地下に眠るダイヤモンド   作:ニャンニャンコポン

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命の重み

 

 

 腹の底を揺らすような咆哮が、補給本部全体を震わせた。

 

 壁が軋む。

 

 窓硝子が細かく震え、天井から砂埃が落ちた。

 

「ヒッ……」

 

 短い悲鳴。

 

 反射的に漏れたような、怯え切った声だった。

 

 ジャンがゆっくり視線を向ける。

 

 部屋の隅。

 

 積み上げられた木箱の陰に、数人の訓練兵達が固まっていた。

 

 顔面は蒼白。

 

 銃を抱えたまま震えている者。

 

 膝を抱えて俯いている者。

 

 涙を流している者までいた。

 

 誰も立とうとしない。

 

 その光景を見た瞬間、ジャンの顔から感情が抜け落ちた。

 

「……お前ら」

 

 低い声。

 

 怒鳴っていない。

 

 だからこそ怖かった。

 

「何してる」

 

 返事は無い。

 

 あるのは震える呼吸音だけ。

 

 ジャンの奥歯が軋む。

 

「お前らが補給止めたせいで、外で何人死んだと思ってんだ……」

 

 一人の訓練兵が肩を震わせる。

 

「無理だったんだ……」

 

 掠れた声。

 

「先輩達が喰われて……次は俺達だって……」

 

「だから閉じこもったのか?」

 

 静かな声。

 

 アスカだった。

 

 壁へ寄り掛かっていた身体を起こし、補給班を見る。

 

 怒鳴らない。

 

 だが、その目には妙な圧があった。

 

「……ここで震えてれば助かると思ったのか」

 

「ッ……」

 

「外にはまだ仲間がいた」

 

 淡々とした言葉が刺さる。

 

「お前らが補給を止めた時点で、そいつらは機動力を失う。立体機動が使えなくなった兵士がどうなるかなんて、考えなくても分かるだろ」

 

 返す言葉は無い。

 

 ジャンは舌打ちした。

 

「……クソ」

 

 怒鳴り散らしたい。

 

 殴り飛ばしたい。

 

 だが出来ない。

 

 目の前の連中の顔を見れば分かる。

 

 もう壊れかけている。

 

 ほんの少し状況が違えば、自分達だってこうなっていたかもしれない。

 

 その事実を、ジャン自身が理解してしまっていた。

 

 その時だった。

 

 外から轟音が響く。

 

 ドゴォッ!!と、何か巨大なモノが建物へ叩き付けられたような音。

 

 床が揺れる。

 

 訓練兵達が小さく悲鳴を漏らした。

 

「……チッ、ここ危ねぇな」

 

 ライナーが窓を見る。

 

 外の巨人に見つかれば終わりだ。

 

「奥へ移動するぞ」

 

 誰も反対しない。

 

 104期達は補給班を連れ、窓から離れるように廊下へ移動し始めた。

 

 その途中。

 

 アスカは何となく窓の外へ目を向ける。

 

 そして。

 

「……なんだ、アレ」

 

 誰かが呟いた。

 

 建物の隙間。

 

 異形の巨人が、別の巨人の顔面を殴り潰していた。

 

 肉が裂ける。

 

 歯が飛ぶ。

 

 普通の巨人には無い動きだった。

 

 感情的ですらある。

 

「ッ……」

 

 コニーが息を呑む。

 

「あ、アイツだ……!」

 

 異形の巨人が咆哮を上げる。

 

 耳を劈くような雄叫び。

 

 その声は、他の巨人とは違って聞こえた。

 

 まるで。

 

 怒っているみたいだった。

 

 異形の巨人が四メートル級の頭を掴み、そのまま石畳へ叩き付ける。

 

 轟音。

 

 肉が潰れる。

 

 蒸気。

 

「……なんなんだよ、アイツ」

 

 ジャンの声が掠れる。

 

 ライナーが僅かに目を細めた。

 

「コニー」

 

「あ?」

 

「お前、あの巨人についてどこまで知ってる?」

 

 コニーは眉をひそめる。

 

「は? 知らねぇよ。ミカサとアルミンと一緒に見ただけだ」

 

