無双†転生   作:所長

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 2話までが旧第一章からの差し替えになります。



1-1 天水の江陵

「あー」

 

 魂が抜けるような、気だるい午後の欠伸のような、何かを納得するかのような、諦めを含んだような微妙な嘆きの音が漏れる。

 小さな口、小さな顔、小さな身体、やや高い声。まるきり子供姿になり果てた男、空海である。

 声を漏らす前に把握していたいくつかの衝撃的な事実に折り合いをつけるため、何とはなしに声を漏らしたのだが……結果的には、自分の身体の変化という更に衝撃的な事実が積み重なって言葉を失う。

 

「……ちいせぇ」

 

 まず視界が低くなっているのだ。見知らぬ土地で見知らぬ風景で見知らぬ白い着物青い羽織姿をしている上に、背丈まで変わっていた。元々身長が低かったため視界の低さには敏感なのだ。

 おまけに口にした台詞も音が高く、声変わり前と言われても違和感がない。

 

「でけぇ」

 

 目の前の川が、である。目の前と言っても川まで1㎞近くはあるだろう。そして、それほど離れて見ているにも関わらず、大河の流れは地面の何割かを彩っている。

 一見、何の因果関係も見いだせない空海と目の前の川だが、今、空海は壮大な自然と身長との対比に理不尽を感じていた。

 

「くっそ。なんで俺はちっちゃくなってるのに……お前はでかいんだパンチ!」

 

 

 川が消えた。

 

 

「……えー? うっそーマジー? 消滅が許されるのは小学生(反物質)までだよねー!」

 

 消えていた。

 

「――マジで?」

 

 

「えー。検証の結果、川を作るとセットで魚も出来ることが判明した」

 

 検証などと言っているが慌てて作り直しただけである。一方で身体能力が向上していることも判明した。その場から一歩も動かずに1㎞も先にある水中で泳いでいる小魚の姿を視界に捕らえたのだ。普通の人間なら船で魚の真上まで近づいても見えないだろう。

 背後から聞こえる木々の間を風が通り抜ける音ですらも何メートル何ミリ離れた所から発生したものなのかが感覚的に理解できるし、頑張れば左前方5㎞ほどの位置に街があること、さらに30㎞ほど先や右前方40㎞ほどの位置には城壁に囲まれた都市が存在することもわかった。

 

「なるほど……わからん」

 

 川を作り直してわかったことと言えば、思った通りに力が使えるということくらいだ。

 川が作れれば十分かもしれないが、能力はもっと出来ると囁いて――実際に空海の頭に説明が浮かんでいた。操作マニュアルのごとく。

 ()()()()()()()程度の能力。

 ()()()()()パンチが撃てる。山とか川とか海とか作れる。金とか無限に作れる。月とか宇宙とか作れる能力。お湯や水が無限に湧き出る泉とか作れる。人間では傷つけられないような堅い物質とか、綿飴のように柔らかいのに絶対にちぎれない物質とか作れる。あらゆる物質を()()()()()()()()()()にできる能力。

 概念を加えさえすれば建物を倒れないように出来るし、空中に建物を固定することも、空中を漂う建物を作ることも可能。ラピュタは本当にあった、もとい、作れるのだ。

 どう見ても数学と物理学と土木工事とその他諸々に喧嘩を売っている。

 

「だが、オリジナルの空海もその辺をつついて温泉を作っていたんだから、温泉くらいは作れても不思議はない――のか? まあいいや、温泉作ろう」

 

 今は癒やしが必要だ。空海は超新星とか明らかにヤバそうなもの全てを後回しにした。

 

 

 

「風゛呂リー……です」

 

 いいお湯である。睡眠が必要ない神も、薄ぼんやりと眠気くらいは感じられる。空海は癒やし効果を求めて作った温泉を心底活用するつもりだった。現実逃避の一環として。

 

 いざ風呂に入ろうか、と思った時になって気がついたのだが、空海は着物の着付けなど出来ないし洗濯の方法などもわからない。どうしようかと悩んだとき、脳裏に閃くものがあった。それは――着物の説明書である。

 思わず「なんでやねん」と叫んでしまった空海に罪はないだろう。

 頭に浮かんだ説明では、汚れない、(着衣のまま)丸洗い可、自浄機能、自己進化機能、自動防御機能、温湿度調整機能、消臭殺菌だの殺虫だの粛正だの諸々やってくれるとか。

 簡単に言えば使えば使うほど綺麗になっていく服だそうだ。あと身につけたいと思えば勝手に装着される便利機能付き。脱ぎたいときも同じく。情緒がない。

 ここまでの説明をゆっくりとかみ砕いて理解した空海は、もう一度「なんでやねん」と呟いて温泉に沈んだ。お湯の中で着物を脱いだり着たりして遊んだのは秘密である。

 

 

「うーん……どうしようかなぁ」

 

 空海は湯船につかったまま呟く。悩んでいるのは今後の方針だ。

 神という種族は年を取らないし桁違いに強い。であればこそ集団に受け入れられるのは難しいし、一部の人間にとってはどんな手段を用いても手に入れたい諸々がある。そしてそういった諸々に執着する人間、他者の若さや強さなどを求める人間は、他者の持つもので自身を満たしてきた者達の間にこそ多いだろうと予想できた。

 つまり、権力者に追われまくるどどめ色の未来だ。

 

「ぐぬぬ。逃げることは簡単なんだけど……ぶくぶくぶく」

 

 逃げたり隠れたりすることは難しくない。身体スペック的にはジャンプ一つで太陽系を脱出できるし、呼吸も必要ないし睡眠も不要なので火の中水の中土の中で何十年も動きを止めていれば相手もいずれ忘れるか諦めるかするだろう。

 しかし、だ。天照も言っていたではないか、と空海は自身に言い訳する。知らない男の人にホイホイついて行ったり知らない女の人にホイホイ真名を許したり利率3%を超える国債に手出ししなければ好きにやっていいと。天照の言うことも一理ある。確かに国債の利率は流動的であるため、きわどい指標で運用していたらいつの間にか3%を超えていたなんてこともあるかもしれないが、他の二つは見たらわかるのだから。

 一言でまとめると寂しいので人に関わりたい。独り言が多いのもそのせいだ。

 

