視覚ではなく、聴覚だけに届く奇妙な霊感――それが、幼い頃から俺に備わっていたものだった。
目には見えない。
どれほど気味が悪い気配を感じても、そこに立つ影の輪郭すら私は捉えられない。
ただ、声だけが聴こえるのだ。
空中から、壁の向こうから、あるいは自分の耳元から直接囁かれるような、湿り気のない異形の声だけが。
あれは、熱帯夜の蒸し暑さに苛まれていたある夜のことだった。
閉め切っていたはずの自室の暗闇で、突如として激しい羽音が弾けた。
バサバサバサッ
と部屋の四隅を暴れ回る音。
電気をつけると、一羽の小さな鳥が狂乱したように天井近くを飛び回っていた。
どこから迷い込んできたのかは分からない。
鳥はパニックに陥り、壁や家具に何度も体をぶつけていた。
「おい、落ち着け……! 捕まえて外に出してやるから……」
俺は腕を伸ばし、慎重に鳥の間合いを詰めた。
しかし、追い詰められた何を慌てているのかクチバシを剥き出しにし、私の手に飛びかかってきた。
鋭いクチバシが、何度も俺の手甲や指先を突き穿つ。
「痛っ……! くそっ、大人しくしろ!」
赤黒い血が点々と床に滲む。
激痛に耐えながら、私は半ば力任せに鳥を掴み取った。
手の中で暴れる小さな命の鼓動と、激しい体温が手のひらに伝わってくる。
俺は一刻も早くこのパニックを終わらせようと、廊下へ続く自室の扉をわずかに開け、鳥を外の闇へと押し出した。
「よし、二度と来るなよ」
胸を撫でおろし、急いで扉を閉めようとしたその刹那だった。
外へ逃げたはずの鳥が、何を思ったのか猛烈な勢いで部屋の中へと引き返してきたのだ。
バサッ――。
重い音が響いた。
最悪だ。
タイミングが悪すぎた。
勢いよく閉まりかけた厚いドアと、ドア枠の僅かな隙間に戻ってきた鳥の体が正面から激しく挟まれた。
ぐちゃり、と骨の砕ける不快な感触が手に伝わる。
鳥は断末魔の悲鳴をあげる暇すらなく、扉の隙間でぐったりと首を折られ、ピクリとも動かなくなった。
「あ……」
思考が凍りついた。
なんてことをしてしまったんだ。
助けようとしたはずなのに、自分の軽率な動作のせいで、哀れな生き物の命を奪ってしまった。
鳥獣保護法が許すならオメーらの命なんてどーでもいいけどさあと
罪悪感と不快感が波のように押し寄せ、呆然と佇んでいたその時――。
扉のすぐ向こう側、静まり返った暗闇の廊下からねっとりとした声が響いた。
「大丈夫ですよ〜……気にしなくて〜……」
背筋にゾクリと冷たい悪寒が走った。
その声は男のものとも女のものともつかず、どこか遠くから響いているようでありながら、耳孔のすぐ近くで囁かれているようでもあった。目には何も見えない。
だが、長年この奇妙な感覚と付き合ってきた俺の直感が、全力で警鐘を鳴らしていた。
――これは、この世のものではない。
「この鳥はね〜、貴方に伝えたいことがあったみたいですけど〜……鳥は喋れませんからね〜……」
歪んだ親愛感を孕んだ声が、閉ざされた扉の向こうで愉しそうに揺れている。
恐怖で全身の毛穴が開くのを感じながら俺は必死にドアノブに手をかけ、完全に扉を閉め切ろうとした。
すると、声は私の動揺を嘲笑うかのように、さらに低く呟いた。
「この子〜、あなたが好きみたいなんですね〜……」
世の中には変な幽霊もいたものだ――
そうやって自分を騙し、必死に現実逃避を試みようとした瞬間、扉の向こうから生々しい音が聞こえ始めた。
クチャ……ゴクリ……クチャリ……。
何かを湿っぽく噛み砕き、呑み込む、悍ましい咀嚼音。
鳥だ。さっき挟み殺してしまったあの鳥を、扉の向こうにいる「何か」が喰らっているのだ。
「これも美味しいんですけど〜……」
咀嚼音がピタリと止まり、心臓が跳ね上がるような言葉が続いた。
「一番美味しいのは〜……貴方ですかね〜……」
ガチャリ、とドアノブが不自然に下へと倒れた。向こう側から、ゆっくりと扉が開けられようとする。
「ひ……っ!」
俺は悲鳴を噛み殺し、全身の体重を投げうつようにしてドアを叩きつけた。
ガチャン! と鍵を回し、解錠されないようにサムターンを必死に押さえつける。
直後、扉の向こうで狂気が爆発した。
「大丈夫ですよ〜! 痛くないですから〜! 大丈夫ですよ〜!」
ガチャガチャガチャガチャ! と猛烈な勢いでドアノブが上下に激しく揺さぶられる。
それだけではない。
爪で木の表面をガリガリと削り取るような音、ドンドンとドア全体を激しく叩き割ろうとする不吉な衝撃が何度も部屋に響き渡った。
視界には誰もいない。ただ、ドア一枚を隔てた向こう側に、狂暴な「声」と「音」だけが確かに存在している。
「開けてくださいよ〜! 大丈夫ですから〜!」
半狂乱になった俺は、震える手で床に落ちていたスマートフォンを拾い上げた。
思考は完全に麻痺していた。この異常な現実から逃げ出す手段なんて、まともな頭では思いつかない。
ダッシュで寝室へと戻り、布団にダイブ。
指が勝手に画面を滑り、見慣れたアプリ――
DLsiteを開いていた。
そしてそのまま聞き馴染んだ音声作品。
【寸止め3時間超】意地悪な双子の終わらないオーバーキル射精我慢地獄cv兎月りりむ(敬称略)を開いた。
ライブラリのトップにあったそれを開き、ワイヤレスイヤホンを耳の奥底まで押し込む。そして、音量ボタンを限界まで連打した。
脳内に、爆音のメスガキが流れ込んでくる。
バケモノが扉を叩く不気味な音も、ドアノブをガチャつかせる音も、そしてあの「大丈夫ですよ〜」というねっとりとした呪詛の声も、すべてを強引に塗りつぶしていく。
俺はベッドの上に丸まり、目を固く閉じ、耳から脳へ直接注ぎ込まれる兎月りりむさんの甘く脳みそをぶち犯す音声にただひたすら意識を委ねた。現実の恐怖から逃避するため、狂ったように音の壁に閉じこもり続けた。
どれほどの時間が流れただろうか。
ふと気がつくと、部屋の中には薄水色の朝顔の光が差し込んでいた。
扉を叩く音はいつの間にか消え去っていた。
外の廊下は静まり返り、不気味な気配も綺麗に霧散している。
生き延びたのだという安堵感が、疲弊しきった身体にじんわりと広がっていった。
静寂を取り戻した自室の中で、朝の光を浴びながらぽつんと取り残された俺。
その耳元では、夜通し流しっぱなしにしていたイヤホンから音漏れする、甘ったるくも煽るような声だけが虚しく響いていた。
『……お兄さんざっこ〜♥ ほんと雑魚なんだから〜♥』