魔法少女リリカルなのはStrikerS もう一人のストライカー 作:藤月沙月
清潔さと無機質さが同居する真っ白なベッド。それに反して温かみを感じさせる木目調のインテリアや設備が整えられたその部屋で、私は眼を覚ました。ベッドの隣には車椅子と床頭台が置かれている。視界はいつもより低く、設置された鏡に映る姿はずっと幼い頃のもの。
(……また、この夢……)
最近頻繁に見るようになった夢の始まりは、いつもこの空間からだ。今までは幼い私と今の私は別々に存在していたのだけど……。
慣れた動作で車椅子に移り、外を一望できる窓際まで移動する。中央から程よく近いこの病院でも、上層階からはビル以外にも木々や海が見えた。車椅子にブレーキをかけて、床に足を着ける。力が入らない手を動かして窓の鍵を外した。安全のため全開にできない仕様になっているが、換気できる程度の幅まで開くことが出来る。
運ばれる風に混じる、仄かな潮の香り。冷たい風に体が震える。全てがリアルに感じられるこの世界は、「ただの夢」には思えない。
(多分、これは……)
「あ、秋月さん」
名を呼ばれ、振り返る。そこには笑顔を浮かべた看護師が立っていた。
「おはよう。今日は具合、よさそう?」
「は、はい」
「そんな緊張しないでも大丈夫よ。はい、上着」
分厚いカーディガンを受け取って、袖を通す。ベッドに戻された私は検温など以前の生活に戻ったような動作を、無意識に繰り返した。
――脳は時として、本人の精神状態を正常かつ安定させるために記憶の消去を図る。それは些細な日常から死など恐怖を受けた際にも起こる現象だ。だがそれは完全に消去されるわけではなく、ふとした瞬間に思い出すことがある。
看護師が持ってきてくれた新聞に目を落とす。1面にはこの近隣のニュースが入っており、日付と年号は今から10年前のものだった。この頃の私は数ヶ月の昏睡と数日の覚醒を繰り返していた状態で、記憶がほとんど無い。ここ――『海鳴大学病院』に検査入院していた時期があっても不思議ではない。海鳴市には秋月本家が構えているし、当時の当主は私の祖父だ。部屋の広さや雰囲気から察するに特別個室に相当するだろうし、そこから、今の私は『原因不明の病を抱えた、地元名士の孫娘』という看板を背負っていることも推測できる。……でなければ私物と思わしき外国語の書物や、美しく活けられた花々があるはずがない。地元の病院にいる頃は、見舞いに花は遠慮していたし。
だとすれば、今の状況は『過去の再現』。明晰夢でありながら実体験、かつ当時の記憶が無いのだから矛盾しているが。
それでも感じる気配は、よく知っている人達のものだ。
(なのはさんとフェイトさん、八神部隊長……ヴィータ副隊長にシグナム副隊長、シャマル先生、ザフィーラ……)
もちろんいくつか知らない反応もある。けれどこの反応が正しければ、大体の状況は把握できた。
(恐らく時期は、『闇の書事件』終了後……でも……)
私が記憶している限り、『闇の書事件』は12月で解決している。
ロストロギア『闇の書』――本来は『夜天の魔導書』と呼ばれる魔導書の防御プログラムの暴走とそれ以前から頻発していた魔導師襲撃事件。それらが解決したのは12月25日。事件担当は巡航L級8番艦『アースラ』と乗員であるアースラスタッフ、嘱託魔導師の当時フェイト・テスタロッサと現地協力者の高町なのは。暴走したプログラムの破壊にはリイン曹長除く八神家一同が協力しており――機動六課に繋がる形となっている。ちなみに事件の詳細は、並大抵の人間にはアクセスできない仕様となっていた。JS事件と同様敵味方、正義と悪が複雑に絡み合っており判断が困難なためである。
それでも事件のあらましは一般局員も知っているし、機動六課の隊員は、それぞれ隊長達からそれとなく事情を聞いていた。肝心な部分は伏せられていたが、それでも聞いた情報を繋ぎ合わせれば大部分が見えてくる。
「ここ二、三日は発作も起きないから、安心したわ。今日も歩く練習をしましょうか」
「はい。よろしくお願いします」
長期間の昏睡状態にあった私は、筋肉が衰えたせいで自分の足で歩くことも出来なかった。一人で行動することも出来ず、原因が分からないことから食事制限も多い。栄養が偏った食事はもちろん、お菓子も食べることが出来なかった。
それでも当時は気にならなかった。家族に迷惑をかける何も出来ない自分が情けなくて、生きる意味を見出せなかったから。「こんな自分なんて、いなくなればいいのに」と何回思ったことだろう。
時間になれば迎えに来ると告げた看護師の背中を見送って、私はベッドに横になった。
(……なんか、変な感じ……)
強い眠気と、浮遊感。魔力が安定供給されていないこともあってか疲労感も強い。けれどどこか、体は軽い。……そういえば昔は、ちょっと動くだけでも体力が持たなかったっけ……。10年後には走り回るどころか空を飛び回れる様になっているのだから、この人生も捨てたものじゃない。
(って、あれ? 何だろう、この違和感は……)
知っている魔力反応が、新たに3つ。知らない魔力反応も同じく3つの計6つが、ここから程近い場所――恐らく屋上に出現した。アーウィング執務官と零さん、それからヴィヴィオの反応が――って、あれ?
