高嶺清麿がトレーナーになったときにありがちなこと妄想 作:朝凪小夜
ここだけ読んでいただいても問題ありません。
一部設定等の変更・歪曲が存在します。
苦手や嫌悪を覚える方は読まないことをお勧めします。
見慣れた壁紙、白を基調にうっすらと時の片鱗を感じさせるそれ。
ただ自室はおろか自宅ですらない場所。
病院と呼ばれるそこは人生の中でも長く時間を過ごした場所です。
多くの人、特にウマ娘にとっては縁のない、あってほしくない場所でしょうか。
ですがまれに私の様なウマ娘もいます。
無事是名バと元の意図はレース中やその後にケガ無く過ごすことを理想とした言葉ではありますが、そもレースにたどり着くことすら遠い身の上では無事からは程遠いことを痛感させられるばかりです。
それにもう一つ身に染みるのは一日の長さ。
寝台の上から窓を、外の景色を見つめる度暮れることなどないのではと幾度も思いました。
そうは言っても無為に過ごしているだけではなく、他に時間を過ごす方法はいくつかありました。
例えば万華鏡。
幾重の鏡の中の模様の輝きはその美しさもそうですがもう一度手に取ったときには同じ模様を見ることはできない儚さも面白くありました。
時間があるからこそ、その中での自分のお気に入りを見つけたりもう一度そのお気に入りを見ることが出来ないかを試していました。
他には読書も。
あまり実感できたものではないものの古今東西の、それこそ雑多に本を読めば世界がどんなものなのかその中の人の思いも何となく掴むことが出来たように思います。
時には看護婦さんやお医者さんとも話す時間がありました。
あまり患者さんの深い話というのはありませんでしたが、それでも少し変わった人というのはいるらしくそういったお話は興味深くもあり、楽しくもありました。
中には中学生でありながら応急処置の水準が極めて高く院内で話題になったという人も。
ただその人はその後の入院期間中にそれなりの騒動の中心にいたらしくどちらかと言えばそちらの方で記憶がされているようでした。
さらに言えば騒動もただ迷惑というより結果として一部良かったこともあるためどうにも感情の落としどころに難があると。
人の記憶というのも不思議なものだとその時はそれで過ごして、いつの間にかそのことも忘れてしまっていました。
そうして時が経つにつれて成長も寄与したのか病室内で過ごす時間は少し減るようになりました。
学園にも登校しトレーニングの姿を見ることもできました。
とはいえ入院することそのものが無くなったわけではありません。
時折体調を崩しそのまま幾日か長ければ週単位でという生活でした。
少しずつ見慣れた景色が小さく近くなり、自分が大きくなっていたのだと思うようになったのもこの時期くらいだったような覚えがあります。
そのうちに芽生えてきたのは不安。
最初はごく普通にものだったと思います。
ずっとここに居るのか。
外には出れないのか。
それがいざ外に出て学園での光景を目にしたがゆえに、
自分が"ウマ娘として"何もできないのではないかという怖れが頭をもたげてきたのです。
全力で走ったことなどそれこそ片手の指折り程度。
幼心の記憶の欠片のそのまた欠片。
きっと今走ったらずっと速いことに疑いはないはず。
けれど走ることはできない。
いつまで。
いつまでであれば走れる?
