彼は出社するとすぐ呼び出され、一人で誰もいない二階の会議室にいる。彼に声を掛けたのは専務だが、何の議題かは言わず、後で行くとだけ言ったまま、彼をずっと待たせている。社歴が半世紀を既に越えたものの日本経済の成長が終焉したのに歩調を合わせて規模拡大が止まり、社員六十人余りで増えたり減ったりを長年繰り返している会社の、古い二階建ての社屋に相応な会議室は手狭で、どんなに気合いを入れて頑張ってみても、全周囲に十人座るのが物理的限界となる長方形の会議室用の簡易テーブルに、彼は一人きりで所在なく腰掛けている。
彼は錆びの目立つパイプ椅子の背凭れに身体を預け、会議室右側の窓の外へ視線を向ける。女子社員が始業開始前に毎朝磨いて曇りのないガラス窓の先には、川向うの対岸にある日本有数の巨大製鉄所の高い煙突が、少し灰色掛かった白い煙をゆったりと空へと吐き出している。溶鉱炉が一旦稼働を始めたら次の点検まで二十四時間止まることはないという、以前耳にした話を彼は思い出し、あそこには夜通し働いて疲れ切った従業員がまだ沢山いるのだろう、と意味もなく想像する。会議室は彼一人で、静か。煙突は、もくもくと太く濃い薄灰色の煙を立ち昇らせていることもあれば、蒸気のような陽炎めいた煙を吐き出しているだけの時もある。彼は巨大製鉄所の煙に注目して生きてきたわけではないが、もう何年もの間、出退勤の時や昼休みで社屋の外に出た時など、彼の日常の視界の中に存在し続けている。彼はまだ対岸のあちら側に行ったことがない。対岸一帯は全て製鉄所の敷地なので、彼には用事がないし、入場すらできない。未知の場所を取り留めもなく想像しようとするが、対岸の巨大製鉄所について、この地方の生まれでない彼はほとんど何も知らず、想像もすぐに行き詰って終わる。
会議室は彼一人、静かなままで、彼は故障点検でもするように意味もなく部屋をじっくり見回す。窓枠も壁紙も長方形のテーブルの台板も、擦り切れや細かな破損があって年季が入っている。彼の正面の会議室ドア上の天井直下の壁には、『昭和五十四年』の年号と社名がエッチングされた何かの記念か認定証らしい埃で薄汚れた青銅プレートが飾られていて、昭和情緒とでもいうべき忘れ去られた過去の栄光を偲ばせている。青色マーカーの文字が所々残る、大雑把な消し方をされたキャスター移動式大型ホワイトボードの光沢のある白さが、安っぽいが合理的という現代性を過去と対比させているようでもある。専務は会議だと言ったが、他に誰も来る様子はない。専務と彼の二人だけらしい。彼は、専務に声を掛けられ二階へ上がる前に自動販売機で買ったテーブルの上の缶コーヒーを見て、会議室テーブルの焦げ茶色の板の木目をしばらくの間じっと見つめてから顔を上げ、ホワイトボードの白い板面を左上隅から右へと上から順に見ていき、消し残しの青色マーカーの断片から何かを読み取ろうと意味もなく精力を傾け、数字の断片があることから営業成績が議題になっていたのだと断定する。
歩くと軋むような音を立てる会議室の薄い床の下から、人の動く微かな気配、電話の遠い呼び出し音、不明瞭な人声など、会社が本格的に活動を始め出した気配が別世界からのメッセージのように伝わってくる。彼にも当然やるべき仕事があるが、待つしかない。建物の外の積み出し口の方から、聞き覚えのある声がする。屋外の喫煙場所に集っている配達担当へ、トラックの荷積み作業が終わった合図をしたのだろう。少し間をおいて、低く連続する旧式トラックの少しくたびれたエンジンの振動音が敷地内で複数立ち上がり、無用に勢いの良い、トラックのドアを閉じる大きな音がしたのを彼は耳にして、特に意味もなく、巨大製鉄所の煙突しか見えない窓の外へ目を向ける。滑りの悪いギアシャフトへ無理矢理クラッチを入れる危なげな作動音が外で起こり、一瞬、彼に何かのイメージがフラッシュバックのように閃くが、何だか分からないまま彼の意識へ懐かしいような感じだけを残して、すぐに消える。配達トラックの苦し気なエンジン音が前進し、門を出て、回転数を上げて左の交差点へ遠ざかって行く。彼はその様子が手に取るように分かる。間を置かず、別のトラックのエンジン音が同じようにして、左の方角へ遠ざかって行く。
始業時のさり気ない喧騒が周囲に溢れるが、一人だけ何もせず会議室にただ座っている彼は、仕事をサボっているようで気分が落ち着かない。貧乏揺すりのように革靴の踵で小刻みに床を踏んでみるが、それで会議が始まるわけでもなく、彼は待ち続けるしかない。窓の外では巨大製鉄所の煙突が、相変わらず薄い煙を吐き出している。彼は、専務が議題にするであろう内容を予想して、気が重くなってくる。彼は巨大製鉄所から立ち昇る煙を漠然と意味もなく眺めているうちに、ずっと以前にも、同じように居心地の悪い気分で会議室で待たされたことがある気がして、いつのことで何だったのか、彼は記憶を少し探ってみるが、思い出しても気分が重くなるようなことを今思い出す必要もない、と考え、二階の会議室へ上がる前に玄関横の自動販売機で急いで買った缶コーヒーのプルタブを開け、口を付けて啜る。彼はいつもよりコーヒーの苦みを薄く感じ、缶コーヒーを持った右手を内側へ捻って、缶コーヒーのラベルへ目を向ける。黒を基調にしたデザインは同じだが、いつもの缶コーヒーと違うことに彼は気付く。彼は専務から会議をすると言われて急いではいたが、自動販売機のいつもの位置のいつものボタンを押したはずで、間違って超常現象を引き起こしてしまったような不可解な感じを持ったが、商品の入れ替えでもあったのだろう、と彼は自分の手違いか勘違いの可能性を、言い訳めいた理由をでっち上げて対抗的に打ち消す。しかし理由はどうあれ、とにかくいつもの缶コーヒーではないという事実だけは彼にも否定し難く、彼は缶コーヒーのラベルを改めて確認する。缶の中央にある、紋章を模したようなエンブレム・マークには、マーク中央に大書きされた『GUATEMALA』という横文字アルファベットの下に、『グアテマラ・ブレンド』とカタカナの表示がある。
「何だ、これ」
彼は自己確認でもするように驚きを言葉にし、手に持った缶を廻しながらラベルの表示をじっくり見ていき、コーヒーの内容量の細かい記載を読む。『グアテマラ豆(51%)』――半分をクリアしているのだから問題ない、とでもいうような言い訳めいた配合率を見て、彼は会議室で一人、声を上げて笑い出すと、先刻の旧式トラックの脱臼しそうなクラッチ音で喚起されたフラッシュバックのようなイメージが、グアテマラ、そして中南米で身近に走っていた、アメリカで廃車になった老朽化したアメリカ製スクールバスを再利用した路線バスの記憶――古びて錆びの目立つ車内と、使い込まれて弾力を失い固くなった子供サイズの窮屈なシートで発展途上国のラティーノ達と身体をくっ付つけるようにして旅した記憶――へと繋がっていき、彼はイングリッドのことも思い出す。
「カフェ……ブエラ?」
その時イングリッドは、少し怪訝な表情をしながら正面から僕の目を見て、訊き返すように僕の言ったスペイン語の語尾を上げて繰り返し、チョコレートのような薄茶色の混血メスティーソの特徴を具えた鼻筋の通った顔を傾け、文字通り、小首を傾げるジェスチャーをした。日本人は正面から目を逸らさず話をすることは習慣的にしないので、まだ慣れない頃は、いつも気後れのような戸惑いを感じていた。
内装と家具調度に中世ヨーロッパの風情がある、いわゆるラテンアメリカのコロニアル様式の一般家屋が、スペイン語のレッスン場所だった。現代では馬車ではなく、整備不良の自動車が黒い排気ガスを吐き出しながら不自由そうに走る、凸凹な石畳の通り筋に面した由緒ありそうな白い漆喰の壁の一階建ての建物で、石畳の通り筋に面したどの建物も、同じような漆喰の高い壁で城壁のように隣と繋がっていて、出入口の扉は堅く閉じられたままで家の内部を窺い知ることはできなかったが、石畳の通り筋から端から端まで眺めてみると、漆喰の色や壁の高さに不揃いな変化があった。長い歴史の中で持ち主は何度も変わってきたのだろうが、授業時間の間だけ開放された中世ゴシック風のアンティークな木彫りの扉を入ると、家屋の中は外観からの予想とは異なり奥行きがあって部屋数が多く、横広がりの内玄関と、受付デスクや資料棚のある土間のような小部屋を抜けると、小振りな中庭があって、中庭を中心に各部屋へ行き来が容易なように出入口がいくつもあった。それぞれの部屋の中には、日本の昭和時代の小学校で使っていたような古びた木製机が、ある程度の距離を保って配置され、小さな木製机にグアテマラ人の先生と差し向かいになったマンツーマン形式で、基本文法と基本単語、旅行会話のレッスンをしていた。
僕はイングリッドから、スペイン語の不規則変化動詞を使って何か例文を作るように言われ、イングリッドの鳶色の瞳――メスティーソだったイングリッドの瞳が本当に日本人と同じような鳶色だったのか、今となってはもう不確かだが、少なくとも白人のようなブルーとかグリーンではなかった――に正面からじっと目を見つめられて、イングリッドの年齢は、三十歳を数か月過ぎていた僕の十歳近く下で、若さと女らしさが同居する女子大生みたいな若い女の子に間近で見つめられることに慣れていない僕は内心落ち着かない気分で、考えが纏らないまま時間だけが過ぎて行き、直前に不規則変化動詞をいくつか暗唱させられていて、その中の「volar」の「飛ぶ」という意味を頭の中で日本語で反芻していると、フラッシュバックのように会議室での会長のコーヒーのことが一瞬甦って、軽く催促するようにイングリッドが前のめりになって僕の目を覗き込み、「タクーシ。間違いを気にしないで。さあ、言ってみて」のような、僕の理解力に配慮した短く断片的な初級スペイン語で声を掛けてきて、「コーヒー」と「飛ぶ」という連想から、「カフェ・ブエラ」というスペイン語を僕は苦し紛れで口にしてしまい、それを聞いたイングリッドが、僕の言ったスペイン語を訊き返すように語尾を上げて繰り返し、小首を傾げたのだ。
外窓のある部屋の奥の角、窓のある方の壁へ古い木製机をぴったり寄せた席に、いつもイングリッドと向かい合わせに座って、朝八時から授業が始まって十時頃になると、机の上に日差しが強く差し込んできた。その部屋には、他に机が三つ。部屋の角近くへ別々に、距離を空けて配置されていた。その時、どこの国のどんな人間が同じ部屋でレッスンをしていたかはもう憶えていない。生徒達の部屋と席の割り当ては校長の采配だと思うが、同じ部屋には同じ国の生徒が固まって配置されていたようなので、その時も日本人の旅行者が同じ部屋で同じように、グアテマラ人教師とマンツーマンでレッスンをしていただろう。大体、二週間から、長くても一ヵ月で旅行者でもある生徒が入れ替わっていくのが普通で、毎週均一に生徒がいるわけではなく、思い出せる限りでは同じ部屋にオランダ人、カナダ人、韓国人がいたことがあった。
とにかく、イングリッドは訊き返すように、僕の言ったスペイン語の語尾を上げて繰り返し、小首を傾げた。僕は反射的に弁解めいた説明をしようと口を開いたが、日本での極めて個人的な出来事を、外国語で何と説明したものか考えて困惑し、結局、口籠るようにして黙ってしまった。その様子を見たイングリッドは、「No te entienndo」と、僕が聞き取れるよう、はっきり区切って発音した――つまり、意味が分からない、とイングリッドは言った。
「先ず、『カフェ』に冠詞が付いてない。『カフェ』は男性名詞だから、"un"か"el"を付ける必要がある。何か特定のコーヒーなのか、どこにでもあるコーヒーなのかで、どちらかを付けなければいけない。そのことは前に教えたわよね」理解できた限りでは、そのようなことをイングリッドがスペイン語と英語を交えて言い、「それから、"volar"を"vuela"へ、正しく三人称にしているのは良いけど……それって、『コーヒーは飛んでいく』っていう意味かしら?」と言葉を続けた。
イングリッドが確認するように、右手を斜め上へ持ち上げるジェスチャーをしたので、僕は頷いた。
「有り得ないわ。比喩だったら、まだ分かるけど。例えば、『エル・ティエンポ・ブエラ』とか。時間は、飛ぶように過ぎて行くでしょ」
僕の覚束ない外国語能力と想像力で把握した限りではあるが、イングリッドは僕の思い付きのスペイン語を生真面目に受け取って、そんな感じの文法的な解説をした。
イングリッドは間違っている、と彼は思い、会議室のテーブルの上の缶コーヒーへ視線を向ける。日本では、現実にコーヒーが宙を飛んで来ることが有り得る。しかしスペイン語文法の常識からすると、イングリッドの言う通りであり、スペイン語のレッスンに彼の過去の出来事など全く意味がないことは、彼も認めるしかない。スペイン語レッスンに関わる様々な記憶が、連想的に意識に上ってきては、消えていく。なぜかアメリカ人の生徒が同じ部屋に居たことがないのに、彼は思い至る。学校にアメリカ人の生徒がほとんどいなかったのか、それとも校長が日本人とアメリカ人は仲が悪いとでも思っていたのだろうか? 断続的ではあるが長く通っていた、外国人旅行者向けのスペイン語学校について知らないことが多いのに、彼は今更ながら気が付く。レッスンのために出入りしていた内玄関と土間のような受付部屋と中庭、それと石畳の通り筋に面した部屋しか、彼は見たことがない。コロニアル様式の一般家屋の奥の部屋を校長が住居にして、自宅を学校として使っていたのか、それとも、校長が箔付けとか外国人受けを狙って、由緒ありそうな建物を学校として借りていたのか、当時は関心がなく気にも留めていなかったことが、思いがけず思い出した今になって、彼はクロスワードの空白マスをどうしても埋められないでいるような、もどかしさを感じる。
ぎちぎちに詰め込んで弾けそうだった背中に担いだバックパックの重みが、彼の両肩へずっしり食い込んでくる二本の肩ベルトの感覚として蘇ってきて、彼は両方の肩を、右手と左手で交互に揉むように摩る。旅する彼の生活の全てを詰めたバックパック――背中へ担ぎ、ひたすら歩いた時のメキシコの強烈な日差しと、肌をじりじり焼くような感覚を思い出す。
彼がメキシコの小さな町の広場で、暑さと歩き疲れでぼうっとした頭を、何人ものメキシコ人がそうしていたように、教会の建物の日陰のレンガ壁を背にした人の並びに混じって休めていた時、濃いチョコレート色の顔をした小太り気味のメスティーソの子供が、小振りな広場の小さな噴水の方から、メキシコ人の中にいた彼が悪目立ちしていて興味を持ったのか、彼の方へ真っ直ぐ近付いてきて、小学校の制服らしい白い半袖ワイシャツに紺の半ズボンの、メキシコではちょっと裕福そうな家庭に属すると思われる小綺麗な恰好で、何の遠慮もなく彼の目に視線を合わせて彼の正面に立ち――濃いチョコレート色の中に映える目の白さが強く印象に残る――彼の胸下までしかない背丈から視線を合わせたまま、一言、二言、何か言って、彼が理解できないでいると、その小学生は左腕を身体の前に持ってきて左手首の辺りを右手の人差し指で何度も指差したり、彼の左腕を指差したりのジェスチャーをして、それからまた彼へ何か話し掛け、彼は時刻を訊かれているのかもしれないと思い付き、時刻なら彼の横に何人もいる壁を背にして立ち並ぶメキシコ人の大人の誰かに訊けばいいはずだが、彼は得心がいかないままに、一応、自分の腕時計を見て、通じないと思いながらも英語で時刻を伝えたが、やはり何も通じず、メキシコ人の小学生は時折り、自分の左手首を指差すジャスチャーを交えながら、彼の理解できない言語で何事かを喋り続けるうちに、次第に激高していき、何を言っているか分からないので推測ではあるが、彼を声高く罵倒し始め、彼は戸惑ったまま濃いチョコレート色の顔を見ているしかできず、その子は口を噤んで彼を睨み、黙って模様眺めをしていたメキシコ人の大人達へ顔を向けると、彼を指差して、何か彼を蔑むような、捨て台詞らしい単語を吐いて立ち去って行き、周囲の大人達、近くの屋台や露店の人々も、ただ見ていただけで、彼は隣にいた白髪混じりのコールマン髭の痩せたメキシコ人に、小学生の子供が何を言っていたか簡単な英語で質問してみたが、ゆっくり首を振るだけで、何も語らぬままで……これもまた、埋められないクロスワードの空白マスの一つとして、今も彼に残されている。彼は缶コーヒーを一口飲んで、嘆息する。それから、熱病のように刻印された記憶を自ら呼び出すようにして蘇らせ、彼の男の部分がざわつく。
バスを乗り継ぎ、メキシコを太平洋側からカリブ海方面へ、大陸を横断して行く日々が続いて、生まれて初めてジャングルの熱帯地域へ到達し、汗を拭くのが間に合わず、額に湧き出た汗の玉が流れ落ち、目に入ってきて染みながらもバックパックを背負って歩き続ける――テレビを見ているだけでは分かることのない、前に進み続けることの辛さが骨身に染み始めていた。人間が広大なジャングルを切り拓いて通した、緑色の熱帯林ばかりで景色が変わり映えしない、長い長い一本道を何時間も走るバスの中に、いつの間にか、僕が気付かないうちに彼女が乗っていた。
世界中から観光客を集める有名なマヤ遺跡から、観光客向けに仕立てたピカピカのエアコンバスを使わず、メキシコ人が日常使う格安の路線バスに乗って、次の目的地へ向かっていた。日本であれば法律的に運行できない整備レベルの老朽化した路線バスは、ドアを乗客が手動で開け閉めするシステムで、後部の非常脱出用ドアも停車する度に乗客が勝手に乗車や下車で開け閉めし、どこまで行っても直線で信号のない道路を、オンボロのエンジンが暴走族並みの爆音を立てて、ジャングルを快走した。左ハンドルの運転席の少し後ろ、汗が染みたような二人掛けの座席の窓側に僕は座っていた。座席横の開いた窓から入る外気の熱を含んだ猛烈な空気の流れが顔を絶え間なく叩き、散髪できずに長くなり鬱陶しくなった髪の毛を逆立てた。窓を閉めると暑くなって汗ばみ、結局また開けたままに戻し、猛スピードの空気が耳を塞ぐように当たり続けて、エンジンの爆音に耳が慣れてしまうと、耳が聞こえなくなってしまったような錯覚がした。同じ遺跡から乗車した欧米からのバックパッカーが少数いたが、彼等は会話を交わすでもなく、顔見知りのグループでもなさそうなのに、なぜか最後部の席へ固まり、メキシコ人と距離を取って座っていた。あれは、強盗対策か、窃盗を警戒してのことだったのだろうか? 僕は一人、バックパックを足元に無理矢理押し込んで、マナー通り隣の席を空けていたが、メキシコ人は誰も座ろうとはしなかった。ジャングルを抜け切るまで、真っ直ぐな一本道には小さな村が点在するだけで、ガソリンスタンドや、日本のドライブインに相当する古びた簡易レストラン、ジャングルの奥の村への分岐点等で、人々は手動でドアを開けて乗り降りし、その時だけ思い出したように、運転席横の鉄棒を握ってフロントガラス内側の横長のダッシュボードの上に腰掛けた、汗の染みたシャツとジーンズの小柄な男が、乗車賃を集金しに車内を回った。彼女は一体、どの場所からバスに乗っていたのだろうか?