「そうか……」

 

 ライナーは短く息を吐く。

 

 その横で、ベルトルトもどこか落ち着かない様子で窓の外を見ていた。

 

 アニだけは何も言わない。

 

 ただ、異形の巨人を観察するように目を細めている。

 

「つーか、そんなの今どうでもいいだろ!」

 

 コニーが苛立ったように言う。

 

「俺ら今にもガス切れで死にそうなんだぞ!」

 

 その言葉で、全員が現実へ引き戻される。

 

「行くぞ!!」

 

 ジャンの声で、104期達は再び奥へ向かった。

 

 外の轟音を背後に聞きながら。

 

「お、おい……!」

 

 その時だった。

 

 訓練兵の一人が、壁際へ駆け寄る。

 

 崩れた木箱。

 

 その隙間から金属が見えていた。

 

「銃があるぞ!!」

 

 全員の動きが止まる。

 

「……散弾銃?」

 

 ジャンが眉をひそめる。

 

「憲兵団の備品だ。補給本部に置いてあったやつだと思う」

 

 アスカがしゃがみ込み、銃を拾い上げる。

 

 重い。

 

 巨人を殺すには火力不足。

 

 だが。

 

「……目くらましには使えるか」

 

「目くらまし……?」

 

 アルミンが反応する。

 

 その時。

 

「リフトもまだ動くぞ!!」

 

 奥から別の訓練兵が叫ぶ。

 

「補給室前の昇降機、生きてる!」

 

 アルミンの思考が止まる。

 

 銃。

 

 リフト。

 

 補給室。

 

 そして。

 

「……補給室の巨人、何体いる?」

 

 補給班の一人が顔を上げた。

 

「八体だ」

 

 空気が張り詰める。

 

「全部三〜四メートル級。補給室を占拠してる」

 

 八体。

 

 狭い室内。

 

 ガス残量は少ない。

 

 正面突破は自殺行為。

 

 アルミンの脳内で、情報が繋がり始める。

 

 銃。

 

 リフト。

 

 天井。

 

 巨人。

 

 八体。

 

「……あ」

 

 小さく漏れた声。

 

 ミカサが視線を向ける。

 

「アルミン?」

 

 アルミンはゆっくり顔を上げる。

 

 喉が乾く。

 

 怖い。

 

 だが。

 

 これしかない。

 

「……もしかしたら」

 

 拳を握る。

 

「補給室を奪還できるかもしれない」

 

 誰もすぐには口を開かなかった。

 

 補給室。

 

 そこへ辿り着けなければ、全員が死ぬ。

 

 だが、八体。

 

 三〜四メートル級とはいえ、閉所で相手取るには十分過ぎる脅威だった。

 

 立体機動は空を飛ぶための装備だ。

 

 狭い室内では、ワイヤーを引っ掛ける場所も、軌道を逃がす空間も限られる。

 

 一度速度を殺せば終わる。

 

 巨人との距離が近すぎる。

 

 反応を間違えれば、その瞬間に喰われる。

 

「……どうやる」

 

 ジャンが低く問う。

 

 アルミンはすぐには答えない。

 

 視線だけが、散弾銃と、奥にある昇降機を行き来していた。

 

 考えている。

 

 必死に。

 

 頭の中で、何度も。

 

 失敗の形を。

 

 死ぬ瞬間を。

 

 それでも、生き残る可能性を。

 

「補給室の構造は?」

 

「中央が吹き抜けになってる」

 

 補給班の訓練兵が答える。

 

「天井は高い。梁もある」

 

「巨人は?」

 

「下層をうろついてる……。たまに天井見上げて暴れてる奴もいるけど」

 

 アルミンは小さく頷く。

 

 そして。

 

「……いける」

 

 そう呟いた。

 

 その声には、自分へ言い聞かせるような響きがあった。

 

「まず、リフトを使って囮役を中央へ降ろす」

 

「囮?」

 

 コニーが顔をしかめる。

 

「巨人を一箇所へ集めるためだよ。全部の注意を下へ向けさせる」

 

 アルミンは散弾銃へ視線を向ける。

 

