視界が、暗い。
視界だけでなく、あらゆる感覚が失われていくのを感じる。
今、かろうじて感じられるのは、右手のぬくもり。
この暖かさは……きっとあの人のものだろう。
私も人のことを言えたものじゃないが、カサついた、シワシワの手の感触。
でもそれは、長年家族を支えるために働いてきた男の手でもあった。
それに、何人かの嗚咽もまだ耳に入ってきている。
ひときわ高い声で泣いているのは、この前5歳を迎えたばかりの孫娘だろうか。
ごめんね。
あなたのデビュー戦を見に行くという約束は、守れそうにないわ。
聴覚は人間が死ぬ間際まで残る五感らしいが……その声も、徐々に遠くなりつつある。
きっともうすぐ、私は逝くのだろう。
でも不思議と、恐怖は湧いてこない。
もう脳が怖いと感じるだけの体力がないのかもしれないし、人間というのはそういう風にできているのかもしれない。
なにかに恐怖を感じるのは、それが自分の生命を脅かすからだ。
その恐怖を与えてくる対象を回避すれば、生き延びる可能性が上がるからだ。
本当に死ぬのであれば、死に対する恐怖は必要ないのだろう。
先ほどから、過去の出来事がまるで上映中の映画のように、脳内を駆け巡っている。
これが走マ灯というものだろうか。
走マ灯は一瞬のうちに自分の人生を振り返ってくれるものと聞いていたが、個人差があるのか私のそれはもう少し速度が緩やかだった。
孫の5歳の誕生日。
今年からウマ娘チビッ娘レースクラブに通って、将来はおばあちゃんみたいにダービーウマ娘になるんだ!と張り切っている。
そのレーシングクラブの指導員を務めている母親(私の娘だ)を差し置いて、孫娘は私に『おばあちゃん、走り方を教えて』と無邪気に言ってくれた。
娘は苦笑するばかりだったが、私はそんな孫娘が可愛くて、通い始めたらいつでも来なさい、なんて言いながら、その小さな頭をなでであげた。
私の病気が発覚して、あの人は涙を流していた。
余命は、短かったらあと1年。
もう十分に生きたから、という私に、あの人は俺より先に逝ってくれるなと泣いている。
娘も、私の胸にすがりつきお母さん、お願いだから死なないでと何度も言って泣いてくれていた。
自分のために、涙を流してくれる人がいる。
これだけで、私は今まで生きながらえてきた価値があったのではないだろうか。
私の走マ灯は、どうやら現在から過去へ遡るタイプのもののようだ。
スクリーンに映るシーンは、まるで私の古い記憶を掘り起こすかのように流れてゆく。
娘が、初孫を連れて家に来てくれた日。
孫娘を抱いた時、不意に産まれたばかりの娘を抱いた昔の記憶が蘇ってきて、思わず泣きそうになってしまった。
若い時はクールビューティー、なんて言われたものだったけど。
まったく、歳を取ると涙もろくなっていけない。
娘が初めて結婚相手の男性を連れてきた時、あの人はなんとも言えない複雑な表情を浮かべていた。
そういえば私のお父さんも、初めてあの人を家につれて帰った時は、難しい顔をしてあんまり話さなかったのを覚えている。
娘のパートナーに対してあまり良い感情を抱かない、というのはどの世代のお父さんも共通する現象らしかった。
娘の結婚式は、本当に素晴らしかった。
私の元を巣立っていくんだという寂しさはもちろんあったが、それ以上に娘が自分の選んだ愛する人と結ばれ、家族を持つのだという喜びのほうが大きかった。
……母親らしいことを少し言わせてもらえるなら、お相手の男性が手堅い職業の人で良かったと思う。
うちの人は職業柄、どうしても安定した収入というわけにはいかなかったから。
私はできるだけ、娘の人生に口出ししない母親であろうとしたつもりだったが……しかしお金のことだけはきちっとしておきなさい、そしてお金に関する隠し事だけは絶対に夫婦で持っていはいけない、と結婚前に口がすっぱくなるほど言って聞かせた。
