にんげんにとって、ふるさとを逐われる・居場所を奪われるという経験がどれほど大きい苦しみと悲しみになるか、その程度は計り知れない。
そういった経験が地震などの自然災害で引き起こされた場合、ひとは抗する術のない、気まぐれに美しかったり恐ろしかったりする自然の残忍さや、自身に課された運命の峻酷さを呪ったり、悲嘆に暮れたりするだろう。だが、他人の悪意や、その思惑がふるさとの喪失の起因となると、その者に対しての憎悪が生まれるというのは、想像に難くなく、情動の経過として異とするところはないと言える。
わたしとお母さんは、サラメーナを逐われた。その経験が生み出した悲しみや怒りなどの感情は、当地の領主であったトニオ村長を対象にしてあらわれることになった。彼は、サリーさんが戦場で刺し違えることで死んだ。亡くなったサリーさんにも、ひょっとするとそういった感情があって、トニオ村長を狙ったのかも知れない。
だが、わたしたちは、彼を呪わしいと思っても、誅を加える手段を持たない弱者だったので、彼が言ったように、サラメーナを放棄してよそに活路を見出しにいかないといけなかった。
こうして長い期間を空けて当時とは変わったサラメーナへと戻ってくることになって、わたしとお母さんは、幸いにお金を持っているおかげで、不足のない日々を目下過ごしているが、だからといって、わたしたちが負うべき怨恨を完全に脱し得たこととはならず、一時的に、意識されないほど小さくなっているか、失念されているだけに過ぎない。
その理由としては、トニオ村長のように分かりやすい敵意や反感などの対象が存在しないことが挙がる。
だけど、この町を支配している統治者とその関係者には、かつて農村だったサラメーナに侵出した勢力と決して浅くない繋がりを持っている者が、きっといるに違いない。
龍の谷の経営者で、またサラメーナの現町長である『ガルドさん』とわたしたちとの話は、やはり短時間では済まず、長時間に渡るだろうと思われた。ところが、ガルドさんが多忙で、やむなく中断せざるを得なかった。
話を進めていく中で、わたしとお母さんが農村だったサラメーナに住んでいて、町への村の改編に関して、詰責に近いニュアンスをわたしたちの問いかけが帯びていたことで、町長は会った頃の気さくで打ち解けた感じを失って、心なしか、纏う雰囲気がかたいものになっていった。
対話を通じて、わたしたちが根本的に分かり合えることは、きっとないのだろうという悲しい憶測が立った。
だが、問い質したいことは網羅されなかったけど、わたしたちとガルドさんの話は、有益だったと断言できる。サラメーナのことや、その背景の事情や、世界の時流など、収穫は多かった。
その日、話し合いの後は、特に用事がなく、坦々と時間が過ぎていった。
……。
翌朝のことだった。
お母さんがベッドに寝たきりで、具合が悪いようだった。
ファーチェとティークさんは、外に出ていって、いなかった。
「具合、悪いの?」
横になるお母さんの、鼻の辺まで布団のかかった顔を見下ろして、わたしは尋ねる。
「うん」、と答えるお母さんは、怖いほど無表情で、疲れているという感じではなく、放心状態のようだった。
「熱は?」
「ないと思う」
「朝ごはん、食べないと」
「いらない。お腹が空いていないもの。そもそもわたし、何もしたくない」
「……。」
お母さんのこういう姿を見たことがなく、わたしは当惑してしまった。
「わたし、もう旅したくない。疲れた」
「ダメだよ。お母さんだけ置いて行けないよ。行けるわけないじゃん……」
「でも、わたしが一緒だと、足手まといになるだけと思う。いないのがいい」
「決め付けないでよ」
――娘にとって、自分を置いて旅に行けとはっきり言い放つ母のその言葉、そして彼女のいやに冷たい態度は、悲しいものだった。
どう接すればいいのか分からない当惑と、悲しみに動揺し、わたしがほとんど泣きそうになってくると、嗚咽が微かに聞こえだし、いっそこの感情を流露させてしまおうかと思っていたわたしは、びっくりして、呆気に取られてしまった。
母が、無表情の顔に、涙を流しているのだった。その様は、見る者を慄然とさせる狂気じみたものを帯びていた。
「お母さん……?」
「ごめん。ごめんね、クローネ。"あのひと"が……あのひとが生きていてわたしたちと一緒にいてくれれば、旅はずっと楽だったはずなのに」
震える声でそうツラそうに言うと、お母さんは、無表情だった顔をとうとうグシャグシャにして、両手で顔を覆って号泣し始めてしまった。布団は延々と流れる大粒の涙に濡れ、痛々しいことこの上なかった。
あの人――?
疑問符を浮かべてオロオロして、わたしには手の施しようがなかった。
お母さんはちょっと錯乱しているみたいで、時間を置いてリラックスするまで待つのがいいように思われた……。