「ぬいぬいが大人になったらどんな風になるんだろうねー?」
ぬいぬいと呼ばれた少女、不知火はその呼び方に露骨に顔をしかめ、舌打ちせんばかりの表情であった。薄桃色の髪を後ろでくくり、ポニーテイルにしていて、青い瞳の顔の作りは端正である。将来は騒がれる用になるだろう、と思える見た目ではあったが、眉間に寄った皺がそれを台無しにしていた。
「青葉さん、ぬいぬいはやめてください。それに、不知火は不知火以外の何者にもなりません」
青葉と呼ばれた少女は、カメラにエアを吹きかけながら、意地の悪い表情を浮かべる。銀に近い髪に、きらきらといたずらに光る目さえ除けば、端正とは言えた。
「お、今のままの貧しい感じで良いって?」
「……嫌です」
そこに、弓道着のような装束をまとった赤城が通りかかる。
「……加賀さんみたいになるんじゃないかしら。性格、にてるし」
それを聞くと、青葉は笑いながら返した。
「あー、確かに。雰囲気もわりとにてますしねー」
そういう赤城と青葉の笑い声を聞きながら、不知火はさらに不機嫌な顔を作る。
「あんな風にはなりません。ラ・マン加賀みたいになんかなりたくないです」
空気が、凍った。ラ・マン、意味が分からなかった青葉はともかく、赤城は頬をひくつかせている。確かに言われてみればわかるが。
「愛人はないでしょ、不知火さん……」
「だって、提督の愛人みたいじゃないですか。しょっちゅう一緒に出かけてるし」
「いや、あの二人は別の何か……あれ、青葉さん、どこ行くの?」
うふふ、と青葉は低くつぶやく。これはおもしろいことになるかも、という、予感とともに、歩きだしていたのだ。
「ラ・マン加賀」
「提督。1700まであと五分ですね」
「ああ」
提督と加賀は愛人関係だ、と言われているなどという騒ぎはつゆしらず、副官を務めている加賀は、提督に向かって業務終了の時間を告げている。それを見て、青葉はふふふ、チャンスです、などとほくそ笑んでいた。
現状、敵襲もなければ、今のところ積極攻勢に出るような情勢ではないため、今のところ日常業務だけで片が付いているため、当直を残して、帰るだけの余裕は生じていた。むろん、敵襲があれば、走って行くだけのことであったし、青葉がこんな風にのんきにしていられるのも、その辺が理由であった。
だが、加賀はそわそわとし始め、提督はいかにもくやしげである。青葉にはその理由はわからないが、提督と加賀が始終賭事をやっているのは周知の事実であった。
「提督、今日のあれは提督持ちですね」
「……性格、ずいぶん悪くなったね、加賀さんよ」
「ふふふ」
いたずらっぽく加賀は笑う。こういう表情をなかなか見せることがない女性であるため、青葉もどきりとしてしまう。ただ、提督はおい、そろそろだぞ。と時計を指さして、照れ隠しをしていた。
「おっとっと」
こそこそと青葉は移動を始める。1700の終業のラッパが鳴ると、直立不動になっていなくてはいけない。
ラッパが鳴り終わると、目配せを提督と加賀はしている。数秒してから提督と加賀は執務室から荷物をひっつかんで飛び出す。青葉にはおう、と二人して声をかけると、男女の別はあるものの、更衣室に飛び込んだ。
「……定時ダッシュって、あの二人」
なお、呆れている青葉は青葉で古鷹と熊野に頼んで訓練記録をまとめる仕事を放り出して居るので人のことは何もいえない。
「提督、予約の時間に間に合いません」
パンツスーツを着た加賀は提督がスーツに着替える遅さをとがめるが、即座に提督は予約の時間に遅れる、と電話をすると、にやと笑った。
「間に合うようにした」
「奥さんでしたか?」
「そうだが」
「店主さんに怒られますよ」
「あの親父さん、やかましいものな」
「毎回「あれ」を注文しておいて遅刻するからでしょう」
細かいな、おまえ。と提督は言い、加賀は、というとしれっとしている。双方が舌打ちをして話している暇はない、と言うように扉に向かい、提督の車に乗り込む。車種はというとマツダの緑のロードスターで、ロータリーエンジン特有のどるん、という音をさせていた。
「定時ダッシュの挙句に二人で一緒に退勤。何か予約してる風でしたから、事件のにおいがしますねえ!」
大喜びでタクシーを呼んで追いかけた青葉であるが、しかし。胃もたれするような展開が起ころうとは、考えてはいなかった。
胃もたれのする展開、というのはいろいろと存在している。たとえば男女のもつれであったり、借金がかさんで拝み倒したり、家賃の踏み倒しをやらかしたりと、枚挙にいとまがない。