私たち夫婦もいろんなケンカをしたが、お金のことはお互いに風通しを良くしておいたので、それが原因になって言い合いになった、ということはほとんどなかった(さすがにゼロではなかったけど)。
夫婦で家庭のお金の流れを共有しておく。
これが結婚生活を長く続けるコツである。
男の浮気に関してはまぁ……ウマ娘の奥さんがいて浮気するぐらい【勇気】ある男だったら、もちろん色々と覚悟の上だろうから、特に何も話すようなことはなかった。
うちの人も、私の知る限りでは一度もしていないはずだ。
娘とあの人とは、三人で何回も家族旅行に出かけた。
色んな所へ行ったけど、そこは必ず美しい夜空が見られるところだった。
俺も行きたい場所だったから、とあの人は言う。
わたしも行きたい場所だった、と娘は言う。
あの人は相変わらず気を使うのが下手だし、誰に似たのか、娘も気遣いが苦手なタイプの女の子に育ってしまった。
二人が行こう、と言ってくれた場所に、一番行きたかったのはきっと私だった。
結局人生で一番付き合いが長くなってしまったあの人とは、本当にいろんなことがあった。
楽しいこと、嬉しいこともたくさん分かち合ってきたが、当然、夫婦間での諍いもあった。
脱いだ靴下を洗濯かごに入れてくれない、といった小さいことから、仕事ばかりで休日のときも担当のトレーニングメニューを部屋に閉じこもって1日中考えている、私も働いているのに子育てはほとんど私に丸投げ、そのくせ稼ぎは人並み(以下の時期もあった)、もう離婚してやろうか、と思ったようなことまで。
でも、結局別れることができなかった。
この歳になっても、どうして離婚しなかったのかはわからない。
まぁ、案外夫婦ってのはどこもそんなものなのかもしれない。
娘の就職が決まった時は、嬉しかったと言うよりホッとしたことを覚えている。
子どもを経済的に自立させる、というのは親に課せられた最低限にして最大の義務だと、私は思って子育てしてきた。
彼女が選んだ仕事は、ウマ娘チビッ娘レースクラブの指導員だった。
子供の時から頼れるお姉さんのポジションにいた娘だったから、それはきっと天職だったのだろう。
私は娘の進路については一切口を出さなかったが、レース関連の仕事を選んでくれたことについては、密かに嬉しく思っている。
その娘がケガでトゥインクルシリーズから心ならずも身を引かなくていけないとわかった時は、親子三人で泣いたものだ。
『お前のケガは全部、俺のせいだ。本当に、すまない』
そういってあの人は何度も自分が担当した娘に頭を下げていた。
そういう所は、私を担当していたときから何も変わっていなかった。
娘のメイクデビュー。
自分のデビュー戦の時はほとんど緊張なんてしなかったのに、パドックでファンに挨拶している娘を見ていると、心配で心配で、心臓が早鐘のように波打った。
転倒してケガなんてしないだろうか。
最後まで走り切れるのだろうか。
無事に、私のところにまた帰ってきてくれるのだろうか。
今思えば本当にバカバカしく思えるような話だけど、その時は本気でそう心配していた。
勝ち負けのことなんて、一切頭に浮かんでこなかった。
とにかく無事に、メイクデビューを走りきってほしい。
娘のデビュー戦を前にして思ったことは、本当にそれだけだったのだ。
……私のお母さんも、こんな気持ちで私のデビュー戦を見守っていてくれたのだろうか。
娘がトレセン学園を受験したい、と言い出した時は複雑な気持ちにさせられた。
レースはとても厳しい世界だから、できれば普通の女の子として学校生活を送ってほしい、というのが親としての私の嘘偽りのない心境だったのだ。
ウマ娘だからといって必ずレースの道に進まなくていけない、ということはないのだから。
それでも、私はあえて反対しなかった。
あなたのしたいようにしなさい。
私はその進路を応援するわ。
そういう私に娘は嬉しそうに頷き、そしてトレセン学園の受験に向けて頑張りだした。
自分の娘を軽んじていたわけではないが、才能的に正直、トレセン学園に合格することは厳しいだろうな、と思っていた。
