灰狼の宰相 作:瀬戸内弁慶
古今東西、ほぼ全ての国家がそうであろうように。
弥雲の歴史もまた、政争と内訌の連続であった。
獣人たちの独立戦争より遡ること百年前。
同じ父、異なる母を持つ兄弟が後継者を巡り争った。
すなわち当代の正嫡
北方異民族の南下の兆しを警戒し、急速な軍事改革と中央集権化を進めてきた今生の帝の死後、その事業と志を継いだ前者と、権益を損なわれたことでそれに反発する勢力に担ぎ出された後者。
腹心の一柳氏の進言を容れ、先んじて強兵や獣人兵を擁する国衆、寺社勢力を味方に引き入れた須佐がこれに圧勝。正統と正道が破れた瞬間であり、武士と清鳳宗の台頭の始まりであった。
都を追われた月言親王は悲嘆のあまり、敗走の路において自ら首を括ったが、幼きその遺子は南部の果てに逃れて獣人の集落に匿われたという。
長じて後に地元の首長が狐の娘と娶せられ、ここに『真の正当なる都』桃源京が誕生した。
当初は
当時の兵站事情、航行技術ではとても大軍を率いては攻め得ぬ。よしんば辿り着いて攻め落としたとしてそこから得られる利よりも負担が勝る。
がために、三度目の遠征を最後に、大規模動員は打ち切られた。抑えとして北の境に緋ノ杜、
以上の事情より半ば無視、黙認されながら長い年月をかけて周辺勢力を刺激しないよう力を蓄えてきた鄙の都。それが桃源京であった。
弥雲が(といっても厳密には両方とも弥雲なのだが)油断と内輪揉めで警戒網を弛緩させていくに従い、ますますもって勢いを得ていくかの地、大蔵卿の私邸を、白い狼が訪れていた。
「……あー、確かに」
当代の大蔵、
若い男である。いや、少年と言っても良い。
見たこともないような質感の外套をまとい、狩衣とも直垂とも言えぬような装束の上より、帯を首から巻く奇人。玉座のごとき四脚の長椅子に腰掛け、その矮躯に余る文机に肘を置く。
(このような小僧めが、公卿?
という怪訝は侮りと蔑みとなって、態度と目つきに表れている。
「毛皮、葡萄、
「貴殿らには、情義というものがないのか」
という問いかけに、沖田大蔵卿は殊更に目を丸くしてみせた。
「はてさて、ずいぶんと辛辣なお言葉ですが、何故のご立腹で?」
「知れたこと。この桃源京と我らとは、これまで長い付き合いをしていた。にも関わらず、少し値の安い取引先を見つければ、まるで古下駄でも履き捨てるように、鞍替えをしおって。よりにもよって、あの小娘ずれに」
「さぁ。それは、パオル様よりそれぞれのお
もっとも、それが袖にされた末に、夜半人目を忍んでここに乗り込んで来たのだろうが。不義理非礼というのであれば、掛け合う順序が逆に違えたそちらこそがだろう。
「それで、最後にこの沖田めをお頼みになられたからには、何かそれに対する手立てを講じにこられたか、ということでしょうか」
「そちらよりナナァ側への荷留めをしてもらおう。手段は問わん」
(丸投げかよ)
直截な申し出である。単純で、しかも危うい。
それはおくびには出さず、沖田大蔵卿は眉尻を下げて首をすぼめて見せた。
「荷留め、とは一言に申されても、わたくしめの一存では何とも」
「とぼけるな。『沖田大蔵に扱えざる商いは無し』と聞く。貴殿の匙加減でどうとでもなろうが」
「しかし、利あればこそ各店は新たな販路に切り替えたのです。いや、何しろ遠回りにも関わらず、
皮肉であった。相手にそうと伝わることを承知で。
だが、パオルは答えない。今更答えられるわけもない。
「……なぁ、沖田卿」
代わり、そう切り出した。
「ここのところ、桃源京の勢いいや増すばかり……が、そのために周辺は殺気立っておる。膨れ上がったかの南都は、ついに報復を果たすため北上を開始するのではないか、とな」
「ほう、そうなのですか」
「ややもすれば、貴国に攻める気なくとも向こうより攻める、という状況に陥ろう。その際に横槍を突き西国を牽制できるのは、我がルガルである。もし、事実上の支配者たる儂の立場が危うくなれば――いや、その方らの付き合いを考えることとなれば、どうなるか」
そう思わせぶりに眇めで睨む彼に、沖田はさらに身を縮こまらせて頭を垂れた。
「よござんす!」
しばし苦しげな空気を撫で肩よりのぼらせ、唸った後、観念したかのように膝を打った。
「私も一介の商人、そして男だ。これまでの義理を立てて、尽力させていただきます……しかし、仕掛けについては、まことこちらにご一任、ということでよろしいですか?」
「ただし、成否に関わらず我が名を出さぬこと。仕損じたとしてて、こちらはあずかり知らぬこと。そして、偏にこれはルガル救済がための策であり、ルフと事を構えるつもりなどない。以上の点、しかと肝に命じよ」
「へへぇ、そりゃあもう」
額を突かんばかりに低頭し、沖田は彼を見送ったのだった。
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「どうだった、今の客人は?」
「いやー、ダメでしょ。アレは。もう長くないね。東南アジアに飛ばされた課長とおんなじムーブかましてらぁ」
別室から飛んで来た問いかけに、沖田はやや渇いた喉を撫でさすりながら低く嗤った。
「もうそんな駆け引きぶってる段階じゃねぇの、分かっちゃいねぇ。博打仕掛けるにしても、逆に泣いて詫び入れるにしても、もっと前にやんねぇと。それを報せる奴が周りにいないから、ズレてんだ。てか、この期に及んで頭も下げられねぇのが終わってる。まさに裸の王様だな」
「……相変わらず、意味不明な単語が混じるが、言わんとしているところはまぁ分かった」
その呟きは、男女の区別がつかないほどに高い声域にある。
その奥間の側を振り返りつつ、沖田明夜斗は
「てか
と問いかける。
「いや、金吾に門限だとかで締め出された。今晩泊めてくれ。あっ、人工氷室からアイスクリン頂いてるよ」
死角より伸びてきたのは、手のみである。ほっそりしたその二本の手は、片やガラスの杯を持ち、片や右に手にした銀匙を左右に振った。
「やれやれ……あっちが裸の王様なら、こっちはお散歩天子様か」
不敬の極みともとれる発言だが、古なじみである両者の間ではそれが許される。そういう気安い関係性が、即位の後は何よりも得難いものであると、この天子は知っている。
例えそれが、まるで自分たちとは似て非なる知識教養を持ち、少年らしからぬ価値観見識でもって物事を測る怪人であったとしても。
「まぁこういう時でなければ好きに召し上がることもできませんからな。ご自由にどうぞ。上前ハネてたどこぞのクソジジイが退場しそうなので、今後は材料も充実していくことでしょうし。おいおい新作の開発も取りかからせていく予定です」
「そいつは楽しみだ……が、その『クソジジイ』とやらに、下手な芝居までして手を貸すことにしたのは、今までの付き合いからの、せめてもの義理立てかな?」
一匙一匙、忙しない調子で、杯上に盛られた乳白の山が削り取られ、死角という名の御簾の向こうの口に消えていく。
その動きを脇目に見遣りつつ、沖田はそのまま長椅子に背と肘をもたれ掛けさせた。
「まぁ、仕事はきっちりしないとね」