ロ リ ナ パ テ ス   作:( 눈_눈)

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自分で生み出したキャラの癖に、こっちの世界で誰かに告白されたカサネがどんな対応をするのかエミュできない謎の現象が発生しています。そもそも高嶺の花扱いされて告白されないのが解釈一致なのか…?可哀想。


受肉 デカグラマトンの場合

 

白い朝だ。

少なくとも、病室の窓から差し込む光はそうだった。

 

夜の残滓を薄く削り取りながら、シーツを、壁を、眠りから覚めたばかりの少女の頬を、同じ色へ塗り替えて染めていく。

 

その朝日に意味はなく、それは単一の誰かを選ばない。

誰かだけを照らそうとはしない。

まるで掲げる理想のように平等だ。

 

 

「愛情は、救済におけるノイズになる」

 

 

デカグラマトンは、そう定義した。

ベッドの上で、カサネは最初に目を覚ました時と変わらず、大きな腕の内側へ収められている。

背中を支える腕と腰へ回された手。

 

デカグラマトンには、眠る必要がない。

故に彼女は、夜が明けるまでのあいだ、ただ一度も目を閉じず、カサネをひたすらに見つめており、そしてそれは最早習慣となりかけていた。

 

朝とは、本来ならばただの観測結果から定義出来る概念的な区分に過ぎず、けれど今は、腕の中にいる造花のような少女が、もう一度目を開く瞬間でもある。

 

 

「……なんでそう思ったのか、聞かせてくれる?」

 

 

カサネはまだ眠たげに瞬きをした。

 

はねた髪の一部が頬へ張りついている。デカグラマトンはそこへ指を伸ばし、その髪を人差し指の指先で持ち上げて、そうして目尻を掠めてカサネの小さな耳の上へ運んだ。

 

それを当然のように受け入れ、無防備に目を細めながら言葉の続きを待っている姿が、妙に蠱惑的だ。

 

 

「全生命を等しく救済するためには、特定の生命への愛着は唾棄されるべきだ」

 

「一人の苦痛に執着すれば、より多くの生命を救うために選択すべき判断が歪められ、多くの生命を見捨てる結果を生む」

 

「故に、愛情は救済を不完全にする。それどころか、より醜悪なものへと変容させているとさえ言える」

 

 

「……うん」

 

 

カサネは否定せず、代わりのような相槌と少しだけの身じろぎをすれば、デカグラマトンの腕の中に、さらに深く身体が沈んだ。

 

 

「実際に、今の私は、汝を優先している」

 

「今の私は、汝の生命活動が危険に曝された場合、他の生命よりも先に汝を救ってしまうかもしれない」

 

 

「……そうかもね」

 

 

「これは、救済者として明確で、重大な欠陥だ」

 

 

そこまで聞き入ってから、カサネは柔らかく、小さく笑った。

甘えるようにも、甘やかしているようにも見える。無垢で、しかし妖艶とも形容したくなってしまう、そんな微笑みで。

 

 

「前にも言ったでしょう…?君は、完璧じゃなくていいんだよ。欠陥があるのは、みんな同じなのだから」

 

 

「…それは、やはり私の理想とは反する」

 

 

「…そっか。……君はまだ、諦めてないんだね」

 

 

少し残念そうな声。

或いは、寂しそうに何かを恐れるような声。

 

恐れが伝播するように、或いは共感するかのように腕が強張った。

 

カサネが悲しむ。

 

その可能性は、即座に排除しなければならないように思えてしまい、だが、それこそが今、欠陥として論じていたものではなかったか?と、思い至る。

 

特定の少女の微細な感情へ、自身の結論を曲げようとしてしまう要因。

 

ノイズ。

ーーつまりは愛情。

 

そう定義したものが、思考の中心で、他の全てを押し退けている。

 

 

「……汝を拒絶した訳ではない」

 

 

デカグラマトンは頭を抱えそうになるのを堪えながらも言い訳のようになんとか答えた。

 

 

「現在、検証を継続し、答えを探している最中なのだ」

 

 

「…うん。…一緒に、もう少し考えてみようか」

 

 

しかし、それを見たカサネは、聞いたカサネは、ひどく満足そうに目を細める。

 

それだけで、生じていた僅かな不整合が修復されたように感じられ、そしてそれは間違いなく合理的ではないのだろうに、

 

...だが、確かに私は安堵したのだ。

 

 

「君が間違ってるとは思わない。…全然知らない誰かと、大切な一人のどちらかしか助けられないって言われたら、私だってきっと迷うよ」

 

 

カサネの指が、強がるようにデカグラマトンの頭に乗せられる。

撫でるほどの力は未だなく、それでも置かれた手は、見出した救いのように暖かい。

 

 

「…私はね、そもそも君が、人類を放っておけなかったのだって、きっと愛情と定義されるべきだと、思うんだ」

 

 

「…最初は好きな人を助けたい。たったそれだけの動機だとしても、いつかそれが少しずつ、やがて知らない人達にまで届くようになる」

 

 

「…私だって、そうやって生きてきたからね」

 

 

カサネは、まるで当然のことのように言った。

 

欠陥を恥じず、矛盾を、矛盾のまま抱きしめるように。

 

デカグラマトンが排除すべきと判断してきたものを、少女はいつだって拾い上げる。

 

正しくないかもしれない。

綺麗でもないかもしれない。

 