ウマ娘と言えどレースの水準の身体能力を引き出せるのはごく短い期間。
本格化と言われるその端緒から、その果てまでが黄金の絶頂期。
個人差があるとはいえおおよそレースを走っているウマ娘はそのほとんどが本格化の上で衰えるまでの僅かな時間を賭けています。
自分にもその時間は訪れるでしょう。
それは望むべきことであり、喜ぶべきもの。
でも、その時に自分はどこにいるのでしょうか。
ターフの上か、あるいは変わらずにこの寝台の上なのか。
どうしてもその不安が、その予想をしてしまう自身が怖くてならないのです。
夜が来る度、もう一度明日が来ると思うそのたびに自分が少しずつ変わりゆく眠りの時間が恐ろしいのです。
朝を迎え最上の能力を備えた体が寝台の上で動けずにいるその光景が現実になってしまうことがすぐそばにある気がするのです。
そんな不安を誰に言うことはしません。
走りたいことも、走れない恐怖もただ私のものです。
たとえ走れるようになろうとならずともその思いは誰に渡すつもりもなかったのです。
ただ一日の長さと感情の波濤を少しだけ忘れたいと、それだけだったのです。
そんな日々の中で、確か季節は金木犀の香りの頃に少しだけ変わった出会いもありました。
入院が多いゆえに学園で渡される各種通達や宿題に課題は直接受け取ることが出来ません。
メール等での配信もありましたが一部はどうしても紙での連絡から外れることはありませんでした。
ゆえに、そういったプリントを渡すために学園の職員が病室を訪れることはどこか日常の一つともなっていたのです。
でもその時に違っていたのはただ一つだけ、会話の切っ掛け程度の事。
病室に入ってきたのは男性、かなり若く見えました。
最初はただ代理で来たと告げられて、入室の所作から名乗り、所用の伝え方も整えられていると感じ、初めて見る人だと思っているうちに本来の用である学園からの連絡を伝えられて、ただそれで終わるはずでした。
ほんの一瞬、傍らに置いた本のその一冊を彼は見逃さなかったのです。
世界の遺跡集。
各地の遺跡を多くの写真に加えて、当時の生活や現代までの関わりも含めてまとめていて中にはウマ娘が古代で今とは全く違うような生き方をしていることを示すような発掘物も紹介されています。
その本を見て、興味があるのか、と。
答えは短く肯定を。
お気に入りのようなものはあるか、と続けての問い。
いくつか迷いましたがエジプトのピラミッド、南アメリカのとある遺跡を答えました。
そんな答えに彼は嬉しそうでした。
特に後者の遺跡の方では珍しい文字が使われていたことや内部の構造がとても特徴的なことなど教えてくれました。
本で読んでいたものより深く、理路整然としているのに臨場感を伴った話。
最初こそ知識の羅列なのかと考えましたがもっと別な疑似的な体験とも思えました。
そう長くは話していないつもりでしたが、気が付けば窓からの明かりが陰っていてこんな時間になっていたのかと驚きました。
そしてそれは彼の方も同じで、すまないという言葉とともにお話は終わってしまいました。
名残惜しいのもありましたし、何よりこんなに時間が速く過ぎるのも初めてだったこともあってかつい口をついて出た一言がありました。
また話せますか。
返事は短く、肯定。
必ずまた来るとも。
病室の扉が閉められてからはいつもと同じはずの景色。
でもどこか違って、どこか暖かさのようなものも感じられました。
何より少しだけ夜の眠りが楽しみになりました。
またあの人は来てくれるか、と。
待つ時間は長いようで短く、幾日かで約束は果たされました。
前回より少し遅い時間ではありましたがまた続きの話ができたのです。
その後はまた帰り際に次の約束をして、となるかと思いましたが違いました。
次は学園だろうと。
確かに、今回は学園入学後では少し長めの入院でしたが少し当たり前の感覚が違ってしまっていたことに気づかされました。
加えて、何かあれば来てくれと教えられたのはとあるチームとその部室の所在。
そこでサブトレーナーをしていると。
驚きもありましたが同時に何故気付かなかったのかという気持ちの方が上回っていました。
