高嶺清麿がトレーナーになったときにありがちなこと妄想 作:朝凪小夜
相変わらず1-3とは別世界という設定ですのでそちらを読まなくても大丈夫です。
トレセン学園へ入学し数月ほど。
ほんのりと枝の先に色を残していた桜並木も気が付けば青々とした葉を茂らせている。
その陰の下を歩く人の中にグラスワンダーはいた。
海の彼方の故郷の日差しを思いつつこちらの方はどうにも空気が重たいようだと感じながら、時折ハンカチで汗を拭いつつ歩く。
この地へ来てからわずかばかりではあるがその真面目さと人柄の良さから周りへ溶け込むのに時間はかからず、またトレセン学園入学生も初対面というのがそれなりに多くいたため人間関係で悩むこともなかった。
さらに言えば本業ともいえる走りの方はこれからということもあり心中の多くを期待と成長への意欲が占める毎日を過ごしていた。
だからこそその日その時間もグラスワンダーにとって学内の通りを歩くことは思考の端に存在し意識をするものでもなく、通りがかる人も顔見知りや余程の有名人、有名ウマ娘でなければただ現れるだけの人であった。
違和感。
ただ通り過ぎた、すれ違った瞬間に体が冷える感覚があった。
思考が巡る。
心臓が血流を全身に届けようとするその一瞬の動きさえわかるのではないか、そう思えるほどの緊張。
何故。
答えはただ一つしかない。
振り返る。
そこには一人の影。
後ろ姿は男。
自分よりも背は高いことはすぐにわかった。
そして何より自分が感じた違和感の正体はその人物からのものであった。
半ば無意識に追いかける。
彼我の距離はそう離れているものではない。
ほんの数歩、それもウマ娘としての力を込めた動きであれば瞬き程度で消え去るほどの差。
だがそれがどうにも遠い。
彼はただゆっくりと歩いているだけだというのにどうしてこうも近づくことはできないのかと思案し視線を下に向けてすぐにその疑問は氷解した。
足は動いていなかった。
視線が彼を捉えてから、動こうとしたのは頭の考えだけで身体は一切の動きを止めていた。
此度は何故とは問わない。
ひたすらに動けと念じ、懸命に足に力を入れ一歩を踏み出す。
ただこの一歩がとてつもなく鈍い。
少し前の自分がどう歩いていたのだと思うほどに鉛のごとくとなった足は1秒で数センチすら動いていないのではないか。
水銀のプールで泳いでいるのではないか。
そんな考えさえ浮かんでくるなか精一杯の力を以てどうにか身体を動かし、件の人物の許へたどり着く。
「…あのっ!
…少し、お話、よろしいでしょうか?」
聞けばその男はトレーナーだった。
少し前に試験を突破し研修の後に今年彼女の入学と同じタイミングで正式にトレーナーとなったとのこと。
だがそれだけではなかった。
会話を挟んだことで確りと正体を掴むことが出来たそれ。
いつかどこかで感じていたものをずっと強くしたような感覚。
思えばそれはこれまでのレースや薙刀に触れているときのものに近くはなかったか。
気づいてしまえばすぐだった。
目の前の男からはぐらりと来そうなほどに濃密な勝負の気配がしている。
違和感の正体とはこれであった。
だがその正体を掴んだとて次に沸き上がるのは興味であった。
見れば男は背は高いが全体的な姿かたちがスポーツマンタイプというほどではない。
ならば格闘技や武術かと問えばそうでもない。
あまり直接的に聞くのも失礼かという思いはあったが、どうにも知りたいという欲求には敵いそうになかった。
「…ごめんなさい、お時間をとらせてしまって恐縮ではあるのですが、
もう少しお話できないでしょうか?