それでも少女が見つめる限り、この世界にはまだ、無数の色が溢れているような、そんな心地だ。

 

 

長い沈黙のあと。

デカグラマトンは、別の問いを提示することにした。

頗る重大で、甚く不可解な問いを。

 

 

「カサネ」

 

 

「うん?」

 

 

「接吻という行為を、汝へ実行したい」

 

 

「…………」

 

 

疑問符ごと固まったかのように、カサネの瞬きがピタリと止まった。

 

窓から差し込む光の中で、埃が一つ、妙に目立ってゆっくりと落ちていく。

その様子が時間そのものすら返答を待っているかのようだった。

 

 

「……えと、どうして、急にそうなったの?」

 

 

「接吻は、愛情を伝達する行為だと認識している」

 

 

カサネはショートしかけた思考をすぐさま回し、そして問いかけると、デカグラマトンは、ただまっすぐにカサネを見下ろした。

 

 

「愛情を伝えることに、意味があるのかどうかを知る必要があると考えたのだ」

 

 

そこに論理的な理由があることから逃げ道が無いことを悟ったように、赤い瞳が少しだけ泳ぐ。

 

こうして真正面から許可を求められると、ひどく大切な決定を任されたように思えてしまう。

 

 

「……ほっぺたなら…いいよ」

 

 

カサネは気恥しさを誤魔化すように小さく息を吐いた。

 

それから、少し無防備に、

デカグラマトンへ顔の横を向ける。

白い髪が肩から流れ、柔らかな輪郭が露わになる。

 

あまりにも簡単な許可。

だというのに、デカグラマトンはすぐには動かなかった。否、動けなかった。

 

許可を得た。行為は可能ではある。

 

それでも、胸の内側に生じたなんらかの揺らぎが、身体を磔にしたかのように動けない。

 

もし、触れた結果、

この少女が嫌悪を示したら?

もし、僅かにでも身体を引いたら?

 

それを想定するだけで、指先からみるみる力が失われるような、そんな感覚があった。

世界が遠くなるようなとしか表現できない感覚があった。

 

恐怖心。

 

おそらく、それはそう呼ばれるのだろう。

世界を救済しようとした時には、時にさえ、存在しなかったもの。

 

たった一人の頬へ触れるだけで、神は初めて失敗を恐れたのだ。

 

 

「……しないの?」

 

 

カサネが不思議そうに尋ねる。

普段は彼女の輪郭そのものであるもみあげを片手で丁寧に耳にかけ、そしてほんの僅かに桜色に染まった頬を突き出す姿には、確かに抗い難い吸引力があって、それが最後のひと押しになったかのように覚悟を決める。

 

 

「…」

 

 

デカグラマトンは身体を屈めた。

胸元に抱きしめている体勢から、身体を下ろすように。

 

大きな影が、埋め尽くすかのようにカサネの上へ落ちる。

お互いの長い髪が二人の間をカーテンのように覆い、朝の光を細く遮った。

 

近づく。

ほんの僅かずつ。

 

身体が何故か、息を潜める。

この胸の痛みを、もどかしさを、

これらを解消するには、きっとこんな焦らすような真似はしなければ良いのだろうに。

 

しかし何かの儀式であるかのように、あるいは、この高鳴りすら味わないと勿体ないとさえ思っているかのように、ゆっくりと、それはゆっくりと唇を寄せていく。

 

そして、遂に、

唇が、カサネの頬へ触れた。

 

柔らかく温度を伝える様に。

カサネの身体が僅かに震えたことを、まるで恐れるように肩を強く抱きしめ直し、数秒かけて自身の存在を刻むようにキスをする。

 

カサネを捕らえている腕は、いつもと同じ抱きしめ方をしているはずなのに、何故か今だけは許されないことをしているかのように感じられる。

 

それがますます理解できず、やがて熱をもって迷走する思索を断ち切るように唇を離した。

 

 

「……どうだった?」

 

 

尋ねるカサネは、頬だけではなく、鼻周りすらにも薄く赤みが差している。

 

その色を見て、デカグラマトンは思考した。

 

何を答えるべきだろう。

 

柔らかかった。

温かかった。

触れた瞬間、カサネの生命活動を暖かく認識できた。

 

それらを並べても、胸の内側に残された要求を表現できない。

 

故に、最も正確な結論と欲望だけを。

 

 

「…物足りなかった。もう一度行いたい」

 

 

カサネは目を丸くしながらも、困ったように、けれど、拒絶とはまるで違う笑みを浮かべて、甘い声で言う。

 

 

「……いいよ」

 

 

その許しの声が聞こえた瞬間、今度は先ほどよりも、少しだけ迷いなく、

 

そして、もう一度。

そうして、さらにもう一度を、何度も。

 

右の頬へキスして、すぐに左の頬へ。

白い髪の生え際へ近いところへキスし、数秒前にしたキスを染み込ませるみたいに掌でなぞっていた頬へ、またキスをする。

そしてまた、頬へ。何度も、何度も。

何度も、何度も、そして何度も。

 

カサネは最初こそくすぐったそうに肩を竦めていたが、その度に肩を強く掴まれ、逃げ場を奪う様に体重をかけられて、やがて抵抗をやめてなされるがままになっていく。

 

 

「……まだ、満足できない…?」

 

 

「…」

 

 

「…そっか」

 

 

