「……」
B小町にとって永年の夢だった東京ドーム公演を終えて迎えた、お兄ちゃんのいない2回目のクリスマスの夜。記憶が正しければとっくに日付が周った深夜、気が付くと私は新宿西口の歩道橋の上で静まった街を見つめていた。
「……」
いや、見つめていたというよりかは、無心になっていた視界にたまたま新宿のビル群と真下に広がる灯りに照らされたアスファルトと、街の隙間から覗く夜空を僅かに色づける小さな星々が映り込んでいたというだけ。そんな感覚が近いのかもしれない。
「・・・もう2年経っちゃった」
お兄ちゃんがこの世界からいなくなってから、あっという間に2年が経った。ここに来るまでに私は、朝目が覚めるたびに
「ねえ・・・私はこれからどうしたらいいのかな?」
そうして修復不可能な状態にまで壊れたこの心を抱えて辿り着いた、
こうして
「あんた、星野ルビーだろ?」
歩道橋の手すりに両手をついて目の前に広がる景色を眺めていると、横からいきなり誰かが話しかけてきた。
「よく分かったね」
外行きの変装を見破られ自分のことを言い当てられてしまった私は、誤魔化しはせずにそのまま自分が星野ルビーであることを会ったことすらもない通りすがりのその人に打ち明けた。そのまま明かした理由は今はもう細かくは思い出せなくなったけど、全てがどうでもよくなっていたことだけはちゃんと覚えている。
「ファンなら当然でしょ」
「言っておくけど今日はオフだからサインはあげないよ」
「サインなんかいらないよ。俺にとってはただ星野ルビーがこの世界にいることが最大の推しだから」
「あはっ、変わったファンだこと」
あっさりと正体を明かした私に、男の人は私がこの世界にいることが一番だと無表情のまま豪語した。歩道橋の上を優しく照らす灯りに照らされた縦線が入った黒ジャージ姿の男の人をよく見ると、背格好がお兄ちゃんとほとんど同じで、目元まで無造作に伸びた髪から覗くやけに整った顔をした私と同い年ぐらいの青年だった。
「その星野ルビーにひとつだけ聞きたいことがある・・・」
私のリアクションを半ば無視するように、一歩分まで近づいたその人は問いかけた。
「あんたのような無敵のアイドル様でも、
左手で手すりを掴んだまま振り向いた私の眼を凝視して向けられた、この身体の芯の部分にある
「
果たしてこの返答は私が心から思って口にしたのか、それは既に空っぽになっていたこの心に聞いても分からない。ただ、そう聞かれてズシリと重くなったこの身体の
「・・・・・・ははっ・・・あはははっ」
問いかけに答えた私の眼を視たまま、彼は堪えきれずと言わんばかりに地面のほうを向いて笑い出して、笑い終え一呼吸を置いてその顔を上げた。
「じゃああんたは俺と一緒だ」
そして瞳の中に黒い星が禍々しく輝いているかのような碧い瞳をした彼は、歓喜と悲哀が入れ交じった表情でこう言った。
「俺も当てもなく歩いていたらここに辿り着いた・・・・・・だから俺とあんたは同じ
ビルからの一瞬の向かい風で靡いた髪から覗いた彼の碧い瞳は、瓜二つなほどにお兄ちゃんと似ていた_
【・・・っ】
深い眠りから覚めるようにぼんやりとした視界が開けたかと思ったら、天井のあまりの眩しさにびっくりして開きかけた瞼を閉じて、“僕”はもう一度ゆっくりと目を開ける。
【柊児・・・分かる?】
ホワイトアウトした視界が、聞いたことのある声で少しずつ鮮明に戻って行く。鮮明になっていく視界の先に映るのは、俺のことを見下ろすように見つめるお父さんとお母さんの姿。
【っ・・・】
名前を呼んだお母さんに“うん”と言おうとして、言葉が喉の辺りで詰まって声にならない声になって口から出る。どうして思うように声が出ないのか。なぜ僕はここにいるのか。そもそもここは一体どこなのか。
“そっか・・・僕はアキトが変なところに飛ばしたサッカーボールを追いかけて・・・”
【・・・?】
“・・・・・・え?”
