五月雨を越えて 作:衝角
夏が来たと、学生諸君が感じるのは果たしてどの時か? その回答は個人によってまちまちだろう。運動部なら日差しの強さだったり、汗の滴り方だなんていうかもしれない。園芸部なんかは特定の花が咲いた時だ、とすんなり答えるのかもしれない。
ただ、学生においては一つだけ否応なしに夏を感じさせるものがある。
「……では、皆さん。明日から夏休みとなりますが、決してはめを外し過ぎないように宜しくお願いしますね」
夏場だというのに、生真面目にきっちりとスーツを着込んだ担任の定型句を聞き流しながら教室を後にする。
しばらくはこの教室に来なくていいというのはいい。なんなら、もう卒業式前ぐらいまで来たくないまである。授業範囲あとちょっとしかないからいいでしょ? え? ダメ? ……しょうがないにゃあ……。
不寛容に打ちのめされながら、とりあえず塾の方へ自転車を漕ぎ出していると後ろからもう一台ついてきた。
「比企谷も、塾行くの?」
すーっと横に並びかけてきて彼女はそんなことを宣う。
肩ぐらいに切り揃えられた黒髪に、あどけない顔立ち。亀井野や折本ほど目立つ感じではないが、こざっぱりとしていて、美少女に区分して差し支えないだろう。
彼女の名は山北珠紀。俺と同様に亀井野と塾でつるみ、勉強を見てもらっている女子だ。
……まあ、彼女と同じ中学だと知ったのはわりと最近のことだったが。
「帰ったとこでやることねえからとりあえずな」
「じゃあ、先に行って待ってるか」
バレーボール部で部長をやっているだけあってか彼女の自転車はあっさりと俺を置いて塾の方に向かっていく。俺は無理に追わずに、自分のペースでペダルを漕いだ。
夏の陽に当てられ、汗を流しながら30分ぐらい漕げば、津田沼の駅近辺に辿り着く。
が、時刻はまだ午後2時前で講義の時間にはまだ早い。それにせっかく津田沼に出てきたわけだから少しぐらい書店を覗いたりしたい。夏休みに本格的に受験勉強をするなら、そんな暇もなくなるだろうし。
「あれ、比企谷くんサボり?」
マルゲンで新刊を確保した後、1階のカフェの前を通っていると、涼やかな声が耳朶を打つ。
声の方に顔を向けると、亀井野がコーヒーを片手に佇んでいた。
「サボりって言ったらお前もだろ。優雅にコーヒーなんか飲んでやがって」
「夕方になったら塾に行くよー。それにしても、学校が早く終わると暇だよね。朝からお姉ちゃんとこで家事をやってたけど、全部やってなお、この時間だもん」
「俺なんか塾なんて行ってる時間すら惜しいけどな。ぼっちには色々やることがあるんだよ」
たとえば、エアコンで部屋をガンガンに冷やしておいて今さっき入手した新刊をコーラ片手に読むとかな。
「色々やることがあるって言っても家の中でしか出来ないことでしょ。外でやることないなら、わたしとコーヒーでも飲んでる? 中は涼しいしね」
「そうだな」
短くそう返して、亀井野と一緒に店の中に入る。するとコーヒー豆の芳醇な薫りが鼻腔をくすぐった。俺は適当に空いていた席に座り、とりあえずアイスコーヒーを頼んでおく。
それにしても、落ち着かない。
俺1人で入るには気取りすぎている店だというのもあるし、客層が女性かカップルしかいないというのもある。
なにより、亀井野が私服で俺が制服だというのも少し据わりが悪い。私服が駄目なわけじゃあない。むしろ普段着のセンスが良いのが困る。口に出したら最後、調子に乗り出すから言わないが。
加えて問題になるのは服装じゃなくてシチュエーションだ。
こんな美少女と目腐りが、カフェで同じ席に座る。
デートと言うには色気がなく、友達というにはぎこちない。となるとアレか、美人局ってやつか。
ともあれ、周りのお客様方と比べると俺と亀井野は異質な空気感だろう。
そりゃあ、落ち着かない。
「ここにはよく来るのか?」
「たまにね。山北ちゃんと勉強会する時に使ってるくらい」
俺ではなく、山北なら確かにこのカフェで勉強会をしても違和感はない。気取った雰囲気こそないが、あいつにはどことなく華というべきものがあった。
「山北ちゃんも部活終わったからこれからは3人でやる頻度も増えるね。あの子はなんというか、全体的に足りてないから国語科に関しては比企谷くんが見てあげて欲しいんだ」
「国語科なら俺でもやれるか。わかった。いいぞ」
国語に関しては得意だ。学校の中でも2位か3位ぐらいにはつけている。というよりも俺は学校での成績はむしろいい方なのだ。……数学が赤点スレスレの低空飛行だからか、アペレージを著しく下げてはいるが。別に数学は社会に出ても使わないし、いらないよね?