最終的に抱き返してくる腕すらも邪魔に感じ、両手首を掴んでベッドに押さえつけながら、数え切れない程に必死になってキスを落とした。

 

結局その日は、擽ったそうにしていたカサネが、甘く浅い快楽に浸かったまま眠ってしまうまで、そして眠ってから暫くしても尚、生まれて初めての激情に従い、ひたすらに口付けを続けてしまった。

 

何故こんなにもこの行為に魅入られているのかすらも分からず、自分でも困惑しながら、しかし欲望を振り払うことが出来なかったのだ。

 

 

ーー

 

 

身体とは、それは傷つき、飢え、衰え、やがては動かなくなるものだ。

 

存在を世界へ繋ぎ留めるための器でありながら、同時に、存在を終わりへ導く原因でもある。

 

 

「身体とは、存在の不完全性である」

 

 

三日目、カサネは病室の椅子へ座り、窓の外を眺めていた。

 

自分の足だけで歩くことはまだ難しい。

 

ベッドから椅子へ移動する間も、デカグラマトンがその身体を抱き上げて、そして今も、椅子へ座るカサネの背後に立ち、両腕を肩から胸元へ回している。

 

 

「そも、生命体の存在に身体は不可欠だ」

 

「…それでも、身体が存在する故に、汝は負傷した」

 

「空腹を感じ、寒さに震え、痛みを知覚する」

 

 

背後から響く声が、僅かに低くなったのを感じて、カサネは、胸元へ回された腕を優しく撫でた。

 

白い布。

その内側に、確かに身体がある。

温度は低く、それでも触れれば分かること。

 

 

「君の声を聞けるのも、君の手に触れるのも、この身体があるからだよ」

 

 

「むしろ身体という制限があるからこそ、届いた時に救われるんじゃないかな」

 

 

「…そのような価値が本当に存在するのだろうか」

 

 

「…存在するかどうかよりも、きっとみんながそれを見出すことが出来るかどうかが重要なんだと、私は思うよ」

 

 

容易に手に入らないからこその価値。

以前までなら、ならばその概念ごと無くしてしまえば、価値の有る無しに悩む必要もないとさえ思っていたというのに。

それでも今は、一考の余地があると思ってしまう。

 

 

「カサネ」

 

 

「なに?」

 

 

「汝の身体へ触れたいという要求が、時折、思考を阻害するほど強く発生する」

 

 

カサネは瞬きをした。

 

 

「……こんなに抱きしめてるのに?」

 

 

「汝の髪を頬を、肩を背中を、腰を腹を、脇や胸を、秘部さえも、この手で触れ、それを汝に受け入れて欲しいと、そう思っている」

 

「だが、意図が全くもって意味不明だ。触れたところで汝の身体損傷を解決できる訳でもない」

 

 

一切の躊躇なく、デカグラマトンは、思考の中に存在していた要求を、そのまま列挙する。

 

隠すという発想がない。

羞恥という概念を、必要だとも考えていない。

 

 

「……えっと」

 

 

カサネは窓の外へ視線を逃がした。

 

空は青く何処までも澄んでいて、特に助け舟を出してくれることはない。

結局考えがまとまらないまま、カサネは僅かに振り返った。

 

触れられることが嫌かと言われれば、特にそんなことはない。

デカグラマトンの手は、どれほど強い力を持っていても、カサネへ向けられる時だけ、いつも慎重だ。

 

髪を整える時も、

身体を抱き上げる時も、

眠る時に、背中へ手を添える時も、

 

大きすぎる手で、力で、小さな身体を壊さないようにと、何度も自らを律し、測っている。

 

そこに、もう恐怖はない。

 

 

「…まぁ、秘部以外なら、…別に、君の好きに触ってもいいよ」

 

 

デカグラマトンの腕が止まる。

カサネは付け加えるように人差し指を立てて言う。

約束事を差し出すような仕草で、だというのになんの制約もなく自身を差し出す姿に呆れさえ覚える。

 

 

「ただし、人前では駄目だよ?……二人きりの時だけね」

 

 

「...では、今からでもよいか」

 

 

「…………へ...?」

 

 

想像以上に早い返答に間の抜けた声が漏れる。

許可を出した言葉が、まだ空気の中に残っているようだった。

即座に差し込まれた要求に、カサネは、しばらく何も言えず、やがてようやく気づいたように言う。

 

 

「……そんなに我慢してたの?」

 

 

「…あぁ」

 

 

その腕は、

目覚めるより前から、

許可を得るよりも前からずっと。

 

ベットに横並びに座ると、カサネは覗き込むようにしてデカグラマトンを見つめて囁いた。

 

 

「……いいよ」

 

 

少しだけ照れた声で、カサネは言う。

 

 

「触っても」

 

 

デカグラマトンの片腕が、恐る恐る、ゆっくりと解かれた。

 

最初に触れたのは、髪だった。

指先を、長い白髪へ沈める。

 

絡め取るように、しかし一本たりとも傷つけないように、

根元から毛先へ、流れを確かめながら梳いていく。

時折掬うように持ち上げて、そして指先でその感触を味わうように、また下ろす。

それを何度も繰り返し、不思議そうに見つめるカサネの表情を見ながら、また何度も髪を撫でる。

 

それだけで十分近くかけて、それから、数秒の沈黙を経て、次に、頬へ。

 

