腹の底を揺らすような咆哮が、補給本部全体を震わせた。
壁が軋む。
窓硝子が細かく震え、天井から砂埃が落ちた。
「ヒッ……」
短い悲鳴。
反射的に漏れたような、怯え切った声だった。
ジャンがゆっくり視線を向ける。
部屋の隅。
積み上げられた木箱の陰に、数人の訓練兵達が固まっていた。
顔面は蒼白。
銃を抱えたまま震えている者。
膝を抱えて俯いている者。
涙を流している者までいた。
誰も立とうとしない。
その光景を見た瞬間、ジャンの顔から感情が抜け落ちた。
「……お前ら」
低い声。
怒鳴っていない。
だからこそ怖かった。
「何してる」
返事は無い。
あるのは震える呼吸音だけ。
ジャンの奥歯が軋む。
「お前らが補給止めたせいで、外で何人死んだと思ってんだ……」
一人の訓練兵が肩を震わせる。
「無理だったんだ……」
掠れた声。
「先輩達が喰われて……次は俺達だって……」
「だから閉じこもったのか?」
静かな声。
アスカだった。
壁へ寄り掛かっていた身体を起こし、補給班を見る。
怒鳴らない。
だが、その目には妙な圧があった。
「……ここで震えてれば助かると思ったのか」
「ッ……」
「外にはまだ仲間がいた」
淡々とした言葉が刺さる。
「お前らが補給を止めた時点で、そいつらは機動力を失う。立体機動が使えなくなった兵士がどうなるかなんて、考えなくても分かるだろ」
返す言葉は無い。
ジャンは舌打ちした。
「……クソ」
怒鳴り散らしたい。
殴り飛ばしたい。
だが出来ない。
目の前の連中の顔を見れば分かる。
もう壊れかけている。
ほんの少し状況が違えば、自分達だってこうなっていたかもしれない。
その事実を、ジャン自身が理解してしまっていた。
その時だった。
外から轟音が響く。
ドゴォッ!!と、何か巨大なモノが建物へ叩き付けられたような音。
床が揺れる。
訓練兵達が小さく悲鳴を漏らした。
「……チッ、ここ危ねぇな」
ライナーが窓を見る。
外の巨人に見つかれば終わりだ。
「奥へ移動するぞ」
誰も反対しない。
104期達は補給班を連れ、窓から離れるように廊下へ移動し始めた。
その途中。
アスカは何となく窓の外へ目を向ける。
そして。
「……なんだ、アレ」
誰かが呟いた。
建物の隙間。
異形の巨人が、別の巨人の顔面を殴り潰していた。
肉が裂ける。
歯が飛ぶ。
普通の巨人には無い動きだった。
感情的ですらある。
「ッ……」
コニーが息を呑む。
「あ、アイツだ……!」
異形の巨人が咆哮を上げる。
耳を劈くような雄叫び。
その声は、他の巨人とは違って聞こえた。
まるで。
怒っているみたいだった。
異形の巨人が四メートル級の頭を掴み、そのまま石畳へ叩き付ける。
轟音。
肉が潰れる。
蒸気。
「……なんなんだよ、アイツ」
ジャンの声が掠れる。
ライナーが僅かに目を細めた。
「コニー」
「あ?」
「お前、あの巨人についてどこまで知ってる?」
コニーは眉をひそめる。
「は? 知らねぇよ。ミカサとアルミンと一緒に見ただけだ」
「そうか……」
ライナーは短く息を吐く。
その横で、ベルトルトもどこか落ち着かない様子で窓の外を見ていた。
アニだけは何も言わない。
ただ、異形の巨人を観察するように目を細めている。
「つーか、そんなの今どうでもいいだろ!」
コニーが苛立ったように言う。
「俺ら今にもガス切れで死にそうなんだぞ!」
その言葉で、全員が現実へ引き戻される。
「行くぞ!!」