自分が寝ている状態だということに気付いて起き上がろうとしたら、腰から下の感覚が無くなっていた。
【・・・あ・・し・・・・ある?】
「カットッ!」
少し遠くのほうから聞こえてきた監督の掛け声を合図に、おれは芝居を解く。
「まさか一発で正解を引き当てるとは、さすが大俳優の血を引き継ぐ天才子役だ」
いま撮っている映画でメガホンを取る
「とんでもないですよ。流れている血が同じってだけで、おれは両親のような天才ではありませんから」
とはいえおれもプロの役者である以上、その喜びをおくびにも出さずに思惑に反して一発で正解を出された大代監督からの
「次はシーン39を撮る。それまで演者は休憩だ」
ともあれこれで、俺にとってこの映画で一番最初に撮ることになったシーンの撮影は俺が一発で正解を出したことによって1時間巻きで終わり、撮影スタジオに集まったスタッフたちは監督の指示で次のシーンの準備を始める。
「次も見せてくれよ。天才少年」
「あははっ、もーやめてくださいって天才って呼ぶのは(せめて子役なのか少年なのかどっちかにしろよ・・・)」
その光景を尻目に、業界内でも拘りが強いことで知られる大代監督と一言だけやり合っておれはカメラの外側へとはける。
「(悪意がないからこっちからは何も言えないんだよな・・・)」
ボス曰くコンプライアンスという言葉がこの業界にも広く浸透したのは20年以上も前のことらしいが、まだまだこの世界には相手が事務所から重宝されているタレントだろうと知ったことかと我を貫く大人の人は多い。ただそういう普通からズレた感性と常識で生きている人が撮る映画は少なからずその
「(・・・ただイブは意外とこういうの嫌がるかもな)」
まあ、俺の心がちょっとやそっとのことじゃビクともしなくなったのは今まで生きてきた時間の中であまりに色んなことがあり過ぎたせいかもしれないが_
「素晴らしい演技だったぜ。ガイア」
病室のセットが組まれたスタジオの隣にある控室に入ると、少し前からモニターのところでコッソリと撮影を見物していたルキアさんが軽く拍手をしながら最初のシーンを撮り終えたおれを出迎えた。
「まさか一発でOKが出るとは思いませんでしたよ」
「もうちょい喜べよ。マジで完璧だったから」
「芝居は完璧すぎないほうがいいんですよ」
「そんなことないと俺は思うけどね」
おれが所属するスタジェネと肩を並べる大手芸能事務所に所属し、今や次世代を担うスターと言っても過言ではないネクストブレイク俳優・今瀬ルキア。芸歴としては俺より3年下になるが、180センチの長身に“儚げの王子”と称される美形な顔立ちを武器にした圧倒的な存在感とカリスマ性で瞬く間にスターダムへとのし上がった、芸能界では“10年に1人”と謳われている言わば
「ルキアさんもあと2年くらいしたら分かってくると思います」
「そすか。では心得ます」
子役のイメージから脱却するためにもがき続けている俺からすればあっという間に追い抜かされた恰好になったが、若かりし頃のボスを彷彿とさせるビジュアルと天性の才能を目にしてしまえば羨ましさも湧きやしない。
「というか今日ってオフですよねルキアさん?」
「オフだから来た」
「オフなら休んでください。無理して身体ぶっ壊したら色んな人に迷惑が掛かりますよ?」
「ホントは休んでも良かったんだけど、やっぱ
「めちゃくちゃ勉強家じゃないですか」
おまけに普段のおちゃらけた振る舞いとは裏腹にオフを返上して撮影現場に来るほどの勉強熱心な真面目さもあるから、同業者として妬む余地もない。
「てか、前から思ってたんだけど芸歴で言えばガイアのほうが先輩だからタメ口でよくね?」
「なんか年上の人にタメ口で話すのって自分が天狗になってるみたいで嫌なんですよ(一応先輩を相手に平気でタメ口なルキアさんがそれ言うのもどうかとは思うけど・・・)」
「真面目過ぎでしょそれは」
「ルキアさんには言われたくないです」
ちなみにルキアさんは鈴懸の高等部に通っているため、中等部の俺にとっては同じ学校の先輩である。ただしルキアさんはいまドラマに映画と大忙しな上に、おれもおれで今日みたいにそこそこスケジュールは入っているから同じ学校にいても互いに顔を合わせることは滅多になく、こうやってまともに話すのは初共演になったこの映画が初めてのことだ。
