「今だからあなたたち2人に話せるんだけど・・・実は私、
イブと一緒にダンス部に入部した話を明るく話し合っていた中で、いきなり母上から明かされた告白。
「えっ?それってホントの話?」
「ホントだよ」
「ホントにホント?」
「ホントにホント」
「本気で言ってる?」
「本気」
「本気と書いてマ」
「いやここまで来たらさすがにマジだろ」
とりあえず全く信じていない混乱気味のイブが本当か冗談かしつこく母上に食い下がり始めてキリが無くなり出したから、4度目の途中で茶番になりだした流れを断ち切る。一見すると普段と何ら変わらないがいつも以上に真面目な母上の目つきを見る限り、いま言い始めた
「うわー、これはめっちゃ初耳だー」
「イブとガイアに話すのは多分初めてって私が言ったからね」
今や国民的女優として日本で知らない人はほとんどいないほどの母上が引退を考えたことがあるという事実がよほどショックだったのか、隣で抑揚のない素っ頓狂な声でイブはリアクションを取る。その様が役者の目を持つおれには
「おれだって初めてだよ。母上が女優をやめようと思ってたって」
無論、おれもおれで中々に衝撃を受けている今はそんな茶番をやれる心境じゃないから心の中で終わらせておくが。
「ねえ、その話ってパパは関係あるの?」
せっかくの家族団欒の空気がどことなく暗くなりかけようとしたところで、一応ショックから立ち直ったイブが思い切って口火を切る。
「うん。普通に関係あるよ」
ボスとも星野さんとも違うベクトルで何を考えているのか分からない表情で控えめに笑いながら、母上は淡々と親父が関係あることを告げる。もしかしたら親父と結婚することを決めたのがきっかけなんじゃないかという想像が、母上の言葉と同時に脳裏を横切る。母上は元々、女優業を含む芸能活動に関しては動きたいときに動き、休みたいときに休むマイペースを常に貫いてきたから、結婚して子供が生まれたら芸能界で積み上げた栄光をあっさりと捨てるようなことを厭わなそうなのも想像が出来る。
いや、あるいは・・・_
「まず2人はさ、『水の中。』っていう映画は知ってる?」
と、1人で勝手に考察を始め出したところで見覚えのある映画のタイトルが聞こえて現実に戻る。
「もちろん知ってるよ。『15年の嘘』の人の映画でしょ?」
「
「というか普通にあたしたちで観たことあるよねガイア?」
「多分、3回ぐらい」
『15年の嘘』で社会現象を巻き起こし一躍脚光を浴びた映画監督・
「もう観ているんだったら、話は早いね」
そしておれが主演を演じることになった星野さんの復帰作の映画でメガホンを取ることになっているのも、この映画監督だ。
「・・・あの映画って、元々は私の
2人揃って『水の中。』を鑑賞済みだということを知った母上は、早速その映画が引退作になるはずだったことを打ち明ける。あの映画で最優秀主演女優賞を獲ったときに“この映画に出会えたから、役者として新しい一歩を踏み出せた今の私がいます”と涙を滲ませていた、動画で見た12年前のスピーチが鮮明に蘇る。
「引退作って・・・けど母上はあの映画で一歩踏み出せたって賞獲ったときに言ってた気がするけど?」
「あのときにはやっぱり女優を続けようってもう一度心に決めた後だったからね・・・でも最初は私から“引退作を作って欲しい”って五反田監督に逆オファーして、監督も
いつか見たスピーチを思い浮かべながら理由を聞いて、懐かしむ表情と共に返って来る衝撃の事実。別にこれはもう母上にとっては過去の話で、現に今もマイペースに第一線で女優として活躍しているわけだからただの過去話として聞けばいいことは分かっている。ただ仕事への愚痴は溢すことはあっても、こと芝居だけは一切悪口を言わず本当に楽しそうに話していた母上が引退を考えていたということが、ショックというわけではないがおれにとっては意外過ぎた。
「女優をやめようって思ってたのはどうしてなの?」
どう聞けばいいのか分からずにいると、まるでおれが聞こうとしていたことを代わりに言うかのように、沈黙になる前にイブが再びきっかけを作る。
「単純に私の中で
イブをきっかけに、母上は語りかけるようなトーンで話を続ける。
「だから撮影してたときは本当にこれで最後だって思いながら演じてた。ずっとこれが最後だ、これが終わったら私は女優じゃなくなるんだって言い聞かせながら現場に行って演じ続けてた・・・だから私はあれだけ本気になれたんだと思う」
沈黙が生まれないように、母上は紡ぎながら最後だと思いつつも本気で演じていたと打ち明ける。内容が難解だったせいであまり映画本編のことは覚えていないが、少なくともおれには母上が女優をやめようだなんて思いを抱えながら演技をしているようには全く見えなかった。無論、