最初にかなり若いと感じたのにそこで思考が止まっていて何故ここまで若い男性がトレセンにいるのかという疑問にたどり着いていなかったのです。
そんな反省は彼が帰った後もしばらく続きました。
その次の日にはお医者さんから退院の見込みを伝えられて、ほぼすぐの日取りだったこともあり昨日言われた通り次に会うのは学園になりそうだと再度思いました。
ただそのことをある種希望を持たせるために言ったのか確信の上で言ったのかは気になるところです。
感覚的にはどうにも確信の上で言っていたようにしか思えず、でもそれがどうしてなのかはわからず終いで、次には必ず聞こうと。
そしてもう一つ、彼がトレーナーであるがゆえの質問も。
退院後の学園はそう変わることもなく、クラスの方々も変わらず接してくれました。
もっとも多少の慣れはあるかもしれませんが。
昼時に彼の所属しているチームを探します。
午後の授業までという制限はありますが、放課後でチームの方の練習の邪魔をしてしまうのも申し訳ないため少し急いで部室へと向かいます。
部室に入ればそこにはただ彼の姿。
久しぶりという言葉と退院祝いの言葉を挨拶に、あの時の会話が続いていきます。
数日の隔てがあったとは思えないほどにスムーズな応答。
この時間が楽しいと、話せることは嬉しいとは心から感じています。
でも今はどうしても聞きたいことが生まれてしまったのです。
そのことが表情に出てしまったのか、彼は話題を一度切り問いを挟みました。
質問がありますと応えるのはすぐでした。
ですがその後の内容を伝える言葉は中々出てきません。
胃の辺りが苦しく、鼓動が妙にうるさく感じます。
手を握りしめて、すこしの痛みで意地を出して言葉にしました。
トレーナーとしての見解で私は走れると思うか、と。
最初は確認の言葉。
体調、体質の上で練習やレースで全力を出せるか、他のウマ娘と競えるかということで良いかと。
肯定の言葉は少し、震えていたのが自分でもわかりました。
それをわかっていたのでしょう、回答は端的なものでした。
結論としては可能だと。
聞き間違えではないか、最初の文字を飛ばして聴いてしまっていないかは確認しました。
それでも回答は同じ。
安堵が身体中に広まります。
鉛が包んでいた状態から解放されたようでした。
ですがそれも少しばかりの話。
答えには続きがありました。
曰く、体質上の問題からトレーナーとしては特にトレーニングプランや日頃の体調管理に気を遣う必要があるということ。そしてそれはかなりの強度で行わねばならず、チームレベルのトレーナーだとどうしても他のウマ娘との兼ね合いが難しくなるのが問題として発生すると。
それならば個人での練習で気を遣うことで問題は解消されないかという疑問はすぐに浮かびました。
とはいえその疑問は想定済だったのでしょう。
口にする前に話は続きました。
個人での練習は推奨できず、どうしても自分では気づけない範囲で外から確認を取る必要があるし何より練習強度の失敗が致命的になりうると。
確かにそれは理解できる話です。
限界を超えてしまえばこの身体はまた病院に戻ることになるでしょう。
その想像は容易です。
レースを考える以上は一日、それよりも短い単位でもトレーニングの遅れは問題になるでしょう。
ですがそれは既に起きていることです。
自分の中でのまずいラインのようなものは何となく把握はしています。
彼の言葉ではどことなくそうではないような、もっと根本的に違うようなものがある気がしています。
それを聞くべきかは悩みました。
言わない事、知らないままが幸せであると考えたのかもしれません。
あるいはわかってしまったがゆえにそのことを伝えるべきかという葛藤も。
ですが数秒の後に迷いは振り切りました。
今更の事です。
どのようなものでも知った上で踏み越えたいと思ったのです。
だから、問いを投げました。
その致命的とはどのようなものかと。
一瞬顔が強張ったのはわかりました。
そしてため息の後で立ち上がって部室の扉に鍵を。
内密、相応に重たい話が来るのは予想がつきました。
再び椅子に戻ってからは、目線を一度合わせて
その脚はガラスだと。
世界が一瞬止まったかと思いました。
呼吸も、あるいは鼓動だって忘れていたかも知れません。
