高嶺清麿がトレーナーになったときにありがちなこと妄想 作:朝凪小夜
ここだけ読んでいただいても問題ありません。
一部設定等の変更・歪曲が存在します。
特にこの編においては作中の描写外の時間における設定・出来事に関して改変・創作が明確に存在します。
苦手や嫌悪を覚える方は読まないことをお勧めします。
本来記憶とは思考や情報といったものすべてを覚えて貯めておくらしい。
そこから重要なもの、大事なもの、よく使うものが分類され意味のある物として扱われる。
だから思い出せないものはなくなるわけではなく、ただ思い出すという工程がないだけ。
自己相似に近いがどこかにしまったはずの物を見つけられないというのがぴったりと当てはまる喩えだろう。
層層累累、生きていく中で折り重なっていく日々はまるで地層。
私自身にももはや思い出せない時間も1日も数多いのだろう。
だが、忘れることのない宝石のような輝きを放つ1日も確りと在る。
むしろ振り返ったり思い返すという言葉すら烏滸がましい程にいつも脳裏に浮かんでいる。
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その日は薄曇りでけれど夏の暑さを宿した空気に汗が浮かぶような一日だった。
家内での調べものに図書館へと足を運んだ折に起きたこと。
いつもなら家の書棚に収められている物の中で終わる話だったが、どうにも自分の興味と本の指向が合わなかった。
後で考えればそういったものも含めて家の色というものなのだろうがそれでも少し違うものを欲していたのは事実だった。
市内の図書館では目当ての物はすぐに見当たった。
早速中身を見るべく机に向かう途中に一瞬視線が止まった。
椅子に座り机に向かう少年。
それだけなら普通の話だった。
だがその傍らにあるのは異様に分厚い本が数冊。
文鎮の様に使っているのかとも思ったが、手元には開いた状態の物が一冊に別の小さい本を見ながら記述を追っている。
何故だか自分の持つ本が妙に軽く思えた。
しかしあまり人を見るのも失礼だと思考を切り替えて自分も机に向かうまではすぐだった。
代わりにその少年を視界に入れられる位置に座って時折視線を向けた。
先の光景はうそではなく、頁を往復しながら読み進める姿は本を理解している者のそれだ。
負けまいと自分も本に意識を向ける。
少し読みづらさはあったが問題はなく、思っていたよりも時間は掛かってしまったが知りたいことは問題なく知ることができた。
ふと少し夢中になってしまったことに焦ったが、彼はそこに変わらず居た。
よくよく見れば分厚い本の頁が大分偏っている。
時間はかかったと思ったがそれでも日が沈むようなものではない、なのにそこまで読み進められるのだろうか。
気になる。
何を読んでいるのか、それにどうしてそんなに読めるのかも。
「…それって何読んでるんだい?」
意を決し話しかけた。
利用者が少なかったことも幸いしたのか、私の言葉にはすぐ気づいてくれた。
顔を上げ、発言の主が私だと視線が合う。
「これのこと?」
指さすのは分厚い本の頁。
頷いて首肯する。
「父さんの本で考古学とか化学のやつみたい。
よくわからなかったから読みたいって言ったら読み方を教えてくれた。
こっちのを見ながらなら何となくわかるよ」
「…うん?」
よくわからないのは自分だった。
考古学とはというところからさっぱりだったし、読み方という段階も謎だった。
本なら一冊で読めるものと思っていた。
「もし、よかったらなんだが、いくつか聞いてもいいだろうか」
「いいけど」
そこからはわからないことをただただ聞いた。
彼なりの理解や本の記述も見ながら疑問を少しずつ解消した。
ただあまりに聞いてしまうばかりで彼の時間を奪ってしまったのではと不安になった。
彼とて図書館の利用者として読みたい本があり、理解したいものがあるからここに居て私がそれを邪魔してしまったのではないかと。
その思いを迷うことなく口にしてしまった。
「…俺も話して何か分かる気がするし、良いよ。
こういう本の話をできるのも面白いし」
許してくれた。
嬉しかった。
だがそれに甘えてはならないと本を読むことを主眼に、時折話しかけるような形にした。
目当ての本以外にも家にない本を探して試してみるのは新鮮さもあって引き込まれた。
そしてその内容もまた話す。
そんな時間だった。
夕暮れの訪れで館内が橙に染まってくるとどちらともなく帰宅の準備をし始める。
今日の感想を言いあいながら、ふと名前を聞いていないことに気づく。
「そういえば、君の名前は?
