紡乃世詞音の友達、双葉湊音は日常の些細なことでも青春と呼ぶ。
あれも青春。これも青春。
そんな様子に辟易した詞音が文句を言うと、湊音は「青春さま」という、青春かどうかを判定するためのおまじないを持ち出すのだった。
そんなちょっとした日常、あるいは青春の短編です。

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青春さまの言う通り?

 

「青春だ!」

 それが私の友達、双葉(ふたば)湊音(みなと)の口癖だ。

 確かに私たちは高校一年生、青春の真っただ中と言える。しかし部活を熱心にやっているわけではないし、恋愛に夢中なわけでもない。

 ゆるく勉強をして、バイトをして、時々遠出をして、それくらい。普段の放課後は、安めの喫茶店でとりとめのない会話をするのがお決まり。それが私、紡乃世(つのせ)詞音(ことね)の毎日だ。

 一方で青春というと、どうしても熱意や恋愛が欠かせないように思う。私たちの日々には無いものだ。

 しかし湊音の青春の定義は恐ろしく緩い。出かけた先で買い食いした鯛焼きが美味しかった時も、帰り道の夕日がいつもより綺麗な時も、お決まりの口癖を叫ぶ。

「うーん、青春だ!」

「青春かな、これ……。別に普通じゃん」

「それが青春なんだよ! 分からないかなあ」

「分からないよ」

 まあそんな調子なので、夏休みに入るころには私は辟易し始めていた。入学式の日に知り合ってから三か月とあまり。まあまあ我慢した方だと思う。

 その日だって、私からすれば、青春でも何でもない普通の日だった。

 場所はいつもの喫茶店。夏休みの宿題を早めに片づけておこう、ということで勉強会の真っ最中だ。メンバーは私と湊音、そしてもう一人の友達のささらちゃんだ。

 勉強会を始めて一時間余り。集中力が切れたのか、ささらちゃんが一番最初にペンを置いてメニューを手に取った。

「はー、ちょっとタイム。甘いもの頼もうよ」

「賛成~」

 私もちょっと言い出しづらかっただけで同意見だった。これ幸いとメニューを覗き込む。

「ささらちゃん、なに頼む?」

「んー、いつもは頼まないもの頼んじゃおうかな。このデラックスクリームソーダとか」

 なみなみと注がれたメロンソーダの上に、ホイップクリームとアイスクリームが浮かんでいるという一品だ。気になってはいたが、誰かが頼むのを見たことはない。

「めちゃくちゃ甘そう……」

「今の脳の疲れ具合ならいけるでしょ。湊音ちゃんは?」

 わたしとささらちゃんが話している間、湊音は妙に静かだった。そしてこういう時は、あれが出る前触れである。

「夏休みの勉強会……いつもは頼まないメニューへの挑戦……」

 湊音が身を乗り出し、いつものセリフを口にする。

「これは……青春だ!」

「おっと、青春判定が出た」

 ささらちゃんも慣れたもので、少し茶化した様子で言う。

 しかし私は、勉強疲れで少し意地悪な気分だった。

「湊音はさ、そうやって何でもかんでも青春っていうけど、判定が緩すぎない?」

「そんなことないよ! これが青春じゃなかったら何だっていうの!?」

「声が大きい」