ジャンの声で、104期達は再び奥へ向かった。
外の轟音を背後に聞きながら。
「お、おい……!」
その時だった。
訓練兵の一人が、壁際へ駆け寄る。
崩れた木箱。
その隙間から金属が見えていた。
「銃があるぞ!!」
全員の動きが止まる。
「……散弾銃?」
ジャンが眉をひそめる。
「憲兵団の備品だ。補給本部に置いてあったやつだと思う」
アスカがしゃがみ込み、銃を拾い上げる。
重い。
巨人を殺すには火力不足。
だが。
「……目くらましには使えるか」
「目くらまし……?」
アルミンが反応する。
その時。
「リフトもまだ動くぞ!!」
奥から別の訓練兵が叫ぶ。
「補給室前の昇降機、生きてる!」
アルミンの思考が止まる。
銃。
リフト。
補給室。
そして。
「……補給室の巨人、何体いる?」
補給班の一人が顔を上げた。
「八体だ」
空気が張り詰める。
「全部三〜四メートル級。補給室を占拠してる」
八体。
狭い室内。
ガス残量は少ない。
正面突破は自殺行為。
アルミンの脳内で、情報が繋がり始める。
銃。
リフト。
天井。
巨人。
八体。
「……あ」
小さく漏れた声。
ミカサが視線を向ける。
「アルミン?」
アルミンはゆっくり顔を上げる。
喉が乾く。
怖い。
だが。
これしかない。
「……もしかしたら」
拳を握る。
「補給室を奪還できるかもしれない」
誰もすぐには口を開かなかった。
補給室。
そこへ辿り着けなければ、全員が死ぬ。
だが、八体。
三〜四メートル級とはいえ、閉所で相手取るには十分過ぎる脅威だった。
立体機動は空を飛ぶための装備だ。
狭い室内では、ワイヤーを引っ掛ける場所も、軌道を逃がす空間も限られる。
一度速度を殺せば終わる。
巨人との距離が近すぎる。
反応を間違えれば、その瞬間に喰われる。
「……どうやる」
ジャンが低く問う。
アルミンはすぐには答えない。
視線だけが、散弾銃と、奥にある昇降機を行き来していた。
考えている。
必死に。
頭の中で、何度も。
失敗の形を。
死ぬ瞬間を。
それでも、生き残る可能性を。
「補給室の構造は?」
「中央が吹き抜けになってる」
補給班の訓練兵が答える。
「天井は高い。梁もある」
「巨人は?」
「下層をうろついてる……。たまに天井見上げて暴れてる奴もいるけど」
アルミンは小さく頷く。
そして。
「……いける」
そう呟いた。
その声には、自分へ言い聞かせるような響きがあった。
「まず、リフトを使って囮役を中央へ降ろす」
「囮?」
コニーが顔をしかめる。
「巨人を一箇所へ集めるためだよ。全部の注意を下へ向けさせる」
アルミンは散弾銃へ視線を向ける。
「その瞬間、散弾銃を撃つ」
「は?」
「巨人の目を潰すんだ」
全員の視線がアルミンへ集まる。
「三〜四メートル級なら、人間に反応する距離も近い。視界を奪えれば、一瞬だけ動きが止まる」
「その一瞬で殺すってこと?」
アニが壁へ寄り掛かったまま言う。
アルミンは頷いた。
「機動班を八人選ぶ。天井の梁へ待機して、発砲と同時に降下。一人一体、同時にうなじを削ぐ」
沈黙。
重い沈黙だった。
つまり。
失敗は許されない。
一人でも仕留め損なえば、その場で誰かが死ぬ。
閉所での乱戦になる。
ガス残量では立て直せない。
「……一撃で、全部か」
ジャンが呟く。
アルミンは答えない。
答えられない。
そんな事、自分が一番分かっていた。
成功率なんて高くない。
むしろ低い。
