夕陽が地平線の近くまで沈み、暖かかった空気が冷やかさを帯びてきた。
そうなると、その日の労働はおしまいで、後片付けが始まる。
過去の――ある春の日のことだった。
わたしは当時、まだ6歳ぐらいだったが、ひとり親のお母さんのお手伝いとして、あるいは果樹園で木々の剪定や、収穫された果実の運搬などをしたり、あるいは領主の命令に従って、村の内外の道の整備のために草抜きしたりした。
お母さんには、わたしがより幼く、言葉を解せず、ハイハイなどしていた頃は、わたしを背負って仕事していたと聞いている。重いし、泣き叫ぶし、大変だったそうだ。
わたしにとって、そういう今までのことがあるから、まだ少女とはいえ、労働するのが当たり前で、体を酷使して各所が痛んだり、怪我を負ったりすることに対して、何の疑問も持たなかった。今でも、そうである。
完全に日が落ち、仕事の後片付けがすっかり終わって、それぞれの住処に帰った後、わたしとお母さんは、小屋のテーブルに付いて夜ご飯を食べていた。ご飯は質素で、何も付けない丸パンとミルクだった。
「クローネ」、とお母さんが呼びかける。「パンはもう、いらないかい?」
「うん」、とわたしは持っているパンを齧って頷く。「一個でだいじょうぶ」
「そう」、とお母さんは微笑む。目尻の皺が、心なしか、苦労を偲ばせる。前髪を真ん中で分けて下ろし、後ろの背中にかかるほどの髪は、紐で結わえている。
「足りなかったら、言うんだよ。パンはまだあるからね」
「パンはもういいや。ハムとかソーセージがあったら、嬉しいなぁ」
「ハムとかソーセージは……ないんだよ。ごめんね」
――家の食糧事情は、詳しく話したことはないけど、幼いわたしにも、何となく、分かっていた。肉類などのぜいたく品は、基本的に上流階級のもので、わたしたち賤民には、食べられる時が、ごく限られていた。
オイルランプの灯火が、テーブルの上に照っている。村のオリーブ園で採れたオリーブの油が、燃焼しているのだ。
何となく気まずい雰囲気の中、味のないパンをモシャモシャ咀嚼していると、「ロナさーん!」というお母さんへの呼び声が外より聞こえ、わたしもお母さんも、ハッとした。
「ちょっとお邪魔します」
そう言って、めくったブラインドよりランプを携えて顔を出したのは、村の夜警の男のひとだった。わたしたちのよく見知ったひとで、マークという、10代半ばの青年だ。彼は軽装だが防具を付け、剣の鞘をさげているが、この村サラメーナで、有事は滅多になく、防具は錆び、剣の切れ味も、鈍っている。
「あら、マークくん。こんばんは」、とお母さん。わたしは、黙然とパンを噛み砕いていた。
「突然すみません。あっ、お食事中でしたか」
「別に、構わないけど」
「ちょっと、サラメーナに訪問者がありまして」
「訪問者?」
「えぇ。本人曰く、旅人みたいで、怪しいのでわたし、追い払おうとしたのですが、中々の聞かん気でして」
「それで? わたしは、一体どうすればいいのかしら?」
と、お母さんは、当惑した感じで言う。
「どうもこの一晩だけ、寝床が欲しいんだそうで」
「その旅人は、男のひと?」
「はい。男の人です」
「そう」、とお母さんは、面倒くさく思うように返す。「出来れば、追っ払ってもらいたかったわね。わたしの家は、あいにく裕福じゃないもので」
「う~ん」、とマークは困ったように苦笑と共に唸る。「わたしも出来れば帰したかったのですが、どこか憎めないところがあってですね」
「情が湧いたの?」
「はい」
お母さんが、「ハァ」とため息を吐く。
「マークくん、他のお家にも当たってくれたと思うけど、どこもパパがいて、男を泊めるなんて言うと、きっと怒るんでしょうね。我が家は、パパがいないもんね……」
そう言うお母さんは、寂しげだった。
噛み砕いたパンを、わたしは飲み込む。
幼いわたしにも、何となく事情は察せられた。
誰かがサラメーナを訪れ、更にわたしとお母さんのところへと来るのだ。