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雷神、雷電将軍様が守護する島国──稲妻。
雷鳴轟く紫電の国は、現在、他国からの交易をほぼ完全に拒絶している。
島国という地の利を活かし、訪れる船を追い払っているのだ。
名が表す通り、
つまり、雷雨である。
***
どがーん! ぴしゃーん! どざざ!
バケツをひっくり返したような雨が甲板を叩き、暴風に晒された帆がミシミシと縄を軋ませる。降り注ぐ紫電が瞬きの合間の視界を焼き、海面に叩きつけられた雷元素が行く先を拒む。
だが、どんなに荒れ狂う天気であっても、南十字船隊──死兆星号は止まらない。
舳先が波を切り裂き、航路は迷わず稲妻へ進む。
歴戦屈強の船員らとて木の葉のように荒れ狂う甲板に四苦八苦。吹き飛ばされないよう命綱をつけながら、帆を張っては緩め、風を受ける。そうして船体は大きく跳ね、乗り人らを上下左右に振り回しながら、積み荷も浮いては着地。よもや世紀末かと思われる惨状だ。
旅人は雨粒で濡れた窓の外を窺い、風に吹っ飛ばされては命綱を辿って帰ってくる船員を見守る。旅人よりも明らかに屈強な男たちの足すら浮くほどの風。しかし、風元素力を得た旅人ならば、何かしらの補佐ができるかもしれない。
「外、すごいことになってる。手伝いに行ったほうがいいかな」
「〝客なんだから黙って待ってろ〟って、北斗に言われたばっかだろ!」
それもそうか。パイモンの咎める声に旅人は納得し、それとほぼ同時に大きく船体が揺れる。ぐわぁ、と大きな波に乗り上げて、降下。着水の衝撃で外から悲鳴が聞こえたが、人外モノと言っても過言ではない体幹・三半規管を持つ旅人は平然とした顔で窓から離れた。
元より宙に浮いているパイモンもケロリとした顔で肩を竦める。
「それに……」小さな声でパイモンは呟く。「こいつを放っておけないぞ……」
健康状態の平然な旅人たち。うら若きふたりは眉を下げ、隣で転がる男を見た。
「お゛ェ、………っぷ、……」
ほぼ死に
ここ数時間でだいぶ痩せたんじゃないかな、と旅人はどうでもよさげに思い、心優しいパイモンは心配そうに周囲を飛んでは「おーい、洛風? 大丈夫かぁ?」と優しく声をかける。
「だいじょばない」
「……洛風って怪しい顔なのに、めちゃくちゃ弱かったんだな…」
「むしろ…この嵐で平然としとう君らがこわいわ…、なんでこんだけ揺れてて普通に立っとるん…?」
「パイモンは立ってないよ、飛んでるだけ」
「……訂正、君がこわい」
青い顔の男を見下ろし、旅人は口を閉じる。──璃月から、稲妻へ向かう直前。肉親に会い、〝旅の終点で待つ〟と……また離れ離れになってしまった身としては、正直なところ思考に余裕はない。優しさを割くよりも旅路を急ぎたいのだ。
「…そんなに船酔いが酷いなら、他の人に頼めなかったのか? 通達士って言ったって、紙切れを持っていくだけなんだろ?」
「そうもいかん…」
「何か理由があるのか?」
「ふ、……まあ、女々しい話やから、言わん」
「………言えないじゃなくてかぁ?」
「そうともいう。ゔェッ、あかん、もう胃液も出ェへん……ぼくの分のごはん食べてええよ……」
「いいのかぁ!? おまえいいやつだな!」
パイモンと洛風が会話を重ねている中、旅人はかの男をじっと見る。癖の少ない黒髪、典型的な璃月人の骨格。狐のように細く吊り上がった眦。懐から覗く風の神の目。筋肉の少ない身体。……そしてゲロ袋。
稲妻に関係することを聞こうと思っても、あの体調じゃちょっと無理だろう。
どうしようかな、と考え……数秒のちに、旅人は洛風の介抱にあたった。結局のところ、旅人とて優しい人間なのである。
────……嵐は止まない。されど船は順調に進む。
真っ暗闇な雷雨の中……やがて、遠くに穏やかな光が見えた。雷神が治める国、東の果ての群島の姿だった。
入港した死兆星号に
稲妻にはもう降りても良いとのことだが、しかし、旅人らは二の足を踏んでいた。真っ青な顔でグロッキーな洛風を──特に、餌付けされてしまったパイモンが──放っておけなかったのだ。
「……僕のことはええから、はよ行き…」
「そう言われても…心配だぞ。そんな状態で大丈夫か?」
「陸に……お"ェッ、おりれば、まあ……」