ほとんど変わり映えしない緑色の植物の景色と、ただ過ぎて行くだけの旅の無為な時間に飽き飽きして、窮屈な座席の中で、右の通路側の空席へ両足を伸ばすように足を組んで、身体の向きが車内へ向くよう横へ姿勢を変え、間近にいる乗客の様子を漫然と眺め、その地域のメスティーソは、それまでのメキシコ横断の間に目にしたメスティーソと違い、元々のマヤ系住民の特徴なのか、ずんぐりした、背が低く厚みのある身体が多く、顔立ちは団子鼻で顎ががっしりしていて、アメリカ大陸でもユーラシア大陸と同じように地域毎に民族的な違いがあったのではないかと、いい加減な考察をして、意味もなく、左側座席先頭の運転座席の上へ突き出た、無帽で普段着の運転手の黒髪の後頭部を見てから、少しずつ首を捻るように、車内前方から視線を後方へと巡らせた。深いチョコレート色の顔をした、おそらく日焼けもしているのだろう皺顔の老人――前座席の背凭れの上に逞しい両腕を置き、そこへ前屈みになって顎を乗せた地味なワンピースの中年女性――カウボーイハットを被った円らな瞳をした髭の中年男性――みたいな人々がいたのかもしれないが、とにかく、ジャングルを疾走するオンボロバスの車内を所在なく眺め回していて、野趣な、マヤ族の血が濃いチョコレート色の顔と黒髪ばかりの人群れの中で不意に――亜麻色の髪と言うのだろうか? くすんだブロンドのストレートの長い髪と、西洋絵画で描かれる女性人物のように鼻筋の通った伏し目がちの色白の顔が、無防備な僕の目へ飛び込んで、ほっそりした顎に華奢な首筋と肩、脇と背中、なよやかな腰のくびれまで、若くしっとりした白い素肌が露わになっていて、一瞬、彼女が全裸でいるように見えてしまい、まるで異形の世界で美しい裸身のニンフを発見したかのように昂って、身体が痺れるようだった。
メキシコはカトリックの国で、表面上は性的な規制が厳しいらしく、アメリカ人が大量に流入しては出ていく国境の町を出ると、日本では当たり前に目にしていたような、女性の身体が申し訳程度に露出しただけのポスター広告さえ目にすることがなくなって、つまり、禁欲生活を三週間以上強いられてきて、彼女の姿は、それだけ僕には劇的な出来事であり、中南米の国々の多くがカトリックなので、イングリッドとスペイン語のレッスンをしていた歴史ある町では、対外的イメージを保つ必要もあったのだろう、健康的な女性の水着姿でさえ、どこにも絶えて見ることがなく、確か、『パルケ・セントラル』を『パルケ』と略して誰もが呼んでいた中央公園のベンチに座っていた時――午前中の授業を終えた後の、暑くもなく寒くもない気持ちのいい暖かさで、由緒ある噴水の近くは既に観光客で占有されていて、パルケを囲む道路近くの端の方のベンチに座っていて――新聞売りの少年が観光客達を巡っていて、僕の所にもやって来ると、「プレンサ?」と言って、袈裟掛けした布鞄から新聞紙を一部抜き、差し出してきた。押しつけがましい気がしたが、外国語で新聞を買うという経験を、まだ実行したことはなく、新聞売りの少年は明らかに小学生の年齢で、何となく同情してしまったのかもしれないが、拙いスペイン語を使って、言い値通りの少額の代金を払い、少年は去って行き、新聞名は『Sexo Libre』。植民地状態からの独立や革命運動の影響か、ラテンアメリカでは何にでも『自由』という言葉を付けるのが好きなようで、折り畳まれた新聞を開くと、第一面には、下が黄色い三角形の小さなビキニパンツ、上はビキニを外して片方の乳房が露わなアメリカ人モデルの写真が大きく掲載されていた。学校の辞書を借りて、各記事のスペイン語見出しだけ意味を調べ――もちろん西和辞典などなく、一旦英語へ変換して、手持ちのポケット英和辞典を引き――写真とイラストから内容を把握した限りでは、性風俗の扇情的な記事の他は、その国の芸能ゴシップとかUFO目撃情報のような怪奇情報、猟奇殺人事件などで、おおよそ一週間とか二週間毎の不定期で発行され、少年はパルケで僕を見掛けると必ずやって来て、首を傾げて合図のような仕草をし、僕は黙って金を差し出し、背徳感というほどではないが、密売取引をしているような気分があった。問題は発行毎の写真の露出度の変動が大きいことで、さすがに陰部が露わになることはなかったが、全裸の半身で乳房から臀部まで露わなこともあれば、普通のビキニの場合もあったことで、当局の規制・検閲と売上げとの鬩ぎ合いが反映されていたのかもしれないが、期待外れの時は、次号での『自由』の勝利に希望を託した。しかし、そういったことは表面上の話でしかなく、スペイン語を学びながら陸続きの周辺国へ何度か旅をして、意思疎通に大して支障がなくなり、治安の悪さにも免疫ができ夜間でも普通に出歩くようになると、少し路地裏へ入れば、昼間でも娼婦や男娼を目にすることができ、コロンビアでのことだが、アマチュアのスリや強盗が多く、スリが出し抜けにポケットへ手を乱暴に突っ込んできて、しかし技術は低く、一度として財布をすられたことはないのだが、スリは失敗しても逃げ去るわけでなく、すぐ近くに立ったまま口惜しそうな顔で僕を睨み、僕は威嚇も含めて、握った拳で親指を立てて首を刈る仕草で牽制し、それによってスリが別の獲物を求めて人の流れへ目を向けてくれれば良いのだが、また後をつけて来たし、警察官は、状況が許せば強盗と同じ行為を堂々と行うという体験談を数多く耳にした。何となく疑問に思うのは、右の頬を打たれれば左の頬を差し出す教義を持ちながら、性風俗や治安を含む社会一般が一向に改善されないことで、それどころか、人種差別や人権弾圧が過酷でさえあるのは、キリスト教が平和とか安全の実現に効果がないことの証明ではないだろうか? ということで、そうでない日本の方が安全過ぎて、無防備でさえあるのは何かの皮肉に思える。
しかし、そんな下らない連想はどうでも良く、思い出したいのは彼女のことであり、僕は運転席近くの左側座席の窓側に座って、身体の向きを車内へ向けていて、彼女はバスの中ほどの反対側、右側座席の通路側で正面を向いて座っていた。首から掛けて吊るエプロンみたいになった、くすんだ青色のジーンズ生地のサロペットの長ズボン――その時は名称を知らず、オーバーオールとも呼ばれているのを知ったのは、ずっと何年も後になってからで――サイズの合ってない、だぶだぶのサロペットの胸当てが、彼女の細身の正面を隠しているだけで、彼女の首筋から続く肩とほっそりした腕、そして脇と背中から腰まで、なよやかな肌が露わになって、乳房の先端近くは隠れていたが、胸元と横から覗く膨らみは小振りでも形の良さを想像するに十分で、胸当て部分のジーンズの布地が大きくたわむと、座席に腰掛けた臀部が見え隠れし、全裸の上に直接着て、パンティーさえ付けていないようだった。少年から買った新聞の第一面、アメリカの白人モデルの成熟した、ボリューム感ある堂々とした身体のイメージが、また頭の中でちらつく。しかし彼女はほっそりとした身体をしていて、まだ成熟し切ってない、若さがそのまま美しさとなっている年頃――高校を卒業したばかりの年齢に見えた――で、癖のないストレートの亜麻色の髪の毛が裸の背中まで伸びていて、身綺麗ではあるが化粧気のない、野に生きているような飾り気のなさで、体格と容貌から推測して、フランス人っぽく思えた。僕の国籍鑑定など、欧米人による見た目での日本人と韓国人、中国人の判別と同じくらい当てにはならないが、とにかく、メキシコのジャングルのオンボロバスの中で、僕はそのまま彼女から目が離せなくなった。
彼女は、バックパックのような大きな荷物を持っていなかった。膝の上に、風呂敷包み程度の大きさの白い布を巻いた横長の小荷物みたいな何かを、乗せているのが見えていた。彼女の膝の上の荷物は半ば以上、前の座席の陰になっていて、彼女が膝の上へ目を遣り、優しく揺すって気遣う動作を何度か行っていた。僕は何か奇妙な感じを抱いたまま、座席の陰から一部が覗いている荷物をよくよく見直してみて、それが生まれて何ヵ月かだろう乳児を包んだ産着なのだと分かった時は、全く予想だにしてなかった結論に自分で驚くしかなく、そして更にまた気付いたのは、彼女の隣の窓側に、彼女の連れに違いない白人の若い男が座っていたことだ。その若者も胸元や肩や腕の素肌が露わになっていて、全裸の上に、彼女とお揃いの首から掛けるジーンズのサロペットを穿いているようだった。彼女とは少し色合いの違うブロンドの、首筋まで伸びたロングヘアーで、顔立ちにまだ少し少年っぽい感じがどことなくあり、やはり彼女と同じくフランス人に見えた。二人は、前を向いて並んで座っていた。しかし、会話もなく、お互いが別々に、どこでもない空中を見ているような感じで、生気がないというか、仲睦まじいとは到底思えず、単なる旅の友ではないかと期待を持ってしまったが、乳児の存在を思い出して、絶望に襲われた。
彼女達は、現代にまだ存在しているとは僕が想像さえしていなかった、テレビや映画でしか見たことのない、いわゆるヒッピーに思えたが、二人共まだ若く、時代錯誤な連想に過ぎないのかも知れず、今となっては、明瞭に思い出せるのは彼女のニンフのような裸体の強烈な印象と、くらくらするような熱帯のジャングルの猛暑くらいで、その場では、ぐるぐると様々な思考が巡っていただけで、どこにも行き着かないまま時間が過ぎただけ……
「お前は何もしなかったじゃないか。何かするべきだったんだ。お前は――」
会議室に響く彼の独り言。私はそれに反問する。一体、何ができたって言うんだ?
「彼女の腕を掴んで、無理矢理バスから連れ出すだけで良かったんだ……バスの中で彼女の目の前に立って、お前の自慢のものを見せてやれば、感激したんじゃないか? 彼女もほとんど裸だったんだし。何でも良かったんだよ。何でも……難しく考えるから、いつも何もできない。何ができたかって後悔するのは、肝心な時に一発勝負の賭けに出る勇気がなかった奴の言い訳だ。そうだろう? そうじゃなければ、こんな会議室で、一人取り残されたように待ち続ける必要もなかった」
私の頭の中で、そんな彼の言葉が聞こえるようだった。現実問題として、自慢できるものを私は持っていないし、その時は、そんな発想もできなかった。ジャングルの一本道のガソリンスタンドで、半裸の二人と乳児はチョコレート色のメキシコ人乗客に紛れて、バスを降りていった。
「お前はターニングポイントで、人生を変えることができなかった。何もせずに、今と同じように、何かが起こるのを待っていただけだろう」
そう。何も起こらなかったし、僕は何もしなかった。バスを降りていく彼女の白く滑らかな素肌を未練がましく見つめて、彼女が視界から消えていって、バスがまた動き出して、熱を含んだ空気が、また絶え間なく顔を打つように当たった。
彼は、今からでも会議室を抜け出して、彼女という謎、クロスワードの空白マスの答えを求めてジャングルの奥へ分け入っていきたいという、解読不能な衝動に突き動かされ腰を浮かせるが、正面の閉じたままのドアが目に入って考え込み、結局、また腰を沈める。彼の体重を受け止めた椅子が大きく軋んで、彼にとっては存外な、大袈裟で面白くない音を響かせ、会議室は固形化したように、しんと静かになる。バックパックを担いで歩き回り、自然と鍛えられ痩せていたはずの身体は、もう年齢相応に弛んでいる。
トラックは全て出発したらしく屋外での荷作業の喧騒は止み、どこか遠くからクラクションが響いてくるくらいで、階下の電話の呼び出し音も絶え、外界はもう日中の町なかの、のどかな騒めきへと移行していたが、彼だけは孤立と孤独のまま、さっきまで感じていたジャングルを疾走するオンボロバスのエンジン音や熱気を含んだ空気の流れはどこかへ消えて、会議室の静寂へ閉じ込められている。今すぐドアを開けて会議室へ入ってくるような芸当を専務に期待したわけではないだろうが、彼は改めて会議室のドアを見る。彼の存在を忘れてしまったかのように、会議室へ誰かがやってくる気配はない。彼はそのまま、しばらく会議室のドアを見つめ続けたが何も変化がなく、変化の予兆さえ感じられず、次第に、無為な現実から意識が離れて、まだ余韻が残る旅の思い出へと向かう。
「カフェで、レッスンをしましょう」
イングリッドがそう提案したのは、僕が一度、陸伝いの周辺国を旅して、歴史ある町へまた戻ってレッスンを再開した時で、イングリッドはその提案をスペイン語で言い、僕はその言葉を問題なく理解したが、イングリッドの意図が理解できず、なぜなら、学生時代、病欠以外は皆勤無遅刻という小心者の真面目さを発揮していた僕は、勉強は学校でするものという強い固定観念があって、カフェへわざわざ行く必要があるとは思いもしなかったからで、何度も国境を越える経験をし、陸路での出入国手続きのスペイン語のやり取りにも慣れ、出国税と入国税という、どうも公的には必要ないらしい私的手数料を何度も徴収され、定型的な旅のスペイン語は自然に口をついて出て、日常会話レベルで意思疎通したいと学習意欲が高まった頃で、学校でのレッスンがいい――実際のスペイン語を逐語訳すると、「学校で勉強したい」――と僕は答え、断られるとは思ってなかったらしいイングリッドは、軽く唇を噛んで黙った。
その時、同じ部屋でレッスンしていたのは、日本人の二十代の女性旅行者と、マリンバという楽器に興味を持ってこの国へ遊びに来たという音楽教師の四十代の日本人男性で、もう一つの席は空席だった。女性旅行者とレッスンしていたのは、確か、ガリフナの血を引いているのか、黒人系の容貌をした眼鏡を掛けた若いグアテマラ人のマエストラで、音楽教師の男性の方は、同じぐらいの年齢の――以前はこの町の小学校教師をしていたと誰かから聞いた覚えがある――混血メスティーソのインテリ風のグアテマラ人マエストロで、学校内ではレッスンする先生のことを、マエストロ、マエストラ、とスペイン語の男性名詞形と女性名詞形をきちんと区別して呼ぶよう、指導されていた。その時のことを憶えているのは、音楽の先生がいたことが強く印象に残っているからで、日本人の現役の先生がグアテマラに居たのだから、夏休みとか春休みとか、日本の学校が長期休みの時期だったはずで、旅が長くなると季節感とか曜日感覚が無くなってしまい、銀行で両替しようとして閉まっているのを不思議に思っていると、後でその日が日曜日だったと気付く、などということが多くなり、イングリッドはレッスンの度にカフェでのレッスンを持ち掛けてきて、僕は面倒臭くなって、イングリッドへのご機嫌取りに校長へ形だけ相談し、駄目出しすると思っていた校長は、あっさりと嫌な顔もせず許可したのだった。
イングリッドが僕を連れて入ったのは、町の中心部にある観光客向けカフェだった。節約を心掛けていた僕は利用したことがなかったが、ガイドブックにも掲載されている有名な老舗のカフェで、大聖堂――現地では『カテドラル』の通称で知られていた――近くという優良立地、中世風の由緒ありそうな建物のだだっ広い中庭がオープンテラスになっていて、狭い町の外れにある小高い『十字架の丘』を臨むことができた。イングリッドと二人、コロニアル調の丸い木製テーブルに向かい合って座り、イングリッドに促され、僕は予め言われた通り、ジーンズのウェイトレスを呼び止めて、スペイン語でコーヒーを二つ注文した。
「グアテマラは、コーヒーが有名なのは知っているでしょう」
僕が辛うじて意味を汲み取れるスペイン語で、イングリッドが言った。
「でも、美味しい上質なコーヒーはほとんど輸出して、外国へ売っているの。値段も高いし、私達グアテマラ人は飲めないのよ。不公平でしょう?」
イングリッドは僕の表情を見て理解度を計りながら、スペイン語を英単語で何度か補足して、そんな話をし、僕はいつもと違う雰囲気で少し緊張していたのを憶えている。
朝の早めの時間帯で、朝食を食べている外国人観光客が多かった。確か、朝食は「デサユーノ」で合っているはずだが、カフェは建物も調度品もスペイン統治時代のデザインで雰囲気を統一しており、朝食を食べたり、グアテマラ産の高級コーヒーを飲んだりしている客に混じって、木製の丸テーブルの上に辞書らしい厚みのある書籍、ノート、筆記用具を置いて、スペイン語のレッスンをしているらしいペアが二組いて、「基本文法はもう終わったから、気楽な形で会話をした方がいいわ」という感じのことをイングリッドがコーヒーを口にしながら言い、納得はしなかったが特に留意もせず僕は頷き、しかしながら、中庭を囲む由緒ありそうな建物には旅行代理店や土産物店などのテナントが入っていて、騒々しいというか、ウェイターやウェイトレスのような働き手や、各国の観光客など、人の動きが頻繁な上に、スペイン語やアメリカ英語だけでなく、おそらくイギリス英語、フランス語、あるいはゲルマン系言語など、中庭はイントネーションの違う言語の囁きが入り乱れていて、こういう雰囲気の中でのレッスンを好む旅行者もいるのかもしれないが、僕には、どうしてもレッスンの効率が良さそうには思えず、場違いな感じもして、言葉少なになってしまい、学校の方がずっと気楽にスペイン語を話すことができた。
そう言えば、町の中心部から離れていたが、やはりコロニアル様式の由緒ありそうな建物の中に観光客向けカフェがあり、オープンテラスではなく、天井が高くなった邸宅の広間を利用していた。シャンデリアや燭台を模した電灯、陶磁器の壺や飾り皿、アンティーク風の食器など、内装と調度品はコロニアル様式と趣の違う、イギリスのヴィクトリア朝の雰囲気を意識していたようで、さらに、半袖の肩と袖部分が膨らんだ地味な紺色のワンピースのスカートの上に、白い前掛けエプロンをしたメイド姿のウェイトレスを揃えていて、このカフェがいつから営業していたかは知らないが、おそらく日本よりずっと以前から、この町に文字通りの『メイドカフェ』があったわけで、これもイギリス流の格式の雰囲気を徹底していたためかもしれないが、年齢や容姿で採用されたわけではないらしく、お手伝いさん風のチョコレート色の顔したメスティーソの中年女性ばかりだった。建物内に旅行代理店や土産物店のない純粋なカフェで、一日中、現地版のCNNを流す大きなテレビモニターがあって、休暇での滞在でもニュースへの注意を怠らない、投資家とかビジネスマンをターゲットにしていたのかもしれない。コーヒーをカップに注いで提供するのではなく、小振りな陶器のポットで提供していた。メイドがアンティーク風のポットと空の陶器カップをテーブルまで運んで来て一杯目をすぐカップに注いでくれて、二杯目は自分で注いでお代わりができ、値段は高かったが、どこかお得感があった。タカハシ君と日本語で雑談する時、よく利用した……タカハシ君! 今どこで、どうしているだろうか?
タカハシ君と出会ったのは、ネットカフェだ。南米まで足を伸ばした周辺国への二度目の旅行の後、またイングリッドのいるスペイン語学校へ通い始めた頃で、その間に、歴史ある町にもネットカフェができていて、あっという間に、世界中どこでも手軽にインターネットが使えるようになって驚いたが、酒屋の中の階段を上った、あまり現代的とは言い難い広い二階のフロアにあって、ネットカフェと名乗っているのに、コーヒー等の飲み物はパソコン席の利用料金に上乗せで追加料金が必要だった。組み立て式のパソコンデスクを五台くらい横付けにして、五列か六列ほどあっただろうか。受付と会計を兼ねたデスクがフロアの奥にあって、利用時間が終わって出口へ向かうと、出口脇の高級デスクに座った白人中年の経営者らしき男――アメリカ人か、グアテマラの白人か――が英語で毎回、支払いをしたのか、と必ず僕を呼び止め、スペイン語で、もう払った、と答えても、受付の女の子へ確認していたのは何だったのだろう? 確認が取れるまで僕は出口の前で待たねばならず、一々、出口で客を疑う理由が分からなかった。
ネットカフェのパソコンはOSもキーボードも、スペイン語仕様か英語仕様のどちらかで、当時は文字コードの判定機能が貧弱だったため、文字化けするのをブラウザのフォント設定で修正すれば、暇潰しに日本のニュースや旅行情報を読む分には問題なく、利用料は十五分単位での時間制の前払いで、終了時間が近付くとカウントダウンのメッセージがモニターに表示され、時間になると強制的にシャットダウンされた。午前のレッスンを終えた後は、その歴史ある町では何もすることがなく、気が付けば僕はもはや純粋な旅行者ではなくなって、かといって居住しているわけでもなく、滞在中、とでも表現するしかない中途半端な生き方をしていて、モニターの終了通知メッセージがカウントダウンする間、夕食までの長い時間をどう過ごすか考え、席の正面に受付デスクの女の子が見えていて、黒髪を後頭部で団子のように纏めて、濃いチョコレート色の目筋が通った横顔は、パソコン利用の合間に時々眺めるほどには美しかった。僕はカウントダウンの終わる前に席を立ち、受付の女の子へ、「テルミノ」と声を掛けると、女の子はチョコレート色の顔で、にこりと笑った。
「あっ、すみません。日本の――」と二列後ろの席から、フロアに響く日本語で声を掛けてきて、日本語が通じたかどうか窺いながら、「……人ですか?」と遠慮がちに言葉を続けたタカハシ君は、白いTシャツとジーンズの小ざっぱりとした格好で、僕とほぼ同年配に見えた。突然の呼び掛けだったので、僕は反射的に立ち止まって、頷くしかできなかった。
「メールを送りたいんですが、日本語を入力する方法が分からないんです」
英語仕様のパソコンに日本語入力機能は標準で入っていない。OSメーカー提供の日本語処理モジュールをダウンロードして、インストールする必要がある、と口頭で簡潔に説明した。自信なさ気な当惑した顔をしたので、タカハシ君のパソコン席で、アメリカの大手検索サイトから日本版の検索サービスへ移動し、以前の記憶を辿って、検索用語を英語で入力し、海外のパソコンで日本語入力する方法が掲載されている旅行情報のサイトを見つけ出して、モニター画面を指差しながら、もう一度説明した。それから、ネットカフェのパソコンには、ウィルス対策と個人の利用履歴を消去するため、フレッシュ・リカバリーソフトが設定されていて、再起動すると、インストールした日本語処理モジュールも消去されるので、日本語入力をしたい時は毎回同じ作業をする必要がある、と注意を付け加えた。
「へー、分かりました。本当、ありがとうございます」とタカハシ君は、心底感心したような顔で言った後、「スペイン語学校には行ってますか?」と唐突に質問してきて、僕はまた反射的に頷いた。
「僕は、エスクエラ・ラ・アンティグアです。二週目なんですが、学校を変えようかと思ってるんです。どこに行ってるんですか?」
イングリッドのいるスペイン語学校の名前を言って、周辺国に旅行へ出て三回目だ、と僕は答えた。
「へー、じゃあ、そこ、いい学校なんですね」
他を知らないから、良いかどうかは分からないし、元々、スペイン語を身に付けようとは考えてもいなかった。メキシコはとにかく、外国人観光客相手の商売は別として、「ハロー」以外は英語がほとんど通じず、訳が分からないまま起こって終わる、そんなことを短い間に慌しく数多く経験し――広場で僕を罵倒していたらしいメキシコ人の少年もそうだし、ジャングルのバスで遭遇した半裸の彼女もそうだ――何か説明しがたい、クロスワードの空白を少しでも埋めたいとでもいうような衝動を持つようになり、その歴史ある町のバス広場――停留所やバスターミナルの建物とかはなく、地肌が剥き出しの広い空き地へひっきりなしに、アメリカで廃車になった黄色いスクールバスを派手に塗装し直した路線バスが到着し、乗務員が大声で行き先を連呼し、空き地に集った乗客を中へ詰め込んでは出発していた――に到着して、バスを降りた時、バックパッカーの外国人を待ち受けていたらしい、学校仲介のガイドを自称するグアテマラ人の勧誘に自ら乗って、短期間ではあっても、スペイン語を学ぶことに決め、それが切っ掛けで、一年間での駆け足の世界一周予定は全く違った方向へ変わってしまい、だから、僕は自分で学校を選択したわけではなかったのだが、そんな説明をする暇もなく、どたどたと騒々しい靴音がフロアに響き、僕とタカハシ君の注意は、そちらへ向いた。