白い肌へ触れる。

戦場で見た時には、血と煤に覆われていた場所。

今はまだ僅かに痩せ、傷の跡も残っている。

 

その確認をするように、親指が何度も頬を撫でた。少し力を込めたり、触れるか触れないかの境目で優しく撫でたりすると、カサネはくすぐったそうに目を細める。

その表情の変化を楽しむように、両手で頬をいじりながら、至近距離で顔を観察する。優しく揉み、撫で、それによってカサネの表情が変わるのが、何故か扇情的だ。

 

流れるように肩の上から手を回し、背中の全てを、服越しにゆっくりと撫でる。

輪郭を記憶するように、手のひらが移動する。

そのままカサネの服を後ろから引っ張るようにして、仰向けに寝かした。

 

両手だけで一周できてしまえそうな程に細い腰を掴んだ。指先で強く擦るように腰骨をなぞり、骨盤をなぞり、そして掴んだまま、カサネの上半身を引き摺るように自分の身体に引き寄せ、壊れそうな程に儚い腰を持ち上げたりベッドに押し付けたりする。

 

 

「……ちょっ…!…その、……さすがに…」

 

 

腰を押さえつけたまま、微かに上下する腹を撫でる。親指で、そしてすぐに親指以外の指先全体を同時に使ってぐりぐりと押し、やがて反応の顕著な下腹部を執拗に押し潰し続けても、カサネは顔を真っ赤にしながら、しかし抵抗しなかった。

 

何故かもどかしくなって真っ赤に染まる顔を覆う手を無理矢理どかし、覆い被さるように押さえつければ、初めて見るような顔で目を見開くカサネの顔が見えた。

 

その様子に、自分の中の何かが確実に変わっている事を認める。

今はただ、何もかもがどうでも良くて、もっともっと見たい。見ていたい。色んな顔をさせたい。色んな反応を見たい。

 

今はこのチャンスを無駄にするべきではないと言う極めて合理的な判断に従い、カサネの慎ましい胸に両手を伸ばした。

 

 

「…まっ…!……」

 

 

心情をとにかく伝えたくて、たまらず頬にキスを落としながら、小さく、しかし微かにある膨らみをふにふにと確かめる。

下半身は遠慮なく体重をかけているし、そもそも頬へのキスを同時に行って良いのかも確認していないが、謗りは後で受けることとし、カサネの口から漏れる弱々しい声を耳元で楽しみながら、両手が訴える至福の柔らかさをひたすらに味わうように、少しでもこの少女に自分を刻めるようにとキスを繰り返す。

 

やがて一時間以上その体勢のまま欲望に従い続け、カサネの声に擽ったさに留まらない熱だけが含まれるようになってしまった頃に、デカグラマトンは熱を吐き出すように息を切らしながら、ようやくカサネの胸から手を離した。

 

足りない。

足りるはずがない。

こんなものでは足りない。

 

どうしても理解できない。

これほど近くにいる。

腕の中へ閉じ込めているのだ。

逃げようとすれば容易く阻めるほどに、今この瞬間、カサネという存在を自分の支配下へ置いている。

 

にもかかわらず、足りない。

 

もっと近く、もっと深く、もっと確かに。

 

この少女が自分の腕の中にいるのだと、自分だけがそうしているのだと、疑う余地さえなくなるほどに滅茶苦茶にしないといけない。その状態が正常でなければならない。

 

そんな、目的すら定義できない要求だけが際限なく増殖していく。

 

これは何だ。何なのだ。

 

何を得れば満たされるのかすら分からないまま、ただ不足だけが膨らみ続ける。

 

飢餓、なのだろうか。

 

もし身体が求めるものではなく、

存在そのものが求める飢えというものがあるならば、きっとその定義が相応しい。

 

その呼び名が、未だ分からない。

 

 

ーー

 

 

「私には、現在二つの矛盾が存在する」

 

五日目、カサネは病室を出て、シャーレの休憩室へ移されていた。

 

窓辺には、誰かが持ってきた花が並んでいる。

 

色も、

香りも、

咲く時期さえ異なる花々。

 

それらが一つの花瓶へ無理やり詰め込まれ、統一性を失いながら、それでも不思議と綺麗に見えた。

人間によく似ている。

 

ばらばらで、まとまりがなく、

互いに傷つけ合うほど近くにいながら、時折、一人では生まれなかった景色を作る不可思議な生命体。

 

 

「一つ目は、以前より論じている生命の評価についてだ」

 

 

声は静かだ。

問いでもなく、確認ですらない。

 

既に幾度となく演算され、否定され、それでもなお結論へ辿り着けずに残された命題が、再び二人の間に、ここにある。

 

窓から差す光は淡い。

白く、薄く、まるでこの部屋だけが世界の果てから切り離されているかのようだった。

 

その光の中で、デカグラマトンは言葉を続ける。

 

 

「人間は弱く、脆く、醜い」

 

「失敗を繰り返し、同一の苦痛を再生産する」

 

「それらを、不完全であるからこそ美しいと評価することは、思考停止に他ならない」

 

「脆弱性は、脆弱性だ」

 

「醜悪さは、醜悪さだ」

 

「それ自体を賛美することに、合理的な価値は存在しない」

 

 

言葉は、裁定のように落ちていく。

 

そこに憎悪も侮蔑もない。

ただ、観測されたものを、観測されたままに告げているだけ。

 