「その瞬間、散弾銃を撃つ」

 

「は?」

 

「巨人の目を潰すんだ」

 

 全員の視線がアルミンへ集まる。

 

「三〜四メートル級なら、人間に反応する距離も近い。視界を奪えれば、一瞬だけ動きが止まる」

 

「その一瞬で殺すってこと?」

 

 アニが壁へ寄り掛かったまま言う。

 

 アルミンは頷いた。

 

「機動班を八人選ぶ。天井の梁へ待機して、発砲と同時に降下。一人一体、同時にうなじを削ぐ」

 

 沈黙。

 

 重い沈黙だった。

 

 つまり。

 

 失敗は許されない。

 

 一人でも仕留め損なえば、その場で誰かが死ぬ。

 

 閉所での乱戦になる。

 

 ガス残量では立て直せない。

 

「……一撃で、全部か」

 

 ジャンが呟く。

 

 アルミンは答えない。

 

 答えられない。

 

 そんな事、自分が一番分かっていた。

 

 成功率なんて高くない。

 

 むしろ低い。

 

 だが。

 

 他に方法が無い。

 

「機動班は、運動能力の高い八人で固める」

 

 アルミンはゆっくり顔を上げた。

 

 ミカサ。

 

 アスカ。

 

 アニ。

 

 ライナー。

 

 ベルトルト。

 

 コニー。

 

 サシャ。

 

 そしてジャン。

 

 視線が、一人ずつを通り過ぎる。

 

 この八人なら出来る。

 

 いや。

 

 出来てもらわなければ困る。

 

 失敗すれば全員死ぬ。

 

 ここにいる訓練兵達の命を、自分は今、この八人へ預けようとしている。

 

 胃が軋む。

 

 吐き気がした。

 

「……僕は」

 

 アルミンの喉が震える。

 

「君達なら出来ると思う」

 

 静かな声だった。

 

 だが。

 

 その言葉に含まれた重さは、全員が理解していた。

 

 沈黙。

 

 最初に動いたのは、アスカだった。

 

 壁から背を離す。

 

 ガスボンベを軽く叩く。

 

 残量は少ない。

 

 だが、足りなくはない。

 

「まぁ、やるしかねぇだろ」

 

 軽い口調。

 

 なのに、不思議と空気が少しだけ緩む。

 

「失敗したら死ぬ。成功しても死ぬかもしれねぇ。なら、生き残る可能性がある方選ぶだけだ」

 

「簡単に言ってくれるぜ……」

 

 ジャンが顔をしかめる。

 

「実際簡単だろ」

 

「どこがだよ」

 

「考えすぎると動けなくなる」

 

 アスカは短く息を吐いた。

 

「巨人に喰われる時は、一瞬だ」

 

 その言葉に。

 

 誰も反論出来なかった。

 

 それを、ここにいる全員が知っている。

 

 ミカサが静かに刃を抜く。

 

「私はやる」

 

 迷いの無い声。

 

 アニは小さく肩を竦めた。

 

「まぁ、他に手も無いしね」

 

「俺もやる」

 

 ライナーが言う。

 

 ベルトルトも頷いた。

 

 コニーはまだ少し顔を青くしていたが、それでも無理やり笑う。

 

「へへ……。八体全部ぶっ殺しゃいいんだろ」

 

「簡単に言いますねぇ……」

 

 サシャの声は引き攣っていた。

 

 だが、逃げる気は無い。

 

 ジャンは深く息を吐く。

 

 そして。

 

「……分かったよ」

 

 刃を抜いた。

 

「やってやる」

 

 アルミンは拳を握る。

 

 怖い。

 

 怖くてたまらない。

 

 もし誰か死んだら。

 

 その責任は。

 

 だが。

 

 今ここで、自分が止まれば。

 

 全員死ぬ。

 

「準備しよう」

 

 アルミンの声で、全員が動き出した。

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 補給本部の奥。

 

 薄暗い通路を、104期達は足音を殺しながら進んでいた。

 

 湿った空気。

 

 血臭。

 

 遠くから響いてくる巨人の唸り声。

 

 補給所へ近づくにつれ、その音は徐々に鮮明になっていく。

 