「ありがとう、比企谷くん。で、なんでそんな腐った魚の目をしてるの?」
「ああ、ちょっと先の未来のことを思い描いてた。大概ろくでもない未来だったが」
「ちょっと先の未来といえばさ、せっかくの夏休みだし少しぐらいはどっか遊びに行こうと思ってるんだよね」
「そうか、楽しんでくればいいんじゃねえか?」
「自分1人で楽しむつもりなら比企谷くんにこんな話は振ってないよ」
そう言って、亀井野はニヤリと悪戯っぽく口角を上げる。
「で、どうかな? 比企谷くんはどっか行きたいとことかないの?」
「夏休み前に旅行の話を持ちかけてくるなんてお前は鬼かよ。受験生に誘惑と油断が禁物なのは知らんの?」
「でも、1日ぐらいなら構わないよね? 人間って禁欲したら壊れる生き物なんだよ?」
「それはそうだが、場所とか諸々どうするつもりだ?」
「それは、本格的に夏休みに入ってからゆっくり決めればいいでしょ。場所とか決まったら、また連絡するね。お互い連絡先は知ってるわけだし、問題ないでしょ」
確かに俺と亀井野は連絡先を交換してる。塾でたまに待ち合わせしたり、模試の情報共有やらで互いにそれが必要だと判断した結果だが、よもや事務的なこと以外で使用されるとは思わなかった。
なんか夏休みが始まったそばから波乱の気配しかしないんだが、大丈夫か……?
B
結果として7月に関しては俺たちは至極真っ当に受験生としての義務を果たしていたと評して差し支えないだろう。
いつもの喫茶店や地域センターなど涼しいところを陣取り亀井野が俺たち2人に指導を加えて、陽が沈む直前に適当に晩飯を食べて帰る。
そんなパターン化したサイクルを回していた。
だが、8月1日にそのサイクルは他でもない亀井野の手によって止められることになる。
「お盆休みは塾が閉まるみたいだから、その辺りでどこか海にでも行こうか。せっかくこの3人で集まって勉強だけしかしないというのも味気なくない?」
「海かー。いいね、行こうか」
アイスブレイクの時に、亀井野がくだんの話を切り出すと真っ先に山北が食いついた。
「比企谷くんはどう?」
俺にも話は振られるが、女子2人が乗り気になっている状況ではいささか旗色が悪い。が、せっかく家でぼっちライフを満喫する好機だ。悪いが、ここは押し切らせてもらおう。
「お盆は実家があれで、ちょっとな。……まぁ行けそうなら考えとくわ」
いかにもお盆休みに予定があるように振る舞いつつ、相手の機嫌を損ねないように言葉を濁す。ちなみにぼっちの考えとくはすなわち行かないとイコール。ソースは俺だ。
実際のところは、我が比企谷家にお盆休みの予定などない。なにせ、パパンとママンがサビ残で疲れ果てていて家で小町を甘やかすぐらいしか余力が残ってないからな! ……なんだろう、言っておきながら少し悲しくなってきた。
「……そっかー。じゃあ、仕方ないね」
俺の返答に対し、寂しげに目を伏せる亀井野。
なんというか、かなり罪悪感がすごい。
その手の類に耐性がある俺でもこうなのだから、常人がこれを食らったら罪悪感と良心の呵責で押しつぶされること間違い無しだ。
だが、その程度で俺の決意は崩れはしない。
お盆に海なんてとんでもない。海水浴場なんかはリア充たちが占拠しているパワースポットだ。
こんなところにぼっちが来たら死んでしまう。なんとしてでも逃げるべきなのだから。
C
例の話し合いの翌日。俺と小町はららぽーとまで出てきて買い物に勤しんでいた。
今日は珍しく勉強会はなく自由を謳歌できるはずだったが、小町にお出かけをねだられてしまっては従う他ない。
古来より千葉の兄妹はシスコンである宿命に抗えないのである。
「お兄ちゃんとこうして外に出るのって久しぶりだよね」
「受験生だからな、さすがに例年通りとはいかないだろ」
小町に先を行かせながら、俺は適当に相槌を打つ。
確かに同じ中学になって朝一緒に登校していたから感覚が鈍ってはいたが休みの日に小町とこうして出歩くことは久しい。