「となれば、関わっても不都合が出ないようにしなくてはいけないからー」

 

 空海は2秒ほど真剣に考え、結論した。

 

「日本人らしく形容しがたい日本のようなものを作ればいいのでは?」

 

 商売っ気とテクノロジーと海的なもので、戦うより味方にした方が得という立ち位置の国を作り、そこの権力者となるのだ。しかしそれには一つの問題がある。

 

「せっかく三国志っぽい土地にきたのに、なぜ日本に戻って政治家の真似事をしなくてはならないのか? ――っていうか、結果的に神になるなら近未来東京を再現できる能力が欲しかった……ぶくぶくぶく」

 

 空海は30秒だけ凹んでから水面に浮かび上がる。

 

「……んー、三国志のマップに使えそうなところってなかったっけ?」

 

 地方。幽州とか交州とかだ。地方は比較的守りやすいが仮想敵国から見て後背に当たる場合がある。そうなれば、相手は領地の安定のため、別の敵国への対応のために積極的に平定を狙ってくることだろう。三国へと集約することがわかっているのに一国の後ろ側に隠れるような土地で勢力を築いても防衛が難しくなるだけだ。

 中央。意外と狙い目かもしれない。中原スタートの曹操プレイでは、周辺勢力との間に友好関係を築いて周辺勢力同士がつぶし合っている間に一点突破で勢力を伸ばすのが全土制圧への近道だ。しかし、反董卓連合という歴史も存在する。強大すぎる権力を一勢力が手にした場合、その手段次第では全土をまとめて敵に回すことになることもある。

 ならば、現在の中央からは外れていて、将来の三国における係争地。荊州襄陽や江陵、漢寿、江夏あたりならどういうことが出来るだろうか。

 

 ――なかなか良いんじゃないか?

 

 空海は浮かんだ考えを自画自賛してみる。

 例えば孫権になりきって考えてみよう。彼は長江下流の呉から北の魏や西の蜀を狙うが長江上流の江陵や江夏を二国に奪われれば呉の危機だ。出来れば奪いたいが、相手が強いのなら最低でも中立であって欲しい。

 曹操になりきって考える。魏にしてみれば呉や蜀を狙う足がかりに必須の襄陽や江陵は南方への出入り口の一つにあたるはずだ。だが、最大勢力の曹操にとっては必須でない、という事実も重要だ。他に取られたくはないがなくても道は存在する。

 劉備なら、蜀にとって二国への出口になる襄陽と江陵。特に呉への通過点として必須の経路だ。魏へは他の道もなくはないが、敵国に抑えられることは避けたい土地でもある。

 

 それらの都市は、敵国に奪われて欲しくない立地にあるのは間違いない。なら、そこに他の理由も加わればどうなるだろう。

 例えば攻撃を考える幹部たちがその地の出身者で、その地を深く愛しているとか。

 例えば攻撃を考える国では普段からその地と大量の商取引を行っているとか。

 例えば攻撃を考える国の民は他所から来た君主よりその地に愛着を持っているとか。

 敵国に奪われては困るからその地の防衛を手伝うように動かざるを得ないだとか。

 

 考えれば考えるほどに、空海にはこの発想が優れたものに感じられた。漫画で培った三国志知識と戦略ゲームで培った直感が合わさり最強に見える。

 

 ――フフフ、いいぞ! 冴え渡れ、小覇王出陣シナリオを呂布プレイで勝ち抜ける俺の戦略眼! 名付けて天下三.五分の計ッ!

 

「うん。襄陽か江陵か江夏だな!」

 

 空海は最後まで、三国が競い合ってその土地を狙ってくる可能性に気が付かなかった。

 

 

 

「よし! 行くか!」

 

 山の斜面に立った空海が夕闇を見渡して頷く。

 温泉でのんびりしている間に、西(だろう)にある山間に日は沈み世界は薄明に包まれていた。

 

「方角よし!」

 

 大体の東西南北を指差して目印になりそうな地形などを確認する。

 

「秘密基地よし!」

 

 背後の斜面に作られた怪しげな入り口――無限湧きの温泉、当面の活動記録を残すための机や本棚を備えた活動拠点のそれを指差して満足げに頷く。

 

「次っ! 能力確認!」

 

 ちょっと確認のために――比較的に難しいだろう――超新星を作ってみようかと考え、全天から目立たない場所を検討し、南側の星座の方が見づらかったことを思い出して南の空の外れに作れば目立たないのではないかと楽観的に結論して山を登る。

 

「ぜーはー……とは一体なんだったのか。まったく疲れない。なんだこれ絶好調」

 

 空海は標高にして100メートルか200メートルかというその山を登り切ると周りを見回し、数㎞西に一回り高い山を発見してジャンプで向かう。そしてまた頂上から南西の方角に跳んで、今度こそ南の空を見つめる。

 いよいよ超新星爆発を生で見られるんだ、と。

 

 ――しかし1000光年じゃ威力が大きすぎたときに地球がヤバいな……1万光年まで行くと怯えすぎのような気がするし。遠いと暗くなる、よな?

 

 数百光年内で巨大な超新星爆発が起こった場合、オゾン層に著しい影響が発生して生態系への重大な悪影響が引き起こされる可能性がある。という情報をテレビで聞いたことのあった空海は若干ビビっていた。

 

 ――あ、でもそしたら過去に爆発させておかなきゃならんのか。出来るけど。それなら……よし。よし、8000光年先だ!

