好きとかとちゃうし!   作:白米おじさん

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後編です




璃月:いとを絡める亭牛の日(後)

 埠頭を見に行くという鍾離を見送った洛風は踵を返し、来た道を戻る。万民堂でテイクアウト品を買ってから、石商の隣を素通りして──用心棒が睨みつけてくる茶館の前玄関も過ぎる。

 橋を渡って、往生堂などが居を構える璃月港商業西区に入ると、ようやく、身体の方向を傾ける。いつも腹を空かせている千岩軍の男に会釈して、真っ赤な階段を登っていく。

 鉱脈に富む璃月は顔料の加工も盛んで、特に酸化鉄を使った赤い塗料なんかは手に入りやすい。そういった事情で真っ赤に塗られた建物は多く、更に階段やら手摺やら扉までおんなじデザインであることからして、それぞれの建物の区別がつきづらい。慣れた地元民でも迷子になりやすいエリアではあるが……洛風の足取りは変わらず。上から聞こえてくる講談師・茶博士劉蘇の声を聞き流し、何知らぬ顔で戸を開けた。

 建物と喧騒の影に隠れるような小さな物置扉──ここが洛風の()()である。

 

 多少ましになったとはいえ、相変わらずの埃っぽさ。今更不快感を得るほどではないが、それでも気持ち的には落ち込むものがある。ケン、と空咳をひとつ捨ててから、洛風は薄暗い部屋の棚へと向かった。

 作業テーブルに並べられた大量の書類。本。巻物。墨と紙のにおいを()で押し流し、腕に抱えた古本を棚へ立てかけていく。タイトル順・作成順・()()順に……。

 黙々と作業を進める洛風の背を、しなやかな影が見ていた。

 ほとんど棚で潰れてしまった窓からは細い光しか差し込まない。部屋の四方には薄暗闇が滲んでいて、その中にひとりが紛れていたのだ。

 

「──ご苦労様」

 

 ふいに響く艶やかな女性の声。洛風は一切振り返らず、淡々と作業を続けていた。口では「おつかれさんです」と、返しながら。

 背後からの声は、洛風の()()上司──夜蘭のものである。

 

 今から一年ほど前──いや、一年も前ではない。数ヶ月ほど前のことだ。鎖国令により閉じられた稲妻に帰る手段を探していた洛風だったが、生憎、そう上手く帰ることなどできなかったのだ。なにせ国の長たる神が定めた法である。頼りの綱であった煙緋の法律事務所では「私が力になれるのは璃月内での法律のみだ」と断られ、婚約破棄・勘当直後だから実家にも頼れず、衣食住もなく。

 そんな折に日稼ぎで入っていた層岩巨淵が鉱山事故による封鎖。

 にっちもさっちもいかず困っていたところ、夜蘭に拾われたのだ。

 より正確に言うなら、彼女が追っていた犯罪者を共に追いかけたり、捕まえたり、色々あったのだが……。

 

 閑話休題。

 

「進捗はどうかしら」

「ほどほどですわ。ア、お弁当()うてますよ」

「気が利くわね」

()()()部下ですんで」

 

 シンプルな風呂敷による温かい包みがテーブルの上に鎮座している。〝仕事〟の後に買っていたモラミートである。

 万民堂特製の軽食には、上司好みになるよう絶雲の唐辛子をたっぷり入れてもらっている。今までは個人事業主でしかなかった洛風だが、いざ上司ができれば好みの把握などしておくに越したものはない。

 夜蘭が封を開く音を聞きながら、洛風は抱えていた書面を引き出しに仕舞った。

 

「ちぃと()()()みましたけど。気ィはりすぎとちゃいますん?」

 

 新たな書類を取りに行く僅かな時間で、抑揚のない声で問う。主語のない言葉であったが、()()()上司である夜蘭には意味が理解できたらしい。

 

「そうかしら」

()、ただの物知りな御人ぽいですけど」

「立ち振る舞いも、知識量も、明らかに一般人を逸脱しているわ」

「それは確かに」

「しかも、()()往生堂の客卿だなんて……」

 