そんなばかな、とは頭には浮かびます。
でも同時にこれまでの身体の弱さからそうなのではないかという思いもよぎります。
そして疑問も。
何故わかるのか。
会ったのは数度、そしてトレーナーとはいえ医者ではなく身体の情報を知っているわけではないと。
その考えは思ったと同時に口から発せられていました。
見れば分かる。
答えは端的でした。
もし疑うなら医者に検査を依頼してみてくれと、出来ればできる限り精密なやつがいいとも。
付け足しとして、それでも走れないわけじゃない、キチンとトレーナーを付けてトレーニングとレースに臨めば大丈夫だとも。
その言葉を疑いたいのか信じたいのかはわかりませんでした。
ですが一つだけ確信はありました。
もし脚の事が本当であればその上でトレーナーとして担当する人はまずいないと。
脚が問題ないとしても体調の問題から相当の負担が求められるのに、そこに脚の懸念もあれば通常の感覚を持った人は避けるでしょう。
いつ砕けるかわからない薄氷を渡る毎日を過ごしたいと思うなんてあり得ないことですから。
理性と思考は回り続け嫌な未来の可能性を示し続けます。
元は希望が正しいかを知りたく、喩え無理でも身命を賭してその可能性に賭けることが出来るのではないかという期待がありました。
今となればそれが楽観的思考だったともわかります。
それよりも問題は悪化しました。
確かに知らない方が良いと考えてあえて言わなかったのもこの絶望感を知る必要はないと考えての事だったかもしれません。
しかし聞いてしまった以上はもう戻れません。
どうすべきか。
詰みの状況に思えましたが一筋だけ光明はありました。
ですがそれを口にするのは、今日のどの言葉よりも難しく、怖いもの。
この言葉を口にすることで起きることが、何より嫌われてしまうことを恐れました。
しかし言わずには居られませんでした。
ウマ娘として走ると、憧れたその日々を掴める可能性を捨てることは何より嫌でした。
そして伝えた言葉は、
私をチームに入れていただけませんか。
現状脚の問題を知っているのは私と彼のみ。
彼の所属するチームも大所帯というわけではありません。
指導の時間や量こそ分散されるとはいえ理解の上でトレーニングを行ってくれるのであれば問題は避けられるのではないかと考えていました。
結論から言えばそれは甘い考えでした。
彼から得られた回答は不可。
脚の問題は私の認識以上に深刻で砕けず走りぬくことを考えるのであればチーム内で分散された時間ではとても不足だと。
それに追加してチーム内で別に問題が発生することもある以上現状で掛けられる時間よりももっと減ってしまう可能性もあると。
光明は見えただけでした。
その許にたどり着くことは能わず、先が真っ暗に思えるほどに何をすればよいのかわからなくなりました。
視界の端が少し滲むのがわかり、歯を強く噛みます。
手も、爪の食い込みが分かるほど握り込みました。
自分の膝上のスカートの生地を見つめながらどれほどの時間を過ごしたか、掛けられた言葉は意外なものでした。
春まで待てるか、と。
しばしの沈黙。
言葉は続きました。
曰く、春にはサブトレーナーではなくトレーナーに昇格し担当ウマ娘を持てるようになると。
そしてそのタイミングで私を担当とすることも可能だと。
一応あんまり推奨されている方法じゃないから暫くは黙っていてもらうことになるが、と。
これから冬を越えて春までにはしばらくの時間があります。
それはただ耐えるという過ぎ去るのをひたすら待つ時間そのもの。
ですがそんな時間は幾度も経験してきました。
それにまだ本格化は訪れておらず身体的には余裕があるようにも思えます。
春からよろしくお願いしますと答えるのに迷いはありませんでした。
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トレーナーさんは春から約束通り担当として迎えてくれました。
その時にフルネームも教えてもらい、高嶺清麿という名前を知りました。
意外なことに担当の約束までしていただいたのに名前をちゃんと聞いたのはその時が初だったのです。最初に名乗られた時には名字だけだったみたいです。