サイズの大きい、分厚い靴のせいだろうが、あまり清潔そうには見えないTシャツとジーンズの白人の若者が、むやみに大きな靴音を立てて、フロアを入口から奥へ真っ直ぐ歩いて行って、受付デスクの前に立ち、受付のメスティーソの女の子に向かって、前置きもなく、さっきレッスンで習ってきたばかりなのだろう、日本語なら、「ボクのナマエはxxx(勝手に名乗っていたが、憶えていない。『ジョン』とでもしておこう)です……ボクのネンレイはジュウキュウサイです」という感じの初心者フレーズのスペイン語を、日本人のカタカナ発音のカタコト英語と同じくらい違和感のある、英語風イントネーションでたどたどしく棒読み調で発音し、それから、「ヨ、ヨ、ヨ」と何度も繰り返し、"Yo"は英語の"I"なので、スペイン語で何か言い出そうとしていたのだろう、しばらく唸りながら真剣に考え込んだ後、「ボク、ボク……ボクはスペインゴをベンキョウしています……ボク、ボクはキマした、ミッカマエにグアテマラへ」みたいなスペイン語を続けると、ジョンは再び考え込んで、そのまま時間が経過したが、何も思い浮かばなかったのか、知っているスペイン語を使い果たしたのか、受付の女の子のチョコレート色の目筋の通った顔を見て、にへらっ、という感じの笑顔を浮かべ、受付の女の子の言葉を待って、そのまま受付の前に立ち続けることで、会話のバトンを受付の女の子へ無理矢理押し付けた。受付の女の子は、しばらく黙ってジョンを見てから、口を開いた。
「私には、男の子の赤ちゃんがいるの。結婚はしていないけど、でも子供がいるの」
女の子の口から出た唐突な身の上話のスペイン語に僕はびっくりし、スペイン語の幻聴を聞いたような心持ちがして、何よりジョンに通じるとは思えなかったが、ジョンは嬉しそうに頷いて、また、「ヨ、ヨ、ヨ」と繰り返しながら、「ボクはカリフォルニアからキマした。ボクはダイガクのガクセイです」とでもいう、文法的に出鱈目ではあるが、単語の羅列で意味は伝わるスペイン語を発すると、ジョンはまた沈黙し、女の子の言葉を待った。受付の女の子は美しい顔を少し歪め、「子供ができたら、恋人は去ってしまった。お金が必要だから、働いてるの。私とデートしたいの? 今、仕事中なの。私、子供がいるのよ。分かる?」と首を傾げて、問いかけ、「シィ。シィ」と頷くジョンは、近くの席の椅子を勝手に引き寄せて、受付の前に居座り、「私と結婚して、私と子供をアメリカに連れて行くつもりがあるの?」という、受付の女の子の更なる問いかけに、ジョンは、「アー」とか、「ウー」とか言って、にへら笑いを浮かべた。
「あれって、ナンパしてるんですかねえ?」
タカハシ君は、二人の方を見ながら言った。
「あの娘、ちょっと可愛いですよね」
「結婚してないけど、子供がいるらしいよ」
タカハシ君は僕の方へ顔を向け、へえー、ちゃんと分かるんですね、というような尊敬の眼差しをし、僕はどこかくすぐったいような気持ちになり、「と、思うよ」と言って誤魔化しながら少し我に返り、他人の会話へ聞き耳を立てるのは、あまりいい趣味ではないように思い、それにジョンの様子は、外国オンチの日本人の滑稽な自画像を見せられているような不快な感じがあって、その場を早く離れたい、居た堪れない気分になり、いささかぶっきらぼうだったが、「僕はこれで。じゃあ」と言って、立ち去ろうとした。その時は、旅の移動中での日本人同士の遭遇と同じで、お互い名乗らないままで別れた。背中でタカハシ君のお礼の言葉を聞きながら、足早に出て行こうとしたが、またしても白人の経営者に呼び止められ、ジョンと受付の女の子の会話を中断させてしまった。
誰から聞いたのかもう憶えてないが、スペイン語学校の家政婦のアナ・マリアは、十五歳の時に未婚のまま子供を産んだということだ。時々、子連れで学校へ来て、一緒に掃除をしたり、休憩時間用のコーヒーの用意をしたりした。アナ・マリアも未婚の母の子供で、カトリックの国なのにラテンアメリカは、何世代も未婚の母が続くのは珍しくないらしかった。
オープンテラスのカフェのレッスンで、イングリッドはその国の歴史とか、町で最近起こった事件とかを話題にしたような気がする。まだ未熟で、イングリッドのスペイン語の意味を汲み取るのが難しく、イングリッドばかり喋らせることになり、得意でない英語での補足でも頭をフル回転させねばならず、自分のレッスンなのに頷くばかりで言葉少ない僕に対して、イングリッドは次第に話し疲れて、寡黙になってしまい、テーブルに気不味い空気が漂うと、「気分を変えましょう」だったか、「休憩しましょう」だったか? イングリッドが提案し、とにかくスペイン語を使わなくてもいいことに、僕はほっとして同意した。
「『ケーキ』はスペイン語で、何て言うか覚えてる?」
イングリッドが『ケーキ』の箇所だけ英語にしてスペイン語で言い、僕は「パ」の付く単語だったのは覚えていたが、その先が口から出てこなかった。
「パステルよ」
イングリッドから言われて、やっと思い出した。
「ほら、このメニューに、書いてあるわ」
テーブルの上に閉じて置かれていた、合成皮革カバーのメニューを手に取って、開いてから僕へ手渡した。僕は小冊子みたいなメニューに印刷された『パステル』の綴りを確認し、自然と見開きになった写真付きのケーキの種類へと目が行き、それで目に留まったのが、『トレス・レチェス』というケーキで、三つの牛乳? それとも牛乳三倍か? と疑問に思って、イングリッドに質問した。
「食べてみれば分かるわ。美味しいと思う」
そんなイングリッドの誘導に乗って、ちょうど通り掛かったウェイターを呼び止め、二人分のコーヒーのお代わりとケーキを二つ注文した。
テーブルにケーキが置かれても、イングリッドはすぐには手を付けず、最初のコーヒーの残りを啜っていた僕を遠慮がちに見て、僕がケーキに手を付けるまで待っていた。遠い昔の話に聞く大和撫子みたいで、男心をくすぐられたのを憶えている。僕がフォークを持って、「バモス」と声を掛けると、イングリッドもフォークを手に持った。食べている間は、喋らなくても間が持つのは非常に有り難かった。レッスンが終わるまでに、僕とイングリッドは四杯のコーヒーを飲み、当然のことながら支払いは全て僕で、高い授業料となった。
スペイン語のレッスンに、トータルすれば七ヵ月近くの時間と費用と労力を掛けたわけだが、それだけの甲斐はあったのか? 会議室で一人、彼は自問自答してみる。
単なる旅行にそれほどまで高いスペイン語能力が必要か、と問われれば、ない、と彼は答えるしかない。しかし、その当時の彼は特に不合理なことをしているつもりが全くなく、旅行会話の実用性以外のものを欲していたようにも思え、一人旅に取り敢えずの目的が設定され、いつの間にか手段と目的が逆転していただけのようにも思え、今更、反省してみても意味がない、と彼は強引に思考を断ち切ろうとするが、泥棒市でスペイン語の単語帳を見つけたのが切っ掛けかもしれない、と連想のように思い出す。
パルケを囲む道路に面した横長の古い建物の一つが、二階の道路側へ張り出した部分を何本もの木の柱で支えていて、その下が石畳の車道より高くなった幅の広い通路になっていて、週末などに通路の一階の壁際に沿って、アクセサリ、時計、書籍、包丁、錆びたマチェテ(現地人の鉈のような山刀)、十徳ナイフ、ライター、その他、古びてガラクタにしか見えないものまで、シートの上に雑然と並べた露店が連なり、おそらく全て中古で新品は一つもないと思われるが、通り掛かる度に商品を眺めていたが、日本語のガイドブックが何冊か、分厚い西和辞典、スペイン語の頻出単語帳が並べられているのを見つけ、目付きの悪いジーンズの若い男がシートの奥の壁際に、胡坐のような姿勢で砂に汚れた通路へ直に座っていて、旅行者が手放していったのか、盗まれたものなのか、辞書は分厚過ぎて持ち運びに不便だと彼は考え、文庫本より一回り大きい頻出単語帳を選び、通路へ座り込んだままの原住民系の容貌の若い男が値踏みするように彼を見て、なぜかアメリカ・ドル通貨建てで、日本の定価よりずっと高い値段を言い、彼のスペイン語はまだ稚拙だったが、単語帳の裏面にある定価の半値を暗算で、現地通貨ケツァルに換算して値切り、若い男は彼の目を下方から真っ直ぐ見て、少しだけ考えてから、分かった、分かった、という風に小刻みに三回頷き、抵抗もせずにあっさり同意したのは、やはり盗品だったからだろう、と彼は、今また断定的に確信する。滞在中も移動中もガイドブック以外の日本語の書籍はこの単語帳しかなく、夜寝る前の時間はベッドで読みながら眠くなるのを待ち、ラテンアメリカの安宿――連れ込み宿や売春宿であることが多い――の隣の部屋の男女がうるさい時に、嫌がらせを兼ねて旅行会話と関係ないページを、「ゴビエルノ」「プブリコ」「エレクシオン」などと、声を出して読み上げたことがあり、それで飛躍的に単語量が増え――彼はホワイトボードの消し残しの青いマーカーを無為に眺め、虚無というものは、世界自体に意味がないためなのか、彼自身の存在、人生に意味がないせいなのか、と考え……
そのバスに乗ったのは、太平洋側の隣国に近いということ以外に取り立てて言葉で言い表すべきことがないホンジュラスの小さな集落で、太平洋側の隣国で出国手続きをして、手動で上げ下げする仕組みの黄色いバーの木製遮断機には担当者がいなかったので横を抜けて行き、一本道の細い道路だけの緑繁る場所を何分も歩いて国境線らしい道路上の白線を跨いで、出入国管理事務所までの荒れた道路をしばらく歩くと、それだけでもう全身汗だくの、Tシャツが濡れて身体にくっ付く不快さに、なぜこんなに距離があって不便なんだろうと不満に思っていたが、戦争が起きた時のことを想定して、陸続きの国境はどこもそうなっているというのを誰かから、ずっと後になって教えられ、無事入国して、その先の何もない剥き出しの固い更地に、デコトラのような塗装に様変わりしたアメリカ製スクールバスが三台ほど、行き先ごとに整列している――わけなどなく、互い違いに自分勝手な方向を向いて、自分勝手な位置で停車していて、僕は全資産を詰めたバックパックを背中に担いだままバスへ乗り込んだが、乗客どころか運転手も、誰もいなかった。
歴史ある町から、国境を越えて周辺国へ周遊に出たのは、駆け足でスペイン語の基本文法を終え、ビザなしでの滞在可能期限が近いこともあって、一旦、出国して、戻って来て、今後をどうするか改めて考えることにしたからで、イングリッドは、戻ってきたら学校でまた自分を指名するよう、僕に言っていて、そんな旅の途中で僕は拳銃男と遭遇することになった。
そのバスは、中米ではお馴染みの、廃車になったアメリカ製スクールバスを塗装し直した車種で、元は全体が黄色だったボディは、青、銀、赤など多色を使った派手な塗装に変わっていて、何もない更地から出発すると、黒煙と振動、長年使いこまれた回転軸が摩耗したような渋いエンジン音を唸らし、異国の地で青春を取り戻した老人のように疾走したが、五分も走らない内に、目立つのはイグレシアとパルケだけという、近くの村の寂しいセントロでエンジンを掛けたまま停車し、数人の乗客を乗せて、一ブロックだけ移動してまた停車し、メルカードらしい平べったく横に長い粗末な屋根だけの建物の前で、買い物の荷物を持った主婦ばかりの騒々しい乗客達が、運転席右側の乗降口だけでなく、後部の非常扉を自分で開けて乗り込み、ほとんどの座席に人が座るのを見て、僕は隣に立て掛けて置いていたバックパックを両手で脚の上へ引き倒し、隣の席を空けた。
大抵の長期旅行者はスペイン語を覚えていくうちに、いつの間にかスペイン語名称のまま言う癖がつくのだが、中南米は大抵どこでも、真っ直ぐな道が縦と横に碁盤の目のように交差し――もしかしたら、北とか西とかへ方位を合わせて道が敷設されていたのかもしれない――町の中心に教会と公園があって、そこをセントロと呼び、小さな町や村では、青空市場のようなメルカードで庶民が買い物するのが普通だった。植民したスペイン人は、なぜ揃いも揃って、広大な中南米一帯で、判を押したように同じ、分かり易くはあるが単調な、遊び心の乏しい町造りをしてしまったのか? 生真面目過ぎたのか、型に嵌った思考に囚われてしまっていただけなのか、それが独裁やら内戦やらの遠因になっているのではないかとも思わないでもないが、そんなことはどうでもよく、バスはすぐに、端から端まで十分もあれば歩けそうな村外れに差し掛かり、スペイン語の大型交通標識の前に立っていた数人の乗客を乗せると、熱帯の野原の中に所々、トウモロコシか何かの貧弱そうな畑が現れるだけの、信号や交差点のない、ずっと先まで真っ直ぐ伸びたアスファルトの道路を疾走した。
バスの真ん中辺りの左側座席の窓側に座って、窓から入る、ぬるま湯のような風を顔に受け続けた。中南米はほとんどが熱帯で、大抵どこもTシャツで充分なのだが、あの歴史ある町は活発な火山に近い高地に位置し、避暑地のように過ごし易く――どういう気候の作用だったのか、突然、長袖が必要な涼し過ぎる一日になることもあって――一週間くらいは、久しぶりの熱帯の蒸し暑さで立ち眩みしそうになっていたが、もう身体が慣れてしまって、汗に濡れて肌にくっ付いたTシャツの首回りを右手で摘まみ上げ、軽く仰ぐようにして空気を入れたり、左腕を肩の位置まで持ち上げ半袖を大きく下に引っ張って、汗ばんで不快になった脇の下を乾かしたりした。
バスの乗客はメルカードの買い物帰りの主婦が多かったが、白いレジ袋を持った小綺麗な主婦などはいなくて、確か、バスの前方の右側座席に座っていた太ったおばさんは、家族が多いのか、買い溜めしたのか、ぱんぱんに張ったポリエチレン製の白い土嚢袋の口を紐で縛り――膨らみ具合からすると、中身は大量の玉葱か、大玉のジャガイモか――座席横に立て掛けて通路に置き、バスの揺れで何度か袋が倒れそうになって、小麦色の逞しい腕で白い袋の口を引っ張って戻した時に、肩と肩甲骨が露出した白いキャミソールから覗いたたっぷりとした背中の肉へ、黒いブラジャーの留め紐が食い込んでいるのが見えた。ホンジュラスの田舎の主婦達は誰もが、こんがり日焼けしたような肌の色――メキシコや歴史ある町のメスティーソのチョコレート色とは違った色合いに見えたのは、混血の度合いの違いのようなものかもしれない――をしていて、一様に、黒髪を頭の後ろで纏めたポニーテール、白や黄色の薄手の半袖Tシャツか、細い肩紐のキャミソールの上衣に、赤や黒、水玉模様のブラジャーの留め紐の形が浮き出ていたり、上衣からはみ出したりしていて、全般に太腿が太く、丸っこい体型をしていて、紺色のタイトスカートとか、膝丈か七分丈の暗い色のスパッツを穿き、白髪の目立つ老女達は、生地の薄いだぶだぶの着古したワンピースを着ていて、大抵皆、その上に白い腰巻きエプロンを着けていて、染みの目立つ腰巻きエプロンのポケットへ手を突っ込み、くしゃくしゃのレンピーラ紙幣を取り出して、Tシャツを着た細身の若い車掌に乗車賃を支払い、粗い籐編みの年季の入った手提げの買い物入れを膝の上に置いたり、脇に置いたりしてバスの座席に座っていたが、僕が右横の、通路の向かいの座席へ何となく顔を向けた時、黄土色の半袖Tシャツのおばさんの膝の上の籐編みの買い物入れの口から、鶏の頭が突き出ているのに気付き、鶏は、くっくっ、と首を小刻みに動かして買い物入れの中で周囲を見回していて、それからも、買い物入れに入れられた生きた鶏をバスやメルカードで見ることはあったが、羽根と足首を紐できつく縛っただけの剥き出しで鶏を逆さに足を持って持ち運ぶ白髪で色黒のおじさんがいて、バスに乗り込んでくると、無造作に上の網棚へ乗せて座席に座って――命の危険を理解していないだけなのか、既に諦めがついているのか、その日の夕食になるらしい生きた鶏達は暴れもせず、驚くほど大人しかった。
バスの運転手はカリブ海側に多いガリフナ系らしく黒人の容貌で、背丈はないが身体つきが相撲取りのようにがっしりと立派で、バスが国境の集落の更地に停車していた時、車掌を連れて、どこからか更地へ歩いてきて、半袖柄シャツの私服で運転席へどっかと腰を下ろすと、Tシャツの若い車掌へ、何か僕が意味を知らないスペイン語の大きなダミ声で勢いよくがなり立てると、何がおかしいのか大笑いし、運転席の足元、足と足の間へ盛大に唾を吐き出し、出発時間だったらしく、僕を含めて二人しか乗客がいないバスを発進させたのだが、運転手は騒々しいエンジン音が唸る中、時々、独り言で何か大声を出しては――その時はまだ、汚い言葉まで学習してなかったので想像だが、「暑いじゃねえか、この野郎」とか、「死んじまえ。糞野郎」とか、見えない何かを罵倒していたのだろうと思う――運転席の足元へ唾を吐き出し、すぐ近くの村のセントロやメルカード前、村外れの道路標識の前で停車した時などは、足元へ唾を吐いた後に、脇に置いた透明な二リットルの大型ペットボトルの水を飲んで、それからまた、足元へ唾を吐き、バスが村の外に出て、信号もなく先行車もない田舎のアスファルト道路を、オンボロの元スクールバスは高速道路並みの速度で走り続けた。
しばらくすると、人家も畑も見当たらない野原の中で、乗客が窓を強く叩いたり、「バホ」と声を上げたり、運転手へ合図して降り始めたが、その度に高速で走っていたバスが急ブレーキに近い急減速をし、僕は最初、予期もしていなかったので、顎を前の席の背凭れにぶつけ、目印となるものが何も見当たらない場所でバスを降りた乗客は、道路端から野原の草地へ分け入って、野原の見えないずっと先に家があるのだろう、遥か彼方を目指して迷いなく歩いて行き、そんな風に主婦達も次々と降りていって、やがて、バスは同じようなアスファルト道路と十字に交わる信号のない交差路へ差し掛かり、交差路の周りだけは草が短く刈り込まれ、砂地が露出している場所もあって、交差路の一角の二メートルは高さのあるポールに、白いアルファベットの横文字が書かれた、右端、あるいは左端が三角に尖った、それぞれの方向の道路の行き先を示す横長の青い標識板が付いていて、標識板のポールの周囲には、カウボーイハットを被ったジーンズの太った中年男性や、紺色のベースボールキャップを被って水色の長袖シャツを着た痩せて背の高い口髭の若い男や、ブックバンドで縛った教科書とノートらしい大判の冊子を両手で抱くように持つ眼鏡を掛けた女の子など、多少は都会的な雰囲気のする人々が十人以上、思い思いに立ち並び、交差路でバスが停車すると、車内のあちこちで、掛け声なのか溜息なのか分からないような声を上げて、幾人かの乗客が床の荷物を持ち上げたり、網棚から荷物を下ろしたりして、乗降口と後部の非常扉から降りていき、入れ替わりに、標識板の周りに立っていた男女が乗り込み始め、その間に僕は、高さに多少差を付けてポールへ互い違いに付けられた横長の標識板のアルファベットを読んでみたが、スペイン語ともヨーロッパ言語とも異質な、原住民語の地名をアルファベット表記したもので正確な発音の仕方が分からないでいて、バスを降りた客達が道路標識のポールへ歩いて行くのが見え、そこで別方向へ行くバスを待つらしく、停車していたのは二、三分だったが、車内は空気の流れが止まって、湿気の多い、うだるような空気が車内に籠り、服の下は汗が染み出して、運転手は足元へ唾を吐き出すとクラッチを入れ、ガキっという、ギアが切り替わる派手な音と一瞬の振動が床の下から伝わって、バスがまた走り出し、運転手は一気にエンジンを噴かしたが、エンジン音の大きさ程は加速できず、それでも運転手はアクセルを強く踏み込み、すぐにクラッチのギアを上げ、回転軸が半ば空転したような、ガラガラガラという音を立てたが、何とか失速せずに低速のまま、少しずつ加速はしていき、後部の非常扉はきちんとロックされていなかったらしく、空気の流れを受けてバタン、バタンと開閉し始め、最後部座席にいた男性が腕を伸ばして取っ手を掴み、扉を閉じて取っ手を捻ってロックし、高速で走る振動の強いバスの車内では、Tシャツの若い車掌が通路に立って、肘と膝を座席の端へ引っ掛けて足を踏ん張りながら乗車賃を徴収していて、Tシャツの車掌は右手でレンピーラ紙幣を受け取り、左手に握った集金済み紙幣の束から、お釣り分を数えて抜き取って乗客へ右手で手渡し、確認のためか、左手のよれよれの紙幣の束を整え、紙幣の縒れをきっちり伸ばしてから、一歩進んでまた肘と膝を座席の端へ引っ掛けて身体を固定する、という作業を根気強く最後尾座席まで続け、外は一面、雑草の緑の荒れ地が続き、灌木が疎らに立って、道路近くに時々、基礎部分のレンガだけ残った住居の間取りを偲ばせる痕跡が、雑草の緑の中から突然現れては後方へ去り、昔は農家があって牛を放牧していたのかもしれないが、その時は雑草で荒れた無人の土地で、僕の隣席も前後の座席へも、ホンジュラス人は誰一人座ることはなく、一応、周囲を見回してから、両脚の上に乗せていたバックパックを隣席へ下ろし、快速運転をしている間のバスの運転手はご機嫌で、ステップで床より一段低くなった右側の乗降口に立ってフロントガラスへ寄り掛かったTシャツの若い車掌へ、横を向いたまま、陽気に何か軽口みたいなことを大声で喚き、若い車掌が頷いてはいたが、エンジン音で良く聞こえてないのか、曖昧な表情で何も返答は返さず、喋りながらも運転手は唾を足元へ吐くのは止めず、バスが客を乗せるのは、十字路や分岐路だけでなく、停留所の表示どころか人家もない雑草繁る道路脇に立って、手を挙げてバスを止める利用客もいて、一度、運転手が見落としたのだろう、後部座席に座る乗客が声を上げて運転手へ知らせ、後方からワンピースの中年女性が二人追いかけてきて、急ブレーキでも間に合わず、五十メートル近く行き過ぎて、バスは多少バックして戻ったが、車掌が開けた後部の非常扉から息を切らせた顔のよく似た二人が乗り込んで来たということがあり、アスファルト道路は途中から山越えルートとなって、山の形状に沿った起伏とカーブばかりで運転手は口数が少なくなり、前を見て運転してはいたが、唾を足元へ吐き出すのは止めず、アスファルト道路は両側を山の木々に囲まれていて、所々、無舗装の脇道への分岐路があって、そこでもバスは停車し、降りる乗客はいなかったが、新たな客が乗り――思い出したのは、分岐した無舗装の土の路面にタイヤで削れた二本の筋がはっきりと、木々に囲まれた道の先まで伸び、路面の土が掘り取られたように、地中の大石が剥き出しになった小穴が幾つもあったことで、アスファルト道路の左側の道路脇には、反対方向へのバスを待つ人々が強い太陽光の照り付ける中、ほとんど身動ぎもせず座り込んで僕が乗っていたバスを見ていて、カウボーイハットを被った、黒々と日に焼けた顔をした小柄な年配の男性が、土の汚れが目立つジーンズの膝の上に黄緑色の革製の鞘に納めたマチェテを置いて、機械油か何かの一斗缶を椅子代わりに座った姿が、なぜか僕の目を引き、無舗装の脇道を少し入った所に、錆の目立つ赤いアメリカ製ピックアップトラックが一台、草地に片方のタイヤをはみ出して駐車していて、運転席には、丸いハンドルへ両腕と顎を乗せてバスをじっと見ている浅黒い太った中年男性が居て、そのピックアップトラックは、何ヵ月も後になって僕も利用することになる、無許可の個人タクシーみたいなものだったはずで、ピックアップトラックの屋根のない剥き出しの荷台へ、山の奥の村へ行く乗客を荷物と同じように乗せ、凸凹の道をバウンドしながら往復していたのだろう……バスが停車している間は、やはり蒸し暑かったはずで、脇の下が汗で痒くなって、半袖Tシャツの袖の中に手を突っ込んで、交互に脇の下を掻き、額を流れる汗を拭いたりしたんじゃないだろうか?