 いくら稲妻に長く住んでいたとはいえ、洛風も往生堂のことは知っている。人の営みの中で数少ない死を扱う場所。商会で生まれたものならば物心ついたころには挨拶に行くし、誰かしらが死ねばほとんどの確率で往生堂が葬儀を行うのだ。クソが付くほどろくでもない親父殿(先代)が死んだときも、往生堂に任せたのだと(当代)から聞いた。

 少し前に亡くなったかなにかで、今は幼い少女が堂主をしているそうだ。鍾離のように知識ある人を招きたくなる環境である、とも言えるのでは。……なんていう裏事情、この上司たる夜蘭であれば知っていて当然だ。

 

「今更なんやけど、客卿って……今の璃月港じゃどういう立場に当たるんです?」

「というと、なにかしら」

「いやあ、結構昔の官名やろ。たとえば……帰岩今伝集とかに書いとるようなやつ」

「今でも時折使われているわよ。公的に契約書を交わす必要はあるけれどね」

「へえ。名乗るだけやあかんのや」

「国の重要機関に勤めて、その期間が身分を保証する、というモノだもの。直近だと40年ほど前に璃月七星──天璣が迎えていたわね」夜蘭はくずばこに包み紙を捨て、ぼんやりと指先でサイコロを転がした。「元はフォンテーヌの伯爵位。相当な知識人で、帝君からの信頼も厚かったそうよ」

「ははあ、つまり?」

「客卿とは、知識だけで成れるほど簡単な身分ではないということ」

 

 只人じゃない。そう言いたいのだろう。

 洛風は昼頃に話した男を思い出す──鍾離の立ち振る舞い。佇まい。話し方。視線。指先。岩元素の神の目。太陽の光が煌めく琥珀の瞳。

 自称・凡人の彼だが、どの場面を・どの姿を切り取っても、決して(ただの)人などではない。

 

「まーたしかにホケホケしてはるし、浮世離れしとるというか……妖怪みたいな人よなあ」

「……ヨウカイ?」

「?」

「それは妖魔とは違うのかしら?」

「ちゃうなァ。例えるなら、仙人様を庶民寄りにした感じやろか」

「仙人……」

「稲妻じゃあ長命種がいろんなとこにおって、人と一緒に暮らしとるんですわ」

「……」

 

 とはいえ、あの()()()()──モラへの執着の薄さは、モラの必要が無い生活をしている妖怪ともまた違う。物事の価値を知らないのではなく、価値を知った上で対価の存在を認識できていないようなものに近い。人間であるとすれば純粋すぎるし、妖怪であるとすれば老骨すぎる。璃月の仙人だとすれば、ちょっとばかし人に馴染みすぎだ。……思い出せば思い出すほど不思議な男である。

 

 マ。考えるのは上司の仕事だ。あくまで洛風は使いっぱしりのイチ部下に過ぎない。情報を集めてくることが仕事なのだ。

 

 会話が途中で途切れ、部屋には沈黙が走る。横目で見た夜蘭は顎に手を当て、反対の手でサイコロを転がしていた。彼女が考え込んでいる時のクセ。ああなった夜蘭は曖昧な返事しか返してこない。しばらくほっといていいだろう。

 それに洛風にも仕事はあるのだ。この大量に積まれた書類を全部整理して、並べ替えて、虫干しして……。洛風の専門分野は鉱石と火薬であり、こんな紙なんぞ扱ったことは無い。慎重にせねばならない分、どうしても仕事に時間がかかってしまう。

 

 ………。

 ……。

 

 さっさと作業に戻った洛風は無言で手を動かし、夜蘭もまた無言で思考を続ける。

 本棚を三台整える間も、書類をろく山まとめる間も、彼女は無言のままだった。つまり気まずい。

 途中で椅子を勧めたのも良くなかったのだろうか。それとも手元に無地の紙を置いてやったのが良くなかったのか……。できる部下すぎて墓穴を掘った気がする。

 

 洛風は個人事業主だった。自分の仕事は自分で決め、休みも己で定めることが出来ていた。しかし今の洛風は雇われ人なのだから、仕事を切り上げるには上司の確認がある程度は必要だ。