 

 若干日和った空海は拳を固める。

 

「祝! 方針決定!」

 

 松の木の枝に腰掛けたまま少しだけ身体をひねって、南の空の明るい星の横を睨む。

 

「8000年前、あの方向8000光年先に()()()()()パンチ!」

 

 

 

 歴史書『後漢書』の天文志にはこうある。

『十月癸亥、客星出南門中、大如半筵、五色喜怒、稍小、至后年六月消』

 中平二年十月癸亥(西暦185年12月7日)、南門(ケンタウルス座)に突如として眩い星(客星)が現れた。

 大陸南方の地でかろうじて南の空の端に浮かぶそれは、8ヶ月もの間、夜空で()()()()()()となった。

 

 世の乱れが徐々に顕わとなった時代、人々はこれを凶事の前触れと捉えたという。

 

 

 

 空海は音を置き去りにして星と反対側に逃げ出し、雲を引きながら川に飛び込んだ。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「ご降臨お慶び申し上げます」

 

 イケメンの少年が棒読みで告げた。

 

「う、うん」

 

 道士風、とでも言えばいいのだろうか。ゆったりとした、そしてかなり仕立ての良い服に身を包んだイケメンの少年と、少年と同じく道士風の装束を身に纏ったイケメン眼鏡の青年、紐パン装着のボディビルダー風な筋肉に三つ編みが生えたものと、布製のビキニの様な装束を変態チックな燕尾服で隠した筋肉ヒゲが空海の前で(かしず)いている。

 

「とりあえず、なんでここがわかったの?」

 

 およそ12時間前に幅千数百メートルはあろうかという巨大な川に飛び込んだ空海は、約10時間の死んだふりと約2時間の瞑想の果てに自然の摂理として東の空に昇った光の塊を見て「そうだ、太陽も明るいんだから問題ない」と結論し、川岸に上陸していた。

 そして、付近の人里を目指して数分進んだ所で4人に捕まったのだ。

 

「大御神より遣わされましたので」

 

 見た目に知的なイケメン眼鏡青年が落ち着いた声で答える。

 

「なるほどなるほど」

 

 空海は「お天道様には隠し事が出来ないということか」と笑う。最初から全部見られていたのではないかと内心焦っていたのだ。

 

「そういえば、ここが何処だかわかる?」

「荊州南郡は江陵県の南です」

「おお、江陵? ……へぇー、江陵。……。計算通り(ニヤリ)」

 

 空海の心情を一言で表すなら「もうここでいいや」である。

 本命の地はおざなりに決まった。

 

「お前たちは……えーと、名前は?」

 

 何かを言いかけた空海が呼び方に迷い、4人に尋ねる。

 

()(きつ)と申します」

 

 最初に答えたのは眼鏡の青年だ。優しげな風貌ではあるものの表情を動かさないことに空海は気付いていた。道士風の服装といい、仙人のように何かしらを悟った存在なのかもしれない。

 

()()

 

 イケメン少年が簡潔に告げる。こちらは逆に表情豊かといった所だろうか、ふて腐れたような態度はとても道士や仙人と呼ばれる類の存在には見えない。ただ、白髪に見えるほどに薄い茶色の髪と額に刻まれた謎の紋様、于吉に似た道士風の服と相まって、神秘的な雰囲気は見られる。

 

()()()じゃ」

 

 全盛期のシュワちゃんが仮装したらこんな感じだろう。ビキニ風の布きれ、襟とネクタイだけがついた前あきの変態燕尾服、弥生人風とでも言うべき無駄な髪型オシャレ、アンテナと見まごうばかりの立派な白髭と立派なケツ顎。声まで渋いが、膝をついた姿勢でも若干内股であったり、地面についた拳の小指が立っていたりする。

 

(ちょう)(せん)よぉん」

 

 卑弥呼に続いて内股気味の筋肉。ピンクの紐パン、明るいルージュ、の筋肉。もみあげ部分だけを三つ編みにしてピンクのリボンを結び、頭部を無毛地帯にした奇抜な髪型、の筋肉。切りそろえられたあごひげの周り2㎝くらいを見ているだけなら常人に見える気がしたので、空海は貂蝉をその部位で判別することにした。

 

「ほぉ。于吉、左慈、卑弥呼、貂蝉……? って、同姓同名の有名人がこの世界にいる、なんてことは」

「ないですね」「ない」「ないのぅ」「ないわよぉん」

「半分絶望した!」

 

 空海は頭を抱えて15秒ほど唸り――目の前で頭を抱えた空海を見て4人は慌てていたのだが空海は一切無視した――唐突に顔を上げた。

 

「よし、立ち直った。話を戻すと、お前たちが何でここにいるのか聞きたかった。つまり天照に言われて何をしに来たのって」

「む? 大丈夫そう、じゃな。うむ、儂らがここに遣わされたのは――」

 

 聞けば、天照が空海を心配してつけたサポート超人だそうだ。

 左慈は道術使いで無手の近接戦闘が得意。気の扱いは一級品であるとか。

 于吉は方術使いであり医学に精通。傀儡の扱いと謀略を得意としている。

 貂蝉は踊り子。人とのふれあいが得意。気の扱いは左慈に並ぶ。

 卑弥呼は見た目に反して政治に絡んだ話が得意。貂蝉の兄弟子に当たるらしい。

 

 気が存在すると聞いてテンションの上がった空海だが、山をも震わすという左慈の全力崩拳を受けてみても気がどんなものであるかはわからなかった。一方で全力の中段突きを片手で、しかも怪我をしないよう配慮までされながら軽く掴まれた左慈は流石に凹んだ。

 左慈は、気に食わないながらも長年同僚として付き合ってきた貂蝉らに慰められ鍛錬の約束を取り付けてもらったり、新しい上司にして自身を打ちのめした空海から勤務形態に配慮する旨の謝罪を受けたりして親交を深めた。稀によくある悲劇である。

 

「うふふ、それじゃあご主人様は私たちにナニをお望みかしら♪」

「ごしゅ――あー、端的に言えばこの辺で勢力を立ち上げて権力者になりたいからそれを手伝ってくれ」

 

 貂蝉の「ご主人様」発言を努めて無視して、空海は自身の考えを述べた。

 

「目標は未来の三国全てからの要求をはねのけられるようになること。目的は俺が人間と一緒に暮らしていても余計な事を言わせないため。手段は不問。ただし、俺としては後の三国の英雄たちに会いたいのと、文明的に生きたい過ごしたいから――」

「ふぅむ。ならば文化都市かのぉ。学術都市というヤツじゃ」

「一定規模の街は城塞都市となるのがこの国での基本です」

「人が集まるにはまず食べ物がいるわよん♪」

「……兵の調練はお任せを」

 

 空海の言葉に四者がそれぞれ助言を送る。一部舌打ちが混じったが、彼らの言葉は暗に肯定の意を示していた。

 

