灰狼の宰相 作:瀬戸内弁慶
1.変事はじまる
「え? 鹿なのに、鹿食うの?」
「食うよ。いや、て言うか、そこそこの家柄のお嬢さんが『食うの』って」
ある日のことである。
献立に目を通していたルフが、もとい私的な場でありが故にランが、待ったをかけた。
曰く、所謂『角付き』の筆頭たるブロッサなる鹿の獣人は大変な健啖家で、特に『紅葉』を好むという。
この場合は楓ではなく、極端に肉食文化を嫌う弥雲人のための鹿肉を指すための隠語である。
年改まり、節句を祝う祭典。その饗応役を任ぜられたのがルガルのルフであり、その直接の差配はテレサに委ねられた。
「失礼、言葉がつい乱れちゃいました……今回列席する方々は皆、菜食者と教わってたもので」
そして客人の嗜好とは真逆のことを、指南役より助言されていた。
おそらくは故意に、テレサの顔に泥を塗るために。
饗応役は長年パオルが取り仕切っていた。
だが彼はあの一件以降自領引き籠って出仕を絶っていた。おそらくはそこから嫌がらせに根回ししたものだろう。
(馬鹿馬鹿しい)
権勢の無駄遣いだ。宴の席とは言え、賓客をもてなす国事に穴を開ければ、前任者たる己も責任が追及されることだろうに。
あるいはそこまでせせこましく足を引っ張ってでも、甥や、己の株を奪った女を追い落としたいのか。
ルフ自身、もといランに確認をとって良かったと彼女は心より安堵した。
彼と同じ空気を吸っているのは、先に会った犬鬼灯の丘。そこは周囲と隔てられているので、野外でありながらちょっとした密談密会の場になっていた。
(にしても、虫に刺されそうでヤなんですけど)
宮ではどこにパオルの耳目があるかも知れず、それを避けてのことだというのがルフの言い分だ。
「まぁ、氏族家訓によりけりだな。自らの元となった獣を神と崇めることは大凡の認識だが、その奉り方は様々だ。ブロッサ殿のように血肉とすることで尊崇する者もいれば、先生の認識通り虫や草など彼らの食物を口にすることでそうする者もいる」
「……仕方ない。カミル君に時間割いてもらって、彼と練り直すわ」
「行商への発注は早い方がいい。三日後までに出来るか?」
「明日まで時間を頂戴」
強い言葉とは裏腹の大義そうな表情に、ランはふと憐れむがごとく目元を絞った。
「すまないな……先生。あんたを諸侯に面通しさせておくと後々何かと融通が利くようになる。そう考えて任せたが、むしろ要らん苦労をさせているようだ。先生には、やれ祭礼だ宗教だのと雑事に煩うことなく、天下国家の大計に加わってもらいたいのんだけどな」
「いや私、どっちかというとその雑務が本職なんですけど……」
強いて求めたわけではないが。
当然自分に求められているのは司祭としての布教より、謀事。主より政を説く時間の方が長い。
まったく、腹立たしい。
何が腹立たしいかと言えば、その方が遥かに水に合っているという自分自身にだ。
(なんでも出来るというのも困りものだ)
「……裏でロクでもないこと考えてる顔だ」
ふう、と悩ましげに吐息を漏らす彼女の裏で、ランは呆れたように言った。
ふと、岩肌の死角から、筒が如きものが覗いた。
それは、ルフの従弟たるカミルであった。
「おう、カミル。ちょうど良いところに、実は例の宴、献立の件でな」
その若き狼顔が完全に露わとなる前に、その方角を顧みたランは声を投げかけた。
「その話は後回しに。と言うよりもそれ自体が無くなりそうです」
カミルは前置きもなく、早口でその言葉を遮った。
表情は平静を取り繕ってこそいるものの、らしくもない焦燥が、語調に滲んでいる。
襟を詰めた厚手の服の下、薄く胸を上下させながら、彼は
「ミウからの報告です……東部武家