「お兄ちゃん、勉強の調子はどう?」
「まあ、ぼちぼちだな」
元々国語の学力に心配がないことに加えて、亀井野の指導のおかげか英語と社会科も順当に行けば、総武の合格ラインには届く。理科系はまだマシだが、どうにも数学だけは低調だ。おそらくはかなり死にものぐるいでやらなければ、届かない気がする。定期テストでの赤点は回避していたため、多少は地力が付いていることぐらいが救いか。
とにかく今は塾の教材や机に噛り付くしかない。勝負どころはやはり今なのだ。
「小町としては、お兄ちゃんに勉強して欲しいのは山々なんだけど、あんまり根を詰めてもよくないからね。夏休みはまだまだあるんだし、たまには息抜きした方がいいんじゃないの?」
「小町、この兄の心配をしてくれるのか。優しいな」
「小町的にはお兄ちゃんが家にずっといるのが、ちょっとね。最近はよく外に出てくれてるからそのままアウトドア派の逞しいお兄ちゃんになってくれればいいなーって」
優しさどころか体のいい厄介払いであった。あれ、ちょっと涙が出そう。
「俺は小町と一緒にいたいんだがな」
内心傷つきながらも、俺は小町の頭に手を乗せる。言動とは裏腹に小町は俺の手を拒まず、静かに撫でられている。
それにしても、うちの小町は可愛いなー。もちろん、恋愛的な意味ではなく家族的、身内の情としてではあるが。いくら千葉の兄妹とはいえ、そこばかりはね……。
そんなたわいもないことを考えながら頭を撫でていると目の端に見覚えのある色彩が映り込む。
……やべえ、目が合ったかもしれん。
「……亀井野?」
「あれ? 比企谷くん、偶然だね。隣は話に聞いてた妹さんかな?」
「お兄ちゃんがお世話になってます。妹の比企谷小町です!」
「亀井野皐月だよ、初めまして。比企谷くんとはあれかな。同じ塾仲間ということでよろしく」
小町は好奇心旺盛に亀井野の姿を見上げている。
無理もない。亀井野は見た目だけならばモデルにすら勝るとも劣らないから小町も見惚れてしまうのは仕方ないだろう。
しかし、困った。
ここで鉢合わせするということはつまり、昨日の話を蒸し返される可能性が十二分に存在する。
「ところで、亀井野は何しにららぽーとに来てたんだ? なんかセールとかやってるわけでもないと思うんだが」
「比企谷くん相手だとちょっと恥ずかしいけどいいか。お盆休みに海に行くから新しい水着を買いに来たんだよ。……ほら、去年のがもう入らなくなってきちゃったからさ」
そう言うが、亀井野はすらりとした身体つきをしている。つまり何が入らなくなってきたかは言うまい。
ただ「発育が良いのも考えものだな」とどうでもいいことを思うだけだ。
「皐月さん、海に行くんですかー。いいですねー、小町なんてお盆休みと言ってもお父さんとお母さんと3人でちょっと伊豆に1泊しに行くぐらいですから」
「ちょっと待て小町。お兄ちゃん、そんなこと知らない。それになんでしれっと俺が省かれてるのん?」
「だってお兄ちゃん、去年一緒に行くの断ったでしょ。中学生にもなって親と一緒に家族旅行なんて恥ずかしいって」
「……確かに言ったが」
反抗期というわけではなかったが、なんか家族で旅行に行くことが妙に恥ずかしかった。
なんというか実際問題ガキではあったのだけれども、ガキとして見られたくはない。あれはそんなちっぽけな虚栄心が引き出した台詞だったのかもしれない。
「じゃあ、比企谷くんいけそうだね。どうする? 嫌ならそれはそれでいいけど……」
「せっかく誘ってくれてるんだから行ってきなよ、お兄ちゃん」
ついには小町まで退路を潰してきた。さしずめ前門の亀井野、後門の小町か。……なんか、あっさり突破できそうだな。
どう断ろうか算段していると、小町がすっと耳打ちしてくる。
(……お兄ちゃん、なんか断ろうとしてない? いいの? こんな美人な人とごみいちゃんがお近づきになれることなんてこの先ないかもしれないよ?)