私は、ルナだ。」
「キヨマロ。
タカミネキヨマロ」
「キヨマロか…
じゃあ、また」
別れ際はあっさりとしていた。
また会えるという理由もない確信。
また話せるという幼心がそうしたのだろう。
事実、次に図書館を訪れた時にも清麿は居た。
変わらずに分厚い本を持って解読に勤しんでいる。
私も変わらずだった。
種々の書を読みながら、清麿に話しかけてと繰り返していた。
彼の言葉ははっきりとしている以上にわかりやすく、話すほどに自分の思考が言語や意思として明瞭になっていくような気がした。
これまで漠然とした考えや気持ちといったものが会話の中で少しずつ形を帯びて捉えられるようになった。
そしてその言葉を以て対話はまた進む。
考古学から始まった話が歴史だけでなく、科学や言語、絵画、ウマ娘の話にまで飛んでまた戻って、螺旋のような時間が続いていた。
だがそれも永遠ではない。
季節が変わっていくうちにふと清麿から言われたことがあった。
引っ越す、と。
どうやら御父上の異動に伴っての事らしかった。
大変だな、とか気を付けろよ、とかそんなことは言った気がする。
だがその時にはどうしても彼の顔を見れなかった。
それからというもの彼に会うことは出来ず、日々が少しくすんだ気がした。
本格的に教育・教練が始まったこともそうだが、何より彼の行先を知らなかったことが大きい。
終ぞ切り出すことが出来なかったのもそうだし、仮令聞いていたとしても覚えていられなかったと思う。
どうにかもう少し頭を働かせていれば、もっと未来を考えて心を抑えられてればとも。
不思議なことに彼の言っていた様々な学問を修めた一角なる人物の言葉を聞いても、どうしても彼の言葉ほどに魅力は感じなかった。
何より会話をする度彼の眼差しを思い出す。
目の作りや色が特異だとは思わない。けれどどこか力を感じさせるような瞳。
言葉を交わしてもその光がなくただ知識が増えるばかりで、あの自分の感覚が変わっていくような時間ではなかった。
そんな日々も1年もすれば慣れて当然になった。
会う当てのないことは諦めも付いた。
同時に一つの目標もできた。
あれほど優れた人間ならどこかの分野でその頭角を隠せるようなことは無いはずで、その時にはきっと探し出すのだと。
そして同時に私自身も存在を知らしめたいと。
己のことながら随分と現金なもので、目標ができてからは思いのほか日々の学習やトレーニングにことさら身が入るようになった。
芝を踏みしめる一歩も相手に向ける視線も、細かな挙動の一つ一つに意識が通っていく。
速く、早く、相手より先に動き続けるその走りを身体に染み込ませていく。
その甲斐あってシンボリの中でも傑作の評価を得るまでになった。
無論他者の評価に踊るほどではない。
だが、その評価は当然と思うほどに自分でも能力に自信を持っていたのは事実だった。
同時に疑問も強く、無視できない程に心中に浮かんでいた。
自分が走るその先に、目標を叶えた先は何が在るのか、何をすべきなのか。
そのときに己の能力は誰かのために、誰かの幸福の為に使うべきではないかとも。
両親の姿を見る度に、加えてあの快い時間を思い出すたびに私も誰かに対して作り出せないかと。
目標は一つ増えた。
そして私はまた強くなった。
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トレセン学園に入学してもシンボリの傑作という評価は変わらずだった。
変わったのはその前に最高という語が追加された程度だろうか。
だが自分で思う以上にその評価は周囲に影響を与えていた。
入学直後から同級生の視線の色が少し想像とは違っていた。
同級生どころか中には上級生であってもそういった類の色をした目があった。
言うなれば、畏れ。
同級生でも、学年を隔てようとも、競争相手。
その意識は入学時点で全てのウマ娘が持っている。
それゆえに考えざるを得ないのがシンボリルドルフと走るということ。
その思考を家の最高傑作という評価が塗りつぶす。
走る以上は手を抜かない。
それでも、走る前から気圧されていては勝ちの目はないと思ってしまうことは止められなかった。
仕上がり、調整は常に上々。
それでも至上を目指すにあたって本格化を待つことは避けられぬ毎日。
生活に不満はない。
そのなかにどこか倦んでいくものがあることも否定しきれない日々。
飢えている。
