灰狼の宰相 作:瀬戸内弁慶
ルガルの荘、南部領ガルムド。
本家にさえ勝るが如き絢爛さのその居館にて、縦に割かれた書簡が、格子窓から吹き込む寒風に流されていく。
「ルフめ、このような紙切れ一枚で参陣せよだと? どの立場から物申しておるのか」
と、冷ややかな憤りを隠さず、残る紙片を投げ捨てたパオルは、使者を買って出たカミルに杖を突き出して宣う。
「奴めに伝えよ。病身の叔父を顎で使おうなどとは笑止千万の不祥事である。それでもなお加勢を求むというのであれば、まず己が出向き数々の非礼を詫び、しかる後に幕閣より不埒下賤の者どもを追放し、血筋家門に則った人材のもと、あるべき形に政を正すべしとな」
……などと、とても患っているとは思えない達者な立ち振る舞いと口舌でもって、助力を拒んだのであった。
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「案の定、といったところか」
「赴くより前に分かり切っていた結果です」
無駄足を踏まされた、と言いたげに、ルフの私室たる奥書院。カミルはルフの傍らの腰掛けに座しながら、その依頼人たるテレサを横目でにらみつけた。
館は、言うなれば北と東の、北方諸国と弥雲の折衷の拵えとなっている。
奥書院についてはその後者であり、敷かれているのは総畳である。
おそらくはルフの好みとしては、こちらなのだろう。
「そうでしょうか」
パオルがこれまで取り仕切っていたという庶務一切、それを吸収すべく取り寄せた関連書類、資料に、馴れぬ畳の上、両足を投げ出すようにして目を通すテレサは、事もなげに返した。
「むしろ、当てが外れたのでは?」
「どういうことか」
「彼が本当にやって欲しかったこと、それはまさにその捨て台詞そのものでは?」
すなわち、ルフが頭を下げること。そして、抜擢した人材の放逐と、おそらく己とその息のかかった者たちの復帰。
ところが目論見に反して、遣わされたのは無礼横柄極まる命令書、督促状であった。
「――それではまるで、叔父上はこの侵攻をあらかじめ知って……」
言いさしたルフの口が止まった。答えは、九割がた出かかっていたから、そこで止める意味は皆無ではあったが。
「まさか、
「さて、どこからどこまでが
「カミル、すぐにミウに探りを入れさせろ」
「知らぬふりをしておきましょう。こちらの動きを感づかれれば、ソーシャ殿の二の舞ですよ」
あえて、痛い
「肝心なのは、気取られないこと。先方が気づいた時には、すでに手遅れであること。そしてこの条件は今、揃いつつある。パオル殿ご自身に不参戦を表明させることで」
椅子の上、膝を立てて顎を乗せたルフは呆れたように、
「だから、あえての督促状か? 意固地になって拒むと踏んで」
青年の声音で問うた。
「……もし、何らかの変心が生じて、叔父上が加勢を快諾していたら? その第一前提とやらが崩れていたら?」
カミルは胸の早鐘をそっと押さえながら尋ねた。
「それはその時。計画自体を棄却し、当面の敵である涼城を万全の体勢で撃ち破れば良いかと。でもそうはならなかったから――とことん、やる。そのための根回しの方は、お任せを。お館様は、陣立てに注力なさってくださいな」
「あぁ、わかったわかった」
文机の上、ルフが広げているのは想定された戦場の地形図である。そこに駒だの旗などを立てながら、手を振って司祭の娘を送り出す。
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積み上げられた冊子を、カミルはめくってみた。
獣に囲まれながら、その主たる狼に皮肉交じりの諫言ができる、胆の太さ。
些事を些事と切り捨てたうえで、己の策さえ事もなげに取り下げることさえ躊躇わない、柔軟的……否、剛腕的構想力。
(にも関わらず)
「にしてもまったく、無茶な注文をつけてくれるなぁ。おかげで、相当に深入りすることになりそうだ」
従兄の嘆きを横耳で聴き、そっと表紙を下ろした。
「口調が『衛士殿』になってますよ。せめて変身をば」
「っと、いかんいかん」
たしなめられて、ルフは咳払い。
であればこそ、あの女司祭と言葉を重ね、策を採用することに一抹の不安がある。
「――あえて御身を危険に晒してまで、彼女をお信じになると」
その本意を若干ずらした物言いで、カミルは懸念を示した。
「反対か?」
「未だ非力な身ゆえ、策の成否は分かりません。しかしながら、彼女の心底が今なお読み切れぬところがあります。少なくとも、従兄上に対する忠誠心や敬意といったものを感じさせない」
「俺は、彼女にそういったものを求めていないよ。彼女が俺に衣食住以外の何の見返りも求めないように」
と、意外な言葉が返って来た。
「ただまぁ、そうだなぁ……真面目な人、なんだろうよ、あの先生は。放っておけない気質なんだ。だから、裏切れないよ」
「決して従兄上を裏切らぬ、と」
「いや、自分自身をさ。とにかくどこぞのお方のように私欲を持って道を誤ることはない。そこは、俺の眼を信じてくれとしか言いようがない」
輝きと共に見開かれた己の眼を指で示しつつ、口端を吊り上げる。
「……そう言われてしまえば、反論できません。出過ぎたことを言いました」
その眩さに顔を反らしつつ、どこか拗ねたような物言いをする自らの幼さを、カミルは恥じた。
「いやいや、お前の懸念は至極真っ当な指摘さ。そしてケレン味のない、彼女とはまた違う実直さこそが、お前の良いところだ」
「恐れ入ります」
「あえて彼女に同調しろ、仲良くしてくれとは言わない。ただ今は、見守って、時には軋轢を防ぐ壁となってやってくれ」
「は」
「じゃあ予定通りお前には、国境の
「かしこまりました」
一礼とともに、カミルもまた書斎より退出した。
去りながら、想う。
テレサ・シンヴレスは真面目にして私欲を持たない者。
(だからこそ、危うい)
だからこそ彼女は、
どんな敵であろうと、どんな味方であろうとも。そして果てには己にさえ。
「従兄上、どうか……その白き闇に染まることなきように」
誰に届くことのない祈りを、カミルはそっと呟いた。