違和感を抱えたまま教室を後にしたナカヤマは、学園内を彷徨う。静まり返った廊下や夜風が吹き抜ける場所を歩きながら、自分の居場所について考えるうちに、ある人物と出会う。そして、その出会いがナカヤマに小さな変化をもたらそうとしていた――。
教室の中、笑い声が弾けた。
ゴールドシップが大げさな仕草を繰り返し、オルフェーヴルが鼻で笑いながら応じ、ドリームジャーニーが控えめに微笑んで相槌を打つ。そのやり取りが夕陽に染まった教室に響き、彼らの姿は影絵のように床に揺れていた。
夕陽が光と影の境界を刻む中、その輪の端に立つナカヤマは何も言わずにじっと見つめていた。
そのとき、夕陽を背にメジロマックイーンが澄んだ声でふっと言葉を発した。
瞬間、ナカヤマの肩がすくむ。
彼女たちの輪の中で、ナカヤマはどこか近寄りがたさを感じていた。ゴールドシップが大げさに動き回り、オルフェーヴルが冷静な笑みを浮かべて応じる。ドリームジャーニーは控えめに微笑み、二人のやり取りを眺めている。普段なら、ナカヤマもその輪に入り、笑顔が自然と浮かんでいた。
しかし、メジロマックイーンが加わると空気が微かに変わる。彼女の品のある佇まいに、ナカヤマは圧倒されるような感覚を覚える。まるで、自分だけがここにいるべきではないのかもしれない――そんな思いが、胸の奥で静かに膨らんでいくのだ。
「わりぃ、そろそろ用事が」
ためらいがちに口にすると、教室の空気がわずかに揺らいだ気がした。
ゴールドシップは、一瞬だけナカヤマをじっと見た。まるで、何かを探るようなその視線が微かに動き、そのあと、柔らかい笑みを浮かべて肩をすくめる。
「おい、どこ行くんだよ?一人で探検でもする気か?」
オルフェーヴルはちらりと視線を送ったが、何事もなかったかのようにすぐに逸らした。ドリームジャーニーは控えめに微笑み、何かを言いかけたようだったが、結局それ以上は何も言わなかった。
最後に、メジロマックイーンが穏やかな視線でナカヤマを見つめ、「ナカヤマさん、お疲れ様」と声をかけた。その柔らかな声が、静かに線を引くようにナカヤマの胸に響いた。その線の先に、彼女の言葉に込められた真意があるように思えた。
ナカヤマは胸の中に生まれたその感覚を持て余すように、一瞬だけ視線を彷徨わせた。しかし、何も掴めないまま、視線を逸らし、踵を返した。背後から聞こえる笑い声が徐々に遠ざかっていく。
静かな廊下に、自分の足音だけが響く。その音に紛れるように、微かに耳に残る笑い声――ナカヤマの胸の中で、静かに消えずに揺れていた。
そのあと、ナカヤマは暗い学園内を彷徨い続けた。
誰もいない廊下。冷えた空気が肌にまとわりつく。
ふと足が止まり、普段は近づかない理科準備室の扉に手をかける。中には、埃をかぶった棚や瓶が薄闇に沈んでいた。その隙間を見つめるうち、自分の胸の奥にも同じように何かが沈殿しているのを感じる。ただ、それが何かはわからない。
次に向かったのは体育館脇の非常階段だった。背中で冷たい鉄の感触を確かめながら、静かに腰を下ろす。夜風が頬を撫で、微かな音を運んでくる。木々がざわめいているのか、それとも街の遠い喧騒か。風が冷たさを残して去ったあと、孤独の中に小さな心地よさが芽生える。けれど、それはすぐに胸の奥のざわつきに飲み込まれる。風は背中を押すようで、何処へも導かない。
最後に辿り着いたのは、旧棟の屋上だった。重い扉を押し開けると、夜の空気がひんやりと頬を撫でる。目の前には、黒く沈んだ学園の風景。その向こうで、栗東寮だけが小さな灯りを揺らしている。
その光が視界に入ると、足が自然と動き出していた。理由はわからない。ただ、あの光のほうへ。
まるで、行き先もわからぬまま灯りを目指す夜の蝶のように。
栗東寮のエントランスに足を踏み入れると、静けさの中にひんやりとした空気が漂い、その冷たさが胸の奥に染み込む。まだ拭えないかすかな孤独が、空気に溶け込んでいるかのようだった。頼りなく視線がさまよう。
そのとき、不意に声がかかった。
「ナカヤマさん?」
ドリームジャーニーの声だった。肩がぎくりと反応する。なぜか、少し構えてしまう自分に気づく。どう返せばいいのか分からないまま、振り返った。
ドリームジャーニーが身に余る大きな段ボールを抱えていた。こちらに一歩近づこうとする。ふらり、バランスを崩す。反射的に手を伸ばし、支えた。
「おっと…申し訳ないです、なにぶん体が小さいものですから。」
ドリームジャーニーが少し気まずそうに笑った。
その仕草に、さっきまで感じていた孤独がふっと和らいでいくのを感じる。
「そんなに大きいなら、誰かに頼めばよかったんじゃないか?」
気づけば、自然に口から出ていた。
ドリームジャーニーは少し照れくさそうに肩をすくめた。「そう思ったんですが、皆さん忙しくて頼める人がいなくて……それに、両親からの荷物なので、なんとなく自分で運びたかったんです。」
「……ああ、そうか。」
それ以上何も言わず、ふとドリームジャーニーの表情を見つめた。
