亭牛(ていご):日が南中すること。正午。
今年も海灯祭が終わった。稲妻が鎖国してから一年。もう一年、あっというまの年月である。
男──
(……あれ、長野原花火屋のヤツやったなァ)
例年より規模は小さくとも、変わらず見ごたえのある大輪の花。どの角度から見ても主役級の花火は、洛風が目に焼き付けるほど見続けてきた少女の作品だ。
鎖国中だというのに、花火という水気厳禁の大型出荷物が搬入できているということは──何かしらの海を渡る手段があるということに違いない。あとで搬入業者を調べようかと脳内メモに書き加えながら、(ひとまず〝仕事〟やな)と、洛風は人だかりへと歩を進めた。
足の行先は、屈強な男たちが行き交う──万民堂だ。
海灯祭が終わった後は、〝掃除屋〟の仕事が盛んだ。屋根から壁までありとあらゆる箇所を装飾しあちこちで花火を打ち上げるため、祭り後の璃月港はどうしても汚れてしまう。故に、大型屋台を解体し、屋根に登って瓦の手入れをするような、身軽で逞しい男たちが増えるのだ。男たちは総じて大食漢であるため、昼時ともなれば、安い・早い・美味い・大盛の万民堂に長蛇の列ができるのは例年のことだった。
洛風も細身・長身な背恰好で滑り込み、むさくるしい男らの中に並んだ。
前に立つのは洛風よりも僅かに背の高いすらっとした男。ちらと見える横顔、琥珀色の瞳。切れ長のまなじり。たったこれだけでわかる。こいつはとんでもない美丈夫である。彼は艶のあるこげ茶色の髪を項でひとつに束ねており、その腰には後ろ髪と黄色い神の目──岩の神の目が輝いていた。
列に詰めるため身じろいだだけで霓裳花の優しいスモーキーな香りがふわりと漂う。見目に良く似合う浮世離れした香り……美丈夫は香りまで美しいという事か。洛風もそれなりに面の良い(注:格好いいという意味)自覚はあったのだが、この男には負けるやろうなと内心で呟く。
そんな美丈夫の後ろに詰め、注文の順を待つ。列が少しずつ短くなる中──不意に、びゅうと激しい
璃月港名物でもある天衡山を駆け上る突風が人々の足元を掬い、服の裾を巻き上げる。遠くから「わァ」だとか、「きゃァ」だとか、驚き混じりの声が聞こえてきた。
洛風の璃月服も裾が浮き、前に並んでいた美丈夫の後ろ髪も風に靡く。
「あっ」
……と、周囲に聞こえる声で呟き、洛風はぐっと前へ詰めた。片腕を持ち上げたまま美丈夫の背にぴったりとくっ付くと、当然、美丈夫は「うん?」と戸惑い混じりの声を上げるが、洛風はその肩を叩いて引き留める。
「ちょ、待って。おにーさん後ろ見たらあかんよ」
「何故だ?」
「おにーさんの髪がなぁ、僕の服に引っかかってしもて」
「なんと。それはすまない」
「いやいやこっちこそ。すぐ解くから、ちょい待ってな」
美丈夫の髪はとても艶があり、さらさらと指先に馴染む。
一見
「これでよし、と」
「手間をかけたな」
「いやいや、僕がちゃらちゃらした服着とうのが悪いんですわ。詫びさせてや」
「詫び?」
「せや。痛くはせんかったつもりやけど、やっぱりちょぉっと髪は引いてしもたしな」
「俺は気にしていないが……」
「ええねんって! 僕が詫びな気ぃすまんのやから!」
列を詰めながらも言い合い、詫び合い、最終的に洛風が狐のような目をニコーッ!と持ち上げて押し切る。
そんなわけで。
洛風と美丈夫は同じテーブルに着き、天板いっぱいに並んだ空皿を横目に熱い茶を啜っていた。もちろんここは万民堂であるため、どの皿も山盛りの料理であったのだが……ほとんど美丈夫が食べ切ったのだ。
奢りであるとはいえ遠慮のない食べっぷり。美丈夫の金銭感覚が緩いのか、それとも元来大食漢なのだろうか。マァ後者だろう。店主の卯師匠が「先生は相変わらずよく食べるなあ」と言わなければ止めているほどの量だった。
すっかり痩せてしまった財布をチラ見。興味のない素振りのまま膨れた腹を抱え、洛風は「チョイと失礼」と、懐から煙管を取り出す。
洛風はぷかりと紫煙をくゆらし、美丈夫は変わらず茶を啜る。煙が風に乗って薄く溶けていく。
穏やかな食後。先に切り出したのは洛風だった。
「や~、それにしてもおにーさん、よぉ食べるんやねえ」
「貴殿が少食なだけではないだろうか」
「まあそれは認めるけど」一皿で満腹を得た洛風は片眉を下げて続ける。「……って、アハハ、〝貴殿〟やなんて。そんなに畏まらんでええよォ」
