灰狼の宰相 作:瀬戸内弁慶
いち早く帰陣してきたのは、弓騎を率いたトー・ユーミンだった。
負けもせず、勝ち過ぎもせず、己の仕事をきっちり果たしての帰還である。
次いで、彼にまとめて送り帰された負傷兵と……それに数人ばかりの、死者。
「……」
目は逸らすまい。
何も言葉はかけまい。
わざとらしい弔辞や祈りなど捧げまい。
これも天意などと尤もらしい言い訳は垂れまい。
事それ自体の成否に関わらず、全ては己の決断と献策が招いた結果だ。
「うわ……あの
「多分魔術に使う素材を品定めしてるんだ……おっかねぇ」
(とりあえず、後ろのろくでなしどもがくたばれば良かったのに)
とんでもない風評被害を背で受けながらテレサは思った。
とは言え、その破滅を天に祈るまでもない。耳に届く位置で、主君の新たな謀臣と目される相手の在ることないことを吹聴し合う阿呆など、大成などしないし、今後自分がさせることはない。
ただ祈るとすればそれは――今、主君の安泰と生還。
(どうやら勝ち戦のようだから、まぁそこまで気を揉む必要も)
無いか、と続くはずだった。
だが、次の瞬間彼女が目撃したのは、肩をレベリオに貸され、顔面を鮮血で濡らすルフの姿だった。
ぎゃあああ、と。
留めようもない汚い悲鳴が、辺り一体に響き渡った。
〜〜〜
「え!? なに、死んだ!? 死んだんか!?」
どれほど死体を見ても、心を鉄に徹していたテレサが、声と所在なく前方に置いた手を震わせた。
「死んでない、狼狽えるな」
と返したのは、当の狼人自身である。
「眉の上を、流れ弾が掠めただけだ」
(いや、眉どこよ)
という
レベリオの下から離れ、己の足のみで立つ。
そんな友人を見て、レベリオはやれやれと首をすくめた。
「そうそう、
ちなみにそんな彼の訴えは、無視した。
「……ともかく、すぐに手当を」
「いや、勝鬨と首実験が先だ」
「主君がそんなザマで素直に臣下が喜べるわけないでしょ? ほら、さっさと陣幕の奥に引っ込む。ナナァ殿とカミル君と合流した後でも良いでしょ」
と、ユーミンとテレサが治療を進めるのに、ルフはやや渋った様子を見せた。
「ねー、オレもケガした」
「……そんな大仰にしなくても良かろうよ。馬の小便でもかけていれば治る」
「アホかッ、そんなもん根拠のない民間療法に決まってるでしょ。むしろ破傷風になるわ」
「ねー、見てよオレの」
「うっさい! 馬の小便でも頭から引っ被ってろっ」
テレサに一喝されたレベリオと、その背を制して引かせるユーミンを置いて、彼女とルフは陣幕の奥へと引っ込んでいった。
その様を姿が消えるまでしげしげと眺めつつ、レベリオは
「あの姐さん、結構面白ぇし、いい人かもな」
と肩を揺らした。
「……あまり、人の立ち位置を脅かしてはもらいたくないものだが」
「ん?」
小首を傾げるレベリオを尻目に、ユーミンは溜息交じりに、後始末にかかった。
〜〜〜
「ほら、ラン君に戻る。毛皮つきだと縫いづらいでしょ」
床几の上に座らされたルフが、ランへと戻っていく。耳は丸みを帯びていき、鼻は低まり、灰狼の体毛は皮膚の内へと退いていく。
「相変わらず、なんというか、壮絶だわ」
「見せもんじゃないぞー」
そして声音や口調もまた、砕けた若者のそれとなる。
「もし敵中孤立して虜となれば、見せもんにされる未来もあったけどね」
毒を吐きながら、露わとなった傷口を手元から取り寄せた液体で洗う。
「いッ、何だそれ!?」
「焼酎よ。ったく、せっかく楽しみでわざわざある筋使って弥雲から取り寄せたのに」