「次からは、他の人に頼むことにしますね。でも、ナカヤマさんがいてくれて助かりました。もしよろしければ、部屋まで手伝ってもらっても?」
断る理由もなく、私はドリームジャーニーの部屋まで段ボールを運ぶことにした。
廊下を歩く間、胸の奥にじんわりとした温もりがこびりついていた。歩を進めても、それは消えることなく微かに残り続けた。
部屋に着き、段ボールを下ろすと、ドリームジャーニーが礼を言って、お茶をすすめてきた。
「ありがとうございます、ナカヤマさん。お礼に、少しお茶でもどうですか?両親がいいハーブを送ってくれたんです。」
私は軽く頷き、ドリームジャーニーの後について部屋の中へ入った。部屋は整然としていた。が、ただその中に一際目を引く一角があった。オルフェーヴルの個性的な私物がきらびやかに並べられており、目を奪われる装飾品や小物が、まるでオルフェーヴルの存在をそこに象徴するかのように鎮座していた。すべてが完璧に整頓されているものの、その規律が逆に異様な静けさを強調しているように感じられた。
視線をめぐらせ、思わず口を開く。
「……オルフェは?」
ドリームジャーニーが少し首を傾げ、控えめな声で言った。
「さっき部屋を出ていったのですけど……どこかに向かうような感じでしたね。」
私はほんの一瞬だけうなずき、ためらいを感じながら席に腰を下ろした。
「お茶にしましょうか。」
ドリームジャーニーの声は控えめで、静かな部屋の中で心地よく響いた。言葉少なに準備をする彼女の動作に合わせて、部屋には穏やかな時間が流れ、やがて、ティーカップにお湯が注がれる小さな音だけが静寂を刻んだ。
私はそっとカップを手に取り、熱いお茶を一口含む。湯気の向こうでドリームジャーニーも、静かにカップを手に取った。かちゃり……と陶器がわずかに擦れる音が耳に届く。この静けさに包まれていると、いつの間にか肩に入っていた力が抜けていくのに気づく。胸の奥で何かがほぐれていく気がした。
私がカップをテーブルに戻すと、微かな音が静かな部屋に響き、消えた。その音に導かれるようににふと視線が棚へ向かう。さっき目にしたオルフェーヴルの私物が、再び強烈に視界に飛び込んでくる。きらびやかな装飾品や小物たち――そのすべてが、この部屋に「彼女」の存在を刻みつけているかのようだ。まるで、「ここは私の場所だ」と言わんばかりに。
この場所が、やはり自分のいるべきところではないのかもしれない――そんな思いが、かすかなざわめきとなって胸を掠める。
気づけば、手元のカップの金属製の取っ手を指先でなぞっていた。磨き込まれたカップの表面に、ぼんやりと自分の顔が映り込む。まるで知らない誰かのように見えるその顔を見つめるうちに、居心地の悪さがじわりと広がっていった。
「……オルフェって、本当に目立つな。」
小さくそう漏らすと、隣でドリームジャーニーが静かに笑った。
「ええ、彼女はどこにいても、自然と皆の注目を集めますね。」
そう言ってドリームジャーニーは静かに微笑んだあと、少しの間考え込むようにして、棚からひとつのネックレスを取り出し、ゆったりと机の上に置いた。それは、オルフェーヴルにしては控えめなデザインのネックレスだった。
「……試しに、つけてみませんか?」
一瞬ネックレスに手を伸ばしかけて、ふと動きを止めた。なんの変哲もない、ただのほんのわずかなその距離が、オルフェーヴルとの間にあるべき境界のように感じられたからだ。
「いや、見ているだけで十分だ。」
ドリームジャーニーが「そうですか。残念です。似合うとおも――――
「試せばよい」
荘厳な声。思わず振り向く。オルフェーヴルが立っている。
「オル……」と、ドリームジャーニーが小さく声を漏らす。カツカツと足音が響き、オルフェーヴルがすぐ近くまで歩み寄ってきた。目の前で立ち止まったオルフェーヴルは瞬間ネックレスに鋭い視線を向けたかと思うと、次の瞬間には、まるで薄氷をすくうかのように、丁寧に、ネックレスを手に取った。そして静かに身を翻し、ふっと視界の端から外れた。気配だけが背中に近づく。気配がどんどん迫って、ふと空気も静止した。そして、ほんのすこしの間があって、温もりを帯びた金属が首元に、そっと降りてきた。
不意に、視界の片隅にわずかに微笑むドリームジャーニーの姿が映った。いつの間にか優しく鏡を差し出している。鏡に映る私の首元でネックレスがきらりと光っている。オルフェーヴルが背後で腕を組み、見定めるような目でこちらを見ている。
「やはり、博打屋には馴染むな。」
そう言って、オルフェーヴルが満足そうに微笑んだ。
ナカヤマが部屋を出たあと、ドリームジャーニーは一瞬その背中を見送り、ふっと微笑んだ。
あの人とマックイーンさんが並ぶ姿は、どうしても想像できない。何もかもが微妙に噛み合わないのだろう。それでも、去り際に浮かんだナカヤマさんの表情は――安心しきったような、柔らかなものだった。
ドリームジャーニーは、理科準備室や非常階段で感じた冷たさをふと思い出しながら、袖についたわずかなホコリをそっと払った。