(執務官と零さんはともかく、何でヴィヴィオまで……?)
おかしい。そもそも何でこの3人の反応が、今この時代に、そしてこの場所で感じられるのか。新暦66年の海鳴市ではまずあり得ない。
閉じかけていた瞼をこじ開けて、私は車椅子に移乗する。行き交う看護師への挨拶もそこそこに廊下を抜け、角を曲がった。屋上に続く階段の先には、固く閉ざされた扉がある。車椅子から降りて、手すりを掴んで上がった先の扉を、私は睨みつけた。扉の向こうから感じる気配は、6人。逃げるつもりはないらしく……というか、慌てているようにも感じた。
ドアノブを握って呟く。
「――『
カチリとロックが外れた音が響いた。……当時の私でも、この位の魔法が使える程度の魔力はある。知識と経験が足りないだけで。
重い音を立てて扉を開ける。その向こうで男女合計6名と兎と猫、そして本が動きを止めた。
「……えっと……」
闖入者の登場と、中身はともかくその姿がどう見ても小学生未満の女児であること――その他様々な要因が乱れ入る状況に、沈黙が流れる。が、やはりこの人――零さんだけは、容赦なかった。
「……悪いな」
「えっ、ちょっ……!」
背後に回り込み、刀の柄で脇腹を狙う。一瞬で意識を刈り取れるように、それでいて不必要な怪我をさせないために威力を調整していることは六課で教えてもらったが……敢えて言わせて貰うなら一つ。
「痛いものは痛いんですよ、それ!」
左腕で柄を弾き、向かい合ってがら空きになっている鳩尾へ一発――入れるつもりだった。ここで私が失念していたことは、自分の体格。いつもなら腕を伸ばせば充分に届く距離なのだが、この私は当時4歳だ。その体格では、届くものも届かない。
あっ、とヴィヴィオの声が聞こえる。しかしもう遅い。バランスを崩した体は、重力に逆らうことなくコンクリートの床に向かう。そして――。
べちゃっと、嫌な音が響いた。
「にゃー」
猫の声と、わたわたと動いている音がする。分かっていても顔を上げられない。体も痛いが、何より心が痛かった。顔から火が出そうなくらい、恥ずかしい。
一方の零さんは平気そうだ。
「オッケー、把握。全員安心しろ――こいつ本物だ。それも、俺達側のな」
「だからって、いきなり殴りかかる奴がどこにいる!」
「ここにいるぞ!」
ドヤ顔で言い放った零さんを殴りつけて、アーウィング執務官は私を抱き起こす。左手の薬指に嵌められた指輪が小さく輝いたのを見て、私は首を傾げた。――執務官、指輪なんてしてたっけ?
違和感が駆け巡り、周囲を見渡す。知らない顔は3人。
一人は、ザンクト・ヒルデ魔法学院中等科の制服を纏った碧銀の髪と紺青のオッドアイの少女。
一人は、動きやすそうな服を纏った元気そうな少年。
一人は、お淑やかな服を纏った、ロングヘアの少女。2人目と3人目は深い繋がりがあるのだろうか、銀細工が施された、揃いの腕輪をつけていた。
知っている顔も、微妙に変化がある。私が知っているヴィヴィオはまだ学校に通っていないし、自律浮遊する兎の人形も持っていない。アーウィング執務官も、私が記憶している限り指輪はつけていなかった。部位が部位なので邪推もするが――以前「そういう関係の奴はいない」と発言していたし。
何より恐ろしい事は――零さんの外見が微塵も変わっていないことである。身長も容姿も立ち居振る舞いも、何もかも。
「えっと……」
脳を全力で動かして、状況を認識しようと試みるが上手くいかない。見知らぬ3人も私の事は知っているらしい。いくら夢でもこんな展開は――できるから夢なのだろうけど。
そうこうしている内に話し合いの内容は「場所の変更」になっていた。状況が状況だし、と。
「……あの、私の部屋はどうでしょうか?」
しかし、4歳児がすらすら話すというのもいかがなものか。中身が14歳だから仕方が無いけども。
「それはありがたいんだけど……。深琴お姉ちゃんは大丈夫なの?」
「うん。個室だし、特別室だから……『お客さん』って事で話を通しておけば、大丈夫だと思う」
全員座れるだけの椅子があったかは不明だけど……持ってきてもらえるように頼んでみよう。車椅子まで戻り、私を探していた看護師さんと合流して、そのままリハビリへ。
「親戚の方か何か?」
「……はい。わざわざ来てくれたみたいで」
「そうなの。良かったわね」
まるで自分のことのように喜んでくれた。と、看護師は私の頭に触れる。
「見て。羽がついてたわ……綺麗ね」
闇から暁へと変わりゆく様な紫色の羽を、私の掌に落とした。
――それは、小さな願いでした。
破壊の因果に囚われ、泣いている少女。その涙を拭いたくて、怯える災厄を振り払いたくて、彼女を縛り付ける『運命』を変えたくて――ただ彼女を助けたくて、けれど何も出来なくて。
強くなりたかった。彼女を救えるほどの力が欲しいと。自分の運命を切り開けるほどの強さが欲しいと。一人でも戦える人間になりたかった。そうすればきっと、私は一人ではなくなると信じて。
紫色の天を織り成す彼女は、自身の名を口にした。
――『Unbreakable Dark』。即ち『砕け得ぬ闇』と。