「じゃあまずは左慈と貂蝉で周囲の賊を討伐だな。1日で往復できる範囲を適当に回って貰って、その間に俺と于吉と卑弥呼で計画を練っておこう。これだけはやって欲しいとかこれはやめて欲しいというものがあったら早めに言ってくれ」

「特には」

 

 直近の方針を打ち出した空海の言葉に左慈は淡泊に答え、貂蝉は興奮した様子で――。

 

「ヤって欲しい!? そ・れ・な・ら♪ ご主人様が大勢の人たちが笑って暮らせる世の中を作ってくれたら、私の■■■■■(粛正されました)を捧げ」

「黙れ消し飛ばすぞ」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 話し合いの結果、江陵を奪って要塞都市に改造する方向で当面の行動が決定した。

 現地住民にとっては不幸にも、そして空海たちにとっては幸いなことに、現在の江陵は賊の根城になっているらしい。どうやら、太守を引き締める役であるはずの刺史(しし)が武官を軽んじているために、治安を守るはずの軍部が賊と結ぶことすらあるのだとか。結果的に軍部のそういった行動が刺史をさらに頑なにしてしまい荊州(けいしゅう)の安定が遠のいている。

 そんなわけで周辺を含めて簡単な視察が終わると空海たちは危なげなく都市に侵入し、夜盗のたまり場に火炎瓶を投げ込んだり、山賊のたまり場に火炎瓶を投げ込んだり、河賊のたまり場に火炎瓶を投げ込んだり、腐敗軍人のたまり場に火炎瓶を投げ込んだりして、疑心暗鬼に陥った彼らがつぶし合うのを眺めて次にどこがどことぶつかるのかを予想するゲームに興じたりしつつ、都市制圧の準備を進めていった。

 

「へぇ。門の中ってこうなってるんだー」

 

 江陵を要塞化するにあたっては空海の土木工事能力がフル活用されることになり、今は現物を見ながら様々な役割についての説明を受けているところだ。空海にとっては目新しいことばかりで、楽しみながらイメージを膨らませている。

 例えば門と言えば大手門や西洋風の城門を想像してしまいがちだが、本来は門に繋がる道からまっすぐ先には壁を設置し、門は横を向いた位置につけるのが良いらしい。向きを変えなくてはならないから、攻められたときにも勢いを削る事ができるのだとか。正面の壁の上からは攻撃が出来るようになっていたり、さらに門をくぐったらまた横向きに門が出てくるような作りが一般的なのだそうだ。

 門ひとつをとってみても空海には興味深いのに、さらに堀だの塀だのに加え、橋、道、上下水、家、畑、水田、窯、トンネル、大規模地下工場、城、鉄道、(やぐら)などについても講釈を受けており、新生する江陵に活かされることになる。

 

「そろそろ江陵の民も動かせるじゃろう」

「では先に新しい街を作り始めましょう」

「中心部は川下の予定だよね。東かな?」

 

 

 まず地下に巨大空間を作り、その上に大地で蓋をした。そして于吉や卑弥呼の指示通り台地を作って斜面を改造して城壁に当たる部分は謎の金属へと変質させる。巨大な水堀を設置して川で結び、道となる場所をなぞり、円形の都市を一周したら田畑と宅地造りだ。

 そうして内側から作り始めて3層目、ついに旧江陵を飲み込むときが来た。

 旧江陵から民を追い出して街が半分ほど出来上がっただけの新江陵へ移動させる。賊の拠点や役立たずの太守などに襲撃をかけ、かつての江陵は一昼夜で消え去った。

 

 新しい江陵は円形の都市を取り囲むように城壁が続き、所々に攻撃用の櫓の役目を持つ稜堡(りょうほ)が突き出た『稜堡式城郭(じょうかく)』と呼ばれる構造をしている。

 誤解を恐れずに言えばヒトデ型の要塞だ。主にこの指に弓兵が配置され、隣り合う指を射程限界内に収めることで、例えば中指に敵が寄ってきた時には人差し指と中指と薬指が連携して攻撃を行える構造になっている。広い要塞では指の数が増えるわけだ。

 そもそも稜堡に取り付くためには巨大な水堀を渡らなければならず、一方で稜堡からは堀の向こう側が射程に収まっているのだ。さらに稜堡に取り付いてもそこにあるのは高さ8メートルもの壁。壁を越えてもまた壁が登場する。相手にとっては悪夢だろう。

 こんなものが1周200㎞もの規模で作られた。城壁の長さだけで洛陽の3倍超だ。

 

「上手に出来ましたー!」

「次は地下ですね」

「おお、地下施設潜入ミッションか。任せろ」

「儂たちは田畑や水場に祈祷を捧げておこう」

「古代の宗教行事的な? そっちは頼むわー」

「うふ。私たちに、ぜぇ~んぶ任せてねん♪」

 

 空海は執拗に身体をまさぐろうとする貂蝉を蹴り飛ばし、颯爽と地下に消える。衝撃で変わった地形は後に修正された。

 地下に潜った空海は巨大空間に植物プラントや塩の精製施設を作り、西の山岳地帯から地下水を引いて浄水施設に通してプラントや表層まで配水したり、琉球海溝まで取水用の巨大トンネルを通して製塩施設に繋げるなどして地下空間を埋めていく。

 直径数十メートルの空間が時速100㎞を超える速さで地球を貫通していく姿は端から見れば天変地異と大差がないのだが、海溝に横穴を開けてジェット水流に追われることになった空海は気付かなかった。一緒になって海水に追われた于吉は気付いたが、逃げるのに必死でやがて考えるのをやめた。

 

「え? 何? 海洋深層水いっぱい飲んだから健康になった?」

「ゲホゲホゲホッ、ゴホッ」

「え? やっぱり不健康?」

「ォエッゲホッ、ゴホッゴホッ!」

「濁流サーフィンの発想は悪くなかったと思うんだけどトンネルの方がねー最後ループになってたんですよねー。いやー忘れてたわー、はっはっは。……ホントごめんね」

 

 後漢代において、塩や鉄といったものは専売制である。鉄は当時最新鋭の武器に転用される可能性があったため流通量やその形態は限られており、塩は内陸の勢力につける首輪であり巨大な収入源でもあった。双方を合わせた税収は歳入の4割を超えた。

