これは、あの時、あの瞬間、十二に満たなかったもしもの話。
蝋燭で照らされる一室。カリカリと木の削れる音。彫刻刀を片手に持ち、オリーブの原木に刃を通す彼の、表情を見るものは何もなかった。
傍らには一つの手紙。そこにあったのは、溢れんばかりの好意と、後悔なく前を向こうとした女性の言葉。
始めに会った時は、別の世界の住人だと思った。絶対に神話を殺すという欲望を持った、野生の目。あの統率の仕方は自分には出来ないな、なんて思いと共に、この小さな肩になんてものを乗せているんだと、他人事のように世界を呪った。
アルカナとして交流する中で、彼女も自分と同じなのだと感じた。自分の代で必ず終わらせる、未来に
『生きるぞ、生きて伝え、二度と同じ事を繰り返させない。それが私達に出来ることだ。初代達が、人類が繋いできたことだ。死人の言葉は生者を縛ってはならない。生者の想いは死者を捕らえてはならない。未来に残るのは物と言葉。だから、過去に思いは置いていくんだ。……思いは、置いていくんだ』
自分が最後の時に放った言葉。あれを聞いた彼女は、どんな顔をしてしまっていたのだろうか。笑っていたのか、安心していたのか、それともーー泣いていたのか。
今となってはわからない。死人の言葉に縛られるなと言ったのは自分自身だ。これを見せられても前へ進めと言ったのは自分自身だ。
だが、なら、この感情はなんだ。
後悔か、反省か、それともあれだけ前を見据えていた彼女でさえ恋の前では躊躇ってしまうのかという事実に対する失望ー
「何様のつもりだ」
ガリ。と鳴ったのが、木か歯かもわからない。原木なら手を止めるべきだ。奥歯なら冷静になるべきだ。それでも手は止まらない。激情のまま彫刻刀を振るう彼を、止める者も諌める者もいない。
「お前が守れなかっただけだろう」
ー自分のアルカナでは、戦場に立つ彼女まで守ることは出来なかった。
「お前が包めなかっただけだろう」
ー自分の声掛けでは、彼女の狂気を払うことは出来なかった。
「お前が、何もしなかっただけだろう」
ーーーぼくがつくったものでは、あのこを、すくうことなんて、できなかった。
再び静寂が訪れ、木を削る音だけが部屋に響く。数刻後、コトン、という刀を置く音が鳴り、削る音は止んでいた。
シェリダン・レン。原初のアルカナ「塔」の最後の持ち主にして、決戦の生き残りの一人。彼が残した日常品は数あれど、名前の付く作品は殆ど残っていない。
そんな彼が残した数少ない作品の一つがこれだ。
平和と知恵に対する憧憬を意味するオリーブの木で作られた、眠る女性と銃を象った木彫り。
RIPー平和の中での、安らかな眠りを。
その題名は、「唯一の過去」