少しここでは難しいものもあるかもしれませんので、出来れば道場などいかがでしょうか?」
もし話しにくいことであれば人気の少ないところは悪くない選択だろう。
直接的でなくとも武術の線が残るのであれば場所で縁をつないでおくのも良手に思えた。
「…ああ、良いぞ。
…ただ俺は少しやることがあるから先に行っててくれ、すぐに行く」
結果は了承。
それでは、と逆方向に歩き始める。
その足取りは今日一番で軽やかだった。
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道場。
先程まで暑かった、いや今でも暑さは変わらずむしろより暑く感じる気もするがそれ以上に静謐さが心を落ち着けるせいか涼しさがある。
彼の人、高嶺清麿と名乗ったトレーナーを待つ時間はそう長くはなかった。
正座をして瞑想をし、物音が聞こえたところで目を開く。
こちらへと歩みを進めてきた彼は一瞬驚きのような表情を浮かべたがすぐに真顔になって、対面に正座ですわった。
「…それでさっきの続き、でいいのか?」
「はい、トレーナーさん、高嶺さんのことがどうにも気になってしまって…」
「俺が、か?
正直初対面でそこまで興味を持たれるような何かがあるとは思えないが…」
ずるい言い方だな、とは感じた。
彼はトレーナーとは言っているが随分と若い。
どう見えも20代前半程度。
もしかしたら同年代であってもおかしくはないようにも見える。
そんな彼に対してはなった言葉は特に意味をなさなかった。
わずかばかりの揺らぎを見せることもなく返答を受けてしまった。
ならば、と正面から疑問をぶつけることにした。
「先程すれちがった時、高嶺さんから気配のようなものを感じまして。
…どこかレースにも似ていましたがもっと強いものでした。
高嶺さんは何か、勝負事の経験が?」
そうだな、と短い返答の後少しばかり無音が続く。
手を顔に近づけ、思考をしているのか表情が難しいものに変わった。
「…人の未来が掛かった、そういう場の経験はある。
もし君の言う気配というやつがあるならその経験のせいだろう」
人に言うには随分と重いもの。
だがその時の目は真直ぐにこちらを見ていて、透き通るとはこのことだと感じた。
「…だが正直それが気配でわかった、というのはよくわからなくてな。
そんなにわかるものか?」
「レースに携わっているという点ではウマ娘であれば可能性はありますが、私は薙刀も嗜んでいます。
そういった武の心得でわかったのかもしれません」
「…そういうもんか…。
ただまあそういう気配が気取られる可能性があるというのであれば俺の方で気を付けておくよ。
助かる、ありがとう。
…聞きたいのはこのこと、で良いのか?」
その質問に肯定で返すのは簡単だっただろう。
だが、それは少し前までの話。
言うなれば直感。
この人ならば、この人となら高みへと至ることができるのではないかと。
「…いえ、それともう一つ。
高嶺さんは今担当されているウマ娘の方はおられますか?」
「いや、さっきも言ったが俺は今年からちゃんとしたトレーナーでね。
担当ウマ娘はこれから見つける感じだな。」
「で、あれば…
このグラスワンダーの担当トレーナーになってはいただけませんか?」
「随分と急だな。
俺は君の走りを見たわけじゃない。
選抜レースもまだ先だが?」
「…合縁奇縁という言葉もあります。
こうして話をしていることも何かの縁ということはないでしょうか?
もし、お嫌だというのであれば身を引きますが…」
「縁。か…。
…そうだな、わかった。
俺が君のトレーナーに就こう」
「…!