「……生臭坊主」
「今から縫合だけど、脳天いっとくかな」
「冗談です」
という静かな恫喝とは裏腹に、テレサの簡易手術の指つきは細やかなもので、正確無比であった。
「へぇ、手慣れたもんだ」
「あぁ、私手芸が趣味だから。せっかくだし、花柄の刺繍でも入れとく?」
「…………」
「冗談だよ。修道院時代の、基礎教養の一つだから」
ぞっとしない表情で見返す橙色の目に、テレサは意趣返しの成功を確信する。
「それが嫌なら、かつそれと同程度の屈辱と苦痛を家臣領民に与えたくないのなら、多少は自重することね」
「仕方ないだろ? 先生にとって都合の良い取引材料を見繕ってたんだから」
「人を言い訳に使わないでよ」
「……へーへー。宿木は宿木らしく、大人しくしておきますよ」
「……あのねぇ」
針と糸を置いたテレサは、ランの頬をはさみ、自分を仰ぎ見させた。
「確かに私には、君に忠誠心はない。傅くのは主と自分自身にだけ。本質は保身で、大元にあるのは信仰心。ここにいて
丸くした目に自らの姿を映し込む。
「私が今貴方が血を流していることに、何も感じないわけ、ないでしょ……?」
その獣の瞳の中に、細い乙女の像が揺らいでいる。じっとそれが定まるまで、見つめ返していた青年は、
「ごめんなさい」
と、素朴かつ真摯に詫びた。
ふと目を下したランは、
「
と、苦笑と共に零した。
「ん?」
テレサは、ランの視線の先を追った。
彼の目線の高さは白き僧衣の下、わずかだが確実にある胸の膨らみに向けられていた。
「あ?」
低い声で、問い返す。もう一度グイと力強く、凄む己のの顔へと向かせる。
「今の、誰のどこに向けての感想だ……?」
「いや違っ……たまたま俯いた時にそこにあっただけで……つか、今の話の流れで胸の小ささに文句つけるわけないだろが!」
「小ささつったかオイ? 人がちょっぴり気にしてることを」
「外見云々よりもうちょっと気にするところあるだろ!?」
「は? 才色兼備、均整のとれた肉体美と聖母の包容力さえも持つこのテレサちゃんに、そんなもんあるはずないでしょ」
「それを素面で言えるところだよ!?」
丁々発止、益体のない降臨に発展した二人の横で、わざとらしく大きな咳払い。
ほぼ同時に、半開きの帷を見やれば、本心から申し訳なさそうな面持ちのレベリオが顔を突き出して、
「乳繰り合ってるとこ悪いんだけどさ」
「合ってない合ってない」
一切の繊細さも感じない前置きと共に、
「これ、どうすんの」
とレベリオはまるで仕留めた猪をどう調理するかと尋ねるような軽さで、問うた。
「ぶくぶくぶく」
……すなわち、砂まみれの陣羽織ごと獅子人の片腕に釣るし上げられて、白目を剥いて泡を吹いている、小柄にも程がある武家娘。
「どちらさん?」
「ミウによれば、涼城希本人で間違いないそうだ。このナリで影武者も無いだろ」
「えーと、つまり敵総大将?」
横目で肯定するランを解放しつつ、呆れたようにテレサは溜息をついた。
「予想以上の大物だこと。相手に交渉の余力が残ってれば良いけどね」
「交渉って、え? 首刎ねねーの?」
さらりと物騒なことを吐くレベリオを手で制しつつ、
「こいつでなんとかなりそうか? 先生」
ルフは尋ねた。
テレサは、じっと己の手を見つめる。
つい先まで手当を施していたその手は、狼の血にまみれている。
最早躊躇はない。先手を打ち続けなければ、きっとこれより遥かに大量の、血が流れる。
「やるからには、とことんよ」
白き聖女は、強固な決意をもって返した。