***Side Story***
ミゼルは砂漠の子だった。砂漠に生まれ、砂漠に育ち、物心の付いた頃には、彼女は、自分がいずれ死ぬ時も、きっとその場所は砂漠なのだろうという風に、ぼんやり予想した。彼女にとって、世界は砂漠だったし、砂漠が彼女の世界の全体だった。彼女の知る世界というのは、恐ろしく局限されたものだった。
アルナシルプというのが、彼女の町の名前だった。小さい町で、雰囲気はあまりよくなく、ごろつきがその辺にいて、盗みや殺人といった事件は、さほど珍しいものではかった。
アルナシルプが、生き物にとって厳しい砂漠という環境にあること、また、資源が豊かでないため、しばしば人々の競争がエスカレートし、治安が悪くなりがちであること……そういった諸々の要素によって、砂漠への嫌悪感はあまねく人々の心に根強く存在し、ミゼルの場合も、例外ではなかったのである。
砂漠に暮らすにんげんは、必ずしも町などのきちんと統治された社会集団に属しているとは限らず、中には、ラクダやヤギなどの家畜を伴って水場と植物のあるオアシスを渡って遊牧生活を送る者がおり、だが、彼等は往々にして不便に困苦する貧民であった。更に言えば、彼等、遊牧生活者たちの行く先にオアシスが必ずあるとは限らず、最悪の場合、日照と熱砂に冒され、重い脱水症状にやられて息絶える。そういった者たちの亡骸が、砂漠のあちこちで散見され、砂漠を行く旅人に苦痛と死の戦慄を強烈に与えるのだった。
ミゼルの話の途中だった。
ミゼルは幼少期より、砂漠においては、全てが他者と争い合って勝ち取らなければいけないのだという観念を植え付けられて育った。親に説教されてではなく、現実がそうであり、身の回りの出来事を直視することで、彼女は否応なしに峻厳さを学んだ。多くの者が、他者に対してより優位に、又より有利でありたいと思って積極的に相手をやっつけようとし、あるいは挑戦的に、あるいは狡猾に、あるいは残忍に好んでなっても、ミゼルは違って、どこか夢見がちで、上の空で、あらゆる暴力に対して慈愛とやさしさで抗おうとし、そして惨敗するのだった。
厳しい現実に完膚なきまでに叩きのめされたミゼルは、砂漠の外に思いを馳せるようになっていった。
ある日、アルナシルプに訪問者があった。砂漠の他の町ではなく、ずっと遠くよりやってきたということで、訪問者の男は、あっという間にアルナシルプの人々の口の端に上った。
彼はコリーといい、弱冠十八歳の、まだ若い男だった。
コリーは自分の足でアルナシルプまで来たのではなく、砂漠で倒れているところ、砂漠の向こうまで或る用件で出かけていったアルナシルプの部隊に発見され、運ばれてきたのである。
ミゼルの年齢は彼と同じであり、彼と同齢であると後に知った彼女は、どこか縁を感じずにはいられなかった。
興味を持った彼女は、コリーの世話を積極的に引き受けようとし、両親はひどく忌々しがって渋ったが、娘の熱意に屈し、看護を許した。彼女は、日々回復していくコリーと密に接し、会話を通じて色々と聞いて、そして知っていった。
外の世界のことが気になっていた彼女は、外の世界からやってきた訪問者を質問攻めにし、そうこうしている内に、彼と打ち解け、優しい気持ちで接するようになった。その気持ちが、恋なのだろうと彼女がほのかに自覚するまで、大して時日は要しなかった。
コリーが来たという港町のことが、ミゼルには特に関心の的であり、海というのがその最たる原因だった。
ミゼルは生まれてから一度も『海』というものを見たことがなかった。そして彼女はその『海』が見てみたいのだった。
コリーはミゼルに、わざわざポルトオレアくんだりまで足を運ばなくても、海が見られると教えた。
その話にミゼルは驚いたが、コリーに教えられるまで、この砂漠に海に面するところがあると知らなかったのだった。彼女はずっとアルナシルプで暮らし、町の外に出るなど到底思い付かないことであり、また許されないことだった。町を一歩でも出れば、外は、全てが干からびる炎熱の砂漠なのであり、まず出ていくものはいないのだった。
アルナシルプで警邏だったリベルタという青年はしかし例外で、彼はある日何を思ったのか、単身外へと出ていき、以来、帰ってきていない。ミゼルは彼と親交があり、密かに彼のことが好きだったので、彼がいなくなったと知った時は、ずいぶん落ち込んだものだった。
リベルタは滅多にない砂漠の脱出者だったが、ミゼルは、まさか自分とコリーが、脱出者ではないのに、後にリベルタのように町を出ていくことになるとは、思いも寄らなかった。
その事情はこういうものだった。つまり、アルナシルプが放棄されることになったのである。町の人々は、その他の砂漠の町の人々と連係・合同し、砂漠を超えようと決起した。早い話が、外部への進出だった。すでに進出の足掛かりとなる拠点は彼方にあり、しかし、一気に全員が出向くのではなく、何回かに分けて、それぞれの受け皿がきちんと確保された上で、段階的に人々の移出が行われていくのだった。
コリーはミゼルとの親交を守る要件として、アルナシルプを始めとした砂漠の町全てを統べるギルツァー帝国の企てとその考えに与し、兵士として従軍するつもりだったが、帝国が進出する予定の村で出会った幼い少女のことを想うと気の毒でやるせなく、かなり懊悩した後、苦悶と共に進出に反対した。
だが、結局進出を阻止することは叶わず、コリーは諦観し、ミゼルを大切にしていこうと思い改めたが、アルナシルプの最後の人々が出立する際、その中にまじっていた彼等は、途上でこっそり集団を逸れ、砂埃にまぎれて離脱していった。
そうして、コリーとミゼルは、ほとんどもぬけの殻になった砂漠で、遊牧生活者としていっしょに暮していくことになったのである。
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