 

「ぜー……ぜー……」

「それにしても塩の密売とか……財布が厚くなるな!」

 

 故に江陵はその利権に割り込むことを企んだ。官吏の目を様々な方法で誤魔化して塩に絡んだ利益を奪い、ゆくゆくは専売の権限を正式に買い取るのだ。

 幸いにもこの時代の商売の多くは物々交換であり――詐欺が横行しやすい面もあるが、だからこそ――加工品に含まれる塩分を誤魔化すのは難しいことではない。

 江陵の産業を支える柱の一つとして、また、衣食住を満たす手段の一つとして、新しい江陵は食品加工業を計画的に拡大していく予定でいる。

 

「では儂らは紙の材料を探してこよう」

「江陵に来たいっていう人もいーっぱい集めて来ちゃうわん」

「ああ、うん。――いやちょっと待って。貂蝉(を見た人)が心配だからついて行くわ」

 

 新しい江陵では、食品加工の他にもいくつかの産業を主力に据えていくことが決まっている。その中の一つが出版業。そして、その出版業を支える製紙業だ。

 

「んまぁっ! ご主人様ったら私の魅力的な肉体を――」

「空海パンチ! コイツを甘やかすべきではないと俺のゴーストが囁いている」

 

 本には貂蝉監修のファッション誌や空海監修の都市情報誌が含まれる予定だ。もちろん学術都市として恥ずかしく無いよう教養に関する本なども取り扱う。

 ただ、現状では紙の生産すら行われておらず、本の出版にこぎ着けるのはしばらく先の話になりそうだった。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 日暮れ前に街に辿り着こうと早足に歩く旅人たちの流れに逆らうように、一人の巨漢と一人のチビが街道を北上していた。

 

「次がもう襄陽なの? 街道沿いなのに意外と集落少ないのな」

「そぉねぇ……。やっぱり最近は危ないから、村や町を守る壁を作ってその中で暮らしてるわね。街道の近くだけじゃなくて、どこもみーんな同じよ」

 

 大柄な貂蝉が大げさに身を震わせながら「やんなっちゃうわ」と続ける。小柄な空海は貂蝉の見た目を指摘しようとして、思いとどまった。ギリギリで。

 

「んー、じゃあさっきの(へん)って街が特別ってわけじゃないのか」

「そうよん。まだ日が出ていたから普通に中を見られたけど、日が沈んだら街の人間でも門を開けても貰えないわ」

「そうなると野宿かー。虫とか両生類はあんまり食べたくないな」

 

 あと爬虫類とかカラフルなキノコも嫌だと笑う空海。最近、空海には意外と好き嫌いが多いことを知った貂蝉は意地悪そうな笑みを浮かべて脅す。

 

「あらぁん? そんなこと言ってると夜盗に食べられちゃうわよ」

「うぇー。その時は守ってくれよ」

 

 バカな話をしながらもちょっとした段差に立ち止まった空海を両脇から抱え上げ、そのまま前方に視線を向けた貂蝉が――雰囲気を鋭いものに変える。

 

「あら? ――あの集団、良くないわね」

「え? ドイツー?」

 

 空海はゆるかった。

 

 

 

「……へぇ。賊に追われているらしい女を見て、今のウチに逃げればいいと考えた、と。ろくでもないなー、ここの連中は。これが標準的な反応なの?」

 

 茶化す空海を半ば握りつぶすように、巨漢の漢女が身と心を震わせている。

 

「……ご主人様」

「そうだよね。お前のような反応が標準だよなー」

 

 空海は両脇を抱え上げられたまま前方を指差す。

 

「よし行くぞ、貂蝉っ。早くしろっ!! 間にあわなくなっても知らんぞーッ!」

 

 チビと巨漢は、土煙を残して飛び去った。

 

 

 

 街道からややそれた川岸で、一人の女性が複数の男に追い詰められている。その様子を上空から見下ろす影。()()()の空海と貂蝉だ。

 

「――アレだな! 分離だ貂蝉ッ、お前は殲滅、俺は盾! 俺を間にぶん投げろ!」

「ぶるぁああああああああ!!」

 

 貂蝉は即座に命令を実行し、一瞬の後には空海は空の人と化して集団に迫っていた。

 

「は、早――くなかったべらっぷ!」

 

 相当な速さで後頭部から岩肌に激突した空海は砂煙を巻き上げ、しかしコンマ1秒にも満たない時間で跳ね起きてポーズを決める。

 

「っしゃ! 助けに来たぜ!」

 

 空海は羽織をはためかせるような良い感じの風を呼び、その風に乗る音だけで『矛』の位置を把握する。『矛』が地に触れるその瞬間。唖然としている賊に向け、空海は獰猛に笑って指を突きつけた。

 

「よぅし貂蝉ッ、ヤッチマイナー!」

「――ぅぅるぁああああああああ!」

 

 爆音を立てながら、空海の声援を受けて筋肉お化けが跳ね回る。

 

 ――えぐり込む様に打つべし! 打つべし!

 

 目の前で繰り広げられるど迫力アクションに夢中になっていた空海は、熱に浮かされたように背中を見つめる女性の姿に気付いていなかった。むしろ忘れていた。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 ――自分は無感動な人間なのだと思っていた。

 

 司馬(しば)()は生まれてこの方、感情を大きく動かしたことがない。

 別に喜怒哀楽が欠落しているわけではない。父親には優しい子だと言われていたし、母親には落ち着きのある子だと言われていた。笑うこともあるし、怒ったこともあったし、泣いたことも、人を騙してみたこともある。

 ただ、人が感情を顕わにしているのを見ては、何故ああも大げさに振る舞えるのだろうかと常々疑問に感じて居た。

 

 

 ――自分は時代に埋もれていく人間なのだと思っていた。

 

 司馬徽は人より良くものを覚えて居たし、素早く考えをまとめることが出来たし、誰かに物事を伝えることを難しいと思ったこともなかった。どちらかと言えば子供の方が教え甲斐があるから好ましい、という程度の感想を抱いたことしかない。

 ただ、その才が万人の上に立てるほどではないことにも早くから気がついていたし、彼女自身がそれを万人のために活かしきれるとは思っていなかった。

 