 湊音は勉強の邪魔にならないよう、ヘアピンで髪を上げていた。無防備なおでこを指でつつく。

「うぐ」

「早く頼んじゃおうよ。私はカフェオレにする」

「じゃあ、私はやっぱりデラックスクリームソーダ。湊音ちゃんは?」

「私もカフェオレにする~」

 優しいおばあちゃんの店主が早速注文の品を持ってきてくれる。

「すいません、騒がしくて」

「いいのよ。ゆっくりしていってね」

「ありがとうございます……」

 湊音は先ほどの扱いが不満だったのか、半目でアイスカフェオレのストローをかじっていた。

「詞音は青春アンチなの?」

「青春アンチ……」

 変な言葉が出てきた。

「別にアンチじゃないけどさ。湊音が何でもかんでも青春って言いすぎなんだよ。安売りしすぎ」

「そんなことないよ。ちゃんと考えて、これは青春だーって時しか言わないもん」

 ささらちゃんが湊音に聞く。

「どういうときにそう思うの?」

「うーん……何というか、こう、感じるものだよ。理屈じゃないの」

「結局フィーリングかあ」

 私が雑にまとめると、湊音は口を尖らせた。

「詞音だってあるでしょ、青春を感じるときが」

「まあ……。中学の時、合唱のコンクールで賞を取った時とか」

「うんうん、それは間違いなく青春」

 湊音が満足げに頷く。

「他には?」

「他……? えーと」

 考える。考えるが。

「卒業式……?」

「もう!? それじゃ年に一回か二回しかないよ!?」

「いや、青春ってそういうものでしょ」

 私と湊音の意見を聞き、ささらちゃんが言った。

「あー、これは二人の中で定義が違うやつだ」

「そうだよ。詞音の言うやつは青春の中の青春、いわば超青春だよ。贅沢言いすぎ」

「超青春……」

 また変な言葉が出てきた。

「詞音はもっと、普段の青春を見逃さないようにした方がいいよ。青春はすぐ逃げちゃうんだから」

 青春は虫か何かなのだろうか。

「そう言われてもなあ」

 こうして喫茶店で駄弁っているだけなのに、青春と言われても。

「仕方ないなあ。それじゃあ、いい方法を教えてあげよう」

 そう言うと、湊音は鞄からポーチを取り出した。

 

  *

 

 『青春さま』の簡単な遊び方。

 用意するものは以下の通り。

 

・灰色の折り紙

・方位磁針

・三色ボールペン(黒赤青)

・修正ペン(白い字を書くため)

・十円玉

・三人以上の参加者

・青春するぞという気持ち

 

1. 灰色の折り紙の上に方位磁針を置きます。

2. 折り紙の角を東西南北に合わせます。

3. 北の角に黒い字で「冬」と書きます。

4; 東の角に青い字で「春」、南の角に赤い字で「夏」、西の角に白い字で「秋」と書きます。

5. 方位磁針をしまい、真ん中に双葉の模様を描きます。

6. 双葉模様の上に十円玉を置き、参加する人は十円に人差し指を乗せます。

7. 青春かどうか判定したいものを用意するか、場面を口にします。

8. 「青春さま、青春さま、これは青春ですか?」と聞きます。

9. 青い字で書いた「春」の上に十円玉が動いたら青春です。

 

 みんなもやってみよう!

 

  *

 

