宮であるが、不意に足音を聞き取り、バッと振り返る。誰か来た。カロンコロンと下駄の音だ。
咄嗟に未完成である偽の神の目を握り──場所に悩み──ひとまずサラシの内側へ隠す。違和感はあれど、見た目だけでは何を隠しているのかも分かるまい。
足音の主が
宵宮がドキドキと心臓を高鳴らせること数秒。
「──店主はおるか」
聞き覚えのある──しかし、普段はあまり聞かない女性の声。
もしやあの声って。
慌てて引戸をスパンッと開けると、艶やかな桃色が視界に飛び込んだ。
「宮司様!?」目をまん丸くし、宵宮は叫んだ。「なんでこないなとこに!」
「ふふ、次の長野原夏祭りの消防対策について、鳴神大社から問いがあっての」
稲妻イチの狐美女──八重神子はカロコロ笑い、白魚のような手で唇を隠す。鳴神大社の宮司である彼女は、雷電将軍に次ぐ稲妻の権力者として名高い。とはいえ彼女が前に出ることは少ない。むしろ、稲妻の信心たる鳴神大社の守り人としての姿の方が目立つ。
宵宮自身も、八重神子には幼いころから世話になっている。大きくなってからも、鳴神大社には毎年世話になっていた。なにせ、長野原花火屋は──鳴神大社にも花火を卸しているからで。
いつもならば他の巫女とやり取りをするのだが、何故今年に限って
(まさか……〝偽モン〟の計画がバレたんか?)
例のガラス玉・偽の神の目計画は、宵宮が第一号なのだ。ここで上手くやり熟せば、他の
八重神子も笑顔を返す。ニンマリ笑う狐美女の真意は見えない。
「しょ……消防対策やっけ?」
「うむ。花見坂、及び稲妻城下町に設置する防火水槽の件での」
「それは…ええと、例年と一緒やから、」
何のあたりさわりも無い会話。やっぱり、偽の神の目のことを知っているのでは!?
──なんて宵宮は怪しむが、実際のところまったくもって関係ない。
鳴神大社に居ても〝鎖国令〟や〝目狩り令〟の緩和を嘆願する声ばかりが聞こえて気が滅入る。副業である八重堂も、最近は退屈な小説ばかり。
なので、〝長野原花火大会の消防対策〟……という名目で
要らぬ肝を冷やしただけの宵宮が、ドキドキと荒れ狂う心臓を抑え込んで〝消防対策〟への回答を続ける。
元来、ただの
「……っちゅー感じや」
「ほうほう、よかろう。では手はず通りに進めるとしよう」
これで終わりやろ。あーよかった。なんて、いつにもなく荒れ狂う内心の中。狐美女はニコッと目尻を細めた。
「と、こ、ろ、で♡」
「ヒィ!」
「取って食いやせぬ」
「ヒ、ほ、ほんなら何のようで…」
「……花火屋の、おぬし少々落ち込んでおるようじゃな?」
「そないなこと……」
「誤魔化そうとも、わらわにはお見通しじゃ。誰かひとり、気になる人物がおるじゃろう。ほぅれ、聞かせてみよ」
「……、……」
その時、宵宮の心の中には二大台風が荒れ狂っていた。
──偽の神の目のことやなかった~! という安堵。
そして。
──気になる人物なんか、おらんけど、宮司さまならこのモヤモヤもわかるんかも…。 という、己の心への疑問。
宵宮はチラと視線を上げ、八重神子の瞳を窺った。彼女の
「ただのお悩み相談所と思って。ほれ、ほうれ」と、狐美女はコロコロ笑う。
きっと、たぶん、彼女は、本当に……本心から、宵宮の悩み相談をしようと思ってくれているのだ。
(……だったら聞いてもらっても、ええかな…)
気を張っていた偽の神の目のことではなく、ただ単に宵宮の心を吐露するだけなのだから。
宵宮は戸惑い、躊躇し、口を開け閉めして──やがて、頼りになるおねえさんへの信頼を胸に口を開く。
嫌いな男がいること。
揶揄い上手のアンポンタンでスケコマシで煙草臭いだけのロクデナシ。鎖国令が出たきり帰ってきていなくて。
会えなくてせいせいしたはずなのに……心が落ち着かないことを、ぽつぽつと語った。
「……るお…、その男は、花火の原料の仕入れ業者やねん。せやのに、うちに卸しとる火薬は利益ゼロで……」
「ほう」
「商人のくせに売り上げも取らんで、しかも直納やなくてわざわざ手搬入しとって」
「ほほう」
「手間暇かけとる理由がわからんくて、モヤモヤしとるんよ…」
「そやつは汝へ会いに来ておったのじゃな」
「さあ、稲妻城下町に来たかっただけかもしれんし…」と、宵宮の声が沈み。
「何故そう思う?」八重神子は淡々と問う。
「るお……、そ、その男は、」
「もう名で呼んでよいぞ」
「……
「ほお」
「
「その〝好きな子〟が、汝では?」
「ないない。だって顔合わすたびにうちのことからかうし、苛めるし、小言ばっかでうるさくしとるんやから。だから……」宵宮は沈む声を振り払い、わざと活発に叫ぶ。「…別に、うち以外に会いに行ってたって気にならんし!」
「そう投げやりにならずとも。汝も、そやつに会えて嬉しかったんじゃろ?」
「そんなはず!」
「ない、と?」
反論しようと口を開くが、狐美女の
後へ続くようにして、隣に八重神子が腰掛ける。優しい
大樹に見つめられ、その庇護のもとに居るような安心感。かすかに残った意固地な思いがゆるゆると溶けていく。
──尚、宵宮を見詰めている狐美女はといえば、愉悦感で歪んだ口角をそっと隠していた。マァなんと可愛らしき、少年少女の青い恋! あんまりにも
ほれほれもっと聞かせよ。八重神子はそんな本心をひた隠しにし、「花火屋の、」と、にこやかな笑みを続ける。