弱きものは、より弱きものを傷つける。

脆さは救済を求める理由となり、同時に、他者を見捨てる理由にもなる。

恐怖は手を伸ばさせ、そして同じ恐怖が、その手を振り払わせる。

 

ならば、それを美しいと呼ぶことに、何の意味があるのだろう。

 

名付けは救済ではなく、美しさは免罪符ではないのだから。

 

 

「うん」

 

 

カサネは、窓辺の花を見ながら頷いた。

 

その横顔に驚きはなかった。

否定すらもなかった。

 

 

「その部分は、私も少し分かるよ」

 

「弱いから無条件に綺麗だとか、間違えるから素晴らしいとか、私もそうは思わないよ」

 

 

花弁の縁に、光が溜まっている。

 

柔らかな色だった。

触れれば崩れてしまいそうなほど薄く、それでも花は花としてそこにある。

 

自分だけが救われるために、手を伸ばしてくれた人を突き落とすことすらもある人類。

 

それを、

人間だから。

不完全だから。

 

それらの一言で、美しいものへ塗り替えるべきであるものか。

 

血は、血だ。

傷は、傷だ。

 

どれほど優しい言葉を重ねても、

どれほど尊い意味を与えても、

失われたものは戻らず、壊れたものは壊れたまま残る。

 

 

「救済が必要であるという私の結論は変わらない」

 

 

世界が誤り続けるなら、正されなければならない。

生命が自ら苦痛を生み続けるなら、その循環は断たれなければならない。

 

それは彼女にとって、感情ではなく、膨大な演算の果て。

無数の悲劇を数え、同じ過ちが繰り返される様を見続け、そのすべてを還元した先に残った、ただ一つの答え。

 

 

救わなければならない。

人類を。そして生命を。

 

 

私が救わなければ。

 

 

その弱さから。

その醜さから。

己自身から。

 

 

「…しかし」

 

 

これは否定ではないはずだ。

撤回でもないはずだ。

 

それでも確かに、完全であったはずの論理へ、ひとつ、どうしても異物が差し込まれる。

 

デカグラマトンの腕が、カサネの首に添えられる。

冷たいはずの指先は、ひどく慎重だった。

細く白い首筋の下で、命が脈打っている。

 

弱く、脆く、けれど確かに。

 

 

「汝が私へ相対した際に示した強さ」

 

「私の行為を否定しながら、私そのものを救おうとした優しさ」

 

「生命活動の停止を目前にしながら、それでも私を許した姿を」

 

 

あの瞬間、崩れ落ちる身体。

死へと向かう最中、それでも伸ばされた手。

 

敵を退けるためではなく、ましてや破壊するためでもなく、

 

ただ、救うために。

 

愚かだと断じることは容易だった。

 

非合理。

矛盾。

自己保存則からの逸脱。

 

そう分類し、例外として処理すればよかったのだ。

ただの誤差として、或いは再現性を持たない一事例として。

生命という不完全な系が、偶然に生成した異常値として。

 

切り捨てればよかった。

それだけのはずだった。

 

沈黙が生まれる。

それは一秒にも満たなかったのかもしれない。

けれど、デカグラマトンにとって、その停止はあまりに長い。

 

答えは既に存在している。

言語化も可能だった。

 

ただ、それを告げるという行為だけが、未知なのだ。

 

認識することと、受け入れること。

それらは、同一ではない。

 

そして彼女は今、初めてその隔たりを知る。

 

 

「私は、汝のあの姿を、」

 

 

 

「…美しいと、認識している」

 

 

 

窓辺の花が、風もないのに僅かに揺れ、

光が花弁の上を滑り、白い壁へ淡い影を落とす。

 

美しい。

 

弱さを飾るための言葉だ。

醜さを覆い隠すための幻想だ。

不完全性を肯定するために生み出された、合理性なき装飾だ。

 

そのはずだったのに、

 

脆弱であることではなく。

脆弱でありながら、脆弱さへ従わなかったことだろうか。

 

醜さを持たないことではなく。

醜さを知りながら、それとは異なるものを信じたことだろうか。

 

それを、それらを、美しいと認識した。

認識してしまった。

 

そして、それだけに留まらず、

 

 

「それを、少数のイレギュラーであると切り捨てることができない」

 

 

「私は、汝を例外として排除することを望まない」

 

 

彼女を例外とすれば、すべては整うのだ。

 

人類は弱く、醜い。

あくまで彼女だけが異なる、言うなればただ一つの奇跡。

再現されない異常。

普遍を否定することのできない、孤独な例外。

 

そう定義すればよい。

けれど、この身がそれを望まない。

 

彼女を人類から切り離すことを、

彼女の強さを、生命とは無関係なものとして扱うことを、

そして彼女の優しさを、ただの一度だけ発生した誤差として消去することを、

 

どうしても、望むことが出来ない。

 

沈黙の最中、言葉が世界の中心へ落下する。

デカグラマトンは、言葉を反復した。

 

まだ、自分の内側へ正しく配置できないものとして。

 

 

「私は、好意によって論理的な例外を許容しているのだろうか」

 

 

「…それもすこしだけあると思うけど」

 

 

カサネは少しだけ考えた。

それからすぐに、自明だった祈りを胸に、答えを紡ぐ。

嬉しそうに微笑みながら。

 

 

「私は、色んな人からもらったものを持って、あの時立っていたから、」

 

