世界にはわたしたちしかいないのだ、という気がしてきた。生命の乏しい砂漠での旅は孤独感を募らせるものがあった。
世界は日々、動いている。時は未来へと流れている。海の波よりずっと激しい勢いで、わたしたちの現実を覆って、どこかよく分からない方へと無慈悲にさらっていってしまう。
わたしたちは、時の流れに取り残されたかのようだった。時代そのものと、時代を牽引し、歴史を創造する英雄たちに置いてきぼりにされたのだ。
この砂漠には、コリーさんたち以外にも生活している人々がいると、彼等は言っていた。だが、彼等が分別をわきまえ、利己心を制御できなければ、我欲と我欲が反発し合い、結局また砂漠に残った人々の間で争いが生まれ、互いに殺し、殺され、最後には全員滅亡してしまうのだと思う。
わたしたちは、安住の地を求めてさすらっているが、あるいは、最早この世のどこにも安住の地などないのかも知れない、という風に悲観するようになっていた。時代は乱世であり、どこでも戦争が起き、強者が幅を利かせ、弱者はないがしろにされ、虐げられ、搾取される。
わたしがずっと追い求めてそのためにさんざん苦汁を嘗めてきた『自由』など、一体どこにあるというのだろう。どこに行けば、わたしはあらゆる粗暴さや重圧より解放され、他者とのわずらわしい因縁を断ち、ただ自分の思いだけで生きていけるようになるのだろう。
わたしは、また心細さに挫けてしまいそうだった。
こういう時、お母さんがいないというのは、わたしにとって著しい損失だった。
お母さんのことを思い起こすと、わたしは懐かしい思い出などで気持ちが温かくなると同時に、お母さんの死の弔いが依然まともにできていないことで、激しい自責の念に駆られるのだった。
振り向けば、見えるところにいつも必ずいたお母さん……彼女はわたしにとって、平穏無事の象徴のようだった。今でも呼びかければ返事が返ってきそうに思えるくらい、お母さんは生き生きとわたしの中で命脈を保っていた。遠ざかってなどいなかった。まだわたしは、年齢的に甘えたい盛りであり、そういう気持ちが、いるべき相手の不在で思うように放出できないというのは、子どもの精神的成長にとってよくないだろう。わたしは我慢に我慢を重ねる生活を長く続けて来、いい加減うんざりしていた。
「……クローネ」、とファーチェがわたしの肩によりかかってくる。「まだ歩けるよね」
そう言われ、わたしは遠くに目をやった。コリーさんたちと別れて何日目かの早朝だった。太陽は照り、いささか霞んでいる視界でわたしが確かめてみた限りでは、彼方に山の並びが見えるようだった。右手には海の広がりがあるが、水平線にはひとつの島影さえない。
「行くしかない」、とわたしは淡々と返す。「わたしたちは、後戻りも寄り道もせず、まっすぐ進むだけ」
ティークさんも、わたしたちの中ではいちばん身体的に屈強で優れていたが、悪条件ばかりの砂漠での旅では流石に堪えるようだった。
面倒見のいい、言うべきことはきちんと言ってくれるファーチェ。がっしりした体格で頼もしいティークさん。彼女等それぞれに、わたしの亡くなったお母さんとお父さんのイメージを投影すれば、わたしたち三人は家族だった。家族は一心同体で、常にいっしょなのだった。
わたしは、ずっと念願だった海に来て、欣喜雀躍するのだが、お母さんとお父さんは、どこか呆れたように浮かれているわたしに苦笑している。だけど、海に対する感激は、わたしたち全員にしっかり共有されているのだった。
ぼんやりとわたしは、思い浮かんでくる麗しい幻を眺めていたが、ファーチェが躓いてこけることで、我に返った。
だいじょうぶ、とわたしはすぐさま声掛けすると、ファーチェは困ったように微笑むのだが、顔色がずいぶん悪く、体力の限界の近いことが直感された。
お母さんもお父さんも、いなかった。幻は現実に押し退けられて消え失せ、跡に残ったのは、悲しみと苦しみだけだった。
手を伸ばしてもぎ取ろうとした希望の木の実は、すでに爛熟し、いよいよ傷みはじめているのではなかろうか。