そんな、いつまでも続きそうな田舎の光景が終わったのは、およそ一時間ほどの山越えが終わってバスが平地へ出てからで、草木が疎らで不毛な、遠くに山が見えるだけで見渡す限り地肌が剥き出しになって何もない、真っ直ぐアスファルト道路が伸びているだけの更地の中を、乗降する人もなくバスは進み、ただ、いつの間にかアスファルト道路は幅が広くなり、白線で左右の車線がはっきり分離された二車線道路に変わっていて、次第に、道路際に細いポールの道路標識が増え始め、アメリカ製の中古乗用車やピックアップトラック、輸送トラック等が左車線を頻繁に擦れ違って行くようになって、バスの前後にも車両が途切れることがなくなり、渋滞と言うほどではないが、バスは前の車と追突しないぎりぎりの距離を取って、常識的な速度で走るようになった。道路に沿って電柱が増えてきて、何もない更地のずっと奥にも電柱が散在し電線で繋がっていて、トタンを打ち付けて作ったような、庭や塀のない粗末な小屋が道路に沿って疎らに現れ、景色が少しずつ、都市文明へと近付いている気配を漂わせ始めた頃、窓の外はまだ更地が続いていたが、アスファルト道路が渋滞し始め、バスはとろとろと低速でしか進まなくなり、トタン小屋の家――おそらく違法建築だろう――が何軒か立ち並ぶ左車線側の道路際で、チョコレート色のメスティーソの幼い子供達が四人、道路へ石を投げては喜び、はしゃいでいるのが見えてきて、石を投げる度に、四歳くらいの男児は通り過ぎる車へ唾を吐き掛け、同じくらいの年齢の女児は何か悪態を吐き、八歳くらいの男の子は通り過ぎて行くだけで反撃してこない自動車を嘲笑し、六歳くらいの女の子は奇声を発してアフリカ狩猟部族のように飛び跳ねて踊り、親達の持つ社会への不満を子供なりに代弁していたのかもしれないが、バスが右車線側で子供達の前を通り過ぎる時、偶然だろうが、鼻の平べったい女児と目が合ってしまい、女児は一瞬、口を大きく開けて呆気に取られ、それからすぐに、珍獣を見つけたように興奮し、奇声を発しながら、通り過ぎたバスの後ろから何度も石を投げてきた。
バスが長い停止と僅かな前進を繰り返し、アスファルト道路が明らかな渋滞となって、窓からの風が止まり、うだるような蒸し暑さ――空気自体が熱を持って身体に纏わり付いて、振り払うこともできない――で汗が流れ落ち、不完全燃焼の黒煙が混じる排気ガスの滞留した空気を吸わねばならず、誰にも転嫁できない不快感を我慢できなくなり、何か事故が起きたのか、道路工事でもしているのか確認しようと――確認できたからといって、現状打開ができるわけではないので無意味な行為ではあったが――座席の通路側へ少し身体を寄せ、フロントガラスを通して、アスファルト道路の前方を見た。フロントガラスの右端の方に、赤い三角の金属板へ"TOPE"と白い文字で書かれた道路標識が、道路際に立っていて、その時は何の意味だか分からず、バスの数台前辺りを行く、へこみだらけの古い車――1980年代当たりのアメリカ大衆車ではなかったか――が徐行速度で何かに乗り上げ、大きく弾むように上へ跳ねて進み、続く小型ピックアップトラックは、荷台に古タイヤや白いペンキ缶や錆びた大型機械用部品などを雑然と積んでいて、やはり大きく上へ跳ねて、荷物は荷台から落ちなかったが、がしゃん、と重い鉄の部品が荷台で倒れて派手な音を立て、バスも行儀良くそろそろと進み、赤い三角の道路標識の横を通り過ぎる時、前輪が乗り上げて車体が浮いたような浮遊感がし、次いで、重力で下へ落下し、タイヤが地面へ着地する振動がして、バスの車体全体が軋むように揺れた。僕は前の座席の背凭れを掴んで対処したが、後輪のことは全く思い付かず、安心して手を離した時に、いきなり車体の後部が持ち上がる振動が起こって落下し、一瞬、座席で身体が宙に浮き上がった。バスの運転手は唾を、なぜか窓の外へ吐き出し、アクセルを踏んで加速した。窓からの風を受けながら、やっとバスがスムーズに走り出したことに安堵していると、予兆もなく突然、窓の外の何もなく見通しの良い更地が、コンクリートブロックの薄灰色の壁の平屋が建ち並んで不完全燃焼の排気ガスで黒く煤けた風景へと、瞬時に切り替わり、ずっと真っ直ぐに続いていたアスファルト道路は、整備されてるようで、何かとごちゃごちゃした、発展途上国の都市の道路網へ吸収され、周囲は日本のドヤ街と雰囲気が似た、長屋横丁のような安普請の薄汚れた平屋ばかりがずっと連なって密集していて、都市の圏外と圏内という、まるで異界への見えない膜を通り抜けたような、突然の世界の変貌に呆気に取られ、すぐには、都市のスラムのような一画をバスが走っているのを呑み込めないでいたが、道路際で交通の僅かな切れ目を狙い、道路を好き勝手に、すれすれで横断していく町の歩行者を至る所で目にし、空気には車の排気ガスだけでなく、生活排水の臭いが混じるようになって、国境から首都へのルート上に町があったことを思い出した。
バスが四車線の市街道路へ入ると、あちらこちらで、やたらとクラクションが騒々しく鳴っていて、左隣の車線で赤いコカ・コーラの配送トラックが追いつ追われつのように、しばらく並走して走り、町の風景が様変わりして、バスの外はどこを見ても人と車で溢れて、赤、黄、青の極彩色を使った、飲料水やタバコ、家電製品の描かれたペンキの大型看板が、市街道路に沿ってどこまでも続き、クラクションが耳慣れてしまうと、ジャングルの中で動物の鳴き声が歌声の不揃いなコーラスみたいに溢れている感覚になってきて、さらに進むと、道路沿いにはコンクリート壁の倉庫のような屋根の高い建物が続き、倉庫風の建物の出入口付近には、建物毎に違う商品――金物だったり、建設資材だったり、給水器用のガロン容器のミネラルウォーターだったり、ペンキ缶だったり――が無造作に積まれているのが見え、建物の出入口の上や横に掲げられている看板の文字を、スペイン語のレッスンの時のように、「コメルシオ」、「フェリェテリーア」、「マテリアール」、「ピントゥーラ」、「アグリクルトゥーラ」などと声に出して読んでみて――発音はほとんどアルファベット通りに日本語の発音で読めばよく、意味の分からないまま読むことはできて――車線の外の両端には道路の余幅が確保され、荷物を積み込む大型トラック、ピックアップトラック、古びたアメリカ製乗用車などが隙間なく路上駐車して、積み込み作業をしているものもあり、そんな問屋街のような通りがしばらく続き……渋滞、路上駐車、強引な割込み、クラクション、不完全燃焼の黒煙、極彩色をふんだんに使った大型看板などが入り乱れて、バスは、雑草の緑の荒れ地を疾走した時のような気儘さはなくなって、都市の交通の流れに合わせて進んだり止まったり、信号で荒っぽく停止し、町の中へ入ったら、運転手は口数が少なくなったが、窓の外へ唾を吐き出すのは止めず、僕が溜息を吐いた後のように大きく息を吸った時、不完全燃焼の排気ガスを肺へ吸い込んでしまい、立て続けに何度も咳が出て、ひどく咽てしまった。
そのバスは、中南米のどの国のどの町にもあるはずのセントロへ向かっていたはずだと思うが、なぜか途中で、セントロへ真っ直ぐ繋がったメインストリートと思われる四車線道路から外れ、交通量が少なめの二車線線道路へと左折した。特に目立った特徴のない――歩道が車道より、人間の股下くらいに高くなっていたこと以外は――建物も道も砂埃に塗れて寂れた感じのする地区へ入ると、バスは急減速して右端の余幅へはみ出し、高くなった歩道の横ぎりぎりを、後続の車に抜かれながら低速で進み、Tシャツの若い車掌が右側の乗降口の扉を勢いよく開いて、バスから扉の外へ身を乗り出すと、「ア・カピタル! カピタール!」と節を付けて力強く声を張り上げ、左腕を横へ伸ばして、バスの床の高さと変わらない歩道を歩く人々へ問い掛けるように手を軽く上げ下げし、僕には右の窓の外の平行した高さで、日焼けしたような顔のYシャツの男性やチョコレート色の顔のブラウスの女性などが、バスと並行して歩いているように見えて、バスは同じような区画の角を何度も左へ右へ曲がり続け、Tシャツの車掌は相変わらず腕を外へ大きく伸ばして、「ア・カピタル! カピタール!」と節を付けて声を張り上げ続け、何か堂々巡りのような、目的地へ向かって進んでいる感じがせずに時間だけが過ぎていって、どうも同じ地区を何度も周回して、乗客を集めているだけではないかと思い始めた時、バスが急停車した。それほどスピードはなかったはずだが、前座席の背凭れへ軽く顎をぶつけ、「ベンガ! ベン、ベン」とTシャツの車掌の急かす声が聞こえた。Tシャツの車掌はバスの外の一段高くなった歩道の上に立ち、右腕全体を使って手招きしていて、バスが少し通り過ぎてしまったらしく、バスの右側の後方から、女性の甲高いスペイン語の何か文句を言っているような声が近付いて来て、「アー、ヤッ! ウィー」という掛け声と共に、息を弾ませて乗降口から入ってきたのは、教科書らしい大判の本を抱えた、黄色地のTシャツとジーンズの、太って背の低い、濃いチョコレート色の顔の女の子で、バスはまた何度も周回しながら、もう一人乗客を乗せ、バスが別の道路へ入ると、Tシャツの若い車掌の晴れ舞台は終わり、乗降扉を閉めて、そのまま一段低い乗降口のステップに立って、フロントガラスへ寄り掛かった。
バスは別の地区の渋滞気味の道路を、信号で律儀に停止しながら走っていて、生活に密着した庶民の店や極彩色の大型ペンキ看板はもう見当たらなくなり、道路沿いに見えたのは、ガラス張りのショーウィンドーのあるデザイナーズ・ブランドの婦人服店、壁がレンガ調タイル貼りのオフィスの建物、南欧風かカリブ海風を意識しているらしい、薄い水色の壁に四角い小窓のある瓦屋根のレストランなどで、整然としてはいるが地方都市にありがちな、中途半端な都会性を纏ったオフィス街か繁華街の雰囲気へ変わり、運転手は窓の外へ唾を吐かなくなって、僕は黒煙がもうもうと漂う道路上の空気を肺へ侵入させないよう、浅い呼吸を心掛けながら、窓の外の都市の風景を漫然と眺めていると、突然、道路が終わって建物のない広場のような空間が開け、がたがたとバスの車体がひどく揺れて、前の座席の背凭れの角を掴むと、窓の外には、閲兵式ができそうな広い開けた敷地の中央に緑化の花壇に囲われた区画が見え、石畳に似せた薄い黄緑色のコンクリートタイルが路面に敷き詰められていて、地盤沈下のせいか、自動車のタイヤに踏み割られたためか、至る所に窪みや割れ目が目立ち、車線がないので、車は大まかに緑化の花壇で囲われた区画を中心にして、右側と左側へ別れて擦れ違いながら走っていて、バスは振動で車体を激しく軋ませながら低速で進み、花壇に囲われた区画をぐるっと回り込んで行き――中央の区画の反対側は緑化の花壇が途切れて、公園の入口らしい数段だけの白いステップがあって、奥に中世風の噴水が見えた――バスは広場のコンクリートタイルの路面の右端へ車体を軋ませながら寄って行き、百年以上は歴史がありそうなレンガの壁の古典的な建物が並ぶ、人が集まって立っている歩道際へ横付けすると、運転手はエンジンを切り、バスの微振動も止まって、一瞬の静寂で、時間が静止したような妙な感覚になり、座席から乗客が立ち上がって、何人かは伸びをし、前の乗降口の方、あるいは後部の非常扉の方へ、荷物を持って通路を歩き出して行って、乗降口のステップを降りていく人の列が終わると、バスの乗降口の外から弾むようなイントネーションのスペイン語――意味は分からなかったが、女の子同士のお喋りの声――と共に、女の子が乗降口のステップを上がって来て、後ろから別の女の子から声を掛けられ、振り返りながら、「いやよー」みたいな感じの言葉を返し、後部の非常扉からも通路の床を踏む靴音が聞こえ、乗降口から最初に乗車した女の子は、ブロンドのポニーテールで純粋な白人ではないが色白の顔をしていて、次に続いた女の子は、ブラウンのショートカットの髪の毛をメッシュに染めた薄茶色の顔で、二人は同じ半袖の白いブラウスに紺色のタイトスカートを着ていて、前から二番目の左側座席へ二人並んで腰掛け、乗降口からは途切れなく乗客がステップを上がって来て、前から席を埋めていき、通路を連なって奥へ歩いていく新たな乗客達は視線を巡らせて空いた席を探していて、僕はマナーを思い出し、右隣の席に置いていたバックパックを脚の上へ持ち上げて、胴の所に二本線の青の横縞のある白いニットシャツのお腹が、まるで樽のように膨らんで突き出た中年男性――日焼けしたような薄茶色の手首に金メッキの腕時計がきらきら光っていたのを憶えている――が、バックパックを抱くようにして座る僕をじっと見ながら、子供サイズのスクールバスの狭い通路を蟹の横歩きのようにして通り過ぎて行って、バスの座席はすぐに満席状態になり、乗客は通路で自分の立ち場所を確保すると、手を伸ばして荷物棚の細い鉄パイプを掴むか、座席の角を掴み、狭い通路には大人が一人立つだけで横幅一杯で、後から乗ってきた乗客は、通路に立つ乗客と背中を擦り合わせるようにして奥へと通って行き、通路に人の壁ができるほど立ち並ぶようになっても、僕の隣だけは誰も座らず、空席のままだった。
身体の正面で抱くように両脚の上へ置いたバックパックは、ナイフでも簡単に切れない厚手の合成繊維製であるだけでなく、ジッパーが錠前を取り付けて隙間なく閉じることのできる防犯仕様で、一週間分の衣類、薄手のジャンパー、歯磨きや髭剃りの日用品、ペンチや栓抜きにもなるアーミーナイフ、ガイドブックが数冊、アメリカドルの現金とトラベラーズチェック、その他の細々とした小物を詰め込んだため十数キロの重みがあって、子供サイズの座席の弾力のない硬い座面で身動きできない臀部と太腿を上から挟み込むように圧迫し、隣の席へ誰も座らないのならバックパックを下ろしたかったが、通路に大勢の乗客が立ち並んでいるのを見ると妙に気が咎め、エンジンを切って停止したままのバスの車内は、開いた窓からの風がなく、四十人以上はいる乗客の発散する体温も加わって、空気が籠って独特の体臭が鼻に付き、額から汗が流れ、両脚は痺れ始めて、早く出発してくれ、と叫びたくなったが、スペイン語で言わないと伝わらないと思うと、結局、黙っていた。
僕がそんな状態でいた時、乗降口から狭い通路を、半身で頭を低めた前屈みの姿勢の薄灰色の背広の男が通ろうとして、通路に立つ乗客達が、それぞれ座席の横へ貼り付くように身体を寄せるのが見えた。男は上唇に横長の濃い口髭を生やし、濃いチョコレート色の顔の白い眼をぎょろぎょろと動かして、座席や通路のあちこちへ顔を向けながら一歩ずつ通路を進もうとしていて、通路の乗客達はウェーブのように順番に、身体を反らしたり捻ったりして男を通そうとしていたが、乗客が通路の左側へ寄って右側を空けても背広の男はそこを通ろうとせず、無理矢理、通路の左側へ身体を強引に捩じ入れて進もうとし、乗客達は迷惑そうな顔をしてはいたが、通路の右側へ寄って男を通していた。その男は、生地は安っぽいが型崩れのない背広の上着の内懐へ、右腕を曲げて左胸か左の脇下辺りへ右手を差し入れて、左手にアタッシュケースを持っていて、右側の窓の外の人通りへも鋭く目を配り、突然、頭を低めたまま動きを止め、右側の窓の外を、おそらく駆け足で人がバスの近くを通り過ぎて行ったのを目で追い、その間、頭を低めて背広の内懐へ右手を差し入れた変な姿勢を崩さずに息を潜めていて、きょろきょろと周囲を確認してから、また人の陰に隠れるようにして通路を進み始め、ビア樽のように太って、ブラジャーのバンドと余った肉の形がTシャツから浮き出たジーンズの若い女性の背後を、身体を擦るようにして通り過ぎようとしたが、女性の臀部と座席の角へ、左手に持った銀縁の黒いアタッシュケースが引っ掛かり、男は慌てて左腕を強引に引き寄せてアタッシュケースを引き抜き、太った女性はラテンアメリカのスペイン語圏でよく耳にする独特のアクセントで、「ウウーイ!」と声を上げ、それから背広の男へ何か文句を言ったが、男は気にする様子もなく、頭を低めた姿勢で通路を奥へ進もうとし、女性もすぐ何もなかったように捻っていた身体を元へ戻した。背広の男は、僕の座席の横まで進んで来ると、エアポケットのようにぽっかりと誰もいない空席があるのを見て、びくっと震えるように驚いて足を止め、濃いチョコレート色の顔の白い眼で僕を見て、それから、罠が仕掛けられていないか探るように、身を固くして中腰のまま、頭をゆっくり回転させながら周りを見回し、それからまた空いた席を見て、次に僕の顔をじっと見つめて、何か考え込む真剣な顔をし、僕はただ、背広の上着のボタンを外した、目の前の男の薄い水色のYシャツの襟首に掛け回したシルバージュエリーのような留め具から、二本の太い長紐が首から下へ、腹まで伸びているのを奇妙に思っただけで――ループタイというネクタイがあるのを、その時は知らなかった――男は右手を背広の内懐へ差し入れたままで、七三分けの黒髪は散髪してきたばかりのように乱れがなく、横長の口髭の太さと濃さが、古い西部劇のメキシコ人ガンマン役の俳優を思い出させ、こんな蒸し暑いのに背広を着ていることを怪訝に思い、僕をじっと見つめる背広の男の顔を見返すと、目が合って、男は濃いチョコレート色の顔に白い歯を見せて、にっと笑い、身体を横にして座席に足を入れて、素早く僕の隣へ腰を下ろし、さらに奥へと、僕を強引に背中で押し込むように身体を捩じ込んできて、僕はバックパックを脚の上に抱えたまま窓側へ押し付けられ、男は左手に持った、使い古された銀縁の黒いアタッシュケースを片膝に乗せ、それでも右手は背広の左の内懐へ差し入れたままで、通路の前の方、後ろの方へと交互に何度も顔を向け、男はゆっくりと正面へ身体を向け直し、通路へ出ていた右足を座席へ収めると、両膝の上へアタッシュケースを立てて置き、僕が見たのは、銀色に光る、左手首とアタッシュケースの取っ手を繋ぐ金属の手錠で、男は背広の上着の左脇辺りへ右手を差し入れたまま、僕に目配せのようなウィンクをして、にっと笑い、背広の男は僕へ何かを伝えようとしていたかもしれないが、目配せのジェスチャーにも民族差や文化の相違があるためか、僕には何も伝わらず、前の座席の方で誰かが大きなくしゃみと同時に、「ウハーウ」という大きな声を出すと、背広の男は隣でびくっと右手を左脇から引き出す動作をして狭い座席の中で腰を浮かし、背広の男の上着の襟が大きく捲れて開いて、僕の顔の高さで背広の内側の左脇が露わになり、ホルスターで吊られた、ルガーかモーゼルのような年代物の旧式拳銃が、右手で握られているのを見た。
バスの左側の窓からは、凸凹ばかりのコンクリートタイルの広い路面の先に、花壇で囲まれた公園が見え、その先の、広場の反対側にある木立の隣に、高い屋根の先端に十字架が付いた白亜の壁の大きな建物があって、イグレシアなのか、カテドラルなのか、スペイン語の「イグレシア」と「カテドラル」にどういった違いがあるのか僕には判然とせず、細長く塔が尖っているのがイグレシアで、いくらか丸みのある横幅の広い建物がカテドラルという風に、自己流に区別していて、その大雑把な定義ではカテドラルに該当する建物が広場に面して立っていて、中央公園があって、教会があるということは、バスが停車していた場所は典型的なセントロということになるが、しかしメキシコではそういう場所はセントロではなく、ソカロと呼ばれていた気がして、これもイグレシアとカテドラル同様に僕には区別が判然とせず、とにかく、拳銃男が現れたのは、そのセントロでのことで――そう言えば、どこのセントロも教会の裏か隣に、必ず警察署の建物がセットになって立っていて、警察で拷問死した遺体を教会へ通ずる秘密の地下道で運び出すためだ、と薄笑いしながら僕に話した人物がいたのを思い出したが、それはまだ何ヵ月も後のことなので、そのセントロに警察署らしき建物が傍にあったかどうか、注意して見ることはなかった。
バスは来た時とは別の経路を通ってセントロから町の外へ出て行ったが、その辺りのことを、なぜかほとんど憶えていない。思い出せるのは、日に焼けたような薄茶色の三人の若い女性が狭い通路で立ったまま身を寄せ合うようにして、バスのエンジン音と道路のクラクションの騒々しさに負けずお喋りし、FILAのロゴのスポーツキャップを被った黒いTシャツの男が通路の天井へ精一杯高く右手を伸ばし、天井の鉄の握り棒を掴んで必死にバランスを取っていたが、バスが大きく揺れると掴んだ手が外れ、軽く背伸びしてまた天井の握り棒を掴む、ということを繰り返して、そんな乗客で溢れた走行中のバスの狭い通路の間を、左手にレンピーラ紙幣の束を握って、通路に立つ乗客一人一人から乗車賃を徴収し、座席に座る客へは通路から身体を傾けて右手を一杯に伸ばして紙幣を受け渡ししながら、通路の乗客と身体を擦り合わせるようにして一歩ずつ根気よく進んでいくTシャツの若い車掌が、拳銃男が見えていないかのように素通りし、もっとも、拳銃男の左手は金属の手錠でアタッシュケースに繋がれ、右手は背広の内懐で拳銃を握っていて、お金を取り出すことなどできなかっただろうが、まるで僕にしか見えない幽霊だと思ってしまいそうなほど、誰もが拳銃男に無関心だった。
町の外へ出てからは、ずっと先にある首都へ通じているはずの木立に囲まれた真っ直ぐなアスファルト道路が続き、建物がほとんど無くなって、信号も無くなり、バスは快調に疾走し、窓の外にはトウモロコシ畑、ガソリンスタンド、屋台の小屋が何軒か並んだドライブイン代わりの空き地などが、視界へ現れては消えていって、反対車線では、荷台に人を乗せたアメリカ製ピックアップトラック、旧型のアメリカ製乗用車、『SCHOOL BUS』という英語の文字もそのままの黄色い塗装の路線バスなどが逆方向へ擦れ違って行った。僕は重いバックパックを脚の上に抱えたまま座席に座っていて、疾走するバスは満席で通路に乗客が立ち並んでいた。拳銃男は通路からできるだけ距離を保ちたいのか、子供用の二人座席で窓側の方へ、ぐいぐいと強引に身体を押し入れてきて、僕の右肩、右肘、右腿が密着して、拳銃男の体温が伝わり、汗の混じった獣っぽい体臭が臭い、バックパックを支える腕を自由に動かす余地さえなく、拳銃男は左内懐のレトロな拳銃へ右手を掛けたまま、相変わらず顔をあちこちへ向けて警戒を怠らず、僕は拳銃男の膝の上のアタッシュケースと金属の手錠が、ひどく気になった。アタッシュケースを強奪しようとする人間が現れたとしたら、確実に銃器を持って襲ってくるはずで、座席の奥へ押し込められて動くことのできない僕は、一緒に銃撃されることになる。拳銃男を見つめ続けるのを止めて一旦前を向くと、前の座席の中年男性の後頭部が目に入った。側頭部に白髪が多く目立ち、黒いTシャツの首回りが脂肪で盛り上がって、痣のようなホクロから数本の太い毛が生えているのを眺めながら、打開策のようなものを考えてみたが、基本文法を終えただけで、こういう場面で役立つようなスペイン語をまだ習っていないため意思疎通は難しいと思われ、それ以前に、拳銃を持った男へ何をどう話し掛ければいいのかという問題があり、また、武装した男を力ずくで座席から追い払うのも現実にはできそうになく、結果、何もできない、という苦い結論へ到達することになった。