だが。
他に方法が無い。
「機動班は、運動能力の高い八人で固める」
アルミンはゆっくり顔を上げた。
ミカサ。
アスカ。
アニ。
ライナー。
ベルトルト。
コニー。
サシャ。
そしてジャン。
視線が、一人ずつを通り過ぎる。
この八人なら出来る。
いや。
出来てもらわなければ困る。
失敗すれば全員死ぬ。
ここにいる訓練兵達の命を、自分は今、この八人へ預けようとしている。
胃が軋む。
吐き気がした。
「……僕は」
アルミンの喉が震える。
「君達なら出来ると思う」
静かな声だった。
だが。
その言葉に含まれた重さは、全員が理解していた。
沈黙。
最初に動いたのは、アスカだった。
壁から背を離す。
ガスボンベを軽く叩く。
残量は少ない。
だが、足りなくはない。
「まぁ、やるしかねぇだろ」
軽い口調。
なのに、不思議と空気が少しだけ緩む。
「失敗したら死ぬ。成功しても死ぬかもしれねぇ。なら、生き残る可能性がある方選ぶだけだ」
「簡単に言ってくれるぜ……」
ジャンが顔をしかめる。
「実際簡単だろ」
「どこがだよ」
「考えすぎると動けなくなる」
アスカは短く息を吐いた。
「巨人に喰われる時は、一瞬だ」
その言葉に。
誰も反論出来なかった。
それを、ここにいる全員が知っている。
ミカサが静かに刃を抜く。
「私はやる」
迷いの無い声。
アニは小さく肩を竦めた。
「まぁ、他に手も無いしね」
「俺もやる」
ライナーが言う。
ベルトルトも頷いた。
コニーはまだ少し顔を青くしていたが、それでも無理やり笑う。
「へへ……。八体全部ぶっ殺しゃいいんだろ」
「簡単に言いますねぇ……」
サシャの声は引き攣っていた。
だが、逃げる気は無い。
ジャンは深く息を吐く。
そして。
「……分かったよ」
刃を抜いた。
「やってやる」
アルミンは拳を握る。
怖い。
怖くてたまらない。
もし誰か死んだら。
その責任は。
だが。
今ここで、自分が止まれば。
全員死ぬ。
「準備しよう」
アルミンの声で、全員が動き出した。
☆☆☆
補給本部の奥。
薄暗い通路を、104期達は足音を殺しながら進んでいた。
湿った空気。
血臭。
遠くから響いてくる巨人の唸り声。
補給所へ近づくにつれ、その音は徐々に鮮明になっていく。
誰も大きな声を出さない。
出せない。
ガス残量は少ない。
刃も消耗している。
そして何より。
これから行う作戦は、一撃で全てを決めなければならない。
失敗した瞬間、死ぬ。
単純で、最悪な話だった。
先頭を進むアルミンが、時折後ろを振り返る。
機動班の八人。
ミカサ。
アスカ。
ライナー。
アニ。
ベルトルト。
コニー。
サシャ。
ジャン。
誰も文句は言わなかった。
だが、緊張していない訳がない。
特にコニーとサシャは、表情が硬い。
それでも足は止めない。
「……なぁ」
沈黙に耐えきれなくなったように、コニーが口を開く。
「けどよ、立体機動装置も無しで巨人を仕留め切れるか?」
補給所内部は狭い。
高速機動など出来ない。
だから今回の討伐は、普段の立体機動戦とは違う。
ほぼ至近距離での斬撃になる。
ライナーが前を向いたまま答える。
「いけるさ。相手は三〜四メートル級だ。的になる急所は狙いやすい」
「ああ」
ジャンが続ける。
「大きさに関わらず、頭から下うなじにかけての――」
「縦一メートル!横十センチ!」
サシャが即答する。
反射みたいだった。
教官に何度も叩き込まれた知識。
