「ワインみたいな泉があったのよ」
出し抜けに放たれた言葉に、思わず声の主を二度見した。
私の眼前で、私と同じ缶を持つ少女。僅かに頬を赤くしながら、誰に向けた言葉かつらつらと語り出す。
「前に夢の中でね。何度か見てある時とない時があったんだけど夜には大体あって、見てるだけだったんだけど」
「ストップ、メリー。…大丈夫?水飲む?」
差し出したコップを煽るメリーを横目に、小さく嘆息した。お酒に弱いのかビールが合わないのか、ここまで悪酔いした様な姿を見るのは初めてだった。
そもそも私はワインなぞ殆ど飲まない。どんなものかもよく分かっていないし、いまいちピンと来ないのだ。
何となくで軽くお酒を飲もうと提案したはいいものの、相方の悪酔いに少しばかり後悔してくる。不思議なオカルト話というより、これでは酔っ払いの妄想だ。
水を飲んでからもなお同じ話を続けようとするメリーを強引に布団に押し込んで、考える。そんなに夢中になる様なものなのかと片隅で考えるものの、そんな考えはすぐに飛んでしまった。
やっぱり私はこっちの方がいいなと、呑気に寝息を立てる相棒の隣でビールの缶を傾けた。
泉に行こうと誘われたのは、それから数日後の事だった。
▼▼▼
がたん。
何かに揺られる感覚があった。重い瞼を開くと、星ひとつ無い夜空が広がっていた。
「あ、起きた?」
聞き慣れた声に、身体を起こす。メリーが何やら、棒の様なものを持って此方を見つめていた。
よく見ると、棒に見えるそれはオールだ。規則正しく動かされ、持ち手にでかでかと、Cと印されたオール。私達はふたり、小舟の上に浮かんでいた。
「蓮子ったらずっと起きないから。近くにあったボートに乗せて、こうして出てきたってコト」
相棒のアグレッシブさに、軽く頭を抑えた。余程の酒好きなのか、それとも泉とやらのワインが特別なのか?
ちらりと辺りを見回す。周囲の水面は、赤。後光のように私の後ろから差し込む光で輝くそれを目にした時に、感じた。
香りがする。芳醇と言えるであろう酒の匂いも微かにさせながら、酷く甘い匂いがする。むせ返りそうな程の匂いに思わず顔を顰めると、私の前にグラスが差し出された。
「……」
ぴたり。船が止まった。
メリーは、何も言わない。グラスに入っている液体が、私達の下にあるものだとはすぐに分かった。無言で彼女は、グラスを渡してくる。それに逆らえず、受け取って顔を近づけた。
甘い、匂い。近くにするとよりはっきり感じる甘さは、むしろ不快感すら覚えるくらい。
本当は口にしたくないソレを、目の前の視線に見守られながらひと息に煽った。
「……どう?」
何故か心配そうに、メリーが尋ねる。しかし私は、それどころでは無かった。
酷い甘さに、口が支配される。それは酒の味でも、果物の味でもない。後から人工的にぶち込まれた様な、暴力的で無理な甘味だった。甘すぎて苦味すら覚えるその味に、私は無言で首をぶんぶんと振った。
「…そう。残念ね」
がたん。再び、船が動き出す。少しだけ乱暴に、波立つ水面にいる様に。
その振動で、堪らず口を抑えた。酩酊しているのか単に気分が悪いのか、自分でも分からない程に意識が混濁する。
じわりと、靴底が濡れる感触がした。辛うじて目を向けると、船の底から赤が染み出している。咄嗟に顔をあげると、目の前にいる彼女はグラスを手に微笑んでいて。
私はひとり、崩れかけた船で蹲るしか無かった。
揺れは収まらない。視界が歪む。身体は平衡感覚を失って、赤い水に寝転がる。より強く感じる甘い香りにやられて、意識が遠のいていく。
ちかりと、視界の端に星が瞬いた。けれどそれも一瞬で、場所も時間も映さないまま消えていく。
ふっと、光が消える。船はとっくに崩れて、浮遊感に包まれて。そのまま、私の身体は沈んでいく。
全身を赤く染めながら、頭の片隅にふとよぎった。
こんなものを好きだと言う彼女は、やはりどこか狂っているのだ──と。
それが私に浮かんだ、最後の思考だった。
───ごくり。