町から程々に離れると、道路際の空き地や細い分岐路などで、セントロで乗車した客が少しずつ降り始め、一時間もしない内に、通路に立つ乗客はいなくなり、座席も幾つか空いた。拳銃男は空いた座席へ僕の隣から移動しようとはせず、僕を座席の窓側へ、まるで監禁か、人質のように押し込め続け、銀色に光る手錠で左手首に繋がれた銀縁の黒いアタッシュケースを膝に立てて置き、右手を背広の左内懐へ差し入れて、通路の前後へ首を巡らせていて、僕は身体が火照るような感じがし、脱水症状か、熱中症の初期症状だったのではないかと思うが、頭がぼうっとしてきて、背広をずっと着込んでいて熱くないのだろうかと、僕は心配したというのではないが、気になった。代り映えしない風景の中を、小さな畑と土壁の一軒家、屋台小屋がぽつんと立つ即席ドライブインのような空き地、ガソリンスタンド――などが時々、窓の外を流れ過ぎていって、急減速した反動を感じたのと同時に、バスは右へ急ハンドルを切って、アスファルト道路からバウンドしながら広い空地へ乗り入れていって、バックパックが跳ね上がって軽く顎に当たり、バスは乾涸びた地面が剥き出しになった、空き地の中央辺りで停車した。空き地には道路際に屋台小屋が立つだけで何もなく、空き地の奥の方に使い込まれた旧式のバス――スクールバス・タイプではなかった――が乗降口の扉を開いたままエンジンを切って駐車していて、旧式バスの周りに散らばった人々がこちらを見つめて立って、何人かは既に荷物を持って歩いて来ているのが見え、こちらのバスから乗客が前の乗降口と後部の非常扉から降りていき、黄土色の地面の空き地は乗り換え場所らしく、代わりに空き地にいた人々がバスへ乗ってきて、拳銃男は緊張した面持ちで、通路の前後へ頭を忙しなく動かし、僕をまた窓側の方へ押し込むように強引に身体を押し付けながら、背広の左内懐の拳銃を握り直す動作をし、僕は拳銃が暴発しないだろうか、と、ぼうっとした頭で他人事のように考えた。
Tシャツの若い車掌は運転席の横のダッシュボードへ腰掛け、背を後ろへ反らしフロントガラスに寄り掛かって、真面目な顔で通路の様子をじっと見ていた。新しい乗客達の位置を把握するためだったかもしれない。Tシャツの車掌の右にある乗降口のステップの下から、頬がぷくっと下膨れした薄茶色の若い女性の顔が、ぬっと現れ、そのままステップの途中で立ち止まった。黒髪を後頭部で平べったく白いヘアピンで結わえた、肩までしか見えない下膨れ顔の若い女性は、一度、車内の通路へ顔を向け覗き見るようにしてから、Tシャツの若い車掌へ向かって何か言い、若い車掌は左側の運転席に座る太った黒人系の運転手へ訊ねてから女性へ頷き、下膨れ顔の若い女性はステップの下の方へ身体を向け、下にいる誰かへ話し掛けてから、何か重そうな荷物を両手で持ち上げる動作でステップを一段一段上がってきて、床から一段下のステップで立ち止まると、底が浅く、洗面器とバケツの中間みたいな中途半端なサイズの水色のポリバケツの取っ手を両手で握って力一杯引き上げて、通路の床へ置いた。続いてステップの下から、やはりぷくっと頬の膨れた若い女性の上半身が現れ、原住民系の血が濃いらしい二人の女性は低い背丈に比べて横太な身体をしていて、白い半袖Tシャツからブラジャーの形がむちっと浮き出し、腰巻きエプロンを着けて、ポリバケツを持ち込んだ女性は太い脚に、はち切れそうな黒いスパッツを穿いていた。通路の床のポリバケツから、王冠の付いた炭酸飲料の瓶の口が数本、透明なビニール袋の束、橙色の極太ストローの束が覗いていて、二人の下膨れ顔の女性――姉妹かもしれない――は、ステップでそのまま段差をつけて並んで立ち続けた。またすぐにバスがバウンドしながらアスファルト道路へと戻り、舗装された道路を走り出すと、Tシャツの若い車掌が通路をまた根気よく、新しく乗った客から乗車賃を徴収していったが、やはり背広の左内懐へ右手を差し入れた拳銃男が見えていないかのように無関心に通り過ぎた。乗降口のステップに立っていた下膨れ顔の腰巻きエプロンの女性は、車掌が最後尾まで達して乗車賃を集め終わったのを見届けてから、床の水色のポリバケツの上縁を両手で掴むと一気に左肩へ持ち上げて担ぎ、乗車口のステップを上がった所にある、通路脇の鉄のポールを掴んで通路へ上がると、左肩のポリバケツの位置を少し直して、唸るようなエンジン音で走行中のバスの揺れの中でバランスを取って、車内に響き渡るように、「ガシオーサ!」と節を付けて声を張り上げ、座席の角を片手で掴みながら慎重に足を踏み出すと、また、「ガシオーサ!」と声を張り上げるという風に、座席の角を順番に掴みながら、ポリバケツのコーラやオレンジ色の炭酸飲料の瓶口の下には氷が入っているらしく、重たそうな挙動で通路を進み出した。イングリッドから習ったスペイン語の発音だと、炭酸飲料は「ガセオーサ」という発音だったはずだが、この国の訛りなのか、イングリッドの方が訛っていたのか、あるいはこの下膨れ顔の女性が独特の節回しで連呼するうちイントネーションか、アクセントの関係で「セ」が「シ」に変化してしまったのか――とは言っても、中米で耳にする「セ」も「シ」も日本語の発音とは違う、息を吐き出す空気音が混じった音なのだが、ポリバケツを担いだ女性が通路の座席を三列ほど進んだ時になって、乗降口のステップに立っていた、もう一人の下膨れ顔の女性――紺色スカートに腰巻きエプロンを着けた、ガシオーサの女性を一回り小柄にしたような体形――が、「フリトス! プラタニートス!」と節を付けた声を張り上げ、同じように座席の角を掴みながら通路を進み出し、肩に乗せた青色のプラスチック洗面器には、新聞紙の小片を折って作った紙袋へ小分けにした、バナナを輪切りにスライスして油で揚げた手製の揚げ物――バナナ・フライチップスとでもいうのか――を、新聞紙を敷いた上に並べて置いてあって、左右両側の座席へ交互に、座席の乗客一人一人へ、「フリトス!」、あるいは、「プラタニートス!」と呼び掛けながら洗面器を斜めに傾け、商品を見せていった。
ポリバケツを肩に担いだ下膨れ顔の女性が僕と拳銃男の座席近くまで通路を進んで来ると、拳銃男は右手を背広の内懐へ差し入れたまま物売りの女性を迷惑そうに見て、座席の奥へ身体を引っ込めようと僕をさらに窓側へ押し付けた。ポリバケツを支えるために上げた下膨れ顔の女性の左腕のTシャツの脇下が汗で濡れているのが見え、左肩のポリバケツの表面には引っ掻き傷のような、ささくれが多く目立っていた。下膨れ顔の女性は左右の座席へ交互に目を向けて乗客の反応を見ながら、時々、節を付けて声を張り上げ、ゆっくりと通路を進んでいたが、僕と拳銃男の座る座席へはなぜか目を向けず、僕は暑さで熱っぽくなった爆発しそうな頭で、「コーラ」と呼び掛けたが、喉の渇きで思ったほど強い声が出なくて、下膨れ顔の女性は無反応で、僕は助けを求めるように、「コーラ! ポル・ファボール」と掠れた声でまた呼び掛けたが、エンジン音に掻き消されたか、無視されたのか、女性は通り過ぎていって、コーラ、コーラ、コーラ、と何度も呼び掛けて、やっと下膨れ顔の女性は振り返り、拳銃男は目を細めて不機嫌に僕を見て、水色のポリバケツを担いだまま女性は、「コーラ?」と僕へ訊き返し、僕が窓際で何度も頷くと、「オンセ・レンピーラス」と言って、通路を戻ってきて、ポリバケツを前の座席の背凭れの上に置き、拳銃男は仰け反るように上半身を引いて、顔を顰めた。下膨れ顔の女性はポリバケツの中へ手を入れて栓抜きを取り出すと、栓抜きの頭の切り欠きを右の掌で握り、ポリバケツから突き出たコーラの瓶口に掌を当てて、王冠が飛ばないよう手首の軽い捻りで栓を抜き、掌の中の王冠と栓抜きをそのままポリバケツの中へ落として、左手で透明ビニール袋を一枚摘まんで束から抜き出し、ポリバケツを左右の肘で挟むようにしながらコーラ瓶を持ち上げ、瓶を傾けてビニール袋の中へコーラを全て注ぎ込み、空になった瓶は逆さにしてポリバケツに突っ込むと、右手で橙色の極太のストローを一本抜き取って、コーラを注いだビニール袋へ挿し入れ、ビニール袋の口をストローに括り付けるようにぐるっと捻って、開かないよう結び付けた。女性は腕を伸ばしてビニール袋入りのコーラを手渡そうとし、その時、拳銃男の目の前に女性の乳房の膨らみが迫って、拳銃男はさらに顔を顰めて、顎を引くような動作で顔を横へずらし、僕は、拳銃男に圧迫されて自由の利かない右腕を引き抜くようにして伸ばし、コーラを受け取った。コーラのビニール袋を、正面に抱えたバックパックが邪魔になりながら、何とか左手へ持ち替え、チノパンの右ポケットへ右手を挿し入れようとしたが、ポケットが拳銃男の太腿と臀部に押さえ付けられていて、財布がどうしても取り出せず、代金を待って僕を見つめている下膨れ顔の女性へ、チノパンの右ポケットが塞がっているというジェスチャーをして、拳銃男を顎で示すと、女性はすぐ状況を察して、拳銃男へ上から何か軽く諭すように言葉を掛け、拳銃男は渋々、身体を少しだけずらし――しかし、拳銃に右手を掛けたままで――僕は財布を取り出すことができ、十レンピーラ紙幣二枚を女性に渡すことができた。女性は油汚れの染みをそのままにした白い腰巻きエプロンのポケットから、くしゃくしゃのレンピーラ紙幣を取り出して、一応平らに伸ばしてから、日焼けしたような小麦色の太く逞しい腕を伸ばし、お釣りを返してきて、僕は財布をチノパンのポケットに何とか捩じ込み、その間、拳銃男は迷惑行為をする乗客を見るような、恨みがましい目で僕を見ていて、下膨れ顔の女性は逞しい小麦色の腕でポリバケツを掴むと、ポリバケツを肩へ担ぎ、「ガシオーサ!」と声を上げてから、また通路を先へ進み、拳銃男は怒ったような顔で女性の背中を見たが、何も言わず、僕はそんな拳銃男を見て、何か愉快な気分になりながらコーラ入りビニール袋のストローへ口を付けると、「キエレ・プラタニートス?」という声と共に、間を置かず、バナナ・フライチップスの小袋を並べた青色の洗面器を僕の目の前に突き出してきて、拳銃男はまた上半身を仰け反らしながら不機嫌な顔をし、僕はビニール袋入りの幾らかは冷たいコーラをストローで吸いながら、首を横に振った。
冷房のない中南米の路線バスの旅では咽喉の渇きは常だったので、いつもは五百ミリリットルのペットボトル入りミネラルウォーターを携帯するのだが、その日の寂れた山中の国境には売店や売り子の類が何もなく、辛うじて、太平洋側の国のイミグラシオン――入出国管理事務所――の前に、電卓を持った両替屋の男が一人立っていただけで、提示したレートは悪くなかったが、電卓で弾き出された二十ドル分の換算金額が少なく感じ、バックパックから日本製のソーラー式カード型電卓を取り出して、提示のレートで計算して示すと、両替屋は「打ち間違えた」というようなスペイン語の言い訳をし、すばやく自分の電卓の機能キーをいくつか叩き、カード型電卓と同じ数値を表示した。噂には聞いていたが、秘密のモード切替機能付きの『計算間違いする電卓』を初めて見たのはこの時で、バスに乗ってからは、下膨れ顔の女性のような物売りを当てにしていたが、それまでのバス旅では、短い区間ごとに乗ったり降りたりが多かったのに、そのバスの乗車中は、この姉妹っぽい二人だけだった。飲み干したビニール袋とストローは、バスの窓から投げ捨てた。今思うと、我ながら随分マナーが悪いと眉を顰めてしまうが、現地の人々が躊躇なく投げ捨てていたので、いつの間にか染まり始めていたのだろう。物売りの下膨れ顔の二人は最後尾近くの座席へ別々に腰掛け、しばらく、「ガシオーサ」、「フリトス、プラタニートス」と声を上げていて、屋台小屋があるだけの即席ドライブインのような空き地でバスが停まった時、降車する客と一緒に乗降口から降りていったのだが、ガシオーサの女性が重たいポリバケツを両手で下げながらステップを一段一段降りていった後、小柄な方の下膨れ顔の女性がステップへ足を掛けると、運転席横のダッシュボードへ腰掛けていたTシャツの若い車掌が女性の肩を軽く叩き、女性は悪戯が見つかった子供のように嫌々振り返って、青色の洗面器からバナナ・フライチップスの小袋を一つ取り出し、車掌へ手渡してから、乗降口のステップへ身体を沈めるようにして降りていった。Tシャツの車掌と太ったバスの運転手が、バナナ・フライチップスを二人で分け合って食べた。
バスはそれからもずっと、建物の稀な、変化の乏しいアスファルト道路を走り続けたが、整地されてない野原の中に、白い掘っ建て小屋が寄り集まったような集落がぽつんと見えては視界から消えていき、道路際には大型板金の看板広告――タバコ、ビール、クレジットカード、炭酸飲料、電化製品など、日本でも知られたアメリカや韓国などのメーカーの商品が多かった――が立ち並ぶようになり、道路の傍には、違法投棄らしいプラスチックや粗大ゴミが積み重なって幾つも山になって、遠くの禿山の急な斜面にチョロヒゲのような立木と、白色や薄い灰色の粗末な家屋が階段状に立ち並ぶのが見えて、窓の外の景色がそれまでと変わり始めたのを感じた頃、草木が生え放題の荒れ地が続いていた道路の左側に、突然、鉄柵で囲われた広い敷地が現れ、保守的なラテンアメリカに似つかわしくない、急角度に尖った三角屋根の教会が立っていて、ベージュ色の板のように平面的な壁、縦に細長いステンドグラスの極彩色の窓が幾つか、入口は縦長のアーチ形の門のような扉――スペイン統治時代からの伝統的コロニアル様式の建築ではなく、装飾を排した前衛的な近代建築で、急角度に尖った三角屋根には、建物の規模と比べてアンバランスに大きい十字架が天空に向かって高く突き立っていたのが印象的で、すぐ視界の後方へ消えていった。宗教には詳しくないが、カトリックではなく、アメリカ系のプロテスタント、あるいは、カルト系の新興宗教なのかもしれず、後になって、エバンジェリコという伝道系のキリスト教が中米で勢力を拡大していることを、イングリッドから聞いたように思うが、二度目の周辺国への旅をした時、中米の幾つかの国で日本のカルト宗教が布教活動をして問題を起こしたとかで、最も入国し易いはずの日本のパスポートなのに、滞在を数日に制限されてしまったことがあった――それはともかく、国境からバスに乗り続けているのは僕だけで、田舎と違って、アメリカや外国からの文化の流入が端的に見受けられるようになり、首都のテグシガルパへそろそろ到着しそうな気配を感じるようになり、相変わらず、拳銃男は背広の左内懐の旧式銃へ手を掛け、僕を座席の窓側へ押し込め続けてはいたが、取り立てて何事もなく……いや、そうではなかった――修道女が乗ってきたのだった。
二人の修道女が、いつバスを降りたのかは思い出せない。首都が近くなる前には居なかったはずだ。バスに乗ってきた時は、とても目立っていた。先に乗降口のステップを上がってきたのは、細身の年配の修道女で、頭に白い長布が背中まで垂れた頭巾を被り、皺が目立つ薄茶色の顔に金属フレームの眼鏡を掛けて、詰襟のハイネックの白いブラウスの上に、生地は薄手のようだが、暑いのに長袖で脛の半ばまである長い丈のワンピース型の白い修道服を着て、頭から足まで白で統一していて、通路に立った時、ゆったり優雅に車内を見回すように顔を巡らせて、にこり、と金属フレームの眼鏡の薄茶色の顔で乗客全員へ微笑み掛け、それを見た、色褪せて黄緑色になったよれよれの半袖ワンピースを着た田舎の主婦らしい太った女性が、座席に座ったまま咄嗟に姿勢を正して十字を切って首を垂れ、年配の白服の修道女は太った女性へ顔を向けて、軽く頷いた。その後ろからステップを上がってきたのは、高校生くらいの年齢の、濃いチョコレート色の顔で目がぎょろっとした大柄な若い修道女で、頭には白布の上に黒色に近い濃いグレーの長布を二重に重ねたような頭巾を被り、栄養が行き渡った子供のような、つやつやと張りのある丸顔で、丸首の白いブラウスの上に頭巾と同じ濃いグレーの長袖ワンピース型の修道服――年配の修道女よりも長い丈のスカート――を着て、皺顔で細身の年配の修道女の背後へぴったりと立って、僕は修道服を着たボディガードみたいだと思ったが、年配の修道女に倣ってか、ぎょろっとした目の濃いチョコレート色の愛嬌のある顔で、にたっと微笑んだ。二人共、厳めしい正装ではなく、外出用らしい動きやすい軽装の修道服で、胸に十字架のペンダントが首からぶら下がり、女の子の方は横幅がまだ成長中でサイズが合わなくなったためなのか、恰幅の良い大柄な身体の厚みを隠せていなかった。白服の年配の修道女は穏やかな微笑を左右へ振り撒きながら通路を歩き、座席で軽く頭を下げる男性や小さく十字を切る女性がいて、微笑みを湛えた金属フレームの眼鏡の顔でそれに小さく頷き返しながら、バスの通路をしずしずと進み、無宗教に近い異教徒の立場としては、レッドカーペットの上を愛想を振り撒いて歩くハリウッド女優を真似ているように見えてしまい、大柄な濃いチョコレート色の顔の若い修道女がぴったりと後ろにくっ付いて歩くのが、何かユーモラスに感じてしまった。しかし、二人の修道女にも拳銃男は見えていないようで、拳銃男と僕の座る座席には目を向けず、無関心に通路を通り過ぎていって、拳銃男も修道女達へあからさまな警戒心を向けることはなかったが、右手を薄灰色の背広の内懐へ差し入れたままで、僕を窓際へ押し込め続けた。
バスは満席ではなかったが、乗客はばらばらに座って誰かしら一人は座席に居て、二人一緒に座れる座席はなく、先に立って歩いていた年配の修道女が振り返って、大柄な若い修道女へ空いた席を指差して二人別々に座る素振りをすると、年配の修道女の近くの右側座席に一人で座っていたTシャツの若い女性が慌てて座席を立って二人へ座席を譲り、三列ほど後ろの座席に座っていた主婦に窓側へ寄って貰い、そこへ座った。金属フレーム眼鏡の年配の修道女は窓側へ座り、濃いチョコレート色の顔の大柄な若い修道女は子供サイズの座席から通路側に大きくはみ出して座った。拳銃男は頻繁に顔を巡らすのを止め、拳銃へ手を掛けたまま前方へ視線を向けていて、その後、空き地や分岐路などでバスへ乗ってきた二、三人の客がいたが、通路を進む時、修道女に気付いて、驚きながら軽く頭を下げる者もいれば、何か後ろ暗いことでもあるのか、煙たく感じたのか、慌てて離れた席へ姿を隠すように座る者もいて…………黒い、顔と手先だけが露出した、正装の修道女見習いの少女達の群れの映像が蘇る――あれは、メキシコでミイラを観に行った時。「モミアス」というスペイン語も彼は思い出す……
メキシコの古い街並みの小高い丘の上にミイラ博物館があって、入れ替え制のため二十人毎の入場者で一団になって、青いスーツ姿のメキシコ人中年男性の館内ガイドに連れられ順路に沿って見学し、エジプト王家のミイラと違い、貧しい一般市民の共同墓地から掘り出してきた展示物は、衣服が腐食して失われたか、ボロボロの衣服の一部だけ残った乾涸びた裸の死体そのものだったが、保存状態の良い赤子のミイラにおむつを着けたり、帽子を被せたり、女中服を着せて木の箒を手に持たせたり、コスプレさせられたミイラもあって、撮影料金を払ってカメラを持ち込んでいたが、二、三枚撮ると、もう写真を撮る気分ではなくなり、出口まで来ると、引率していた館内ガイドが青いスーツ姿で直立不動の姿勢で扉の前に立って、一人ずつ外に出るのを見送り、ほとんどの欧米人観光客が擦れ違いざまに、さり気なくチップを握らせていて、こんな公的な博物館でもチップを渡すものなのか? と、日本では存在しない社会システムにどうするか、戸惑っているうちに流れに乗って外へ出てしまい、何かをやり残してしまったような足りない感じを抱いたまま、建物の外に一人で立ち続け、気持ちを整えて、冷房のない外の気候に身体を慣らして動き出すまでに少し時間が必要で、メキシコ内陸部はカラッと乾燥していて日射が強いが、日陰にしばらく入っていれば汗を掻くことはなく、目の前の駐車場には、入場する時にはなかった、ヨーロッパ風の洗練されたデザインの艶々と輝く二台の大型観光バスが並んで駐車していて、アメリカ人の団体観光客が来ているのかと思いながら、博物館の建物の脇にある手洗いへ歩いて行った。手洗い場所の出入口の前は、三十人以上はいるだろう黒衣の人集りができていた。袖口が広く手首まで伸びた長袖と、足首まで丈のあるゆったりとした正装の黒い修道服の、チョコレート色の顔と手先しか露出していない、まだ女子高生か女子中学生のようなメキシコ人の年若い女の子ばかりで、白布の頭巾の上に長めの黒い頭巾を巻くようにして、余った黒布を背中へ垂らし、首回り、肩、胸元にかけて涎掛けのような白い襟布を着けていた。身体全体を隠していても、背の高い子、背の低い子、太った子、痩せた子と、それぞれの特徴は見て取れ、整列しているとは言い難い、数人ずつ身を寄せ合ってお喋りをしながら、手洗い場所の行く手を塞いでいて、男とは接触禁止なんだろうなあ、と思うと進み倦ね、英語が通じるかは分からなかったが、「エクスキューズ・ミー」と何度か声を出して、身体が接触しないように気を付けて、黒い修道服姿の年若い女の子達の間を、何とか隙間を見つけながら少しずつ進むと、あちこちからハポネ、ハポネ、という女の子達の驚きの声が聞こえ、まだ修道女見習いだったのだろうと思うが、僕を珍獣のように物珍し気に見つめたり、くすくすと笑い合ったりするような、好奇心旺盛な女子学生と違いのない世俗的な反応で、ミイラの見学が修道生活や修行の一環だったのかと、今更ながら疑問に思うが、修道女にも気晴らしの観光というのもあるかもしれないが、雑然と行く先を塞ぐ黒衣の間を抜けて、手洗い場所の出入口まで辿り着くと、ちょうど女性側から出てきた黒頭巾と黒い修道服の丸顔の女の子と鉢合わせし、胸の真ん中辺りに掛かったネックレスの十字架がメキシコの強烈な太陽光を反射してきらっと輝き、僕は反射的に十字架へ目を向け、修道服の丸顔の女の子は僕が日本人だと気付いて、くりくりと僕の顔を見つめてきて目が合ってしまい、僕の方は手洗い場所の前で異性と鉢合わせして気不味いというか、格好悪い感じがしたが、修道女の女の子の方は屈託なく僕に微笑み、僕も何となく微笑み返した……異性にもまだ興味津々だった彼女達の何人が、処女のまま正式な修道女になれたのだろうか? と彼は考え、「処女とミイラ、か?」と呟く。そして、自分の下品でくだらない思考に会議室で一人、自虐的に笑う……バスに乗り込んできた二人の修道女へ特に関心を払っていたわけではなく、拳銃男が隣にいたせいもあるが、二人は僕が気付かないうちに、他の乗客に紛れて後部の非常扉から降りていったのかもしれなかった。
バスは、緩い坂や急な坂を上ったり下ったりしてアップダウンが激しくなり、首都へ行く車と首都から出る車で交通量が増えた板金の大型看板広告が立ち並ぶ道路を、老朽化したエンジンを酷使しながら走り切って、首都の郊外と思われる地区へ入った。道路の両側には、鉄格子で厳重に保護された四角い窓と固く閉じられたドアだけの、平面的な二階建ての建物が隙間なく接して立ち、道路正面の漆喰の壁はペンキで塗られていて、ベージュや青色、橙色、薄い水色など、それぞれカラフルでバリエーションに富んでいたが、隣の建物が素っ気ないトタン屋根の平屋だと、隣の建物より高くなって露出した側面は、レンガが剥き出しのままになっていて、アパートか雑居ビルらしい、五階建てとか六階建ての鉄筋コンクリートの建物が、密集した建物群の裏側から幾つか上へ突出していたが、どれも煤けたような薄汚れが目立ち、そんな中に、植民地時代の雰囲気を残す中世風の建物や教会が現れたりした。どこまで道路を進んで行っても坂道のアップダウンの起伏が続き、近くには小高い丘や小山があって、木々の緑と共に、住宅の白っぽい建物が階段状になって丘や小山の斜面にへばりつくように密集しているのが、バスから見えては消えていき、時折り、そんな起伏の多い山間部の隙間から、二十階以上はある近代的ビルが見えることがあった。