 だから、著名な人物鑑定家でもある友人から『水鏡』の号を送られたときにも「ああ、やはり才の限界は、自分の価値はここまでなのか」と納得する気持ちの方が強かった。

 

 

 ――それなのに、どうしてだろうか。

 

 号を受け取ったその日。字を決めたその日。どこか逃げるように旅立ちを考えて。

 旅立ちを決めたその日。行き先を考えたその日。南方に『(まどう)星』が現れたと聞いて。

 

 いつの間にか。そう、いつの間にかと言っていいだろう。

 その星(やがて消えるもの)の出現に自らの境遇を重ね合わせ、司馬徽は勢い込んで南に向かっていた。ただ自らの内にくすぶる「自分の価値がその程度」だと見限ることに納得しない気持ちが、足を動かしていた。

 

 

 焦りがあったのだと言い切れる。彼女は襄陽から出て僅か1日と言ったところで盗賊に追い詰められ、あと数歩のところで捕まるか入水自殺するかという選択を迫られていた。

 

 ――なんで、こんな……私は『私』を知らないまま死ぬというの?

 

 後になって思うが、あれは本当に人生最悪の瞬間だった。最低の末路か、最悪の結末しか選べないなんて、誰のどんな人生のどんな瞬間に訪れたとしても最悪だろう。

 

 ――助けは、来ない。

 

 先ほど遠くに見えた旅人を思い出す。賊に追われる姿を見て、きびすを返した人間を。

 恨みはない。彼らに自分が助けられるとは思えないし、逆の立場なら自分だって助けを呼ぶくらいしか出来ないだろう。

 しかし、それはつまり、助けが来る見込みがほぼなくなってしまったことを意味していた。道を外れてしまった今、仮にこの身を差し出したところで、助けが来ないのであればそれまでだ。

 

 ――こんな瞬間のために、生きてきたの?

 

 自力での打開は不可能に近かった。助けを待つのも不利な賭け。

 これまで二十に満たない年月で培った経験が、人よりも素早いその思考が、周囲を見渡せる冷静さが、司馬徽が終わる瞬間を宣告していた。

  そして、

 

 ――でも、誰か、誰か、誰か……ッ!

 

 呼吸が浅くなり、視界が歪み、心臓が痛いほどに脈動し。

  彼女の人生最悪の瞬間は、

 

「誰か、――っきゃぁああ!?」「――ぁっぷ!」

 

 轟音と共に砂煙が舞い上がり、一瞬遅れて吹いた風によって視界が開ける。

  最良の瞬間に塗り替えられた。

 

「助けに来たぜ!」

 

 威勢の良い言葉と共に目の前に青い衣が翻り。

 司馬徽の感情は爆発した。

 生まれて初めての感情が、()()を踏み越えた。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 ――賊に襲われてたっぽい女性を助けて賊らしき連中を(貂蝉が)ボコボコにしたけど、肝心の女性が泣き止まない止まらない件。

 

 空海は、自身にしがみついて泣き続ける女性の頭や肩を優しく撫でながら、これで賊に襲われていた女性じゃなかったら困りそう、などと考えていた。

 女性は白い肌に整った顔立ちで、光に透かすとやや茶色に光る長い黒髪を後ろで丁寧に結って高く持ち上げている。髪を結んでいる桃色の布も、金色の髪留めも、紺色の着物もどれも派手さのない色合いや作りをしながら高級品を思わせる上品さを兼ね備えており、それは女性自身の雰囲気もあって一つの芸術品のようですらあった。

 身なりの違いや漂っていた雰囲気や女性の様子から見て8割方大丈夫だとは思うのだが心配なものは心配なのだ。早く落ち着くようにと優しさ5割増しで撫で回す。

 

「よーしよしよしよしよし!」

「ふぇぇん……ひっく、ぁん、うぅぅぅ、ひっく」

 

 ただ撫でるだけというのも芸がないから首もみや肩もみを混ぜたりしてみよう。空海は慰め一つに無駄な創意工夫を込め始めた。

 

 

「もう大丈夫だからね、お嬢さん」

「あ……は、はい……」

 

 座り込んだまま顔を赤くした女性が、空海をボーッと見上げる。

 言動から見て、どうやら親類縁者などではなかったようだ。空海は胸をなで下ろす。

 空海は未だ興奮状態にあるように見える彼女を落ち着かせるよう、努めて優しい表情と口調で話しかける。

 

「まず、非常時だから確認もせずにボコったんだけど、こいつらは賊で、お前は襲われていたんだよね?」

「はい、そうです……ん」

 

 女性が、肩に置かれた空海の手に頬をすり寄せながら答えた。空海は「犬みたいで可愛いな」などと失礼な感想を抱きつつ、そのくすぐったさに頬を緩める。

 

「そうか。うん、間に合って良かった」

「はい……しあわせです」

「えっ」

 

 二人はそのまま3秒くらい見つめ合っていたが、女性の目が潤み始めたのを見て空海は慌てて話を続ける。

 

「あー、それは良かったと言いたい所だけど、俺は指示しただけだし礼は功労者に言ってくれるかな。見た目はアレだがいい奴だよ。――おいで、貂蝉!」

「ダァレが見ただけで目が潰れる肉団子ですってェ!」

「ひっ」

 

 女性が空海に抱きつく。思わず、といった反応でくっついた後は顔を赤らめながら必要以上に密着していく。むしろ着物に手を突っ込もうと空海の身体をまさぐり始める。

 

「くらっ、貂蝉! はしゃぐな。相手を怖がらせてまでネタに走らんでもいいだろ」

「あらぁん、ごぉめんなさいねェん?」

「大丈夫だよ、お嬢さん。お前の気持ちはよくわかる。痛いほどよくわかるが、コイツはむやみに暴力を振るうことはないし、人を助けることを当たり前に出来る心根の持ち主でもある。だから足を離してくれ、くすぐったい」

「そ、そうですか……あの、貴方が言うなら信じます」

 

 こねくり回していた手が空海に掴まれたところで女性の抵抗が止み、しかし空海の腰と腹に上半身全てを使ってひっついたまま小さく頷く。

 しかし空海はそんな女性の様子に気付くこともなく。

 