ライナーが右手の刃を軽く持ち上げる。
「もしくは、こいつを奴らのケツにぶち込む。弱点はこの二つのみ」
「知らなかった!そんな手があったのか!?」
コニーが本気で驚く。
サシャも目を丸くした。
「私も今、初めて知りました」
空気が一瞬だけ緩む。
アスカが小さく鼻で笑った。
「辞世の句がそれなら、悔いはねぇわな」
「言えてる」
アニまで小さく口元を緩める。
「……お前ら、緊張感ってもんがねぇのか」
ジャンが呆れたように言う。
だが、その声も少しだけ柔らかかった。
恐怖を紛らわせているのは、自分も同じだったからだ。
「静かに」
ミカサが前を見たまま言う。
「もうすぐ補給所」
空気が一気に引き締まる。
全員の表情から笑みが消えた。
補給所前の通路。
その先から、低い唸り声が聞こえる。
巨人。
八体。
壁越しでも分かる。
近い。
アルミンの喉が鳴る。
怖い。
心臓がうるさい。
だが。
今ここで止まる訳にはいかなかった。
「……配置につこう」
小さな声。
それだけで、全員が動き始めた。
機動班はワイヤーを使い、補給所上部の梁へ移動する。
ギシ、と古い木材が軋む。
下を見れば、補給所内部。
薄暗い空間を、巨人達が徘徊していた。
三メートル級。
四メートル級。
肉の擦れる音。
生臭い吐息。
近い。
近すぎる。
アスカは梁へしゃがみ込み、静かに呼吸を整える。
下にいる巨人の頭頂部が見えた。
ここから飛び込む。
一撃。
それで終わらせる。
終わらなければ、自分が死ぬ。
単純だった。
だからこそ、余計な思考は切り捨てられる。
隣ではミカサが無言で刃を構えている。
呼吸一つ乱れていない。
対照的に、コニーは少し顔が青かった。
サシャも唇を引き結んでいる。
だが。
誰も逃げない。
下層。
リフト前では、囮役の訓練兵達が散弾銃を握っていた。
指が震えている。
当然だ。
自分達の役目は、巨人を引き寄せる事。
つまり。
最も近くで、巨人の視線を受ける事になる。
アルミンはその光景を見て、拳を握る。
ここにいる全員の命を。
自分は今、この作戦に乗せてしまった。
もし失敗すれば。
誰かが死ぬ。
いや。
全員死ぬかもしれない。
喉が張り付く。
それでも。
「……始める」
アルミンはそう言った。
リフトが軋む。
ギギギ、と耳障りな金属音を響かせながら、囮役の訓練兵達がゆっくり補給所中央へ降下していく。
補給所内部。
薄暗い空間を徘徊していた巨人達が、一斉に反応した。
顔が上がる。
濁った眼球。
涎。
肉の擦れる音。
「ッ……」
囮役の一人が喉を鳴らす。
近い。
近すぎる。
三〜四メートル級とはいえ、実際に目前まで迫られれば十分過ぎるほど巨大だった。
巨人達が口を開く。
歯。
舌。
生暖かい吐息。
人間を見つけた瞬間の、あの醜悪な笑み。
胃が捻れる。
逃げ出したくなる。
だが。
ここで動けば終わる。
梁の上。
アスカは静かに呼吸を止めた。
視線は一体の巨人へ固定。
距離。
角度。
うなじ。
全部見る。
外せば死ぬ。
だから外さない。
ミカサも既に姿勢を落としていた。
今にも飛び出せる。
アニは無表情。
ライナーは刃を強く握り込み、ベルトルトは小さく息を吐く。
コニーとサシャの額には汗が滲んでいた。
ジャンは唇を噛む。
アルミンの喉が震える。
怖い。
だが。
今しかない。
「……今だ!!」
マルコの叫び。
同時。
轟音が補給所内部へ炸裂した。
パンッ!!パンッ!!パンッ!!
