おれは、星野ルビーという人を知っている。
『私にとってアイドルという仕事は天職ですし、今でもその思いは変わっていません』_
おれが『15年の嘘』という映画で星野ルビーという人に関心を持ったときには、彼女はもうアイドルではなくなっていた。星野ルビーとB小町というアイドルグループの存在自体は物心がついたときから何となく知ってはいたが、おれ自身がアイドル自体に興味がなかったことに加えて食卓でもアイドルの話題自体が上がることがないような家庭環境で育ったからか、あの映画を観るまでは1ミリも関心なんてなかった。無論、母上も親父もアイドルのことを話さなかったのではなく
すごいな・・・この人_
そして初めてまともにB小町のライブ映像を見たときの彼女の印象は、冷静に見れば踊りは上手いものの歌唱力は普通に聴けるがはっきり言ってプロとして聴くと決して上手いわけではない、そんなレベルだった。だけどそんなことなんてどうでも良くなるばかりか考えることすら無駄に思えてしまうほど、B小町の東京ドーム公演を収めた映像の中で5万人以上の観客を前にしてヒットチャートを賑わせていた楽曲を煌びやかな衣装と笑顔で歌っている彼女は、1秒たりとも目が離せないほど釘付けになる圧倒的な存在感と輝きを放っていた。何気なく自分のスマホや家のテレビで観ていただけであそこまで引き込まれたから、生で観ていたらとんでもないことになっていたかもしれない。
『私たちのことを応援してくれたみんなのおかげで、東京ドームのステージに立つという夢が叶いました!』_
一言で言うなら、アイドルの星野ルビーは本当の意味で
どうしてこの人は、ずっと笑っていられるんだろう・・・_
ただし、どれだけその人が魅力的で才能に溢れていたとしても、それが観る側の全員から魅力的に映るとは限らないのが、毎日どこかで些細な喧嘩から戦争や殺人までもが巻き起こっている世界で生きている人間という生き物だとおれは思う。少なくともおれは『15年の嘘』とその後の顛末を聞かされていたせいか、何万人もの観客を前にしてステージの上で歌って踊る星野ルビーの笑顔に言葉では言い表せない非現実的な不気味さを覚えてしまい、B小町の曲自体はいくつかハマったがどうしても彼女に感情移入することが出来なかった。
『12月24日、25日の東京ドーム2DAYSを持ちまして・・・・・・私たちB小町は、解散します』_
そして今から8年前。物心がついたおれとイブが映画やドラマに目覚め始めたころ、人気絶頂の中でB小町は10周年というタイミングで
「改めて今日はありがとねガイアくん」
さて、いま目の前に広がっている光景は果たして現実なのだろうか。ミーティングルームのイスに座り、テーブルを挟んで正面に座るおれを母親のように優しい笑みで見つめる、伝説のアイドル。
「いえ、こちらこそ星野さんと話せて光栄です・・・」
ここに至った経緯を、軽く振り返る。まず昼休みにイブと一緒に昼を食べ終えたところでボスから“君に会いたいという来客がいるから事務所に来てほしい”という電話が来て、どういう訳か相手が誰なのかを一切教えられない状況のままボスの言うがままにスタジェネの事務所に向かい来客の待つミーティングルームの扉を開けると、伝説のアイドルに笑顔で出迎えられた。とりあえず昨日、ひょんなことから神様に会ってきたばかりのおれは未だに理解が追いついていない。
「あははっ、さては緊張しているな?」
「そうじゃないんですけど、マジで予想外過ぎて頭の中が追いついてないっていうか」
B小町が解散してから8年が経った今でも星のように光るピンク色の瞳は輝いたままで、ビジュアルは動画やDVDで観たことのあるアイドル時代から全く劣化していないばかりか、あの可愛さと美しさを保ったまま大人の魅力も上がったことで更に輪をかけて綺麗になっている。美男美女揃いの芸能界で6年生きてきているのと綺麗すぎる母上と美少女すぎる姉と一緒に生活してきたおかげで良くも悪くも目が肥えているおれから見ても、普通の人なら腰が抜けるかまともに直視すら出来ないかのどちらかだろう・・・ということが容易く想像出来てしまうほど星野さんの顔は綺麗で、オーラが凄まじい。
「ま~そうだよね。だってB小町が解散したのがもう8年も前でしょ?それで私も解散ライブやってからは一度も表に出るようなことはしてこなかったわけだし、もう訳わかんないよね?」
