灰狼の宰相 作:瀬戸内弁慶
もはや賽は振られた。否、己がこの手で振ったのだ。その目に張り続けるしか道はない。
だが、あらためて自らの手勢に五倍十倍する敵を眺望すれば、多少の気後れは確かに感じる。
(……殊の外、鉄砲が多いか)
そして目を眇めれば、五十丁ほどの銃砲類がかの長蛇の陣列の腹に在るのが見えた。
おそらくは清鳳宗の肩入れ。陽龍内の鉄や硫黄の産地はことごとく彼らの寺領。邪気の鎮護を名目として抑え、かつそれを作る工人を教義で抱え、抑える。自らの兄を法主に据え置くことでさらにその上から支配している人物こそ、宮内卿飛鳥清嶽である。
今回の作戦、その清嶽の肝煎りらしい。そこについてはテレサは、軽く当てを外したといえるだろう。
自らの目による物見を終えたルフは、馬首を返した。
「ナナァ殿」
供をするナナァを顧みて、一定の敬意と共に言う。
「手筈に変更なし。貴殿は山裾より手勢動かし、包囲の裏を攻め立てられよ。ただし無理はするな」
「気遣いは無用さ。むしろアンタの方が難儀なことだと思うがね」
彼女は控えさせていた騎獣の鐙に足をかけながら言う。ひとかたならぬ戦巧者である。敵の装備の変化を、見て取ったのだろう。
「あの魔女の言うことを、信じると?」
「彼女の言を強いて引き出したは他ならぬ我であり、決めたのもまた我なり。そしてただいまの戦の主は我である。そこに、テレサ・シンヴレスの責はない」
「そうかい。なら、良いが……別動隊に率先して名乗り出たレベリオ殿ではなくあたしを用いたのは、誰ぞの推挙なんてウワサも聞くもんでね」
「――隠密行動には貴殿の騎獣こそ適任なればこそ……成功すれば、相応に報いるだけの用意はある」
飛び乗り様の探るような目つきから、狼の面皮の裏へと感情を逃す。
だがそれ以上の追及なく、颯爽と草を薙いで去っていった。
毛皮をほんのりとしめらせた襟口をぐいと押し、ルフは気を入れ直しつつ本陣へ戻る。
そして兵をまとめると同時に、率いて討って出た。
敵は容易には動かない。さすがに先の長子を失った敗戦に懲りて、丘陵を不用意に攻め登る愚は犯さぬと見える。そしてこちらから攻めかかった際に導入した鉄砲で撃ち抜く算段か。
とても涼城の軍法とは思えぬ。
かの、数十単位の小隊を率いている者の献策か。とすればその者、清鳳宗より遣わされし客将か。
「ならば、引き摺り出すまで。武器を改めたところで、人の性はそうは変わらぬ」
己にも言い聞かせるように宣い、黒鹿毛を駆って自ら先陣を切る。
手には白鋼の蔦で糾われたがごとき、奇形の大弓。弭の両端は剣であり槍である。それこそ伝来の家宝、銘を『イバウ』。
余計な具足は纏わぬ。平時とさして変わらぬ黒き装い。その灰色の毛皮こそが刃弾く天然の帷子であり、その上からさらに金物を張り付けるは嘲笑を買うであろう。
狙うは前衛右手。幕内文房が陣。
「射駆けい」
真一文字に駆け下ったルフは、その眼前を横切ると共に敵の出鼻を挫く。
命の如し。射つつ水平に駆ける。駆けつつ敵の横陣に犬が戯れるが如くに仕掛ける。
「おのれっ、ケモノ風情が小癪な!」
という声が響き、直接撃ちかけられた文房の旗本が、鉄砲隊の射線上に割り込む。
小便をかける犬が如く戯れ、脱兎の如く逃げ散る。次なる戦運びがため、言い定めた位置へと兵を送り込みながら、集団の最後尾、馬上のルフは自らしんがりを務める。
鞍の上、その灰色の毛皮が捻れる。後ろを向いた橙果の瞳が弦と同じくして絞られる。