「まあでも、ガイアみたいな普通寄りの感覚を持った人も芸能界には必要なんだろうなって、俺も思うところはあるけどね・・・」
そんなおれとルキアさんは、来年に公開が予定されている大代監督の映画で主人公の1人で小6のときに起きた不慮の事故で下半身不随になった柊児という役柄を演じる。と言ってもメインは当然ルキアさんのほうで、おれが演じるのは過去の回想で登場する柊児の少年期という役柄で、スクリーンに映る時間は長く見積もってもせいぜい10分程度と言ったところだ。
「マジで言ってますそれ?」
「一応」
「一応て」
無論、重要な役であるのは違いないから今回も
「・・・そういえばさ、
シーンを撮り終えて一息つこうとソファーに腰掛けたところで、座ったおれの動きを真似るかのように1人分の間を空けてソファーに座ったルキアさんが控室におれしかいないことを目視で確認して、五反田監督がメガホンを取るあの映画についての話を切り出した。まだ公には明かされていない関係者同士だけの秘密事項だが、実はルキアさんも何かしらの役で出演することが水面下で決まっている。
「ちょうど1週間後に初顔合わせがあるってこと以外は何も決まってないですね」
「ははっ、やっぱりか」
「しかも顔合わせの日程が決まったのがつい昨日ですよ。幾ら芸能界と言えど、こんなことは滅多にないと思ってます」
「大物俳優の血が流れてるガイアがそう言うなら、マジなんだろうな」
「(流れてないんだよなあ・・・)」
事務所の会議室で星野さんから五反田監督の新作映画で主演に抜擢されたことを明かされてから、3週間が経った。あの日からずっとこれといった進展がないまま3分の2ヶ月が過ぎて、つい昨日になってようやく初顔合わせの目途が立った。はっきり言って昨日までは五反田監督を始めとした制作サイド側からなんの音沙汰もなかったから、いよいよこれはかつてないほど壮大なドッキリに巻き込まれたんじゃないかとすら思い始めていた。
「とにかくオファーが来てから今日に至るまでに分かっているのは、新作映画は
幾ら明日何が起こるかも分からない世界で生きていても、五反田監督の新作に関してはあまりに情報が少ないから本当に想像がつかない上に、昨日まで全くと言っていいほど進展がなかったから何なら何度か忘れかけていた。
「もちろん、演者は監督を信じて待つことしかできませんけど」
そういやあの
「星野ルビーかぁ・・・・・・今も可愛いままなんかな?」
隣に座ったルキアさんが、誰に向けるでもない感じに控室の天井のほうを見上げながら能天気に呟く。
「あの・・・ひょっとしてルキアさんって
その純粋無垢な少年みたいな表情を浮かべたリアクションはもしや・・・と思っておれは思い切って聞いてみる。
「そう。現在進行形で」
するとルキアさんは、横目でクールに微笑みながら隣の俺に推しであることを打ち明けた。正直言ってこれはかなり意外だ。
「へぇ~、なんかあんまりイメージがないせいか意外ですね」
「でしょ。実際すげえ言われる」
そのことを本人に言うと、ルキアさんは得意げな表情と口ぶりでよく言われるとおれに返す。今瀬ルキアのパブリックイメージがアイドルとはおおよそ無縁なせいもあるが、これぞ“人を見た目で判断してはいけない”と言ったところか。
「両親がB小町の大ファンで、その両親と一緒にラストライブに行って初めて星野ルビーをこの眼で見てから俺もすっかり魅せられちゃってさ・・・それまでは名前は知ってるけどって程度だったから、もっと早く推しになっておけばっていまでもたまに思うよ」
前を向いて星野さんのことを語る表情に、最初の出会いが最後になってしまったことへの僅かばかりの寂しさが募る。
「でも、最後の最後で推しと会えたんだったら幸せじゃないですか?」
おれにとってアイドルだった頃の星野さんは、決して推しといえる存在ではなかった。映像越しに見るあの唯一無二の輝きは確かに魅力的にこの眼に映ったが、感情が視えないあの笑顔のせいで好きという感情よりも不気味さが自分の中で勝ってしまったから、どうしても推すことは出来なかった。
