この創作物はフィクションです
参考文献
福岡TNCニュース、「福岡抗争史」
https://youtu.be/8_LuspZpnYM?si=5XnZL6nYDMSqqD_w
https://youtu.be/RYJiRGOsrCA?si=TnbLkmFj_lvssx-s
誇れるような生き方をしてきたとは思っていません。ただ、お天道様に唾を吐いたらそれが帰ってきただけですから。
私が生まれたのは1948年、戦後間もない頃でした。私の家は裕福というわけではないので学校にも行かず、炭鉱で働いていた親の手伝いをしてはいましたが、そんなの当時の筑豊ではよくあることでした。
今では信じられないかもしれませんが、当時のヤクザには夢がありました。確かにやくざ者になるのは碌でも無い奴ばかりでしたし、シャブなんかにハマって失敗する阿呆やつまらない事をしてムショの中にずっといるこまいやつなんてのはザラにいました。ですが、度胸さえあれば学がなくても上にいける世界でもあったんです。だから、肩で風を切って歩きたい、いい女を抱きたい、旨い酒を飲みたい、いい車に乗りたい、なんて思いで自分からヤクザの世界に足を踏み入れるやつも多かった。「おめぇあの工場就職するんげな。 俺は腕っぷしがあるき、ヤクザになるばい」みたいな会話はザラにありました。一応組に入れるのは十八歳からだったんですけど、その時までは地元の奴らとつるみながら前々から有望なやつはどこかの組から声をかけてもらったりしてるわけですね。
そういった状況だったのは社会全体が今ほどヤクザ……、今で言うところの暴力団に対して厳しくなかったというのもあると思います。
当時はマル暴だって今よか優しかったです。そりゃあいばしくて腕っぷしのあるやつがやるってのは今とは同じでしたが犬猿の仲ってわけじゃあなかった。いきなり事務所に来て「ぼんくら共、悪ぃことしよらんか?」みたいなことを聞いてくることはよくありましたけど、まぁマス掻いてる時に来る母親みたいなもんです。はよ帰れとは言うし隠すもんは隠すけど喧嘩するほどではなかった。それに、マル暴の人って組の人間を全員把握してたんですよ。だから彼らが来た時に新顔がいると、そいつに「お前見たことないね?」って聞くんです。それで「新顔です、顔を覚えてやってください」なんて言ったら写真撮って構成員の一員としてあっちの方で記録するんです。当時はそれで初めて組の一員になったって認められるようなもんでした。だから、新顔なんか「ありがとうございます」なんて言うんですよ。今は無いですよね、そういうの。
そんな状況が変わったのは、一人の親分がお務めを済ましてきてからでした。
カリスマ、って言うんですかね。あの人はそういったものを持ってました。
ヤクザ社会は今も昔も縦社会です。上に指示されたらなんでもやらなきゃいけない。でもやっぱり私達も人間ですし、その中でも飛びっきりの跳ねっ返りが集まってるわけです。当然皆口には出しませんけどムカつくな、いつかアイツらより上に立ってやるって思ってました。本当に絶対に口には出せないんですけどね。ですけど、あの親分……、木原さんには逆らう気は全く起きませんでした。それどころか木原さんのためなら死んだっていいなんて組員全員思っていたと思います。あの人は間違いなく本物で、成り上がるべくして成り上がった人でした。
そしてその後は皆さん知っての通りだとは思いますが、木原さんは三年かけて北九州を統一しました。絵図を描くことが得意な人でしたからね。それに関して書くならばそれは私ではなく歴史の話になってしまうので今回は割愛します。
それでもって北九州を統一した後ですが、私達はその頃から少しずつおかしくなっていきました。最初からおかしかったと言われたらそれまでですが、当時の私達……、木原さんは異常でした。
きっと少しばかり天狗になっていたのでしょう。西はともかく東から同業が海を渡ってくることは少ないですから、木原さんは北九州では最強の存在でした。あの頃は日本全体に金もあって地上げも好調、シャブも抜群に売れて事業も悉く成功していたというのもあります。この国そのものに熱があったんです。今思えば全員それに浮かされていたのでしょう。そんな中で競合する相手はもう潰した後でしたからもう組の財政はがっぽがっぽでしたよ。人生の絶頂期だと勝手ながら当時は思っていましたね。当時の私たちは無敵でした。
ですけども、それも長く続かなかった。
全てが変わったのはバブルが弾けた頃です。それ以前からマル暴の取り締まりは年々厳しくはなっていましたが、馬鹿なことやってるよと笑っていました。ただ、暴対法ができてからはそうも言ってられなくなった。
私らのシノギが殆ど全部違法ってことになるんですからね。慎重に動かざるを得なくなってしまった。そんな状況なのに私らの金銭感覚自体はバブル期を基準に下げられなくなってしまったんです。今までできていた贅沢を我慢なんてできません。特に上の方はそれが顕著でした。更に言うなばヤクザ同士の関係でも金銭の単位が一つ上になってしまっていたんです。だから今まで通りの金額を出さないと相手を舐めている、無礼だとなってしまうわけです。自分達の首を自分達で締めていることはわかるけど面子の問題で誰もそれを言えないわけです。
上の方はその面子の影響で金を持っていましたが、下の者は大変でした。ただでさえできることが少ないのに金ばかり出ていくわけです。そうすると当然組員は減っていきますし、残ったヤツにその分の稼ぎが求められます。その結果、私達はカタギに手を出しました。
別にそれまでカタギに迷惑をかけてなかったとは口が裂けても言えませんよ。ですけども、暴対法以降の私達の動きは任侠とは言えないものでした。弱気を助け強きを挫く、その意思でやっていたもんなんて多分居なかったんじゃないでしょうか。そこからはもう私らは衰退の一途を辿りました。
私たちの組は精々が千人程度、それに対して警察は数十万人、市民にまで対象を広げるなら一億人以上です。まともにやりあって勝てるわけがない。しかもそれが昼夜を問わずにこちらのシッポを掴んでこようとしてくるんです。毎日誰かが昔の覚えてもいないような罪で捕まってムショからもう出られなくなるくらいの懲役を食らうってのが何年も続きましたよ。
もう女を抱いてる時も飯を食ってる時も便所にいる時も、ずっとビクビクしなきゃいけないわけです。頼む、バレてないようにバレてないようにって。しばらく経って捕まった時は逆に心が凪いでしまうくらいでしたね。これで終わるんだ、と。
幸いと言っていいのかはわかりませんが、私の刑期は比較的短いものでした。刑務所から出た今は当時マル暴だった人がやってる社会復帰のキャンペーンに参加させていただいています。
今の若い人たちに伝えたることがあるとするなら、私達のようにはならないでほしい、ということです。今の時代暴力団の力こそ弱くはなりましたが、半グレや闇バイトといったものは存在しています。ですけども、それに関わって得をできる人間なんていません。短期的に見ていいことがあったとしてもいつか揺り戻しが何倍にもなって帰ってきます。繰り返しにはなりますが、あえて強く言わせてください。私達のようにはならないでください。