指間より放たれたは五連の速射。そのいずれもが追い縋る騎馬武者の額に命中し、生死はともかく落馬せしめた。
その業前を見て、追手は一瞬歩を止めた。だがすぐに進み始める。
涼城は戦が弱い。だが弱卒に非ず。
個人的な勇武を練り、武功を重ねていけば、絶対的な勝利に繋がると信じて疑わぬ者らである。もはや信仰にも近いそれは、確かに時としては伝説的な武名を飾る時があるのかも知れず、来るかも知れず。
だが、集団的生物としては極めて未熟である。敵愚直に猿にも劣る。相手に知があり思惑が存在することをまるで知らない攻め方だ。根本にあるのは無理解と侮りだ。
麓に駆け戻ったルフは、素早く射た。
眼科に迫る敵ではなく天を。紅き鏑矢を。
啼いた風音が反撃の合図である。
山裾に伏せたレベリオ、トー・ユーミンの手勢が左右より起き上がり、その無防備に伸びた側背を突く。
戦とは、思い描いても思い通りにはならぬもの。
ましてや、思いも寄らぬ展開に至れば、なおのこと。
いかに将が気を持ち直して叱咤しようとも、兵は真っ先に崩れる。敗色が濃くなれば、そうなった原因たる主を守る義理も無く、示し合わせた法令秩序も、その意味を消滅させる。
敵が、裏崩れした。
戦巧者には敵陣に生じて潮目の変化が、仔細に見える。
すなわち、遁走する者の流れに逆らって、声を枯らし、押し負けまいとする集団の姿が。
(
ルフは思い直し、馬首を再び前へと返した。
そして、丘を緩く駆け下る。
さながら旧知にでも会いに行くような調子、歩幅で。であればこそ、敵にとりては異形の大将は、敵の懐中に入り込むことに成功した。
「き、きさ」
自ら獣と蔑むそれが、至近に迫っていることを、この間際に文房は初めて気付いたようだった。
(殊、この男について言えば)
個としても、見せかけだけで退き際を知らず、がために脆弱に過ぎる。
さながら匙で掬い上げるがごとく。
下薙ぎに振るわれたルフの弭刃は、甲の下、鎧の隙間を潜り、そのまま文房の首を刎ね上げた。
鞠の如く宙へと浮き上がった首級が、地に転がるまでの時間で思考する。
実質上の総大将、幕内文房。だが、涼城の内情を思えば、コレが取引の材料になるとも思えない。
主家にとりては目の上の瘤が除かれただけのこと。如何にその遺子が父の首の奪還を乞おうとも、面目と求心力を失った幕内家の言うことなど最早聴き入れまい。
そしてかの僧衣の女宰相の狙いは……おそらくこの首ではなく、ましてや涼城でもない。
「となれば、もう少し欲を張らにゃなるまいか」
と独りごちる。鐙で馬の腹を叩く。声を発さぬ単騎駆けに、子息ら一同、勇を喪い、こぞって割れた。
狙うは本陣。崩れ立つ雑兵は物の数にあらず……確実に届く。
北の峰より吹き付ける寒風が、背を叩く。推す。
分厚い毛皮をもってしても薄寒いほどだが、この勢いに悪い気はしない。むしろ、乗らねば身を滅ぼすのは我の方だ。
彼女の信じる
途上、本来であれば先陣を司るはずだった鉄砲の小隊が立ち塞がる。
いや、先手大将の死とその手勢の敗走による、混乱に次ぐ混乱にてすでに隊という体さえ成してはいないが、それでも銃口を此方に向ける兵は、少なからずいる。そして鉛玉が轟音と共に放たれた。否、暴発に近い。
そのうちの一発が、ルフへと迫る。
(この弾道は、少しまずいか)
という予感と見立てが、脳裏を掠めた。
だが。
もはや、止まら――