もし合格したとしても、デビューして一つ勝てばいいほうだろう、とも。
ウマ娘のプロであるトレーナーのあの人も、まさか娘本人に言う訳もないが、私と同じように思っていたようだ。
でも娘は必死に努力して、トレセン学園にみごと合格してみせた。
親とはなんとも勝手なもので、厳しい世界だから飛び込むのは止めておいてほしい、才能がないからきっと合格できないだろうと思っていても、いざ自分と同じ道を子どもも歩んでくれるとなったら、やっぱり嬉しいものだ。
それはあの人も同様で、自分が娘を担当すると決まった時に『学園とレース場にいる時は、決して父娘と思うな』なんて厳しいことを言いながらも、夫婦二人で晩酌している時に娘のトレーニングの様子を楽しそうに話していたのを思い出す。
……あと、自分で娘を担当すると言い出したのは、どうやら【悪い虫】が娘に近づくのを避けたかった、という一面もあったようだ。
あの娘もきっと、あなたにだけはそれを言われたくなかったでしょうね。
娘は大きなレースを勝つことはできなかったけど、娘は常に自分の限界を追い求め、レースを戦った。
通算成績は、18戦2勝。
トレセン学園に合格するのも難しい、と思っていた私の娘は、努力で自分の壁を乗り越えて、オープンにまで上り詰めた。
私の娘は確かに、大レースに勝利してレース史に名前を残すことはできなかったかもしれない。
それでも、私にとっては自慢の娘だ。
娘は、立派な一人前のウマ娘になってくれた。
引退する時に「私、トレセン学園に来て本当に良かった」と言ってくれた時は、なぜだか涙が止まらなかった。
そんな娘が生まれた時は、言葉に出来ないほどの感動を覚えた。
力加減を少し間違えれば壊れてしまいそうな小さな小さな命が、私の腕の中にいる。
自分と、自分の愛する人の血を分けた、かけがえのない存在。
これから先、この娘と人生をともにしてゆく。
どんなことがあっても、この娘を守り抜くのだ。
小さな生命が発する、まるで恒星のように高い体温を胸元で感じながら、私はそう誓った。
プロポーズは、彼からだった。
『一生君を支え、愛し続ける。だから、俺だけの一等星になってくれ』
私は、感情を表に出すのが苦手な女だ。
その彼の言葉に本当は泣き出したいほどの喜びを覚えていたが、実際私ができたことといえば、彼が差し出してくれた指輪を受け取り、そっと左手の薬指に嵌めることだけだった。
私はウエディングフォトだけでいい、と言ったんだけど、一生に一度のことだから、とあの人は結婚式と披露宴を行うことを譲らなかった。
最初は渋々始めた結婚式への準備だったが、準備し始めるとそれはそれで結構楽しくて、当日着用するウエディングドレス選びのためだけに、ふたりで三度も式場を訪れたのもいい思い出だ。
男の人はこういうことをめんどくさがるって聞いたことがあったけど、あの人は嫌な顔ひとつせず、楽しそうに付き合ってくれた。
……結局そういうところに惚れたのだろうし、そんなこともあったからこそ、離婚も思いとどまれたのかもしれない。
その結婚式には、たくさんのひとがお祝いに来てくれた。
二人の両親。
あの人の同僚、友人。
そして、私の友人で現役時代しのぎを削ったライバルたち。
トップロードさん。
オペラオー。
その永遠のライバル、ドトウ。
そしてトレセン時代のルームメイトのカレンチャン。
みんないい大人になっていたが(オペラオーはそんなに変わってなかった気がする)、再会すればトレセン学園にいた当時と同じような会話ができた。
オペラオーが見事な歌声でいきなりAndrea Bocelli- Con te Partiroを歌い始めた時は、ちょっと辟易として……嬉しかったのを覚えている。
チャペル風の結婚式場で、神父さんの前で永遠の愛を誓った。
新婦アドマイヤベガ あなたはここにいる夫を
病める時も 健やかなる時も
富める時も 貧しき時も
夫として愛し 敬い 慈しむ事を誓いますか?