小町の奴はなにやら勘違いをしているが、俺には亀井野をどうこうしてやろうという気は持ち合わせていない。むしろ、持ち合わせていないからこそ、ここまで近づくことを許されたわけで、何か一つ間違えた途端にこの関係は瓦解する。
だから、俺にも今一つ亀井野が誘ってきた意図が分かりかねている。
俺たちはただ塾で静かに過ごし、なおかつ互いに教え合って総武高校への合格を目指す目的で集まっていたと俺は認識している。だが、どうも亀井野は違うらしい。
彼女は俺たち3人の関係性に一体何を望んでいるんだろうか。それがさっぱりわからない。
わからない以上はやはり確かめに行くほかないのだろうか。
「……いつぐらいに行くんだ?」
「14日のあたりを考えているんだけど、2泊3日でちょうど向こうの人の都合が合いそうなんだ」
「わかった。じゃあ、もっと詳しく決まったらSNSで連絡をくれ」
どうやら既にプランはある程度固まっているようだった。なら今日のところは詰めなくても十分だ。
「なに、お兄ちゃん。早々と別れようとしてるのさ? 皐月さんと遊びに行くならお兄ちゃんも水着を買わなきゃでしょ」
「いや、学校の授業のやつで十分だろ」
「ダメだよ、お兄ちゃん。さすがにそれは小町でもうなづけないかなぁ……。ちゃんとしたやつを買わないと、皐月さんたちにも失礼だよ。……というわけなんで、皐月さん。これから兄に水着を買わせるんで、小町達と一緒に見て回ってもらってもいいですか?」
「もちろんだよ。どうせだったら、わたしも選ぶからね」
そう言うや否や亀井野は小町と並んで始める。あっという間に俺は小町と亀井野の狭間に挟まれて逃げ場を完全に失ってしまったのだった。
D
俺と亀井野の水着の調達は俺に関してはあっさりと決まった。
俺的には履ければなんでもいい。結果的に黒いカーゴパンツのような水着を購入した。
ただやはり女子の方が時間がかかるようで、俺は先に店の外のベンチで座って亀井野と小町を待っておく。
ちなみにこの時は頭を俯かせて座っておくのがベストだ。
だってほら、目の前が女性の水着の店じゃん? 目のやり場に困るし、この目の腐り具合から考えると店員さんに不審者と間違われて警備員さんに引っ立てられかねない。
「比企谷くん、お待たせー」
周りに怯えながら時を過ごしていると、ひと足先に亀井野が帰ってきた。
「小町は?」
「やっぱり自分の水着も買いたいって言ってお店の中をまた1人で回ってるよ」
「そっか」
俺は短く答え、正面を向かないよう注意深く視線を泳がせる。亀井野も俺の隣に腰を下ろし、ふわりと漂うフローラルな香りが鼻をくすぐった。
「比企谷くんの水着、なかなか似合ってるね。意外とスタイル良かったんだ。普段からもう少し姿勢を整えてみれば、それなりにカッコよく見えると思うよ」
「……そりゃどうも。だが、あいにく良く見せたい相手がいなくてな」
居るとしたらせいぜい小町ぐらいか。だが、小町は俺のどうしようもない部分をすでに知っているからさして意味はない。
それに折本のことが好きだった時に学んだが、変に狙った振る舞いをしようとするとどうも俺は上手く行かないらしい。
そして、そこまでして関係を得たとしても維持できずに瓦解する。
そんな関係性は俺の本意ではなかった。
