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寒さが荒むと動きたくないのは動物の本能である。
「……ぁ──……」
毛布の中にくるまって、洛風はそっと耳を澄ませる。
外は酷く静かだ。
雪が降るといつもこうだった。
ここひと月ほど。稲妻は猛烈な冷え込みに襲われていた。薄暗い雲がいつまでも空を覆っているせいだろう。
おかげで稲妻城下町では防寒具の売れ行きが好調らしい。これなら商品を仕入れておくべきだったかと後悔の念が湧くのは、商売人としての本能だろうか。
本能ばかりで動く生命体が羨ましいと思うこともあるが、理性ある人間としての利点もある。服だ。いや、逆に毛皮を失った結果布を纏わねばならないという不便性によるものだろうか──などといったどうでもよいことをつらつらと考え、洛風は布団から這い出ていった。
冷えに負けないよう着込んだ寝巻き。帯を解いて上衣を広げ、下穿き姿になっておく。昨晩のうちに着替えは用意しておいた──昨日の自分の行動に盛大なる感謝を称え──凍える手指でもたもたと服を広げていく。
ぴっちり閉まった扉と窓だが、それでも隙間の多い稲妻住宅だ。底からの冷気に肩を丸めて、肌着を手に取った──瞬間。
すぱんっと軽く・激しい音を立て、縁側が開け広げられた。
「洛風! あんたいつまで稲妻におるん、…………ッや──~!??」
「さむい」
「な、なっ、なななんで裸なん!」
「さむい……」
「いやーッ! はやく服着てやぁ!」
「…さむい……」
途端に入り込んでくる寒波に、洛風の動きは鈍るばかり。狐のような顔をしてはいても、寒さへの耐性は蛇以下なのだ。
──奥歯をカチカチと震えさせて訴えても、宵宮は顔を隠してきゃあきゃあ騒いでいるだけ。
素肌を見せて照れるくらいには情緒が育っていることに安堵するべきか──自分の冷えつつある身体を省みるべきか。洛風は後者を優先し、着替えの束を持ち上げのそのそと隣室へと逃げ込んだ。
隣室──襖の先は納戸のようなもので、かなり狭い部屋になっている。小さな窓はあるが、洛風が持ち込んだ棚で潰れてしまっている。光源は障子越しに入り込むわずかな明るさだけだ。
風が吹きこまなくなったとはいえやはり寒いものは寒い。
手指が震える中で洛風は着替えを進めていった。
肌着を纏い、中に璃月の伝統的な服を着こむ。上から着物を羽織って帯を締めた。
ズボンの代わりに袴を履いていると──あれだけ騒いでいた宵宮も、ようやく落ち着いたらしい。
障子の向こう。少し離れた位置から、「なぁ……」と、小さな声で問われ、洛風は視線を向けた。
「……次に璃月に行く船で帰るんやなかったん?」
「そのつもりやってんけど、宵宮がさみし~……って言うからァ」
「言うてへんもん!」
部屋にばたばたと足音が響く。どうやら下駄を脱いで入って来たようだ。
どうせ縁側に転がしているのだろう。外は雪なのだから、放りっぱなしでは帰りしなに足が冷えるのでは。家の中に下駄を入れたらいいのに──いやそもそも、玄関から入ってきて欲しいものだが。
「スネージナヤの船が臨時入港しとう関係で、なかなか船室に空きが出らんでな」
「…ふーん?」
「もうじき出る船で璃月に行くわ。海灯祭も始まってまうし」
「んん……」
「なんや、生返事やなァ」
僅かな沈黙。袴の紐を締め、靴下を履いていた洛風がなんやなんやと耳を澄ませていれば──小さく。
か細い声が、障子の向こうから聞こえた。
「……寂しいって言うたら璃月には行かんでくれるん?」
──この小悪魔~~~! と、怒りのあまり叫ばなかった己の理性を褒め称える。これで無自覚なのだから救いようがない。
洛風が理性ある大人であり──ちっぽけな男のプライドを振りかざすような大人であるからこそ──許されているのだということを知っていて欲しいものだ。
荒ぶる感情を咳払いで誤魔化し、最後に襟をなおして脱いだ服を拾う。
「宵宮」
「ん、」
「すぐ帰ってくるから。な?」
「……うん」
障子越しの声は寂し気だ。
あーもうまったくかわいいやつやな、と。キュンキュンと高鳴るトキメキを何とか隠し、洛風は再度咳払いをした。
納戸を出ると、寒さは幾分か和らいでいる。どうやら縁側の戸は閉めた上、炎元素による熱で部屋を暖めてくれていたようだ。
