海へ行きたいと夢見るわたしが、生死を賭けて砂漠を渡るかどうか悩むというのは、忌まわしいこと極まりないが、皮肉だと言わざるを得なかった。
逃げてきた皆、すでに心身共に限界に近付いており、余力を振り絞っても、せいぜい1日の旅しか出来なさそうだった。
わたしを始めとして、皆、次に行くべき目的地を熟考していた。
しかし、当てがあるのであれば、このように苦労せずに済むわけで、悩むことで、時間がいたずらに過ぎていくようだった。
峠の眺望には、リベルタさんの来たという砂漠が見えている。
恐ろしいほど広大で、果てが見えない。今の状態と状況で砂漠に進出するのは正気の沙汰ではなかった。
「ねぇ、お母さん」、とわたしは呼びかけた。
ほとんど茫然自失の状態のお母さんが、わたしを見る。
「トニオ村長は死んだんだよね」
「うん。サリーさんが得物の槍で、ぶきっちょだったけど、あの冷血漢に報いたわ」
――そのイメージは、サリーさんの品のある雰囲気とは、まるで釣り合いが取れていなかった。
「じゃあ、サラメーナには、わたしたちのことを知るひとはいないんだ」
「そうだけど。クローネ。サラメーナに戻りたいの?」
「……」
わたしは沈黙した。もし、サラメーナに戻ることが出来るとすれば、きっとわたしは戻ることを選ぶだろう。
眺望に小さく見えている町、サラメーナ。わたしとお母さんと、その他のひとたちの故郷。
だが、今の町は、わたしたちの知るものとは違う。サラメーナは外敵の侵入を許し、農村だったのが、宿場町へと改造されるのだった。
「わたしは、反対です」、と、誰かが言う声が聞こえた。女性の声で、華奢で細いけど、芯がしっかりした、強い意志を感じる声色だった。
ガベラーさんの妻――夫人が、睨むようにわたしの方を見ている。ほとんど殺意に近いものを感じさせる眼光だった。
「サラメーナは……メイローゼの仇敵なのですよ!」
夫人の感情を煽るように、合いの手を入れるメイローゼのひとが何人かいた。彼等は相当、サラメーナに対して怨恨、憎悪、敵愾心を抱いているようだった。
――ただ、彼女と手を繋いでいる男の子だけは、そういった劣情とは無縁で、ずっと、心ここにあらずといった具合でボーッとしているのだった。
リベルタさんは、どっち付かずという感じで、この口論を黙然と傍観するつもりなのか、口を噤んでいる。
わたしは、まずい話題を口にしてしまったのだとすぐさま後悔し、夫人の怫然とした態度に萎縮した。
だが、張り詰めた空気の中、誰も口を利かない状態がしばらく続くと、緊張がフッと途切れたようだった。
そうだ。わたしたちは、怒ることすら難しいほど疲れてきているのだ。感情を顕わにするのは、存外体力を消費する。
ピンと張り詰めた空気の和らいだことが感じられると、リベルタさんが、「とにかく」、と口を開いた。
「今砂漠に足を踏み入れれば、おれたちはきっと全員、野垂れ死にする。その死に方が楽だったらまだいいが、十中八九、脱水状態で苦しんで死ぬ。決して楽じゃない。体が干からびていく苦しみ。雲のない青空の太陽に晒されて焼け死ぬ思いがするし、水を渇望して熱砂をさまようのは気が狂いそうになる。おれは自分で経験して何となく覚えているが、極限に苦しいものだぞ」
リアリティを伴った彼の警告は、この場にいる誰もが慎ましく耳を傾け、その真意をしっかりと認識したようだ。
「お母さん」、と夫人の子が呼びかける。「ぼく、お父さんのところに帰りたい」
彼は至って素直で純真だった。
夫人は悲しい顔で彼を見つめ、返事に窮しているようだ。
行く先が剣呑であれば、後退するのは決して愚策ではない。だが、わたしたちが一体どこに後退出来るというのだろう。
「山を下りよう」
ふと、リベルタさんがそう言って、ある方向に向けて歩き出す。
出し抜けで呆気に取られたが、わたしがその後を追いかけ、更にその後にお母さんが続くと、他の皆も、訝しそうではあったが、それぞれバラバラのタイミングで峠を後にして、リベルタさんを先頭にまとまって歩き出した。
彼は言った、意味のないことばかり話したり考えたりしていても、むなしいばかかりだ。おれたちは死に場所を探して旅しているわけではないのだから、実際に出来る見込みのないことに頭を費やすのは合理的ではない。現実を生き抜くために、現実味のあることを考えるべきだ、と。
リベルタさんに何か案があるのだろうかと、わたしは疑問に思ったが、ちょうどわたしは移動したいところがあったので、リベルタさんが半ば強引に皆を動かしてくれたのは、都合がよかった。
サラメーナ。やはりわたしはこの場所に、ちょっと足を運んでみようと思ったのだった。