灰狼の宰相 作:瀬戸内弁慶
「さて、苦境は脱した。それでこの手に入れた三城……いや二城をどうする」
「そっくりナナァ殿にくれてやりましょう。それで彼女はこちらに引き込めます」
〜〜〜
「……というわけで、ナナァ殿に、土瓦、二留の二城を与える」
「何が『というわけで』なのか見当がつきませんがね」
終戦後の御殿。
そこでの論功行賞の場において、ナナァは訝しげな目で一応の主人を仰ぎ見た。
「寡兵による鎖賀口砦の包囲陣の切り崩し。押しも押されぬ第一功だと思うが?」
「えぇ、まぁ。それより上となると……ルフ殿ご自身の、総大将を捕らえた単騎駆けより上の活躍が無きゆえにね」
その眼を眇めて、白犬の少女は皮肉げに笑った。
「なるほどね。そういう、筋書きか」
ただしその眼差しは、主君ではなく、間を挟んで向かいにいる、テレサへと注がれていた。
「あえて謙遜なさるというのであれば、是非もない。お館様、その城はいったん私が預かり」
「いや、文句なんて無い。貰えるもんは、貰っとく」
テレサの言を遮るようにして、ナナァは返して頭を下げた。
「ではあらためて、二城およびその一帯はナナァ殿に一任し、またその補佐としてマシェノを与力とする。『ロウーラーラの灯台主』として、南東の民と水の路を良く治めて頂きたく」
「承知」
威儀を正してナナァは応諾する。その宛行、裁量に異議を唱える者はいない。これにて落着と思いきや、出入口の辺りで悶着が起こった。
「ただいまは評議の場にございます。立ち入りは御控えいただきますよう」
「笑止な、このパオルを差し置いて何を議するというのか!」
そう喚き立てて警固役のミウを押しのけたのは、名乗りの通りパオルであった。
杖を床に打ち鳴らし、侵入した彼を迎える様相は、顔ぶれ空気ともに先のそれとは異なっている。
「これはパオル様、病身を押してのご参着、恐れ入ります」
誰からも皮肉と分かる物言いと共に、テレサは御仁に微笑した。
「ルフ! これはどういうことか!?」
そのテレサを無視して、パオルはさらに声を大にする。
「何の権利あって、ナナァめに加増などと! かの娘は我が配下である! 主君の許しなくして陪臣の所領を差配するなど、もってのほかの振る舞いだ!」
犬歯を剥いて嚇怒する彼にルフが宥め応じんとするのを、女司祭は暗黙の目と手で制した。そのうえで主君の叔父御に、意図的に冷ややかに問い返した。
「何の権利あって、とはこちらの言葉」
「なんだと……?」
「此度は対涼城戦の論功行賞。病欠はやむを得ぬにせよ、援軍要請を蹴り、代将どころか一兵も出されなかったパオル殿が、口入する資格など無いかと」
「それは……っ!」
言いさしたパオルは、テレサにも判るほどに目を見開いた。悟った。
「貴様、まさか最初から、そのために――」
気づいた時には、すでに手遅れ。
内心で舌を出しながら、テレサはもはや目を合わせなかった。
そんな彼女の言葉を引き継ぎ、
「叔父上」
と、首座のルフは言った。
「ナナァ殿は、格別の働きをなされた。私は、それに公正に報いたまでのこと。それでも強いてと言うのであれば、ナナァ殿にあらためて遠慮と返上をお命じになっては如何か」
言葉はなく、パオルは目元をナナァに向けて絞った。
それは強訴恫喝というよりも、縋るような目つきに近い。
それを見返したナナァは、
「
と聴こえるように呟いた。
「たった今、あたしはルフ殿よりの下賜をお受けすると答えた。その舌の根が乾かないうちに、その意を翻すことはない……今まで、世話になった」
と、続けた。
それは、彼の暗黙の情訴を退けるばかりでなく、その上役との訣別を意味していた。一旦は肚を括った以上、その決断をした己だけは裏切るまいという強固な意志が、細い瞳孔の内に宿っている。
また、周囲の眼差しも、彼を追い立て、その席より締め出すが如く冷ややかで、擁護や惻隠の類のものは一片とて無かった。
「……っ者ども! その魔女の甘言に乗せられたことを後悔するなよ!」
文字通りの負け犬の遠吠えと共に、パオルは踵を返したのだった。
~~~
「しかし」
件の書斎にて、ちょっとした祝杯があげられていた。
先のような、表立って寿ぐための戦勝祝いではない。
謀の絵図を知る数名の者たちだけによる、計が成ったことに対する安堵と喜びを表す場である。
酒は飲めずとも『共謀者』としてそこに同席していたカミルが、まず口を開いた。
「ナナァ殿は、あの様子ではこちらの意図を極めて正確に、汲み取っていたように見受けられます。にも関わらず、素直に加増を受けてこちら側についたのは何故でしょうか」
「分かってても飛びつかない理由がないでしょ」
少年参謀の問いかけに、ボトル片手にテレサはざっくりと答えた。
「東南の地を得、一帯の商圏をパオルから奪うことが出来れば、御仁の支配から抜け出て、立ち回り次第で対抗することができる。そしてその打算が瞬時に出来る娘だからこそ、失態を犯したパオルに先がないと見切りをつけた。そもそも、落ち目にあえて肩入れしたくなるような人でも無いだろうし。まして、彼女はカグラ様の遠縁。それがあんな横柄な男の下風に立たされていたこと自体に対して、長らく忸怩たる想いを抱えていたんでしょうよ」
「よく、ご存じで」
ナナァ自身も表立って標榜してこなかった
「……しかし、
嘆息と共に、ランは空にした盃をテレサに向けて傾けた。
「……味悪ければ」
やや若い葡萄酒入りのそのボトルを、テレサは高くに持ち上げ、今にも割り落とさんばかりに手の力を弱めた。
「口に合わなければ、飲みかけであろうとそのまま
あたかも神の理が如く、冷ややかな圧と共に宣う司祭に、ランは鼻白んだ様子で目を眇めた。
ややあって、苦笑を浮かべて彼はあらためて盃を突き出した。
「それでも痛飲せにゃならん時もある。分かっているさ。それに、この毒気の愛で方を
と。
置いていかれがちだったカミルが、軽い咳払いで場の空気を改めた。
「司祭殿、次なる一手をご教授いただきたく」
吹っ掛けた割には遠慮ない様子で赤き酒を注ぎつつ、テレサは答えた。
「もともと、力に物を言わせていたお方。切れる手札の種類はそもそも多くない。この件にて御仁はその影響力を国内外で失っていくことでしょう。そして、残った財政力も、元手たる桃源京との販路をナナァ殿が押さえたことで脅かされる」
そしてランの盃を満たした彼女は、その水鏡に己の姿を写し取った。
揺らぐその貌は、口元は、笑っているようにも、物憂げに嘆いているようにも見えた。
「――となれば、その行動は読みやすい。先回りするまでのこと」