ありがとうございます。
よろしくお願いいたしますね、トレーナーさん」
「ああ、よろしくな」
本来であればトレーナーを探すというのはウマ娘からすれば、選抜レースを通じるのが一般的なルートではある。時折選抜レースとは別のタイミングでウマ娘側、トレーナー側から話を持ち掛けることもあるが、もしかしたら今日のは特殊なのかもしれない。
だが担当トレーナーとなる際の問題など聞いたことはない。
担当が見つからないという大問題は常で聞こえくるが。
「…それじゃ申請の書類は鞄に入れているから書いておこう。
ここだと机は無いから、…トレーナー用の執務室で良いか?」
「ええ、良いですよ。
早速向かいましょうか」
昨今様々な技術は進化しているのに意外とこの辺は旧式なのだなと思いつつ立ち上がり歩き始める。
隣を歩くトレーナーからはそんな思いが通じたのか、電子での申請と同時に紙でも保管することで契約としてちゃんと管理をするという学園側の方針だという補足が入った。
少し面倒ではあるが学園としては結構ちゃんとしているらしい。
「…それと俺のトレーナーとしての方針なんだが、引退までケガをさせずに走りたいレースに走ってもらうことを第一にしている」
「…ケガ無く最後まで、ですか?」
「ああ。
普段のトレーニングでも骨折とか予兆が無いかは一番気を付ける。
勿論、全力を出して問題ない状態を維持するが危険性が予測されるときは必ず止める」
ケガをすることなく走り切って引退する。
それは冠とはまた違う次元でありながら、間違いなくウマ娘の根底に存在する願い。
これまでどれだけのウマ娘が勝利の目前、栄光に手を掛けたところでその足を止めることとなったか。
だが、一つ気になることがある。
「…もし、ですが。
…ケガの可能性を受け入れて、その上でも走りたいレースがあったらどうしますか?」
まだ漠然とではあるが、生涯に一度というレースへの出場も意欲としてはある。
その気持ちがどうしようもなく高まったらどうするだろうか。
「…止めるさ。
間違いなくな。
運よくケガをせずというのであれば一番良いが、全力や限界を超えるような走りでケガをしてしまえばその後がどうなるか分からない以上俺の信条ではレースには出せない。勿論練習もな。
…レースによっては意味を持つのはわかる。
だがそれ以上に誰かとの再戦の可能性やまた別のレースでの可能性は必ず残す」
歩みを止めずに放たれた言葉。
特に声色が変わったわけではないが、だからこその彼の覚悟なのだろう。
ウマ娘としてレースに出場するにはそのための登録をしなくてはならない。
そしてその登録はトレーナーが行う業務である以上本気で出場を止める気であれば止めることは出来る仕組みだ。
仮にウマ娘がそこに反発しても他にトレーナーを探すようなことは相当に難しくなるはずだ。
「…わかりました。
今のところそこまで思い入れのあるレースというものはありませんが、もしそのような気持ちになったら先に伝えますね」
その後は自主練の内容や明日以降の予定などを話しつつ執務室で申請書類を書いた。
管理はそれなりに厳重ではあるとはいえ書類自体は簡素かつ1枚だけの為とてもあっさりしたものだと思えた。
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「…さて、グラス、走りを見せてもらってだが一番向いているのは中距離、レースの運びとしては差しでいくのが合っていそうだ。
距離については、距離が伸びてもいけそうな一方で逆に距離が短くなるほうはあまり、だな。
俺の意見としては中長距離ベースに進めていくというものだが、感覚と違ったりするか?」
「いえ、私の感覚とも合っています」
場所はグラウンド。
涼し気な格好でコースの端に立つ。
先程まで割と力を入れて走っていたが既に呼吸は落ち着いていた。
トレーナーからもタオルを受け取って顔を拭いながら答えた。
「わかった。
次に現状と今後の練習についてだ。
正直に言えば今の状態でも未勝利戦で勝ち抜くのは確実だし、GⅢも手が届くとは思う。
が、それ以上に伸ばすことを前提に行くつもりだ。
練習方針はまずスタミナの底上げから行い練習強度はスタミナの程度に応じて上げていく。
あとは走りそのものと並行してレースでの俯瞰感覚を鍛えるような練習もしていこうと考えている」
端的ではあるが十分な情報量。
自分の現状と方針が明確にわかるのは好ましい。
そして他者からも自分の実力が高いことに触れてもらえるのはくすぐったいようだが、どことなく嬉しさを感じた。
「…わかりました。
そうしましたら、ごく個人的なお願いではあるのですが、練習にトレーナーさんとの道場でのものを入れていただけないでしょうか?」
「…道場で?