「それにしても、小町のやつ長いな」
人が行き交うららぽーとの中で俺と亀井野が座っているこのベンチだけがまるで周囲の喧騒から切り離されたかのように静寂が続いている。
ふと、隣の少女に目をやった。
華やかな銀髪に上品な印象の白いワンピース。いくらでも人目を惹く彼女はこんなベンチで静かに佇むのではなく、目の前の人混みの中で山北とかと談笑しながら歩き回る方が映えると思う。
ぼうっと眺めていると、人混みの中からこちらの方に抜け出る人影があった。
背が高く、顔立ちが整ったいかにも好青年といった感じ。そいつは亀井野の姿を認めるとごく自然に近づいて声を掛けていた。
「亀井野さん、こんなところで会うなんて珍しいね、横の男の子は友達かい?」
「んー、塾友達っていったところかな。葉山くんが1人なのって珍しいよね」
「ああ、ちょっとね。サッカーのシューズを見にきていたんだ。自分が使う物は自分の感覚で選びたいからね」
「それはちょっと分かる。いくら友達とはいえ、触れさせたくない領域ってあるからね」
「そう言う亀井野さんこそちょっと珍しいかな。亀井野さんって僕のクラスだと男嫌いで通っていたから、男の子と2人で並んで座ってるのをみた時少し驚いた」
「今のわたしのキャラ付けってそんな感じになってたんだね。……でも、葉山くんからしたら意外ってほどではないでしょ」
「そうだね」
澱みなく返す亀井野だが、その表情はややぎこちない。ただ、葉山何某に対して親しみを持っていないわけではないらしい。
「……ああ、ごめん。つい話しすぎてしまった。すまないね」
「俺は別に構わないが」
このまま固有結界を展開されて除け者にされそうな雰囲気だったが、葉山何某は俺に軽く頭を下げる。
「僕は葉山隼人。亀井野さんとはそうだね、長い付き合いとだけ言っておこうかな」
「勘違いさせるようなことは言わないで欲しいかな? ただ同じ中学で同じクラスに2回なっただけでしょ」
「あはは、手厳しいな……」
ばっさりと切り捨てるような亀井野の物言いに葉山は苦笑いを浮かべる。
そんなに付き合いが長いわけでもないが、俺が知っている限り亀井野が他人にこういう砕けた態度を取るところは見たことがなかった。
「で、葉山くん。シューズはもう見たの?」
「いや、まだだね」
「なら、早く行って来なよ。わたし達は用件が済んだからこれから帰るとこなんだけど」
「……そうだね。なら、僕はこれでお暇しようかな」
亀井野に促されるようにして、葉山はまた人の流れの中に戻る。
「さて、結構時間が経ったけれど小町ちゃん帰ってこないね」
「そうだな」
誤魔化すように言う亀井野に対して俺の反応は淡白なものだっただろう。
……正直なところ、小町のことは抜け落ちていた。
よくよく考えたら、亀井野は人を引きつける力のある人間だ。だから、学校で別の誰かと交友関係を持っていたとしてもおかしくはない。
あぁ、つくづく嫌になる。手痛い思いをして、少しぐらい変わったかと思えば、そうではなかった。
亀井野と俺の関係は塾友達でしかない。何度も自身にそう言い聞かせておきながらも、俺はまたずれた期待をした。
亀井野皐月にとって、比企谷八幡は特別な存在である。
そんな期待を、俺は亀井野皐月に勝手に抱いていたのだから。