灰狼の宰相   作:瀬戸内弁慶

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8.褐色蜥蜴

 ……かくして、獣人どもの足並み揃わず、万端準備整え質量共に彼らを上回る涼城軍との衝突は、奇跡に近い形で決着がついた。

 

 ルガル軍迎撃に出た主力が、重臣幕内文房の死、総大将涼城希が捕縛という散々なる敗走と相成り、残された包囲陣はその敗報に触れ動揺。その虚を突く形で山野を駆け下ってきたナナァの騎獣部隊が一角に襲いかかる。

 同時に、カミルの守備隊が門扉を開いて反転攻勢に出れば、もはや支えるべくもなく、這々の体にて、主将が首、大将が身柄を捨て置き逃げ帰った。

 

 〜〜〜

 

 その衝撃の結末に、涼城が現当主、孟種(はるたね)は卒倒せんばかりとなった。

 見るからに、線の細い男である。家祖伝来の甲冑を纏えば、まずその重みに動けなくなるほどに。

 

 娘同様その眉は常に下がり、左右の往復を欠かさぬその目には常に涙の光がある。

 だが文治の人かというよりも、芸能にその才能と情熱とを傾ける人物であった。

 

「負けた、とな」

 気苦労がためか、老境というほどでもないにも関わらずそろそろと白いものが混じる髭を震わせて、確認ために鸚鵡返しに問い直した。

 

 気の乗らぬまま、彼は城を出て(ゆかり)の寺社に出張っている。ここで散々に獣どもを打ち負かした凱旋軍を迎えるよう、段取りがすでに整えられていたのだった。

 だが触れた方はそれと真逆であった。

 

 現実は無常であり時は非常である。

 信じられぬことに家中の実力者である幕内は、灰色の狼の牙にかかったとも、身の丈八尺の鬼に喰われたとも聞く。いずれにせよ、まず命は無かろうというのが、逃げ帰ってきたその子弟郎党たちの証言である。

 

 その死自体は、見たことか。天罰だ。様を見よというものだ。状況が許すなら手を拍とうというもの。

 だが、文房の消滅すなわちその影響力と行動力の消失である。当主存命がまま、この地方軍事政権は機能不全に陥らんとしていた。

 

 自ら花鳥風月の情景を描いた扇子を、餓鬼のごとく噛みながら、彼は左右往復を繰り返し、気ばかり急いて何事かを命ぜんとすれば声を詰まらせ、金魚の如く開閉を繰り返す。

 急に臨んでは、人の身体は自分の思うようには動くことなく、また頭に蓄えた以上の見識を、口に出すことは出来ないのだ。

 

 その武家の棟梁らしからぬ姿は、残された近臣たちに同情や憐憫と同程度の絶望も与えた。いかにも武張った、文房を想わせるような連中は遠ざけつつ彼の荒くれに押し付け、似たような嗜好の者ばかりを侍らせている。その側小姓の内には戦地に赴いた親兄弟もいるのだが、その者さえ仇討ちの気を吐くことなく、顔面を蒼白にして立ち尽くす有様であった。

 

(望むのならば、政務の一切、武事の合切を誰ぞに委ねたいほど)

 孟種はかく望む。

 その相手が、好むと好まざるとに関わらず。

 

「殿!」

 そして二日して後、狙い定めたかの如く、その願望は成就する。

武庫(むこ)家の練確(れんかく)殿が、五百の手勢を率いてお越しです」

 ……という次なる報に触れて。

 好むか、好まざるか。

 いずれかで言えば、後者に当たる者の、手によって。

 

 〜〜〜

 

 と言っても孟種にとっては、かの者自身は好人物であった。

 三頭衆が一角、武庫家。その西部を領有する一門であるがため、『西殿』とも呼ばれる若き重鎮である。

 練確という名と読みは、そして褐色の肌に色の薄い髪、青みのある双眸は、弥雲西南地方がかつて別王朝、民族であったことに由来するという。

 

 整った鼻筋に長い睫毛。女性的な唇。

 白の具足の上に、伽羅香を焚き込めた柿染の小母衣を羽織る様は、惚れ惚れする美少年ぶりである。

 中身の方も、家中随一であり教養人であり、連歌の会でも孟種と顔と句を合わせた仲である。

 また将器も持ち合わせて、勇猛果敢なる宗家一門に比して地味だが手堅い戦ぶりに定評があるのだとか。

 

(悩ましきは、好まざるは)

 と彼を出迎えた孟種は、目線をその横に傾けた。

 

 彼の者は、蜥蜴を飼っている。

 二足で立つ蜥蜴である。獣人の一種である。

 四海大陸では竜人、東方諸国ではリザードマンなどとも称される。

 