「うーん……医者とかいないのか?」
「ええよ、ええよ、だいじょぶや……。君らには君らの旅があるんやから…」
とうとうベッドに伏せてしまった洛風に、旅人は「お大事に」と声をかける。彼はそれに手を振って応えるだけだった。
渋るパイモンの手を引いて、旅人は踵を返す。その直後。
「──……なァ、君ら、」ふいに、小さな声が旅人らを呼んだ。
「うん?」と、パイモンが振り返り。
「おおきになぁ」
「……気にしないで」
「やァ、僕は商人やから……借りは作らん主義なんや…」
あれ、通達士なんじゃなかったっけ。疑問に思うよりも前に、洛風は伏せたまま懐を漁りだした。璃月服から取り出されたメモのような紙束に、矢立(携帯筆記用具)でサラサラと書き記されたのは、彼の名だ。なにやら複雑そうな模様も書いている。…数秒遅れて、それが彼のサインであることに気付いた。船酔いがひど過ぎて、腕が震えているらしかった。
「おり…たら、〝トーマ〟って子を頼ると…ええよ、僕もひとこと添えて…お"ェッ、いた、から、」
「吐くか話すかどっちかにしろよ!」
「ほな吐きます」
「うわぁ! 急にはっきり話すな!」
結局。数分の騒ぎの末、旅人の手元には一通の手紙が残った。
この手紙が役に立ったのかは兎も角として──旅人らは、無事稲妻の地に足を踏み入れた。
……そうして、
***
一方その頃、本題である男だが。
旅人らが稲妻に降りてから暫く後。激しい船酔いでノック・ダウン状態の洛風は、桟橋の上でぐでんと項垂れていた。
死兆星号は
事情は分かる。だからといって完全屋外の桟橋に放置して行かれるとは思ってはいなかったが。
(僕ァ一応、璃月からの正式な通達士の立場のはずなんやけどな……)
内心ボヤいたところで船酔いが治まるわけでもなし。耳奥ですら揺れていそうな不快感、脳がふわふわと浮くような酩酊感に洛風はため息を吐く。
往路の雷雨とは打って変わって、穏やかな海の匂いが鼻につく。付近の木箱にもたれ掛かり、洛風は二年ぶりの離島を遠目にぼんやりと見ていた。
離れる前は商業人らの騒がしさがどこまででも響いていたというのに、今や閑散としている。人が明らかに減っていた。営みとしてだけではない、人の気配。そういったにぎやかさが失われて久しいのが良く分かった。
ああ、だけど、見慣れた楓の木が懐かしい。借家から稲妻城を見た時に、いつも視界に入っていた木々だ。
ノスタルジックに胸を焼かれる。やっと、やっと、宵宮が──想い人がいる地に帰ってきた。
洛風は懐の公的文書と神の目を服越しに握り、立ち上がろうとして──微かな眩暈により、その場に再び座り込む。水中のワカメの方がまだ自立していると言えるレベルの脆さである。
一般的に身軽となることが多い風元素使用者だが、洛風はその一般的からは大いに外れていた。あまりにも弱すぎる三半規管のせいで、浮いたり加速したりすると二秒でゲロなのだ。
当然、そんな弱すぎる三半規管で雷雨を超えたら……。ゲロを全て紙袋の中に収めただけマシだと言えよう。
ゲロ袋は死兆星号に処理してもらった。使者としての公的文書は懐の中。
つまり見た目は手ぶらな洛風を、見張りの侍たちが不審そうな目で見ている。運行管理の男らだった。
そりゃあ、かの死兆星号から降ろされたと思ったらいつまでも木箱と仲良しをしている男なんて不振極まりない。寝てるんだかどうだかわからない狐目も怪しいし。それにどこか見覚えのあるような……なんていうざわめきが侍たちの間を走り……やがて、彼らの合間を縫って、見慣れた金髪が洛風へと近づいていった。
「やっ、洛風」
「……トーマ?」
洛風は細い眦を持ち上げ、驚きから瞬く。見上げた顔は、二年前と変わらぬ美丈夫であった。
なんでここに、と聞こうとして、すぐに思い出す。トーマは今や離島の顔役だ。遠い璃月でも噂で聞いたのだ。洛風は自分の状況を客観的に見て……誰か通報したんかな、と、ぼんやり考える。来た相手が友でよかったと、内心では安堵もした。
ややあって、トーマは侍たちを追い払い、洛風の目の前にしゃがみ込んだ。夕日に照らされた金髪が海風に揺れる。艶やかな秋の色だ。──宵宮の真夏のような、鮮やかな色とはまた違う。
そういえば夕暮れである。随分長い間伏せてたんやなァ、と自分の船酔いのひどさを自覚しては、洛風は苦い笑みを浮かべた。自分への呆れと、なつかしき友人とのダサい再会への苦笑いだった。
