わたしにしてみれば、サラメーナをおわれてこの砂漠で倒れるまでの間は、振り返れば、夥しい出来事の連続て、途轍もなく長いものに感じられる。だが、あの頃が一年前の過去となるには、まだこれから、草木が枯れ、雪が降り、そして溶けないといけないのである。
わたしとファーチェとティークさんが、ひん死の状態から、歩くのに困難がないほど健やかに回復するまでには、少しばかり時間が必要だった。
安静にしている間は、わたしたちは何も出来なかったし、しなかった。わたしたちを拾ってくれた男女の好意に甘え、ただただ、提供される食べ物を食べ、飲み物を飲み、体を休めるばかりだった。
わたしは、テントの中で、覚醒と睡眠を繰り返し、目を開いたり閉じたりして、気まぐれで救助してくれたという男の人相を、ぼんやり眺めていた。
やはり彼の顔は、見覚えがないことのない、何とはなしに既視感のあるものであり、わたしは、あるいはマークさんとか昔知っていたひとの人相がダブって見えているのかも知れない、などと考えた。
悪かった体がよくなっていく中で、ある日、わたしは彼にじかに訊いてみた。
「わたしたち、以前、どこかでお会いしたことがありますか?」
テントで目覚めているのは、わたしと男だけだった。ファーチェとティークさんは熟睡しており、ミゼルさんは、ヤギを連れて外出中のようだ。
テントの外側の砂地に照る日の光が明るく、朝なのか昼なのか判然としないが、気温はさほど高くなく、おおむね過ごしよい。
「おれと、君がか?」
彼がきょとんとしてわたしを見る。
「お顔に見覚えがある気がして……」
テントを支える柱のそばに膝を抱いて座る彼の薄褐色の髪は、眉毛にかかっており、背丈は高いほうで、大体ティークさんと同じくらいだ。成人男性の平均身長をやや越すくらいの高さといった感じだ。
「あいにく」、と彼が正面に向き直って言う。「おれは、君と面識があるとは思えない。おれは、君には見覚えがないんだ」
「そうですか」と、わたしはちょっとガッカリして返す。「クローネっていうんですけどね」
「クローネ、クローネ」
彼は頭を抱え、ブツブツわたしの名前を何度か、その響きを確かめるように呟く。
「悪いけど、やっぱり知らないみたいだ」
「別に、いいんです。ただの勘違いだったんでしょう」
わたしが諦めて話を打ち止めにしようとすると、彼が「けど」、と続けた。
「――けど、おれは昔、旅してたんだ。旅して、各地を巡ってた。その道中でおれは、たくさんのひとたちと出会った。たくさんの、数え切れないほどのひとたちと。ひょっとしたら、その時に出会ってる可能性はある」
「そういえば、あなたのお名前は――」
「おれは、コリーっていうんだ。そういえば、まだ名乗ってなかったか」
その名を聞いた瞬間、わたしはハッとし、五感が刹那研ぎ澄まされ、冷たい風に肌を撫でられたように、鳥肌が立った。
コリー……? まさか、彼は、ひょっとして……?
「あっ、あの――」
と、激しい直感にそわそわとして、わたしが言いかけた時、「ただいま」という声と共に、ミゼルさんが、ヤギを連れて帰ってきた。すると、わたしと彼の対話は、落ち着くべきところに行く前に空中分解してしまった。
「お帰り、ミゼル。草は生えてたかい?」
「うん。ちょっとだけね。けど、この子のお腹はいっぱいになったみたい」
痩せっぽちの、首輪を付けられたヤギが、ミゼルさんのそばで、嬉しいのか不快なのか、耳をヒクヒクとうごめかしている。
コリーさんとミゼルさんは、しばらく和やかに話すと、ハッとしてわたしの方を見、わたしが固まってしまっていることに、きょとんとする。
何だかバツが悪くなって、わたしはプイと寝返りを打って彼等に背を向けたのだが、わたしは、わたしの中に閃いた確信が、どれくらい正しいものなのか、出来る限り検証してみることにした。
だが、その耳馴染みのある名前と、かつて旅人だったという経歴のふたつの要素だけで、わたしには彼が、サラメーナである日突然、わたしとお母さんの藁小屋に泊まりに来、そして海のおみやげだと言って貝殻と魚の燻製をプレゼントしてくれた、あのコリーさんだという風に思われて仕方がないのだった。