魔法少女リリカルなのはStrikerS もう一人のストライカー 作:藤月沙月
潮風の香りに葉が揺れ、太陽は穏やかな光を地上に届ける。青い空、白い雲、そして紺碧色の海。
その真上に立てられた海上隔離施設には、瑞々しくも咲き乱れた草花が訪れた者の目を楽しませる。決してそういう施設ではないのだが、こういった植物に触れ合うのも情操教育の一環らしい。この施設に収監されるのは年少者や若年者の魔導犯罪者。そんな彼らの更正に必要なのが自然溢れる場所と優しいスタッフだ。そのせいか面談や差し入れの手続きも結構スムーズに行うことが出来る。
またこの施設には戦闘機人技術等に詳しいマリエル・アテンザ技官がいるためか、違法技術で生み出された被害者を受け入れることもあった。今回――イクスがこの施設に保護されたのも、そのためである。
――海上隔離施設。そこを訪れた私とスバルは、イクスが待っていると言う小高い丘に来ていた。そこは施設の中でも数少ない外が見える場所で、海と空、その両方が見える唯一の場所らしい。
そしてマリエル技官の言うとおり、イクスはそこで待っていた。
「イークスっ」
「あ……スバル。お久しぶりです」
「うん。お久しぶりです」
イクスの隣にスバルが座り、その隣に私が座る。私の姿を確認したイクスは「深琴も。お久しぶりです」と声をかけた。そんな彼女に微笑んで見せるが、やや頬が引き攣っていたのは気のせいではない。ばれない様に頬を動かして、和らげる。
「目覚めの気分はどう?」
「快適です。お茶や食事や、お菓子まで頂いてしまいました」
「そっか」
それから私達が来るまでは、ここでこの世界の風景やビデオレターを見ていたらしい。あの日から彼女宛に届けられたメールは、ヴィヴィオや教会の関係者、それに古代ベルカを生きた守護騎士達の皆さんがわざわざ送ってくれたもの。その殆どが機動六課の関係者という点には少々思うものがあるが、それだけあの部隊の隊員たちへの絆があるのだろうと思ってみる。
「はい。聖王陛下からのものも。かわいらしい方で、驚きました」
「でしょ? イクスと話したがってたんだけど……あ、通信繋がるかな」
呟いて、スバルはマッハキャリバーからヴィヴィオの端末の番号を呼び出した。
『はい、ヴィヴィオです』
「あ、スバルです。今お昼休み?」
サウンドオンリーとはいえ、すぐに返事が返ってきたということは少なくとも授業中ではないのだろう。スバルの質問に頷いたヴィヴィオはイクスの件を聞いて――すぐさま映像通信に切り替えた。曰く「全力で大丈夫です!」。
『えっと……ごきげんよう、イクスヴェリア様』
「あ、聖王陛下……メール、拝見しました。ありがとうございました」
『いえー、とんでもない。失礼とかなかったですか?』
「いえ」
「ちょ、やめなよー。二人してそんな丁寧なー」
元は古代ベルカの王族同士。そしてヴィヴィオは現在ザンクト・ヒルデで学ぶ学生だ。礼儀正しくをモットーにするのは聖王教会由来のものでもあるためか、口調は非常に丁寧なもの。見た目の年齢は10歳かそこらのはずのイクスと、小学三年生のヴィヴィオ――そんな丁寧な口調で話さなくても。そう思ったのはスバルも同じようで、苦笑混じりで二人の間に入った。ヴィヴィオも『そうですね』と頷いている。
「あの……陛下?」
一方のイクスは真剣な表情で、ヴィヴィオを見ていた。
「あなたのお話……あなたの母上のお話……とても勇気付けられました。陛下は素敵な家族と、ご友人をお持ちでいらっしゃいます」
『イクスも、もうスバルさんや深琴お姉ちゃ……深琴さんと仲良しでしょ? 私もお友達になれたらなあって思います』
「光栄です」
そう言って微笑んだイクスに、ヴィヴィオは苦笑している。
『とりあえず、”陛下”はやめない? ヴィヴィオって呼んでくれた方が……』
「あ……失礼しました。じゃあ……『ヴィヴィオ』」
『失礼とかないよ。ありがと、イクス』
微笑ましいその光景から、私は視線を逸らした。脳裏にはスバルのマンションで聞いた、マリエル技官の言葉が過ぎっている。