「ふむ」
「僕、洛風て言いますぅ」
「……その名、
「ヘェ。
顎へ手を当てた美丈夫の呟きに、洛風はニコ、と笑みを深めた。何で知っとるんやと心臓はドキドキと荒ぶっているが、表面上はうまく誤魔化せたことだろう。
一般的に、大きい商会の家族というものは公開されていない。ゆえに商会長であればともかくとして、後継ぎ候補でもない次男など知っているものは少ない。無論、知り得る方法もある。商会に与するものならば噂で聞くこともあるからだ。
だが──洛風は、己の名が広まっているという自覚が全くない。教令院退学直後から稲妻に居て、帰って来たのは最近だ。商会に噂が流れるほど実家との関わりも無いのに。それがなぜ、この美丈夫は知っているのだろうか。
探る目。訝し気な感情を見せつけるように、洛風が狐目をキュッと吊り上げた。美丈夫も流石にこの表情で分かったのか、「怪しむことは無い」と前置きする。
「
「たったそれだけのこと、よォ覚えてはる」
「記憶力が良いだけだ」
「へえ。ま、残念やけど勘当されたんで、今はタダの洛風やねん」
「そうか」
「にしても、サラッと商会情報が出てくるなんて……もしかして同業なん?」
「ははは。今は違う──市井に暮らす、一介の凡人だ」
「一介、やのうて、イケメンの、やな」
「顔つきが整っていることは否定しない」
いろいろと突っ込みどころはあるがグッと堪え、洛風は煙管を向ける。
「名前は?」
「鍾離と名乗っている」
「ショーリ……鍾離さんね。往生堂で
「俺がそうだ」
「へえ! ほなあの有名な物知りセンセやったんや」
「物知りというほどでは……少々長生きで、覚えていることが多いだけに過ぎない」
「またまた、御謙遜を」
ほな〇〇について知っとります?──ああそれなら××の……。
ほんなら△△なら?──ふむ、それなら……。
などなど。
洛風の一見不躾な質問に対しても、鍾離は全て細やかに答えを返す。その回答が正しいかどうかはともかくとして、ほとんどのものに整合性が見られ、かつての文献が残っていそうで、なおかつ──どれも面白い話だった。
イチを聞けばジュウ返ってくるあたりからして、鍾離は話し好きなのだろう。それか、求められたことには懇切丁寧に返すべきという人間性かもしれない。どちらであったとしても好感が持てる。洛風は夢中になって問いかけ、ふたりはあっという間の時間を過ごした。
──やがて、璃月港の空に、カァンと高重い金属の音が響く。万民堂からほど近くにある造船場で鳴らされる、午後の作業を知らせる鐘である。作業員の連中に知らせるための音とはいえ、港中に響き渡るソレは得てして璃月民の時報ともいえるものでもあった。
「……ふむ、もうこんな時間か」
「キリがええとはいえ、勿体ないなァ。もっと鍾離さんの話、聞きたかってんけど……」
「何か用事でも?」
「午後のオシゴト。これでも事務員やらせてもろてまして」
「事務員……」
「人材派遣屋の経理業をな」
「商会で無いというのに、モラに関わる仕事をしているのか」
「どの仕事もモラには関わるやろ?」
「そう……だろうか?」
「せやって」
「うむ……」
純粋無垢な顔で瞬く鍾離に、洛風は思わずカロコロと喉を鳴らして笑った。
彼には貨幣に対する知識がある。帝王学や商学を収めた様子もある。そのくせモラに対する欲望や欲求と言ったものが一切見当たらないのだ。この鍾離とかいう男、あんまりにもモラに興味が無さ過ぎる。面白くてしょうがない。
ひとしきり笑ったのち、「そろそろ急がな」「そうか、では俺もこれで」と、ふたりは万民堂を後にするのだった。
後編に続く
短編書き出し予定です。読みたい章を教えてください。
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洛風、スメール留学中(出会い前)
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無自覚宵宮、洛風と海遊び(鎖国前)
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洛風、神里兄に絡まれる(鎖国前)
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自覚済宵宮、八重神子に遊ばれる(鎖国後)