道路の車線が増えて、交通量も一層多くなって、歩道の人の多さと密度、都会の装いを目にして、首都の中心市街へ近付いている気配を感じ始めた頃、バスの乗客は座席の半分もおらず、バスを止めて降りようとする乗客もいないようで、皆、終点まで到着するのをただ待っているだけに見え、それでも拳銃男は相変わらず背広の左内懐の拳銃へ右手を掛けて、僕を座席の窓側へ押し込めていて、窓から入る黒煙混じりの排気ガスが濃くなって、クラクションとエンジン音が延々と途絶えることがなく、道路の緩やかなアップダウンもあり、田舎を走っていた時には見掛けなかった、『三谷電気工事』とか『かなりや幼稚園』とか、日本語がそのままの軽バンやワゴン、トヨタの乗用車を多く見掛け、スクールバス・タイプの市内バスが並走したり、反対車線を擦れ違ったりした。バスは、違法建築と思われる、建物の高さがちぐはぐに密集した下町らしい区域へ差し掛かると、なぜか街の幹線道路から外れて、低い丘のような坂を登り始め、煤けて薄い灰色になった刑務所のような鉄格子の四角い窓のある平面的な建物がずっと連なって、両側を壁に挟まれたような、狭く見通しの悪い裏通りの道を走り、人影もなく、建物に人の住んでいる気配も希薄で、窓と屋根が空洞になって壁だけが残された建物が幾つもあり、街の地理もルートも分からない僕は、行く手を探索しながら出口を目指すマウス実験の迷路を進んでいるような、拠り所のない不確かな気分になり、そこでもバスはアップダウンを繰り返して、停まることなくひたすら走り、左右を煤けた建物の壁に挟まれた坂を下り切ったところで、突然バスが、人通りの多い広い道路へ出た。
そこは、テレビで見た香港や東南アジアの下町の繁華街を思わせる街道筋で、錆びたままの看板を掲げた商店が道路沿いにずっと軒を並べ、建物の上や道路の上空には、無数の黒い電線が無軌道に張り巡らされていて、人々が雑然と、歩道からはみ出しながら擦れ違って、誰もが庶民的で地味な普段着の雑踏は途切れることがなく、あちこちで車の行き交う合間を縫って道路を横断して行き、セントロのような公園や教会は見当たらず、老朽化した二階建ての商店ばかりが目に付いた。程なくバスは、複数の細い道路と太い道路が複雑に交わる交差路の道路脇へ停車した。ガガッ、というサイドブレーキを上げる派手な音がして、運転手がエンジンを切り、車体の振動がぴたっと止むと、車内にぎこちない静寂が訪れ、そんな奇妙な静寂を味わうかのように、皆が数瞬の間、放心したように座ったままでいて、それから、後ろの座席の方で誰かが立ち上がる気配がすると、それに追随して次々と、乗客達が座席から立ち上がって伸びをしたり、荷物を持ち上げて乗降口へ歩き出したり、後部の非常扉へ歩き出したりし、Tシャツの若い車掌は乗降口のステップを下りて外へ出て、右の歩道がアスファルト道路より一段高くなっているらしく、右の窓の高い位置に車掌の顔が見え、ガリフナ系の太った運転手は運転席に座ったままで、大きな欠伸をした。拳銃男は黒いアタッシュケースを腹に抱え込むように手錠の左腕で押さえ、薄灰色の背広の左内懐の拳銃へ右手を掛けて、座席に座ったまま僕を窓側へ押し込め、通路の前、そして後ろへ、交互に顔を向けていた。僕はバックパックを正面に抱えたまま座っているしかなく、左の窓の外へ目を向けた。交差路には信号機はなく、その代わり、車が行き違うための余幅が十分取られていて、道路の向かい側の三角州のような形に突き出た角には、七階建ての細長い老朽化したビルがあり、道路沿いには小規模な商店や雑居ビルが並び、大都会の人々の群れが建物の前の歩道を切れ目なく歩いていた。
前の乗降口と後部の非常扉から乗客達が全員降りていって、運転手も外の歩道へ出てTシャツの若い車掌と話をしていて、拳銃男と僕だけが、バスの中ほどの左側座席に座り続けていて、閑散とした車内で、拳銃男は少し俯き加減に何か考え込んでいるように見え、バスから降りようとはしなかった。僕は拳銃男の方へ目を向け、このままここに居座り続けていたら、拳銃男と僕を乗せたまま、バスは逆方向で国境へ折り返してしまうのではないか、という考えが頭に浮かんだ。そんな馬鹿なことが起こるはずはない、とは思ったが、まるで見えていないかのようにTシャツの車掌と運転手が拳銃男に無関心なら、有り得そうで不安になった。
僕は恐る恐る、「ペルドン。あー……セニョール」とスペイン語で、初めて拳銃男へ声を掛けた。拳銃男は口髭のある濃いチョコレート色の顔を僕へ向け、じっと目を見つめてきて、僕は黙った。すると拳銃男は、にっ、と口の端を上げ、微笑みにも嘲笑にも取れる表情を見せると、薄灰色の背広の左内懐へ右手を差し入れたまま立ち上がり、通路の前方へ鋭く目を向けてから、通路の後方へ身体の向きを変え、非常扉の方へ歩き出し、僕は慌ててバックパックを抱えたまま、前座席の背凭れを右手で掴んで立ち上がり、拳銃男を目で追った。拳銃男は半開きになったままの非常扉から外を窺い見て、手錠で繋いだ黒いアタッシュケースを持った左腕で非常扉を大きく押し開けると、拳銃へ右手を掛けたまま、バスから飛び降りるようにして外へ出て行き、僕はなぜか引き寄せられるように後を追い、バックパックの肩紐を肩に掛けながら非常扉へ駆け寄って、大きく開いた非常扉の外へ顔を突き出して拳銃男を探したが、見えたのは、人、人、人――大都会の波のような人の動きだけで、拳銃男は、日本を出発する時に見たUFOと同じように姿を消して、もうどこにも見つけることができなかった。
古びた狭い会議室の部屋、そして、白いホワイトボードの青いマーカーの文字――目の前の現実が再び彼の意識へ戻ってくる。彼は会議室テーブルの上の缶コーヒーを口へ持っていこうとして、缶コーヒーが軽くなっていることに気付き、飲み干さない程度に少しだけコーヒーを啜って、窓の外の巨大製鉄所の煙突から立ち昇る煙へと目を向ける。彼が拳銃男を思い出す時は、その日の国境のバスのことから、運転手、車掌、乗客達、熱帯の暑さ、バックパックの重みの体感までも、全体が丸ごとセットになって、分かち難い一続きの旅の体験として、どっと湧き上がるように蘇ってくる。
国境から最後までバスに乗車し続けたのは彼だけで、単にバスで移動しただけではない何か、そのバスでの何気ない出来事も細部まで思い出せるほど彼にとって忘れ難い体験だが、もし他人へ語ったとしても何の面白味もない話だろうと、彼は改めて今しみじみ思う。なぜなら、それは目の前で起こった物語化しないままの事実だからであり、自分が見聞きして感じたまま、有りのままを語ったとしたら、起伏もなくドラマもなく、ただ長々と続く話にしかならず、退屈なだけで、「一体、何が言いたいのか? 何の意味があるのか?」と話の途中で相手が怒り出すことまで、彼は予測できる。
彼が『拳銃男』という呼び名を付けたのは、日本へ戻ってから何年も経ってからで、とにかく名前どころか素性も分からないホンジュラス人の拳銃を持った男と、危険な一蓮托生、強制的な旅の道連れのようなバス旅をした、と要約できなくはないのかもしれない。だとしても、そんな要約に回収できない何か、その一連の体験に何かの意味があるように彼はずっと感じていて、はっきりと言語化できないまま十年以上、時が過ぎてしまい、忘れ難くはあっても、そのことに彼はいつも虚しさを感じる。この虚無感は、やはり、物事そのものに意味がないのではなく、そこに何も見出だせない自分の実存の意味の無さが原因なのではないか、と、それほど真剣ではないが、彼は考えてみる――考えてはみるのだが、やはり答えが出せないことを確認するに止まり、彼は会議室のドアへ目を向ける。彼はずっと一人で待ち続けているが、ドアは開かず、誰も来ない。彼は拳銃男に窓側の座席へ押し込められた時のように、動けないでいる。
始業時刻から、もうかなりの時間が過ぎてしまっている。階下の事務所の社員に所在不明で心配されていてもおかしくはない、と彼は思い付き、一旦、下へ顔を出して会社内にいることを知らせに行こうとして腰を浮かせるが、会社の主要業務と直接関係ない仕事をしている彼の、事務所の片隅の席は目立たず、誰も注意を向けていなくて皆が無関心でいる可能性が脳裏を過ぎり、自分の存在が空気のように希薄に思えて腰が沈み、椅子が、ぎしっと音を響かせる。
人生は、意味のないまま丸呑みするしかできない――彼はそう、慰めのように考えてみる。その一方で、拳銃男の話が面白くないのは、自分が面白味のない人間だからというだけでなく、自分の見たまま、体験したままでは平板で、劇的な事件が全く起こらないことにもある、と誰に対してか分からないが釈明したくなる。しかし、事実を誇張してみたり、作り話の劇的な事件を入れてみたり、体験を実態以上に面白く飾り立てることは自分自身への欺瞞でしかなく、それこそ意味がなくなってしまう、と彼は一応の結論を付け、会議室テーブルに落としていた視線を上げると、いつまで経っても開くことのないドアが、しんと静かな会議室の何かの象徴のように、そこに――いや、違うのかもしれない、彼は突如として気付く。人生に意味を与えるために、面白くもない人生を面白く感じようとするために、人間は虚構を必要とするのではないか? そして、彼は考えてみる。いっそ非現実的な旅の物語を作り上げてみたらどうだろう。今の、この状況に少しでも意味を与えることができるかもしれない。そうすれば、人生が幾分か面白く感じられ、この実人生の無意味さに耐えられるかもしれない……
オープンテラスのカフェでイングリッドと二人でいるところを、僕は想像してみる。広い内庭の木製テーブルの席から十字架の丘が見えるカフェだ。
グアテマラ人は噂話がとても好きだった。日本人を含めて世界中のどの民族、国民も、程度の差があれ、押し並べて同じ様なものかもしれないが、グアテマラ人は根拠の怪しい噂話を、まるで現実に起こった本当のことのように思い込んで話す。日蝕を肉眼で見たら目が潰れる、と歴史ある町の住人は本気で信じていて、僕が周辺国の旅から戻った後のレッスンで、何年も前の皆既日蝕では数万人が失明した、とイングリッドは真顔で僕に語り、日蝕が始まってから何十分かの間、学校の教室に避難して、クラスの友達と悪魔祓いのお祈りをしていたというほど、本気で恐れていた。お化けとか幽霊を信じているらしい大人も沢山いて、墓場から死者を運ぶ馬車が通る『死者の馬車道』というのがあり、死者を運ぶ馬車が通るルート上にある由緒ある古い建物は、馬車が建物の壁を通り抜ける時、爆発のような轟音を発して、建物全体がぴかっと光る、とか、あるいは、最近、内装工事で古くなった家を直していたら壁から人骨が出てきて、その家は女の幽霊がよく目撃される有名な建物で、不義を犯した妻を家の壁に塗りこめていた、とか、僕は相手の喋るスペイン語の半分くらいしか理解できなかったが、皆、熱心に力説していた。どんなものか興味があって一時期利用した『ホームステイ』――ボランティアの無料ではなく、食事付きで部屋を貸す下宿みたいなもの――の若奥さんは、夜な夜な街を徘徊するソンブレロン――呼称からすると、『帽子男』とでもいうニュアンスなのだろうから、メキシコのマリアッチ演奏者が被っているような鍔広のデカい山高帽でも被っているのだろう――気障な女好きの幽霊が、十年ほど前、深夜に自分の部屋の窓の外から、ベッドで寝ている自分をじっと見ていた、と、折に触れて同じ話を繰り返し、「美人の女の子の部屋にしか訪れないのよ」と、二人の子持ちになった若奥さんは、何度も僕に強調した。
そう言えば、こんなこともあった。
歴史ある町には小さな教会があちこちにあり、教会毎に町内会レベルの小さな教区みたいなものを形成していて、町の何処かしらで頻繁に、キリスト教に因んだ教区毎のお祭りをやっていて、イングリッドは一度、彼女の知っている郊外の教会のお祭りへ僕を誘った。普段は教会の奥へは信者であっても入れないことになっているが、その日だけは特別に、奥にある祭壇と秘蔵のキリスト像を見ることができる、とイングリッドは言った。もちろん、個人的なお誘いではなく、レッスン時間中に歩いて行くのだ。片言ではあれ、意思疎通にそれほど不自由しなくなっていた時期で、イングリッドが平日の朝八時から四時間近くあるレッスンの教材、というか、話題に事欠くようになっていたのを、僕も言葉に出しはしないが分かってはいて、イングリッドを助ける気持ちもあって承諾した。その教会へは歩いて十五分程で着き、キリスト教に由来するお菓子や蝋燭を売る屋台が数店、門の前にあり、集まっていたのは地元の人達ばかりで、外国人は僕一人だった。イングリッドは十字を切ると首を垂れて教会へ入り、僕はそれを真似だけして後に続いた。その教会の中は、ヨーロッパの大聖堂のような目映い光や金色の装飾に満ちてはいなかった。日中の眩いはずの外光を閉ざした薄暗い内部に、蝋燭を数本燈した祭壇とキリスト象が、普段は閉ざされているという奥の部屋の暗闇の中から滲み出るように浮かび上がり、キリスト像は手彫りの木像のようで、鈍く黒光りして、由緒はありそうだったが、「暗黒の中世」という言葉を思い浮かべずにはいられなかった。
「どう? 良かった?」
イングリッドはスペイン語で僕の機嫌を確かめるように訊き、僕は、「まあまあだね」と通俗的なスペイン語で答えた。
学校へ戻る時、散策のように少し遠回りして、石畳の車道から少しだけ高くなった脇の石畳の歩道を歩いた。町の中心部から外れた地区の石畳の歩道は古いまま放置されているのか、所々、穴や凸凹があり、僕は時々足を引っ掛けて転びそうになって、イングリッドに笑われたが、イングリッドは石畳に慣れていて、一度も足を引っ掛けることはなかった。学校のある通りの二つ手前の筋で、イングリッドが僕の腕を掴んで、引き止めた。
「知ってる? ここはグアテマラの古い家系の家なのよ」
イングリッドが顔を向けて示したのは、石畳の歩道に沿って長々と続く高い壁に囲まれて内部を窺い知ることができない、すぐ目の前の邸宅の、由緒ありそうな装飾のある大きな門扉だった。
「前に話したことがある家系よ」
メキシコから派遣されてグアテマラの地を占領したスペイン人の子孫が、現在も大地主や財閥という、幾つかの有力家系となって支配層として残っている。最初に来たコンキスタドーレス(征服者達)は、身分が低く、征服で大金持ちになったが、スペイン本国からは見下されていて、身分を上げるために、大金を贈ってスペインの貴族の血を引く娘と結婚するなどしていた。昔のラテンアメリカは黄金や土地の略奪で繁栄していたから、ヨーロッパから移住する人も多く、高貴な血を引く結婚相手に困らなかった。だが時代が進むと、世界的に身分社会は衰退していき、スペインからわざわざ小さな発展途上国へ、貴族の娘が嫁いでくるような時代ではなくなった。それでも高貴な白人の純粋な血統を維持するため、古代の王族のように、兄妹とか従兄妹同士、時には父娘で結婚するようになり、この一族には精神異常や肉体的欠陥を生まれつき持った人が多い――というのが、イングリッドの話だった。僕とイングリッドは、門扉の前で立ち止まっていた。「暗黒の中世」を想起させる古い教会を見た後で、数百年の家系の歴史を刻んだような重々しい門扉を見ていると、時代の変化を拒絶して、この中で近親婚を繰り返す一族がいても、おかしくはないような気持ちになった。
突然、大きな門扉が内側へ開いて、人が出てきた。よれよれの作業着を着た、風采の上がらないメスティーソのおじさんだった。僕とイングリッドは慌てて歩き出し、十歩ほど歩いたところで僕は、「白人じゃなかったよ」とイングリッドに言った。
「家の管理人でしょ。ああいうお金持ちは不便なこの国に住んでなくて、ずっと前から快適なアメリカに住んでるわ」
そう言い訳するイングリッドに、それならもう多人種多民族国家のアメリカで混血してるんじゃないか、と言おうとしたが、石畳の穴に足を取られて転びそうになり、そのまま言いそびれた。
話がかなり逸れてしまったが、僕とイングリッドはオープンテラスのカフェにいることになっている。歴史ある町の外れに小高い丘があり、頂上に白く大きな十字架が町全体を睥睨するように鎮座している。十字架の丘はこの町のシンボルだと、イングリッドが僕に言ったことがある。その丘は、カフェのオープンテラスから眺めることができる。少し視線を上げれば、昔は邸宅だったカフェの二階建ての建物の向こうに、十字架の丘が見える。丘の頂上は綺麗に整地されていて、遠目にも白い台座に立つ十字架とその周辺を、くっきりと見ることができる。小学生の頃、学校の先生に引率されて、何度か十字架の丘の頂上へ登ったことがある、とイングリッドが言う。そして、コーヒーカップを口へ運んで一息吐いてから、でも最近、こんなことがあったのよ、と話し始める。僕は、イングリッドが語るその状況を、ちょっとした空想を交えながら想像してみる。年配の痩せた小学校教師が子供達を連れて丘の麓から、丘の斜面の灌木と雑草の間を縫うように続く、手入れのされていない狭い砂利道を登って行く。物見遊山の外国人観光客が通ることはあっても、地元の人は滅多に通らない寂しい道を、生徒達の先頭に立って登っていくグアテマラ人の小学校教師……
――ああ、また、この坂道を登らなければならない。
私は、丘の頂上へと続く細い道へ、生徒達を連れて入っていった。
後ろを振り返り、生徒達へ、私の後に続いて離れないよう注意した。
それにしても、町の歴史を学ぶ授業の一環とはいえ、舗装されていない砂利の坂道を登るのは体力がいる。
子供達は知性の欠片もなく、自分勝手に騒いでいる。
列がばらばらにならないように、何度も子供達を注意しなければならなかった。
額に汗が伝った。
十字架は、まだ遠い。
――俺達は丘の上に居た。
雲一つない気持ちの良い晴れた日だというのに、誰もやって来ない。
あまり大勢で来てもらっても困るが、全く来てくれないのも困る。
「誰も来ねぇな」イラついたようにミゲルが言った。
アンヘルは、じっと地面に視線を落としたまま、押し黙っている。
「本当に誰も来ねぇ……なぁ、フランシスコ」ミゲルが、俺を威嚇するように睨んだ。
俺は気持ちの置き所に困って、目の前に立つ大きな白い十字架を見上げた。
丘の上の手入れされた草地の中央に立つそれは、何か物悲しく見える。
朝早くからずっと俺達三人、まるで世界から取り残されたようだった。
――私はもう十五年もの間、小学校の生徒達を連れて十字架の丘へ登っている。
勉強嫌いで落ち着きがなく、物覚えの悪い子供達を教えるのは、とても根気がいる。
けれど給料はひどく少ない。
掛け算さえ覚束ない子供でも、落第させずに、そのまま卒業させるしかなかった。
何しろ毎年毎年、同じように勉強嫌いで落ち着きのない子供達が、次々と入学してくるのだから。
そうやって卒業していった生徒が、その後どうなったかは知らない。
後ろめたくはあるが、私の責任にされても困る。
私だって、出来るだけのことはやったつもりだ。
後は、彼ら自身の人生だ。
――「誰も来ねぇ」ミゲルの声に怒気が含まれていた。「お前は、絶対うまくいくと言ってたな」
ミゲルの後ろに座り込んでいたアンヘルがゆらりと立ち上がり、ぺっ、と唾を吐き出した。
二人は俺を見据えて、ゆっくり、にじり寄って来た。
俺は焦った。
確かに二人を誘ったのは俺だが、誰も来ないのは俺のせいじゃない。
額に嫌な汗が吹き出た。
襲うつもりが襲われたんじゃ、シャレにならない。
その時だ――人だ。丘の下の方から、人の声がする。
「来た。来たぞ」ミゲルの声が上ずった。
俺達は急いで十字架の陰に隠れた。
俺はポケットから鞘に収まったナイフを取り出し、鞘からナイフを抜いて、待ち構えた。
――木々の隙間から下に、町が見える。
ちょうど、以前、私が住んでいた地区を見下ろすことができた。
数年前まで私と私の家族は、この町に住んでいた。
内戦が正式に終了し、町が世界遺産に登録されると、景観保全のためだとかで、税金が上がった。
外国人観光客を目当てにしたヒスイ宝石店やらレストラン、ハンバーガーチェーン等が、土地や店舗を買い漁り、新たにやってきたグリンゴも観光客相手の店を次々開き、地価や物価が急激に上がった。
私は借家住まいだったが、大幅に家賃を値上げされてしまい、仕方なく隣町へ引っ越すしかなかった。
今では隣町から、この町の小学校へ通勤している。
内戦が終わったことは、良いことだと思う。
しかし、元々ここに住んでいた者が経済的に、この町に住めなくなっている。
町から追い出されている。
以前の方が住みやすかったという話は、よく聞く。
この町が戦場にならなかったから言えるのかもしれないが。
しがない小学校教師が愚痴を言ったところで、何も変わらないことは分かっている。
あと、もう一息。
十字架の先端が見えてきた。
生徒達へまた声を掛けて、整列させなければならない。
――身震いした。俺はナイフを握り直す。
俺がこんな大それたことをするのにも、ちゃんとした理由がある。
公園で見掛けた女の子に恋をした。
週末にこの町へ遊びに来た、カピタルに住む女の子だろう。
彼女をデートへ誘いたくても手持ちがない。
これからも財布が暖かくなる見通しはない。
ということは、ずっと、もしかしたら一生、あんな綺麗な女の子と仲良くなれることなんてない、と気が付いた。
俺みたいな人間は、外国人観光客から手っ取り早く、金をせしめるしか方法がない。
そんな時、近所の幼馴染みからナイフを買わないか、と言われた。
俺の有り金だけでいいと言う。
それは軍人が使うナイフによく似ていて、先が鋭く尖り強暴そうだった。
これなら相手も震え上がって、素直にお金を渡してくれるだろうと思った。
よく見ると、大きな刃の先端に、汚れを拭き取った跡があった。
「ちっとばかし、訳ありの品なんだ」と、そいつは言った。
目を閉じた俺の耳に、がやがやと騒がしい声が聴こえた。
すぐそこに居る。
彼女のことを想ったが、足が固まって動かない。
「駄目だ。また今度にしよう」俺がそう言い出そうとした時、アンヘルが俺の背中を勢いよく押した。
自分の意思とは関係なく、十字架の陰から飛び出してしまった。
もう、やるしかない。
「動くな! 静かにしろ」俺は精一杯叫んで、目を見開いた。
子供達の無邪気な目が、一斉に俺の方へ振り向いた。
外国人観光客はいない。
俺はナイフを持ったまま、立ち尽くした。
みんな無言だった。
子供達の列の先頭に、グアテマラ人の大人がいた。
何か言いたそうな顔をしている。
何となく見覚えがあるような気がした。
学校の先生なら、俺の顔に見覚えがあるかもしれない。
俺は慌てた。
強盗をするっていうのに、覆面を用意していなかった。
顔だ。顔を隠さなきゃ。いや、もう見られてしまった。顔を見られたら殺さなきゃならない。警察に捕まる。
いや、目的は金だ。金さえ手に入ればいいんだ。
手にしたナイフが太陽の光できらりと輝き、俺を狂暴な力で満たした。
もう迷いはない。
俺は十字架の傍から離れて、前へ踏み出していった。
――私は、ナイフを持って正面に立つ若者に見覚えがあった。
掛け算さえまともに覚えられず卒業していった、生徒の一人だ。
強盗をするのに、顔を隠すことを思い付かなかったらしい。
相変わらず進歩がないようだ。
その原因を作ったのが自分なのかも知れないと思うと、複雑ではある。
忠告ぐらいはしてやった方がいいのだろうか。
「金だ。金を出せ」若者がナイフを突きつけてきた。
途端に、私は血の気が引き、顔が引き攣った。
私から金銭を奪えると、まだ思い込んでいるとは!
