わたしがわたしの故郷であるサラメーナを去ってから、春夏と、ふたつの季節が過ぎた。
サラメーナは、遥かにより大きい規模の領土にその主権を移し、元は農村だったのが、交通の便益を図るために、宿場町になる予定のようだった。
今、当地はどうなっているのだろう。田畑は更地とされ、宿屋が軒を争っているのだろうか。百姓や小作人などは用なしで、商人がたくさん住み着いているのだろうか。
わたしたちは不揃いの崩れた群れを成し、のぼってきた山道をおりていく。
リベルタさんが、何となくリーダー的存在となっており、彼の動きに、他のひとたちが追従することが、通例となりつつある。
わたしは、密かにお母さんに、サラメーナに行きたいという自分の意図を告げ、彼女は、特に反対しなかった。他に当てがないのだから、お母さんのその返答は、ある程度、推知出来ていた。
だが、ガベラー夫人は強い反対の意志を示していた。彼女はもう、わたしに対し、嫌悪感を顕わにするようになっており、打ち解けるには難しかった。
リベルタさんは――彼は、どういう思いで今、先頭を切って歩いているのだろう。
段々と、空気が冷えてくる。
日暮れ頃に、わたしたちは麓まで到る。
「さて、ここまでおりてきたが……」
リベルタさんが、その辺の枯れ葉を集めて火打ち石で火花を飛ばし、燃え出した炎を、たいまつに移した。要らなくなった火は、足で踏むことで消された。
「全員、生き延びたいと思っているだろうが、どこへ行けばいいのか、とても難しい問題だ。何か名案があって、確信をもって、他のひとの命まで保障出来るヤツはいるか?」
その問いに、手を挙げる者はなかった。
「――そういうわけだ。ここで解散とするのがよかろう」
「お別れ?」
お母さんが尋ねる。
「皆でいっしょに地獄へ行くっていうのは中々しゃれてるが、おれは生き延びたい」
「わたしだって、地獄なんてまっぴらごめんだわ」
「だけど、おれたちが思っている行き先は、多分、それぞれ違うところだろう」
「一度、確かめてみる?」
「いや……遠慮する。この際どこに行くかは大した問題じゃない。いつまでもダラダラ散歩しているわけにはいかないだろう」
「捨てる神もあれば、拾う神も……」
ティークさんがポツリと呟き、押し黙る。
リベルタさんは苦笑をこぼす。
「救世主様でも現れてくれればよかったんだがなぁ。世の中っていうのは、冷酷だ」
「そうですね。とても冷たいものです」、とわたし。「けど、わたしたちが生きるというのは、その冷たさに、立ち向かっていくこと」
「クローネ、お前は、きっとおれといっしょには来ないだろうが、ちゃんと戦線に出て戦った勇気のあるお前なら、この状況を切り抜けて、成長していけると思う」
「そうであれば、嬉しいものです」
リベルタさんは微笑むと、「夫人殿」、とガベラー夫人に呼びかける。「メイローゼにお帰りになりますか」
夫人は沈黙し、真剣に考え込むと、「えぇ」、と肯定した。「ひょっとしたら主人が、生きて、残っているかも知れません。わたし、そしてこの子、そして主人は、3人でひとつの家族なんです。バラバラでいるのは、よくないことです」
「分かりました。町まで、エスコート致します」
恭順にそう言うと、彼は夫人たちといっしょになって、去ろうとする。
ふと、夫人が、どこか落ち着かない素振りで引き返して来、わたしの目の前に来ると、手を出すように求める。
わたしが言われるままに手を差し出すと、夫人は、何かをわたしの掌に載せる。
「いっしょに旅をした同士として、最後に、ほんの
夫人は渡すべきものを渡すと、しばし沈黙した後、「海に、行けるといいわね」、と言った。
その声は小さく、わたしはよく聞き取れなかった。だが、きっとそのように、夫人は言ったと思う。
わたしは、一瞬頭が真っ白になった。
夫人は、即座に回れ右して、リベルタさんたちのもとへと戻る。
今生の別れになるかも知れないのに、リベルタさんは、嫌にカジュアルに手を挙げ、サッと別離を告げ、背を向けて行ってしまう。その後に、彼等と同様、メイローゼへ帰ろうと思う何人かが、遅れて付いていく。
わたしとお母さん、ファーチェとティークさんは、その後ろ姿をしみじみと見送る。
わたしは、段々と上の空だったのが、はっきり冴えてくる。
「行っちゃうね」、ファーチェが寂しそうに呟く。
「でも」、とわたし。「きっと、これでよかったんだよ」
「クローネは、どこに行くつもりなの?」
「わたしは、サラメーナに行こうと思う」
「そう。わたしは、お父さんとクローネに付いていくつもり。メイローゼに戻っても、残してきたものは何もないし、それに、戦争の後の町に戻るのは、やっぱり怖いしね」
娘の言葉に、ティークさんが同意するように頷く。
「我々は、あなたたちと同行します。今後も、よろしくお願いします」
ティークさんの挨拶に、わたしとお母さんは同じようにして返す。お母さんは、まだ彼等と打ち解けていないので、やや狼狽しているようだ。
「そういえば」、とファーチェが言う。「クローネ、何を貰ったの?」
わたしは、握っている拳を彼女に向かって、開いて見せる。
掌には、コインが何枚かのっている。
「わぁ、お金だ」
「……」
ちょっと行き先のことで一悶着起こしかけたけど、夫人のやさしさに、わたしは胸を打たれた。
だけど、きっとわたしと彼女は、いっしょの旅は出来なかったに違いない。こうして別れたのは、わたしたちそれぞれにとって、幸いだったのだと思う。
わたしは、祈る。
彼等の旅路が無事でありますように。彼等の人生に、天にまします神の御加護がありますように。