そんな展開を青葉は若干期待していた。スキャンダルがあったらあったで鎮守府内の新聞に載せることは当然できないが、他の「きわどい」記事を載せるときにバーターの対象として必要になることがある。そして、今回、つまり提督と加賀が車に乗ってどこかへ行った、という事象について言えば。
「……なんですか、あれ」
塔が、できていた。それも、コンクリートや鉄ではない。クリームと砂糖と、そして各種フレーバーの集合体。つまり、アイスクリームと、モルタルとしてのホイップクリームだ。バケツアイスという言葉があるが、あれをそのまま取り出した形状をしているそれを4個積み重ねた代物が、伊万里の大皿に乗ってまろび出てくる光景を「甘味処」のれんのかかった店に入ったとたん拝んだ青葉は、唖然としていた。赤、青、黒、白と大変カラフルなそこにフルーツと生クリームで彩がなされている。
青葉も、平均的なレベルで甘い物好きではある。砂糖が手に入らなかった頃は銀蠅したキャラメルをなめていたりしたこともある。だが。
それがしずしずとある机に運ばれていく。カウンターで汁粉をすすっていた人々は、どよめきの声を上げるかに思われたが、一瞬顔をあげてまたか、とつぶやいていた。
「え、また?」
「なんだ、知らないのか。いつもの二人連れだよ」
いつもの二人連れ。という言葉を聞いた瞬間、腑に落ちた。そう、その「パフェのようなもの」を運んで行った先には。
「……いつもの死んだ様な目が嘘みたいですね」
子供のように目を輝かせている、加賀がいた。いつもの弓道着ではなく、パンツスーツ姿であったが、一目でわかった。提督も、同じく子供のような表情だ。
「……え、あれ食べるんですか。二人で」
確実に1万キロカロリー超えてるだろ。死ぬのか、あいつら。糖尿か、糖尿なのか。それとも糖分不足で死にそうだからとりあえず死ぬほど糖分をとることにしたのか、などと、いろいろな言葉を発しかけていた。思わずこっそりと写真まで撮ってしまった。
いつまでも突っ立っているわけにもいかない青葉は汁粉とアイスを注文したが、話を聞いているうちにだんだんと「事情」が呑み込めてきた。一か月に一回、ここにスーツ姿の二人が1700過ぎにあらわれて、アイスを、というより巨大なパフェを貪り食っているのだ。店主や常連客とて、はじめのうちは驚いていたが、もう驚きも品切れという様子である。
本当は、冗談で追加したメニューであったらしい。ただ、ジョーク並みの二人がやってきた、というだけの話でもある。
それが、同僚でなければもっとよかった。
「……うわあ」
引く、という言葉が何よりもふさわしかった。モリモリと何かが減っていく。笑顔でアイスをほおばり、フルーツをかみしめ、幸せそうな表情をしている加賀と提督。
それに反比例して、目の前の汁粉を見て湧いてきていた食欲が、奇妙に減退している。
言うまでもない。あまりにも、あまりだ。アイスの塔は崩れ、溶けるいとまもなく、二人の胃袋に消えていく。義務感に駆られて、餅をほおばった。さすがに硬くなっている。おまけに冷たく、にゅるにゅるとした触感がして、本当はうまかったであろう汁粉を台無しにしていた。
「……いやあ、うまかった。遅れてすまなかったな、店主」
提督が、財布を開いて二人分を払っている。それだけを見ると女にごちそうする男という図式であるが、店主はもうなんかお前らおかしいよ。という目で見ているため、何かがおかしい。加賀は財布を取り出して、半分を無言で提督に手渡しているのも見とがめた。おごりは冗談だったらしい、ということは見て取れた。そのあたりからも若干関係が見て取れそうなものである。食べたものがあんなものでなければ。
もう、何か本当に、青葉の胸には猛烈なあるものがわだかまっていた。
「ありがとうございました」
と店主が言って、加賀の姿が消えた瞬間、青葉はお勘定をして出ていき、コンビニに足を踏み入れる。
何を買ったかは言うまでもないだろう。胃薬である。
「……ラ・マン加賀と司令がしょっちゅう一緒に外出しているらしいですが、青葉さんは何かご存知ですか? 不知火は聞いてみたいです」
そう言っている無表情ポニーテイルに、青葉は言った。
「……あの二人はきっと戦ってると思うんですよね、食べ物と」
「は?」
「わからないほうがいい世界があるってことよ。子供には」
溜息、胸のむかつきを、思わず青葉は抑えた。また今日も何か甘いものを食べているのだろう。糖尿になれ、本当に。その呪いの言葉を、青葉はつぶやいた。
「ラ・マン加賀」 ―了―