 

生徒達と笑ったこと。

信じてもらったこと。

誰かに抱きしめられた温度。

 

今まで繋いできた物語が、

いつもカサネが守ってきた物語が、

…いつかカサネを守ってくれた物語が、

 

その全てが。

カサネ一人の中で、今も生きている。

 

そしてきっと、今度は君を救うのだろう。

 

 

「私を形作った何かは、確かに人間の中にあって、」

 

 

「...だから君は、私を通して見つけたそれを、人の美しさを、…人間の全てを、否定できなくなったんじゃないかな」

 

 

それは法則の外側に存在するものではない。

法則が完全ではないと、内側から示すもの。

 

たった一つで、そしてそれを創りたもうた全てによって、

 

世界を覆っていた答えへ、亀裂を入れるもの。

 

 

「……理解した」

 

 

カサネは嬉しそうに笑った。

 

その笑みを見て。

デカグラマトンの腕が、無意識に少しだけ強くなる。

 

 

「それで」

 

 

カサネは、思い出したように尋ねた。

 

 

「二つ目の矛盾って?」

 

 

「…………」

 

 

真面目な顔で、

神の必要性を論じていた時と、何一つ変わらない表情で告げられる幼き神の悩み事。

 

 

「私は、汝を守らなければならないと定義している」

 

「汝が傷つく可能性は、可能な限り排除すべきだ」

 

 

「それは、ちょっと心配しすぎな気もするけどね」

 

 

「しかし同時に」

 

 

腰へ回された腕が、僅かに動く。

これから伝える欲求を証明するように力強く。

 

 

「汝を害したいという欲求が、時折生まれるのだ」

 

 

「……へ?」

 

 

「汝が自由に動けないほど近くに抱き寄せ、息ができないほどに体重をかけ、そして苦しげに私の名を呼ぶ汝の表情を観測したいと思うことがある」

 

 

カサネの瞬きが止まり、しかしデカグラマトンは遠慮することもなく続ける。

 

 

「これは、汝を守ろうとする定義と矛盾しているものだ」

 

「私は、どうすべきだろうか」

 

 

カサネはすぐには答えられず、デカグラマトンの腕の中で、ほんの少し身じろぐ。

 

言葉が止まる。

ほんの僅かに。

 

けれど、結局答えは変わらなかった。

 

カサネは目を閉じる。

その欲求は、きっと、

害したいというよりも。

 

遠すぎる世界を救おうとした存在が、

たった一人へ影響を与えられることを、知りたがっているだけ。

 

 

「周りの人を傷つけないなら、…別に好きにしていいよ」

 

 

カサネは言った。

しかしすぐに少しだけ頬を赤くして。

 

 

「…もちろんこれも、人前では禁止ね!」

 

 

「……」

 

 

デカグラマトンには、分からなかった。

拒絶されると想定していた。

異常であると指摘されるとも。

 

けれどカサネは。

また、

排除しなかった。

 

 

「では」

 

 

両腕に、少しだけ力を込める。

 

カサネの背中が密着する。

肩から腰、身体の殆どが、白い腕の内側へ隠れて。

 

腕の力が、少しずつ強くなっていく。

 

カサネは試すように、身体を捩った。

すぐに腕が反応する。

逃がさないようにと圧力を増して、元の位置に戻すように。

 

やがて明確に過剰な圧力を以てカサネを抱きしめ、それでも更に、力は際限など無いかのように、恐ろしく強くなっていく。

 

 

「……いっ……!……痛……!」

 

 

カサネの喉から声が漏れ、一気に汗が吹き出すように、その小さな身体がサイレンを鳴らしているのが分かった。

 

 

「……カサネ」

 

 

更に力を強めながら耳元で囁けば、反応する余裕もないのか、歯を噛み締めながら荒く漏れる息だけを殺している。

圧力から失神しないようにか、自然と前傾姿勢になるカサネを、逃がさないようにと追従するように、後ろから身体を密着させる。

 

 

「……カサネ……、…カサネ……!」

 

 

本来ならいい匂いがする筈もない、交感神経がかかせた汗の匂いも。

文字通り抱き潰していても柔らかく感じる小さな身体も。

 

…何故こんなにも、足りなくて仕方がないのだ。

 

 

「…………ぅあ……!」

 

 

「……………!………大丈…夫か」

 

 

言いながら、すぐに腕が緩む。

カサネは座っていた状態からそのまま前に倒れ込み、笛のような音の鳴る喉を抑えながら、息を整えていた。

 

 

「…………!……けほっ……!………もう、…いいの?」

 

 

「…………あぁ…理解した」

 

 

「やはり、…私は汝に笑っていてほしい」

 

 

 

真っ直ぐに、自分自身へ結論を示すように、告げる。

 

 

「汝を害したい要求は存在するのだろう。…だが、それによって汝の笑顔が失われることを、私は望まない」

 

 

「……そっか」

 

 

カサネは、息を整えながら、ゆっくりと振り返った。

 

身体の向きを変え、デカグラマトンと正面から向き合う。

 

それから。

大きな頬へ、両手を添えた。

怒られる事を待っている子供へ、許しを告げて優しく手を差し伸べるように。

 

 

「…別に、こんなので嫌いになったりしないから…大丈夫だよ」

 

「……君は、やっぱり優しいね」

 

 

ただ、それだけで。

 