「青春さま……」

 またまた変な言葉が出てきた。というか。

「コックリさんじゃん」

「違うよー。青春さまだよ」

 呆れる私とは対照的に、ささらちゃんは興味津々だ。

「湊音ちゃんが考えたの?」

「ううん。小さいころ、地元の神社でお姉ちゃんから教わったんだー。青春を見つけたい時に使ってねって」

 湊音の地元というと、ここからは結構遠い山間の町のはずだ。こういったおまじないが流行っていたとしてもおかしくはない。

「お姉ちゃんって、湊音ちゃんの?」

「ううん、私は一人っ子。近所に住んでたお姉ちゃん……のはず」

「はず?」

「いやー、一回しか会ったことなくて。あんまり覚えていないんだ」

「どんな人だったの?」

「やっぱり青春が好きみたいでね。見た目は、白いワンピースで、黒髪で……うーん」

 ちょうど、今の湊音と同じような格好だ。

「もしかして、湊音の服ってそれ意識?」

「ちょっとね。地元に帰った時は神社の周りを探してみるんだけど、会えないんだよねえ」

 そんなことを話しているうちに、青春さまとやらの準備は整った。

「じゃあ聞くよー」

 湊音が代表して聞く。

「喫茶店に集まってみんなで夏休みの宿題。青春さま、青春さま、これは青春ですか?」

 すると、十円玉が()()と動き、青い字で書かれた「春」の上に乗った。

「うわ、こわ」

「怖くないよ!」

 いや、怖い。湊音といると時々不思議なことが起きるが、こうも直接的なことは久々だ。

 思わず不安になり、湊音に尋ねる。

「これ、終わるときはどうするの? ちゃんと終わらないと取り憑かれたりしない?」

「別に何もしなくていいよ。コックリさんじゃないし」

 どう考えても似たようなものだと思う。

「あ、でも今はまだ抜けないでよ。三人必要だから」

「はいはい……」

 一度十円玉を真ん中の双葉模様に戻す。

「いつもは頼まないメニューにチャレンジ。これは青春ですか?」

 続いての質問も、やはり青春だという判定が下った。

「面白ーい。ねえ、私も聞いてみていい?」

「大丈夫だよ」

 ささらちゃんが面白がって聞いてみる。

「じゃあじゃあ、おすすめの本の貸し借り。これは青春ですか?」

 青春。

「友達と一緒に水族館」

 青春。

「もんじゃ焼きがいつもより美味しく焼けた」

 青春。

「いや、判定緩すぎでしょ」

「えー。詞音は青春さまを疑うの?」

「そもそも信じてないし……。青春以外になることあるの、これ」

「じゃあ、わざと青春じゃないことを言ってみようか」

 湊音が考え込む。

「うーん、逆に青春じゃないことって何だろう」

「駄目だこりゃ」

 代わりに私が聞いてみる。

「真冬に布団が恋しいと思いながら登校する朝。これは青春ですか?」

 十円玉が迷ったようにぴくりと震えた。……が、ややあって「春」に動いた。

「え、青春なのこれ」

 湊音がゆっくりと頷く。

「ギリ青春かな」

「えー、じゃあそうだなあ、子供の頃のことならどうかな」

 記憶を探る。

「小学校の時、お酒入りのお菓子を知らずに食べて大変な目にあった。これは青春ですか?」

 十円玉はやはりぴくりと震え……「冬」に動いた。

「あ、ちゃんと青春以外も出るんだ」

 ささらちゃんが湊音に尋ねる。

「湊音ちゃん的にはこれも青春?」

「うーん……青春、じゃないかも。青春さまがそう言ったからじゃないけど、そう思う」

「やっぱりフィーリングじゃん」

「でも、これで青春さまがいい加減な物じゃないってわかったでしょ。詞音が大したことじゃないって思う出来事でも、ちゃんと青春なんだよ」

「なんだかなあ」

「よーし、糖分補給かんりょー」

 ちょうどその時、ささらちゃんがデラックスクリームソーダを飲み終えた。甘い物好きなのは知っていたが、恐るべし。

「さてと、そろそろ宿題再開しよ」

「はーい」

「了解! よーし、さっさと終わらせて、お祭りとか旅行とか行くぞー! 青春だ!」

 日常のさりげないことから青春を見出して、原動力にしてしまう。湊音にとっては、宿題ですらそれなのだ。

 私の中の意地悪な感情が、また少し大きくなった。

 

  *

 