「おおきにな」と、軽い礼。宵宮は「ん」とだけ返事をし、彼女が座る隣の座布団をちらりと見た。
隣に座って欲しいんやろなぁ。でも素直に言えないんやなぁ。全く可愛いものである。
洛風は脱ぎ散らした服を放り、宵宮の横に座った。
──直後。ごりっと尻に当たる感触に、思わず「イテッ」と呻いた。
なにか硬いものを敷いていたらしい。座布団を持ち上げると、見慣れた〝神の目〟が転がっていた。
風元素の色に染まり、ひし形──璃月のデザインをした、洛風の〝神の目〟だ。
「床に転がしとるん? 盗られても知らんで」
気を取り直したらしい宵宮が呆れ顔で片眉を吊り上げる。どことなく声には喜色が含まれていた。切り替えの早さは乙女の特徴だろうか。
「物置に転がしとるよりはマシやわ」
「な、なんで知っとるん!?」
「親父さんから聞いた」
照れで顔を赤くしている宵宮に構わず、洛風は「火ィちょうだい」と煙管を差し出す。
宵宮はからかわれた事で不満そうに頬を膨らましてはいたが──ややあって、慣れた手つきで火皿に火種を転がした。彼女の腰元では、炎の〝神の目〟が煌々と赤く光る。
「まあ……最初は火打石扱いしとったのはほんまやしなぁ」
「今もやろ」
「せやねんけど! でも、今は大事にしとるよ」
火が消えると、彼女の腰元に輝いていた〝神の目〟も沈黙する。
ガラス玉のようにくすむ〝神の目〟をぽんぽんと叩いた宵宮は、続いて洛風の風の〝神の目〟を指先で突いた。
「うちはいつの間にか持っててんけど」
「うん」
「洛風が神の目をもらったきっかけって何なん?」
「ン? ……んー……」
すぱ、と肺いっぱいに吸う。甘さと香ばしさが喉を焼き、肺を濁していく──その心地良さの中で、洛風は記憶を呼び起こしていった。
**
たしかまだ稲妻にきたばっかりやったかな。
稲妻は良くも悪くも排他的で、商業の国たる璃月出身の僕にはどうも慣れんかった。
しかも売り物が火薬や。一般人には必要ないシロモノやもの。
武具を扱う天領奉行にも持ち込んでみたが、あすこは弓矢の扱いだけで魔物を射抜くバケモノ揃い。火薬なんて無くても武力は充分だと断られた。
大口の買い手を探さなあかん。それも
かといって隣国・スメールでは、通っていた教令院を中退した関係で〝学者じゃない〟からと足元を見られる。他の国を探しても、モンドには既に商売ルートが完成しとうし、フォンテーヌへの商売ルートは兄が固めている。
(バカ当主のせいで学校を辞めてまで帰って来たんに……)
これなら家と縁を切って、ただの学生としてスメールに残っていればよかった。
いまさらそんなことを思っても時が戻るはずもなく。
あの時の僕は、実家から遠い稲妻で野垂れ死にそうになっているのが現状だった。
(……支援を求めようにも、帰りの船代すらないしなあ)
腹も減ったし、服なんて着の身着のまま。数日野宿したせいで砂まみれ。──もう疲れてた。
離島の波音は激しい。広い海に面しているから、波が高くなるのだと聞いた。ザザァ、と唸る海音に呑まれて、僕は鬱々と項垂れてた。
(いっそこのまま商品抱えて、海に沈んでもええかなァ)
自暴自棄になって、もうおかしくなってしまいそうな頃。
──とんとん、と。ちいちゃな手が僕の肩を叩いた。
振り返った先にいたんは、くりくりのおめめをした金髪の子やった。夕暮れやったんやろな。オレンジ色の光がすーっと入ってきて、その子の髪をキラキラと輝かせていた。
僕はその子のことを──かみさまや、と思った。
結論から言うと、その子はほんまに神様やった。
「よいみや」と名乗った幼い少女が、「かやくって、花火のざいりょうやろ? ほなこっち来てよ!」って手を引くんよ。
連れていかれた先にいた人が、宵宮の親父さん。当時は長野原花火屋の──何代目やったかな?──宵宮の先代店主やった。
宵宮の紹介により、彼女の父が商売相手になったんや。
初めて契約が成立した時。僕よりも宵宮の方が喜んどった。「これでおにいさんも悲しい顔せんでええやろ?」って、楽しそうに笑っててなァ。
この子が大きくなった時、困った時、大変な時に。僕が支えてあげたいと思った瞬間──あの時がきっと〝神に魅入られた〟時なんやろな。
**
思い返してみれば──あの頃から宵宮のことを大切に思っていたのだろう。