切磋琢磨の相手かそれとも見上げるほどのライバルか。
いずれにせよこのままでは感情的に停滞が続くことは明白だった。
抜け出さなくては。
解決法はシンプルだ。
新しいことを取り入れる。
これまでトレーニングは基本的に自分だけでやってきた。
特に担当トレーナーもなくチームにも属することもなく、己のみで。
意図があったわけではなく、ただ必要な時期にそうすればいいのだと思っていた。
だが先んじて動いておくのも悪くはない、特に変化を望むのならその動き方はむしろ先行投資になりえるとも思えた。
とすればどこに行くべきか。
凡そではあるが入学前後で学園内のチームについては調べはついている。
チーム規模になっていない1対1、数人程度のトレーナーや入学の数日後に新たに職に就いたトレーナーは追えていないが先に調べてからでも良いだろう。
そんな思考を手元の端末はすぐに叶えてくれた。
画面に表示されるのは学園所属のトレーナーの状況一覧に顔と氏名。
少し操作をすればチーム一覧に切り替わる。
特に知っていたものより増減はない。
規模こそ少々の相違はあるがその程度だ。
問題は個人の方。
これまでの実績、担当ウマ娘の情報を見れるのはまだいい。
新人で多くが未記載の欄となっている以上に、未勝利のウマ娘ばかりの名前が並ぶこともあって心が痛んだ。
特に絞り込みもせずデフォルトだった50音に従って一覧を見ていたのもあってか半分程度に到達するのもそれなりに時間がかかっていた。
時折未勝利だったウマ娘に意識が向いてしまったのも一因だった。
ふと手がとまる。
指先にはいくつかの文字。
たかに、みね、か?
何処かで聞いた。
どこで?
いつ?
何かが引っ掛かる。
その先は何が書いてある?
きよ、と。
これは何だ。
見慣れぬ文字に目が細められる。
だが全く見たことが無いわけではなかった。
確か、日本史のどこかで。
何かあったはずだ。
知識の海の中で、それはそっと浮かんて来た。
まろ、か。
そして気づく。
きよまろ、と。
雷を浴びる気分というのはまさにこういうことなのだろう。
忘れていたわけではない。それこそ片時も。
だがその相手がすぐそばに居る可能性に、会いに行ける可能性は一瞬前の自分には存在しないものであって不意の一撃が脳髄から全身を撃ちぬいた。
だが、本当にそうなのだろうか。
信じたい。けれど確信には遠すぎる。
驚きと喜びと、形容すらできない感情のせいで震えながらも端末に指を運ぶ。
少しばかりの操作で現れるのはより細かな情報の羅列。
そのどれもが核心には至らない。
先頭に顔写真は見られるが、記憶のそれとは一致しない。
月日の向こうに居る以上それは仕方がないとはいえ問題はその変化が本来自然の物ものかだ。
よくよく見ればどこか面影もあるような気もする。だがさらによくよく見れば、遠目に見れば疑わしくもなる。
わからない。
本当にこの人物が"そう"なのか、あるいは違うのかどうしてもこの画面からでは判断できなかった。
はあ、と息が漏れる。
たとえ確信が持てなかったとしても可能性があることには間違いはない。
会いに行って聞いてみればいい、間違いだったとしてもちょっとした恥ずかしさで済む話だ。
頭脳の方は至極当然で、最も効果的な道を教えてくれる。
でも、それでも彼に会いたいのだという感情が納得しない。
こんな気分もいつ以来だろう。
目を瞑って深く思いを馳せても目標と努力の思い出の中には見つけられない。
このまま眠ってしまうか。
半ば諦めにも似た気持ちに襲われながら、一度思考に葛藤を放棄するのもいいかもしれないと。
身体を横たえていれば、少しずつ興奮も収まってきた。
朝にはもう少し冷静に考えられるだろう。
そんな期待をしながら、瞼の裏には情景が色々浮かんでくる。
眠る前から脳が情報を整理すると、そんなことも聞いたことがあった気がする。
微睡に落ちかけながら見る光景は写真と映画の半ばほどで、色を失ったりぎこちなく動きを繰り返しては消えていく。
幾度かの幻の中に先程の画面が見えた。
やはり確信はない。
それで今は良い。また考えよう。
揺らいでいく景色をぼんやりと見つめ、輪郭が消えゆくのを追っていく。
そういえばこの男は随分と若いな。
多分今日見たトレーナーの中なら一番かな。
溶けていく思考がそんなことも考える。
もう眠りに落ちるのだろう、心地の良い浮遊感が体を包む。
若い?
