まだ見ぬわたしの碧色【完結】   作:Yuki_Mar12

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(19)Side Story

***Side Story***

 

 

 

 ひとりの少女がいた。彼女は豪商の娘で、それも、他にきょうだいのいない箱入り娘であり、たいそう両親に愛され、恵まれた家庭で物質的に豊かに過ごしたけど、決してスポイルされることのない秀でた人間性を生まれ付き内に有しているのだった。

 

 たいそう愛されたといっても、彼女は、言うこと・することの全てを肯定されてきたわけではなく、許されないことは断固否定されたり、拒まれたりし、そういった時は、彼女は我欲を抑圧し、耐え忍ばなければいけなかった。畢竟、意馬心猿を制御する能力が、にんげんに社会性を与え、彼・彼女をひとつの共同体で他者と共に生きることができるようにするのではなかろうか。

 

 話を元に戻す。少女は豪商の娘として、おおむね伸び伸びと過ごした。父は莫大なる財産に物言わせ、種々のぜいたく品を持っていたが、私腹を肥やすばかりでなく、何人もいる小間使いを雇い、彼等を食べさせていた。食事がちゃんと出来なければ、労働もまた出来ないという考えが、彼にはあった。父は人望があり、慕われ、彼がその内に属する国は豊かで、安泰だった。

 

 父は自由に使うことのできる帆船を所有していた。また、彼はしばしば愛娘を隊商に組み込み、交易に同伴させた。少女は父の手伝いが決して嫌いではなく、陸路・海路を数日間旅してあちこちに行くのは楽しかった。

 

 少女がおおむね十歳を超えた頃より、父娘の船旅の習慣が始まった。父は娘に商売の手ほどきを旅がてらしようと企てていた。少女の母は父のその企てに理解を示しており、男がやるものと相場で決まっている商人に、娘が将来なるという構想に、同意していた。

 

 陸路ではなく海路を使った旅が主であり、少女はふるさとの港町を始点に方々に航海し、父と取引のある得意先を訪れることで、当地の文化や、特産物や、地理などを知り、そして学んだ。父が親しい客と談笑している姿、父に雇われた人夫が大量の荷物を運搬する姿、船員が船で整備する姿、そういった数々のシーンを彼女は目にし、商人が普段どういう環境にいるのかということを覚えていった。

 

 船旅は常に順風満帆というわけには行かず、海賊が現れて小競り合いになることや、風が凪いで帆船の進みが遅くなることなど、いくつかのトラブルに見舞われることが、なくはなかった。

 

 空のよく晴れた秋日和の一日、父娘の帆船が航海している途中、見慣れない陸地が彼方に見え、少女は関心を持った。

 

 彼女が今までぼんやり甲板より見てきたのは、到着する予定の港町の船着場や、通り過ぎるだけの低い山々の稜線だった。

 

 だが、彼女がその日見た陸地は、今までのものと趣きが違ったので、ほくほくした気持ちで、船室でゆっくりしている父のところへ走っていき、見て欲しいものがあるとせがんで彼を甲板まで引っ張りだすと、彼は意味ありげに頷き、娘にちょっと行ってみようかと提案した。彼は特に急ぐ用事もないので、寄り道は可能だった。

 

 指示がくだって船員が舵を操り、帆船の進行方向が、少女の行きたがっている陸地の方に変更された。

 

 そこは、港はおろか、何もかも一切ない不毛の土地――砂漠なのだった。

 

 船が停止すると、少女は下りようとしたが、まともに船を停めておけるところがないので、仕方なくはしごで海に下りて砂浜まで泳いでいくことにした。父は娘には同行せず、娘の世話役の小間使いの女に行かせた。

 

 少女は器用に泳いでいき、砂浜に上がった。

 

 彼女が手で足元の砂を掬うと、砂の粒子は細かく、掬ったそばからサラサラとこぼれていった。

 