狐美女の企みなど一切気付いていない宵宮はといえば、優しい声で呼ばれ、パッと顔を上げた。
「そも、汝は何故そやつのことが嫌いなんじゃ?」
改めて問われ、宵宮は口籠る。何故。なぜだろう。
「……洛風が約束を破ったから…」
「ほう。〝約束〟とは?」
「すぐ帰ってくる、って言うとったんよ」
「ほほ。汝は、そやつに会えぬことを寂しゅう思っておるのじゃな」
「はあ!? なんで、……そんな、寂しいとか……」
「しかし、嫌いなんじゃろ?」
「…………、…約束破ったんがイヤなだけで、嫌いってほどやない……」
そう。嫌いじゃない。むしろ。……いやいやまさか。〝むしろ〟とか、そんな。
素直になれないうら若き乙女は口を閉じ、膝を抱えて身を丸めた。認めたくない。認めたい。誰かに背を押してほしい、ような。
己の感情がまとまらず、宵宮は縋るように狐美女を見た。
「では、狐おねえさんから助言をやろう」
八重神子はニンマリと狐のように笑った。…狐。ああ、なんだか、彼を──洛風を思い出して。身体の感覚がキュッと鋭くなった気がする。
「──こういうときの〝嫌いじゃない〟は往々にして〝好き〟なのじゃ」
そのせいだろうか。宵宮の耳には、八重神子の言葉が何よりも深く届いていた。
往々にして。よくあること、という意味だ。
八重神子──宮司さまはとても長生きで、権力があって、物知りなひとだ。彼女ほどの人が〝往々にして〟というならば、マアほぼ間違いなく事実だろう。
それに、宵宮自身──否定なんてできなかった。
好き。すき。すきってことは恋だ。
(うち、……洛風のこと、好きなんや…)
宵宮の脳裏にこれまでの思い出が蘇る。
彼の家で話したこと。雨の日に並んで歩いた下駄の音。雪の日に火鉢を点けてやった時の笑顔。ニマ、と細くゆがんだ目尻。紫煙をくゆらす唇。頬を撫でる、優しい手……。
胸の奥がキュウと甘く疼く。頬が熱くて産毛が逆立つようだった。浮足立つようなこしょばゆい気持ち。
同時に。かつて聞いた言葉が耳の奥に響いた。
『お嫁さんにしたいくらい好きな子がおる』……『僕だけが知っとうトコでな、不器用さんで、ドジで…』
彼が語っていたのは、宵宮とは似ても似つかない子だ。
いやまあ前半の〝明るい〟とか〝元気がいい〟は宵宮だって
現状最後の思い出だって、煙臭い上着を投げられたものだ。八重堂に置いている恋愛小説なら、そっと抱きしめて上着を肩にかけ……くらいのことはするだろう。
恋愛超絶初心者の宵宮とて、周囲から恋の話を聞くことくらいある。
お父ちゃんとお母ちゃんの馴れ初めとか。そういうのを思えば、洛風の言動は〝好き〟からほど遠い。
なので……。
(洛風は、うちのこと……好きやない……)
宵宮の
自覚した瞬間の失恋。胸の奥がギュウと引き攣って痛かった。
直前まで甘い話をしていたからだろう、隣に座ったままの八重神子はギョッとした顔をして、「よしよし、どうしたんじゃ」と、宵宮の頭を撫でる。
「なにを泣いておる。そんなにも〝好き〟を認めたくないか?」
「……ッ、
「ではどうした。ほれ、妾に聞かせてみよ」
「…うち、…洛風のことが好き、やけど……」
「うむ」
「洛風には……他に好きな子がいるんに」
八重神子はパチクリと瞬き、カロコロと喉を鳴らして破顔した。突拍子もないことを聞いた時の顔だ。宵宮にとっては心を挫く事実だというのに。
──嘲笑っとるんやろか。
芽生えていた信頼が急速に枯れていくのを感じる。
「……」
「ふ、ふ、すまぬすまぬ」
「…宮司さま」
「可愛くて、つい、な。ふふ」
「…………」
「花火屋の。例えその男に好いたおなごが居ようとも、だからといって、汝の思いを踏みにじって良いものではなかろ」
「せやけど……」
「笑った詫びじゃ。もうひとつ良いことを教えてやろう」
艶やかな狐美女が、パチンとウィンクを飛ばす。大人の魅力で満ちた仕草に、宵宮の目は奪われた。
「乙女は度胸じゃ」
宵宮は茫然と瞬き──ひとつ、ふたつ、息を吸って──〝度胸〟の一言を噛みしめた。
ずしんと重たい。
でも。なんだか決意が固まった。
たとえ洛風に好きな女の子が居たって、宵宮に惚れ直させればいいじゃないか。
無言になって手を握り締める宵宮に、八重神子は優しく微笑みかけた。
「ふふ、素直じゃな」
宵宮の隣から立ち上がり、「ではの」と、たった一言だけ落として立ち去る八重神子に、宵宮は深々と頭を下げて見送った。偽の神の目のことなんてすっかり忘れて──そんなことよりも〝恋〟を自覚させてもらえたことへの感謝が大きい。
外はいつの間にやら晴れている。清々しい思いだった。宵宮は今、大きく前進したのだ。
宵宮と洛風が再会する、7ヶ月前の話である。
短編書き出し予定です。読みたい章を教えてください。
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洛風、スメール留学中(出会い前)
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無自覚宵宮、洛風と海遊び(鎖国前)
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洛風、神里兄に絡まれる(鎖国前)
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自覚済宵宮、八重神子に遊ばれる(鎖国後)