担当となってからは伝えられたようにトレーニングプランはかなり練られていて上限も厳格に決められていました。
特に自主練については限界を超える可能性に、問題があっても対応が遅れてしまうことからも絶対という重さで禁止されました。
その代わりというのは変かも知れませんが、指導全体も相当に細やかなものだったと思います。
アップから、トレーニング中も、クールダウンでも一切目を離すことのない脚の具合への気遣いは鬼気を感じるという言葉すら似あうほどです。
また後で知ったことではありましたが、トレーナーさんはメジロの主治医にも話を通していたみたいなのです。
今更ですがメジロ家には専属のお医者さんが居ます。
所謂名家と言われる一族であることもあって成長とウマ娘の能力をより伸ばすためにも、普段の生活の補助的な意味でも大変にお世話になっています。
私の場合には家での設備よりも病院の設備と人員が必要だったこともあって入院という措置がありましたが、通常の範囲であればお屋敷内で治療まで完結するようなものになっています。
そして当然入院時の状態だったり、幼少期からの身体データも主治医の先生は存じています。
最近では脚の問題についても検査、認識共有をしていただきました。
そんな主治医の方と話した、というのは過去と現在の体調を踏まえた上で今後の成長がどこまでとなるかの予測とその上でのトレーニングプラン、レースプランを作成するための情報共有とメジロ家内での意識の共有の為。
メジロ家が所謂名家ということは一族の者はウマ娘が多く、レースのことや現役ウマ娘の存在は凡そ理解しています。それは同時に私の病弱さもということです。
そういった一族において私がレースでの競争を目指すという姿勢を示されました。
本来は私が伝えるべきことではあったのですが、当主様が個別にトレーナーさんを呼び出して意志を問うたとのことです。
そういったこともあって私のモチベーションは非常に高くありました。
最短の時間での最大効率。
これを常に意識し、脚への負担を極小にした上で能力の向上を目指します。
そして勝つための方法として駆け引きも。
レース中の戦略は身体の能力との掛算とも言えます。
どちらも高水準にならなくては本当の競争には届かないでしょう。
さらに言えば身体での不安がある以上こちらをより高めておいて損はありません。
そうしたトレーニングゆえに劇的な成長というのはありませんでした。
代わりに長めの期間で見れば確実に良くなっていることがわかりました。
緩やかな成長。
ゆっくりとではありますが速くなっている事実がただ嬉しいものでした。
そしてその日々の中である一時が訪れます。
本格化。
まさしくその前後でウマ娘の能力が変わるというその時期は言葉通りに私のウマ娘としての能力を飛躍的に高めました。
まさしく開花というのでしょう。
昨日より速く、昨日より強く。
こと全ての行いで昨日のそれを圧倒的に上回っているのが目を覚ました瞬間に理解できました。
これならばトレーニングにもあるいはその先のレースでも、と考えた矢先トレーナーさんから言い渡されたのはトレーニングの一時的禁止でした。
理由は感覚と状態の齟齬。
身体能力が一気に上がってしまったことでこれまでの感覚と不連続的になっているため加減の調節が難しくなっているとのこと。
確かにその通りではありました。
いくつかペンの握りやドアの開閉などで意図しなかった結果があります。
そして言い渡されたのは1週間を目安とした慣れの期間を設けること。
本当に最低限のストレッチなどだけを行い他のトレーニングは無しとなりました。
トレーニングを含めた一日の時間の使い方に慣れてきた折に、大きな部分を占めていたトレーニングがなくなるとなると思いもしなかった空白の為どうしようかとしばらく考えていました。
そんなことも久しぶりで、いつか病室で考えていたことを学園でも思うとはと少し不思議な感覚です。
そうして閃いたのはいつかの続き。
トレーナーさんが話されていた遺跡のお話を聞きたいと思いました。
要望は快諾。
今回は遺跡以外にも各地の自然にまつわる話も聞けました。
とある島国の鬱蒼として、人知れず多くの動物が生きる森も。