そんなはずがない。
あの試験を通ってそれはありえない。
跳ね起きる。
寝台からはギリリと耳に痛い音がする。
突如の覚醒の為か心音を強く感じる。
目も少し霞むがそんなことはどうでも良い。
デスクに置いていた端末を再度確かめる。
画面には相変わらずの写真と文字。
やはり若い、そう見える。
まだ可能性として本来年がそこそこでも若く見えるというのはあり得る。
そういうタイプの人間が居ることは知っているし、ウマ娘はそういうのは多い。
それが人の男でもいないということはない。
だが本当に実年齢も若いのであれば、また別の手段がある。
特に彼なら、記憶通りなら自分に近しい年齢のはずだ。
踊る指先に数秒の待機。
情報の海から拾い上げたのは2年前の記事。
発信元に件数もいくつかあるが問題はその内容。
トレーナー試験の最年少合格の発表だった。
写真こそ乗っていないが名前に軽くインタビューも載っている。
同姓同名。
決まりだ。
ここまでの事をやってのけるのはどうあっても彼だけだ。
ふふ、と笑いが抑えられない。
「…まさかこの世界に居るとは思わなかったが、そういうことならこちらから行こうじゃないか」
不安は消えた。
残るはただ期待と渇望ににた何か。
熱は冷める兆しもない。
だが今ではないと自制を掛ける。
たった数時間だ、数時間後には会えるのだと自分に号令をかける。
今は少しだけいい夢を見ておけばいい。
その後で全てが始まるのだと。
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一日の始まりは頗る好調だった。
身体の動きの冴えも、澄み切った思考も最高といえるほどに。
トレーニングでは一歩ごとの脚の感覚をミリ単位で感じ、飛び散る砂さえ見切れた。
授業においても一語単位で次の言葉を予想しながら話を聞けたほどだ。
そうしてただひたすらに待った。
確実を期すのなら放課後に行くのが一番だと。
学園内のウマ娘とトレーナーが一番活動的になるその時間帯が一番だと。
既にどこに行くべきかは調べがついているし何より昨日段階でトレーナーとして担当ウマ娘が居ないことが大きい。そしてその情報は今日も変わらずだ。
ならばトレーナーの拠点から開始してグラウンドを巡るのが良い。
トレーナーとして効率的にめぼしいウマを探す方法なら何となく察しがつく。
あとは例外的にどこかに用事がある場合だが、外部の場合は読めないが可能性はごく低く学内なら数回歩き回るうちには会える。
これ以上ないなとも自画自賛を内心でしながら時計を見つめる。
異様に長く感じられた一日はもう少しでその主導権をこちらに渡そうとしている。
秒針の重たい動きがまだ解放してくれない。
その動きを追ううちに、最初には何を言おうか思考が不意に嵌った。
彼は覚えているだろうか。
そんなことが頭をよぎる。
どうすれば良いか。
悶々とした渦に飲み込まれそうな際で鐘の音が聞こえた。
これから放課後だと気づくのに一瞬呆けた。
それでも身体は跳ねるように動く。
一歩一歩が軽くするすると進んでいく。
人もウマも何も気にならない。
景色はどんどんと進んでいく。
そうして呆気ない程に彼が居るであろう場所についてしまった。
普段の校舎とは少しだけ離れているが個人トレーナーの居場所としては十分な建物。
いくつか部屋割りもあるのだろうが少なくとも今はこの一部屋だけに用がある。
その一部屋を隔てる扉がやけに大きく見えた。
何を話そう。
答えは出ていない。
本当に彼か。
既に終えたはずの懊悩ががまた少し顔を出す。
大きく、ただ大きく、かぶりを振る。
迷いはない。
ただ進めばいい。
