遠くでツバメが飛んでいる。午後には雨が降りそうやなあ、と、男──
(今日のお仕事はなんやったっけ……)
行商人たる洛風は、自らを店長として働いている。店員はいない。つまるところ、洛風の業務割り振りは、洛風自身が行っている。働くも働かないも洛風の匙加減。やろうと思えばいくらでも自堕落になれる。
そう、休もうと思えば休めるが、当然休んでしまってはモラにならない。生きるには
(──そういや、そろそろ在庫が無くなるんやなかったかな)
フト思い出して、洛風は悩む。暫定出勤休暇日の今日この頃、動くべきか否か──たっぷり三秒思案して決心する。
床の上に寝っ転がっていた洛風はのそのそと身体を起こし、起立性貧血でくらくら揺れる頭を押さえて髪をかき上げた。そういえば朝に何も食べていなかったな。昨日の夜も食べていなかった。なるほど、空腹である。
視界を確保してひと呼吸、脳内で気合を入れて立ちあがった。着物の合間で素足の踵がよたよたと縁側を踏む。飯を食べていないからか──それとも、そろそろイイ歳だからだろうか──何をするにも体が重い気がした。
ところで
誰に聞かせるでもない自問自答を脳内で終え、障子を開いて部屋の中へ。棚の上に転がっていた石のまな板を、近くの
立ったまま壁の隅に行って
煙管よりも軽い、両掌に余るくらいの小ぶりな袋。洛風はちゃぶ台へと戻り、中身をひっくり返した。
ふわりと広がる
──出てきたのは乾いた葉っぱだ。
ひとつ断っておくならば、これは別に怪しいハッパというわけではない。固有名称はイタバコといい、スメールのアパーム叢林で発見された植物を、垂香材の煙で燻してからよく乾かしたシロモノ。
わかりやすくいえば、煙草である。
洛風は包丁を取り、石のまな板の上でタカタカとイタバコを叩いた。ざっくりと粗が残るまで叩いて刻み、乾燥ミントと混ぜて
タカタカ。タカタカタカ。部屋の中にイタバコの匂いが広がる。うーん、一服したい。煙草というものは火をつけてこそ価値があるが、
包丁は危ないのでテーブルの真ん中に伏せる。まな板も、ひっくり返らないよう移動。
加工途中のイタバコをひとつまみ、乾燥ミントを混ぜて煙管にいれた。あとは火をつけて吸うだけだ──というのに、なんということでしょう。洛風の家には火種がなかった。
冬であれば火鉢を置いているが、秋の終わり頃──まだ冬には一足早い今どきにはまだ無い。それじゃァかまどから取ろうと
洛風は昨晩の自分を思い出した。そういえば夕食を食べていない。ということは。
(……昨日の昼に飯を作ったきり、火ィ触っとらんかった)
テイワットで火を起こすのは別に難では無い。烈火のオイルに烈焔花の花蕊を放り込めば勝手に着火する。問題を数えるとすれば、洛風の家に烈焔花の花蕊が無い。買い忘れていたのだ。
風の神の目を持つ洛風は、少しでも火が残っていればいくらでも火力を上げることができる。ゆえに一度火がついてしまえば、わざわざ
それに火種が必要ない理由はもうひとつあった──
「お邪魔するでぇ!」
「邪魔するんやったら帰ってや」
「ほなまいど〜」
「人の話聞いとう?」
どったん、バタンバタン、と。小気味の良い音が縁側から響く。玄関からではない。縁側からである。
音の主である少女──そして洛風の家に火種が無い原因である──宵宮は風呂敷を腕に抱え、下駄を蹴り飛ばすように脱いで無遠慮に家へと侵入していた。
すっかり慣れた足取り。いや、実際慣れきった者である。
風通しが良い稲妻の建物ゆえに、どこからでも入ってきやすいという利点──問題点──を活用しまくった美少女が、洛風の家に訪れるのはかれこれ何度目か。
(そろそろ止めささなあかんかなァ)とは思いつつも、ハッキリ〝来るな〟と言えないのは、惚れた弱みであろう。
「……何しとるん?」
怪訝な声が上から降ってきて、洛風は──厨前の床に寝っ転がったまま──宵宮の足を見た。左右で長さの違う靴下……の上。白い肌。甘い火薬の香り。心臓が僅かに跳ねる。口内に溜まった唾液を嚥下して、洛風は深く息を吐いた。落ち着くためである。
彼女の声に応えようと、洛風は改めて視線を上げた。
「んー……絶景やなァ、て」
「すけべ!」
「イ゛ッ、──〜!」
ちょっとばかし──男相手なのだから警戒してくれという気持ちも含めて──
洛風の頭からガツンと激しい音が鳴って、脳がぐわぐわと揺れる。
「ほ……本気でそう思っとうわけないやろ……」
嘘である。うら若き美少女の肌だ。身惚れていたが正しい。
洛風は大人として・男としてのみっともないプライドを引っ提げて、「警戒のカケラも無い小娘に絶景もクソもないわァ」と悪態
「……それでェ? 今日は何の用なん」
「あ! せやった…」ハッと思い出し顔の宵宮がしゃがみ、視線が合う。「…あんな、こないだ
「エ──っと。……嗚呼、銅と塩酸の……アレやね。あるなァ」
「新しいの作るんに、使い切ってしもたんよ。次入った時でええから欲しいんやけど……」
「……ふーん?」
宵宮の花火──長野原花火屋とは固定契約を結んである。洛風が仕入れたもののほとんどは長野原花火屋に流しているため、納期だって常に伝えている。
店に商品が入るのは二週間に一度。前回入ったのは三日前。前回仕入れた銅はそんなに早く無くなる量でもないし、それにあと十日近くは商品が入らないことを彼女も知っているはずだ。次の納品書に欲しい商品を書けばいいだけ──だというのに。
なぜ宵宮は
洛風には、なぜ彼女が
恋だ。
宵宮は──趣味が
両思いだ! こんなのハッピーエンドじゃないか!