 誰も大きな声を出さない。

 

 出せない。

 

 ガス残量は少ない。

 

 刃も消耗している。

 

 そして何より。

 

 これから行う作戦は、一撃で全てを決めなければならない。

 

 失敗した瞬間、死ぬ。

 

 単純で、最悪な話だった。

 

 先頭を進むアルミンが、時折後ろを振り返る。

 

 機動班の八人。

 

 ミカサ。

 

 アスカ。

 

 ライナー。

 

 アニ。

 

 ベルトルト。

 

 コニー。

 

 サシャ。

 

 ジャン。

 

 誰も文句は言わなかった。

 

 だが、緊張していない訳がない。

 

 特にコニーとサシャは、表情が硬い。

 

 それでも足は止めない。

 

「……なぁ」

 

 沈黙に耐えきれなくなったように、コニーが口を開く。

 

「けどよ、立体機動装置も無しで巨人を仕留め切れるか?」

 

 補給所内部は狭い。

 

 高速機動など出来ない。

 

 だから今回の討伐は、普段の立体機動戦とは違う。

 

 ほぼ至近距離での斬撃になる。

 

 ライナーが前を向いたまま答える。

 

「いけるさ。相手は三〜四メートル級だ。的になる急所は狙いやすい」

 

「ああ」

 

 ジャンが続ける。

 

「大きさに関わらず、頭から下うなじにかけての――」

 

「縦一メートル!横十センチ!」

 

 サシャが即答する。

 

 反射みたいだった。

 

 教官に何度も叩き込まれた知識。

 

 ライナーが右手の刃を軽く持ち上げる。

 

「もしくは、こいつを奴らのケツにぶち込む。弱点はこの二つのみ」

 

「知らなかった!そんな手があったのか!?」

 

 コニーが本気で驚く。

 

 サシャも目を丸くした。

 

「私も今、初めて知りました」

 

 空気が一瞬だけ緩む。

 

 アスカが小さく鼻で笑った。

 

「辞世の句がそれなら、悔いはねぇわな」

 

「言えてる」

 

 アニまで小さく口元を緩める。

 

「……お前ら、緊張感ってもんがねぇのか」

 

 ジャンが呆れたように言う。

 

 だが、その声も少しだけ柔らかかった。

 

 恐怖を紛らわせているのは、自分も同じだったからだ。

 

「静かに」

 

 ミカサが前を見たまま言う。

 

「もうすぐ補給所」

 

 空気が一気に引き締まる。

 

 全員の表情から笑みが消えた。

 

 補給所前の通路。

 

 その先から、低い唸り声が聞こえる。

 

 巨人。

 

 八体。

 

 壁越しでも分かる。

 

 近い。

 

 アルミンの喉が鳴る。

 

 怖い。

 

 心臓がうるさい。

 

 だが。

 

 今ここで止まる訳にはいかなかった。

 

「……配置につこう」

 

 小さな声。

 

 それだけで、全員が動き始めた。

 

 機動班はワイヤーを使い、補給所上部の梁へ移動する。

 

 ギシ、と古い木材が軋む。

 

 下を見れば、補給所内部。

 

 薄暗い空間を、巨人達が徘徊していた。

 

 三メートル級。

 

 四メートル級。

 

 肉の擦れる音。

 

 生臭い吐息。

 

 近い。

 

 近すぎる。

 

 アスカは梁へしゃがみ込み、静かに呼吸を整える。

 

 下にいる巨人の頭頂部が見えた。

 

 ここから飛び込む。

 

 一撃。

 

 それで終わらせる。

 

 終わらなければ、自分が死ぬ。

 

 単純だった。

 

 だからこそ、余計な思考は切り捨てられる。

 

 隣ではミカサが無言で刃を構えている。

 

 呼吸一つ乱れていない。

 

 対照的に、コニーは少し顔が青かった。

 

 サシャも唇を引き結んでいる。

 

 だが。

 

 誰も逃げない。

 

 下層。

 

 リフト前では、囮役の訓練兵達が散弾銃を握っていた。

 

 指が震えている。

 

 当然だ。

 