扉に手を添えて、小さく握った拳で叩く。
音は2度と2度。
半呼吸ほどを経てくぐもった声が聞こえた。
声の主は扉の先で間違いはない。
大きく息を吸い、扉を開ける。
大きく見えていたそれはただ普通の扉で軽いものだった。
室内に体を入れ扉を閉める。
部屋は特に変わりもない事務室に似たつくり。
書棚や机がありつつも少し空いたスペースがある。
勝利を挙げていくウマ娘の担当ならばそこに飾られるものがあるのだろう。
そして机の傍に立つ男。
目線が上に向く。身長は180付近だろうか。
黒く少し跳ねた髪。
写真で見るより幾分若く見える。
あまり人の顔と年齢を対応付けるのは慣れないが、近い年と言っても信じられる。
「…初めまして、シンボリルドルフです。」
口をついたのは初対面の挨拶。
だがこれも正しいと思えた。
記憶は真実とは限らない、劣化も美化も喪失も捏造もあり得る。
それでも自分の覚えているものが正しいのなら彼は知らないのだから。
「…珍しいな。」
表情を変えたつもりはなかったが、意外な言葉に視線に色があったのだろう。
すぐに言葉が続く。
「いや、普段だとノックする人もいないからさ。
おっと、名乗ってなかったな。
高嶺清麿だ、初めまして」
柔らかい笑みに真直ぐな瞳。
確信が絶対に変わる。
「…その、覚えているだろうか。
もう何年も前の事だが」
このような話が出てくるのは埒外のことだろう。
表情が少し強張った。
「とある図書館でウマ娘に出会ったことはないだろうか。
ルナと名乗るウマ娘に」
呟くようにゆっくりと、震えそうになる言葉を丹念に発していく。
強張っていた顔に困惑、驚愕、そういった表情が広がっていくのが見える。
彼ももう気づいている。
かつてルナと名乗ったウマ娘がシンボリルドルフとして眼前に居ることに。
「…ルナ、なのか。
覚えてる、ずっとな。
俺、どこに行くのかも言ってなかったろ」
移ろいでいく表情は少し悲しみを帯びた。
私が聞けなかったことをずっと抱えていたようにに彼も言えなかったことを心に抱えていた。
「構わない。
少し時間は掛かったが、今はこうして会えた。
ただ、話したいことがたくさんあるんだ。
…少しくらい良いだろう?」
ふっと、暗い陰が顔から消えた。
代わりに笑みが浮かぶ。
少し、と言ったが幾年分だ。
長くなるのは間違いない。
それを彼もわかって、むしろ彼も望んでいるのかもしれない。
紅茶とコーヒーの好みを聞いて、紅茶との応えにわざわざポッドまで用意したくらいなのだから。
話すだけにしては長く、月日を語り合うには短い時間はすぐに過ぎた。
もうすぐ足元の影は消えて、街灯がつき始める頃あいだ。
そんな時間の移ろいに今日の語りが終わることはどちらも察していた。
だからこそ最後には、今日の別れの挨拶の前には言わなくてはならないことがある。
「…君はもうトレーナーとして担当するウマ娘は見つけたか?」
「いや、まだだな。多少声は掛けたが契約まではってところだ」
「そうか…。
ならもう私が言うことは想像はついているだろう?」
「…ああ、そうだな。
…俺で良いのか?」
「君しかいない。
…正直に言えば、どんなトレーナーでも最低限の行動さえできれば私は勝てる、その自信は あった。
だが私はもう清麿、君しか考えられない」
「ああ、わかった。
俺がお前を勝たせるよ、絶対にな。」
よろしくな、と差し出された手を握る。
それまで力が入ってしまっていたせいだろうか、彼の力をずっと強く感じた。
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彼の、清麿のトレーナーとしての能力は非凡極まりないものだった。