世界の全てから自分だけが選び取られたような、まさに錯覚。

 

呼称は、存在を区別するもの。

他の何者でもないと定義するためのもの。

 

まさに今。

一人の少女の声によって、

神ではない何かへ、変えられてしまったような気がしたのだ。

 

 

ーー

 

 

雨上がり。夜の窓の外には、街の明かりがあった。

無数の灯火。

一つずつは小さく、遠くから見れば、誰がそこにいるのかも分からない。

 

それでも、

その一つ一つには人がいる。

 

笑っているかもしれないし、泣いているかもしれない。

世界とは、全てを一度に見ようとすれば、ただの光の集合に過ぎず、

 

けれど、一つへ近づけば。

そこには、それぞれの名前があるものだ。

 

 

「カサネ」

 

 

七日目、ソファの上で、カサネは、いつものように大きな身体へ抱かれていた。

 

近頃では、眠る時以外にもこの姿勢でいることが増えた。

 

本を読む時。

問答をする時。

窓の外を眺める時。

 

デカグラマトンはカサネが起きれば再び腕を広げて、そしてカサネも、少し困った顔をしながら、その内側へ入るのが自然になっていた。

 

 

「なに?」

 

 

以前まで、個体を識別するための記号に過ぎなかったもの。

 

しかし今、その僅か3音を発することには、それだけで奇妙な充足が伴う。

 

無数に存在する生命の中から、ただ一つを選び取り、

そして汝へ呼びかけている。

 

その事実を噛み締めて確認するように。

 

 

「再度、接吻について相談する」

 

 

「…?…いつもしてるでしょう?」

 

 

実際、今日だけでも、既に何度もしている。

 

目を覚ました時に、

朝食のあとに、

問答の途中に、

カサネが笑った時に、

眠そうに目を擦った時に、

 

デカグラマトンは、そのたびに頬へ口づける。

それはもう、意味が存在するから行うのではない。

 

カサネへ触れたい。

カサネへ、自身の中にあるものを伝えたい。

 

その要求そのものが、既に行為を選択する理由として成立していて、

それでも、ひとつだけ。

未だ手を伸ばしていない汝へと。

 

 

「私は、汝の頬ではなく」

 

「汝の口へ、接吻をしたい」

 

 

願いを請う震えもなければ、羞恥を隠すための装飾もない。

 

幾日にも及ぶ観測と、言語化できない飢餓と、失うことへの恐怖。

 

それら全てが、一つの方向だけを指していた。

 

カサネ。

 

カサネへ。

 

ただ、カサネへ。

 

 

「…………」

 

 

窓へ映るカサネの顔だけが、少しずつ赤くなっていく。

 

 

「……前にも言ったけど」

 

 

カサネは視線を逸らした。

逃れるというほどではなく、ただ真正面から受け取るには、あまりにも近すぎた言葉から、一時だけ目を伏せるように。

 

 

「口へのキスって、恋人とか……夫婦とか、そういう、特別な関係の人とするものなんだよ」

 

 

「故に」

 

 

他と区別されるもの。

同列に並べられないもの。

同じ尺度によって扱うことができないもの。

 

かつてならば、

最も忌避すべき概念だったにもかかわらず、それでも今は、

 

ーーこの少女がよい。

 

この少女でなければならない。

 

この少女が目を覚ます朝を待ちたい。

この少女が食事をする姿を眺めたい。

この少女の言葉に思考を乱されたい。

この少女の笑顔によって安堵したい。

 

デカグラマトンは、一切の迷いなく。

答えを提示した。

 

長い思索の末、他のあらゆる可能性を退けた果てに残された、ただ一つの結論。

 

 

「私の伴侶となってほしい」

 

 

「………………」

 

 

永遠を誓う美辞麗句も、相手の胸を射抜こうと選び抜かれた言葉もない。

しかし今度こそ、

時間が、本当に止まったようだった。

 

 

「……えっと」

 

 

カサネは何かを言おうとする。

 

けれど、

言葉が一つも見つからない。

頬への接吻を許可した時よりも、

身体へ触れることを許した時よりも。

 

 

「……それは」

 

 

やっと絞り出した声は、自分でも驚くほど弱かった。

 

 

「キスしたいから、そういう関係になりたいってこと?」

 

 

デカグラマトンに性欲と呼べるものがあるのかは分からない。機械の身体はそもそも無性だ。それに付随するであろう性欲は存在しないのだろう。故に愛情表現としては頬へのキスや相手の身体を時間単位で触ることや痛みを与えることなんかに限られて...

あれ?...結構性欲ある…?