なんとこの小娘、自分の思いに一切気付いていないのである。
(ア──まったく、とんだ小悪魔やなァ……)
洛風とて、純粋な少女の恋心を突いたりする趣味はない。これは洛風なりの、大人として・男としてのみっともないプライド問題だった。
まだ好きと気付いていない小娘に恋心を伝えたとて成就するとは思えない。しかも宵宮は──当の本人も気付いていないが──洛風限定のツンデレさんだ。ますます恋が実る気がしなくなってきた。
沈黙を続ける洛風に、宵宮は訝し気に眉を上げる。
「なんや、〝ふーん〟て。……もしかして難しいん?」
「いやァ……特急料金貰おかな、って悩んどるとこ」
「や、次の納品の時でええんよ。あんまり急いとるわけでもないし……」
「ふ──ん」
ほななんでわざわざ来たんかい。と言いたい気持ちをぐっと堪える。流石に意地悪が過ぎるセリフだなァと自制したのだ。
洛風は火のついていない煙管を咥え、深く息を吸い──ため息と同時に吐いた。
「……ほな、適量仕入れたるわ」
「ほんま? おおきに──」
「──ただし」
「………ただし?」
「手間賃もらおか」
「ええッ!? 守銭奴すぎるやろ!」
「そんなに
目をまん丸くして困り眉の宵宮へと煙管を向け、「ン、」と洛風は喉を鳴らす。彼女は意図が分からなかったのか、数度瞬きをしてから首を傾げ──洛風の煙管を取った。20センチほどと
少女の手の中に存在するには違和感しかない煙管を、洛風は指先でトントンと叩いた。
「火ィちょうだい」
「家に?」
「なんでやねん、ちゃうわ。
「わかっとるよ。マネしてん」
「誰のや」
「あんたのに決まっとるやろ」
宵宮はそう言って、わざとらしくにまーっ! と笑ってみせた。洛風の心臓がドンと高鳴る。マァなんて小憎たらしくて可愛いのか! 洛風の完全敗北である。
「────はー……ァ、」
洛風は頭をガックリ下げ、膝を丸めて顔を伏せた。そうして
「へたくそやったら家までついてって文句言ったろかな」
「ふ、……ふーん? ほな特別上手に点けたるわ」
「上手にできたらお礼に送ったる」
「結局着いてくるんかい!」
「そらそうや。注文書は
「あー、そっか。せやな」
宵宮は指をぴんと立て──彼女の帯元で神の目が赤く灯り──指先に火が浮いた。小さな火種を、彼女は火皿へと放る。イタバコが燃え、慣れた香りが漂った。
「うちが
そう言って笑う彼女は嬉しそうで、洛風も肩を落として笑う。つられてしまったというのもあるし、やっぱり彼女は失言に気付いていないらしい。洛風が注文書を取りに行くのは来週だった、ということも──この様子ではすっかり忘れているのだろう。こういう鈍感で純粋なところも、洛風はお気に入りだった。
「もう出る?」
「せやな。急ごか」
「別にゆっくりでもええやん」
「ついでに昼飯にしたいんよ。奢ったるから、城下町のおすすめ教えてや」
「んー、どこがええかなぁ。うちが作ったろか?」
「黒こげはちょっと……」
「火力調整は本職なんやけど!?」
キャン! と叫んで立ち上がった宵宮の頭を撫でて宥め、洛風は踵を返す。
今日は秋風の良い天気だ。午後には雨になるだろう。昼を食べて時間をつぶせば、ちょうど帰り道を歩む頃には土砂降りだ。
送ったついでに傘を借りて行けば、返すという口実で会いに行ける。上手な口実を探すのが大人というものである。
洛風は煙管を咥え、スゥ、と、深く吸った。
いつもより旨く感じる煙をふかし、「ほな行こかァ」と、玄関へ向かう。後ろから宵宮が追って来ていた。
稲妻が鎖国する、一年半前の話である。
恋愛小説むずかしすぎるんですが(敗北)
短編書き出し予定です。読みたい章を教えてください。
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洛風、神里兄に絡まれる(鎖国前)
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自覚済宵宮、八重神子に遊ばれる(鎖国後)