 自分達の役目は、巨人を引き寄せる事。

 

 つまり。

 

 最も近くで、巨人の視線を受ける事になる。

 

 アルミンはその光景を見て、拳を握る。

 

 ここにいる全員の命を。

 

 自分は今、この作戦に乗せてしまった。

 

 もし失敗すれば。

 

 誰かが死ぬ。

 

 いや。

 

 全員死ぬかもしれない。

 

 喉が張り付く。

 

 それでも。

 

「……始める」

 

 アルミンはそう言った。

 

 

 

 リフトが軋む。

 

 ギギギ、と耳障りな金属音を響かせながら、囮役の訓練兵達がゆっくり補給所中央へ降下していく。

 

 補給所内部。

 

 薄暗い空間を徘徊していた巨人達が、一斉に反応した。

 

 顔が上がる。

 

 濁った眼球。

 

 涎。

 

 肉の擦れる音。

 

「ッ……」

 

 囮役の一人が喉を鳴らす。

 

 近い。

 

 近すぎる。

 

 三〜四メートル級とはいえ、実際に目前まで迫られれば十分過ぎるほど巨大だった。

 

 巨人達が口を開く。

 

 歯。

 

 舌。

 

 生暖かい吐息。

 

 人間を見つけた瞬間の、あの醜悪な笑み。

 

 胃が捻れる。

 

 逃げ出したくなる。

 

 だが。

 

 ここで動けば終わる。

 

 梁の上。

 

 アスカは静かに呼吸を止めた。

 

 視線は一体の巨人へ固定。

 

 距離。

 

 角度。

 

 うなじ。

 

 全部見る。

 

 外せば死ぬ。

 

 だから外さない。

 

 ミカサも既に姿勢を落としていた。

 

 今にも飛び出せる。

 

 アニは無表情。

 

 ライナーは刃を強く握り込み、ベルトルトは小さく息を吐く。

 

 コニーとサシャの額には汗が滲んでいた。

 

 ジャンは唇を噛む。

 

 アルミンの喉が震える。

 

 怖い。

 

 だが。

 

 今しかない。

 

「……今だ!!」

 

 マルコの叫び。

 

 同時。

 

 轟音が補給所内部へ炸裂した。

 

 パンッ!!パンッ!!パンッ!!

 

 散弾銃。

 

 至近距離で放たれた鉛玉が、巨人達の顔面へ叩き込まれる。

 

 肉が裂ける。

 

 眼球が潰れる。

 

 蒸気。

 

 巨人達が一斉に悲鳴を上げた。

 

 その瞬間。

 

「行くぞッ!!」

 

 ジャンの声。

 

 八つの影が、梁から同時に飛び降りた。

 

 ガス噴射。

 

 爆発的な加速。

 

 空気が裂ける。

 

 アスカは壁を蹴った。

 

 狭い。

 

 だからこそ直線軌道は使わない。

 

 強引に角度を変える。

 

 眼前。

 

 三メートル級のうなじ。

 

 近い。

 

 刃を振り抜く。

 

 ザシュッ!!

 

 肉が裂けた。

 

 手応え。

 

 そのまま勢いで床を蹴る。

 

 振り返る暇は無い。

 

 次を確認する。

 

 隣ではミカサが、四メートル級のうなじを一閃していた。

 

 無駄が無い。

 

 最短。

 

 綺麗過ぎる軌道だった。

 

 一方。

 

「うおおおおッ!!」

 

 コニーが斬り掛かる。

 

 だが。

 

 浅い。

 

 恐怖で踏み込みが僅かに甘かった。

 

 うなじを削ぎ切れない。

 

 巨人の首筋から蒸気が吹き出す。

 

「ッ!?」

 

 コニーの顔が青ざめる。

 

 巨人が振り返った。

 

 口が開く。

 

 近い。

 

 喰われる。

 

 その瞬間。

 

 黒い影が横から割り込んだ。

 

 アスカだった。

 

 壁を蹴る。

 

 無理矢理身体を捻り込み、そのまま巨人の首へ刃を叩き込む。

 

 ズバァッ!!