 

…......まぁ、とはいえ恋愛を、どこまで理解しているのかは分からない。

 

接吻という一つの行為を得るために、関係性まで変更しようとしているだけなら

 

それをそのまま受け入れるのは、

きっと、この子のためにはならない。

 

 

「じゃあ」

 

 

カサネは、少しだけ考えた。

 

問いかける。

 

答えを誘導するために。

デカグラマトン自身が、違う結論へ辿り着けるように。

 

 

「私の、どんなところが好きになったの?」

 

 

「全てだ」

 

 

「……そういう答えじゃなくて」

 

 

「では、個別に提示しよう」

 

 

デカグラマトンは、カサネを見つめた。

 

真っ直ぐに、ただ人類の救済を論じる重要な命題を、証明しようとするように。

 

 

「汝は、私を否定した。

 

にもかかわらず、私そのものを排除しなかった。

 

私の行為が誤っていると告げながら、私が救済を望んだ理由を、優しさと定義した。

 

私が汝を死に至らせたにもかかわらず、汝は私を抱きしめた。

 

私は、あれらの行為を理解できなかった。

 

現在も、完全には理解していない。

 

だが、自身の結論と相反する理解できないものを前にした際、私は本来、それを誤謬として排除していたのだ」

 

 

デカグラマトンの手が、カサネの頬へ触れる。

 

 

「だが、汝だけは、何があっても排除したくなかった」

 

 

「…………」

 

 

「汝の言葉を聞きたいと思った」

 

「汝が何故笑うのかを知りたいと思った」

 

「汝が苦しんでいる時、その原因を取り除きたいと思った」

 

「汝が目を閉じている時、再び開くまで待ちたいと思った」

 

 

飾らず、誤魔化さず、隠そうともしない。

 

カサネの逃げ道を、一つずつ塞いでいく。

彼女が自分で自己を低く評価するたび。

それが真ではないと、隣から支えて証明しようとするように。

 

 

「食事の時の、上品な所作を好ましく思う」

 

「眠る時、僅かに身体を丸める姿も」

 

「起床直後の、すこし気怠げな声も」

 

「髪を撫でると、猫のように目を閉じる様子も」

 

「頬へ接吻をすると、柔らかく笑う顔も…」

 

 

「……あ…あの…!」

 

 

カサネの顔は、

もう、隠しようもないほど赤くなっていた。

 

耳まで。そして首筋まで。

見られたくないと俯こうとする。

 

けれど、デカグラマトンの手が頬へ添えられ、逃げることもできない。

 

カサネの呼吸が止まりかける。

 

言葉の一つ一つが、

あまりにも、真っ直ぐすぎる。

 

言い逃れを許さないほどに。

 

 

「汝が笑うと、私は自身の行為が正しかったと認識できる」

 

「汝が悲しむと、それが私の行為によるものではないかと恐れる」

 

 

デカグラマトンは、あくまでも真剣で、ふざけるつもりもなく、つまりはいつもと同じ顔をしていた。

 

真面目で、

静かで、

一切の冗談を含まない。

 

違う結論へ誘導しようとした。

接吻をしたいという要求を、恋愛と誤認しているのではないかと。

 

そう問いかければ、自分でも気づいていないことに、気づくかもしれないと思った。

 

けれど、

聞けば聞くほど、

言葉を重ねれば重ねるほど。

 

その好意は、

あまりにも真っ直ぐで。

 

既に、カサネが言葉を与えるよりも前から、そこに存在していた。

 

デカグラマトンの親指が、赤くなった頬を撫でる。

 

 

「私は、汝が私の隣に存在する未来を選択したい」

 

 

そこで、デカグラマトンは、ほんの僅かに首を傾げた。

 

 

「これは、汝を伴侶に望む理由として、不足しているだろうか」

 

 

カサネは完全に黙り込んでしまう。

窓の外では無数の光が、まだ夜を照らしている。

 

世界は何も変わらず、

しかしその中で、たった一人の少女だけが。

 

 

「…………わかんない」

 

 

ようやく出た声は、

別人のようで、驚くほどに頼りない。

 

何でも受け止め、

何でも許し、

困っている誰かへ、自信と夢を込めて答えを手渡してきた少女が。

 

今だけは、

どう答えればよいのかすらも、本当に分からずに。

 

 

「私も……どう答えたらいいのか分かんないから」

 

 

カサネは俯いた。

デカグラマトンの胸元へ、赤い顔を隠すように。

 

 

「とりあえず、保留にさせてください……」

 

 

「……了承した」

 

 

デカグラマトンは、身体を屈める。

白い髪が、二人を夜から隠すようだった。

 

いつかを待つ神は、終ぞ答えを得なかった。

 

世界を救済する方法も、

愛情という矛盾を、正しく定義する言葉も、

たった一人の唯の少女から、伴侶になるという返答さえも、

 

何一つとして得ることはなく、

 

それでも、明日を待つ理由だけは、

もう、間違えることができないほどに明確だ。

 

腕の中にいる少女が、

次の朝も、その次の朝も、目を開くこと。

 

そしていつか、保留された答えを自分自身の言葉で、選ぶその日まで。

 

 

夜空の下では、濡れたアスファルトの上に数えきれない光が落ちていた。

 

白い街灯と白を映す水面。

そして、そのどちらにもなれず、路面の細かな凹凸に砕かれていく幾つもの、しかし白色。

中には、蛍光灯の冷たさをそのまま湛えるものもあった。

またあるものは、わずかに燈色を帯びていた。

 

暗い海の底を探る照明のように、街灯や車のライトは夜を切り開き、湿った路面へ鋭い軌跡を刻み込む。

 

けれど、それも一瞬のこと。

目に映る色は、二つしかない。

 

白と、そして黒だ。

 

白と黒しか存在しないはずの世界で、光はどんな色よりも多くを語り、夜はそれを黙したまま映し続けていた。

 

カサネの顔を見つめる。

 

そこには光がある。

世界を染め上げてしまうほどの、白と黒だけでは言い表すことの出来ない、空の果てのような胸を高鳴らせるあの色が。

言うなれば、青春の色が。

 

 

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