私はうまく口を動かせず、もごもごとした後、必死になって嗄れ声を絞り出した。
「持ってるわけないだろう」
にじり寄ってくる若者の背後に立つ十字架が、暗く翳ったように見えた。
「それで、犯人はイングリッドの知っている人なのかい?」と僕は訊く。
「犯人は誰だか分からないままよ」とイングリッドは答える。
イングリッドがオープンテラスのカフェで語ったのは、小学校の教師が、十字架の丘で強盗しようとした元生徒に、顔を知っているという理由で殺された、という事件だった。イングリッドはまるで見てきたかのように話していたが、犯行の状況や人間関係まで明確なのに、これで逮捕できないとしたら、グアテマラの警察は仕事をしていないと言うしかない。
「犯人が分からないのに、ディテールだけが妙に具体的過ぎる。誰かの作り話だろう」
外国人観光客と小学校の引率を誤認した上に、顔さえ隠さず強盗しようとして、顔を見られたから殺すなんて、よっぽどの偶然か、頭の悪い行き違いでもなければ、理屈の合わないことばかりだ。
「だって、そう聞いたんだもの」というのが、イングリッドの返答で、「この町は昔から皆、ご近所さんみたいなものだし、大抵のことは分かるものなのよ」と強弁するが、声が小さい。
僕は顔を上げて、カフェのオープンテラスから建物の向こうに見える、丘の上の白い十字架を見る――あそこで人が殺されたのか……
ピクニックをするには、とても気持ちの良い晴れた日にも拘らず、人影は全くない。
タカハシ君とは、ネットカフェで出会った次の次の週の水曜日の朝に、スペイン語学校の内玄関を入った受付デスクのある部屋で、再び顔を合わせることになった。グアテマラ人のマエストロとマエストラは、開始時刻間際になって、どっと入って来る。時間に余裕を持って早く学校に来るのは、まだ日が浅い生徒だけで、もう古株になっていた僕は安宿からの歩きと朝食にかかる時間を勘案し、正確に五分前、開放された学校の扉へ入ってイングリッドを待つことにしていた。部屋へ入ってきた僕を見たタカハシ君は嬉しそうな顔をして、僕へ軽く頭を下げ、僕もパブロフの犬的な反射運動で頭を下げた。タカハシ君が何か僕へ話し掛けようとした時、校長が奥の部屋からメスティーソのインテリ風マエストロを連れて現れ、タカハシ君へ引き合わせた。新しい生徒の初日だけマエストロも校長も、生徒とのレッスン方針の確認――お互いに言葉があまり通じないので形式的な簡単なやり取りだけ――で、生徒の学校への印象を良くするためか、早めに来る。僕は中庭を通り抜けて、いつもの部屋のいつもの席に座って、イングリッドを待った。
その日はレッスンを終えた後、いつものように、スペイン語しか通じない行き付けの小さな安食堂へ直行し、昼食を取った。確か、昼食は「アルムエルソ」と言うんじゃなかったかと思うが、プラト・ティピコというグアテマラ風定食を注文した。その安食堂では、油を混ぜて炊いたライス、ぱさぱさした塩っぽいチーズ、フリホーレス、ウエボ・フリト――で合ってたか?――という目玉焼き的なもの、それにバナナの揚げ物が、一つの丸皿へ盛り付けられていた。プラト・ティピコは、直訳したら「定食」となるのだろうか? 店により多少の違いはあるが、周辺国も含めて中米では品数と値段以外は、ほぼ同じだった。バナナの揚げ物は、プラターノという品種を、熟成させずに大まかにスライスして油で揚げたもので、安食堂の丸皿には二切れ置かれ、食感は芋みたいで、バナナなのに甘みのない淡白な味がする。フリホーレスは茹でた黒豆を磨り潰したもので、丸皿へ、こんもり小山のように添えられ、色も形も見た目は餡子だが、ほとんど味がせず、同じ丸皿の油ライスや、ばさばさした塩っぽいチーズと一緒に食べると、味を中和できる。それと、別の小皿で焼き立てのトルティーヤが二枚付く。タコスのように丸皿の上の料理を挟んで食べることもできるが、グアテマラのトルティーヤは小振りで厚みがあり、もっさりしていて、焼き立てなら千切りながら食べる方が美味しい。量が少なく、口にあまり合わなかったが、毎食、ハンバーガーチェーンや観光客向けの高いレストランばかりで食事するわけにもいかず、平日の昼食は、現地人価格のこの安食堂を利用していた。
平日の昼のパルケは閑散としていた。それでも、中央にあるコロニアル調の大きな噴水を取り囲むように幾つかあるベンチには、誰かしら外国人が座っていて、僕はパルケの端の方の木製ベンチの背凭れへ身体を預け、噴水と公園の木々の緑を眺めながら、一人で腰掛けていた。週末には、カピタルから遊びに来た金持ちのグアテマラ人で溢れ、町を碁盤の目のように区切る石畳の道路は、どこも一日中渋滞する。歴史ある町自体が観光地であるためだが、マヤ遺跡のピラミッドや石像に比べれば、ラテンアメリカ一帯、探せばどこにでもある月並みな建物ばかりで、そんな場所に殺到する、身なりの良いハイソなカピタルのグアテマラ人をいつも不思議に思っていたが、ずっと後になって、時代に取り残されて発展途上国へ転落した母国の、過去の栄光への郷愁、みたいなものだったのではないかと思うようになった。僕自身は、その時にはもう歴史ある町への好奇心を失っていて、その日その日を――予定のない午後をどうやって過ごすか、漠然と考えながらベンチに座っていると、噴水の方から、見覚えのある東洋人が迷いない足取りで、真っ直ぐ歩いて来るのに気が付いた。
「どうも。この前のネット・カフェでは、ありがとうございました」ベンチに座る僕の前に立つと、タカハシ君は言った。「ファミリアには戻らないんですか? そこの昼食時間が遅いとか?」
「『ホームステイ』はしてないんだ。昼食はもう、学校と同じ通りにあるコメドールで済ませたし」
「早いですねえ! レッスンが終わってから、まだ十五分位しか経ってない」
「子供の頃から早食いでね」
タカハシ君は、はははっ、と軽く笑った。
「休憩時間も忍者みたいに、どこかへ行っちゃってましたね」
休憩時間は午前十時から十五分で、無料のコーヒーが学校から提供されるが、その日は少し気温が高く、レッスン中に冷たい飲み物が欲しくなり、休憩時間になるとダッシュして、僕は近くの軒先商店――彼が子供の頃の昔の日本の田舎では、家の軒先の小窓からたばこやガムを販売する商売が盛んだった――までコーラを買いに行って、店の前で飲んで、瓶を、店番をしていたカッコいい若い息子へ返却して――持ち出しの場合は、バスの物売りからコーラを買う時と同じように、ビニール袋へ中身を移してストローを挿してくれる――時間に間に合うよう歩いて戻った。そんな感じのどうでもいい説明を、タカハシ君にくどくどとしてしまった。
「そこ、座っていいですか?」
横長のベンチの右端へ、僕と少し間を空けて座るなり、「校長とお金のことでちょっと、話し合っていたんです」とタカハシ君は言った。校長はタカハシ君に英語でマエストロのレッスンの評価を訊き、タカハシ君が片言のスペイン語で、良かった、と答えたのを確認した後、スペイン語学校や安宿、ファミリアの常套句だが、長期で前払いしてくれれば値引きする、と言い、そうでないと、マエストロのスケジュールは週単位なので、他の生徒から指名されて、翌週はマエストロが変更になるかもしれない、とも言ったらしい。
「断りました。前の学校では一ヵ月分、週単位なんで実際は四週間分ですが、前払いしちゃって、ずっと我慢してましたから」
「先生とか学校との相性もあるし、週払いが正しいと思うよ。僕は最初から週払いにしているけど、ずっと同じイングリッドだし」
タカハシ君は、にこっと笑った。
「どうしてこの町で、スペイン語を学ぶことにしたんですか?」
ネットカフェの時もそうだったが、タカハシ君は前置きなく話題を変える癖があるようで、僕は少し考えてから、元々スペイン語を学ぶ気はなくて、中南米旅行のためにちょっとだけ身に付けるつもりだった、という感じの無難な返答をした。
「へえ、そうなんですね……でも、どうして旅に出たりなんかしたんですか? 当然、仕事してたんですよねえ?」
暗い負のイメージの映像がフラッシュバックのように瞬間的に蘇って、僕の意識を鋭い爪で引っ掻くようにして過ぎ去り、びくっと身体が震えたような気がしたが、タカハシ君は気付かなかったように見えた――それとも、気に留めなかっただけなのか? 僕は咄嗟に大袈裟な口調で、いやあ、社長と反りが合わなくてさあ、退職届を叩き付けちゃったんだよお、と笑いながら答えた。つまり、僕は嘘を吐いたわけで、今更ながら、タカハシ君に済まない気持ちになる。
「そっちはどうなの?」僕は、タカハシ君の更なる質問を封じ、フラッシュバックのように蘇った負の記憶を頭から追い払おうとしながら、訊き返した。
僕の吐いた嘘とそれほど変わらない、特筆すべきことのない有り来たりの理由で、どこまでが本当かは分からないが、嘘を吐いているようには見えなかった。旅先で他人の事情を一々詮索する必要はないとは思うのだが、歴史ある町でスペイン語を長期で学ぶ日本人女性の場合、現地でボランティアをしたいとか、グアテマラ原住民の伝統織物を学びたいとか、メキシコを含めたスペイン語圏でビジネスをやってみたいとか、まじめで文句の付けようのない理由を語る人が多く、僕は自分の理由と比較し、恥じ入るような気持ちになって、その目的意識の高さに感心していたのだが、女性同士では酒の勢いとかで本音を言ってしまうらしく、他の日本人女性旅行者を経由して真相を後になって知ることになり、同僚の恋人と破局して会社に居ずらくなったとか、二股されていて別の女に負けて男を取られたとか、本人の公式声明と実際の相違が大きく、バックボーンを全く知らない人間の言葉を真に受ける馬鹿らしさを、旅の間、嫌というほど経験した。
タカハシ君は、スペイン語を早く上達したいがどうすればいいか、というようなことを僕に相談し、僕が自分の体験から、文法を終えたら旅へ出てみるようアドバイスしているところへ、赤や黄、青の色鮮やかな文様を織り込んだ半袖の上衣と、足首まである絣柄の長布の腰巻きスカートという、グアテマラ原住民――周辺国も含めて沢山の部族があって、インディヘナと総称されていた――の民族衣装の恰好をした、濃いチョコレート色の顔の十歳位の女の子が、頭の上に乗せた籐編みの平たい籠を片手で支えながら、僕とタカハシ君の前へ、横から唐突に現れ、邪気を感じさせない子供らしい、にこにこした笑顔で、「カッテクーダ、サイッ」と弾むようなイントネーションの日本語で声を掛けてきて、長い黒髪を引っ詰めたポニーテールの頭の上の籐編みの平たい籠を下ろして斜めに傾け、中に並んだ商品を見せた。
「誰か、僕等みたいにスペイン語を学んでた日本人が教えたんでしょうねえ」
女の子は安物のサンダルを履いていて、足指が剥き出しだった。女の子がまた、「カッテクーダ、サイッ」と繰り返した時、僕は不意に気が付いた。
「そういや、名前訊いてなかったね」
「タカハシです。ハシゴダカで書く方のタカハシ」
その時の僕は、「ハシゴダカで書く方のタカハシ」がどういう意味か分からず、タカハシという、どこにでもある何の変哲もない苗字に何か特別な事情でもあるのだろうか、と戸惑い気味に頷き、取り繕うように、「あっと、僕は――」と言い出そうとしたら、僕より先にタカハシ君が、僕の名前を言った。
「今日、マエストロから聞きました。どうして学校を変えたのか訊かれたので、ネットカフェのこと、スペイン語で説明する破目になって」
ハシゴダカのタカハシ君は二十五、六歳位に見えた。旅疲れしてない、まだパリッとした白いTシャツにジーパンで、ネイビーブルーに白い縁取りのあるスニーカーを履いていた。しばらく散髪してないためか髪型が崩れ、耳へ半分、髪の毛が被っていて、背は高くないが、均整の取れたスポーツマンのような印象だった。その時の僕は、清潔ではあるが洗濯を繰り返してヨレヨレになったTシャツとチノパンを着ていたはずだ。外国での長期旅行で、何気ないが、結構重要な問題となるのが洗濯と散髪だった。
中南米の熱帯地域での連日の移動は、汗を吸ったシャツと下着がべとべとになって臭うため、安宿の水シャワーの洗面室付き――コン・バーニョと言っていた――の部屋へ必ず泊まり、洗面台で固形洗剤を使って毎日手揉み洗いをしないと、すぐに着替えが無くなり、大抵は翌朝に渇いているが、歴史ある町のように気温が低め――というか通常の気温だったり、雨期だったりすると、湿ったままバックパックへ詰めてチェックアウトしなければならない。しかし、スペイン語学習の長期滞在が多い歴史ある町は例外で、あちこちにラバンデリア――アクセントが後ろにあって、ラバンデリーアだったか?――ランドリー・サービスの小さな個人店が沢山あり、午前中に袋に入れた洗濯物を預けると、数百円で一週間分の下着と衣類を夕方に受け取ることができた。散髪の方は、ヘアスタイルに拘りがなく人目を気にしなければ、自分で髪の毛先だけ切れば良いが、髪の毛はすぐ伸びるので、髭剃りほどではないが面倒で、散髪屋へ行くのは言葉の問題がある上に、ラテンアメリカのヘアスタイルの流行の違いもあり、ずっと先延ばしにしてしまい、周辺国への最初の旅の直前に思い切って、歴史ある町の、ドアが開放された庶民相手の散髪屋へ女性のように長くなった黒髪で入ると、店内のぎょっとした驚きの視線を一身に集め、複雑な指示はできないので、短く、とだけ言ったら、メスティーソの若い散髪屋の主人が何度も、短く? 短く? と繰り返し確認するので、僕は、「シィ。シィ」と言って何度も頷き、結果、丸刈りのように短く切り揃えられて、頭部の形の悪さが露わになり、翌日には旅に出発したので、この町で唯一の知り合いとも言えるイングリッドに見られなかったのが救いで、一度、嫌がるタカハシ君を拝み倒して短く切ってもらったのだが、髪型が歪な感じになって、結局、イングリッドに笑われ、その後、三度目の周辺国の旅へ出て、南米の大西洋側とブラジルを南下して行き、サンパウロの日本人街をうろうろ歩いていて、昭和そのままの散髪屋を見つけ、日本語で日本と同じに散髪できた時の感動は、忘れられない。
僕とタカハシ君が座るベンチの前に立つ民族衣装の女の子は、籐編みの平たい籠の中から商品を逐一取り出しては、ボルシータ、プルセラ、カルテラ、などと商品名を口にした。伝統手織布で作った小物入れとか財布、腕輪やビーズの髪飾り――女性向けの土産物ばかりで、そのことをスペイン語で僕は指摘し、女性観光客へ当たるよう言うと、「ア・ス・ノビア!」と女の子は食い下がり、「カッテクーダ、サイッ」と言って、品を作るように首を傾げた。まだ十歳位だが、目鼻立ちが整ったチョコレート色の面長な顔に、ぱっちりした目をしていて、原住民系の顔立ちではなく明らかにメスティーソで、インディヘナの民族衣装は仕事着なのだろう。僕のノビアになってくれたら買うよ、と女の子へスペイン語で言った。女の子は口を開けたまま綺麗な目をぱちぱちさせると、しどろもどろに身体を捩って恥ずかしがり、僕とタカハシ君は声を出して笑った。揶揄われたと知った女の子は険しい顔になって僕を睨み、それから一転、ベンチの左端――僕の左隣の狭い空間へ腰を捩じ込むように入れてきて、女の子の脚と腰と肩が僕の身体に密着し、女の子は籐編みの平たい籠を膝の上に置くと、籠の中の少し高価そうな腕輪を自分の左手首へ通し、僕の目の前へ持ってきて、似合う? 似合う? とスペイン語で訊き、僕が首を横に振ると、別の腕輪に付け替え、また僕に、綺麗? 綺麗? としつこく繰り返した時、ハシゴダカのタカハシ君のお腹が盛大に空腹を知らせ、僕と民族衣装の女の子はベンチで大笑いした。ハシゴダカのタカハシ君は、気恥ずかしそうに腹を擦りながらベンチから立ち上がり、「ファミリアへ戻ります。じゃあ、また明日、学校で」と言うと、僕を残して歩いて行った。
僕はまた一人になった。左隣の女の子は僕の下らない冗談で、何か良く分からない、女の本気のスイッチみたいなものが入ってしまったのか、腕輪をまた付け替えて、おままごとでもするような嬉々とした顔で僕へ見せびらかしたが、僕はもう目を向けなかった。タカハシ君から旅へ出た理由を訊かれた時の、フラッシュバックのような暗い負の記憶がまた……
――彼は会議室へ呼び出され、中小企業としては過分な、取引先へ大きな見栄を張ったマホガニーだか何かの木製の高級会議室テーブルで、高い背凭れのクッション付きの革椅子に縮こまって座っていた。
艶々として天井の電灯の光を反射する黒いテーブルの向かいには、彼よりも背が高く大柄な、頭頂の毛髪が薄い白髪混じりの会長が座っていて、怒鳴っていたかと思うと、一転して静かな口調へ変わったり、ふいに考え込んで黙ったり、感情の変化が激しかったが、一貫して彼に対する評価と意見を並べ立て続けてはいて、彼が大した価値のある人間ではないということを論証しようと情熱を傾けているかのようだった。会議室にいたのは三人だった。同席していた社長は付け足しみたいなもので、更に会長の息子でもあるが、会長とは余り似てない小太りの眼鏡顔で、なぜか会長の横ではなく、会長と彼が向かい合うテーブルの右横へひっそり着席していて、会議室の黒いテーブルの上へ視線を落としたまま黙っていた。
その日、会長は朝からずっと会社におらず、夕方近くに会社へ戻って来て、両開きのガラス戸の玄関から入ってきたかと思うと、社員の挨拶を無視して、厳しい顔のまま無言で事務所の大部屋を早足で通り抜け、その先の会長室へ入って行った。
「また気に入らないことがあったのね」古参の女性社員が誰へともなく、呟いた。
その声が聞こえた訳ではないだろうが、急に会長室のドアが開くと会長が出て来て、隣にある社長室のドアを無遠慮に強く叩いてドアを半分開き、中へ声を掛けてから、彼の席まで大股で近付いて来ると、奥の来客用会議室へ来るよう命じた。来客用会議室には、彼はそれまで二、三度、所用を申し付けられた時、数分間入ったことがあるだけだった。社員同士や小口取引先との話し合いは、事務所の玄関に近い大テーブルという、仕切りのないオープンな隠し事のできない場所で行うことになっていた。来客用会議室の艶々と曇りのないテーブルの中央には、造花を挿したアールヌーボー風の花瓶が置かれ、重厚なダークカラーの木目柄の壁紙で覆われた壁には印象派の模造油絵とライオンズクラブの見開きの額縁になったエンブレム付き会員証が掛かっていて、そんな、会長のハイソサイアティー嗜好で演出された会議室は、彼の気分を重苦しくするだけだった。
会長は、彼への叱責と説教の途中で不意に黙り込み、独り言めいた言葉を何度も呟いた。それには、その日、面会したらしい大企業の社長と、その大会社への怨嗟が混じっていて、「大企業だからって下に見やがって、何様のつもりだ」とか、「こっちはイナバさん(聞いたことのある名前。県会議員だったか?)の紹介で訪問したのに、取引量が少ないからって……土下座でもしろっていうのか!」とか、上昇志向が強くプライドの高い会長が、それなりにお金を積んだのだろうが、政治家の口利きで取引を願い出たにも拘わらず、相手にもされなかった様子が何となく窺えた。三十分近く、怒鳴ったり喋り続けたりで咽喉が乾いたのか、古参の女性社員に淹れさせた、愛用の白い大型マグカップに満たされた高級豆からドリップしたコーヒーを啜り、「何にしてもだ。君に向上心がないのが一番の問題だ。なあ、社長、そうだろう?」と唐突に社長へ同意を求め、社長は、「会長の仰る通りです」と視線を会議室テーブルへ落したまま、頭を下げるように頷きながら答え、会長は、「そうだろう。皆が、そう思っている。それが常識というやつだ」と我が意を得たという風に大きく頷いた。
この数週間、会長は毎日のように彼を叱責していた。プリンターの印刷を少なくしろ、インク代がいくら掛かるか知らないのか? 会社の経費は空気みたいにタダじゃないんだ、ある時は、姿勢が悪いのは、やる気のない証拠だ、もっとしゃんとしろ、等。頭に血が上ると際限なく怒鳴り続けることは知っていたので、「分かりました。申し訳ありません。気を付けます」と、いつも従順に彼は謝っていた。先々月までは、会長からそういった叱責を受けるのは、定年間際の男性社員の役目だった。その男性社員が会社からいなくなってしまい、どういう理由でか、彼がその役目を引き受けることになった。彼は会社では目立つ存在ではなく、会長は居ても居なくても問題ない社員へ目を付ける傾向でもあったのかもしれない。
「君はいつも『分かりました』と言うだけで、一向に改善が見られない。なぜだ? ウチの会社に、そんな社員は必要ないんだ! 分かるか? なあ、社長、そうだろう?」会長が、社長へまた同意を求め、社長は、「会長の仰る通りです」と俯いたまま頷いた――そう言えば、小太りの眼鏡の社長は大学受験に失敗し、何年か浪人してから、役職者として入社したように聞いたことがある。
「もう君には、私はうんざりだ。すぐにでも、辞めてもらいたい!」
会長はそう言った後、不意に口を閉じ、考え込んだ。もしかしたら、少し言い過ぎた、とでも思ったのかもしれない。
「だが、まあ、私も社会的責任を担った経営者としてだな、君にやり直すチャンスを与えなければ、と思う。だから、君がここで土下座でもして、人生をやり直す気で真面目に働くというなら、私も考え直さないでもないぞ」
彼はその時、余りにも酷い、という感情を抑えられなくなって、反射的に口走ったことなので正確な言葉はよく覚えてないが、それでも正面からの反論ではなく、お話は御尤もで何度でも謝りますが、幾ら何でも、そこまでする必要があるのでしょうか? という、彼としては婉曲に、細やかな疑問を呈する言い方をしたつもりで、とにかく、会長の言葉に反論めいたことを口にしたことは確かで、その瞬間、愛用の白い大型マグカップを持った会長の手が激しく前へ突き出すように振られ、濃い茶色の液体が飛沫となって拡散しながら飛んでくる映像が彼の記憶にあり、つまり、コーヒーが宙を飛んで、彼は自己都合退職した。アパートを引き払ってまで日本を旅出ったのは、その時の余波みたいなもので――
「カフェ・ブエラ……」
何の因果か、そこはコーヒー産業で成り立っている国で、俯きながら複雑な思いに沈み込む僕の様子など気にもせず、民族衣装のメスティーソの女の子は、籐編みの平たい籠の中の商品を身に付けては嬉しそうに、似合う? 似合う? と、まるで恋人気取りで僕へ見せびらかした。
