残念だが、わたしたちに与えられた熟考の時間は、そう長くはないようだった。
わたしたちのいるジャガイモ畑の畝には、初春に植えた種イモの、萌え出た青い芽が散見されたが、このジャガイモが食べ頃になる頃には、わたしたちは村にはいないだろうし、そもそもこの畑が存続しているかどうか、疑わしいものだった。
わたしたちのほとんどは、農業従事者であり、この畑には、思い出がたくさん積み重なっていた。思い返せば、辛苦と腹立たしい気持ちがジワジワとよみがえってくる。いい思い出はあまりなかった。
「皆」、と男のひとがポツリと呟く。「おれ、行くよ。出るのなら早い方がいい。日は昇っていく途中だし」
そう言って、太陽をサッと指でさす。
「どこへお行きになるのですか」、と女のひとが不安そうに、行きかける彼の背に問いを投げる。
「さぁ、おれにも分からない」、と言うと、彼は首だけで振り返る。「だが、この村にはもう、いられないんだ。そうだろう?」
彼は、正面に向き直り、歩いていき、本当に村の出入口を通って、村外へと踏み出ていった。
わたしは、ポカンと口を半開きにして彼の遠くなっていく姿を見るともなしに見送ったが、ふと、女のひとが「皆でいっしょに行きましょう」と言って、全員に目を配った。ひとりとして、その誘いに肯定も否定も積極的には示さず、当惑と無関心の静観の内に、彼女の手に主導権やリーダーシップといったものを渡した。展望がない者に、はっきりとした反意の表明など出来ようはずがなかった。
彼女は、わたしのお母さんと同じくらいの年のひとで、名はサリーといい、独り身のようだった。長い髪は白髪だらけだが、適度に潤いがあってサラサラに見え、小顔だし、割と美人だった。
「ひとまず、家の物で、持ち出せる物を搔き集めましょう。手ぶらで旅なんて向こう見ずだわ」
彼女の言葉に、果然、回答はなかったが、確かにそうだと言う風の空気が漂い、わたしたちは、各自、住処へと戻るため、散り散りになった。
わたしとお母さんも、藁小屋に帰り、旅の支度にと色々、手に取って見てみたが、家には大したものがなかった。あるのは鍬、鍬、鉈などの農具ばかりで、持ち出して旅の役に立つものは皆無といってよかった。
道具、また護身具として鉈などを選び、後は、保存食として取ってある木の実などを袋に入れた。
持ち出す意義のあるものといえば、その程度だった。
お母さんは、隅々まで、忘れ物がないように入念に確認して回った。
一方でわたしは、いの一番に選んだものがあり、その他のものには、特に執着がなかった。
それは、非常に小さいものであり、わたしの親指の先ほどの大きさしかなかった。
わたしの宝物であり、昔ここに来た旅人、コリーさんのくれたお土産だった。
貝殻だった。
桃色と純白が表裏になっており、お皿のように、器状である。何か入れるには、あまりにも小さすぎて到底役に立たないけど、とにかく色合いが美しく、かわいかった。
鼻を近付けて嗅いでみると、ほんのり甘く、またしょっぱくもあるにおいがする。
お母さんには、要らないゴミだと断定されたけど、わたしは決して、この貝殻を肌身離さずに所有し続けるつもりでおり、深い愛着があった。
目蓋を閉じると、未だ見たことのないどこまでも広がる海原の情景が、想像として浮かんでくる。
水の流れる音が聞こえるかと、瞑目して待っていたが、耳朶を打ったのは、母のわたしへの呼び声だった。