8年の時が経ち一層大人びた顔に反してアイドルだったときの天真爛漫さを彷彿とさせる溌剌とした語り口が、リアルタイムで観て来なかった面影を世代ではないおれに伝えてくる。互いに目を合わせて話せば話すほど、相手が親父の腹違いの妹だという現実が信じられなくなってくる。映画に描かれていた真実が全てだから、信じるか信じないか以前に事実であることは分かっているはずなのに。
「本当ですよ。ただ来客がいると東雲から言われて部屋に入って見れば、8年前に芸能界から姿を消した伝説のアイドルがいるなんて・・・マジで訳が分かんないですよ」
「うん。それについては本当にごめんね」
「いえ、謝るようなことじゃないので気にしなくても・・・」
はっきり言って、本当に訳が分からない。いったいどうしてこの人は、いきなり何の前触れもなしにわざわざボスにも口止めまでしておれに会いに来たのか。あまりに訳が分からなすぎて、もはや昨日会った神様以上に現実感が湧かない。
「それで、
だがこのままだと思惑が全く分からない星野ルビーのオーラに喰われかねないと感じて、心を
「そうだね。ここに来るまでガイアくんには秘密にしておくように東雲さんには頼んであったから話さないとだね」
呼んだ理由を問うと、星野さんは特にじらすような様子も見せずにそのまま明かす素振りを見せて、サングラスを外してワンピースの首元にかける。
「一言で言うなら・・・これは
そして“これはオーディションだ”とピンク色の瞳をキラリと輝かせて、星野さんは理由を打ち明けた。一瞬だけキラリと白く光ったかのように見えた星野さんの瞳が、どこか不気味に映る。
「オーディション・・・それって」
「答えは後でちゃんと教えるって約束するから、私からの質問にいくつか答えてくれるかな?」
オーディションの中身が何なのかを聞こうとしたら、質疑応答に移されて再びペースを星野さんに握られた。ただオーディションということは、何かしらの映画やドラマの企画に関係したものなのだろうか。咄嗟で頭にパッと浮かんでくるのは、これぐらいしかない。
「はい。分かりました」
ひとまずオーディションである以上は指示に従うことがマストだと直感に従い、無茶ぶりに近い質疑応答を引き受けることにする。この人が何かしらの形で携わる作品への出演を賭けた抜き打ちのオーディションだと考えれば、ただこの人から聞かれることに自分の見解をぶつければいい。どうにか心を仕事モードに切り替えられたおかげか、自然と心もいつもの落ち着きを取り戻した。
「これでやっと緊張が解けてきたみたいだね?」
「オーディションだと分かれば、もう怖くないです」
「すごいじゃん。さすが姫川さんとフリルちゃんの子供だね」
「一応、メンタル面とかは両親から鍛えられている部分もあるので」
二つ返事で受け入れたおれに、星野さんは優しい笑みと溌剌な口調を保ち続けたまま褒める。カメラの前で演技をしているわけでもなければ、1人のアイドルとして一般人を相手にしているわけでもない。小洒落た黒いワンピースを着こなした、完全にプライベートの
「これはまた良いご両親を持ったね。ガイアくん」
「えぇ、本当に両親には感謝してます」
だがおれのことを見つめるその瞳は、東京ドームやスタジアムのステージの上で眩いほどの笑顔を振りまいていたときと同じように
「ところで姫川さんとフリルちゃんは元気にしてる?」
「ええまあ。いつも通りぼちぼちと」
いきなり始まったオーディションは、母上と親父の近況についてだった。なるほど、出だしは当たり障りのない質問からか。確かに親父の腹違いの妹とは言ってもこの人とおれはつい数分前まで全く面識がなかったから、そりゃあ気になるか。
「そっかぁ。2人とも結構な頻度で顔とか見るから忙しそうにしてて実はちょっと心配してたんだよね~」
「そうなんですね」
「ちゃんと休めてる?ガイアくんもだけど」
「はい。一家揃って休むときはガッツリ休む派なんで大丈夫です」
「へぇ~良いじゃん。けどお父さんとお母さんがあのペースで仕事してると留守にすることもあるだろうし、ガイアくんは寂しい思いとかしてない?」
「そうですね、お父さんもお母さんも忙しいときは忙しいですし一日中家に帰らない日もありますけど、2人とも家にいないときは家政婦さんもいますのであんまり寂しいって気持ちはないですね。適当にテレビ付けたらたまに2人のCMが流れたりもしますし」
「有名人
「星野アイさんですね」
「嘘っ!?私のママのこと知ってるんだ!?」
「はい。全然世代じゃないんですけど、今でも名前だけは聞きますので」
「あーでも確かに没後何十周年とかでドキュメンタリーやってるから意外と知ってる人ってまだ多いよね?」