「んっふふふ、ご主人様にそんな風に思われていたなんて……私、感激しちゃぁうッ!」

「寄るな。二度と近寄るな」

「そぉんな風に冷めてるところもス・テ・キ♪」

「黙れお前まじぶっ消し飛ばしょ?」

「(んもうっ、ご主人様のイぃケズゥぅぅ)」

「(イラッ)」

 

 空海が女性にしがみつかれた上に彼女を抑えるため両手両足を使えないのを良いことに貂蝉は二重の意味で挑発を繰り返し、苛ついた空海によって空間ごと停止させられた。

 

「あ……あの」

「おお、すまん。たった今コイツの功は全て俺のものということになったから、思う存分お礼してくれていいぞ」

「じゃ、じゃあ貴方の身柄を引き取って育てます!」

「いきなり子供扱いしてんじゃねぇ! 俺、大人! 多分お前より年上だっつのぅ!」

「えっ」

「えっ」

 

 またしても二人は3秒くらい見つめ合い、女性の目が潤み始めたのを見て空海は急いで話を続ける。

 

「えーと、そんなに重いお礼はいいから。もっとこう、笑顔でさ、ありがとうって言ってくれるだけで十分なんだって。俺が支払った労力への対価はそれでいい」

 

 少々恥ずかしい台詞だと自覚する空海は、頬をかきながら視線を逸らす。

 

「はわっ、あ、あの、私……私……っ!」

 

 そんな空海を見ていた女性は、徐々に表情を歪ませていき。

 

「……おい、ちょっと! 尋常じゃないくらい赤くなってるんだけど大丈夫か、お前」

「私ぃあわわ――きゅぅ」

「うおーっ!? 死ぬなー!」

 

 

 

「――お、おはようございます……」

 

 仕切りの影から恥ずかしげに顔を出した女性が、青い羽織に小さく声をかける。

 

「おはよう。()()()()()()()()()()()()よ。しばらくしたら貂蝉が帰ってくる。その時に一つこっちから聞きたいことがあるけど、他は自由だと思って欲しい」

 

 空海は特に驚いた様子も見せず挨拶を返した。ちょっとした皮肉を込めたのは、心配をかけさせた対価だ。

 

「えっと、はい。あの……助けていただいて、ありがとうございました」

「あははは。そう言えばそれはまだだったね。はい、どういたしまして」

 

 女性は恥ずかしそうに少し俯き、落ち着いた後に再び深く頭を下げた。

 

「その上こんなお世話に……えと、あっ! 私、司馬(しば)徳操(とくそう)、真名を永琳(えいりん)と申します!」

 

 司馬徽は相手の名前を知らないことに思い当たり、そもそも自分も名乗っていなかったことに気がついて慌てて名を告げる。

 

「ああ、俺は空海(くうかい)。助けたのは事実だと思うが、真名はもっと大切にしておくといい」

 

 自分が木箱に腰掛けているせいで司馬徽が必要以上に深く頭を下げているのだと気がついた空海は立ち上がり、司馬徽の手を取って体を起こさせた。

 

「くーかい、さま……。あ、真名は私が預けたいって、助けられたからだけじゃなくて、昨日お話ししてそう思って決めました! どうか受け取って下さいっ」

「あ、うん。そこまで考えて言ってたならいいよ。受け取ろう」

 

 大人しそうな見た目に反した司馬徽の押しの強さに、空海はややきょとんとしながらも笑って答える。そのまま木箱(イス)まで導かれた司馬徽が、やや不安げに空海を見る。

 

「その、ここは……どこかの宿でしょうか?」

「うん。襄陽の南の方にある街、(へん)って言えばわかるかな? そこの宿だよ」

 

 市場の南側の、と説明を続ける空海の様子に、思った以上に迷惑をかけていないことに安心した司馬徽はほっと息を吐いた。これで空海の両親と強制対面することにでもなっていたら、一生の思い出になっていたことだろう。色々な意味で。

 

「そうでしたか。編の……あっ、私、お金出さなきゃっ」

 

 司馬徽は慌てて服の中をまさぐり、空海の前だったことを思い出して赤面し、財布にも服にも全く手を付けられていないことに気付いて少しだけ目を見開き、続いて微笑んだ。

 

「あの、お礼も一緒に出しますね」

「まぁお待ちなさいなお嬢さん。さっきも言ったけど答えて欲しいことがあってね。回答次第ではこっちの旅がかなり安上がりになるんだ。お礼はいいし、宿代も出させてくれ」

「え? えっと、何を答えればいいんでしょうか……?」

 

 司馬徽は金になる情報など知らない。勿論聞かれれば何を答えることにも否はないが、空海が司馬徽の不利になることを尋ねるとは微塵も思っていなかった。

 

「んっと、簡単に言えばある植物を見た事があるか、生えている場所や地域、育ちやすい土地などを知らないか、ということだ」

「植物……? どのようなものでしょうか?」

「実物を貂蝉に持ってきてもらってるよ。紙の材料になる木なんだけど、ひょろ長い枝が地面の近くからドカンと広がって、春先にはその先端に良い香りの小さな花がボンッって感じでいっぱいつくもの、らしい。印象的だから多分わかるはずだ」

 

 それは沈丁花(ジンチョウゲ)という植物の亜種で、和紙の材料となる樹木のことだ。

 ちょうど空海の手足の大きさや長さがそれを表現するのに向いていたこともあり全身を使って説明するのだが、司馬徽はそのおどけた仕草よりも話の中身に目をむいている。

 

「紙――紙を、作られるのですか? 空海様は商いを?」

 

 紙というのは古くなった麻や竹の製品を主原料として特権階級が使うものという認識が司馬徽にはあった。その詳しい製法は一般に知られていないはずだ。実物を持って来られるのにさらに材料の産地を探しているというのだから、それを継続的に作り出そうとしていることがわかる。

 会話から得られたいくつかの情報から、司馬徽は空海が商売を行うつもりなのだろうと当たりを付け、果たしてそれは肯定された。

 

「紙を作るのは、うん。商いをするのかというのも、そう。商人かという意味なら違う」

 