「そう信じたいね・・・・・・俺にとって星野ルビーはただの推しじゃなくて、芸能界に入る
それでも中にはルキアさんのように人生単位での影響を受けた人もいて、彼女の放つ輝きに魅せられた“新たな星”が生まれて同じように地上で生きる人たちに希望を与えているわけだから、おれはB小町にいたときの星野さんのことは否定したくない。
「・・・そうだったんですね」
「君は色んなものを背負い込んで、心の整理が出来ない中でも生きていく意味を探す道を選んだから、ここにいるんだね」
もしかしたらみんなが見ていた星野ルビーも、蓋を開ければどこにでもいる
「一旦楽屋に戻って集中力上げてきます」
「あんま無茶はすんなよ」
「分かってます。あと、もしスタッフの誰かがおれのことを探してたら楽屋にいるって伝えてください」
「おうよ」
次のシーンが始まるまでもう少々の時間がかかりそうなのを察して、おれは見学に来た主演のルキアさんへ断りをいれて楽屋へ戻った。
☆★
「ガイアさん。着きましたよ」
「・・・ん」
前方のほうからマネージャーの声が聞こえてきて、ゆっくりと目が覚める。
「お疲れですか?」
後部座席で寝落ちていたおれを、マネージャーが優しく気遣う。スタジオから上原家に戻る道中でスケジュールの確認をして、その後に台本を読み返しているうちにどうやら寝てしまっていたらしい。
「そうかもしれないですね」
昨日は撮影に備えてちゃんと7時間ぐっすり寝たから体力的には余裕とはいえ、自分の中にあるスイッチのオンオフを何度も繰り返す撮影現場の仕事終わりは、やはり相応に疲れるものだ。特に子役としてブレイクしていた時期に至っては分単位でスケジュールが組まされていて、帰りの車の中ではほとんど気絶するように爆睡していた。
「でもありがたいですよ。こうやっておれのことを使ってくれる人がいてくれるっていうのは」
それでもマネージャーが運転する帰りの車でつい眠ってしまうたびに今日もちゃんと頑張れたなって思えるから、中学に上がってから笑う時間が減ったおれにとってはちょっとした幸せになっている。
「当然ですよ。それだけボスはガイアさんのことを大事にしていますから」
使ってもらえることへの幸せとありがたみを呟いたおれへ、マネージャーが含みのある言葉で期待しているという意味合いの言葉を告げてスライドドアのスイッチに手を掛ける。
「いよいよ見せつけるときですね・・・おれの役者としての
それを来週からいよいよ本格的に始まっていくあの映画のことを含めて言っていると解釈して、おれはマネージャーに意気込みを伝えて開いたスライドドアから車の外へと降りる。
「明日も6時半にこちらへ伺います」
「はい。今日もお疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
外へと降りてマネージャーと最後に挨拶をして、一等地の住宅街の中を法定速度で走り去って行くテールライトを見送って、今日も今日とて二重ロックのかかった玄関の鍵を開ける。そんないつもと何ら変わらない日常。
「(・・・なんかいつもより騒がしい?)」
二重ロックを解除して玄関に繋がるドアノブに手を掛けようとした瞬間、普段とは少し違う空気感がおれの五感を襲う。音や声は聞こえないから確信は持てないが、ドアの向こう側から沸々といつもより騒がしそうな雰囲気が予感となって伝っていく。
「(いや、疲れてるだけだな)」
ただすぐに撮影終わりで疲れているせいということにして、悪い予感じみたものを心の中で僅かに残したままドアノブに手を掛ける。幾ら演じるということを生業にしているから感受性が研ぎ澄まされていると言っても、こればっかりは深読みのし過ぎというオチだろう。
ガチャッ_
そう思い込んで、いつも通りに鍵が開いたドアを開けておれは玄関の中へと入った。
「おかえり、ガイアくん」
ドアを開けて中に入ると、上原家の玄関に立っていた星野さんに出迎えられた。
「・・・・・・は?」
あまりにも想定外すぎる光景に、頭が真っ白になったおれは完全に言葉を失った。
久しぶり過ぎて書いていてブランクが半端じゃなかったです。
というわけで、めっちゃお久しぶりになってしまいごめんなさい。次回の更新はもうちょい早めに上げられるよう頑張ります。