「そうかもしれないですね・・・ちなみにそういうドキュメンタリーって星野さんも毎回ちゃんと了承しているんですか?」
「もちろんだよ。アイドルが多様化した今だからこそ、
「なるほど・・・」
相手のことがあまりに分からないから、さすがに『15年の嘘』の話題には出来ない。思えば腹違いとはいえ親父の妹という遠いようで実は近い関係性でありながら、星野さんと面と向かうのも話すのも生まれて初めてで、B小町のライブも一度も行ったことなんてない。その程度にはこの人と上原家は疎遠な関係であるから、おれたちの近況を知らないのは当然のことかもしれない。
「あ、そうだ。お姉ちゃんって元気?」
「あぁはい。何なら元気過ぎるくらいです」
「ていうか名前って何て言うの?」
「
「衣舞・・・すごく良い名前だね」
無論逆も然りで、おれもおれでこの人のプライベートは全く知らない。今どこで何をしているのかも、表舞台から姿を消してから今日に至るまでにどんな日常を送っていたのかも、本当に何も知らない。
「それに引き換え僕は大地と書いて
「ガイアくんだってめちゃくちゃ良い名前じゃん。大地って書いてガイアとか超カッコイイじゃん」
「まあ、別にこの名前自体は僕も気に入ってはいるんですけどね。これはちょっとした自虐です」
「へぇ~真面目そうに見えてお茶目なところもあるんだねガイアくんって」
「いやいや全然ですよ。ただ、強いて言えば両親が揃って個性派なもので多少は影響受けてるところはあるかもですけど」
「でも大変じゃない?お父さんとお母さんが
「確かにそこそこプレッシャーを感じることもありますけど、もう慣れました」
「ははっ、ガイアくんは本当に強い心の持ち主だね」
「そんなことないですよ」
いま話している星野さんが、果たして
「やっぱり・・・
オーディションというよりほとんど他愛もない話で繋ぐ限りなく雑談に近いやり取りが暫し続いたところで、星野さんは正面の位置に座るおれの目を見たまま笑みは崩さずに物思いに沈むような表情を浮かべて問いかける。星野さんの口から放たれたただの何気ない一言が、合間の空気中で意味深な形に変わって耳へと入り込む。
「・・・そうですね」
おれは星野さんが家族を失った身であることを知っている。だからはっきり言ってどう返したらいいのか分からないし、考える限りで一番最悪な形で両親と兄を亡くしているこの人を前に、“幸せです”なんて軽々しくは口には出来ない。
「良いですよね。
この人と比べたら本当に小さなことかもしれないが、おれもそう簡単には幸せですとは言えない立場で、それなりに色々と抱えながら日々を生きている。出来ることなら忘れたいくらいだが、どれだけ現実から逃げようとも本当は別の家族の下で全く違う日々を送っていたはずだったという事実は、変わることはない。
「ガイア・・・・・・お前は俺たちの子供じゃないんだよ」_
「・・・ガイアくんは優しいんだね」
数秒間という短い時間の中で考えた答えになっていないどっちつかずな返答に、星野さんは静かながらも嬉しそうな口ぶりで頷く。目の前にいる腹違いの兄の子供を見つめながらもどこか遠くを見据えていた意識が、ぐっと至近距離に近づいたのを空気と瞳の動きで感じ取る。
心なしかほんの一瞬だけ、
「すみません・・・星野さんの生い立ちは人伝ですが一応知っていて・・・それを考えると何て返したらいいのか」
「あははっ、も~そんなこと全然気にしなくていいのに」
どっちつかずな返答しか出来なかったことを謝ると、星野さんは声を上げて気にしなくていいと笑ってフォローしてくれた。一瞬だけ感じた感情は、ピンク色の瞳からはもう消えている。
「ガイアくんには姫川さんとフリルちゃん、それにイブちゃんってお姉ちゃんもいるんだからさ。外野がどうのこうの言ってくるのなんか気にしないで、パーッと明るく当たり前に家族がいる幸せに甘えていいんだよ☆」
続けざまに気を遣うあまり素直に言葉を受け止められずにいるおれへ、アイドル時代を思い起こさせる語尾に☆マークでも付いているんじゃないかってくらいの明るさでエールを送る。これが緊張を解すための作り笑顔だというのは本能が理解しているが、この人のさり気ない些細な仕草の1つが対峙された側の意識を惑わす。ただそこにいるだけで場の空気を掌握してしまう、生粋のカリスマ。この視線が自然と吸い寄せられるほどの存在感と念願のドーム公演に至るまでのあまりに悲劇的な生い立ちが、
「そうですよね。せっかく僕のことを愛してくれる家族がいるなら、甘えないと逆に失礼ですよね」