「だけどいざクランクアップして全部が終わったときかな・・・やっと自由になれるって思ってる自分と同じくらいこれで本当に自由になっちゃうのかって寂しがってる自分がいることに気付いて、考えれば考えるほど日に日にどっちを信じていいか自分でも分かんなくなっちゃってさ・・・・・・だからあの映画の撮影が始まるちょっと前ぐらいから付き合い出してた姫ちゃんに聞いたんだよ。“役者をやめたい気持ちと続けたい気持ちが半分くらいのときは、どっちを信じればいい?”って・・・そしたら姫ちゃん、何て答えたと思う?」
萌黄色の瞳が、目の前に座って黙って話を聞くおれとイブを見つめながら問いかける。
「パパかぁ~・・・・・・意外とパパのことだから“やめたい気持ちがあるならやめちゃえば”とか言いそう。全然違ってたらごめん」
「全然違うけどある意味
少し考え込んで目を真っ直ぐ見ながら返った答えに、母上は静かに微笑む。イブの言った答えは全然違うみたいだが、割といい線をいったみたいだ。
「ガイアはどう思う?」
「おれか・・・」
続けてイブはおれに答えを振る。丸一日家を留守にすることも少なくない親父とはイブや母上ほどちゃんと会話した記憶も少ないから、正直言ってパッとは思いつかない。
もっとも親父のことをまともに思い出そうとすると嫌な思い出もフラッシュバックしてくるから、どんな言葉を掛けそうだとかを振り返るにはまだ労力を伴う。それぐらい、おれにとっては親父の存在が強烈に胸の奥で残り続けている。
「マジで思いつかない」
考えようとしたが、特にこれといって思いつく気配もなく降参する。どうやらおれの心はまだ、
「姫ちゃんには絶対に内緒だよ・・・_」
思いつかないのではなくただ単に考えたくなかったことを察したのかは分からないが、母上は答えなかったおれに聞き返すことはせずにその答えを教えてくれた。
「俺は役者になってから芝居をやめようってこと考えた事もないからそういうのを聞かれても全然分かんねえけど・・・楽になりたい気持ちが心を支配していても、生きる理由が
「_って姫ちゃんから言われてさ、それで三日三晩くらい考えて
「いやこんなの当たるわけないじゃん。ほんっとパパの意地悪」
「ここで親父にキレても意味ないだろイブ」
答えを聞いたイブは、溜息を吐くようにここにいない親父へ本気半分で不満をぶつける。母上から明かされた女優をやめるか続けるかで悩んでいたときに親父が掛けた言葉は、ヒントを与えられたとて当たるわけのないものだった。イブじゃないが、おれも“分かるわけないだろ”の一言ぐらいは言ってやりたいほどだ。
「でもさ、パパにそう言われたからママが今も女優を続けてるって考えると妙に納得できちゃうんだよね・・・パパが言ってた意味を説明してって言われてもあたしは全く分かんないんだけど」
はっきり言って答えになっているかも微妙な返答にキレたかと思えば、どこかで腑に落ちたのか自己完結で納得し始める隣に座るイブ。
「何だか、そういうところが芝居に本気な親父っぽいよな」
だけどおれもおれで、言っている意味は分からないのに妙に納得している。それは芸能界に入り同じ役者となり演技を通じて芝居を学んでいく中で、まだ足元にも及ばない自分の実力を通じて親父がどれだけ芝居に命を賭けているのかを知り始めたからかもしれない。
「あのとき何を思って私にこんなことを言ったのかはまだ教えてもらえてないからあくまで私の憶測になっちゃうけど・・・きっと姫ちゃんは私に女優を続けたい気持ちが1%でもあるなら
結局その言葉の真意は、直接の答えを貰っていない母上も知らないという。ただそのことをおれとイブに告げる瞳が、母上を救った親父の言葉とはまだ違う
「だからイブとガイアには、これからも遠慮せずに自分を貫いていって欲しい」
次の一言で、おれが感じていた予感が確信へと変わる。母上がいきなり自分の
「2人には自分のことで
おれたちを見つめる濁りのない透き通った萌黄色の瞳が、本音で訴えかけている。理由までは分かっていないだろうけれど、母上はダンス部に入った理由を“おもしろい”の五文字で簡潔に纏めたイブを見て思うところがあったのだろう。そしてイブだけではなくおれにも向けて言ったのは、おれが外へ吐き出せない気持ちを抱えながら平気な顔をして役者をしていることに気付いているから。
「・・・もちろんだよママ。そうじゃなかったらピアノも書道もやってなかったし、ダンスを始めようだなんて思いもしてないから」
親父が思い悩んでいたかつての自分に言っていた言葉を使って自分を貫けと隠していた気持ちを突かれたイブは、一瞬だけ口元に力を入れていつもよく見る元気な表情を浮かべて明るく言葉を返す。見抜かれたことを自覚したのか、見慣れた横顔は珍しくあからさまに強がっていた。