 いつもならば彼女は居ないので、適当に済ませているが…。流石の洛風も、目の前に上司がいる状況でさっさと帰ろうという気にはなれない。

 

 どうしたものかと悩みこんで、空いた時間でぞうきんを絞る。汚かった棚を拭き、埃を(はた)き、小さな窓を開けてよどんだ空気を入れ替える。火打石を叩いて行燈に火を入れ、夕日が沈んだ部屋へ明るさを確保して………。

 ……午後の仕事が始まってから、たっぷり6時間。ようやく身じろいだ上司を見据え、「夜蘭さんや」と軽く声を掛けた。彼女もそれで思考を止めたのか、瞬いてから洛風をエメラルドの瞳で見上げる。

 

「何かしら。残業代の申請?」

「残業代なんて福利厚生あるんかい」

「今無くなったわ」

「……」

「それで?」

「…あー……」帰っていいか。とはさすがに聞きづらい。洛風は悩み──ぱちん、と思いつきから指を鳴らす。「せや、ただの事務員をコキ使ったからにはちゃぁんと調査費出してくださいよ」

「どうしようかしら」

「え。ここから悩む選択肢とかあります?」

「あるわよ……」

 

 あなたって事務員より調査員の方が向いてそうだし。小声で聞こえた呟きはあえて聞き流しておく。ただでさえ労働量に見合わぬ薄給なのだ。彼女の()()として扱き使われたとしても給料が上がるとは思えない。稲妻に帰る資金を稼ぐため以外にも、日々の生活のためにだってモラは必要なのだ。

 再び顎に手を当て考え込んだ夜蘭を見下ろし、洛風は行灯に灯油(ともしあぶら)を足した。二度目の思考はそれほど長くならないだろう。炎で揺らぐ影の中、夜蘭の視線が戻るのを待つ。

 ……今度は僅か五分。

 夜蘭は瞬き、「……洛風」と、続けた。

 

「まだ考えがまとまらないの。もう少し探ってくれるかしら」

「ええーッ」

「わざとらしい声ね」

「だって無給でっしゃろ。〝仕事〟の昼飯代だって自腹やのに」

「経費は出すわ。それに」

「それに?」

「とびきりの〝調査費〟を用意してあげる」

 

 期待せずにため息をひとつ零し、「トビキリなァ」と、ふてぶてしく言葉を吐き捨てる。ただでさえ細い目を吊り上げた洛風へ、夜蘭はカロコロと笑った。艶やかな青の紅が口角を上げる。

 

「そうね、稲妻に入る手段ならどうかしら」

 

 ──がたん! と。

 音を立てたのが先か。目を丸めたのが先か。

 (おの)が行動の粗さにも気付けぬまま、洛風は椅子を蹴飛ばしてテーブルに縋りついていた。

 無粋な木の板を挟んで正面。嗤う上司と視線が絡まった。彼女の指先ではサイコロが相変わらず転がっている。夜蘭の操る糸に絡まってはロクなことにならないと──洛風は知っている。それでも縋らずにいられない。蜘蛛の糸のようなものだった。

 適確、かつ、極悪な提案をした夜蘭は手のひらにサイコロを収め、消した。水元素力が霧散していく。

 

「いい顔ね」

「……()()()()探ればええんです?」

「彼だけじゃないわ。他にも探ってほしいものがあるの」

稲妻(あすこ)に帰れるんでしたら、何でも()りますわ」

「ふふ。いいわ」

 

 主語の無い会話。しかし、互いの意図は伝わっている。

 

「──打合せしましょ。お茶でも入れてきて」

 

 

 

 

 

 

 洛風と宵宮が再会する、一年前の話である。

短編書き出し予定です。読みたい章を教えてください。

  • 洛風、スメール留学中(出会い前)
  • 無自覚宵宮、洛風と海遊び(鎖国前)
  • 洛風、神里兄に絡まれる(鎖国前)
  • 自覚済宵宮、八重神子に遊ばれる(鎖国後)
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