私は、はいと応えた。
あんまり富める時ってのはなかった気はするが、なんだかんだとふたりで人生の荒波を乗り越えてきた。
結果的にこうして死が二人を分かつまでは夫婦でいたのだから、その誓いを果たしたと言っていいと思う。
そんな私達はきっと、良い夫婦だったのだ。
大学を卒業後、どんな仕事につくかは本当に迷った。
私は自分が女性らしい愛嬌を振りまけるタイプではない、ということを嫌と言うほど自覚していた。
接客や営業など、そんな仕事はとても務まるまい。
学生時代に学んだプログラミングを活かした仕事につこうか、とも考えたけど、自分が本当にしたいことと向き合った時に最後に残ったのは、『自分の青春をすべて費やした、レースとウマ娘に携わる仕事がしたい』という気持ちだった。
幸い、レース界隈には色んな仕事があった。
レース場を整備する仕事。
ウマ娘のグッズを作ったり販売したりする仕事。
トレーニング中やレース中に、ケガを負ってしまったウマ娘を支える仕事。
ウマ娘専門の理学療法士やウマ娘外科の看護師さんという進路も考えたけど、私は【ウマ娘たちに走る楽しさを伝える仕事】がしたいと思った。
ウマ娘の中には『走ることはそれほど好きじゃないけど……』と前置きしたうえで、【他に自分の存在価値を証明する手段がないから】【親や周りが期待してるから】【他にすることもしたいこともないから】という理由で走っている娘も、少なからずいる。
私にとっても走ることは、あの時まで、贖罪の手段でしかなかった。
もちろんそれはそれで、立派な走る理由になる。
でも、走る理由の中に『楽しい!』『面白い!』『ワクワクする!』という感情が一切ない、というのは、あまりにも虚しいではないか。
その虚しさを、私はよく知っている。
実際私の走りには、どこか空虚感が漂っていたと思う。
そんな虚空を抱えて走っているウマ娘たちの、支えになりたい。
支えとまではいかなくても、少しでもそんな虚空を埋める手伝いがしたい。
そこで選んだのが、現役のウマ娘専門のカウンセラーという仕事だった。
カウンセラーの資格を得るために、大学の学部を転科してスポーツ心理学などを学び直すというのは、なかなかに大変だった。
実際にカウンセラーになってからの仕事は思ったより激務で、何度も転職しようか……と悩んだこともあったけど、それだけにやりがいも大きい仕事だった。
私は、ペルソナをかぶるのが苦手だ。
建前と本音を、うまく使い分けることができない。
だが、そんな私だからこそ心をひらいてくれたウマ娘もいた。
当然、私に相談に来てくれたウマ娘すべてを救えたわけではない。
差し伸べた手を払いのけられ、走ることに楽しさや意義を見いだせずに引退していった娘も、たくさんいた。
そういう娘達のことを思うと、胸が痛む。
せめて、レースから離れたあとの彼女たちの人生が幸せであることを願うばかりだった。
それでも『先生のおかげで、最近少しずつだけど、走ることが楽しくなってきたんだ』と言ってもらえたときは、本当にこの仕事を選んで良かった、と思えたものだ。
東京レース場に、大歓声がこだまする。
第66回日本ダービーも、最後の直線を迎えた。
いよいよ、大詰めである。
私は、中段外目から仕掛けどころを伺っていた。
各ウマ娘が、横いっぱいに広がる。
まず抜け出したのは、皐月賞ウマ娘のテイエムオペラオーだった。
クラシック初戦で才能の片鱗を見せつけたオペラオーが、二冠目を目指してゴールへ突き進む。
だが、それを上回る末脚で彼女に襲いかかったのは、一番人気に推されているナリタトップロードだ。
彼女はのちに世紀末覇王とまで言われるウマ娘を一気にかわして、先頭に立った。
強い。
さすがに、この世代で一番強いと目されているウマ娘だ。
そんな強敵が相手でも、私は負けるわけにはいかなかった。
私は絶対に、勝たなければならなかった。
自分のためではない。
私の代わりに星になった、妹のために。
妹に、勝利を捧げるために。
「はあぁぁぁぁぁっ!」
私の走りは、性格同様どうしょうもなく不器用なものだ。
最後の最後まで脚をため、一瞬の切れ味で勝負するという際どい戦法しか取れない。
皐月賞ではその脚を使うタイミングを逸してしまい、一番人気を裏切って6着に沈んでいる。
同じ轍を踏むわけには、いかない。
残り、50M。
私は自分の勝負勘を信じてここで末脚を爆発させ、一気にトップロードさんを切り捨てた。
その瞬間が、ゴールだった。
東京レース場を埋め尽くした大観衆が、爆発的な歓声を上げる。
私は、日本ダービーを制したのだ。
胸の内を支配したのは、歓喜ではなく安堵の感情だった。
GⅠという勲章を、あの娘に一つ捧げることができた。
私はトゥインクルシリーズで行うべき最低限の
控室に戻ると、彼がまるで我がことのように喜んでいた。
私はそんな彼を、どこか他人事のように、それこそ映画のスクリーンに映る一人の登場人物のように眺めていた。