散弾銃。
至近距離で放たれた鉛玉が、巨人達の顔面へ叩き込まれる。
肉が裂ける。
眼球が潰れる。
蒸気。
巨人達が一斉に悲鳴を上げた。
その瞬間。
「行くぞッ!!」
ジャンの声。
八つの影が、梁から同時に飛び降りた。
ガス噴射。
爆発的な加速。
空気が裂ける。
アスカは壁を蹴った。
狭い。
だからこそ直線軌道は使わない。
強引に角度を変える。
眼前。
三メートル級のうなじ。
近い。
刃を振り抜く。
ザシュッ!!
肉が裂けた。
手応え。
そのまま勢いで床を蹴る。
振り返る暇は無い。
次を確認する。
隣ではミカサが、四メートル級のうなじを一閃していた。
無駄が無い。
最短。
綺麗過ぎる軌道だった。
一方。
「うおおおおッ!!」
コニーが斬り掛かる。
だが。
浅い。
恐怖で踏み込みが僅かに甘かった。
うなじを削ぎ切れない。
巨人の首筋から蒸気が吹き出す。
「ッ!?」
コニーの顔が青ざめる。
巨人が振り返った。
口が開く。
近い。
喰われる。
その瞬間。
黒い影が横から割り込んだ。
アスカだった。
壁を蹴る。
無理矢理身体を捻り込み、そのまま巨人の首へ刃を叩き込む。
ズバァッ!!
肉が飛ぶ。
巨人の頭が不自然に揺れ、そのまま崩れ落ちた。
「ボサッとしてんな!!」
怒鳴る。
だが、既に次へ動いていた。
別方向。
「きゃあッ!?」
サシャの悲鳴。
そちらを見る。
サシャも仕留め切れていない。
四メートル級が腕を振り上げていた。
速い。
室内だからこそ距離が近い。
避けきれない。
銀色の軌道が走る。
ミカサだった。
一瞬。
本当に一瞬で巨人の背後へ回り込む。
そして。
一閃。
巨人のうなじが綺麗に削ぎ落とされた。
蒸気が噴き出す。
サシャがへたり込みそうになる。
「立って」
ミカサは振り返らない。
「まだ終わってない」
残る巨人達も、次々と倒れていく。
ライナー。
アニ。
ベルトルト。
ジャン。
それぞれが、一撃で仕留めていく。
補給所内部へ蒸気が充満した。
熱い。
視界が白い。
耳鳴り。
肉の焼ける臭い。
そして。
最後の巨人が崩れ落ちた瞬間。
補給所に、静寂が訪れた。
誰もすぐには動かなかった。
呼吸だけが響く。
「……生きてる」
コニーが呆然と呟く。
アスカは刃に付いた肉片を振り払い、短く息を吐いた。
心臓がうるさい。
全身が熱い。
だが。
まだ動ける。
身体が軽かった。
戦闘の最中ほど、頭が冴えていく感覚。
死地へ踏み込む度に、自分の感覚が研ぎ澄まされていく。
――なんだよ、それ。
自嘲気味に笑う。
そんな事を考えていると。
「ガスだ!!急げ!!」
ジャンの叫びで、全員が我に返った。
☆☆☆
補給所内部には、まだ蒸気の熱が残っていた。
巨人の死骸から立ち昇る白煙が視界を薄く濁らせ、焼けた肉の臭いが鼻に張り付いて離れない。
それでも。
誰も止まらなかった。
「補給急げ!!」
ジャンの声で、訓練兵達が一斉に動き出す。
ガスボンベ。
替え刃。
立体機動装置の点検。
ここまで辿り着いて、補給が出来なければ意味がない。
空を飛べなくなった兵士から死ぬ。
それを、全員が嫌というほど理解していた。
アスカはガスボンベを交換しながら、小さく息を吐く。
身体が熱い。
心臓がうるさい。
だが、不思議と身体は軽かった。
死地へ飛び込む度に、自分の感覚が研ぎ澄まされていく。
地下街の喧嘩とは違う。
もっと純粋な殺し合い。
その中で、自分の身体が戦い方を覚えていく感覚があった。
「おいアスカ!」
コニーが駆け寄ってくる。
「さっきマジで助かった!死ぬかと思った!」