 

 肉が飛ぶ。

 

 巨人の頭が不自然に揺れ、そのまま崩れ落ちた。

 

「ボサッとしてんな!!」

 

 怒鳴る。

 

 だが、既に次へ動いていた。

 

 別方向。

 

「きゃあッ!?」

 

 サシャの悲鳴。

 

 そちらを見る。

 

 サシャも仕留め切れていない。

 

 四メートル級が腕を振り上げていた。

 

 速い。

 

 室内だからこそ距離が近い。

 

 避けきれない。

 

 銀色の軌道が走る。

 

 ミカサだった。

 

 一瞬。

 

 本当に一瞬で巨人の背後へ回り込む。

 

 そして。

 

 一閃。

 

 巨人のうなじが綺麗に削ぎ落とされた。

 

 蒸気が噴き出す。

 

 サシャがへたり込みそうになる。

 

「立って」

 

 ミカサは振り返らない。

 

「まだ終わってない」

 

 残る巨人達も、次々と倒れていく。

 

 ライナー。

 

 アニ。

 

 ベルトルト。

 

 ジャン。

 

 それぞれが、一撃で仕留めていく。

 

 補給所内部へ蒸気が充満した。

 

 熱い。

 

 視界が白い。

 

 耳鳴り。

 

 肉の焼ける臭い。

 

 そして。

 

 最後の巨人が崩れ落ちた瞬間。

 

 補給所に、静寂が訪れた。

 

 誰もすぐには動かなかった。

 

 呼吸だけが響く。

 

「……生きてる」

 

 コニーが呆然と呟く。

 

 アスカは刃に付いた肉片を振り払い、短く息を吐いた。

 

 心臓がうるさい。

 

 全身が熱い。

 

 だが。

 

 まだ動ける。

 

 身体が軽かった。

 

 戦闘の最中ほど、頭が冴えていく感覚。

 

 死地へ踏み込む度に、自分の感覚が研ぎ澄まされていく。

 

 ――なんだよ、それ。

 

 自嘲気味に笑う。

 

 そんな事を考えていると。

 

「ガスだ!!急げ!!」

 

 ジャンの叫びで、全員が我に返った。

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 補給所内部には、まだ蒸気の熱が残っていた。

 

 巨人の死骸から立ち昇る白煙が視界を薄く濁らせ、焼けた肉の臭いが鼻に張り付いて離れない。

 

 それでも。

 

 誰も止まらなかった。

 

「補給急げ!!」

 

 ジャンの声で、訓練兵達が一斉に動き出す。

 

 ガスボンベ。

 

 替え刃。

 

 立体機動装置の点検。

 

 ここまで辿り着いて、補給が出来なければ意味がない。

 

 空を飛べなくなった兵士から死ぬ。

 

 それを、全員が嫌というほど理解していた。

 

 アスカはガスボンベを交換しながら、小さく息を吐く。

 

 身体が熱い。

 

 心臓がうるさい。

 

 だが、不思議と身体は軽かった。

 

 死地へ飛び込む度に、自分の感覚が研ぎ澄まされていく。

 

 地下街の喧嘩とは違う。

 

 もっと純粋な殺し合い。

 

 その中で、自分の身体が戦い方を覚えていく感覚があった。

 

「おいアスカ!」

 

 コニーが駆け寄ってくる。

 

「さっきマジで助かった!死ぬかと思った!」

 

「次は自分で仕留めろ」

 

「分かってるって!」

 

 コニーは笑っていた。

 

 さっきまで青ざめていた顔に、少しだけ生気が戻っている。

 

 生き残った。

 

 それだけで、人間は笑える。

 

「……ジャン」

 

 マルコが声を掛けた。

 

 ジャンは替え刃を装着しながら顔を上げる。

 

「なんだよ」

 

「怒らないで聞いて欲しいんだけど」

 

「前置きが腹立つな」

 

 マルコは苦笑した。

 

 その笑顔は、こんな地獄の中でも不思議と変わらない。

 

「ジャンは、指揮官に向いてると思う」

 

「……は?」

 

 ジャンが眉をひそめる。

 

 マルコは続けた。

 

「ジャンは強い人ではないから」

 