私のラストランは、結果的にあの菊花賞になってしまった。
私の脚は、もう限界だった。
そうでなくとも、それほど脚元が丈夫なタイプではなかったのだ。
それをだましだまし、あの人と協力しながらなんとかやってきた。
ゲートイン完了。
スタートしてからのことは、ほとんど覚えていない。
ただ、私は今までしのぎを削って戦ってきた屈強のライバルたちを必死に追った。
テイエムオペラオーを。
ナリタトップロードを。
勝ったのはダービー、京都新聞杯と私が散々に叩いてきたナリタトップロードだった。
彼女はまるで、今までの鬱憤をすべて晴らすかのような豪脚で菊花賞を制した。
トップロードさんが高々と右手を上げる様子を、私はそのはるか後方から呆然と眺めていた。
厳しいレースだったが、その中でも私は最善を尽くした。
後悔は、ない。
ただ、勝利したトップロードさんやオペラオーを差し置いて一番人気に推してくれたファンの期待に応えることができなかったことだけが、残念だった。
そろそろ、走マ灯の上映会もおしまいらしい。
スクリーンに映し出されていた画像が、薄く、暗くなってゆく。
こうして振り返ってみても、私の人生は、決して悪いものではなかった。
心残りなことは、なにもない。
いや、心残りといえばひとつだけ。
あの人を置いて、先に旅立ってしまうことぐらいかしら。
トゥインクルを走っていたときも、社会に出たあとも、結婚したあとも、なんだかんだといつも一緒にいたあの人。
私の帰るべき場所で、いつも待っていてくれたあの人を。
結婚した時は、年齢的に私が見送る側になるもんだと思っていたんだけど。
なかなか、世の中うまくいかないものね。
まあ、ここは逆に考えましょう。
今度は私が、彼を待てばいい。
それこそ、夜空に輝く星になって。
でも、こちらにはできるだけ遅く来るように。
もしすぐに来るようなことがあれば、蹴飛ばしてでも追い返すわ。
老いても死んでも、私はウマ娘。
一人の男を蹴り飛ばして現世に送り返すぐらいの脚力は、残っていることだろう。
ああ、それにしても。
孤高を気取り、人との関わり合いをできるだけ避けて生きてきたつもりの私であったが、
人はなぜ、生きるのか。
なんのために、人は生きるのか。
人があの世に持っていけるものは、なんなのか。
その答えを、私は今ようやく知ることができたような気がした。
川が静かに流れる草原に、一人の少女が立っている。
ごめんなさい。
ずいぶんと、待たせてしまったわね。
「そんなことないよ。たった70年ほどかな」
70年……。
ありきたりな言い方になってしまうけど、長いようで短く感じた人生だったわ。
「それはきっと、お姉ちゃんの人生が生きた時間を短く感じるほど、充実したものだったからだよ」
なるほど。
そういう考え方も、できるわね。
それはきっと、間違っていない。
にしたって、私はずいぶんおばあちゃんになったのに、あなたはあの時のまま。
こういっては怒られそうだけど、ちょっとあなたが羨ましいわ。
「わたしからすると、おばあちゃんになれたお姉ちゃんのほうが羨ましく思えるけどね」
……そうね。
失言だったわ。
ごめんなさい。
「いいよいいよ。いつまでも若く美しくありたい、ってのは女性の本能みたいなものだもんね」
そんなつもりはなかったのだけど。
そのことは、ひとまず置いておいて。
どうかしら。
私は、あなたの自慢のお姉さんになれたかしら……?
「もちろんだよ。お姉ちゃんはトゥインクルシリーズでとっても強い相手に、ダービーという大きなレースを勝ってくれた。でもね。そんなことより、お姉ちゃんはたくさんの人に愛されて、たくさんの人を愛して……人生という長いレースを走りきってくれた。私にとってそのことが、何よりも自慢だよ」
……そう。
あなたにそう言ってもらえるのなら、私の人生も決して捨てたものじゃなかったのね。
「じゃあ、行こっか。お姉ちゃん」
ちょっと待って。
「どうしたの?」
最期に、ひとつだけ。
「ありがとう」
私は来た道を振り返り、私に携わったすべての人達に、感謝の言葉を伝えた。
みんなへ最後に伝えたい言葉が『ありがとう』だった私は、本当に幸せ者だ。
それでは、いきましょうか。
「……うん。ところでお姉ちゃん、いつぐらいからトレーナーさんのこと意識してたの?」
え?
いや、この歳になって、それももうこれから天国へ行こうかってときにまで、恋バナなんてしたくないのだけど。
「い~え、絶対に聞かせてもらいます。だってわたし、恋も愛も知らないまま死んだんだもの。お姉ちゃんからそれを聞く権利が、わたしにはあるはずです」
……それを言われると、こちらも弱い。
死の際まで弱みを突かれて人のわがままに振り回されるというのは、これも人間の業なのだろうか。
仕方ないわ。
そうね……。
私は古い記憶を無理に引っ張り出し、妹のために誰にも話したことのなかったあの人との馴れ初めを語り始めた。