10年前の夏の夜...
「お兄ちゃん..!こんなところにいた...」
もう夕陽なんてとっくに沈んで、青く輝く明るい夜空が広がる時間。ヒトミが色んなところを周ってたどり着いたのは街の外れの神社の境内で、少年はただ静かに、夜空を眺めていた。
ヒトミが声を掛け、懐中電灯の光を当ててようやくヒトミに気づいたようで、少年はびっくりして振り向いた。
「お前ッ!?なんでここに!夜は危ないから出るなって言っただろ!」
兄の第一声は心配の気持ちが籠った叱りの言葉だった。
ヒトミは滅多に怒らない兄の声にビクッとする。
少年は滅多に妹を叱ることはない。ヒトミが大人しいというのもあるが、ヒトミが言いつけを破ったことがなかったため今回のことは心配する兄としての気持ちの表れだった。
ヒトミは少し気圧されながらもなんとか声を絞り出す。
「だって、お兄ちゃん..20時までには帰るって言ってたのに..家で待っててもずっと帰って来ないから..何かあったのかと思って...」
そう言うと少年はハッとして辺りを見渡し、境内の時計を見た。
いまはもう22時を過ぎた頃。少年が家を出たのが18時になるため、もう4時間は外に出ていたことになる。少年は携帯はおろか時計すらも持っていない、それに星を眺めるのに夢中だったこともあり時間の確認を忘れていた。
少年は慌てて妹に謝り、駆け寄る。
「ご、ごめん..全然時間見てなかった...でも外に出たら駄目だよ、家にいないといけないだろ?」
するとヒトミはしょんぼりして下を向いた。
「ごめんなさい、ずっと家で1人は..寂しくて...」
少年は黙り込んでしまった。
少年はヒトミがそう言う理由に心当たりがあった。最近はヒトミをあの家で1人にしていた節があった。自分の気持ちに従ってヒトミを置いて外に逃げてしまっていた。
少年は胸の内で反省してヒトミに声をかける。
「ごめんな、もう帰ろうか」
そう言い少年は置いてあった本を持ち、家に帰る準備を始めた。だがヒトミが少年の腕を掴んでそれを止める。
「ヒトミ?」
「帰りたくない、まだ帰りたくない...」
少年は耳を疑う。
元々ヒトミは暗いところが苦手ということや兄の言いつけもあって夜が嫌いだ。少年が夜の危険性を教えると涙目になり、暗い部屋や物置きの中などは近付きたくないというほど暗い場所が苦手。
そんなヒトミが夜の街を歩いてここまで来たというだけでも少年にとって驚きなのに、夜の外にいたいなんて言葉は今までのヒトミにはあり得ないことだった。
少年は思わずヒトミに聞き返す。
「お前..怖くないの..?」
「怖い..でも家はもっと嫌、それにお兄ちゃんの邪魔しちゃったから...」
「・・・俺が言うのもあれだけど夜は本当に危ないんだ、お前がここまで来れただけでも俺は奇跡だと思う。だから帰れるときに帰った方がいい、お前もここに来る時視たんだろ?」
ヒトミは小さく頷く。
「うん..視たよ..初めてお化け視た..怖かった...お兄ちゃんは、ずっとあんなのを視てるの..?」
「そうだよ、『ずっと』視えてる。でもお前にお化けが視えるのは夜だけだ、だから夜は出ない方が良いし危ないんだ。分かるだろ?早く帰ろうヒトミ、俺はヒトミが心配だよ」
ここまで少年が言ってもヒトミは帰ろうとする素振りを見せなかった、だが少年も無理に責めない。
ヒトミが家を嫌いなのは少年も良く知っている、それは少年も同じだ。少年もそれが嫌で家を出て星を眺めていたのだから。
2人にとって家というのはただ夜を過ごすための場所でしかない。思い出も何もない、むしろ嫌いなくらい、本当にただ夜から避難するためだけの場所なのだ。それに家には『あの家族』がいる、それが一番2人が帰りたくない理由だ。
長い沈黙のあと、ついに少年が折れた。
「もう、そうやってお前は無責任なこと言うんだから...はぁ、わかったよ」
そう少年が言うとヒトミは小さく喜んで返事を返す。
「ありがとうお兄ちゃん..!」