「久しぶり」
「あァ……ほんま、お久しゅう」
「伝言、受け取ったよ。四割くらい読めなかったけど……まあ、同行者については良い様に計らっておいたから」
「六割読めたならじょーとーやろ……」
「まあ、君の船酔いのひどさを考えたらね」
「………」
「……………」
「えっと…、久しぶり」
「さっきも言うたなァ…」
沈黙。しかしそれは気まずいわけではない。
なんとなく、洛風は泣きたくなった。二年ぶりの再会を喜んでいた。そして、トーマの顔を見ることで……ますます宵宮への思いを拗らせていたのだ。もう最近はずっとこうである。ダシにしてごめんの気持ちはあれど、恋心を拗らせた大人の男とはこういう醜いものだという開き直ってばかり。
……とめどない思いを脳内に溢れさせ、洛風はフッと小さく息を吐いた。ここまで思考すること、およそ一分の出来事であった。
「オレ以外のこと考えてるでしょ」
「なんや、イケズ。浮気者を責める女房みたいな言い方してェ…」
「おあいにく様、オレの旦那様は君じゃないし、君の女房だってオレじゃないだろ」
「ハハ…いややめよ、こういうンが離島小説団体に聞かれたらまた薄い本が厚くなるにされる」
「それもそうだ、ええと……つまり、オレが言いたかったのはね」
「ウン」
「桟橋で寝るくらいなら、家に帰ったらどう? ってことだよ」
「はァ?」
片眉を吊り上げる洛風に、トーマはくすくすと小さく笑う。
「洛風は自分の借家があるだろ」
「借家って……とっくに賃貸契約切れとうし」
「宵宮が代わりに家賃を払ってくれてるんだよ」
「──え?」
洛風の息がピタリと止まる。海風に頬を撫でられ、どうにか息を吸って……吐いて、もういちど吸って。細い狐目を瞬かせ、洛風は茫然と視線を借家街へ向けた。
家。家? 稲妻の借家。はるか遠い昔のようにすら思えた、あの美しい思い出が蘇る。
灼熱の日に吹き込ませた風。額に伝う汗が色っぽかった。凍える日に投げつけられた雪玉、火鉢代わりの熱。秋には団子を食べ、また散らかしたなと怒られ、うちがおらなあかんのやからと笑う彼女の眦に胸を喜ばせた夜。そういう数多の思い出が一気に洛風の思考を巡り──ハ、と息を吐く。
「うそやろ?」
「本当だよ」
「なんで……いや、……」
「どうしてかなんて、オレにはわからないよ」
「宵宮は、」
「元気だよ。すごく」
「…よか、」
「今日も奉行所の目を盗んで離島に入り込むくらいには元気さ」
「……」
「今もいるよ。君の、あの家に」
どこにいるって?……と、思考が止まり。
優しい顔のトーマが、ばしん! と背を叩いた。その痛みが洛風を正気に戻す。
微笑みが薄暗くて見えなくて……そこでようやく、すっかり日が落ちてしまっているのだと洛風は気付いた。真っ暗闇の水底。深淵のような暗さで海は漂っている。しかし、そんな暗さが障害となることは無い。
たった二年前まで暮らしていた町だ。どこをどう歩けばいいかなんて、目を瞑ったってわかっていた。
「宵宮はね、ずっと、君を待ってたんだ」
あァ、と答えたのだったか。自分の声すら認識できず、洛風はふらつきながらも立ち上がった。ずっと座り込んでいた尻が痛い。脚が痺れているような気すらする。だけど一歩踏み出せば次は同じように踏み出すだけで、繰り返すうちに足の速度は上がっていった。
懐かしい離島の桟橋を歩き、砂浜を駆け、石畳を蹴る。やがて風元素に背を押され、洛風は見慣れた借家街へと足を踏み入れる。
洛風と宵宮が再会するまで、残り──
短編書き出し予定です。読みたい章を教えてください。
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洛風、スメール留学中(出会い前)
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無自覚宵宮、洛風と海遊び(鎖国前)
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洛風、神里兄に絡まれる(鎖国前)
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自覚済宵宮、八重神子に遊ばれる(鎖国後)