 砂漠に来るのは少女は初めてだった。彼女は小間使いにここはどういうところなのか尋ねた。小間使いは砂漠だと答えたが、砂漠を知らなかった少女には、その意味がしっくりせず、何となくこの世ではない異世界に足を踏み入れた感じがした。この砂漠という世界は、昔から変わらずこうで、未来永劫こうあり続けるのだろうかと、彼女は思案した。

 

 少女は、海岸線に平行になるように立ち、砂浜と海の波が行き来する境界線をずっと彼方までしばらく見遣ると、首だけで後ろを振り返り、同じように遠くまで見晴るかした。その後体の向きを変え、砂漠の方へとちょっと進んでみれば、足が竦むほど荒漠たる砂原が続いていた。

 

 辺り一面、生命の気配が絶えてなかった。繰り返し打ち寄せたり引いたりする海の波と、曲線を描いて巡る太陽と、空に浮かぶ雲だけが、かろうじて砂漠で生きているといえるものだった。動物、虫などの生物は全く見えず、この砂漠ではきっと、生きることは無理なのだろうと、少女は直感した。

 

 遠くの方で小間使いが間が悪そうに立ち尽くして少女を見守っていたが、面倒臭いのか、困った表情をしていた。

 

 辺りに何もないことを確認し、そろそろ帰ろうかと思い始めた頃、少女はふと、何かの存在の気配が、出し抜けに、微かにしたことに気が付いた。少女は辺りをサッと見回し、一体何だろうかと確かめてみたが、見えるのはやはり、砂原ばかりだった。

 

 気のせいだったのかと怪訝に思い、少女がちょっと歩いてみると、柔らかい砂に沈み込んだ足が、砂中に埋まる何かに触れた。

 

 少女がしゃがんで両手で砂を掻いていくと、埋もれていたものが露わになり、彼女の手に取り上げられ、天日に晒された。

 

 砂まみれでよく分からないが、布のようだった。その上で横になれるくらい、大きい布だ

 

 少女がその布のすみを持って宙で伸びるように、パンという音を立てて波打たせると、かぶっている砂のほとんどが落ちた。

 

 マントのようだった。

 

 少女は刹那、この砂漠はずっと無人だったわけではないことを悟った。誰かがいたのだ。何のためにかは定かではないが。

 

 少女は、布を鼻のそばまで持って来、においを嗅いでみると、ほとんど無臭なのだが、微かに体臭と思しきにおいがしみ付いているように思われた。気のせいだと言ってしまえば、そうなのだが。

 

 少女は、思わず身震いした。確かにここは無人であり、無人である以外にあり得ない不毛さが支配する砂漠だった。だが、さっき何かの存在を感じさせた気配は、あるいは気のせいではなかったのだろうか。

 

 このマントには、少女は、何かが宿っている気がした。このマントは恐らく、どれくらい前なのか定かではないが、かつて誰かが羽織っていたものであり、そしてその誰かは、いなくなって、マントだけが残されることになった。そうなった経緯はまるで思い浮かべることが叶わないが、このマントは、羽織っていた者の人生、歴史を知っていて、内に宿している。半ば不気味で、半ば興味深いものだった。

 

 小間使いは、薄汚れたボロ切れなど打ち捨てて早く船に戻ろうと促すのだが、少女は聞かず、マントをちょっと羽織ってみて、その感覚に身を委ねてみた。

 

 頭まで覆えるマントを羽織ると、小間使いの小うるさい声や波風の音がマント越しに聞こえるようになり、ちょっとぼやけて遠のいたようだった。

 

 少女だって、決して嬉々としてこのボロ切れを手にしているのではない、確かにあったと思われる閃きが導いて拾わせたものであり、ただのゴミではなく、誰かの遺志が宿っているようであり、だが、少女はそのことを大真面目に信じようとは思わず、取りあえず持ち帰るだけ持ち帰り、洗濯して、使えるようであれば使おうという程度の思いだった。

 

 しばらくして、砂漠は再び無人に戻り、少女と小間使いは船に戻って、跡には、砂浜を濡らす波と、ヒュウと歌う風の他には、何も残らなかった。

 

 

 

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