 翌日、市立図書館のソファ席。指定の場所に行くと、相手はすでに待っていた。私が近づくと、その人は読んでいる本から顔を上げた。

「……ああ、あなたが?」

「そうです。紡乃世詞音です。初めまして」

「こちらこそ。鈴木つづみよ」

 いかにも理知的な雰囲気。この人ならば。

「いきなり友達と会ってほしいってささらちゃんに頼まれたから、少し驚いたわ。どうして私に?」

 つづみ先輩は、私たちより一学年上だ。ささらちゃんとは歳が違うが、対等な親友だという。

「ささらちゃんに、一番物知りな人を教えてほしいって頼んだんです」

「期待に沿えるかしら。まずは話を聞かせてもらえる?」

 つづみ先輩は本を閉じ、指を組んで私をまっすぐに見た。好奇心が旺盛な人のようだ。だからこそ物知りなのだろう。

 私は昨日の顛末を語って聞かせた。

「……というわけでして」

「それで、その子の青春マニアっぷりをどうにかしたいと」

「どうにかしたい、というか……」

 何と言ったものか。

 私が言い淀んでいると、つづみ先輩は軽く笑って立ち上がった。

「まあ、いいわ。子供騙しみたいな手だけど、やってみる?」

「あ、はい」

 私が頷くと、つづみ先輩は「ちょっと待ってて」と言ってどこかに歩いて行った。ややあって、一冊の本を持って戻ってくる。

 その本の作者を見て、私はちょっと苦笑いしてしまった。

 つづみ先輩が作戦を説明してくれる。

「……という感じで、青春さまに聞いてみて。この本そのものを持っていったらバレちゃうから、メモとか写真を用意してね」

「上手くいくんでしょうか……」

「要は、湊音……ちゃん? その子と青春さまの判定が食い違えばいいのでしょう。試してみるだけならいいと思うけれど」

 つづみ先輩はちらりと周りを見る。

「ここにもう一人知り合いがいれば、私たちであらかじめ青春さまに聞けるんだけどね」

「いやまあ、そこまでしなくても」

 私は本を手に取って立ち上がった。

「ありがとうございます。今度、お礼をさせてください」

「そうね。それじゃあ、私も勉強会に混ぜてくれる? 学年は違うけれど」

「それならいつでも歓迎ですよ」

 なんだか、この人とは仲良くなれそうだ。

 私はつづみ先輩に手を振って、貸出カウンターに向かった。

 

  *

 

 しばらくして、また三人で集まる機会があった。湊音の家での勉強会だ。

 湊音の部屋は、とにかく雑然としている。彼女の興味があちこちに向くのを象徴するかのように、様々な分野のものがどうにか棚や壁際に収められている。ギター、天体望遠鏡、ルービックキューブ、真空管ラジオ、その他もろもろ。