どういった練習を考えてる?」
「昨日お会いした時、トレーナーさんからはかなり強烈なプレッシャーに似た感覚がありました。
今日は感じることはありませんでしたが、もし制御されているのであればその重圧下での行動や思考を鍛えることでレース中の対応力も鍛えられると思います」
「…なるほど。
俺としてはあまり分かる感覚ではないが活かせそうなものであれば練習には入れておこう。
…ちなみにどういう感覚になるんだ?」
「ありがとうございます。
あのプレッシャーの感覚は言葉では難しいですが、ある種とてつもない存在感にも似ていたかと。
ほんの僅かでも知覚してしまうと注意や警戒がそちらに向いてしまう、そんな感覚です」
「…わかった。
ありがとう。
そうしたらこの後は少し休憩してスタミナ増強の練習に移ろう。
少し走っている分があるから量は減らしておく。
ああ、あと今日は暑いからな、水分補給と体温上昇には気を付けてくれ」
はい、と返事をしながらグラウンドを駆けていく。
それからしばらく、季節がいくつか変わるころ。
「全体的に走力は上がっているしレース全体を見る感覚もかなり良くなっている。
俺としてはデビュー戦をすぐやっても問題ないし、その後クラシック戦線に行くのも問題ないと思っているがグラスの希望としてはどうだ?」
「それでいきましょう。
私としてもレースで戦いたいという欲求は強くなってきましたし。
出場レースについては、そうですね、仰る通りクラシックに行きます」
「了解。
出場登録はしておく。
直近でめぼしいところにはしておくが、2週間から1月の間くらいで間に合う所を探すから決まり次第連絡を入れる」
場所はトレーナー室の中。
外では乾いた空気に時折人の息が白く溶ける。
「はい、お願いしますね」
トレーナーを担当してもらってからはやくも半年は過ぎた。
練習に基づく自身の能力の向上は数字にするまでもなくわかるほどであった。
自主練をする際に意識しなかったわけではない、だが緻密な設計と的確なアドバイスは一人での成果を圧倒的に上回った。
それに練習メニューに挟んでくれた道場でのやり取りもありがたかった。
残念ながらトレーナーさん自身は武具を持ってどうこうすることはできないものの、経験からくるあの独特なプレッシャーは触れる度自身が研ぎ澄まされるようだった。
練習は勿論、トレーナーさんの凄いところは他にもあった。
食事は食べたものの写真を送ると少し待った後に次の食事で追加してほしい一品などがコメントと共に送られてくる。
練習前後もストレッチにマッサージをしてくれるし、それに応じて練習の微調整が入る。
幸いにして違和感などを持たれたことは無いが、それだけ念を入れて気を遣ってもらえているというのは嬉しかった。
ただ、その生活が続いた中でふと感じたことがあった。
トレーナーさんに依存している状態になっているのではないかと。
確かに自らの走りの向上に全力を尽くすというのは本懐であるし目標、目的としてずれはない。
だがそれに付随する行動の多くがトレーナーさん任せなのではないか、と。
そんな不安が頭の片隅に居座るようになってから暫くのこと。
練習終わりに雑談で話していたことが気になった。
曰く、普段の昼食にはそこまでこだわりがないこと。
曰く、最近は食堂でテイクアウトのものを買うのが多いこと。
曰く、たまに栄養バーなどで済ませてしまうこともあるということ。
普段ウマ娘が食事をとる際、昼食は食堂で朝夕も同じ食堂で取ろうと思えば取れる上に寮でも自作することもできる。