 先の戦いにおいて、武庫家は獣の荘が一角を切り取り、彼らを投降せしめた。以来、その彼らを平時においてはその文化生活、あるいは信仰を保護することで厚く遇し、戦時においては矢面に立たせるという、硬軟織り交ぜた政策によって自身の支配に組み込んでいる。

 その地の運営を任せられているのが、西武庫家、当主練確であった。

 

 軍事に疎い孟種であっても、それが頼もしき戦力であるとは認めている。

(だが、なおもってしても)

 胸や股間を隠す最低限の胴丸以外は、全て己が鱗で守るという野卑さ。尋常ならざる突き出た口からさかんに出し入れされる、長く先割れした舌。実際にそうなのかあくまで先入観からくる錯覚なのかは知らねど、一個一個の全身より漂うどろりとした水の気配。

 その全てが、文房以上に忌避感と嫌悪感を覚えるものだった。

 主だった士大将を除けば、手勢五百のことごとくがそれに類する者たちである。

 状況が許せば、卒倒していたかもしれない。

 

「やぁ、涼城殿」

 軽く引いた孟種に、練確は微笑みかけた。

「此度は、災難でしたな。まぁ勝敗は兵家の常。あまりお気を落とされませぬよう」

「い、いやいや。西殿におかれましては手早き援軍、感謝いたす。何卒、今寄せる戎どもを押し返し、我が愚娘を取り返していただきますよう、お願いいたしまする」

 それを聞いた練確、いやいやと首を窄めて返した。

 

「まさか。手前の軍のみで流石にそれは能いませぬ」

「なに、するとこの化け……精鋭たちは、如何なる用がために」

「ご安堵なされよ、涼城殿」

 その問いを遮るように、練確は言った。

「此度、先方においては交渉の用意があると」

「交渉、先方とは?」

「すなわち、ルガルのルフ殿。あちらとしても、これ以上の戦いは望んでおられぬ、条件次第で矛を収めるとの由。手前、その仲介を依頼されまして」

「な、ならんぞ! ならんぞ西殿!」

 声を裏返して孟種は異を唱えた。

 

「我が息子の仇と、まして獣どもと交渉など、沙汰の限りじゃ!」

「まぁまずは話を聞かれよ。完敗の相手に向けるに対しては、破格の条件にて」

「負けたのは文房じゃ! 我が勢なお健在なり!」

 ほう? と色の薄い眉を吊り上げて、練確は質す。先までのにこやかな雰囲気とは一転して、剣呑な気配をその語調に忍ばせて。

「手前、貴軍は狼狽のあまり何ら策を講ぜざるをして、徒に時を費やしておられると見ておりましたが。されば涼城殿におかれては回天の策がおありか」

「ぶ、無礼な……!」

「無礼ついでに物申しましょう。御家存亡の(とき)に及んでも、背後の御方の顔色を伺うご所存か」

 

 背後の御方。

 曖昧ながらにしてそれは、何者を指し示すのか明瞭な言葉でもある。

 すなわち宮内卿、飛鳥清嶽。

 物資、武官()を送り込み、支援しつつ西進を督促せし、弥雲の指導者。

 

「この西武庫練確、非才の身なれど西部の静謐を願い、兵乱れるを憂え、我が身を擲つ覚悟にてこの場に罷り越している。まずは使者を立て、話を聞かれよ。私情がために、また背後の御方への畏れがために家中の者では対面能わぬとなれば、手前自身がルフ殿の下に赴き、和議を取り付けて参りましょう。それさえも到底容れられぬとなれば」

 

 口早に、かつ一時も詰まることなく説得を続けていた彼はにわかにそこで区切り、そして鞘ぐるみ、自らの大刀を抜いて孟種の鼻先へと突きつけた。

 

「よろしい。ならばこの一口(ひとふり)にて手前を斬り捨て、宮内卿に詫びの代わりと送られよ。ただその場合……手前の代わりに背後の我が朋友たちが、今この場で、貴殿らを厚く歓待することだろう」

 

 燃えるような真っ直ぐな眼差しを叩きつけ、そう言い切った練確の背後にて、手斧や曲刀を手にかけた蜥蜴共が、低く唸り声をあげる。

 

 孟種は悟る。

 この五百の魍魎たちの意味を。

 敵と対するための援軍に非ず。

 むしろ敵と結託した、恫喝がための数。

 髻を掴んで言うことを聞かせるための暴。

 なお抵抗するならば、この場で敗北者らを一気に始末するための、鏖殺装置。

 

 そして、そもそも逡巡し、誰かに託すような時も道も無かったのだと。

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