「おい」

 

「でも、だからこそ弱い人の気持ちが分かる」

 

 静かな声だった。

 

 だが、その言葉には妙な説得力があった。

 

「それでいて、現状を正しく認識することに長けているから」

 

 ジャンは何も言わない。

 

 マルコは小さく笑った。

 

「だから、今何をすべきか明確に分かるだろ?」

 

 沈黙。

 

 ジャンは舌打ちした。

 

「……買い被りすぎだ」

 

「そうかな」

 

「俺はただ、生き残りたいだけだ」

 

「それでもだよ」

 

 アスカは少し離れた場所で、その会話を聞いていた。

 

 ジャンは確かに弱い。

 

 恐怖を知っている。

 

 だからこそ、他人の恐怖も理解出来る。

 

 アスカには無い感覚だった。

 

 地下街では、立ち止まった奴から死んでいく。

 

 弱さを理解したところで、腹は膨れない。

 

 だが。

 

 今のジャンには、人を動かす何かがあった。

 

 補給所内部での指示もそうだ。

 

 声を張り上げ、恐怖で止まりかけた仲間を前へ押し出していた。

 

 ――指揮官、か。

 

 似合わないな、とアスカは少しだけ思った。

 

 その時。

 

「……静かじゃねぇか?」

 

 ジャンがふと顔を上げる。

 

 全員の動きが止まった。

 

 確かに。

 

 さっきまで響いていた咆哮が聞こえない。

 

 補給所内へ、不気味な静寂が落ちる。

 

「屋上、出るぞ」

 

 ライナーが低く言う。

 

 104期達はゆっくり階段を上がった。

 

 屋上へ続く扉を開く。

 

 風。

 

 熱気。

 

 蒸気。

 

 トロスト区の景色が広がる。

 

 そして。

 

「……ッ」

 

 誰かが息を呑んだ。

 

 街路には、巨人の死骸が大量に転がっていた。

 

 引き裂かれた肉。

 

 潰れた頭部。

 

 立ち昇る蒸気。

 

 その中心。

 

 一体の異形が、うつ伏せに倒れている。

 

 動かない。

 

 蒸気だけが、その巨大な肉体から絶え間なく吹き出していた。

 

「アイツ……」

 

 コニーが呟く。

 

 異形の巨人。

 

 他の巨人を殺して回っていた存在。

 

 そのうなじが、不自然に脈打った。

 

「……?」

 

 アスカが目を細める。

 

 肉が動いている。

 

 いや。

 

 裂けていた。

 

 赤黒い筋肉が、ゆっくり左右へ開いていく。

 

 蒸気。

 

 骨。

 

 肉。

 

 まるで。

 

 中に何かを抱えているみたいに。

 

「なんだ……?」

 

 ジャンの声が掠れる。

 

 裂けたうなじの内部。

 

 そこには、人影があった。

 

 埋まっている。

 

 いや。

 

 繋がっていた。

 

 神経のような赤黒い筋が、その身体へ絡みついている。

 

 蒸気が吹き上がる。

 

 まず見えたのは頭だった。

 

 黒髪。

 

 俯いた顔。

 

 次第に巨人の肉が剥がれ落ち、肩が露出する。

 

 上半身。

 

 腕。

 

 その顔を視認した瞬間。

 

「エレン!!」

 

 ミカサが飛び出した。

 

 ガスが爆ぜる。

 

 屋上を蹴り砕く勢いで空中へ飛翔する。

 

「エレン!!」

 

 アルミンも続いた。

 

 二人だけが迷わない。

 

 残された104期達は動けなかった。

 

 理解が追いつかない。

 

 死んだはずだった。

 

 喰われたはずだった。

 

 なのに。

 

 何故。

 

 何故そこから出てくる。

 

 アスカは目を細める。

 

 地下街でも。

 

 地上でも。

 

 今まで生きてきた全ての中で。

 

 ここまで理解不能な存在を見るのは初めてだった。

 

「……なんだ、それ」

 

 

 





アスカ・ラングレーのイメージ画像です。
生成AIに作ってもらいました
https://imgur.com/a/x7Dtys3
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