しかし特に昼食時にトレーナーさんをはじめ、学園職員を見ることはあまりなかった。
確かに言われてみれば、食堂はウマ娘向きで学園在籍のウマ娘は数多く回転率もそれなりに高いことを考えればあまりトレーナーさんが来る場所とは言い難い。
それに近隣にはコンビニはなく、トレーナーさんもトレーナー寮での住まいとのことで基本的に生活が学園内で完結することを考えればそのような食生活になるのも当然と思えた。
それを知ってから数分。
ある閃きが脳内に生まれた。
これは好機なのではないか。
トレーナーさんへの依存の可能性がある自分にとってトレーナーさんへ報いることのできる機会なのではないかと。
昼食を自分が作る。
流石に毎日というには難しいかもしれない。
だが頻度を徐々に上げていくことは可能だろう。
そう思ってからは早かった。
弁当箱の購入から自分の料理レベルの確認、様々なレシピの練習と。
普段のトレーニングの合間やオフの時間を利用し没頭した。
少しばかり趣味の方とも兼ねてしまった気はするが味の方は良いので問題はないだろう。
そうして自信が付いたころに、提案をした。
良ければ昼食を作りましょうか、と。
一瞬驚きの表情はしていたが、負担でなければ頼むとの言葉を得た。
了承の言葉を言いながらも、我が意を得たりとの表現をしなかったことに安堵を覚えた。
そして今日がその日。
作ってきた弁当は鞄の中にある。
あとはそれを渡すだけだ。
「あ、トレーナーさん。
お弁当作ってきましたよ?」
「…ああ、ありがとう。
いただくよ」
鞄から取り出した弁当箱を包ごと渡す。
丁寧に結びを外しながら箱を開け、食していく姿にどこか不思議と胸が暖かくなるようだった。
量としては半分ほど進めたところで、不意にその手が止まった。
箸でとらえていたのは卵焼き。
巻くようにして仕上げたそれをどこか遠い目で見つめている。
「…どうかしましたか?」
「…ん?
ああ、いや、ちょっと思い出したことがあってな」
悪いな、と一言の後は箸が止まることなく弁当箱は空になった。
元あったように、けれど少しだけ違いながら包も戻してくれた。
「…ありがとな。
美味しかったよ」
「…お粗末様でした。
…ところで、その、思い出したことについてですが卵焼きに何か関連が?」
「…昔、家にいた時に卵焼きが好きなやつが来たことを思い出してな。
随分と気に入ってたってのもあるが、それこそあのオグリキャップの皿かと思うくらいに卵焼きを食べてたなって」
「…それはまた、凄いですね…」
オグリキャップ。
葦毛の怪物と呼ばれた先輩。
怪物という呼び名とは裏腹に性格や話し口は優しいが、怪物的なのはその強さと何より食欲の方だ。
時々程度に食堂で姿を見かけるがほぼ全ての場合で山盛りの料理の皿と一緒だ。
全てではないのはたまに注文中で料理が手元にないことがあるから。
そんな人を彷彿とさせるくらいに食べるというのはどんな人なのか。
そしてそれだけの量を食べさせるほどの卵焼きというのも気になった。
「…気になるか?」
「…はい…。
そんなにお好きになるような卵焼きというのはとても気になります…」
「そうか…
そうしたら家、来てみるか?
お袋ならそんなに忙しいわけでもないし土日なら大丈夫だろう。
グラスが空いてればいつでも大丈夫だと思うが、どうだ?」
興味と好奇は顔に出てしまったのかもしれない。
確認の言葉はすぐに来た。
それに何より実家へのお誘いが来るのは予想外だった。
幸いにして予定は空いている。
都合がつくのであれば今週末でも良いくらいだ。
「はい!