南半球の想像できない程に深く、暗い海のことも。
聞くほどに興味が湧いてくるようでもっと話してほしいと質問をしながらせがんでしまったようにも思えます。
そんな会話の中で少しだけ脱線することがありました。
遺跡の中には壁画が残るものもあると読んだことがあります。
当然それにふれた部分もありました。
ふと気になったのは姉の存在。
走ることもさることながら、芸術も嗜んでいます。
トレーナーさんはそちらの方はどうなのだろうと。
思い付きで聞いたところで、その、凄く微妙な顔をされていました。
芸術については歴史だったり意図だったりは分かるが自分ではどうにもならないとのこと。
何か描いたり作ったりは期待しないでくれとも。
これまでトレーナーさんが何かにここまで苦手というものを聞いたことが無かったためどこか意外なようで、でもかえってそれらしいというような不思議な感覚でした。
そしてもう一つ、自らが行うのはダメでも鑑賞の方は問題ないということは確りと耳に入っていました。
芸術作品は本でも見たことはありましたが、展覧会などで見るそれはもっと迫るものを伝えてくれます。
もしトレーナーさんが詳しく知っている時代、地域の芸術展があればその楽しさも一入とすぐに誘うことに。
結果は了承。
ですが残念なことにその日は一番近い会場でも門限までには間に合わないため別日で。
どうせ行くならゆっくり見ようという言葉もあり少し距離のあるものも調べてみました。
その中で常設展示として見つけたものがありました。
簡素な説明の中に特異な文言。
そのすべての作品が、意図したものかあるいはそうでないのか、いずれにせよ日の目を見ることのなかったもの。
つまりは遺作。
どの作品を見ても最期というものを意識せざるを得ないはずのその展示に強く惹かれました。
そうして迷うことなく、ここに行きましょうと。
展示会では絵画、彫刻といった作品が並んでいました。
入り口付近では強烈と言っていい程輝かしい色彩の作品群。
最後の作ということを知らなければその後幾枚もの作を残したことを予想させるほどのものがありました。
中盤に行くにつれては文字通り最期の作も。
完成させるまでに命尽きて未完成となってしまった作品が並んでいました。
生の翳りを感じるほの暗さを見たり、削られることなく擦り後ばかりが残る彫刻もありました。
終盤についてはあまり多くの事を覚えてはいません。
あの絵を、ただ野外展示のみだけが許された一枚の作品を見てからは、少し時間が飛んだように思えます。
今までの感情や考え、見てきたはずの光景が浮かんでは消え、浮かんでは消えの繰り返し。
浮遊感にも似ていて、ですが自分の進みたい道ははっきりと自覚できました。
その思いを持って振り返ればトレーナーさんは少しだけ離れて見ていてくれました。
気を散らさないように少し間を空けてくれていたらしいです。
その帰り道に、一つ問いかけをしました。
人気もまばらで放つ言葉はトレーナーさんだけに向かっていきます。
命を賭してでも私の生きたその跡を残す、その思いに協力してくれませんか。
その言葉を受けた時のトレーナーさんの表情とその後の答えを一生忘れることはないでしょう。そしてその時の私自身の感情も。
回答は
否。
端的な否定でした。
聞き直す必要はなく、ただ同じ言葉が頭の中で繰り返していました。
感覚すらも曖昧で地面の上に居るはずなのに水中のような浮力に似た何かに気味の悪さが全身にまとわりついて、何故と言いたいのに頬が震えるばかりで声はおろか何の音さえ発せません。
そんな私を、怒りと悲しみにも似たどこか遠いものを見つめるような顔でトレーナーが見ていました。
何故。
発したかったはずのその言葉は逆に私のほうが問いかけられました。
自分の身体も、姉の事も、憧れも。何もできず朽ちていく恐怖も、無為に過ごしてしまう罪悪感も、そのすべてがゆえに走りたいと思うのです。
ですがそれでも思うばかりで言葉として形にできないままトレーナーさんの事だけが見えます。
ゆっくりとその唇が動くのも。
何を言われるのか、どんな言葉が飛んでくるのか震えながら待ちました。
