秩序が成立する条件とは、一体何だろうか。様々あるだろうが、混乱を危ぶみ、恐れる心が、ひとつとしてあると思われる。誰もが我欲に従って放恣に生きれば、個人の我欲同士の衝突が(他者を蔑視するその性質を起因にして)起こり、整然たる秩序が成り立つことはまずないだろう。理性、規律、良識……精神修養で獲得されるそういったものが、秩序を保護し、混乱を遠ざける効果を与える。
だが、ある秩序が、構成員の高い精神力によって成立し、維持されているとしても、混乱が外部より到来する時、秩序は危機に瀕する。
メイローゼの場合、それは戦争だった。
戦争がメイローゼを侵したことで、町は普段の営みを断念せざるを得なくなり、人々は、町を守り、秩序を回復するために、敵の挑戦を受けることにした。
――使いの者の帰りが、待望されていたが、中々帰還しなかった。
戦後、晴天に恵まれた二日目――ファーチェが海辺の町の出だとわたしが会話を通して知った日の夜、事件は起きた。
雨上がり以後はずっとほんのり涼しくて、寝苦しい思いをせずに寝られそうだった夜、鐘の音がけたたましく町中に響き渡った。
鐘の響きは、どう聞いても穏やかではなく、何か異変が町に生じたことが察知された。
暗くなって寝ようとしていたわたしとお母さんは、ビックリして外に出ようとしたが、その前に、叫び声が聞こえた。
「――敵襲!」
わたしとお母さんは顔を見合わせ、全てを悟った。
約束は破られたのだと。講和は受け入れられず、サラメーナが、夜襲を仕掛けて来たのだと――。
しかし、動揺がひどかったし、どうしてこうなったのかと、疑念が払拭出来なかった。
にわかに、物々しい空気が充満して来、あちこちで物音がしだした。
わたしとお母さんが素早く寝間着を普段着に着替え、精選した手荷物をまとめて外に出ると、ちょうどリベルタさんが表にいた。
「おい、お前ら!」
武装してたいまつを持った彼が、険相で駆け寄ってくる。
「早く逃げろ! サラメーナの連中が来たんだ! 最早ちょっとの猶予もない。すぐそこまで迫ってる!」
他の町民も、大声で叫ぶ彼のもとへと寄り集まって来、彼等も不安で指示が欲しいようだ。きちんと着替えているひとがいれば、寝間着のひともいる。
「どこへ逃げればいいの?」、とお母さん。
「遠くだ! とにかく遠く!――メイローゼは最早陥落したのだと思って、よそに向かえ!」
「なぜ? 再戦は明日のはずじゃ……それに、使いのひとが、講和のすべを模索しに行って……」
「クローネ!」
ファーチェがそばにいる。彼女の隣には男性がひとりいるが、思うにお父さんなのだろう。
「出来るだけ固まって移動しろ! 敵はおれたちが押し留める。撃退してしまうのが最善だが、あまり望めそうにない……」
「――リベルタ! 他の兵士たちも!」
颯爽とひとりの騎兵が現れ、わたしたちの近くをサッと過ぎると、向こうで止まった。
馬に乗っている重装兵が、首だけで振り返る。ガベラーさんだった。たいまつに照らされた顔が、緊張のせいか、こわばり、脂ぎっている。
「速戦即決だ! 極力敵を町に近付けず、平野の方で対決する!」
「ハッ!」
「灯火は消していけ! 暗ければ相手はまともに攻撃出来まい」
兵士たちが、一斉に走り出す。町民たちは、その反対方向に走り出す。
わたしは、気になることがあってその場に留まろうとし、駆け出したお母さんとファーチェに責めるように早く来いと叫ばれると、走るフリだけして、結局その場に留まった。
リベルタさんも、兵士に続こうとしたが、ガベラーさんが制した。
「ちょっと待て、リベルタ」
「殿下。どうなさったのですか。速やかに迎撃に向かわないと」
「お前は、町民たちと共に行け」
「殿下? 何をおっしゃるので?」
「この戦、旗色は決してよくない。全ての兵力を注ぐのは賢明ではないだろう。だから、お前には、町民たちの護送の役を任ずる」
「……」
リベルタさんはワナワナと震え、怯えているのかどうか、分からない。だが、悩んでいるようだった。
「町民と共に、わたしの家族も行く。町民の護送は、敵の卑劣極まりない夜襲を迎え撃つのと同じくらい、あるいはより以上に、重い役目だ。家内と、子供たちを頼む」
「しかし……」
「お前を信頼しての任命だ。自信を持って遂行して貰いたいものだが」
「しかし!」、とリベルタさんが叫ぶ。「わたしたちは、どこへ行けばいいのですか? めぼしい人里が、近くにあるのでしょうか?」
「あいにく、当てはない」
「では……?」
「最悪、砂漠を渡り、お前の出身だという砂漠の町へ向かうしかないだろう」
問答はしばし続いたが、やがて終わり、ガベラーさんは馬を疾駆させ、リベルタさんは顔面蒼白で、歩き出した。
「お前」、と彼がわたしのまだいることに驚いて言う。「まだいたのか。早く逃げろって言っただろう」
「ごめんなさい」
わたしはそう平謝りして、ようやく駆け出す。リベルタさんも、後ろから追ってくるように、走る。
戦争の行く末は、敵の夜襲によって望ましい決着の形を歪められることとなったが、どの道、仮に相手が約束を守ったとしても、メイローゼは、負けることになっていたかも知れない。
――嗚咽が聞こえる。
そっと振り返ると、リベルタさんが顔をグシャグシャにして、止まらない涙と洟を袖で拭っている。
住み慣れた場所を無理に去らないといけない悲しみと嘆き、なのだろうか。
このようにして、わたしは、そして他のひとたちも、荒々しい運命の手によって、遠く、また心細い旅路へと、放り出されたのであった。