 この日もやはり、ささらちゃんが真っ先に音を上げた。

「あー、集中力切れちゃった。お菓子買ってこようかなあ」

「あ、それなら。お母さんがケーキ買っておいてくれてるよ。持ってこようか?」

 湊音の両親は出かけてしまっているらしい。

「詞音は?」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

「了解。持ってくるね」

 そう言って湊音が持ってきたケーキは、種類がバラバラだった。三人で箱を覗き込みながら目配せをする。

「どれがいい?」

 ささらちゃんがチョコレートケーキを指さす。

「私はこれかなあ」

「じゃあ、私は余ったやつでいいよ。湊音は?」

「えー。詞音はお客さんじゃん。選びなよー」

 となると、残りのショートケーキとモンブランのどちらか。

 迷う。しかし結局決めかねて、適当に選ぶことにした。

「ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な」

「相変わらず、詞音はこだわりがないなあ。青春さまに聞いてみる?」

 湊音がからかうように聞いてくる。

 ちょうどいい。つづみ先輩の作戦を試してみよう。

「そういう湊音だって、青春さまを頼ってたじゃん。自分の意見って意味じゃ、似たようなものでしょ」

「むむ。私の青春センサーを疑うの?」

「青春センサー……」

 今日もやはり変な言葉が出てきた。

「じゃあさ、またいくつか青春さまに聞いてみていい?」

「もちろん!」

 湊音の部屋だけあって、必要な道具はそろっていた。私たちが準備をしている間に、湊音はケーキの皿と飲み物を取りに行った。

 ささらちゃんが聞いてくる。

「ねえ、つづみちゃんからは良いアイディアをもらえた?」

「それをこれから試すつもり。ありがとうね」

「ううん。詞音ちゃんもなんだか、楽しそうだし」

「楽しそう? 私が?」

 そう、なのだろうか。

「お待たせー」

 深く考える前に、湊音が戻ってきた。内緒話は終わりだ。

 準備は整った。三人で十円玉に人差し指を乗せる。

「じゃあ、私が言うことについて、青春さまの前に湊音がどう思うか言ってみてね」

「かかってこーい!」

「テンション……」

 まあいい。まずは小手調べの質問だ。携帯電話のメモを表示する。

「潮干狩りで全然貝が取れなかった」

「うーん、残念だけど、それもまた青春」

「青春さま、青春さま、これは青春ですか?」

 十円玉は「春」に動いた。

「高い服を思い切って買ったら、次の週に安売りされていた」

「なんかがっかりすることばっかりだなあ。でもまあ、青春だね。苦めの青春」

「青春さま、青春さま、これは青春ですか?」

 十円玉は「春」に動いた。

 よし、次だ。つづみさんに教えてもらった文章のメモを表示する。

「次はネットで見かけた詩みたいなのなんだけど……」

「へえ」

 私はそれを読み上げた。

「はらからよわが友よ忘れえぬ人びとよ

 凡てこれわかき日のいとほしき夢のきれはし」

 私が読み終えると、湊音はなぜか得意げに胸を張った。

「いや、どう考えても青春じゃん。『わが友よ』でしょ。『忘れえぬ人びとよ』でしょ!? おまけに『わかき日のいとほしき夢のきれはし』と来たら……間違いなく青春だよ!」

「じゃあ聞いてみようか。青春さま、青春さま、これは青春ですか?」

 しかし、十円玉はなかなか動かない。

「あ、あれ? 青春さま?」

 湊音が不安げに問いかける。

 その声を聞いたかどうかは分からないが、十円玉はためらいがちに……白い字の「秋」に動いた。

「せ、青春さま……!?」

 上手くいった。愕然とした顔の湊音を見て、内心ほくそ笑む。

「う、うう」

 湊音が十円玉から手を放し、ふらふらと立ち上がった。

「み、湊音?」

 やっぱり、コックリさんもどきをやったせいで悪影響が出たのだろうか?

 湊音はベッドにダイブし、うつ伏せのまま呟いた。

「青春さまが、負けた……青春なのに……青春なのに……」

「え、勝ち負けなの?」

 良かった。いや良くはないが、取り憑かれたりはしていないようだ。

 ささらちゃんが湊音に聞く。

「湊音ちゃん、大丈夫? ケーキ食べる?」

「いらない……二人で食べて」

「えー!? ケーキだよ? ケーキいらないなんてある?」

 ささらちゃんが驚きの声を上げる。

「詞音ちゃん、やりすぎたんじゃないの?」

「い、いや、私もこんな風になると思ってなくて……」

 どうしよう。

 いや、もう種明かしをするしかないのだが。湊音は「青春……青春ってなんだ……」などと呟いていて、私たちの話は耳に入らなさそうだ。

 ささらちゃんが小さく手を上げる。

「つづみちゃん、呼ぶ?」

 私はすぐさま頷いた。

 

  *

 