 空海の言葉に、司馬徽はもう一度会話を思い返す。特定の地域を重視しておらず、自ら探索と、おそらくは交渉にまで出ていることから職人ということはないだろう。若くして従者らしき人物を付けていることからもそれがわかる。

 

「職人、のようには見受けられませんし……もしや、どこかのお役人様ですか?」

「前半俺の背を見て言っただろ。まぁ職人でも役人でもない。そのうち江陵でいろいろとやらかすつもりだけど、今はしがない自称太守代理ってトコだな」

 

 じと目で告げられた前半で司馬徽は苦笑し、得意顔の後半で司馬徽は停止した。

 

「……。え? 自称!? 太守代理ってどういうことですか!? やらかすって――!」

「落ち着け司馬徳操。それは本題ではないだろ? まぁ、気になるだろうから言っちゃうけど、そのうち太守()()()に任官されるだろうから今は自称代理、やらかすのは起業とか組織作りとか街作りとか色々だよ」

 

 空海が笑いながら軽く告げた言葉は、しかしとても野心的なものだった。

 司馬徽は桃色に染まりそうな頭で、紙を献上して官位を受け取るつもりなのだろうかと考えをまとめ、尋ねる。

 

「……。そのために、今、紙の材料になる木を探してらっしゃるんですか?」

「そんなところ。順序は理解できてないと思うけど、やることは変わらない」

「順序……。太守となってから、紙を使って何かをされる……?」

 

 その時の司馬徽の気持ちを、なんと表現するべきだろう。不可解でもあり、苛立ちでもあり、喜悦でもあり、感動でもあり、憧憬でもあった。

 空海は難しいことを言っていないのに、それを理解しようとした瞬間から道が途切れ、そして遥か遠くに空海の指す目的地へ続く道が突然現れるのだ。しかも空海は理性的で、見ればわかる明らかな力を有し、言動にも落ち着きが感じられ、行動を従者任せにしないひたむきさまで見られる。それらは全て、司馬徽が探し求める宝石だ。

 だが、気付く。

 

「理解しなくていい。部下でもない者が聞くべきことではないよ」

 

 司馬徽と空海の間に掛かった橋というのは、細くて不安定なものでしかないことに。

 そして、()()司馬徽にはそれが()()()()()我慢ならない。

 司馬徽は自らの胸の内を理解する前に。気がつけば、動いていた。

 

「――司馬(しば)()徳操(とくそう)です。どんな仕事でもします。私を貴方の部下にしてください」

 

 今度は空海が停止する番だった。

 

「……。……顔を、上げて?」

 

 空海が司馬徽を眺める。司馬徽はその瞳を、磨き上げた黒曜石のような色だと思った。

 黒曜石の鏡に司馬徽が映り込む。不安に揺れ、しかし意志を曲げるつもりはなく。

 

「――お前はまるで水だね」

 

 ドキリ、と司馬徽(水鏡)の胸が跳ねる。

 

「水は低きに流れると言う……」

 

 嫌な符合を、感じた。

 司馬徽に、自身を縛り付けさせている号。

 司馬徽と過去を一つにする『水鏡』。

 

「だけどその水は今、ずいぶん熱くなっているみたいだ」

 

 司馬徽が伏せかかった顔を上げる。その目に驚愕を滲ませて。

 それは司馬徽も自覚していたことだ。友人に、人を映す鏡のようだと言わしめた自身。

 

「温められた水はやがて湯気となり、雲となり、空の高いところに辿り着く」

 

 空海が明かり取りから漏れる光に顔を向ける。司馬徽も思わずそれを追い、その輝きに目を細めた。眩しくて見通せない窓の向こう側に、白く光る雲を幻視する。

 司馬徽が目を戻すとそこには海を思わせる青い衣が起立して、その色の一番()()()から自身を見つめており。

 

「空に漂う水は、やがて海の深いところへと行き着く」

 

 嗚呼、と。司馬徽は声にならない声を漏らす。この方は()()()を水と評しながらそこに留めず、()()()の『水鏡(わたし)』を肯定してくれるのだ。すくい上げて熱したのに飽き足らず、空と海にまで導いて下さるのだ。

 空海が賊との間に降り立ったとき、司馬徽は生まれて初めて本当の意味で『欲しい』と感じたのだと思う。あの時、そしてつい今しがた。話をする中で考えていたのは、一緒に居られるだけで十分だというもの。それだけで満たされるという期待だった。

 

 だが、違った。そんなものでは足りなかった。

 

「俺は空と海の空海。これも何かの縁かもしれない。これからよろしくね、司馬徳操」

 

 永琳(わたし)はその場所に、全てを(なにもかも)捧げたいと感じた。

 

「――永琳(えいりん)とお呼び捨て下さい、ご主人様」

 

 

「ごしゅ!? ――お嬢さん、女の子がそういうことを言っちゃいけません!」

 




「でも旦那様はアリだと思う」

 おや、すいきょうせんせいのようすが……?

>超新星だぞぅ
 板垣公一は日本のアマチュア天文家。過去12年で超新星を80個も見つけている世界有数の超新星ハンターであり、アマチュア天文学界の英雄である。
 2ちゃんねる科学ニュース系の板では超新星を見つけるたびにスレが立つため、新発見を繰り返すうちにスレ住民からは尊敬を込めて「また板垣か」とレスが付けられるようになった。しかし、板垣さんは2006年頃からは年間10個近いペースで超新星の発見を続けたため、「また板垣か」といちいち書くのも面倒になったスレ住民は、やはり畏怖と尊敬を込めてこれを「また垣」と省略するようになった。
 スレのカテゴリが[天文]ではなく[板垣]となっていることと合わせて、多分このお方だけの珍事である。
 なおこの頃から、板垣さんは超新星を創造しているのではないかという説が根強く囁かれており、時折「超新星創造お疲れ様です」といったレスがつくこともある。
 185年12月7日に観測された超新星SN185。記録の残る最古の超新星と言われ、超新星残骸RCW86として現在も残る。RCW86は距離約3000光年、半径約50光年。50光年の範囲に広がっているのは高温のガスだが、地球に届いたのはガンマ線などの光のみ。

>だっつのぅ!!
 ヨロシク仮面だっつーの! 親御さんにヨロシク! ダッツノゥ!!

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