「昏睡……? イクスが、ですか?」
『今朝分かったの。機能不全なんだと思うんだけど……今の技術じゃ治療が出来なくて……』
そして自然な形での目覚めは、今日が最後かもしれないと。
――古代ベルカ時代の王の体は、大なり小なり人の手による改造を受けている。聖王家が保持する戦船の鍵としての機能や、ガレアの王が保持した屍兵器の生体コア機能。私達アルティスもそれは同じで、最低限の魔力さえ残っていれば、負った傷はどんなものであろうと自然に治癒させてしまう。例えそれが臓器を欠損する程の怪我だとしても、魔力と少々の時間さえあれば再生できた。私がこれまで――機動六課時代から怪我をしてもすぐ回復できたのは、アルティスの遺伝子に刻み込まれた機能が発動したから。
それでも、アルティスの改造はその程度で。聖王家のゆりかごが破壊された今、ヴィヴィオやフェアに『ゆりかご』の鍵としての機能は残されていない。
だが、イクスは違う。今の彼女にマリアージュの生成機能は残されてないとはいえ、長い間ずっとガレアの王として進軍を命じ、兵士を生み出してきた。彼女の肉体構造は私達や聖王の――ヴィヴィオのものとは異なっていて、代替わりをすることなく、ずっと一人がその使命を背負っていたと言う。
そしてそれらの技術はアルハザードから提供された、オーバーテクノロジー。失われた技術であるそれらを治療するだけの技術力を、管理局は持ち合わせていない。これからに期待するしかないのだと。
『じゃあ、通信で長話もなんだから……イクス』
「はい、ヴィヴィオ」
『友達になってくれて、ありがと。イクス』
「こちらこそ、ありがとう。ヴィヴィオ」
そして期待して、待つしか出来ない自分達の無力さに――私とスバルは言葉を紡ぐことが出来なかった。何より無邪気に笑う二人に、その事実を伝えることができない。
思わず唇を強く噛んだ私は、痛みに顔を顰める。そっと唇に触れた指には血が付着していた。もう一度指で唇を拭ってみると――そこに血液が付着していた様な痕跡は無い。
『じゃあスバルさん、深琴お姉ちゃん。ありがとうございました!』
「うん!」
『またねー、イクス。ごきげんよう』
「ごきげんよう」
最終的には「お姉ちゃん」呼びに戻ったヴィヴィオは、イクスに声をかけて通信を切った。イクスも印象年齢が近い人と話せて――そしてその相手が聖王陛下であることもあるだろうけど――嬉しそうで。私やスバルだと、どうしても「お姉さん」になるだろうから。
「スバルとは、なんだか落ち着きます。助けて頂いたからでしょうか?」
「そっかー。何か嬉しいな」
言って笑顔になるスバルを見たイクスは、私を見た。
「深琴は……懐かしい感じがします。クオンと一緒にいるみたいです」
「そっか……私自身、ご先祖のことは最近まで知らなかったから」
機動六課時代に判明していたのは、古代ベルカの血を引いている事だけだったし。海鳴の秋月本家にはいくつか彼らが生きた時代の書物や物品が残されているが――その存在を知ったのも、六課を卒業した頃だ。
一方のイクスは、そんな私を見て、懐かしそうに目を細めている。
「髪も目の色も、本当によく似ています。あの騎士服も……そしてその強さも」
「……そうですか」
歯切れの悪い私やスバルの言葉に気づいたのか、イクスは笑って首を傾げた。
「……聞きましたか? 私のこと」
「……うん、聞いた。眠っちゃうんだよね、これから」
「今までもそうでしたから。……あ、眠っている間は、安全な場所に置いて頂けるそうですので。安心ですね」
「当然だよ。子供が眠るなら、安心して休める場所じゃないと」
「……今までは、ね」
無邪気に言うイクスに、スバルが笑う。しかしそれも一瞬のことで、イクスは瞳を伏せた。
「目覚めてはマリアージュを生み出して、戦地へ送り出して……城の中以外は、灰色の空と不毛の大地……血染めの