「次は自分で仕留めろ」
「分かってるって!」
コニーは笑っていた。
さっきまで青ざめていた顔に、少しだけ生気が戻っている。
生き残った。
それだけで、人間は笑える。
「……ジャン」
マルコが声を掛けた。
ジャンは替え刃を装着しながら顔を上げる。
「なんだよ」
「怒らないで聞いて欲しいんだけど」
「前置きが腹立つな」
マルコは苦笑した。
その笑顔は、こんな地獄の中でも不思議と変わらない。
「ジャンは、指揮官に向いてると思う」
「……は?」
ジャンが眉をひそめる。
マルコは続けた。
「ジャンは強い人ではないから」
「おい」
「でも、だからこそ弱い人の気持ちが分かる」
静かな声だった。
だが、その言葉には妙な説得力があった。
「それでいて、現状を正しく認識することに長けているから」
ジャンは何も言わない。
マルコは小さく笑った。
「だから、今何をすべきか明確に分かるだろ?」
沈黙。
ジャンは舌打ちした。
「……買い被りすぎだ」
「そうかな」
「俺はただ、生き残りたいだけだ」
「それでもだよ」
アスカは少し離れた場所で、その会話を聞いていた。
ジャンは確かに弱い。
恐怖を知っている。
だからこそ、他人の恐怖も理解出来る。
アスカには無い感覚だった。
地下街では、立ち止まった奴から死んでいく。
弱さを理解したところで、腹は膨れない。
だが。
今のジャンには、人を動かす何かがあった。
補給所内部での指示もそうだ。
声を張り上げ、恐怖で止まりかけた仲間を前へ押し出していた。
――指揮官、か。
似合わないな、とアスカは少しだけ思った。
その時。
「……静かじゃねぇか?」
ジャンがふと顔を上げる。
全員の動きが止まった。
確かに。
さっきまで響いていた咆哮が聞こえない。
補給所内へ、不気味な静寂が落ちる。
「屋上、出るぞ」
ライナーが低く言う。
104期達はゆっくり階段を上がった。
屋上へ続く扉を開く。
風。
熱気。
蒸気。
トロスト区の景色が広がる。
そして。
「……ッ」
誰かが息を呑んだ。
街路には、巨人の死骸が大量に転がっていた。
引き裂かれた肉。
潰れた頭部。
立ち昇る蒸気。
その中心。
一体の異形が、うつ伏せに倒れている。
動かない。
蒸気だけが、その巨大な肉体から絶え間なく吹き出していた。
「アイツ……」
コニーが呟く。
異形の巨人。
他の巨人を殺して回っていた存在。
そのうなじが、不自然に脈打った。
「……?」
アスカが目を細める。
肉が動いている。
いや。
裂けていた。
赤黒い筋肉が、ゆっくり左右へ開いていく。
蒸気。
骨。
肉。
まるで。
中に何かを抱えているみたいに。
「なんだ……?」
ジャンの声が掠れる。
裂けたうなじの内部。
そこには、人影があった。
埋まっている。
いや。
繋がっていた。
神経のような赤黒い筋が、その身体へ絡みついている。
蒸気が吹き上がる。
まず見えたのは頭だった。
黒髪。
俯いた顔。
次第に巨人の肉が剥がれ落ち、肩が露出する。
上半身。
腕。
その顔を視認した瞬間。
「エレン!!」
ミカサが飛び出した。
ガスが爆ぜる。
屋上を蹴り砕く勢いで空中へ飛翔する。
「エレン!!」
アルミンも続いた。
二人だけが迷わない。
残された104期達は動けなかった。
理解が追いつかない。
死んだはずだった。
喰われたはずだった。
なのに。
何故。
何故そこから出てくる。
アスカは目を細める。
地下街でも。
地上でも。
今まで生きてきた全ての中で。
ここまで理解不能な存在を見るのは初めてだった。
「……なんだ、それ」