「そう・・・イブは偉いね」
声を聞いただけでも強がっているのが分かるイブを、母上は何も気に留めない様子で一言だけ褒めて静かに笑う。
「えへへ、それほどでも♪」
そのことを察したのかあるいは素で喜んでいるのか、イブは母上の言葉を真に受けてお調子者の如くはにかんでみせる。物心がついたばかりの子供のときは分からなかったが、子役を経て普通の奴と比べて人の感情を読めるようになってからは、こんなふうに母上がおれとイブのことを気遣ったことが何度かあることを知った。
「じゃ、私の話はこれで終わりだから続きはご自由にどうぞ」
無論、今だってそうだ。涼しい顔をしながらこの人は、相手の心の内が本当か嘘かをすぐに見抜いてしまう。そのくせ自分からこじ開けることはせず、さり気なくおれたちが心を開くのを待つ優しさも持ち合わせている。
「・・・あのさ、おれもちょっと
夕飯の残りを口にしようとしたところで、意を決する。
「もしかして彼女出来たとか?」
「そういうのじゃないよ」
「違うか~」
重大発表を、どう考えても当てる気ゼロな予想でイブは軽く揶揄う。別にイブのごく僅かな違和感を見抜いた母上に感化されたわけじゃない。ただ、ここ2,3日で色々と起こり過ぎて少し疲れたせいか全く言わないで心に閉まっておく気にはなれなかった。
「
星野さんと何度もお忍びで会っていて、恐らく
「・・・・・・」
おれの目を見た母上が、頷く代わりに小さく微笑む。紛れもない、“いいよ”のサインだった。
「・・・五反田監督の新作に、主演で出ることになった」
母上からのアイコンタクトを受け取ったおれは、五反田監督の新作映画の主演に抜擢されたことをイブと母上に打ち明けた。
☆★
「ここで大丈夫です」
「はい。かしこまりました」
1ヶ月後に本番を迎える舞台の稽古が終わり、いつもなら直帰するイブと暮らすマンションには帰らず、俺は夜8時からの
「お支払いは?」
「カードで」
二車線の通りから一本奥へと入った裏通りの一角でタクシーを止め、料金を払い外へと出てタクシーを見送ることなく十数歩先の車一台が通れるか通れないか程度の路地へと曲がり、通り沿いのビルの隣で隠れ家のように佇む店を目指す。このところは舞台と映画の撮影が重なっているせいで肉体的にも精神的にもロクに休みが取れていないこともあり乗り気ではなかったが、
「パパ・・・あたしね、ダンス部に入ることにした」_
朝食の並ぶリビングであの天真爛漫な元気印のイブが珍しく緊張した面持ちを浮かべてダンス部に入ったことを俺へと明かした今朝の光景が、ふいに脳裏に浮かんで消える。今日はこれから話す面子を考えると確実に日付は跨ぐことになるからフリルの家に泊まらせているが、果たしてちゃんと仲良くやれているのだろうか。イブのことだからどうせ杞憂に終わるという決めつけと同じくらいに大丈夫だろうかという過保護なまでの心配をふと感じてしまうのは、単純に俺が年を取ったということなのか。
自分の勝手であの家を出ている俺に、
「お久しぶりです、大輝さん」
「!?」
イブのことを思い浮かべてながら視界を店の入り口辺りに向けたところで、いきなり前から名前を呼ばれ俺は思わず驚いてしまった。
「ごめんなさい。ビックリしました?」
「・・・なんだお前か。不審者かと思ったわ」
声がした方へと視線を移すと、久しぶりに会う顔が飄々とした表情で笑っていた。
「不審者とは酷い言われようで・・・ただそう思われるのも無理はないですね。何せ僕らが直接会うのは
俺の名前を呼んだ声の主は、10年以上ぶりに顔を合わせる銀色の髪をした1人の男。前に会ったときはまだ20前後のやたら顔立ちの良い死んだ眼をした童顔の青年だったが、街頭の光芒に照らされた年齢不詳の顔つきは時が止まり続けているかのように変わらない。
「とりあえずお前と路上で立ち話する気はないから、さっさと
「そうですね。大輝さんほどの有名人となると油断していれば野次馬が出来てしまうので」
「・・・お前さ、何かキャラ変わったな?」
ただ前に会ったときから変わったと直感で思うことがあるとすれば、身なりが全体的に垢抜けてお洒落になったのと、死んだ魚のように光を感じなかった眼に生気が宿っているのと、表情や語り口が随分と明るくなったことか。
「はい。もう僕は
そう言ってニコリと笑う
「
そんな誰もが羨む富と名声を手に入れて順風満帆に見えるこいつもまた、俺と同じく
「御託はいいから入るぞ。そろそろ時間だ」
「ええ、仰せの通りに」
「やっぱキャラ変わったよなお前?」
「大輝さんはほとんど変わりないですね」
「喧嘩売ってんのか?」
同じ目的でこの店に呼ばれている俺たちは、早々に立ち話を終わらせて奥に佇む入り口へ導くように敷かれた石畳を歩き店の中へと入った。