ぽつぽつと語るイクスの言葉に、クオンから受け継がれた記憶が蘇る。空は濁り、植物は生きるよりも早く枯れ果て、戦場には野晒しにされた兵士の遺体がそのままで。兵士は疲れ果て、それでも武器を片手に戦い続けて。
それでも自分達の国と民を守るため――戦を自分達の勝利で収めようと、王たちは戦い続けた。その身を異世界からの技術で作り変え、力の象徴となり、人の領分を越えた力で万騎を屠る。そんな時代だった。
「今度はいつ眠れるんだろう……いつになったら殺さなくてよくなるんだろうって、ずっとそんなことを考えていました」
「……だから、クオンに言ったんですよね? 『あなたとなら、分かり合えると思ってたのに』って」
「はい。……彼らの言葉は、他の国には理解されないものでした。当時は特に、少しでも有利に争いを進めていくことが重要とされていましたから。……だから、彼らならこの時代を少しでも良い方向に変えてくれるのではないかと、思っていました」
けれど実際は、できなくて。クオンは
現に当時はアルティスを示して軟弱だの何だの言って侵略しようとしては返り討ちにあった王家が、それこそ星のようにあったとか。
「けれど、あなた達と会えて、それは違ったのだと分かりました。自ら死のうとしてる命さえ、命を賭して救おうとしてくれる人がいる。大切な人を守るためだけに戦い、不必要な力は振るわない。私や、私の時代の人々が壊してしまった世界を、こんなに綺麗に育ててくれたのは……きっとお二人の様な人達なのだと」
「私達は別として、この世界には、いろんな人が生きてきましたから」
「はい」
素直に頷いて、イクスは微笑む。
「私は私で、自分を――自分の周りの世界を変えなければいけなかったんですね。……そうしたらもっと早く、変われていたかもしれない」
「過去は過去ですよ。大事なのは今と、これから」
スバルの言葉に、私も頷いていた。過去は嘆いても変わらない。でも、今とこれからは違う。……自分の手で、切り開いていける。
「その通りです。そんな簡単なことに気付くのに、千年以上もかかってしまいました」
「かかりましたね」
「かかり過ぎです」
穏やかな笑みを浮かべて、イクスは言う。
「今のこの世界は、綺麗ですね」
「……はい」
「青い空と……紺碧の海。綺麗な風」
「……ちょっと眠って、また起きたらさ! いつでも見られますよ!」
遠くを見る様な目をするイクスに、スバルは必死に語りかける。その声は湿り気を帯びていて、どうやらスバルも泣いているらしかった。私の視界がぼやけている理由も、同じだから。
「ここだって綺麗だけど、山も、海も、空も、もっともーっと綺麗な場所たくさんあるんだ! 紹介したい人だってたくさんいる。食べてほしい物も、見てほしい物も、すごい、たくさん……」
「……そうですね。そういった、綺麗で素敵なモノ全部、あなたと一緒に触れていきたかった……」
イクスの言葉は、過去形だ。それでも彼女は幸せそうで……その姿に、私は袖で涙を拭う。親友として泣くのはスバルに任せた。この体に流れる血のためにも、せめて涙は拭わなければ。クオンの遺志を継いだ者として、秋月深琴として。
「……泣かないで、スバル」
両目から涙を零すスバルを見て、イクスは微笑んだ。
「私が次に目を覚ました時……その時の目覚めは、きっと素敵です」
「っ……イクス、私……」
「……えいっ」
それでも泣き止むこと無いスバルに苦笑混じりの笑みを浮かべたイクスは、細い指でスバルの額を弾く。ぺちっと軽い音と衝撃に驚くスバルに、イクスは笑った。
「人の感謝に泣いたりする子には、デコピンです」
「……そんな、変なこと覚えて……」
「教えたのはスバルです」
言って、スバルとイクスは笑う。その原因は分からないが、あの時――私と合流する前にも似たようなことがあったのだろう。そして一頻り笑ったところで、イクスはゆっくりと体を伸ばした。
「たくさん笑ったら、眠くなってきました。優しいスバル、少し肩を借りても?」
「肩でも胸でも、いくらでも」