かつて見たあの知性はそれがただの片鱗だったと思わせるほどに指導力に活かされ圧倒的な程の威力を発揮した。
無論私自身の才格が無いとは言わないが、それであっても未踏の領域に踏み込みそのまま駆け続けることが出来たのはどうあっても彼の力と言わざるを得ない。
衰えはなく、滾るほどに身体にエネルギーが満ちる。
周りの声も常勝が無敗へと変わり、無双、頂点、そして絶対へと移った。
絶対なる皇帝、シンボリルドルフ。
そこに驕りや自惚れはない。
ただ一つ一つのレースに対して全力を出すだけだ。
だが、その度にある思いは強くなるばかりだった。
その先に何を目指すのか。
誰かの為に、他者の幸福を願い行動をするべきか。
勿論、悩むばかりではない清麿にも相談しその思いを伝えた。
しかし帰ってきたのは悩み考えろという返答。
それも具体的な形を与えられて。
為したいことと、なりたい自分はどういう姿か。
この2つが問だった。
おそらくここまで考え時間をかけたのは初めてだろう。
これまでのどんな課題だって、難しくても1日の時間があれば答えを出せた。
それに対してもうすでに2週は経っている。
全くもって何もできないというわけではない。
方針ぐらいは固まっている。
足りないのはその回答に対しての自信だ。
自分の行く先はこれなのだと全力を賭して言えるのか。
そこに一片の揺らぎもないと誇れるにはずっと遠い。
悩むばかりが意味のある事とも思えずに教室、自室、校庭と巡っていく。
答えは出ずともリフレッシュにはよく、そして自然に最後には清麿のところへと足が向く。
まだ答えが出ないことに急かされることはなく、ゆっくりでいいと。
長くなるがその代わりに、と続いた言葉はアドバイスにも似ていたがもっと違った少し長い話。
それは空白の間の出来事で、どこか不思議でもありながら実に基づいたもの。
とある王位をめぐる半ば戦にも似た一連の騒動、そして最後に王となった一人の話。
遠いどこかの話かと思えば清麿はその王のすぐそばにいたらしい。
再会の前に随分な事をしているなとも思えたが、清麿のことだそれぐらいはするだろうと納得もできた。
肝心だったのは何故王を目指したか、そして王としてどうしたかの部分。
最初こそ清麿自身もそこに含まれていたのは偶然、けれどある時を境に明確に意思が固まった。
きっかけは同じく参加していた候補、より正確には意思を問わず巻き込まれた者。
無理矢理に近い形で引き合わされたことが結果として王への決意を固めるに至ったと。
同じ目に逢うものを出さないために、優しき王になると。
その思いが結実して最後には冠を得た。
その道も決して平坦ではなく、多くの敗北も涙もありながらの道だったと。
そしてその果てに王としても最初に行ったことは国民をそのまま迎え入れること。
あまり馴染みのない話であったが、どうやら王の決定後には国民への追放権行使ともいえる行いができたらしいが一切その権利を行使せずすべての者に存在を認めたらしい。
前置きの通りでそこそこ以上には長い話ではあった。
だがそれ以上に多くの実りも得られた。
これでいい、ではなくこれなのだと言えるものは見つかった。
むしろ最初から思っていたことばかりだ。
だから話そう。
この胸中の答えを。
「…清麿、私が何をしたいのか、どうなりたいのか、漸くわかった。
君に、聞いてほしい」
言葉はない。
だがその瞳が続く言葉を求めている。
「私がなしたいことは変わらない。ウマ娘に幸福になってほしいと、そう願っている。
そのために行動していきたいと。
勿論、レースで全てのウマ娘が勝利を得られるわけではない、それは分かっている。
勝者はいつだって一人、それは変わることはない」
目を真直ぐに見つめながら、一度言葉を切る。
呼吸を少し経てまた紡ぎ出す。
「勝利を得られずに涙を飲むものがいることは否定しない。
だが、それでもその結果を経ても幸せを得られるようにする。
勝てなかったことを引きずって影を落とした人生を送るのではなく、
負けたに納得を得て、先の人生を歩めるようにしたい。