今週末でも大丈夫です」
「わかった。
後でお袋には電話しとくよ。
親父の方は…イギリスに居るからな、今回はスルーだ。
場所なんだが、そんなに遠くなくてな。
モチノキ町ってところだ。
俺もトレーナー寮だし、一緒に行くか」
とんとん拍子に進んでいく。
予想もつかなかった事態ではあるが楽しくはある。
はい、という返事は少し食い気味だった。
数日の時間はあっという間だった。
楽しみを待つ時間は長いと言うが、出場レースの日程の決定の後でサクサクと決まっていった予定だったこともあって少しばかり現実感がない程に時間は速く過ぎた。
学園の校門で待ち合わせてから電車での移動。
最寄り駅から多少の徒歩。
住宅街の中ほどで目的地に着いた。
見た目としては普通の一軒家。
トレーナーさんに促されるままに玄関に入ればすぐにご母堂から歓迎を受けた。
時間としてもお昼時だったこともあり、すぐに昼食となった。
ダイニングに案内されれば、そこには山盛りの卵焼き。
直前に火を通したのであろう、湯気が立ち上っている。
勧められるがままに口にすればほんのりと甘く卵の柔らかな食感がとても心地よかった。
この味ならば気に入るのは当然、山盛りの皿となるのも自然。
雑談も交えながら食事は進んだ。
そうして昼食を終えてからのこと。
不意にご母堂からトレーナーさんに少々買い物の頼みがあった。
大したものではないが必要だからとのことでどうしてもと説いてトレーナーさんが家をでる。
トレーナーさんについていこうかとも思いはしたが、お客さんだからということで止められたのと話したいことがあるとのことだった。
そこで耳にすることになったのはトレーナーさんの過去の話。
常々知的な雰囲気は感じていたが、昔からその片鱗はあったらしい。
というか片鱗どころか全開でその才能は発揮されていたらしく、一時期は不登校の気すらあったらしく今学園で勤務できていることをとても嬉しそうに語っていた。
同時に私の担当トレーナーとなっていることも。
先の電話の際には私の事も話していたらしくあまり直接聞かない誉め言葉が出てきて少しだけ照れくさかった。
清麿は良い子を捕まえたわね、ということも言われたが担当契約の際の一件ではどちらかと私が捕まえた側のような気がしていてそこには触れずに過ごした。
そのまま話を続けるうちに話題となったのはもう少し深い話。
トレーナーさんと過ごしているとき、時折海外の知人と連絡していることがあった。
それも英語だけではない複数の言語で。
どういうつながりがあるのだろうと疑問ではあったが、聞いてみればどうにも海外に何度も行っていた時期があるらしい。
また、近い時期にホームステイのような形で来ていた子がいるらしかった。
どうにもウマ娘ではなさそうだったがその子に関わる形で海外へという機会が多かったようだ。
そしてその子が来たのはトレーナーさんが少し荒れていた時期の事。
そこから少しずつ今のような形に落ち着いたらしい。
ここに来る原因となった件の卵焼きにはまっていた人物というのもその子の縁で知り合うことになったとのことだった。
せっかくここまで来た、というのと話題でもう一度料理の事に触れたこともあってその後は料理を習った。
自分で調べながら習得した料理とは少し違って、普段キッチンに居ることもあってか洗練された動きに一手間、一味の工夫が見られてそれだけでも料理に活かせる気がした。
習ったものを自分でも作っている最中にはトレーナーさんも戻ってきて、そのまま夕食もご馳走になった。
半分くらいは自分の作った料理でトレーナーさんは時折不思議な顔をしていたが、作ったのが私だと種明かしをすると納得して頷いていた。
その後は門限もありすぐに学園へと戻る。
自室では教えてもらったレシピや工夫をまとめたメモを見ながら次の献立はどうしようかと思案する。
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空が色づき始めるころ、一足先に布団から抜け出しキッチンに向かう。
前の夕食時にまとめて作っていたものを少しに、新たに作る料理をいくつか。
それで今日の献立は良いだろう。
夕食はまた買い物時に考えながらでいい。
幾度も繰り返した手順は淀みなく、食材の切り分けから火入れとこなしていく。
弁当用には少し冷ますものも忘れてはいけない。