 ほどなくして、ささらちゃんから連絡を受けたつづみ先輩が到着した。湊音は相変わらずベッドに突っ伏しているので、私が代わりに玄関で出迎えた。

「すいません、わざわざ」

「いいのよ。私にも責任があるもの」

 部屋に戻ると、つづみさんは湊音の様子を見て乾いた笑いを漏らした。

「おじゃまします。……私、勝手に家に入ってよかったのかしら」

「湊音に許可はとってますよ、一応」

「ならいいのだけれど」

 つづみ先輩はベッドの横に座り、鞄から本を取り出した。私が図書館で借りた本と同じものだが、貸し出し用のバーコードはない。私物のようだ。

「わがこの哀れなる抒情歌集を誰にかは献げむ

 はらからよわが友よ忘れえぬ人びとよ

 凡てこれわかき日のいとほしき夢のきれはし」

 湊音がピクリと反応する。

「これは『桐の花』という歌集の序文で、著者は北原白秋。白い秋と書いて、白秋よ」

「……ん?」

 湊音が顔を上げた。そして、ぎぎぎと私の方を向く。

「こーとーねー?」

「……うん。そういうこと」

 湊音がベッドから跳ね起き、私の両肩をがしっと掴む。

「ぬうう! はかったなぁぁぁ!!」

「ご、ごめん。こんなにショックを受けるとは……この通り」

 両手を合わせ、頭を下げる。

「もう! てっきり私が青春失格かと思ったじゃん!」

「青春失格……」

 復活早々、変な言葉が出てきた。

 まだ興奮冷めやらぬ湊音を見かねたのか、つづみ先輩が話を切り替えてくれた。

「湊音さん、改めてはじめまして。鈴木つづみです」

「あ、はい。双葉湊音です。はじめまして」

「青春さまのこと、聞いたわ。私も聞いてみたいことがあるのだけれど、いい?」

 まだ机の上に置いたままの十円玉に、四人で指を乗せる。

「青春さま、青春さま、白秋の詩や歌は青春ですか?」

 十円玉は迷いなく動き、青い字で書かれた「春」の上に乗った。

「青春? 白秋なのに?」

「白秋のペンネームは、くじ引きで決まっただけで、本人の作風とはあまり関係ないのよ。むしろ、耽美主義や象徴主義……分かりやすく言うと、ロマンチストなの」

「ろ、ロマン! それはつまり……青春!」

 さすがにこの時ばかりは、私も口を挟まなかった。

 つづみ先輩は『桐の花』を湊音に差し出した。

「読んでみて。ぜひ感想を聞かせてほしいの」

「わかりました!」

 やれやれ、一件落着だ。……と思っていると。

「詞音さんは、もう図書館に返しちゃったかしら」

「え、はい」

「じゃあはい、どうぞ」

「え?」

 もう一冊、『桐の花』が鞄から出てくる。

「ついでにささらちゃんも」

「えー?」

 さらにもう一冊。一体何冊持っているんだ。

「おすすめの本の貸し借り。これって青春よね?」

 

  *

 

