ファーチェとティークさんの足が完全に止まった。彼女等にとって、これ以上進むことは困難そうだった。
夜明けの時だった。淡い日照が砂原に差し、波が静かに浜辺に打ち寄せている。
わたしも彼等と大して変わらず、ほとんど体力が残っていなかった。行くべき道のりはまだ残っている。歩き続けることはできなくはないが、続行したところで行ける距離は高が知れている。
二本足で立っているわたしは、後ろを振り向き、ふたりを見下ろす格好になる。
ファーチェは完全に砂上に倒れて横になっており、ティークさんは四つん這いの恰好で、背中を荒い呼吸で上下させている。ふたりとも、気息奄々という具合だ。
「ごめん。クローネ」、とファーチェ。「わたし、ちょっと休ませてほしい」
「大の男が、足手纏いになって申し訳ない」
そう言うティークさんは、悔しそうに歯を食いしばっている。
ぼやけた目でふたりを見ていると、わたしは、はて、ファーチェもティークさんも、前からこういう顔だっただろうか、という疑いが芽生えた。
ふたりとも、人相が変わったように見える。率直に言って、見目麗しいものではない。不健康で疲れたにんげんの顔そのものだった。だが、思うに望まない苦行に耐えないといけない心労が嵩んだことで、彼等の面立ちは歪んでしまったのだろう。
「クローネは先に行って。わたしたちは後でちゃんと追い付くから」
「ファーチェ、ダメだよ。砂漠でバラバラになっちゃダメ。みんなで固まっているのが安全なんだって、ファーチェが言ってたじゃない」
「きっと大丈夫だよ。どの道わたしたちは海に沿っていくんだから、迷うことはない。まっすぐに歩いていくだけ」
ふと、わたしの脳裡に、龍の谷での模様がフラッシュバックした。燃え広がる炎の中で、わたしとガルドが、お母さんを間に挟んで対峙している。わたしはお母さんを連れて帰ろうとするのだが、ガルドに妨げられ、弱っていたお母さんは彼に虐殺される。
二度と思い出したくない、悪夢の如き場面だった。
わたしはにわかに不安に駆られ、衝動的にファーチェのもとへと行って腕を掴み、力を込めて引っ張り上げようとする。
「クローネ」、とファーチェが呻きと共に呼びかける。「やめて。痛い。痛いの」
「あっ……ごめん」
知らない内にわたしは、必要以上の力を込めてしまっていたようだ。
わたしは、その細い腕を掴んでいる手の力を緩め、ファーチェを放すと、来た道の方に目を投じた。これから行くべき道が続く方の風景とそっくりの風景が続いていた。わたしたちはずいぶん歩いてきたようだが、思ったほど進行していないのかも知れない。そう考えると、胸が悪くなってくるようだった。
わたしたちを追いかけ、襲う敵はいない。だが、わたしには、わたしたちに向かって、来た道の方より、何かよくないものを孕む暗雲が押し寄せてきているように思えて仕方がなかった。
「わたしもいっしょに休むよ」、とわたし。「ふたりを置き去りになんて出来ないもの」
そう提案したが、ファーチェは首を左右に振って否定した。「わたしたちは、すぐには回復しないと思う。その時間にクローネを付き合わせるのは悪いよ」
「時間の長い・短いなんてどうだっていいよ。とにかくわたしたちは離れ離れになっちゃダメなんだってば」
わたしは、うっすら予感がしていた。ここでふたりと別れたが最後、わたしたちは多分、再会することはない。その理由は……。
四つん這いだったはずのティークさんは、うつ伏せに倒れており、ただ横たわっているのか、睡眠しているのか、釈然としなかった。ただ、背中は呼吸に合わせて上下しているのだった。
「ねぇ、ファーチェ」、とわたし。「選択は、いつの場合も一回限りで、間違いは許されないって言ったこと、覚えてる?」
彼女はコクリと頷く。
「わたしは、海に行きたいって言って、実際に来てみたけど、わたしの選択は、正しかったのかな、間違ってたのかな」
「正しかったと思えばそうだし、間違ったと思えば、やっぱりそうじゃないのかな」
「わたしの気持ち次第、ということだね」
「そう」、とファーチェは頷いて微笑む。「わたしは、クローネの選択は決して間違いだったなんて思わないよ。仮にわたしたちが、結局どこにも行けずに終わったとしても、わたしはクローネのせいにしたりしない」
やさしい言葉をかけてくれるファーチェの瞳を、わたしは見つめていた。そしてわたしは、彼女の瞳の輝きが、日が昇ってきたにも関わらず、話の間、段々と濁り、淀んでいくのが分かった。わたしの悟性は、そうなると思われる未来を掴んだ気がした。
思えばファーチェは、サラメーナで知り合った仲だけど、以来ずっといっしょに行動している。お母さんが亡くなって以後、わたしは、自覚しない内に、ファーチェを母親のように慕っていたのではないだろうか。彼女がかけてくれた言葉の響きを顧みると、お母さんの声がダブって聞こえる気がする。そう思うと、俄然わたしには、ファーチェが頼もしく、愛おしく、大切に思えてくる。
「砂漠でブラブラしてる時間なんてない。だから、まだ歩けるクローネは、先に行って、港を探してきて欲しい。これは、わたしのお願い」
そう言って、ファーチェは片手を宙に差し出す。その手は小刻みに弱弱しく震え、砂まみれで、乾ききっている。
わたしは膝を突いて彼女を見つめ、その手をそっと掴んで、本心とは裏腹に、「分かった」と答える。
ファーチェは微笑んだが、わたしは、溢れてきそうになる涙をこらえて力むことで顔がこわばり、微笑み返すことが出来なかった。
ファーチェは深い眠りに付いた。わたしは彼女の羽織るマントを整え、寒くないようにしてあげた。ティークさんも、忘れずに。
わたしは立ち上がり、寝ているファーチェとティークさんを見下ろす。
そして「じゃあね」、と別れを告げる。
振り返り、行くべき方へと体を向ける。
風が立ち、その肌ざわりは冷たい。秋が深まっているのだろう。
――わたしはまた、こうしてひとりぼっちになってしまった。
旅はまだ終わっていない。終わっていない旅は、続けないといけない。
わたしは歩き出す。誰もそばにいなくてひどく心細いけど、わたしにはたくさんの思い出がある。その思い出が、いなくなってしまった人たちの代わりになって、わたしを支えてくれている気がする。