そんなヒトミを見て少年は複雑な気持ちだった。いつもの自分ならなにがなんでもヒトミをこの夜から遠ざけただろう。いつもの自分だったら嫌がるヒトミを無理やり引っ張って帰りたくもない家に帰っていただろう。
だが自分の本心に建前の気持ちが負けてしまった、滅多に出さないヒトミの想いに負けてしまったことに、少し後悔の念を感じていた。
でも少年はその後悔をなんとか抑える。もう過ぎたことなのだ、元はと言えば自分が帰らなかったせいで起こったことだ。それに昼間のことをヒトミは引きずっているかもしれないと考えると少年はヒトミに否定の言葉をぶつけることは出来なかった。だから少しでも良いからと、ヒトミに気を楽にして欲しいと思って少年はヒトミに話しかける。
「それで、ヒトミは何がしたいの?あまりここ以外は歩くのは危ないよ?」
するとヒトミは少年にすぐ返事を返す。
「お兄ちゃん、私に星のこと教えて」
※
「ねぇ!星座ってどんなのがあるの?」
「星座?」
「うん、学校で習ったから!」
「星座かぁ、ヒトミに分かりやすいものなら牡羊座かな。えっとこの向きの...あの星だ!」
「あの星?」
「うん、あのハマルって星と近くにあるシェラタンって星を繋いで...」
少しして、2人は境内のベンチに座りながら星談議に花を咲かせていた。
2人は街の方から流れてくる涼しい風を肌に受け止めながら、肩を寄せ合い、ヒトミが質問し、空に浮かぶ星について少年が語り、ヒトミが興味津々に話を聞く。そんな会話をする2人はとっても楽しそうで、いつも2人を邪魔する存在がいないその時間は2人を年相応の『普通』の子供にさせるには十分過ぎた。僅か9歳にしてそこらの人より過酷な人生を歩んでいる2人にはこんなことでも一生の思い出になるほど忘れられない時間。
いまの2人の目は希望の色で満ちている。
「・・・」
「・・・」
しばらく話していたら不思議と2人は会話を止め、静かに空の星を眺めていた。
「・・・」
「・・・」
・・・・・・
「・・・ヒトミ」
「・・・なに、お兄ちゃん」
「お前さ、ずっと昼のことで悩んでるだろ」
「・・・」
ヒトミは兄を見ずに変わらず静かに星を眺める。だが少し悲しい顔になったのを少年は見た。
「目を視たら分かる、ずっと不安な色が出てる」
「・・・やっぱりお兄ちゃんの眼、本当に意地悪だよね」
「・・・昼のことは仕方ないよ、初めてのことだったんだろ?」
「でも..絶対間違えるなって言われた所、順番間違えちゃった..そのせいで家にいる人たち怒ってた..きっと神様も怒ってる...それがずっと、怖くて...」
そうしてやっと本心を口にしたヒトミは空の星から目を離し、顔を下に向けた。
「私、やっぱりなにも出来ないや..言われたこともちゃんと出来ない..どうしたら、お兄ちゃんみたいに色々出来るようになるのかな..?」
「・・・」
ヒトミは小さく目に涙を浮かべて擦り切れるような声でそう言って少年を見た。全てを受け止めた少年はしばらく黙ってヒトミを見る。だが少年は再び星に目を向けて語った。
「俺はなにも出来ないよ」
「え?」
「俺は、ヒトミになにもしてあげられてないよ。ヒトミに喜んで貰えるようなこと、一度だって出来たと思ってない」
「違うよお兄ちゃん!私、お兄ちゃんがしてくれたこと全部———」
「違わないな、だって今もお前は笑ってないだろ?」
「う・・・」
「それにお父さんとお母さんの約束だって・・・。だから俺みたいになったら駄目だ。大丈夫、お前は自分のやり方で自分の悪いところを直せば良いんだよ。今日のことだって1週間くらい前にいきなり言われて舞の振り付けとか練習し始めただろ?いくらなんでも無理があるよ、仕方ないことだと思うよ」
「でも...」
「そういえば星のことで一つ俺が気に入ってる言葉教えてあげるよ」
「え?」
返事を遮られたヒトミは状況が上手く飲み込めないようできょとんとした顔になってしまう。そんなことを無視して少年は真っ直ぐ星を見てその言葉を口にする。