 あれ以来、湊音は詩集や歌集を読むのが気に入ったらしく、つづみ先輩から何冊か本を借りているようだ。

 一方、私も一応『桐の花』を読んでみたが、どうにもピンとこなかった。それでも途中で投げ出すのは良くないと思い、読み終えてからつづみ先輩に返すことにした。

 今日は、つづみ先輩も交えた勉強会だ。場所はいつもの喫茶店。

 早めに着いたつもりだったが、先につづみ先輩が本を読んで待っていた。ちょうどいい。

「こんにちは」

「こんにちは、つづみ先輩。これ、返しますね」

 私が差し出した『桐の花』を、つづみ先輩は受け取った。表紙をそっと撫で、私に感想を聞いてくる。

「ありがとう。どうだった?」

「私にはちょっと……難しかったです」

「まあ、ロマンチックな反面、慣れていないと想像しづらいものね。合う合わないはあると思うわ」

 啄木とかの方がいいかしら、などと先輩は呟く。

 私が苦笑いしながら勉強道具を取り出していると、つづみ先輩がさりげなく聞いてきた。

「ねえ、詞音さん」

「はい、何ですか?」

「この間の作戦、上手くいったみたいだし……少し我儘を言っていいかしら」

「え、えっと?」

 思わぬことを言われ、焦ってしまう。

「どうして湊音さんにああいうことをしたくなったのか……正直に話してみない?」

 言葉に詰まる。店のドアをちらりと見る。

「大丈夫。まだ来ないと思うわ。どう?」

 参った。話さないわけにはいかない。

「大した理由じゃ、ないんですけど……ちょっと、その」

「うん」

「意地悪したく、なっちゃって」

 何でもかんでも青春と言って楽しそうにしている湊音をあっと言わせたい。青春さまとやらの力で威張っている湊音を見返したい。そんな気持ちがあった。

「……そう。やっぱり」

「お見通しなんですね」

「私もね、少し分かるの。身近に元気な子がいると」

 一つしか年が違わないのに、つづみ先輩は私よりもずっと大人だ。それが分かったから、隠し事はやめにした。

「私はこう……あんまり、夢中になれることがないんです。だから、何でもかんでも青春青春って楽しそうにしてるのを見ると、少しだけ羨ましくて」

 つづみ先輩は黙って頷き、先を促してくれた。

「でも、ちょっとやりすぎちゃいました」

「そう思えるなら、大丈夫。ちゃんと謝ったもの」

 その言葉は、私の心を少し軽くしてくれた。

「私も何か……湊音ほどじゃないけれど、何かに熱中出来たらなあって思います」

「無理に探すのも違うと思うし、ゆっくり視野を広げればいいと思うわ。今度、私と散歩してみる?」

「それくらいなら、ぜひ」

 その『散歩』がキロ単位の長距離散策だということを知るのは、もう少し後になる。

 喫茶店のドアベルが鳴り、湊音とささらちゃんがやって来た。

「あ、もう来てた」

「待たせちゃった?」

「ううん、まだ集合時間の前だよ」

 私は注文をすっかり忘れていた。つづみ先輩は先にコーヒーを飲んでいたので、残りの三人で飲み物を頼む。

 注文を受けた店主のおばあちゃんが席を離れたところで、私は改めて湊音に言った。

「繰り返しになっちゃうけど……この前の青春さまのこと、本当にごめん。湊音が色々なことを青春って言って楽しそうにしてるの、その……ちょっと、羨ましかったんだ」

「え、そんなこと思ってたの?」

 てっきり、怒られるかと思った。けれど、湊音はむしろ笑って、私の両肩にそっと手を乗せた。

 この間と同じ構図だ。でも湊音の表情は正反対だった。

「だったら、私が見つけた青春に乗っかっちゃえば良いんだよ! いつでも言ってね! 青春のお裾分けって、すごく青春だもん!」

「なんでもありだなあ」

「そう、何にでも青春は隠れてる。私たちがそれを見つけられるかどうかなんだよ。白秋が教えてくれたからね」

 すっかり白秋に励まされたらしい。

 ささらちゃんが笑って言う。

「青春さまだけじゃなくて、白秋もかあ。心強いね」

「あー」

 と、湊音が珍しく、目を細めて言う。

「それがねー。青春さま、答えてくれなくなっちゃって」

「へ?」

「人数が足りないのかと思って、近所の子供たちに手伝ってもらったりしたんだけどね。どうしても反応がなくって」

「え、それって」

 まさか、私が変な質問をしたせいじゃ。

「違うよ。詞音のせいじゃない」

 私の不安を湊音はきっぱりと否定した。

「もともと、私が子供の頃に教わったものだから」

 湊音は胸に手を当てて言う。

「そう。あの時、青春さまを教えてくれたお姉ちゃんは言ってたんだよ。青春を見つけたい時に使ってね、って」

 そして、その手を前に伸ばし、ぐっと握りしめる。

「でも私はもう、自分で青春を見つけるって決めたからね」

「……そっか」

 青春してるな、と思った。自分でも意外なほど、すんなりと。

「さあ、宿題をどんどんやって、心置きなく遊ぼう! 花火大会は来週だよ! 青春大量ゲットのチャンスだよ!」

「大量ゲット……」

 青春ってそういうものだっけ。

 いや、湊音はそう決めたのだ。だったらたまには、湊音が言うように、私も乗ってみよう。

「そうだね。花火、楽しみ」

「だよね! よーし、やるぞー!」

「つづみちゃーん、数学教えて」

「いいわよ。去年の内容だから、私の復習にもちょうどいいわ」

「つづみ先輩、私も教えてほしいです!」

「あー、私が最初だからね。いいでしょ、つづみちゃん」

「湊音、どの辺り? 数学なら私も教えられるかも」

 今日も多分、皆で勉強をして、疲れたら甘いものを頼んで、だらだらと喋って。

 そして何かのきっかけで、私の友達はこう言うのだろう。

 誰かに決められたからではなく、自分が見つけた素敵なものをこう呼ぶのだ。

「青春だ!」

 それが私の友達、双葉湊音の口癖だ。

 


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