歴史ある町には、パルケから数ブロック先の西端の石畳の道路に沿って、横長の古い木造建てで、屋内は壁の仕切りのない、広く奥行きのあるメルカードの建物があった。屋内は小さな区画毎に、食材や日用品を販売する小売りのテーブルや屋台が、広い屋内に狭い通路を縦や横へ形成しながら隙間なく連なっていて、確か屋根裏部屋のような、使われていない二階があったように思うが、記憶が定かではない。観光客向けの土産物を売るメルカードは町の中に何ヵ所か別にあったが、このメルカードは住民の生活の基盤だった。メルカードの建物の左横から裏手へ、地肌が剥き出しになったバス広場が隣接していて、拳銃男と僕が乗車していたのと同じ、再塗装された払い下げのアメリカ製スクールバスが引っ切り無しに砂塵を巻き上げて入っては出て行き、朝夕はカピタルや近くの町への通勤と帰宅の乗客が多いらしいが、僕がメルカードに立ち寄る時間帯は、近隣の村から買い出しに来た主婦――伝統織物の上衣と腰巻きスカートの民族衣装も多い――やマチェテを持った男性が到着したバスから、どっと降りてきて、その中にバックパックを背負った、場違いな欧米の若い白人が少数混じることもあり、バスはすぐに人と荷物で満杯になって、格式高き歴史ある町に、けたたましいクラクションと唸るようなエンジン音を響かせ、不完全燃焼の黒煙を吐き出しながら、発進していった――『チキバス』という言葉を、誰か日本人から聞いた気がする。グアテマラのローカルバスは日本の通勤列車並みに限界まで乗客を詰め込む上に、猛スピードの荒い運転で、毎月のように事故が起こって、バス事故で一度に沢山の人が死ぬ。狭い鶏舎へ詰め込まれて飼育され、最後は屠殺される「チキン」に、グアテマラ人の乗客を例えたのか、チキンレースのように競り合って暴走するバスを形容したのか、とにかく、普段、バスに乗るのも命懸けということで、『チキン・バス』という侮蔑なのか皮肉なのか不分明なニックネームを欧米のバックパッカーから付けられ、日本語でよくやるように、外国語を言い易く短縮した言葉らしかった。
メルカードの裏は、古い平屋や古く見せかけた二階建ての建物が連なった石畳の道路側とは違って、建築物のない、地面が剥き出しの空き地が広がっていて、青空の下にシートを敷いただけの無許可の辻売りが集まっていた。中国製のサンダル、靴下、すぐ壊れるため日本の百円ライターより高く付く香港製使い捨てライター等を並べてシートに座り込み、隣と世間話しながら、のんびりと商売をしていて、数人のメスティーソの若者が、組み立て式の物干し台にハンガーでリサイクルTシャツを二十枚ほど吊っていたので、小さな染みのあるアメリカ製Tシャツ――デザインがメキシコ製やグアテマラ製より日本に近かった――の値段を訊いたら、グアテマラ製の二倍の値段で、染みがあることを指摘して値切ろうとしたが、全く応じてくれず、それ以外にも、中国系か韓国系の東洋人の男が、SchickだったかGilletteだったかの剃刀と替刃の箱を、ポケットが沢山付いた上着へ詰め込み、両手にも持って歩き回り、僕を見ると、同胞を見つけたという感じの嬉しそうな顔で商品を見せたり、古びたカウボーイハットを被った年配のグアテマラ人の日焼けした皺顔の男性が、一ダース単位の紙シートに貼り付けられた十個入りシロップ飴を、紙シートの上部の取っ手穴に紐を通して繋いで肩に掛け、手には紐で束にしたシートを持って、一品ずつ引きちぎって売ったり、そんな風に、空き地だけでなく町中どこへでも、売り歩いている者もいた。
そのメルカードは大部分が食料品と日用品の屋台で、少ないながら時計や小型の電化製品を売る屋台もあった。歴史ある町のメルカードには存在しなかったように記憶しているが、当時のラテンアメリカはCDより、違法コピーのカセットテープが主流で、そういう音楽カセットテープを売る屋台が堂々と、メルカードで営業していたり、カピタル――首都のグアテマラ・シティ――のメルカードでは、お香のような、乾燥させた植物の断片が種類毎に山盛りになった屋台があって、鎖で二つの計り皿を吊り下げた漆黒の天秤が置かれ、ヒッピーっぽい白人が熱心に手にとっては臭いを嗅いでいて、大麻が合法なのかと、びっくりしたことがある。詳しいことは良く分からないが、歴史ある町のメルカードは税金の免除か何かで、どの商品でも二十センターボとか、僅かではあるが商店やスーパーマーケットで買うより値段が安くなっていて、歯ブラシや固形洗剤を買うために、表示のない広い敷地の中の細い通路を巡って探し回ったこともあったが、ほとんどは午後の暇潰しのために歩き回っていた。メルカード内では同じコーラなのに、十センターボではあるが、なぜか値段の違いがあって、バス広場への出入口近くにある原住民系のおばさんの屋台がメルカードでは一番安く、いつもそこで休憩がてらにコーラを飲んでいた。
ある時、その屋台のおばさんが椅子に座って熱心に新聞を読んでいて、僕は屋台の前の通路で、すぐ先の出入口から入って来たり出て行ったりする買い物客の通行を妨げないよう、メルカードの建物の壁へぴったり寄り掛かり、瓶へ口を付けてコーラを飲んでいて、おばさんの様子を見ながら、グアテマラはしょっちゅう殺人や誘拐、大きな交通事故が起こっていたので、また誰か金持ちの娘でも誘拐されたのか、と異邦人の無責任な想像をしていた。おばさんは新聞から、ふと目を上げ、僕の視線に気付くと、僕をしばらく見つめてから、近所のグアテマラ人へ話し掛けるような気安い感じで、チーナでは動物を使って数えるのか? あるいは、動物を使って語るのか? というような、文脈で動詞の解釈と翻訳が変わるスペイン語で質問をしてきて、どちらの意味へ取ったとしても僕には何のことか分からず、おばさんは僕を手招きして、熱心に読んでいた新聞の記事を僕へ見せた。少し角ばった感じの円グラフの内部を扇形に細かく等分したような図が目に入り、等分された図の各項目にスペイン語の単語が表記されていて、それを読むと、確かに動物名が各項目に書いてあって、鼠、牛、虎、兎、とスペイン語を順に読んだところで、干支のことだと気付いて疑問が氷解し、「シィ、シィ、シィ」と僕は何度か深く頷き、これはエトと言うんだ、とおばさんにスペイン語で言った。じゃあ、フエベスは鼠の月、フェブレロは牛の月ってことだね、とおばさんが言い出して、僕は首を傾げて改めて新聞記事へ目を向け、記事のタイトルを読むと、中国の十二の動物による――(知らない単語だった)というタイトルで、図の横にずらずらと箇条書きにされたスペイン語の説明書き、それと、更なるおばさんの断片的な言葉によって、どうも干支で誕生月の運勢を占っているらしい、と推測した。おばさんは自分が十月の生まれだと僕へ言い、僕は口の中で小さく、子・丑・寅・卯・辰・巳……と指を折りながらカウントしていって、十番目だから「鳥」だと思い――今思うと、数えなくても新聞の図の十番目のスペイン語を参照すればよかったのだが、日本で身に付いた習慣的行動をしてしまい――ポリョ、と言いそうになって、「パハロ」と言い直すと、「パハリート!」とおばさんは嬉しそうな声を上げた。おばさんは更に質問を投げ掛けてきて、一方で僕は、干支の動物は月毎ではなく、年賀状のように一年単位で変わるのではないか、と思ったが、中国では昔から月毎に干支を使っていたのかも知れず、日本では西洋占星術の星座や血液型で運勢を占うのが主流で、干支を使った運勢占いは少なくとも僕は記憶になく――そんな疑惑を心に押し留めながら、僕は新聞記事のスペイン語を読み、知恵を振り絞って、自分のスペイン語能力で可能な限りの説明を行い、おばさんは熱心に耳を傾けた。
なぜかハシゴダカのタカハシ君は、僕をよくカフェへ誘った。平日と土曜のレッスンが終わった後の午後と、レッスンのない日曜日の予定作りに苦慮していた僕は、内心、嬉々として付き合った。いつの間にかタカハシ君は、この国の出来事やスペイン語学校の事情について、僕よりも精通するようになっていた。情報源は主にマエストロや『ホームステイ』の家族、それと、日本人旅行者と連れだって頻繁に夜飲みに出掛けてもいたようだ。歴史ある町は治安の問題もあり、夜のエンターテイメントに不足していて、完全に日が沈むと、町の中心部は観光客向けレストランとカフェ、アメリカ系ハンバーガーチェーンくらいしか明かりが灯っておらず、他は固く扉を閉じて沈黙した。町の景観と雰囲気を守るためか、酒場は中心部から遠い、町の外れにしかなく、夜十時には閉店する。ディスコもあったらしいが、僕は一度も行ったことがない、安宿に一人でいた僕は、スペイン語の単語帳を読んで覚えるか、数冊の国別ガイドブックを繰り返し読むかのどちらかで、長い夜の時間をやり過ごしていた。
そのタカハシ君の話によると、最初に通った旅行者向けのスペイン語学校は、経営者の狭い自宅で営業していたが、生徒が五人以上いる場合、家から溢れた生徒のレッスンは、学校で契約したカフェの一画で行われた。しかし、契約していたのは空きテーブルを利用できる権利だけで、何気なくマエストラがメニューの飲み物やケーキを単語練習に絡めてタカハシ君へ勧め、注文する場合は、どうしても気が咎めてマエストラにも同じものを奢らざるを得ず――日本人はこういう時、駄目っすね、とタカハシ君は自嘲気味に言った――それに不満な欧米人バックパッカーは経営者と粘り強く交渉して、前払いした残りのレッスン料を取り戻して学校を辞めていき、フランス人の中年女性は早々に語学習得を諦め、学校外でのレッスンという名目でマエストロに観光案内や面倒な値段交渉をしてもらい。更には、滞在期限の延長手続きまで代行させ、その方が、パルケに面したカテドラル前で客引きしている英語ガイドより、学校へ内緒で手間賃を払っても、ずっと割安だということで、そんな彼等のしたたかさを知り、僕も脱帽するしかなかった。
だが、例外もあるらしく、僕とイングリッドがレッスンをしたことのある、あのオープンテラスのカフェでのことらしいが、カフェの中庭の丸い木製テーブルの上に辞書やノート、筆記用具を広げ、二十代の若い白人女性――容姿やヘアスタイルから推測してアメリカ人に見えたとのこと――が、マエストロらしいグアテマラ人の男と向かい合って、カフェでスペイン語のレッスンをしていて、それ自体は珍しくもないが、奇妙だったのは、アメリカ人女性とテーブルで向かい合っているマエストロが、晴れ渡った空のように瑞々しい青色のYシャツの胸元を大きく開け、折り目の付いたクリーム色のスラックスに同色の革靴という、日本のホストみたいな身形で男前を気取り、木製椅子の背凭れの上へ前屈みになって腰を下ろしていて、つまり、靴のまま座板の上に乗って背凭れに腰掛けていたことで、こういうマナーの悪さは日本では白眼視され、店員から注意されるだろうが、ラテンアメリカでは、迷惑を掛けてなければ大抵のことは誰も気に留めない。生徒のアメリカ人女性はTシャツやジーンズではなく、初夏に着るような襟のある白いブラウスと、腰をキュッと絞めて布のふわっとした、白く裾の長いスカートを身に付け、踵が少し高くなったリゾート風の掛け紐のサンダルを履いていたそうだ。そんな、化粧が控えめで育ちの良さそうな若い白人女性は辞書を引きながら、ノートへ何か記入していて、マエストロはその様子を椅子の上に乗り、高い位置から前屈みになり、じっと、欲望に滾った目で白人女性を見つめ続けていたが、出し抜けに、もう堪らない、という風に、「こう」とタカハシ君は手を前方へ水平に伸ばし――タカハシ君が目撃したわけではなく、誰かから話を聞いただけなのだが、話し手も同じジェスチャーをしていたのだろう――猫の顎下を撫でる時のように、中指と薬指で女性の顎下を撫で、ラテンアメリカでは真面目一辺倒の男は女性の好みではなく、金回りのよいお洒落なワルがモテるのだが、とにかく、男前を気取るマエストロが手を伸ばして、ペットの猫を愛でるように優しく女性の顎下を撫でた、ということで、若い白人女性は顔を少し顰めたのだが、明確な拒絶まではすることなく、見て見ぬふりのように、辞書を引き続けたそうで、その話は、欧米人女性はセクハラに対して断固とした強い拒否をすると思い込んでいた日本人旅行者の聞き手達に大きな驚きを引き起こし、その白人女も満更でもなかったんじゃないか、という下卑たことを言う日本人旅行者がいたらしいが、そのアメリカ人女性も一か月分の前払いしたレッスン代を人質にされて拒否できなかったのかもしれない、とタカハシ君は僕へ私見を述べ、僕は、発展途上国の男性上位が当然のマチスモの国で外国人女性が一人で孤立していては、そういう訳にもいかなかったのかもしれないなあ、と無責任な外野の感想を言った。アメリカ人じゃなくてカナダ人じゃないか、カナダ人は見た目は同じだけどアメリカ人よりずっと大人しいよ、とその場にいた別の誰かが当てずっぽうに言っていたそうだ。タカハシ君とは格式高き『メイドカフェ』で、そんな感じの雑談をしていた。劇的なことは何もなく、何となく興味を惹くが、面白いとまではいかない――身の回りの出来事とは本来、そういうものなのだろう。
「再来週には、一度、チチカカ湖の方へ旅に出ようと思ってます」とハシゴダカのタカハシ君が言った。
「エルサルとかホンジュラスへは、まだ行かないんだ?」僕はナイフで切り取った固い牛肉を、一切れ口にした。
「滞在期限はまだ残ってますし、ティカル遺跡もまだ……ぎりぎりまで……地方を全然見てないので……」タカハシ君はフォークで突き刺した、付け合わせのフライドポテトを口へ運びながら言った。
その日は日曜日で、日曜日はファミリアもお休みとなり、下宿先での食事のサービスがなかった。安宿に滞在していた僕も週末は気分を変えて、安いグアテマラ定食のプラト・ティピコではなく、客の少ないカフェの軽食や、歴史ある町に古くからある三軒のラテン中華料理店で食事を取ることにしていた。
その日の午前に偶然、メルカード近くの歩道で顔を合わせたタカハシ君は、いつもの『メイドカフェ』へ僕を誘い、通り道にあった、パルケから二ブロック離れたコロニアル様式の由緒ありそうな三階建ての建物の一階――以前は大きな文房具店があった場所――に、急速な観光地化が進んで表向きとは別に町はみるみる変貌していて、僕が二度目の旅に出る時にはなかった新しい観光客向けレストランができて、大画面テレビへDVDでハリウッド映画を上映しているのが、外から見えた。二人で自然と立ち止まって、開け放たれた扉と窓の中を覗きながら、出入口脇に置かれた立て看板の英語メニューを読むと、経営者がアメリカ人なのか、骨付きのリブとかTボーンとか、ステーキが売りのレストランで、まだ昼食には早い時刻だったので客はなく、映画の音声――シュワルツネッガーの訛った英語――が虚しく響いて、久々に肉を食いたくなっちゃいました、とタカハシ君が言い、日曜日なのでカピタルからの人が多く、歩道の人波を躱しながら『メイドカフェ』へ歩いて行って、タカハシ君の早い昼食に合わせ、僕も奮発してステーキ――「ビステック」という、スペイン語らしくない、英語が訛ったようなスペイン語だった――を注文した……そう言えば、歴史ある町へ来て間もない頃、無くなってしまった文房具店で封筒を買ったのだった。スペイン語どころか英語での言い方を知らない僕に、僕の断片的な英単語の説明を聞いて、封筒が「エンベロープ」という英単語で、スペイン語は――あれ? 思い出せない――だと教えてくれた十五歳位の店員がいた。店主の息子だったのかもしれない。店が無くなって、どうなったのだろうか? ……
『メイドカフェ』の大型テレビモニターでは、メキシコ人らしいメスティーソの男性ニュースキャスターがグアテマラとは微妙に発音の違うスペイン語で、現地版CNNの国際ニュースをテンポよく読み上げていて、天井の高いコロニアル様式の広間と調度品、イギリスのヴィクトリア朝風の陶器と飾り、さらに、白い前掛けエプロンをしたメイド姿のウェイトレス達がいた。ステーキは少し場違いに思えたが、メニューにはちゃんとあった。僕は、あっという間に皿の料理をきれいに平らげてしまい、タカハシ君に、「早食いは本当だったんですね」と笑われた。
「えっ、いや、そうか。ごめん。つい……」
僕はいつも一人で食事をしていたため、会食相手のペースへ合わせるのを忘れていて、タカハシ君に指摘されて、隠し事を見つけられたように狼狽した。タカハシ君は、にこっと微笑み、ナイフとフォークで半分以上残っているステーキへ取り掛かった。僕はガラスコップの水を飲み、所在なくテレビへ目を向けた。ニュースキャスターはスペイン語でニュースを読んでいて、画面の下方には英語の字幕が表示されていた。耳からのスペイン語と目で読む英語で内容を把握できないか試してみたが、どちらも中途半端な語学力では、上手くいかなかった。
ニュースキャスターの発した「グアテマラ」という言葉が耳に入り、僕はその当の国にいて、意識を集中して耳を澄ませた。「インディヘナ」、「ムエルタ」という単語が何度か繰り返し聴こえる間、テレビモニターでは、民族衣装を着た若いインディヘナ女性が美しく微笑んでいる写真がしばらく映り、次にメスティーソの髭の中年警察官が、取材を受けて昂っているのか、向けられたマイクへ前屈みして早口のスペイン語を勢い込んで喋った。
「昨日、レッスンでホセ・アントニオが言ってましたけど、『インディヘナの女王』が見つかったらしいですね」
僕と同じくニュースを見ていたらしいタカハシ君の声がして、テレビから視線を戻した。ホセ・アントニオはタカハシ君のマエストロの名前だ。
「インディヘナの女王がどうしたの?」
「知りません?」
「ノ・セ」と僕は首を横に振った。
「『ラビン・アハウ』っていう、インディヘナの若い女性を対象にした美人コンテストみたいなものがあるんです」とタカハシ君は意外そうな顔で言って、コップの水を飲み、「普通の美人コンテストと違って、民族衣装の着こなしと、インディヘナの伝統と原住民の権利についてのスピーチで、女王を決めるそうですよ――」などと説明を続けた。
ガイドブックを毎夜熟読する僕が、インディヘナの女王のコンテストのことを知らない訳はなく、ニュースのことを知らないと言ったつもりだったが、「へえ、そうなんだ」と、そのまま受け流した。
「ガイドブックにも書いてあると思いますよ。で、そのインディヘナの女王が、今年はまだだから、去年の女王ですが、この数週間ずっと行方不明になっていて。まあ、誘拐されたんでしょうが、身代金の要求が全くないままで、強姦された後に殺されて埋められていたのが発見されたそうです」
タカハシ君はなぜかステーキの皿へ視線を落とし、「何か、インディヘナに対してそういうの、やたらと多いですね」と言い、僕等も気を付けるべきなんだろうな、と僕は言おうとして、止めた。テレビモニターは、もう別のニュースに変わっていた。
「この国で食べるステーキ、すごく固いですよね」と最後の一切れを見つめながら、タカハシ君が言った。
「そうだね。メキシコも中米のどの国でも、ビステックは固かったなあ。そんなに食べないから、気にしてなかったけど……でも、霜降りみたいに、脂を多く太らせて肉を柔らかくするのは、日本だけだって聞いたことがある」
「あ、いや、その、ある人が水牛の肉じゃないかって……まあ、折角のステーキだし、気にしない方がいいですね」タカハシ君は最後の一切れを口に入れた。
僕はそのタイミングで、いつでも客へ供せるよう受け皿に据えられた白い陶器のティーカップと、白い陶器のポットが幾つも並ぶ年代物のテーブルの前でお喋りしていた、紺色のワンピースのメイド服の上に白い前掛けエプロンを付けた平均年齢の高いウェイトレスへ手を挙げると、指を二本立てて、「ドス・カフェ」と言った。慌ててこちらへ向かおうと踏み出していたウェイトレスが足を止め、チョコレート色の皺顔で頷くと、テーブルから陶器のポットを取って、厨房へ続く廊下の中へ消えていった。
顔を上げ、所在なく周囲を見回すと、彼は会議室にいて、テーブルの上に造花を挿したアールヌーボー風の花瓶はなく、壁に印象派の模造絵画もライオンズクラブのエンブレム付き会員証もなく、正面に、青マーカーの消し忘れのあるホワイトボードがあって、ドアの上にひっそりと、社名がエッチングされた青銅の薄汚れたプレートが掛けてある。彼は現実の自分が存在する場所を把握し、足がひどく痺れてしまっているのに気付いて、組んだ足を解いて、しばらく伸ばしてから、足を左右逆に組み替える。彼が身動ぎする度に、パイプ椅子がギシギシと音を立てる。
時計を確認したが、思いの外、時間は経過していない。気付かない内に夜になっていなければという仮定の話ではあるが、窓の外はまだ明るい。彼の意識の中では止め処なく、溢れるような思い出――長い物語を見ていたような気がして、頭の中の時間感覚と物理的時間が必ずしも一致しないことは、彼のそれなりに長い人生で数えきれないほど経験してきたことだが、何か現実感を欠いた、夢から覚めた時のような当惑を感じる。
彼は窓の外の、空へと伸びる煙突へ目を向ける。陽炎のような煙が朧げに立ち昇っているだけで、活動を休止しているようにも見える。彼は川向うの対岸にある巨大製鉄所の、会ったこともない従業員達へ思いを馳せる。夜勤の従業員達は巨大製鉄所の広大な敷地から出て、もう帰宅の途上にあるのだろうか? 彼自身はずっと、どこへも行けないままでいて、なぜか、巨大製鉄所の夜勤帰りの従業員達の幸せを願うような気持ちになり、それから唐突に、人生には特に意味はない――のかもしれない、という考えが浮かぶ。しかし、意味はなくとも、人の生の無意味さを悟ると断食して自ら餓死した古代インドの聖者のように言行一致を遵守する必要もなく、生物学的な死が訪れるまでの時間稼ぎ――暇潰し――をしていればいいだけで、どんな理不尽なことがあっても真剣に思い詰める必要はない。そう考え直して、彼は少し気が楽になる。意味の無さは、ある意味、彼の救いになり、反面、そのことに気付いてしまったことが彼の不幸でもあり、彼はまた、どうしようもなく、旅の記憶から空想を膨らませ……