最初は兄心として。気付けば恋心として。形は変われど、洛風は宵宮のことを心底愛おしく思っている。
「洛風? まだ思い出せんの?」
いつまでも紫煙をくゆらせるばかりの洛風に、とうとう彼女も焦れたらしい。まるくてかわゆいほっぺをぷくっと膨らませて膝を小突いてくる宵宮に、洛風はようやくじぃっと目を向けた。
「んー……。昔な、とある女の子に困っとうとこを助けてもろて」
「うん?」
「その子が困った時に助けたいな、って思てん。その時やな」
「ふーん……その子が〝稲妻におる好きな子〟なん?」
「察しがええな。そうや」
腕を組んで考え出した宵宮の様子を見るに、当の本人たる彼女が覚えていないのは確実である。
宵宮は人助けが趣味のようなところがある。彼女が幼いころからその性分は変わっていない。
彼女に救われた人間などいくらでもいるだろう。
明るい笑い声に活気立つ人間だってたくさんでもいる。なので宵宮に惚れる野郎も大量にいる。
だが。
彼女の好いところはそこだけではない。本当は寂しがり屋なところとか。拗ねたら手が出るところとか。馬鹿みたいに鈍感なところとか。僕だけが知っていればいいのだ。
想像上の有象無象に盛大な自己中マウントを取って、洛風は喉奥でクツクツと笑った。
ああ、ばかばかしい。
「……思い出し笑い?」
「ふふ。そうや」
「………………」
宵宮は途端にぶすくれて、ぷいっと顔をそらした。思い出しているのは過去の宵宮のことで、今でも宵宮のことしか考えていない──なんてことが言えるほど、洛風は素直になれない。
──カン、カン、カン、と。
不意に鐘の音が響いた。短く三つ鳴るものは、時刻を知らせる
9回鳴ったそれは、昼九つ──ちょうど真昼時を知らせるものだ。
それは離島の人々に昼食を知らせるものであり、洛風にとっては──船の乗り込みが始まったことを知らせるものだった。
「宵宮ァ」
「……なんや?」
端的に呼び止めた彼女へ、ふ──…っと煙を吹きかける。案の定、「──っげほ、ッ」と咳込んだ宵宮を置いて、洛風は出仕度を始めた。
「はよ帰り」
「ッけほ、なんでや。急に…」
帰りたくなくなるからや。そんな女々しいことなど言えず、洛風は誤魔化して笑った。顎で指すのは窓の外だ。
「僕、もう出なあかん時間やから」
宵宮は目を丸くし。窓の外を見て、視線を迷わせ──寂し気に眉を垂らした。
「……ん」
「気ィつけてな」
「ん、……洛風」
「うン?」
「洛風も気ぃつけてや」
洛風は返事をしなかった。おもむろに立ち上がって、宵宮の頭をぽんぽんと撫でる。ちいこくて丸く、あたたかな手触りだった。
財布と煙草を鞄に入れて旅行用の荷物をまとめる
外套を着ようと肩にかけ──やめた。着かけていた外套を、無造作に宵宮へ放りなげる。
「んぶっ、ちょっと!」
「着て行き」
「なんでや。いらんわ、うちは神の目もあるし……」
「女の子が身体冷やしたらあかんやろ」
言い捨てて閉めた襖の後ろから、「……煙臭いわ。あほ」と呟く声を拾った。加齢臭じゃないのでよしとしてほしい。あれだけ吸っていれば煙臭くもなるわ、と──反論はしないで雪駄を履き、さっさと外に出る。
来月分の家賃も払っている借家は、数日──または数週間程度であれば空けても問題はない。去年も、一昨年も、そうやって洛風は璃月に帰っている。だというのに、妙な不安が脳にこびりついていた。天気がいつまでも落ち込んでいるからだろうか。
洛風は一度だけ振り返った。昼時のはずなのにやけに薄暗い。微かな雷鳴がとどろく空は、黒雲に染まっていた。
稲妻が鎖国する、2日前の話である。
短編書き出し予定です。読みたい章を教えてください。
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洛風、スメール留学中(出会い前)
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無自覚宵宮、洛風と海遊び(鎖国前)
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洛風、神里兄に絡まれる(鎖国前)
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自覚済宵宮、八重神子に遊ばれる(鎖国後)