走ることで命を賭けさせるようなつもりは毛頭なく、ケガさえ一切させずに走り切ってほしいと。そのために自分はあらゆることをしてきてこれからもし続けると。
失望を伝えられるのではないかという懸念は何処かにあったのでしょう。
だからこそ数秒前までには恐怖も感じていました。
しかし向けられた言葉は自身の安全のためのもの。
レースでも、トレーニングにおいても私を含めたすべてのウマ娘がそうでありたいと願うもの。
まだレースの場に立ったことはありません。
それでも不運も含めるのであればそれがどれほどに困難かはすぐにわかるものです。
競争と勝利を目指す以上はどうしてもその身に降りかかることは避けられず、私はその影が人より濃い以上差し出せるものがより重くなるのは必定なのだと。
その上で栄光が一瞬でもこの身に宿るというのならそれで良いのだと。
安堵もあってか漸くまともに動き始めた体を動かしてどうにか伝えます。
返答は変わらず。
それは全てを掛けなければできない事かと。
ケガや死による引退は出来ればすべてのウマ娘の末路としてあってほしくはないと。
納得か満足の上で退いてほしいのだとも。
当然私にもそうなってほしいと。
それは理想で、とても優しい夢に感じました。
自身の才と努力が及ぶ限り挑み続けることが出来るのであればそれほど良いことは無いでしょう。身体ではなく心の方で脚を止めるまで。
ですがそれも実現しなければ夢と消えるものです。
だからまた問いかけます。
本当にできるのでしょうか、と。
できる、そのために俺がいる、と。
その眼が、真直ぐな強い意志が閃光の様に心に突き刺さる。
信じたい。
自分もそうなれる。
彼と共にならそうなれると。
でもこれまでの自分の記憶が引き留める。
トレーニングはもとより、多大な消費をするレースではその危うさは段違い。
そこにガラスの脚。
普通のウマ娘の何倍ものリスクとなる。
それを、その陰を振り払ってくれるなら。
祈りや願いにもにた気持ちが、不意に言葉を紡いでいました。
ならば、トレーナーさんがこの命を預かってくれますか。
私がどこかに行ってしまわないように、無事に走り抜けられるように。
わかった、と。
今日の回答の中で初めての肯定でした。
不離一体、比翼連理と言われることは数多くあれどはっきりとそうなった瞬間はいつかと思えば、間違いなくこの時でしょう。
もしこの時がなければ脚の不安への意識を持ち続けて走っていたはずです。
ですがそうはならなかった、
不安を共有し、乗り越える術を授けてくれたのです。
それにレースを通じた多くの出会いも。
でもそのことはまたの機会に考えることにしましょう。
もうすぐ飛行機が出ます。
休暇としてはそう長くはないですがようやく訪れた機会です。
いつか話した、世界を見てきます。
今回メジロアルダン編では他の編と比較したときに清麿との出会いのタイミングが早くなっているほか、アルダンも早くにトレーナーが付いている状態になります。またその設定に伴い精神的な部分も変わっています。
本当はもっと書きたいところはあったのですが冒頭がめっちゃくちゃ重たくなったので10000字前後という気持ちからこのくらいに収めました。
例によって直接的なヤンデレ成分は控えめな気はしますが、結末に関しては記述の通りです。
また、最後の描写については『全て』手中に収めたいという願望の結果としてそうなったということにしています。流石の重戦車ですね。
また、冒頭清麿が病室を訪れた背景にはたづなさんがという描写されない一幕も有ったりなかったりです。
その辺は想像していただくかコメントもいただければ嬉しいです。
時々曇らせで最後に良い感じになるのが好きだったりするので今回そういう問答できたらなという考えだったり、ファウード編のエリーだったり清麿自身の事を考えると命を落としかねないやり方はまあ止めるかなという考えで今回の流れになりました。多分清麿ならそのリスクを避けるために自分が色々仕事をしなくてはいけないとなっても瞬時にそちらを選ぶ気がします。
あとがきとは言え色々書きましたが、切実にネタ切れのため多分しばらく間が空きます。
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