それが全て本当だったとしても、全く違う解釈だったとしても、どうしてアイドルの星野さんはあそこまでキラキラとした笑顔を浮かべられたのか、親父に真実を告げられてから少しだけ笑うのが下手になってしまったおれには理解が出来ない。
「うんうん。だから君は遠慮なく言っちゃっていいんだよ。自分は幸せだって」
当然おれだって役者だからカメラが回れば笑顔なんていくらでも作れるし、15秒あれば涙だって流せる。
「じゃあ遠慮なく言わせてもらいますけど、普通に幸せです」
だけど
「あれ?なんで嘘ついたの?」
素直に伝説のアイドルからのエールを受け取ったはずの意識に、明るくも冷たい声が飛び込む。間違いなくいまの声は、目の前に座る星野さんの声だった。
「・・・え?」
目の前から発せられた数秒前とは別人なほど冷めた声。トーンはほとんど変わっていないはずなのに、まるで光のない暗闇から聞こえてくるような冷たさを感じた星野さんの声の衝撃と落差に、おれは相槌を絞り出すだけで精一杯。この心臓を掴まされるような、頭の奥をほじくられるような形容し難い気持ちの悪い感触は、昨日も味わっている。
「いまのガイアくん。
寒暖差で言葉を失うこの心を優しく鷲掴むかの如く、星野さんは両目を開いたままニコリと笑う。おれの目を凝視するピンク色の瞳の中に、どす黒い星のような光が宿る。無論、本当にこの人の目がそういう光を帯びているわけではないが、それが視えてしまうほど強力な怒りとも悲しみとも似つかない不気味な感情で、星野さんはおれを見つめて笑う。
「・・・・・・」
全く笑っていない目で笑うその表情がこの世とは思えないほど異質に思えて、今度こそ完全に言葉を失う。いったいどんな生き方を歩めば、こんなにもおぞましい瞳で人のことを見つめられるのだろうか。
「アイドルだった私には分かるよ・・・
【分かるよ。私と
「それは・・・星野さんが
あの映画の劇中で言っていた台詞とほぼ同じ意味を持つ言葉を向けられ
「どうして?」
正面に座るおれを見つめる瞳から、黒い
「B小町の東京ドーム公演の映像を初めて観たとき、
それを見届けたおれは、敢えて仕事モードを外して自分の本心で星野さんと向き合う。本当に僅かだが、この人のことが分かり始めてきた。
「教えてください・・・あれだけのことがあったのに、何であそこまで
相手が何を考えているのか、発せられる言葉のどこまでが本当でどこまでが嘘なのかあるいは全てが嘘なのかは、まだ何も分かっていない。
「ん~、それはアイドルって仕事が本当に楽しかったからかな?」
ただ星野さんが魅せつけてくれた感情を見て、B小町のライブ映像で見せていた笑顔が嘘を重ねた先にある
「確かにアイドルはプライベートでどんなに辛いことがあってもステージに上がったら楽しそうに笑わなきゃいけないお仕事だから君みたいにネガティブなイメージを持つ人も少なくないけど、いざステージに立って星のペンライトを持った観客の前に立つと辛いことも悲しいことも全部忘れられる、素敵で楽しいお仕事だったよ・・・言っとくけど、それだけは
そして今おれの前にいる星野ルビーは、きっと本性を
「ガイアくんだってそうでしょ?プライベートでどんなに辛いことがあっても、カメラの前に立ったら自分っていう存在を消さなきゃ監督さんがOKを出してくれない世界でお芝居をすることに楽しさを見出せたから、こうして私の前で座っている・・・」
アイドルとしてステージの上から観客に魅せていた笑顔の秘密を明かすと、星野さんは正面のイスから静かに立ち上がり壇上で台詞を紡ぐ舞台女優のように語りがけながら、視線を逸らさずにゆっくりと近づく。
「実は
そして座ったままのおれの右隣にある空いたイスに横向きの姿勢で背もたれの部分に寄りかかるように座ると、上原家とスタジェネにいるごく一部の
「だからここからは
真横で凝視する瞳には、ステージの上に立っていたときと同じ輝きを放つ
正直言ってこの回を投稿するにあたり、滅茶苦茶悩みました。ただ自分としては最終回のラストを読み終えてストーリーのイメージが頭に浮かんだ時点で赤坂アカ先生の描いた【推しの子】の世界線で起こり得そうな“ハッピーエンドの続き”を書く、そこだけは曲げないと最初から決めていましたので1話からここまで書き進めていく中で色々と考え悩みに悩んだ末、このような形になりました。
ここから先は今まで以上に人を選ぶような展開が続いてくかもしれませんが、今後ともこの小説を読んでくださると大変ありがたいです。