レース以外でもそうだ
ウマ娘がその生き方に幸福だと言える未来、私がなしたいのはそれだよ」
これで答えは半分。
残る半分も淀みはない。
「そして、私はどうなりたいのか。
私は今のままでいい。
皇帝だと思われるなら、皇帝としてやっていくさ。
だが、皇帝ゆえに狙うもの、欲しいものは逃しはしない」
最後に一番の、絶対に譲れないものがそこにある。
自らの将来を考えた中で必需の一。
「清麿、君を私の傍から離す気は無いぞ。
公私、どちらもな。
トレーナーの方は続けて欲しいが、ずっと私から離れないでいてくれ」
言葉は少しだけ震えた。
それを受け止めながら私を見つめる彼の眼差しはどこまでも澄んでいた。
お読みいただきありがとうございました。
もし前回の更新から次話投稿を待って頂いていた方がいらっしゃいましたら、大変にお待たせし大変に恐縮です。
例によって次回投稿の見通しはありませんが、あとがきでは今回の裏設定等を書いておこうと思います。
Q. 今回結構一文も短めで改行多めでは?
A. 一人称視点から高速な思考を表現したく軽めにしつつ多く書く形にして見ました。
Q. 何故今回作品の描写外の時間で描写を?
A. どっかのスレで原作1巻の清麿の状況は清麿の方で何かコミュニケーションのミスとかやらかしがあったのではという意見を見たから。
Q. どういうこと?
A. 中学入学前後、あるいはもう少し前から清麿の能力が高いが故に無意識で相手に何か愉快ではない言葉とか態度があったのではという感じ。
作中レベルの頭脳ならもっと幼くても相応の頭脳はあっておかしくないし、その上で近しい頭脳の持ち主と会う機会がありその上で人間関係のリセットがあるとそういう状況に陥っても不自然さがないかと。というわけで、せやルドルフと会ってたことにしたろそんで引越もあったことにしたろ、となりまして。
すると清麿からすると、めっちゃくちゃ他者への期待が上がってそこから人間関係リセットなので相当無意識に要求が高まってたんじゃないかと。でも周りは清麿に比べれば圧倒的に普通くらいの人間だから軋轢が生まれると。
Q. 他の話と比較してどう?
A. 今回は明確に過去からの脳焼きがテーマです。記憶として。時間に直せばそんなに長くはないのに宝石みたいに輝いた時間だから何年経っても新鮮に脳を焼いてくれるんだ。
Q. 今回結末が明確に書かれていないのと清磨の描写が少なめなのは何故?
A. 清麿も過去から脳焼きされてるから。
Q. 清麿の裏設定はある?
A. ルドルフが清麿を見つけられなければ探す決意をしてたように、清麿もトレーナーとしてルナを見つけ出してルナに意志があるなら中央まで引き上げて勝たせる気だった。ただ清麿側の持つ情報が少なすぎて厳しかったという感じですね。能力の方は他のトレーナーに対して公正と公平を欠いてしまいかねないという自制から使わずです。
Q. ルドルフの裏設定は?
A. 基本は描写まんまですが、清麿の傍だとウマ耳と尻尾が言葉どころじゃなく感情表現します。ただこれはフレーバーみたいなもんなので想像の邪魔ならオフにしても問題ないと思います。
Q. 他の話と比較してどう?(2回目)
A. 似た者どうしみたいなことをやりたかったんです。一応他の話もテーマ的なものが無くもないんですがあんまり明確に区切りはないです。
Q. ウマ娘の実装がされてきている新しいウマ娘で書かないのは何故?
A. 何個か妄想したけど一番クオリティ出せそうだったのがこの話だったので。次点はデュランダルでした。
Q. ガッシュの話はちょっとぼかしがあったとはいえ記述があったのは何故?
A. 姿こそ違えど目指すところが結構近いのでぶつけないわけにはいかない。あと、ぼかしてたのは流石に学内で話すには色々懸念があるという清麿の配慮。勿論聞いた後でルドルフはちょっとぼかしたこともわかってる。
Q. 何か清麿への評価が高くない?
A. そもそも能力が非常に高くて自己評価も正確なので、そこに自分を上回っている可能性のある相手ともなればそりゃあもう。