頷いたスバルに、イクスは嬉しそうに微笑んで――私とスバルの間に移動する。そして二人分の膝に、頭を乗せた。暖かさに喜ぶ彼女の頭を、スバルは優しく撫でる。
「……? スバル、それは? 何故頭に触れるのですか……?」
「撫でてるんですよ。『いい子だね』って」
その感触に、気持ちよさそうにイクスは目を細めた。もう限界なのだろうか、呼吸もゆっくりとした速度に変わっていく。
「いい気持ちです……眠くなって、きましたよ……?」
「うん……いいですよ。ゆっくり眠って」
「大好きです……ありがとう、スバル、深琴……お休み、なさい……」
ゆっくりと閉じられていくイクスの瞳を見つめて、スバルは消え入りそうな声で呟いた。
「……お休み。イクス……」
――こうしてイクスはいつ覚めるか分からない眠りについて。その体は聖王教会の聖遺物管理部が保有する海沿いの教会の一室に保護された。広い空と緑の山と野原。そして海を望める展望の一室で、静かに守られながら。
けれどその寝顔はとても穏やかな――まるでお昼寝している子供そのもので。年若き聖王陛下や彼女の友人、そして古代ベルカの騎士や融合騎達が、色とりどりの花束や写真を手に訪れるそうです。
◇
「ただいまー」
それから、夕方。スバルの部屋に帰ってきて、昼食も取らずに私とスバルはボーっとしていた。何をする気にもなれず、口を開けばイクスのことしか出てこなさそうで。
ちょうどティアが帰ってきたのを、二人で出迎える。とはいえやはりティアは鋭く、異変に気づいたようだった。「何かあった?」と首を傾げている。
「今日のお昼くらいにね、イクスが起きたんだけど……また眠っちゃった」
「……そうなんだ」
「少し長い眠りになるって。10年か……1000年か」
「……そう」
スバルの言葉に頷きながら、ティアはそっと私に視線を向けた。心配そうなその視線は、覚えがある。それからスバルはちょっと迷って、口を開いた。
「イクスと話して、帰ってきてぼーっとしててさ。その時、ティアの副官の子……あの子が言ってたって事、ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ分かった気がするの」
「……どんな風に?」
一先ず三人とも座って、スバルの言葉を待つ。
「生きてるとさ、悲しいことってたくさんあるでしょ? ……大切な人を亡くしたり、会えなくなったりとか」
「……そうね」
「だけどさ、心はすごく悲しいのに……半日食べなきゃ、ちゃんとお腹は減るんだよね」
「うん」
「悲しいのにご飯食べて、眠くなったら眠って、やらなきゃならないことやって……そんなことやってるうちに、悲しかった思い出が消えていって……そしたら悲しかったことまで嘘になっちゃうような、そんな気がして。……それで寂しかったんじゃないかなぁって」
ああ、なるほど。そう言われればそうかと、納得する。
親に捨てられたことが悲しくて。伯父の訓練は厳しいし、全然強くなってる感じがしなくて、自分の存在に価値が見い出せなくて、泣いていたあの頃。そんな思いをしたくなくて必死に強くなろうとして、訓練に打ち込んでいた士官学校時代は、確かにその記憶を忘れていた。人付き合いを犠牲にしたその時間が終わって、六課に入って――気がついたら、あの頃の私は何で泣いていたのか。その理由を忘れていた。
ルネッサも、そうだったのだろうか。考えていると、ティアは私とスバルに問いかける。
「……じゃあ今夜はその話、ゆっくり考えようか。お店はキャンセルする?」
「平気! イクスは眠っただけなんだし、防災士長がうじうじ考えてたら恥ずかしい!」
イクスが眠ったあの場所で、二人して――マリエル技官もN2Rの皆がそっとしてくれたお陰で、涙が枯れるほど大泣きしたせいか、涙は出てこない。イクスが目覚めてからの「これから」を、真っ直ぐに考えることが出来る。
「明日も仕事だもん! しっかり食べなきゃ!」
「そうだねー」
「ん、お互いにね」
ティアの着替えを待って、三人揃って外に出る。広くて大きな空は、優しい茜色に包まれていた。