ある程度の手順が済んだところで彼が起き出してくる。
朝の挨拶をしたところでちょうど味噌汁の具合が良い感じになった。
テーブルへの配膳は二人で。
そうして朝食を食べ始める。
朝食時はおおよその予定と帰宅時間を伝えてくれる。
元々付き合いで遅くまで、というタイプではないし今どきはレースが多い時期でもあることからそちらへの対応がメインとなる。
それでも要領の良さや効率化も相まって残業はほぼないという予想。
時折、新たに朝食メニューに加えた品の感想をくれる。
評価は上々。
美味い、と言いながら食べ進める姿に頬が緩む。
食後にはお茶を。
今日は最近の担当ウマ娘の状況が話題だ。
何でも、言動や思考がかなり不思議な娘らしい。
ただ走力は一級品とのこと。
現役こそ退いては居るがそういう強いウマ娘の話を聞くとレースで競うことを考えてしまう。
ただ向こうのウマ娘にも自分のことは知られているらしくさすがに敵いそうにないという発言をしていたらしい。
気持ちから負けてはだめということは言伝してもらおうかとも思ったが言葉には出さないで留める。そこは彼が上手くやるだろう。
一服の後は学園に向かう彼を見送る。
そのときには昼食の弁当を渡すのを忘れない。
「…行ってらっしゃい」
「おう、行ってくる」
こうして一日が始まる。
どうしても平日は彼が働いているため一緒に居られないのが残念だがその分家でキッチリと家事をこなす。
そうして帰ってきてから夕食を取るときに美味しいと言ってくれるのが何より嬉しいのだから。
お読みいただきありがとうございました。
QAとして設定を書いておきます。
Q. ヤンデレ感なくない?
A. あっさり目に書いてますが、割と序盤で実家訪問と育った家庭の味を覚えに行っているので中々だと思います。
Q. グラスワンダーの武士感なくない?
A. 本編中には書いていませんが、グラスワンダーとしては清麿に友人関係を超えて近づく女性に対しては掛かってこいというスタンスです。これは確固たる自信の上で自分が勝てるという思いと、自分が清麿にとっての最愛たるという絶対の自信によるものです。
なお一応他のウマ娘の感じは
トウカイテイオー→愛されているのは実感しているが清麿が超絶良物件なのはわかっているのでたとえ結婚していても牽制は忘れない
ゴールドシップ→表面上は優しく清麿が良い男で自分のというのは言いつつ、許容限度を超えるとバチバチのヤン発揮。
アグネスタキオン→余裕の態度ではあるが余程近づいて来た場合はガチの論理で詰めてきます(清麿と如何に公私ともに仲が良くてかつ研究も、etc...)。
Q. ウマ娘としての成績は?
A. 最後の章でちょっぴり登場した清麿の担当ウマ娘が敵うの無理ではと思うレベルです。一体だれなのかはご想像にお任せします。
Q. 清麿の過去に気づいたってこと?
A. 清麿の付き合いの長さに対してで過去への推測・情報という意味では一番進んでいます。グラスワンダー自身がレース以外にも武道への知見もあることで清麿の独特な雰囲気に気づいたという形です。清麿自身はその雰囲気の存在は知りませんでしたが、指摘されたことで制御はできるようになっています。他にグラスワンダーと同レベルのウマ娘がいれば気づかれている可能性がそこそこあります。
Q. 他のウマ娘だと清麿の過去はどう考えていた?
A. トウカイテイオーは早々に何でここまで出来るのかは違和感を抱くものの追求はせず。何かの切っ掛けで話してくれるという信頼があります。
ゴールドシップは面白いやつと思いつつ異様な能力と対応力は違和感を過去ウマ娘との付き合いがあったゆえのものと勘違いしています。その上で清麿を絶対的に独占するという意識の為ある意味過去を振り切っています。
アグネスタキオンについてはあんまり興味がない感じです。純粋に清麿の現在の能力と人柄を気に入っています。
Q. もちろんグラスワンダーの料理は和風ですよね?
A. だと思いますが時折清麿の好みや本人の好みに応じて洋風、アメリカスタイルと色々やってくれると思います。
Q. 家庭的な若妻エンド?
A. そうです。
Q. 清麿の好物(鰻、コロッケ)には触れないの?
A. 鰻はレース勝利後に一緒に行っていると補間してください。コロッケは揚げたてを、ということでお弁当には入れない感じです。