「ad astra per aspera」
「・・・どういうこと?」
「『苦難を乗り越えて星を掴む』って言うんだ。astra・・・つまり星は正解とか幸せって意味で、asperaは困難とか苦難って意味なんだってさ。この言葉の意味を直すなら『嫌なことを乗り越えて幸せを掴む』って感じかな」
「『嫌なことを乗り越えて幸せを掴む』・・・」
「そう、今の俺たちにぴったりだろ?俺、この言葉をこの本で知ってから星が好きになったんだ。だからさ——」
隣に置いていた本を見つめ、思い出深いように撫でると、少年は立ち上がっていまだに不安の色を見せるヒトミの目をゆっくりと視た。
「だから、負けないように頑張ろう!今はまだ苦しい道かもしれないけど、いつか俺とヒトミが大人になったらお前を連れて、こんな嫌な街なんか離れて、どこか他の街にでも2人で引っ越そう!そしたら沢山、幸せなことがあるはずだからさ、それまで2人で頑張って生きて行こう!俺、それが今1番の夢なんだ!」
普段そんなことを言わない少年は恥ずかしそうに笑う。これは少年の心からの本心だ。いまヒトミを元気づけるために咄嗟に作った言葉でもない。ただ、夢を語っただけ。
でもそんな言葉に、ヒトミは救われていた。ヒトミはその言葉を聞いた瞬間、涙が溢れていた。普通の人にそんな言葉を言われてもなにも響かなかっただろう、だが最も信頼している大好きな兄に言われた。だからこそ、気付かされた。まだ下を向くのは違うと、希望を捨てるのはまだ早いと。
だって側には兄がいるから
「はは、あはは..!」
「なんでそこで笑うんだよ・・・」
「だって、お兄ちゃんらしくないんだもん!」
「やめてくれよ、俺も恥ずかしかったんだから・・・」
「でも・・・」
そこでヒトミは空を見る。まだまだ明るい夜空は星を描く。そんな夜空の中で一際明るく光る月が2人や街を照らす。そんな景色を見てヒトミは言った。
「でも嬉しかった。そんなこと、一度も言われたことなかったから・・・。私、頑張る。お兄ちゃんと一緒にこの街から出られるように、自分に負けないように頑張るから、そばにいて、シオン」
「当たり前だよ、お前がいなくちゃ俺も嫌だよ。俺が大人になるまではヒトミも待ってて欲しい、それまではヒトミも俺を見ててくれ」
「うん!約束!」
そして2人は指切りを交わす。2人で幸せに生きたい、たった小さな願いの約束を・・・
「帰ろっか。いつまでも外にいる訳にもいかないしな」
「うん、嫌なことから逃げてたら駄目だもんね」
そしてヒトミも立ち上がる。今度は嫌な顔はしていない、胸の内を口に出したことでスッキリした顔をしていた。それを見てシオンも嬉しくなる。いつまでも笑顔でいて欲しいとそう思うくらい。
「俺が懐中電灯持つからお前はこの本を持ってて欲しい」
「わかった」
そう言葉を交わすと2人は持っていたものを交換する。そして2人は境内の出口に向かう。お互いに離れないように隣を歩いていく。
2人は出口の前に立つ。ここからはまた危ない夜の世界への入り口だ。でもずっとここにはいられない、困難の一歩を踏み出さないとなにも始まらない。だから2人は顔を見合わせて頷き、前に足を踏み出す。
きっと乗り越えられると信じて・・・
———『第⬛︎幕終了』———
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
あぁ...
“こんなことも昔あったなぁ...”
笑ってしまうな...
2人は希望を見据えて、幸せがあると信じて、未来に踏み込んだのに...
結局は希望も、幸せもなかった...
所詮は夢でしかない、ただの子供の夢でしかなかった...
・・・・・・
でもこの思い出じゃない、これより少しあと...
このあと2人に何があったのか、知らないと...
“僕”が何者なのかを知るために...
今回は珍しく三人称視点ですね